四章五節:マミ☆マギカ WoO 〜Witch of Outsider〜 |
「――巴さん!?」
風を切り置き去りにしていく後方で――((病葉|わくらば))同然に崩壊させられていく高層マンションが、動く砂丘の情景を作り押し寄せる"((砕屑|さいせつ))"に瞬きの((暇|いとま))すらなく呑み込まれていく。
僅かに前、温度差の為か暁美ほむらの眼には気にかけるべき場所の一帯がどことなく"曲がって"見えていた。今や、違和感を抱いた先にあるのは、怒涛の如き砂嵐による壊滅の傷跡しかない。歪みは晴れ代わりに舞う土煙から垣間見える再開発地区の末路は((曝|さら))されることになった"攻撃"の威力を物語っていた。
ついにその持ち得る力の一端を((顕|あらわ))にした『ワルプルギスの夜』。
心象に表れた姿でもなく、そこにいる実物は見滝原市に出現してから変わらぬ人形を逆さにしたかのような状態。あの大穴を穿つ烈風を生んだ異様に巨大な雲も、跡形も無く霧散してしまっていた。だが記憶力を有する者や抗う者にとっては、同じ風体になど見えはしない。
観測も続行中のほむらには想像も多大に含むとはいえ分かった。自分に向けてあの力が使われなかったのは時間が合わなかっただけのたまたまでしかないのだと。ただ眠気眼の前を通り過ぎた蚊の羽音が気に食わず後先考えずにいそうな場所を全力で叩いた。この光景を生んだ理由は単にその程度でしかなかったのだ。
"あのマンションには巴さんが……まさか……"
遅れてほむらの元にやってきた高速道路を激しくうねらせ揺さぶる振動などバイクで移動しながらも軽やかに対処してみせるが、その心中は屋根伝いに逃げ回っていた時よりも穏やかではない。最早万が一に((縋|すが))るにしてはこれまで知り得ずにいた敵の力が驚嘆に値するものを超えて余りあるものだった。
心地良い脱力といった態か。巨大魔女の発する力が出現時と同等程度まで急速に落ちていく。覚醒へと溜めた力を、瞬間的にでも即座に目覚めの状態とする為の贄と捧げたからだ。
であったとしてもそれを確実な攻めの転機に変えるだけの切れる札をほむらは一人では有してはいない。だからこそ未来への望みが湧き上がりながらも少女の胸を自傷の焦燥が襲う。
『巴さん!!返事をして!!巴さん!!』
魔法で感情を即座に整理させ、選ぶべきと判じたのはこれまで控えていたテレパシーの解禁であった。魔力を僅かでも使う行為とならば予めかけてある幻惑の加護も通り越し一瞬のみの使用でも互いの位置はほぼ魔女に明るみになるであろうが、再びあれだけの力で襲われるようなことはこの短時間であるはずがない。
"ッ……"
応答は――無し。それもまるで存在していないかのような感覚だ。ほむらは知っている。どれだけ甘い考えをしようと意識は無い。そしてそうした状態からこの糸口になるかもしれない僅かばかりの機会までに復帰して来られるなど、残された力で実際に戦う身であるほどに待つのを考慮するだけ無駄であった。
"何?"
『ワルプルギスの夜』の周囲に群がった無数の"影絵の使い魔"達が次々にその身を粘土の如くたわめていく。変形を繰り返しその身をもって作られていくのは大小様々な『歯車』型の平たい物体であった。
続けて空中で自在に動きながら次々と歯車達が組み上げていくのは……無骨とはいえ長い尾状のモノも備わるシルエットだけなら『恐竜』――あるいは巨大魔女を胴体であり心臓として組み込み一部と出来るだけの全体像は、物語の中の二足歩行の『怪獣』と呼べそうな"物"だ。
魔女の体躯が有する歯車に噛み合った"歯車型の使い魔"達が、連動し歯車の集合体である右前脚を大きく上げるや勢い良く市内の地面を踏み付け巨大な足跡を刻み付ける。
『前進』の意思の体現。力を使ったことで『ワルプルギスの夜』は一時的な弱体化をしているが、使い魔からの干渉も容易となったのだ。
余った使い魔達がさらに姿を変え玩具のネジマキの形を取り、背ビレのように並ぶ。何の意味も無く回され続ける。見た目通り全てがハリボテ。祭りの((山車|だし))にも満たない客寄せ人形。深い中身など何も無い。だとしても主を目的地まで運ぶのには作りの稚拙さや無駄な意匠など些細な事なのであろう。
((顎|あぎと))となり開く頭部。降り注ぐは((閃耀|せんよう))。移動構造物のほぼ真下、商店が並ぶ一帯が"刺し貫かれる"。祝砲然として"口"からあたかも"レーザー光線の束"となって一斉に吐き出されたのは、甚だしいほどにどぎつくぎらつくラメを有して作られた万国旗付きの"縄"だ。
攻撃に辛うじて原型を留めた店舗等も、触手となって絡み付いた縄に次々と引き抜かれ軽々と空に放り投げられていく。その都度生じては打ち付ける"強風"が残骸を原型の無いものへと変える。ほんの僅かとはいえ早さを増していく異常風圧での粉砕は、『ワルプルギスの夜』が戻り行く力を確かめている様であった。
口内へと巻き取られた縄は再び放出され人工物の存在を許さぬが如く破壊の工程を繰り返す。巨大魔女の周囲の地上ではまばらに展開した象型の無数の使い魔達が突進を繰り返し被害の範囲を広げていた。
中空に漂う瓦礫が操られた風に乗り次は砲撃と化してさらなる遠方、中心市街地へ向けて撃ち出される。先陣を切る流星群は無差別破壊の絨毯爆撃に。未だ発展の中心へは至らない飛距離……。まだ――
瘴気による汚染が進んだこの域において、最早大気の流れは巨大魔女にほぼ味方しているも同然であった。市の在り様は本質的に結界内と大差なくなっている。弱体など些細なこと。向ける狂気さえあれば背面を押す追い風が発生し、攻撃を阻むような風の複雑なうねりも無い。
笑う敵は既に存在を超え現象へと至っている。
運命を環境だとするのなら、唯の人の身が抗うだけの余地はもうこの段階で無かった。
『ッ――――――――』
"効果無し……か"
災禍そのもの。であったとしても、それに形があるならばと、戦えるのだと、引き金に指をかけ抗いの意を撃ち出すのは人の心が有ってのことか。
怪物像の心臓部付近で起こる爆発。一発の砲弾が、込められた魔力を火種に見せつける通常の倍以上の威力。自動走行させたバイクの車上で構えた発射機から((榴弾|りゅうだん))を七○○メートル向こうの相手に対し正確無比に射出する――暁美ほむらのこの場で成せる魔法少女としての技が集約された一撃であった。
それも徒労に終わる。仮に繰り返そうとも同じなのは先程の一発を放つより前から分かり切っていた。だとしても攻撃せずにはいられない。
ほんの僅かでも時間を稼げれば避難所に集まる人々に向け移動の指示が出るかもしれない。見た目に表れてはいないだけで魔女の体力は風前の灯火である可能性も残っている。探せば抗う理由は無理矢理でも出せた。そうしたほむらへ夢を見させてくれることが"以前"あったのだ。今は本当に夢幻でしかなくとも。
矮小な存在の切なる祈りが実を結んだのか――
"成功……した?"
次弾を備えるか否かの判断の最中、ほむらの((柳眉|りゅうび))を逆立てさせ続ける相手の見え方が次第に変わっていく。
魔女と使い魔の合体した存在。あまりの巨体にそこだけに注視すれば遠目からは動きは鈍重にさえ映る。がその大股の一歩と常に受ける風の助力は、今しがた踏み付けられた線路を走行する普通列車がもしあれば既に最高速度でも追走され振り切れない程まで移動力を高めさせていた。
それだけに前進する足先の向きが少し変わるだけでも大きな違いとなって表れていく。象の形をした使い魔達の動向も同じく変わった。その行く先が攻撃を仕掛けた側と重なりそうなら尚更変化は実感し易い。
"だけど、"これ"……何? 遠くで……嫌な、感じ――"
この場で無きにも等しい望む展開への歓喜に打ち震える情念は先回りする違和感に押し潰された。
怪物化した魔女の現在の進行方向……これまでと変わらず大体において中心市街地へと向いてはいるが、ほむらが目をやらねばと気にせずにいられない先と一致している様子である。
感じた通りならば、何の前触れも無く突如『負の感情』がその一帯から噴き出したのだ。それも魔女や使い魔の撒き散らすようなものではなく、『コレ』は生きた人間が時に生み出す暗いながらも光も隠れている混沌とした魂の放つ波動を凝縮したのかと抱かせてきた。避難が完了している場所にしては不自然過ぎる。
思い過ごしではいない証明は、これまでまばらに『ワルプルギスの夜』が天空から降り注がせていた瓦礫によって作られた雲が即座にそこへ集まり出し大量の石の雨を降らせたことで不本意にも成された。注力された為攻撃はより遠方へと及ぶ。十数個の巨岩がビル群へと直撃し、高速落下の小石は矢も同じとなる。
にも拘わらず((生命|万感))の反応は絶えない。次第に弱くはなってはいるが、減少には一定の傾向がある。
"もしかして……いやそんなはずは、でも――ッ!?"
思い当たる節が無いこともなかったほむらの思案を中断させたのは、操縦するバイクの進む道筋の正面から猛然と迫る三体の"影絵の使い魔"であった。
"まだ全部集まって無かったのね"
中心市街地側から来たということは先発隊として早期に送り込まれていたのが主の一時的な弱体化に力を貸そうと手下達なりの判断でようやく戻って来たのか。どうにせよ手慰みだろうとはいえまだ魔女から邪魔者と捉えられているのも確かなら、少女が火の粉を払い除けなければならないことにも変わりはない。
地に落とされたとはいえバイクとの関係は継続されている。高速道路を遡る敵の僅かばかりの密集の薄さを見逃さずに突破。すれ違いざまにカービン銃から撃ち出された破魔の力が三体へと命中し消滅させた。
そこに油断は無かったからこそ、唐突に襲った背を引かれるかのような感覚にほむらは総毛立つ。
"何故ッ!? 動きが!?"
異常はバイクの急激な操作の重さだ。刹那の狭間で原因を探るほむらは後輪を見るや戦慄した。いつの間にか"影"が絡み付いている。
"使い魔!?"
害を成す漆黒から飛び出た"生首の形"がゲタゲタと不愉快な音を刻む。まるで生けるタイヤチェーン。単に車輪を縛ろうというならば回転数を引き上げれば細切れにも出来た。許さないのはこれまで触れずに済んでいたこのタイプの巨大魔女の使い魔に備わる能力だ。
接触した対象を重くさせる。施した並み程度の加護は事態に気付くまでに抵抗力の大部分が損傷――全体に均等に纏わり付いているならまだマシであっただろうとはいえ、実体は粘液に似た状態を取っている敵の((疎|まば))らな巻き込まれ方はオートバイの後部の各所に不和を生じさせるに不足無かった。
既に轢殺も同然といった態の使い魔の"口内"から数本の触手が疾風の槍となってほむらの喉笛に迫る。主に殉ずるかの様な見え方に((然|さ))したる感慨はなくとも、この寸時における攻撃は確かな脅威となった。
思い付きを実行する猶予しか無い。後輪は間も無く自壊させられる。即決し割り切った暁美ほむらは危機感を遥かに勝る高ぶった五感を総動員して攻めを腕の盾も使い回避しながら躊躇せず座席から飛び降りた。
"ごめんなさい――"
魔法による補助を破壊力と探知妨害の波動に変換させられる形で消され、絶命し掛けの手下と共に横転し路上に火花を散らすや炎上していく二輪車を尻目に、ほむらは脱出の勢いを殺さぬ体捌きで天地が目まぐるしく移り変わるのを物ともせず蹴れるものがあれば足場とし高速道路上から離れた。
迂闊だったのを遅れて実感する。先ほど来た使い魔の三体の内一体は偽物だったのだろう。正確には本体でもあったのだ。巴マミが作り出していたリボンの兵達の様にどこかで本物と繋がっていたのだろうか。
おそらく"疑似餌の所有者"は道路上の一部に薄く広がって一体化していた。判別能力が特別秀でてもいなければこれで反応は多少誤魔化される。あとは敵かつ罠でもあるそこにほむらは知らず突っ込んだのだ。
使い魔の変形を先に見ていただけに歯噛みをせずにはいられなかったが、後の祭りと置き去りにする方が最早得策だ。一般道路の交差点に降り立ったほむらは即座に最寄りの半壊した店舗の物陰に身を隠した。
注意深く再度外を窺うも状況は幻となっては消えぬ。無傷の建造物は近場に一つも無い。断線した電柱。かろうじて原型を留める駐車していた乗用車が強弱の不安定な壊れた警報音を響かせる。遠目に望む怪物姿の『ワルプルギスの夜』は方向の修正も終えたのか変わらぬ破壊を振り撒きながら進行速度を戻していた。
どこか近辺で汚水でも漏れ出しているのか瘴気とは別の微かに空気に混じる好ましくない異臭。ようやく脊髄反射に類する感覚でも周辺を捉え出せてきたが、ひとたび立ち止まってみればこれまで意に介せずにいた膨大な情報の数々が置かれた状況と合わせほむらの視野に世界をより生々しく焼き付けさせた。
バイクを放棄して幸いとなったかもしれないのは巨大合体魔女の背ビレを構成する手下の中には元の形となることを頻繁に繰り返しているモノもいたことだ。破損間近な車体を無理に扱い続けても今度は矢継早に襲い来るかもしれないそれ等の相手達に致命的な隙を与えかねない。弁解の余地は、あってもそれだけだ。
手元に残る銃火器はどれも強力とはいえ力不足。さらに用意出来ればと言い訳するには時間からして今回の作戦を白紙にする必要がありそうなのだからどこかで対抗力に限界があるのならば夢を見過ぎている。そして巴マミはいないものとして扱うしかない。
悪夢を一変させるだけの戦力はもう無かった。
――否。新しく加えればあるのだ。夢などではなく現実的な案として。ほむらにとって敗北も等しいことだけを除けば。
己の腕に付いた盾を見る。魔法で生み出された防具。実の所、ほむらがそう解釈しているだけなのかもしれない。そして"真の力"は未だ解放されずにいる。
手を出せば直ちに変化はもたらされるだろう。だが安易に使う訳にもいかなかった。砂粒程度でも希望が残されている限りまだ"人"であり"暁美ほむら"として戦うだけの理由が残っているからだ。
諦めは先送りだ。まだ((俯|うつむ))く訳にはいかない。まずは"足"か。バイクの代わりとなれる走行可能な自動車でも((見繕|みつくろ))い魔法で奪う。それから――
『やぁ。お悩みのようだね』
"――ッ!!"
不意に頭の中に清涼な声が響いた。静かに視線をやる。近くも無くかといって遠くも無い、心に抱く隔たりが表れたかのような位置。光る紅い双眼が、小さくも似合わないだけの存在感を放っている。白いはずの体躯は見る角度によるせいか輪郭以外黒々として見えた。獣の形が挨拶代わりか尾をやんわりと振る。
「キュゥべえ……」
忌々しい名。『ワルプルギスの夜』とその兵隊達に次いで会いたくなかった相手だった。直接的な脅威ではないだけで性質が悪いことに違いは無い。まるで平時と変わらぬ異物の取る態度。こちらを攻撃するという意志がまるで無いことを知っているだけにほむらは憤怒の目線を送るのみに止めた。
「何をしに来たの……」
『いきなりひどいなぁ。魔女が来てからやっと場所が分かって、せっかく君への報告を持ってきたのに』
「必要ないわ。私は! まだやれる!」
どうせ新戦力を加えてみてはとろくでもない提案をしに来たのだと姿が目に入った時から判断していたほむらの口からは決まり文句さながらの否定の意がすぐさま声となった。テレパシー解禁の害となる副産物にはこの程度の応対で構わない。
『ん? そうだったのかい? そうには見えないけど?』
「今度は撃つわよ」
『おやおや。僕らを相手にするときだけ君はその顔になるね。まぁ良い、ならこの話は止めにしよう。暁美ほむら個人がもっとも興味を持ちそうな話題に切り替えようじゃないか』
「……なんですって?」
『すまなかった。僕達はもう君たちが戦えないと結論を出し、そう伝えた。早計だったよ』
「……え?」
『――あっちだ。急げばまだ救う余地がある。だけどもうすぐ、彼女は彼女で無くなる』
キュゥべえが眼差しを『ワルプルギスの夜』の進む方へと向けながら語るのは、わざと必要な言葉だけを抜き出しているのがまざまざと感じられた。だとしても、そこから推察される意味は余すことなくほむらの心中に染み渡る。
白い獣の顔はさながら"能面"であった。固まった表情だろうと、相手にこうだと見せたい使い手の心情、あるいはそうかもしれないという見る側の所思によって時に豊かに変わり行く。
ほむらにとって感情の無い声を出すキュゥべえが作るのは"笑み"であった。
『得られた情報からでは不確定だったが、君が何に重さを置いているのか正解したようだ』
キュゥべえが続けるも半ばほむらの耳には届いてはいなかった。終わらぬ内に駆け出していたからだ。
損壊している数々を捨て置き――衝撃波で移動でもしたのか不自然に歩道橋に追突しながらも駆動部分は無事と見える((車体|トラック))の上部に飛び乗るや魔法によって息を吹き込む。
見る者によっては生物さえ思い起こさせる滑らかな急発進。これまでの癖で無意識に位置の特定を阻害する魔法も使っていたが、ほむらが無自覚を認識することはない。敵が群れとなり襲い来るのを想像出来ぬ程に冷静さを欠こうと、仮に横槍を入れられたとして無謀であっても進む気迫が今は満ち溢れていた。
壊れた信号機の指示など何度あろうと気にも留めない。残骸や穴で道を阻まれたなら即乗り捨て強化された脚力が移動手段に代わる。動かせそうな自動車があれば幾度も使い捨てた。過る不安を前に行く為の力として燃やし続けていく。
やがて、どういう経緯で来たのかも判然としなくなった果てに、ほむらは見つけた。
「そんな……」
脚の代わりは最早無く……そして歩みさえも、止まる。頭に血が上るのもそこまでだ。キュゥべえが指し示すまでもなく心の奥で行くべき場所の目星は粗方付いていた。それだけでこうも早く見付けられたのは、ただただこうした時に限って運が味方しただけでしかない。
ほんの少し前に巨大魔女の侵攻する延長線上から感じた違和感。あれを起こせそうなものを巴マミと共に街中に仕掛けていたことがあった。が既に作戦前に全て撤去したはず。
ひょっとすれば回収し損ねた物があり衝撃で溜め込んだ負の感情をばら撒いたのかもしれない。大量の人間と勘違いした魔女がおかしな攻撃をしたのはその為だ。そうした夢物語を語れそうな心の隙間は次第に出来ていき――とはいえ虚ろを埋めるのはその類ではなかった。
「嗚呼……」
半壊したバスターミナル。地下鉄の駅への入り口付近に、誰かが((蹲|うずくま))り倒れている。
ほむらは知っていた。本人が目の前にいる時でさえ、何度だって思い出して来たのだから。だから見間違うはずなど無かった。風に揺れた"その少女"の頭に付いたリボンでさえ、ほむらの気持ちを裏切ってくる。
「まどか……」
百メートル程先、それでもほむらは震える片手をおずおずと伸ばしていた。咄嗟にもう片方の手で抑え込む。それが皮切りとなり再び一歩を進めたが――たったそれだけで、これでもまだ己に都合良く世界を見ていたのか、鹿目まどかの倒れ伏す地面に茶褐色の大きな染みがあるのに気付いた。鮮やかな赤は背中にも。
「まどかッ!!」
ほむらは堪らず駆け出す。避難所からは遠い戦場の只中でもあるこの場で何故まどかが負傷しているかなど疑問はあってもまず問題にすべきことでは無い。あの姿が何かの罠などでは決してないないことはほむらがよく分かっている。生きている理由そのものなのだから。
「――ッ!?」
魔法少女の足運びであと数歩。そこまで距離を詰めたところで突如ほむらの目の前が一瞬振動し、次いで"見えない壁"が現れた。急速に脳裏を掠める"集う悪意"と共に――
すぐさま横に逃れ回り込もうとするも他に何かする間も無く周辺を続々と埋める(十重二十重|とえはたえ))の不可視の壁により行動が阻まれていく。向こう側の有り様は絶えず視認出来てはいたが、遠近が秒毎に移り変わったかと思えば万華鏡の如く分裂や上下さえも反転する。
瞳に場景が届くまでの経緯が異なっていた。無理やり突破しようにもこの"隔たり"は少なくとも人間の作り出した銃火器による破壊を受け付ける概念の内には無い。直感的に仰ぐやほむらは正体を知った。
"あれは――!?"
外界と完全に分けられる間際、消えてしまったが確かに"影絵の使い魔"がほむらの遥か直上にいた。それも複数体。
使い魔達による八重結界。檻の中心にほむらは瞬時に追いやられていたのだ。
"そんな!? こんな時に――"
注意不足が祟らなかったとしてこうも範囲の広く急激な異界化から逃れられたか。魔女のものであろうと手下のものであろうとこれまで暁美ほむらが数多の戦いで感じてきた『結界』と同種であることには違いは無い。だとしても使い方が異なり過ぎる。この様に"攻め"として扱ってきた覚えなど無かった。
こうなってはまともに元凶となっている各使い魔を叩き解除させるしかない。
収納以外の"盾の能力"に頼れば交戦せず迷路を脱出することも可能ではあるが、その場合出口が近場でないことも有り得る。十数歩でどれだけ現在位置から動かされるか。地中という使い魔にとっては問題無くとも人体にとっては通り抜けられない場所が終点かもしれない。
そもそも内部構造も絶えず変化を繰り返している為、一時的にでもあらゆる行先が行き止まりとなったならば変化があるまで能力の使用を止めなくてはならない。既に何十回とそれを繰り返さねば何事も無く外に出られないのは感じているのだ。その積み重ねがどれだけ長時間となるか。
正攻法で手下達の相手をした場合でも詰まる所はほぼ同じだ。安全にこれまでの空間であり近くに復帰出来る可能性は非常に高く、一度に戦うのは一体ずつだと思われるが……多重の殻となる結界の数が増えない保証はどこにも無い。絶妙に互いに干渉しない距離で展開しているのか忌々しくも結界自体は付け入る隙など無さそうな程に安定していた。そしてもし増えずとも既に時間を使わなくてはいけない数としては敵が多過ぎる。
この場で最もほむらが嫌がりそうな状況が作り出されていた。敵との対話は不能の為ほむらには確かめ様は無いが、狙ってやって来そうな相手達なのは分かる。どの段階で補足されていようとも、一瞬とはいえ棒立ちになったのには才の乏しい欺きの加護など殊更無きに等しく感じられたことだろう。
ようやく憎むべき存在から目を向けられ結果はこれだった。ひょっとすれば過去にも同様の手段で誰かに"無力"を悟らせ、偶然であろうとほむらの番が来たのかもしれない。身の回りを精査する時間だけがあった。傍にあるはずの、あれだけ近かったはずの光景が、今は無限の距離となって感じられる。
「ッ……」
「――!? まどか!!」
反響しているかのような変化があろうと。確かにほむらの耳に届いたのは地に倒れる者が発した呻き声。
鹿目まどかはまだ生きている。痙攣か横たわる少女の身体が揺れた。命が尽きるまでまだ先と思わせられただけでも、ほむらの内からは抗うだけの意思が噴き出てくる。
「ほ……む……ら、ちゃ……」
声が聞こえる。声も聞こえるのだ。
「ここよ!! 私はここにいるわ!」
まどかは弱々しく振るえる手を天へと伸ばした。歪んだ空間を経由した声を聞いた為かもうほむらのいる方向さえも分からないのか。腕が再び地面に崩れ落ちるのに間は必要としなかった。
「よ……かった……たすけに……なった、んだ……」
「もう少し。頑張って! 必ず! 助けに!」
「マ……ミさん、は……」
「マミさんは! 巴さんは……マミさんもすぐに来るわ! 向こうで戦ってるの!」
嘘を吐いた。だとしてもこの虚偽はきっとまどかの命を繋いでくれるはずだ。
吐いても良い嘘がある。誰が言い出したのかも分からぬ珍しくも無くなった言葉に、どのようなことがあっても((縋|すが))り付かねばならなかった。
「今行くわ。すぐに!!」
まどかの背中。先程『ワルプルギスの夜』が地上へと集中的に落下させた瓦礫の雨に貫かれたのかもしれない。治癒魔法が使えればまだ助けることも出来るはず。願望が絶対だと信じたいと思うならばまずは傍に寄らねばならない。本当にその余地が無かろうと、待つのが受け入れ難い事実であろうとも、だ。
『残念だよ。君に鹿目まどかの生体活動を持続させるのは無理なようだ』
ほむらの思いを打ち壊すのは、たったそれだけの頭に届く言葉であった。
話すのはいつだって推測と真実しかない。平凡な魔法少女よりも情報収集能力は圧倒的に優れている。そのことを暁美ほむらは良く知っていた。否と叫ぶにはもう心と魂で聞いてしまっていた。
不意にまどかの傍に現れたのは、声の主である、白い小動物の姿――
「まどかに近付かないで!! キュゥべえ!!」
『僕たちは君という人間を知らないなりに、未知の部分に対する機会を与えたんだよ。人間でいうところの、想像的な可能性さ。もしかすればこの包囲を何とかし、もしかすれば鹿目まどかのあの怪我を一瞬で癒し救うことも暁美ほむらは出来るのかもしれない、てね』
「――ッ!」
『そうなれば僕たちも要求されなくなるだろう契約という行為をここではしないつもりだった。だがその唯一の回復役はただの魔法少女だったようだ。なら当然、助かる手段も限られるわけだ』
つまり契約の対価か治癒魔法で回復を行う。キュゥべえが指し示したいのはそれであった。
ほむらは怒りに総身を震わせる。だがそれ以上のあるいはそれとは異なる感情を抱かせることもまたあの白い生命体の一連の行動だと悟っているほむらはもう奥歯を噛み締めるしか他になかった。
譲歩していたなど正解ではあっても数ある答えの末端でしかない。大部分を占めるのは一度に利を得たかったからだ。自分だけは流されるわけにはいかない。振り返ればあったかもしれない運の良さでさえ、これが行き止まりならば、本当は最初からほむらに味方などしていなかった。
『さぁ。鹿目まどか。今まさに生命の危機にある君は、魂を対価に生きる術を手に入れるかい。
それとも――』
ほむらは連呼し叫んだ。声の限り否と。
長い旅路の中、僅かになってしまっていっても、未だに渇くことのない原点の思いを乗せて。
だが見つめ続けていた場所から巻き起こった強烈な光の渦が、辺り一面を全て白色に包むと同時に、声が出なくなった。
この戦いが始まってから最も強く、優しく温かい((白光|はっこう))。ただただ身に入ってくる情報から、驚愕の声が重なったのが分かった。振り撒かれた膨大な"希望"にたまらず悪意の塊である使い魔達が結界を解除しながら放棄し逃げ出したのだ。ほむらは――"現実"に戻って来たことを知った。
『そうか。それが、君の願いか』
収束していく光。浮かび上がるのは相変わらず破壊の限りを尽くされた景色――
「……」
輝きの余韻の中心に、今となっては複雑な感情しか抱けなくなった姿があった。
倒れていたはずの少女はいない。代わりに、着る者の心の在り様が表れ出たかのような柔らかな綿毛を思わせるドレスに身を包んだ少女がフリルの豊かなスカートを微風に揺らし立っていた。
"憧れ"の詰まった姿――
荒々しく肩で息しながらドレスの少女はほむらに向き直ると唐突に微笑んだ。苦しげで寂しげな、それでもどこか嬉しさに満ちた、ほむらの記憶にある表情だった。
「ごめんね、ほむらちゃん」
魔法少女へと変身した鹿目まどかの姿だった。
返す言葉さえ見失い、揺れた地面にほむらはへたり込む。この場まで近付いてきた合体状態の『ワルプルギスの夜』が歩行の際に起こした振動のせいだったが、なにより我だけは保とうと注ぐ気力に((屹立|きつりつ))を危ぶませない余裕までもが奪われていたからだ。
次第に静まる光の合間を縫うように、天より飛来したものが物寂しげな音を立て弾け地面に小さな水滴の染みを無数に作り広げていく。ついに空が溜め込んでいた狂乱の涙を振らせに掛かったのだ。
雨音に紛れてほむらは泣いてしまいたかった。魔法で涙腺を刺激するだけで良い。だとしてもその資格がどこにあるだろうか。全力で挑みながらも拭えなかった不信感に『次』も見越していた己には、遅かれ早かれ似合いの情景だった。
最早悔しさの証だけでしかなく――それすら幾ら理由があろうと表に出すことは許されない。元凶は自分にあると、ただ拒み遠ざける力が無かったこの時間の流れでの出来事を感情も無く受け止めることでしか、関わった全てから下される罰になると思い込めなかった。
髪を、服を、顔を次第に激しく濡らしていく((驟雨|しゅうう))。なんら自身に益を成さず伝い落ちていく水滴以上に、ほむらは価値があると思える涙を流す術を取り戻せずにいた。
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