鷲の契約
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 たった一度の口づけを胸に、向こうへ行くとはね。意外にロマンチックな人間だったよ。一回くらい寝てあげれば良かったかな。

 灰色の目の女は、そうつぶやく。

 誰の話をしているのか。女の隣で寝ている男は、すぐに分かった。

 約半年前に終結したばかりのベルカ戦争での出来事。七発の核が地表にクレーターを作った一九九五年六月六日、彼女が乗る機体の背後から置き土産のように空対空ミサイルを撃ち、((戦闘中行方不明|MIA))になった二番機のことだ。

 その二番機のパイロットの名前はラリー・フォルク。((TAC|タック))ネームはピクシー。

 空では妖精のように自由自在に飛び、自分の力量や性格と合わない僚機にはつれない態度を取る。地上ではからかってきた相手に、ささやかな悪戯行為でやり返す。腕はいいが扱いにくい傭兵。

 状況的にピクシーの言動は((無許可離隊|AWOL))なのだが、その頃には灰色の目の女とピクシーが所属するウスティオ空軍第六航空師団第六六飛行隊、部隊名ガルムの名は国内外の兵士に知れ渡っていた。

 あの有名な((二機編隊|エレメント))の片割れが脱走した。そうなれば士気に関わる。

 それに小国の傭兵に活躍の場を取られた大国オーシアが、横槍を入れてくるとも限らない。そのため、((AWOL|エイウォール))ではなくMIAとして処理された。

 子供を作るにはいい相手だと思ったんだけどねと、女は楽しそうに語る。彼との間に子供を作ったら、どんな才能を持つ子ができたんだろうねと。

 人の横で寝ている時に、そういうマッドサイエンティストな話をしないでくれと男は言った。

 だって面白いじゃないかと女は笑みを形作る。エースとエースの遺伝子を掛け合わせるんだ。興味はあるさと。

 君の子作りは科学だなと男が言うと、女はそうでもないと答える。

 最初は遺伝子の組み合わせが一番重要だと考えたけど、父親はどういう人間がいいかというのも重要だと思ったんだ。この人が父だと紹介された時に納得するような感じの。分かるかなと女は純粋に問いかける。

 君もそうやって生まれたのかと男が聞くと、女はそうだよと答える。子宮を持って生まれたのなら、一度は使ってみたいという母の気持ちが分かるようになったと答えられ、男はとりあえず笑うことで答えとした。

「ところで子供ができたから、産むのでよろしく」

 少しの((間|ま))を置いて、男は軽い溜息をつく。

「そういう話のあとに、そんな大事なことを今言うか」

「忘れないうちに言っておこうと思って」

「結婚という選択肢はないのか?」

「そちらの都合に合わせる。結婚を考えてる相手がいるなら、そちらと結婚してもいい。とりあえず、子供がいることは知っておいてほしいんだ。実の父親としては、子供の存在を知らないとまずいこともあるだろ?」

「君の母上もそういう人だったんだろう」

「よく分かったね。お陰で父を困らせたらしい」

 イーグルアイは笑った。聞いた話によれば、女は前ベルカ公の隠し子だと言う。よくある傭兵たちのホラ話かと思ったら、そうでもないらしかった。

 TACネームのサイファーも、元は母親が使っていたものだという。それを引き継いだらしい。今以上に当時としては珍しい、女性の戦闘機乗りだった。

 公家の男子に軍務を経験させるのは習慣だったため、前ベルカ公は空軍に入って戦闘機パイロットをしていた。柔和な外見に反し、荒馬のような機体を乗りこなす腕があったという。

 そんな彼は美しい憧れをもって、天才的な異国の女性エースに恋心をいだいた。

 女性エースのほうは、異国の貴公子を優れた種として目をつけた。

 ロマンスと本能が奇跡的に合致して、この世に生まれてきたのがサイファー。

「俺は父親に選ばれたわけか」

「そういうことになる」

 隣にいる人間は一見すると男性のようだが、服を脱げば女性だった。しなやかな筋肉と伸びやかな四肢は、野生動物を思わせる。

 ショートヘアで声も低く、傭兵という職業柄もあってか、ファッションは男性寄り。ブラックホール並みの胃袋を持ち、酒にもよく付き合う。

 だが、ほぼ男性だけと言っていい傭兵たちの間で猥談が始まると、いつのまにかいなくなっている。

 空での動き方は傲岸不遜だと言う人間もいれば、天衣無縫だと言う人間もいる。いずれにしろ、戦場の空を我が物として狩場にする。つかめるようでつかめない。

 彼女が円卓の鬼神の異名を持つエースパイロット、あのサイファーだとすぐに分かる人間たちは、ヴァレー空軍基地にしかいない。

 ウスティオにとって、至宝ともいうべき存在になっているサイファーは、書類上での性別は女性になっている。

 しかし彼女を守る観点から、男性に見えるならそのままにしておく、という手法が取られていた。紙の上では嘘を言っていない。相手の勘違いを利用する。

 ベルカ戦争当時、小さな新興国家であるウスティオは、ほぼ敵国の手中に落ちた母国を奪還するために金を積み、実力重視で傭兵たちをかき集めた。

 当然、大っぴらにできない過去を持つ傭兵もいるため、そこを無暗に突いて他国に行かれたら困る。

 そこでウスティオの臨時政府は、彼らの過去を不問にした。情報を外に出さず、広報に写真を撮らせず、外部にも撮らせない。そうすることで、傭兵たちからの信頼を勝ち取った。

 サイファーの存在が他国から注目されるようになっても、ウスティオは情報を外に一切出さなかった。それが傭兵たちと契約するうえでのルールだからと。

「ところで結婚したい相手がいるんだが」

「誰?」

「君だ」

 今度はサイファーが笑った。

 

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 サイファーは居間のソファに座ったまま、彫像のように動かない。灰色の目は一点を見すえている。イーグルアイは「なにを悩んでいる」と机の上をのぞき込む。紙は真っ白のまま、一文字も書かれていない。

「手紙?」

「あの番組でああいうこと言われたら、なにか一言言わなきゃいけない気がしてさ。でも、いざ自分の字で書こうとすると、意外に書けないもんだなって」

 あれかとイーグルアイはすぐにピンと来た。

 二〇〇五年はベルカ戦争終結から十年という区切りの良さもあり、どこのメディアもいつも以上に大きな特集をした。オーシアのテレビ局OBCが放送したドキュメンタリー番組『ベルカ戦争の真実』も、そのうちの一つ。

 内容は大国オーシアのすぐ隣にある小国、ウスティオにはかつてサイファーという((TAC|タック))ネームの傭兵パイロットがいて、その傭兵と戦った敵エースたちにインタビューするというもの。

 パイロットへのインタビュー集というコンセプトがあったのか、ヴァレー空軍基地に所属した兵士たちへのインタビューはなかった。

 が、実際はウスティオ政府が許可しなかった。

 インタビュアーは非常に困っただろうと、イーグルアイは他人事のように考える。自分のところにまで話が降りてこなかったということは、問い合わせの段階でかたくなに拒否したと想像できた。

 なにせ番組が放送されたのは二〇〇六年三月。十周年としては時期が((外|はず))れており、制作がギリギリだったのは推察できる。

 かつてのガルム隊二番機であり、敵となった傭兵、ピクシーことラリー・フォルクにインタビューするため、大陸戦争が終わったばかりの北ユージアの前線に取材しに行ったのは、感心せざるをえない。

 ??よう、相棒。まだ生きてるか? ありがとう、戦友。またな。

 まだサイファーが生きていると確信している言葉。一度すべてが壊されてゼロに戻され、吹っ切れた人間が言う言葉。

 今でもサイファーは国境を巡る戦いなどなんのその、己の生き方に従い、自由気ままに飛んでいると思っているのだろう。

 その人間は妻となり、子を産み、育て、大地に根を張っている。戦いとは無縁の一般人としての生を、もっと限定するなら女としての生をまっとうしている。

 とは言えなかった。

 そういう暗黙のルールのような、古風な、世の規範にのっとった生き方はしていない。家庭を持ったことで独身時代ほど自由気ままに飛んではいないが、子は夫に任せ、長期出張のような形で家をあける時がある。

 おそらくこういう生き方をピクシーは想定していない。夫になったイーグルアイはそう思う。

 女性として生まれ、子宮があるなら一度は使ってみたいという実験精神にあふれており、父親と名乗るにふさわしい存在を選定し、白羽の矢が立ったのが自分だった。

 そこに愛はあるのだ。

 あるのだが、普通の人とは少しばかり違う。

「こちらは元気です。そちらはどうですか、ぐらいでいいんじゃないか?」

「それじゃ味気ない」

「結婚しました。子供が生まれましたって書くか?」

「それならいっそ、家族写真を送ったほうが早い気がする」

「いきなりはダメージが大きいから、最初は文字にしておけ」

 サイファーは「難しいな」と笑う。イーグルアイは「ピクシーの連絡先は知っているのか?」と聞いた。「知らない」と明快に答えられ、「それじゃ書きようがないだろ」とイーグルアイはあきれたように言う。

「あのインタビュアーにおうかがいを立ててみても、偽者扱いされそうだし……っていうか、((軍|そっち))で調べようと思えば調べられるんじゃないのか?」

「あのあとちゃんと捜したさ。でも見つからなかった。上がそう判断した」

 サイファーは「上ねえ」と意味ありげに言う。

 ベルカ戦争が終結した約半年後の年末、ベルカ軍と連合軍の兵士たちの混成組織『国境無き世界』がクーデターを起こした。

 停戦条約が締結された都市ルーメンやヴァレー空軍基地を襲撃し、ベルカ奥深くにあるアヴァロンダムを占拠して、そこから大都市を狙って大量報復兵器V((2|ツー))を発射し、世界をリセットしようとした。

 その組織にピクシーは参加していた。

 ウスティオからすれば、契約期間中に突然脱走した傭兵であるが、そのへんは生死不明だった人間がいつのまにか参加していた、ということになっている。

「逃がしてあげた…ってのはなさそうだけど、なにかの取引材料にでもしたとか?」

「さあな。高度な政治判断は、末端の兵士の理解を超える時がある」

 ピクシーは傭兵仲間に対して嫌味を言ったり言われたり、会話をばっさり切り捨てたりするが、力量を認めたサイファーだけには気取らず、心持ち距離が近かった。

 対するサイファーは来る者拒まず、去る者追わず。その二人をイーグルアイは外から見る形だった。

「それよりほら。ハガキ来たぞ」

 イーグルアイからサイファーの手に渡されたのは、一枚のポストカード。表は美しい鷲のイラスト。裏は受取人の住所と名前。それから手書きで「Frohe Ostern!」と四回書かれている。ベルカ語で((復活祭|イースター))おめでとうという意味。

 よく見れば文字の癖が微妙に違い、四人の人間が書いたことが分かる。((歌劇|オペラ))に登場する黄金を守る三人の乙女と、公国の世継ぎの名を冠した、サイファーの下の異母兄弟たち。

 イースターとは、世界的宗教の教祖的存在が、死から復活した日とされる重要な祭り。教会では儀式がおこなわれ、家庭ではイースター独特の料理や菓子パンが作られ、振る舞われる。

 この行事で使われるグリーティングカードは、生命が誕生する象徴である卵と、多産で豊穣の象徴である兎をあしらったデザインのものが多い。

 しかしこのポストカードはイースターとは関係ない鷲を使い、差出人の名前も住所もないが、誰が送ったのかサイファーには分かった。これが母の異なる下の兄弟たちの精一杯の、許された自由。

「向こうにも届いたかな」

 柔らかい表情でサイファーは微笑み、大事そうにポストカードを机の上に置く。

「届かなかったら、すぐに電話で文句を言いにくるさ」

「一日遅れた時は大変だったもんな」

 下の兄弟たちはそれなりの年齢だが、長姉と電話をする時は同時に喋るため、あまりにもうるさい。離れて聞いていたサイファーの子たちは目を白黒させ、電話が終わったあとで「だれ? 子ども?」と聞き、両親を苦笑させた。

 年中行事のグリーティングカードのやり取りは、めったなことでは直接連絡を取れない兄弟たちにとって、大事な習慣だった。

 季節のイベントともなると、ベルカ公家が住む宮殿には国中からカードが届く。

 一般人からのカードはスタッフが処理をするため、サイファーは確実に届くようにと侍従長宛てに出していた。サイファーとあの円卓で戦った、藍鷺と呼ばれたエースパイロットの長兄。

 彼経由で下の兄弟たちのもとへひそかに届けられ、兄弟たちも侍従長経由でひそかに異母姉にカードを出す。使われるのは鷲の写真やイラストを使ったポストカード。

 なので、誰が送ったか分かる。兄弟だけの符牒。

「ただいまー!」

 家の中になごやかな空気が流れる中、滑空するハヤブサのように、二人の子が元気に学校から帰ってきた。

「行ってきまーす!」

 と思ったら、通学カバンをサイファーの向かいのソファに放り投げ、「ママ早くー!」と合唱し、すぐさま出ていこうとする。慌ててイーグルアイが「待て待て」と連呼し、子供たちを捕まえた。

「パティ、パット。どこに行くか、ちゃんと言ってから出かけるという約束だろう」

 パットと呼ばれた男の子が「朝、学校に行く前に言った」と言うと、続けてパティと呼ばれた女の子が「ママとお店行ってゲームの予約してくる」と言い、うしろから「ああ、ヒゲの兄弟の新作ゲームが出るんだって」とサイファーが補足した。

「このために二人でおこづかい貯めたんだよ」

「テストでいい点取ってるし、家の手伝いもしてるよ」

 イーグルアイは子供たちから手を離すと、「出かける前にも、もう一度言うんだ。いいな」とやんわりしかる。二人は「はあい」と同時に返事をするが、少しばかり表情が曇った。

「でも計画を立てて貯金して、勉強も手伝いも頑張るのはえらいぞ」

 頭をなでられ、褒められたのが分かった子たちは、少しこそばゆそうな顔をする。

「お、パパになでてもらっていいなぁ」

 上着を羽織ったサイファーがやって来て子供たちを抱き締めると、子供たちも嬉しそうに母親に抱きつく。

「気をつけて行くんだぞ」

 家族はハグとキスをして、母親と子供たちは外へ行き、父親は家の中で留守番をする。

 生まれてきた子は双子だった。名前はもし良ければとサイファーが言って、イーグルアイも同意した。

 男の子の名前はパトリック・ジェームズ。女の子はパトリシア・ジャクリーン。由来はアヴァロンダムでピクシーに撃墜されて亡くなった、ガルム隊二番機の後任のPJことパトリック・ジェームズ・ベケット。

 PJは大きな作戦が大成功に終わるとはしゃぐ人間であることを、あの時サイファーもイーグルアイも忘れていた。

 クーデター組織に占拠されたアヴァロンダムを制圧し、V2発射の阻止をして一息ついていたら、その隙を突くかのように、ピクシーが乗るベルカの試作機ADFX-02のレーザーによって撃ち抜かれた。それが二人の心に引っかかっていた。

 サイファーとイーグルアイの仲を知ると、驚きつつも「俺、名付け親になりますから!」と数段すっ飛ばした応援をした若者。サイファーにとっては弟のような存在で、恋愛対象とはならなかった。そもそもPJには基地に恋人がいた。

 ピクシーがいなくなったことで、サイファーとイーグルアイの距離が縮まったかといえば、そうだった。

 基地には女性が少なく、傭兵は男性ばかり。サイファーに話しかけるのは当然、男性が多い。なんだかんだで女性のサイファーにとって会話をしやすく、女性の前で猥談をしない男性は限られる。気心の知れた相手で、開戦した頃からの戦友。

 ピクシーの離脱にさほどダメージを受けていないように見えたサイファーだったが、「どんな事情にしろ、仲間が急にいなくなるのは寂しいもんだ」とこぼしたサイファーに、「俺は最後まで見るぞ」と何気なしにイーグルアイは伝えて、キスから始まった。

 本格的に付き合いだしたのは戦後。この人間は大丈夫と判断したサイファーは、イーグルアイにとある国の昔話と称して、身の上話をするようになった。

 王族の男と異国のエースパイロットの女との出会い。妊娠したあとは、正確には種をもらったあとは素直に身を引いた等々。

 ベルカの子であるはずのサイファーが、なぜウスティオの傭兵となったのか。それにはからくりがあった。

 極右化する国を憂い、批判的なことを口にしていた前ベルカ公を病死という形で殺した者たちに報いを。移民問題で鬱屈する国民には戦争というガス抜きを。そんな理由で、前ベルカ公の母親は国が開戦へ進むことを黙認した。

 そしていざという時は、隠し子が亡き父の仇を討ち、公家が同情を買うというシナリオも用意して、敵になってほしいと言ってきたという。

 サイファー自身も、世界最高峰のベルカ空軍と全力で戦えるのは千載一遇のチャンスと、ベルカの敵側についた。

 それを初めて聞いた時、イーグルアイは理解が追いつかず、だがなんとなく分かるものもあり、「なんだそれは」と言うのが精一杯だった。

 「その結果が自分の国での七発の核だから、皮肉だよな」とサイファーは言い、「報いは全員が受けたのさ」と続けた。

 そのうちサイファーは妊娠した。それをイーグルアイに告げ、じゃあ結婚しようという流れになった。その直後、『国境無き世界』によるクーデター事件が起こり、ガルム隊の活躍により速やかに鎮圧された。

 年が明けるとクーデターの件で、正規兵、傭兵問わず、各国兵士の経歴を洗う作業が始まろうとした。

 ウスティオは国に貢献してくれた礼の一つとして、事件後に契約終了という形で除隊した傭兵たちの中で、クーデター組織と繋がっていないと判断した者から、すばやく逃がした。サイファーもその中の一人。

 除隊したサイファーはイーグルアイと結婚。名字を変えた。出産して授乳期間が終わる頃には、空を飛ぶことを再開していた。

 古い傭兵仲間が経営している((民間軍事会社|PMC))に入社し、世界中の戦場を巡るのはもちろん、各国空軍の、あるいは開発中の機体の((演習相手|アグレッサー))となっている。

 戦時中、個人情報を探ろうとする各国情報部から守ってくれたことに恩義を感じているのか、サイファーはウスティオからの依頼は時折引き受けており、アグレッサーとして空軍を鍛えている。

 現在でもウスティオで鬼神のF-15Cを見たという噂が立つのは、そのためだった。実際に本人が飛んでいるのだから。

 今はPMCの仕事が一段落したので休暇を取り、ウスティオの我が家にいる。

 イーグルアイにはサイファーが家庭に入ることも、戦争とは無縁の職業に就くことが不可能なのも分かっていた。最後まで見ると言った以上、それは人生も同じで、そのまま受け入れるのと同義。

 サイファーの異母兄弟たちからイーグルアイ宛てに、ひそかに結婚を許可するむねの個人的手紙が来た時は、肝が冷えた。

 祝福するのではなく、許可する。

 どこでなにを調べたかは分からないが、自分たちが認めなければ絶対阻止するという意気込みを感じた。

 「兄弟たちが反対したら、結婚しなかったか?」とサイファーに聞けば、「文句を言われることはあるけど、反対されたことはないから」と答えられた。

 下の兄弟たち、特に三人の妹は両親を民衆の父と母であると認識し、自分たちと末弟との間に生まれるはずだった男子が流産したことで母は病んだため、両親をどこか遠い存在とみなしていた。

 そのため、異母姉とその母を自分たちが存分に甘えられる身近な家族として、深く慕っていた。

 末弟にとっては素を出せる数少ない相手であり、姉であるのはもちろん、母のような存在でもあるため、下の兄弟たちからの愛は重い。

 サイファー自身は、自分が宮殿の外を飛べる自由の象徴と兄弟たちがみなしているのは知っているが、愛の重さの方向性が少々違う方面に行っていることまでは知らないのではないか。

 さすがにこれは聞きづらい案件なので、イーグルアイはそっと胸にしまっている。

 しまっているのはもう一つ。イーグルアイはピクシーがどこにいるか大まかに把握しているが、サイファーには伝えていない。

 戦闘中に行方不明になった傭兵がいつのまにかクーデター組織にいた、とウスティオ政府はしらを切っているので、生きていても外国にいる限り不問にしている。

 ただし復讐される可能性もあるから、場所は把握しておくというのが上の考えだった。

 ピクシーはサイファーの恋人ではないが、サイファーにとっては一緒に空を飛べる能力があった、初めての相手。

 一度は子供の父親候補として考えていた相手でもあり、ピクシーが離脱する前日、一回だけキスをしたという。ただその思い出を胸に、おそらく彼は向こうへ行ったのだろうとサイファーは推測していた。

 二人だけの決闘という状況を仕立てあげるロマンチックな情熱家であり、その方向性は斜め上。

 今でもピクシーの中でサイファーは特別であり、そういう二人だけの関係性を改めて見せられると、さすがのイーグルアイも嫉妬を覚えずにはいられない。

 ピクシーの居場所を教えないのは、過去の男とは言いがたいが特別である相手へのささやかな対抗意識であり、夫になり、彼女の子の父親になったという優越感が少なからずある。

 夫として、父親として、評価される。

 だが男としては。そこがささくれ立つ。

 気づけば玄関が騒がしくなり、「ただいまー!」という声とともに、子供たちが帰ってきた。用事を済ませた子たちは上機嫌だった。「あの子たちも予約しに来たんだよ!」と楽しそうに語る。

 その後、イーグルアイは子供たちと一緒に洗濯物をたたんで各部屋にしまい、サイファーは夕飯を作り、家族そろっての食卓を囲む。

 その日の夕飯は昼の残り物のパスタと、サイコロ状に切ったチーズをトッピングし、塩と胡椒、オリーブオイルであえた生野菜のサラダ。

 ジャガイモを細く切って塩と胡椒で味つけをし、バターを敷いたフライパンで黄金色になるまでカリカリに焼いた((ジャガイモ料理|レシュティ))。この家ではベーコンや玉葱、チーズを加えてアレンジしている。

 それと白ソーセージに黒パンを((添|そ))えて、食事を楽しむ。

 お腹を満たしたあと、子供たちは学校の宿題をこなし、大人たちは食器の後片付けをして、翌日の準備をする。

 軍事に関する仕事で働く夫婦と双子がいる家庭。そういう日常が、十年近く途切れることなく続いていた。

 

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 子供たちが寝たのをこっそり確認すると、ようやく夫婦二人だけの時間になる。先にベッドに入っている夫の隣に、妻がするりと入り込んだ。

 居間にあった白い便箋は何事もなかったかのように片付けられ、サイファーは手紙を書く素振りを見せない。イーグルアイはさりげなく、「手紙、どうするんだ」と聞いた。

「んー……やっぱり書かなくてもいいかな。また会えるなら会えるだろうし、会わないなら会わないだろうし」

「それでいいのか」

「下手に連絡を取ると、子供たちがいることを知るだろ? それは嫌だと思ってさ」

 意外な答えにイーグルアイは少し驚いたように、「知られるのが嫌なのか」と聞いた。

「母親としての防衛本能かな。もし私たちになにかあった時、子供たちを託す先としては格好の相手だと思うけど、あくまで最後の非常手段にして使いたくない感じ、分かるかな」

「結構ひどいことを言ってるぞ」

 そう言う夫はどこか楽しそうで、それを見た妻は薄く微笑む。

「まあ、そういうこと。特にパティには気をつけてもらわないと。あれは男としても引っかかっちゃいけない相手だし」

 娘を引き合いに出し、母親としての警戒心をあらわにするサイファーの表情は、あくまで柔らかい。

「いい男だから?」

「面倒くさい男だから」

 サイファーの答えに二人は笑い合う。

「理想を言えば、あなたみたいな人がいいんだけどね」

「俺が?」

「うちの父親、あれでもいい人だったんだよ。あくまで自分といる時の父親としては、だけど。だからあの子たちの中でも、そういうビジョンを確立してほしいと思って」

 サイファーの実父は前ベルカ公。母親同士の争いに巻き込まれて不仲となった年の近い従兄弟、正妻と姑の間の確執、心が病んだ正妻の不倫によって現ベルカ公が生まれた等々、今までの話を聞く限り、どこのドラマかと思えるほどの愛憎劇。

 国民からは慕われていたそうだが、家庭人としては首をかしげたくなる人間であり、それでもサイファーにとっては良い父親だった。

 その父親と自分が似ている。奇妙な共通点に、イーグルアイは「そうか」とだけ相槌を打つ。

「束縛しないと言えば……まあ、しない人だったかな。うちの母親も公妃様も自由にさせた。それが問題と言えばそうだけど、少なくとも、うちの母親から飛ぶことを取り上げなかった。あなたもね」

 イーグルアイはサイファーと戦場で同じ空を飛んだと言っても、戦闘機は前線、((AWACS|エーワックス))は後方で、常に一緒とは言いがたい。声とデータだけで繋がり、見守る。

 人生の伴侶となった今もそう。世界中を飛び回る彼女を、ウスティオに残るイーグルアイは見守っている。

 本来ならサイファーはベルカ公女だが、正式に結婚しないまま生まれた子である。実父が殺された時に母親も殺され、帰る家も失い、彼女は死を偽装してひそかに生き延びた。

 今のオーシア人という国籍も偽造されたもので、まさしくサイファーの名が意味する通り、数量が((空|から))の、ゼロの存在。彼女の生まれを証明するのはベルカ公家の人間たちであり、実質庇護者である。

 ウスティオ政府にとっては、ウスティオ人と結婚して子供をもうけ、今の生活拠点はウスティオ国内にあるという有利な点がある。

 サイファーという存在は、今でも文化と科学のレベルは世界有数のベルカとのパイプを保つための、秘密の外交ルート。神とも呼ばれた人間と関係を保ち続けることで、いざとなればオーシアを牽制するための切り札でもある。

 結婚することで、イーグルアイもその手の闘争に巻き込まれることになったが、特段困ったことはない。

 ただ、彼女を繋ぎ止めるようにという、暗黙の望みが漂っているのは肌で感じ取っていた。

 そもそもウスティオで彼女が隠し子なのを知っているのは、ごくごく限られた人だけ。上層部のほとんどは、ウスティオに使用優先権がある強力な兵器のような存在とみなしている。

 王が眠る伝説の島アヴァロンの正確な場所が分からないように、辺境のヴァレー空軍基地の情報の守備は固い。まさしく王であったサイファーの個人情報も、その後の行方も、一切追えない。

 それは戦時中に臨時政府で空軍を指揮する大役を果たし、戦後は長期政権を築いているウスティオ大統領と現ベルカ公の密約のようなものだった。大統領は前ベルカ公の友人なのだが、これはまた別の話。

「家庭に向かないのは自分でも分かってるし、子供ができたっていうのもあるけど、そんな相手と結婚するなんて、あなたはほんと勇者だよ」

「君を愛してるし」

「私もだよ」

「結婚しても、そのままの君でいてほしいと思ったし」

「私はあなただから結婚してみようと思ったし、あと勝負運が強くなりそうだと思った」

 ジョークのように付け加えられた言葉に、「勝負運?」とイーグルアイが聞き返す。

「イーグルアイっていう石は、勝負運が強いんだってさ。あと金運」

「傭兵らしいな」

「希少価値が高いんだって、自覚してほしいんだけど」

「石のイーグルアイが高い? 聞いたことないぞ?」

「どちらかというと、イーグルアイっていう名前のフローレスダイヤモンドってところかな」

 天然のダイヤモンドは、成長過程でなにかしらの内包物や傷があるのが普通。完璧で傷一つない、最高の((透明感|クラリティ))を持つフローレスダイヤモンドは、めったに市場に出回らない。存在すら疑われるほどの希少品。

「相手をそのままっていうのは、才能の一つだよ。それこそ最高ランクのダイヤモンドみたいなさ」

 あなたは夫として、父親として、男として、人間として、この世でもっとも価値がある。

 そう言われたようで、イーグルアイはこそばゆい表情をした。その表情が子供たちと似ていることに、妻は温かさを覚える。

「それから一つ言っておくけど、私があの基地で寝たの、あなただけだし」

 虚を突かれたような夫の顔を見て、妻は小さく笑った。

「十年目…じゃなくて、十一年目の真実ってやつ?」

「なぜ今になってそれを言う」

「あの番組が放送されて、ピクシーが生きてると分かってから、なんだかずっとそわそわしてるから」

 イーグルアイは参ったと言わんばかりに、笑うしかなかった。

 彼女は、自分がピクシーの居場所を大まかに把握していることは、おそらく気づいていない。

 が、ピクシーが生きていると彼女も分かったことに対して、少なからず動揺していることは、見抜かれている。

「どうも愛してるって言葉だけじゃ、通じないみたいだからさ。それとも、この男が欲しい、この男の子供が欲しいと思った…って言ったほうが通じる?」

 この男。そう言われて、イーグルアイの中の男のプライドがくすぐられる。

 思えばサイファーとの初めてのキスは、彼女のほうからだった。

 彼女の理性と本能の境目。ピクシーという、初めてともに飛べる存在ができて嬉しいという感情は理性的なもので、アヴァロンダムでの決闘で思う存分戦ったのは本能的なものだった。

 彼女が自分と関係し、結婚したのは、非常に本能的なもの。

 最初から答えは出ていた。来る者拒まず、去る者追わず。されど欲しいものは自ら取りにいく。

「直球の表現は、かなり恥ずかしいな」

 夫の答えに妻は微笑むと、ベッドの中の距離をさらに詰めて密着した。唇の端に触れる程度だが、性的な香りを漂わせるキスをする。

「もっとロマンチックなのがいいのか? これは運命の出会いとか、そういうやつ」

 からかうようにイーグルアイは「あるのか」と聞く。

「結婚する相手は((鷲の目|イーグルアイ))っていう人なんだよって教えた時、妹たちに笑われたし、えらく喜ばれたよ。鷲だから運命ねって」

 病弱といわれた末弟、現ベルカ公は幼い頃、首都ディンズマルクの西に位置する港町アンファングにいることが多かった。庶民にとっては行楽地、上流階級にとっては保養地にもなっており、鷲の生息地でもある。

 ある時、末弟は飛んでいる鷲を見ながら、「あんなふうに飛べたらいいのに」とつぶやいた。それを聞いたサイファーは妹たちと協力し、保護センターにいた鷲をスタッフに連れて来てもらったという。

 その鷲はウミワシ属に分類され、末弟は「ウミワシなら羽根が青くてもいいのに」と言った。((海の鷲|ゼーアドラー))という名前なので羽根は青いと連想したらしく、その時は笑い話になったそうだが、いつか青い羽根の鷲を見せてあげることを約束したという。

 サイファーはベルカ戦争中、オーシアから当時の最新鋭機F/A-22Aに乗ってみないかという、実戦記録が欲しい下心が見えた申し出を断った。

 乗り続けたのは、開戦時にオーシアがウスティオに格安で譲った中古のF-15C。愛称は((鷲|イーグル))。戦果では自己主張が激しいサイファーだったが、機体カラーは軍から提供された当時の、主翼が外青のものをそのまま使った。

 独自カラーは塗装費用が天引き扱いになるため、サイファーはそういうことで無駄な出費はしない。周囲もイーグルアイもずっとそう思っていた。

 実際は、下の兄弟たちに青い羽根の鷲を見せるためだったとしたら。

 まだ子供で政治的になにもできず、貴重な駒として宮殿にしまわれ、両親は王族という宿命に翻弄されて亡くなり、狂った熱をはらんだ大人たちの思惑を見るだけ。

 だが宮廷闘争のなんたるかは息をするように分かっており、その世界で生き抜いていく彼らのために。

 イーグルアイはその件についてサイファーに聞いてみたことがあるが、「それもあるし」と素直に認めたあとで、「機種転換する時、費用って名目でむしられるのが嫌だった」と言われた。

 当時の基地副司令がやり手で、非常時ということで過去は不問にする代わり、ことあるごとに必要経費だと言って金を巻き上げた。ウスティオが傭兵に支払う高額報酬はうまい具合にむしり取られ、またウスティオ側の懐に戻っていった。

 「ほんとあの姉ちゃんうまくてな」と文句を言い始めたので、これは事実だなとイーグルアイは思った。

 鷲はサイファーと下の兄弟たちの大切な思い出。そのピースにはまるような、そういうカケラをイーグルアイがその((TAC|タック))ネームに持っていたから、下の兄弟たちは結婚を許したのだとすれば。

 ただの偶然なのだが、意味の取り方によっては必然となる。

「劇的な出会いじゃなかったと思うんだが、運命の出会いか」

 職場が同じで、少しずつ距離が近づいて、そうなった。どちらかというとありふれている。そういう日常性に満ちた運命。

「戦争をきっかけに出会ったのも、十分ドラマチックだと思うけど?」

 ドラマチック。それはサイファーの人生の代名詞のような言葉。

 サイファーはエースとしてあまりにも強かった。強過ぎて周囲の人間が勝手になにかを投影し、称賛することもあれば、勝手に滅びることもある。

 当の本人は、憎しみがあふれる空でも、強い敵と出会えば踊るように戦う。向かってきた敵はすべて墜とす。

 それほどまでに強くても、その力が及ぶのはこの手の中だけと知り、世界の悲しみに同調しない。己のやれることだけをやる。力の範囲を分かっていた。

 多感な時期に、政治闘争によって親と家を奪われた。個人を証明する情報を失った。広い世界に放り出された。自身があくまで弱い一人の人間であると分かりきっている。

 強い相手と戦うことに喜びを見出すという、己の魂の方向性を理解しているため、その力で世界を変えてほしいという人の望みを叶えない。

 用意された玉座もすべて壊して飛び回り、民衆に尽くす英雄とはならない。それは他者からすれば、神のごとく見える。

 時に政治のゲームの駒となり、あるいは完全に捕まる前にすり抜ける。奪われた者であり、奪う者であり、王の子であり、女であり、姉であり、妻であり、母であり、神であり、あまりにも人間らしい人間を、イーグルアイはすべてこの目で見ていく。

 鷲は人間の八倍以上の視力があるという、そういう眼差しで。

「君が今でも俺と夫婦をやっているほうが、ドラマチックだな」

 妻は自身の鼻を夫の鼻に合わせるノーズキスをする。

 間近で見るサイファーの灰色の瞳は銀色に見えて、イーグルアイは彼女の異母兄弟たちからひそかに個人宛てに送られた手紙の内容を、結婚を許可する以外の言葉を思い出す。

 ??鷲の子たる契約者に祝福を。

 つまり、そういうことなのだろう。

 自分はこの、妙に人間臭いがフローレスがごとき存在を人の世に繋ぎ止める、生きた契約の証しのような。法的に婚姻し、ともに子を成すことで、サイファーという存在に実体を与えるような。

「鷲は伴侶を見つけると、相手が死ぬまでそい遂げるって話、知ってた?」

 そう語るサイファーの唇を、イーグルアイは優しく吸い上げる。

「だから離婚はありえないって?」

「死が二人を分かつまで。これでも契約は守るほうだけど」

「ああ、知ってる。君は律儀だからな」

 会話の合間に唇への甘やかな口づけを繰り返し、この十年でよく知った肉体のラインを服の上からなぞり、たがいの熱をゆっくりと一段階上げていく。小さな吐息が頬をかすめた。

「鍵、かけたか?」

 イーグルアイがいつもより艶のある声でささやくと、サイファーは「もちろん」と楽し気にささやき返す。

「上出来だ」

 二人はひそやかに笑い合うと男と女の顔になり、唇の隙間から欲望がこぼれていくキスを始めた。

 

END

 

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   後書き

 

ZEROの劇中番組『Warriors and The Belkan War』の日本語タイトル『ベルカ戦争の真実』は、7コレクターズエディションの特典ブックレットで判明。サイファーが女性だった場合、結婚相手は誰がいいかを真剣に考えたらこうなりました。

説明
ツイッターに投稿したZEROのサイファーとイーグルアイの小話を加筆修正したものです。サイファーが女性で、二人は戦後結婚しているという特殊設定。ネタバレと捏造だらけなのでお気をつけて。
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