君だけの執事様。
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紅丸さんのお知り合いが執事喫茶をオープンしたと聞いたのは去年の秋頃で、どうやらお店は繁盛しているらしい。

草薙さんとテリーさんがオープニングスタッフとして呼ばれて、それから確かK'さんとビリーさんもメンバーに加わったはずだった。

SNSで話題らしいし、せっかくだからおれも草薙さんの執事姿を見に行きたいです!って本人に何となしに言ったら、間髪入れずに「来るな」って言われてしまった。駄々を捏ねるつもりはないけど、やっぱり見たかったなあ執事の草薙さん……って思ってたら、マネージャーさんがなんと草薙さんのシフトを教えてくれた。

何か無理を言ったみたいで心苦しくて、ホントにいいんですか?って聞いたら、横にいた紅丸さんは「どうせ恥ずかしがってるだけだろ」って笑ってて、マネージャーさんも「きっと喜ぶと思うよ」って言うから……それを信じて、今おれは店の前に立っている。

 

シフト通りならこの時間はまだフロアで接客してるはずだ、こういうお店にひとりで入るの、というか来ること自体初めてだからヘンに緊張する。ちょっと店員さんが変わってるだけの普通の喫茶店って思えばいいよ、なんてマネージャーさんは言ってたけど、本当かなあ……。

意を決して入口の扉を開く。涼やかに鳴り響くドアベルの音に呼ばれて、奥から誰かがやってきた。

「お帰りなさいませ、お……」

お互いに、目を見開いて顔を見つめ合う。驚いた、メチャクチャ驚いたけど、向こうは向こうで驚いた後でメチャクチャ気まずそうに顔を顰めている。

「八神さん……」

俺の前に現れたのは、紫色の執事服に身を包んだ八神さんだった。

 

***

 

彼のスタイルの良さが際立つような、おれでもわかるくらい仕立ての良い衣装。

普段のゴスでパンクな風体はなりを潜めて、まるで本物のお屋敷仕えの執事さんみたいな気品を纏ってる。

……そんな感じで目の前に現れた八神さんが、まあ怒っている、おそらくだけど半分は照れ隠しで怒っているんだと思う。

いや、おれだってまさか八神さんが出てくるとは思わなかったし、そもそも働いてるなんて知らなかったし。あんな気取った声で「お帰りなさいませ」って言われるなんて思いもしなかったんだから。ちょっとだけ、ドキッとしたな、何か。

そうは思えど、目の前で凄まれるのはやっぱり怖い。

「貴様、何故此処に居る」

「なぜって、その……お茶をしに来ました」

鋭い視線から逃げるように目を背けて答える。草薙さんに会いに来たって言ったら面倒なことになりそうだし、ここは自然に普通にお茶をしに来たテイで話を勧めた方が無難だろう。

「……来い、案内してやる」

そのうちに八神さんも怒りで取り繕うのを諦めたようで、はあ、と大きな溜息の後でとても執事とは思えないようなぞんざいさでもっておれを先導する。おれも余計なことは言わずにそのまま着いていった。

忙しいときに手を煩わせたくなくて空いてそうな時間を選んできたけど、それでもテーブルは程良く埋まってる。

内装も凄く凝ってるし、調度品もアンティークで揃えられててとてもじゃないけど『普通の喫茶店』だなんて思えない。物珍しさにフロアを見回したら、フロアにいたテリーさんがおれを見つけて、接客中にも関わらず笑顔で手を振ってくれた。テリーさん、ああいうカッコも似合ってるし何より楽しそうだなあ。

しっかし、草薙さんはどこ行っちゃったんだろう。まさかバイトまでサボるなんてことはないだろうしバックヤードとかキッチンにいるのかな……。

「京なら休憩中だ」

椅子を引いて、八神さんが言う。まるで俺の心の中を読んだかのような言い方に思わず肩が跳ねた。

そっかあ、休憩中かあ……休憩の時間、そういえば聞いてなかったな……。凡ミスに苦笑したら、八神さんが椅子に手を掛けたままでおれを睨む。

「不満なら出直せ」

不機嫌に言い放つ彼は、こちらから言わずともおれの目的を既に察していたらしい。そりゃあそうだよな、八神さんじゃなくったってわかるよな、どう見たって場違いだし、おれ。

だけど、このまま素直に帰ってしまうのも気が引けた。待っていれば草薙さんが戻ってくるかもって期待もあったし、それに何て言うか。

じっと八神さんを見る。白手袋の指先が苛立ってはテーブルを叩いていて、その仕草すら今日は少し優雅に見えてくる気がするから不思議だ。まるで知らない人みたい、っていうのは言い過ぎだけど、おれの知らない八神さんが傍に立っていると思ったら、ここで帰ってしまうのはもったいない気がしたんだ。

「だ、大丈夫です、お願いします」

何が大丈夫なんだおれ。何をお願いするっていうんだよおれ。

自分の気持ちに戸惑ったままで妙な返事をしたおれを、八神さんは呆れながらも席に座らせてくれる。

随分と彼の目線が高くなったから、ついつい気になって見上げてしまうと、彼は「見るな」と小声で言ってメニューで俺の顔を覆った。

 

***

 

メニューは軽食からケーキセット、アフタヌーンティーとか色々だった。夜はディナーコースやお酒もあるらしくて喫茶店というよりちょっとしたレストランだ。

おれは指先でメニューをなぞりアレコレ迷いつつ、お水をサーブしてくれてる八神さんに話し掛ける。

「でも意外です、八神さん、接客のバイトってあんまり興味なさそうなのに」

「やかましい、さっさと注文しろ」

「あっハイ!すいません!!」

余計なことは言わないでおこうと思っていたのに、つい本音が出てしまった。マジでどういう風の吹き回しなんだろう、マネージャーさんに頼まれたのかな、八神さん結構頼まれると嫌とは言えないっぽいし。

そんなこんなの余所事を考えつつ、おれはメニューを指差して八神さんに注文を告げる。

「じゃあ、このアフタヌーンティーセットを」

「フン、大人しく待っているといい」

メニューを畳んで脇に抱えた八神さんは、そのままフロアから下がっていった。

草薙さんは……まだフロアには戻ってきてない。入れ違いだったのかなあ、と水を飲みつつ辺りを見回す。どこかのテーブルでリン、とベルの音がしたら、下がっていた八神さんはスッと現れてそのテーブルへ赴き用件を聞いていた。ああ、このベルってそういう風に使うんだ。

お客さんの要望を聞いている八神さんは、手慣れているとは言い難いし表情もちょっと固いけど、ちゃんと執事≠やっている。お客さんも八神さんに接客されて嬉しそうに笑ってる。何だろうこの気持ち、モヤっとする。

「ヘイ真吾、ひとりか?」

モヤモヤしているおれに、カラッと晴れた晴天のごとき青い瞳が笑いかけてくる。テリーさんは相変わらず楽しそうにフロアを動き回ってた。

おれが席を立って挨拶しようとすると、そのままでいい、と言って勝手に隣の席に座ってきた。じ、自由だ、自由過ぎる執事さんだ。テリーさんはおれが草薙さんに会いに来たことを告げると、残念なお知らせの前に慰めてやろうと肩を叩いてくれる。

「Bad timingだな、京ならゆかりと一緒に買い出しへ行ったからしばらく戻らないぜ」

「ええ!そ、そうなんですかあ」

「ディナー用の食材の発注にミスがあったらしくてな、まあ急なことだから許してやってくれ」

許すも何も、そういう理由じゃ仕方がない。本当にタイミング悪かったんだなおれ。シュンとして背中を丸めたら、耳元にテリーさんが顔を寄せてきた。

「お前の担当、チェンジするか?アイツ相手じゃゆっくりお茶もできないだろ?」

あ、心配してくれてたんだ……何だか申し訳ないな。だけどおれは別にこのままでいいかなって思ってた。おれもあのお客さんみたいに八神さんに接客されたい……ってわけじゃないけど、でもおれは驚くべきことに、執事の八神さんをもう少し近くで見ていたい気持ちになっていた。

「おれ平気です、八神さんもちゃんとお仕事してますし」

「そうか?」

そうこうしてたら、八神さんがティーセットを持ってこちらにやってきた。テーブルにどっかりと座る同僚の執事に一瞥くれると「俺の客だ」と一言言い放つ。お、おれのきゃく。いや、間違ってはないけど、八神さんがおれを自分の客だと思ってくれてるなら、じゃあおれも八神さんのこと、おれの執事だと思っていいのかな……。

「悪い悪い、邪魔したな」

テリーさんは笑ってテーブルから離れていく。去り際に「グッドラック!」なんて言っていたけどこの状況からグッドなラックなんて生まれるんだろうか。

別のテーブルに呼ばれたテリーさんを見送って、それから八神さんの方へ向き直ったら、八神さんはやっぱり不機嫌そうだった。でも、さっきとはちょっと違う不機嫌さで眉間に皺が寄っている気がする。

「少しは落ち着いていろ、給仕をさせないつもりか」

かと思えば、そんなことを言うものだから驚いてしまった。驚いたし、何かちょっとモヤっとした感覚がなくなった気もする。

今のおれたちは普段の関係から少しだけ離れて、店員さんとお客さんというか、執事さんとお世話される人、って、八神さんはちゃんと思ってくれてるんだ。そう思ったら何だか嬉しくもある。

おれは「すみませんっ」と居住いを正して椅子に座り直すと、目の前に置かれたティーポットとティーセットをしげしげと眺める。「熱いから触るな」と言われたから「了解しました」って答えたけど、物の言い方は全然執事っぽくならいなって笑えてくる。いいんだけどさ。

再度奥へ行って、今度は三段重ねのスタンドに盛られたお菓子を運んでくる。そっと目の前に置かれたそれは、スコーンやケーキが綺麗に盛り付けられて思わず前のめりになってしまった。美味しそう、てか、こんなすごいのが出てくるとは思わなかった。

「少し退け」

そう言った八神さんは、カップを手に取りティーポットから紅茶を注いでくれる。いい香りだ、何のお茶ですかって聞いたら、どこどこ産のなんとかっていうお茶でこれはどういうお菓子に合うからどうの、って説明してくれた。こういうのも覚えなきゃならないのか、大変だ。

せっかく説明してくれたけど、おれは話半分で八神さんのことをぼうっと見ていた。

八神さん、いつもと違って動きのひとつひとつがすごく繊細だ。テーブルに給仕するのも、お茶を淹れてくれるのも丁寧で……練習とかしたのかな、それとも元々得意だったんだろうか。

ふと、八神さんの手が止まる。丁寧に置かれたカップとソーサーの、揺れる琥珀色の水面。そのさざめきに合わせて彼の自嘲じみた笑いが聞こえてきた。

「どうだ、可笑しいか?そうだろうな、さぞや愉快だろう」

手慣れた振る舞いからは想像できない言葉で、彼はどうしたってこの状況に納得はしていないと言わんばかりにおれを苛める。おれはまさかそんなことを言われるなんて思わなくて、思わず席を立ってしまう。

「そんなことないです、違います、おれは」

「何がだ、帰らなかったところを見れば、大方俺の醜態を物笑いの種にでもするつもりなのだろう?」

両肩に八神さんの手が乗って力任せに座らせられる。こんな力づくの執事がいるだろうか、おれはもう一度、彼を見上げて精一杯に伝えた。

「だから違いますってば!」

少々大きな声が出てしまって、他のお客さんの視線がこちらに集中する。気付いたテリーさんがおれに目配せしたあとで他のお客さんへ何でもないって言ってくれていた。おれを見下ろす八神さんの目をきちんと見られない、だけど、八神さんが考えてるようなことをおれはこれっぽっちも思ってないってちゃんと言わないと。

「その、格好いいなって思ったから」

ちらりと上目遣いに彼の表情を伺う。そしたら、最初に出くわしたときみたいに驚いた顔をしていたから……おれも驚いてしまった。そんなに意外なことを言ったつもりはないんだけど。だって八神さん、本当に格好いいし、そこで嘘を吐く必要なんてないだろう。

「執事やってる八神さん、すごく格好いいです。だからもうちょっと八神さんのこと見てたいと思って、その、だから、スミマセン」

彼の手が、ゆっくりと離れていく。あれ、おれ、何でこんな顔が熱いんだろう。

「戯けたことを」

「でも、本当です」

そう、本当のことを言っただけなのに、胸がドキドキして顔が熱い。八神さんの顔、さっきと違う理由でうまく見られなくてまた俯いてしまう。

八神さんはしばらく黙ったままでいたけれど、大きな溜息が聞こえたと思ったら頭を雑に撫でつけられる。

「もういい、何かあれば呼べ」

「呼んだら来てくれるんですよね?」

「……執事だからな」

乱れた髪もそのままに、バックヤードに下がっていく八神さんの背中を見送る。

この何とも言えない高揚感は一体何なんだろう、さっきのモヤモヤと何か関係があるのだろうか、答えの出ない疑問を思いながら口を付けた紅茶はまだちょっと熱かったから、おれは舌先で唇の裏側を舐めながらテーブルの上のベルを見つめていた。

 

***

 

結局ベルは使わなかった。

けれどもう一度八神さんはテーブルに来てくれてポットに残ったお茶を注いでくれた。

上手ですね、って言ったら、仕事だからと答える。執事だからじゃないんだって思ったけど、言わないでおいた。

お会計もテーブルでするみたいで、伝票の挟まったバインダーにお金を入れたら八神さんがそれを持っていく。おつりとレシート、それとお店のメッセージカードが添えられてたから大切に財布にしまいこんだ。

八神さんがまた椅子を引いてくれて、来た時よりは幾分か丁寧な所作で出口まで送ってくれたから何かムズムズする。照れ臭いっていうか、何かヘンな感じで。

扉を開けようとした八神さんに向き直って、おれは頭を下げた。

「あの、お菓子も紅茶も美味しかったです!ありがとうございます!」

「別に、俺が作ったものではない、礼を言うなら厨房に言え」

ぶっきらぼうに言う彼の顔は、呆れつつも怒ったりはしていない。おれは何だかんだで楽しかった初めての執事喫茶を反芻して、彼に笑い掛けた。

「それでも、おれの執事になってくれたのは八神さんですから」

「別に、貴様の執事になったつもりは無いがな」

それはそうだ、おれだって八神さんにしてみればたくさんのお客さんの中のひとりで、ここにいる八神さんはみんなの執事さんだってことはわかってる。

だけどおれだけのためにお茶を淹れてくれたりしてた、あの時間だけは、八神さんはおれだけの執事をやってくれてたんじゃないかなあって思うから。

さあ、帰ろう。今度は草薙さんにも会いたいな。なんて、思っていたら。

「まあ、今だけは……そうしてやっても構わん」

「え?」

「貴様だけの執事になってやっても構わんという意味だ」

八神さんの白手袋越しの手が俺の手をそっと掬い上げる。そのまま指先に唇を落として礼をした彼が、わざとらしい恭しさで言った。

「いってらっしゃいませ、お坊ちゃん=v

「おぼ……」

な、何、何されたんだおれ、今……。

八神さんが悪戯な微笑みと共におれを見つめてる。顔だけじゃなくて、指先までかあっと熱くなるから思わず手を引いてしまった。

「こっ、子供扱いしないでください……!!」

戸惑うポイントはそこじゃない気がするけど、気が動転してしまってて何を言ったらいいかわからなかったから仕方ないだろう。そんなの、急にずるいですよ八神さん。心臓が飛び出しそうになったままでおれは素早く一礼をして店を飛び出した。

帰り道でもずうっと指先の感触が消えなくて、もしかして他のお客さんにも同じようなことをしてたらどうしようって思ったけれど、おれだけの執事って言った彼の言葉を、今はどうしようもなく信じていたいと思って掌で指先を包む込むように、拳を握った。

説明
G庵真。執事喫茶に行く真吾の話。ようやく執事八神さんが引けたので記念に書きました。
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