猫の話をしよう
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イーゼルのコルクボードに張り出されたたくさんの写真。どれもこれも、個性を持った愛らしい顔をしている。

そんな愛らしい写真の前にはどうにも似つかわしくない男がひとり、食い入るようにそれを見つめているから笑いそうになってしまった。

声を掛けずにそのまま観察していても良かったのだが、俺だって流石にそこまで意地の悪い人間じゃない。至ってシンプルな親切心で、背後に忍び寄って声を掛けた。

「よう」

いつもは憮然とした態度で此方を一瞥する顔が、驚きに目を丸くしてこっちを向いたから笑いを堪えるのに必死だった。赤い前髪が表情を取り繕う彼の慌てぶりに揺れているから「こんなところに京がいるのかねえ」ってわざとらしく覗き込んでやったら、そのまま何事も無かったかのよう立ち去ろうとするもんだから肩を掴んで引き留める。

「いやいや、逃げんなって」

「ハ、誰が逃げるだと」

「誰がどう見ても逃げてると思うけどね」

明らかに平静を装いきれずに不審に目が泳ぐこの猫派の男、八神くんの腕をガッチリホールドした俺は、さっきまでコイツが真剣な顔をして見ていたボードを見てわざわざ読み上げてやる。

「なになに、新しい猫ちゃんが仲間入り、引っ込み思案のサバトラの男の子……こっちは人懐こい茶トラの姉妹猫……」

どれもとても可愛い猫たちだ。成程ね、と八神の方を見たら心底悔しそうに歯を食いしばって「くっ……殺す!」などと物騒なことを言うから呆れてしまう。何で猫の写真を真剣に見てるだけのヤツに声掛けて突然殺されなきゃなんないんだよ、嫌だよ。

どうもここは猫カフェで、このキャスト達は絶賛飼い主募集中の保護猫らしい。

「興味あるワケ?」

そう聞いたら、俺の手から抜け出して乱れたシャツを整えながら「ある訳が無いだろう」と今更格好つけるから全く素直じゃない。

「大体、猫なら間に合っている」

あ、そっかコイツ猫飼ってんだっけ、ゆかりちゃんから前に聞いたな。前にラジオ番組で犬派か猫派か聞いたときも思ったけど、本当に猫好きなんだな八神って。

俺が声を掛けなかったら、あのまま悩んで入らなかったんだろうか、それともこっそり入って言ったんだろうか。なんか、そう考えたらちょっと悪いことした気もしてくる。

間に合ってる、なんて言いながらもまだ立ち去ろうとしない八神にささやかな罪悪感を抱いた俺は、その肩をぽんと叩いてカフェの入口の方へと無理矢理連れていく。

「よし解った、たまには浮気しようぜ、な?」

「は?ま、待て、俺は別に興味があるわけじゃ」

「はいはい、奢るからつべこべ言わない」

ま、しゃーない、ここは俺が悪かったということにして付き合ってやろう。入店するとすぐに、にゃん、と軽やかな鳴き声がして俺たちを迎えてくれた。

 

***

 

まだ出来て間もないらしいカフェは、天井まで広々としていて開放的だった。午後の開店時間間もなくとあって、まだ客は俺たちだけだ。

近隣にある動物病院が保護猫活動をしているNPOと協力して開店したらしい。キャストの境遇は様々で、元々飼い猫で人好きな子からやっと人に慣れた元野良猫と個性的だ。

あくまで人間からは手を出さずに、興味を持って近付いてきたら遊んであげてくださいね、と、テーブルにコーヒーを二つ置いた店員が告げて去っていく。

早速足元にやって来たクリーム色の猫がいたから、おもちゃを使って遊んでやる。それをボンヤリと八神が見ていたから「ほら」とおもちゃを差し出してやった。けど、コイツときたら受け取らずにただ猫だけを見ているばかりだ。

「何だよ、この子、お前に遊んで欲しそうにしてたぜ」

「遊びたいなら勝手にやればいい」

「あっそ」

全く、ここまできたら格好付けたって仕方ないと思うけどね俺は。そしたら空気を読んだのか、クリーム色の猫はにゃんと鳴いて八神の方へいってその膝の上に容易く乗ってしまった。よしいいぞ猫、乗られた八神は少々困った顔をしつつもその手は抗えずに猫の額や喉元、腰を次々に撫でている。手慣れてんなあ、とコーヒーを飲みつつ話を振る。

「八神んトコの猫も保護猫なんだろう?」

「勝手に懐いてきただけの野良だ、保護などしてやった覚えは無い」

弱ってるところを連れ帰って病院に連れてって、今じゃ一緒に住んでる。それは保護っていうんだぞ、と言ったところで否定されるだろうから言わずに置いておく。

この話をゆかりちゃんから聞いたときはまさかと思ったけど、実際コイツが飼い猫と一緒にいる写真とかを見せてもらったり何より今目の前で猫を慈愛の視線で撫でているのを目の当たりにすると納得でしかない。

……正直、コイツが京以外の誰かに執着しているのを知ったときは怖かった。その執着が確かな好意であると知ってからも尚、俺はコイツを警戒してた。

だってそうだろう、今まで散々な振る舞いをしてアイツを怖がらせてきたのにどうして其れが『好意』になると思うのか。

どうしたことか、そんなアイツもどうもコイツが好きらしいと聞いて俺は本当に訳が解らなかったんだが……今、コイツの膝で気持ち良さそうに目を細めている猫を見て何となく理解できた気がする。

「その子随分お前がお気に入りのようじゃないか。どう、二匹目は」

軽々しく言うものではないことは承知なのだが、いつまでも八神の膝に居座ってこっちが先に遊んでやったことなんてすっかり忘れてるようだから、ちょっとした嫉妬心で言ってしまった。

八神は猫の額を撫で付けて暫く黙ると、ぽつりと独り言のような声で話す。

「……こいつ等とて、人の手に救われたなどと考えてはいないかもしれん」

また一匹足元に、あのボードに引っ込み思案だと書かれていたサバトラがやってくる。八神はそれを気にしていたから、俺はクリーム色ちゃんを向こうの膝から引き受けると八神はサバトラを膝に乗せて同じように撫で、そして言葉の続きを猫を撫でるリズムでゆっくりと紡いだ。

「この手に捕えるまでは、他の生き方もあったのだろうという話だ」

誰かの生き方を丸ごと抱えられるような人間じゃないことは知っていた。だけど今コイツは自分の意思で野良猫を飼い、そしてアイツを手繰り寄せた。それでも尚迷っているなんて言うのは甘えに感じる。

「それ、ホントに猫の話か?」

「……他に何がある」

チリン、とドアベルが鳴って、漸く二組目の客がやってくる。若いカップルは先客が派手な男二人なことに少々気後れしたようだが、すぐに猫の可愛さに笑顔になったようだった。

ここに八神といたのが俺じゃなくてアイツならどうだったかな、なんて考えて、猫の温もりと適度な重さの安心感に任せて口を滑らせた。

「俺は、誰かが伸ばしてくれた手で救われなかったものなんて無いと思うぜ」

「……何」

「触れたいと願って触れて、それで幸せだと思うのなら……多分救われてるよ、お互いな」

なあ?と茶化して猫に同意を求めたら、何も知らない猫はくるくると喉を鳴らしているばかりだ。

「あ、猫のハナシだからな?」

「解っている」

念を押して、それに返事をして、俺たちの頭の中には多分同じ顔が浮かんでいたのだけれどわざわざ口にすることなんてなく猫のせいにする。猫はそれでも何も言わずにあたたかいから、キミたちはまったく優しい生き物だねえ、とご褒美のおやつを差し上げた。

 

***

 

約束通りカフェ代は奢ると言ったのに頑なに折半だと言うから素直にそうして貰う。別に貸しだとも思わないんだが、コイツにとっちゃあ借りになるんだろう。

八神のヤツは、支払いついでに『お土産』として幾つかおもちゃとおやつを買ったらしい。こういうところだけ見てりゃあ、悪いヤツじゃないんだろうとは思うけどな、素直じゃないだけで。

俺は買い物を終えた八神に小さなスプレーボトルを差し出す。

「ほれ、匂い消し。帰りを待ってるハニーに嫉妬されないようにな」

シュッシュしてやろうか?と悪戯に迫ったら、無言でスプレーを奪われ無言で自身に吹き付ける。そんなに念入りにしなくても、と思うが、もしやコイツにも後ろめたいなんて感情があるんだろうか。威嚇されないといいな、と言ったら凄い顔で睨まれたから余程怖い子猫ちゃんらしい。アイツ、まさか猫にやきもち焼かれたりしてねえだろうな。

 

そして店を出たら、今度は二人して背後から声を掛けられてしまう。声の主には覚えがありすぎるくらいで、何なら猫にかこつけてお前の話をしていたんだぞって話だ。

「あ、紅丸さーん……って、八神さんも……何か珍しいツーショットですね」

学校帰りなのか鞄を抱えて、この妙なツーショットに首を傾げている。横目で八神の顔を見たら明らかに挙動不審になっているから可笑しい。

「偶然ココで猫談義に花が咲いてな、ああ真吾は犬派だったっけ」

「そ、そうですけど……猫も可愛いと思いますよ!」

俺じゃなくて八神の方に言うなよ、ほんと解りやすいなお前。

まあこうなると邪魔者は早々に退散した方が良さそうだ。駅の方へ一足先に向かいながら「じゃあ後はお二人でごゆっくり」と手を振ったら、八神は何か言いたそうにこっちを見てて真吾のヤツはキョトンとしてから頭を下げてた。

まあ、大切にしてやってくれよ。それでお前が救われるなら、ソイツも本望だと思うぜ。あと、浮気すんなよ。

説明
G庵真前提、紅丸が八神さんと猫を構いに行く話。
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