式姫漫録 其ノ弐 真祖
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二月。ダラけていても怒られない正月はとうに過ぎ去ったが、冬の冷え込みは過ぎるどころか一層厳しくなってきている。

特に指先が冷たいというのは難儀だ。暖房を炊こうが炬燵に入ろうが、本を読もうとするなら指先はどうしたって冷たいまま。

おかげで落ち着いて本を読む事もできやしない。

なまりっぱなしの体の為、たまには他の式姫に付き合って鍛錬に励む事もあるが、それも一時の事。

部屋に戻って五分も経たない内に体が寒さに侵される。

てか何であいつらこんな寒い中で普通に動けるんだよ、全く。

というわけで、暇さえあればこうして唯一の拠り所である炬燵に潜っている。

誰かと共有するなら一緒に茶でも飲むなり、他愛ない世間話に興じるなりして穏やかな時間を過ごす。

誰もいなければ、横になって首から下を完全に埋めて目を閉じる。

その先は、運次第だ。寝入ってしまえば叩き起こされる事はまずないのだが、

じゃあ私もと言わんばかりに他の式姫達も勝手に入ってくる為、結局窮屈さに目を覚ます事になる。

どこかへ行ってくれと文句を言うわけにもいかないので、歯がゆさと妙な気まずさを味わった後、仕方なく場所を譲ってあげている。

何故自室に置かないのかというと、置いたが最後絶対に部屋から出ないだろうという最もらしい指摘を複数頂いたからだ。

「ふー、ただいまー」

障子が開いて真祖が入ってきた。

夜行性の彼女は、季節や寒暖に関係なく大体の生活パターンが決まっている。

本格的に動き始めるのはいつも夕方以降の筈だが、それにしては珍しい。

「おかえり。どこか出かけてたのか?」

「うん、ちょっと買い物にねー。うー寒かったぁ」

そう呟きながら、真祖もまた吸い寄せられるように炬燵に潜り込んできた。

顔をよく見ると、あちこちが赤くなっている。余程寒かったのだろう。

「炬燵っていいねー。はぁぁ……」

貧血気味故に普段から感情表現の乏しい顔だが、それが今は完全に溶けている。

最古の吸血種をも虜にする炬燵の魔力、恐るべし。

「何を買って来たんだ?」

「どうして聞くのー?」

「最近よく一人で買い物に出かけてるから、ちょっと気になってな」

記憶を辿る限り、四日程はこんな事が続いている気がする。

最初のうちこそ気にも留めていなかったが、流石に気になってきた。

夜の街ならいざ知らず、昼間や夕暮れ時に続けて外出というのは普段の真祖ならまずあり得ない。

「んー……乙女の秘密ー」

「パンツとか?」

「えっちー」

「一応心配してるんだよ」

真祖は重度の貧血になると人間の形を保てず、形容しがたいマスコットのような小動物へと変貌する。

そうなってしまうと一人ではほぼどうにもならない。

今の所は無事に帰ってきているようだが……。

「今度、ついていってやろうか?」

「心配しなくても大丈夫だよー」

予想通りの答えが返ってきた。

心配なのは当然として、一体何処へそんなに足繁く通っているのか気になる。

好物のトマトジュース以外にはあまり関心を抱かない筈だが、何かの限定品でも狙っているのだろうか。

それとも――

「あぁ、分かったぞ。好きな人でも出来たんだな?」

冗談交じりに訊くと、真祖は首を横に振るどころかニコリと笑った。

おいおいおいおいマジか。肯定か否定かの区別がつかない。

激しく動揺する俺をよそに、真祖は炬燵からいそいそと這い出ると、

「な・い・しょ」

とだけ呟いて部屋を出て行った。うーむ、うまく逃げられたな。

真祖に対する疑惑が拭えないまま、盛籠の蜜柑に手を伸ばす。

そんなに気になるならいっそ尾行でもすればいいのにと思ったが、それは無理だという結論が即座に下された。

貧血にでもならない限り、真祖の俺に対する気配察知力は極めて高い。

本人に気付かれずに尾行するのは不可能だ。

「うーむ……」

蜜柑を数個平らげた後で、俺は意を決して炬燵から這い出た。 

ならば直接部屋に押し掛け――もとい、ちょっくらお邪魔してみようと企んだが

『ご主人様立ち入り禁止』

と、まるでこちらの行動を見透かしたかのような張り紙が入口に貼られており、

先手を打たれた俺はなすすべなく引き上げる羽目になった。

わからん。一体何故そこまで知られたくないのか。

……待てよ、買い物とは行っていたが街へ出かけているとは限らないのでは。

トマト農家の元へトマトを貰いに通っているうちに、そこの男と……。

「ううん、あり得なくはないな」

この場合、俺はどうしたらいいのだろう。

応援してやるべきか、それとも諫めるべきか。

まだそうと決まったわけではないのに、邪推が勝手に脳内を一人歩きしていく。

「うぐぐ……」

それから数日間、廊下で浮かれ気味の真祖とすれ違う毎に、俺の不安は重みを増していくのであった。

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そして迎えたある日の朝、突如事件が発生する。

妙な重苦しさを感じて目を覚ました俺は、布団の上に居座っている白い物体に気付いた。

「なんだこれ……?」

上半身を起こして目をこすって見ると、縮んだ真祖のように見える。

途中で貧血を起こした事に気付いてないのか、不機嫌な目覚めを味わった俺とは対照的にぐっすりと眠っている。

いつの間に部屋に入ってきたのかという疑問はさておき、とりあえずそっとつまみ上げて横に下ろした。

「……?」

「あ、起きた」

「おーはーよー」

なんとも間の抜けた挨拶だ。

「こら、いつから勝手に俺の布団に――」

「…………すーすー」

「って、起きた直後に寝るな!」

と怒っても、もう遅い。先程と同じ安らかな寝顔を浮かべている。

「何なんだ一体……おーい、起きろって」

本人には聞こえないであろう愚痴をもらしながら、ぺちぺちと叩いてみるが、真祖が起きる気配はなかった。

「むう、これならどうだ」

今度は頬を引っ張ってみる。おぉ、意外と伸びる伸びる。

搗き立ての柔らかい餅をつまんでいるような感触だ。

これ幸いとばかりに真祖の頬をいじくり回した後で、ようやく我に返る。

「……いやいや、いつまでも遊んでる場合じゃないな」

事情聴取の前に、まず貧血を治してやる必要がある。

俺は頭をかきながら、台所へと一人向かった。

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「ふー、ありがとー」

あっという間にトマトジュースを飲み干した真祖は、たちまち元気になった。

眠っていても、好物に関しては敏感に反応するらしい。

「どういたしまして」

本来であれば、こうして元気になった所でさっさと真祖を追い出して二度寝といきたいのだが、さっきまで弄んでいたからか怒りが少し収まってしまっている。

「それで、何で俺の部屋にいるんだ」

こちらが不機嫌なのは変わらないが、話を聞いてやる位の余裕はあった。

「あー、えーっとね……ゴソゴソ。はい、これ」

小綺麗な包みがポケットの中から現れた。

「ん?」

「あげる」

「もらっていいの?」

「そうだよー」

俺はキョトンとしながら真祖と包みを交互に見比べた。

事情がよく飲み込めない。プレゼントをもらうような心当たりは特に思いつかないのだが……。

「ほら、バレンタイン」

「あぁ!」

そうか、すっかり忘れてた。

なるほど、これの材料を買いに何度も出掛けていたのか。

夜行性には辛いだろうに、俺の為に無理をして……。

「真祖、頑張って作ったんだよー」

「そっか……ありがとう」

さっきまでの不機嫌さが全て吹き飛び、自然と笑みがこぼれる。

色々と杞憂で良かった。

「お返しにー」

「ん?」

「血をちょうだーい」

「真顔で恐ろしい事を言わないでくれ」

流石に血液はやれないが、来月には気合いの入ったお返しを渡してやらねばなるまい。

「しかしな、まぁ……一番乗りで渡したい気持ちは分かるが、主が寝ている間に部屋に忍び込むのはどうかと思うぞ」

「…………」

「おーい、どうした?」

「…………」

「もしもーし」

目の前で手を振っても微動だにしない真祖。

ぼーっと目の前を見つめていたが、そのうちゆっくりと体が傾き、

「すー……すー……」

こちらの気持ちも満足に伝えられないまま、また寝入ってしまった。

部屋まで運んでやるか、このまま寝かせておくか迷ったが、悩んだ末に俺は布団を貸してやる事にした。

こんな寝顔を見せられては、起こすわけにはいかない。

「……おやすみ」

せっかくなので、今の内に頂いたチョコレートをかじるとしよう。

次に目を覚ました時に、素直な感想を伝えられるように。

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