唐柿に付いた虫 6
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 かやのひめや案山子の指示に従い、土を整えてから唐柿を畑に移す。

 植え付けを終え、手桶から柄杓で優しく根方に水を注ぐと、心なしか枝葉がしゃんとしたように見えるのが不思議である。

 月光の中で、艶と輝く葉や実に、かやのひめがその優しい繊手を伸ばした。

「異国より来りし草よ、汝(なれ)を我が領域に迎える。 我は、汝がこの豊葦原瑞穂(とよあしはらみずほ)の地に根を張り、葉を茂らせ、次代に命を繋ぐ、その全ての営みを寿(ことほ)がん」

 かやのひめは、この国の植物の生育を司る神。

 その彼女が、異類たる唐柿をこの地に迎えるという意思を示す、これはその儀式。

 なにやらを低く呟く彼女の手から、光の粒が零れ、唐柿の根方に落ち、それが土地に吸い込まれるように消えていく。

 いつ見ても、どこか不思議で、穏やかな気持ちになれる、ささやかで、だけど厳かな神事。

「この子は、これでこの地に根付いたわ……後は、この地の力と、この子の生命力次第ね」

 そう言いながら、唐柿に落とす視線が優しい。

「まぁ、割と逞しい感じはするでよ、この土地に置いときゃ、十日も待てば、次が収穫が出来るんでねぇかな」

 この地の管理者を自ら任じる、この案山子神の言葉は、作物の生育状況に関しては大体において正確である。 それを聞いた男の眉間に微かな皺が寄った。

「十日か……」

 彼の懐の中で、唐柿に抱きついた姿で寝ている白まんじゅうを一瞥してから目を転じる。

「今、木に残ってる実は一つか」

 ううむ、と悩まし気に唸る主に、おゆきが近寄りながら、彼の懐の中の白まんじゅうに視線を落とす。

 ……羨ましい位置に納まってるわね、この子。

「その子の食事の心配?」

 その言葉に男があいまいな表情で頷く。

「流石に残りがこれじゃ、十日は持たねぇと思ってな」

「そうねぇ、あんまり小食の子にも見えないし」

 何か他に食える物がありゃ良いんだが、そうぼやきながら、男が髪を引っ掻き回す。

 明日、こいつが食べられそうな物を幾つか試して駄目なら、最悪またおっさんの所に行って、実だけ調達させて貰うか……とも思うが、貴重な舶来品である鑑賞用の鉢から、その肝である赤い実を奪うとなると、榎の旦那との対立は避けられまい。

 一鉢横取りした時点で心象は良い筈も無かろうが、明日にでも手土産持参の上で挨拶に向かい、話の持って行きようでは丸く収められもしよう。

 だが、これ以上彼の商売の邪魔をした場合、余り良い結果にはなるまい。

 無用の事で、余り近在の有力者と事を構えたくはないが。

 うむむ、と唸る男の顔から、その辺りの悩みを見透かしたように仙狸が、男の傍らに歩み寄って来た。

「考え事なら、館に戻ってからの方が良いと思うぞ、主殿」

 穏やかに笑いながら、仙狸は手にした桶と柄杓を掲げて見せた。

「……確かにな、茶でも飲みながら、ゆっくり考えるか」

「甘い茶菓子でも添えての、深刻な顔して唸って居っても、良い思案は浮かばぬものじゃ」

 そう口にした仙狸が、案山子に会釈をしてから率先してすたすたと歩きだし、おゆきとかやのひめもその後に続く。

 鋤と鍬を手にした男も、案山子に会釈をしてから三人の後に続いて歩き出す、その彼に向って、先を歩く仙狸が呟くような声を掛けて寄越した。

「しかし解せぬな、主殿の妖怪退治の名声を背景に、その白まんじゅうに妖怪の疑いがある故、唐柿の鉢さら預かった、そう相手に告げれば、大体丸く収まると思うんじゃが」

 何故そうしない? そう目で問うてきた仙狸に、男は曖昧な顔を返した。

 普通に考えれば、飼っている訳でもない、良く判らない生き物の食料の確保と、強かな商人を敵に回す危険を冒す事は、秤に掛ける話ですら無いし、その辺りの事が判らない主では無いはず。

 自身の悩みの中心を、ずばりと突いた仙狸の言葉に、彼は答えを返しあぐねた顔で呟いた。

「そいつは最初に考えない訳でもなかったんだが……」

 そこで言葉を切って男が暫し黙り込む。

 これが、単なる自分の好き嫌いなのか。 それとも、式姫や妖と関わり続けた自身の勘の囁きなのか、そこを判じかねる顔で、ややあってから、男がぶっすりと呟くように言葉を続けた。

「どうもな、俺はあの榎の旦那ってのが、ただの強欲商人には見えんのだ」

 単なる強欲商人なら、寧ろ金や利得という共通項に立脚して動いてくれる、相手をしやすいのだ。

 上っ面は兎も角、あの商人はそうではない。

 あの、世上に知れ渡っている強欲で、強かな商人という、絵にかいたような俗物の顔が、仮面に見えて仕方ないのだ。

 あれが仮面だとして、ではその下の顔は?

 様々な考えが、頭をよぎっては消える。

 そして、その疑わしい商人が、他者には渡すなと命じて栽培させている異国渡りの植物、そしてそれに付いていた、式姫達の一人として見も知らぬ、不思議な生き物。

 安易な関連付けは危険かもしれないが、どうも嫌な何かを感じる。

そんなこんなあって、あまり、あの旦那には正直にこちら側の情報を明かそうという気にはなれない。

 そう告げた彼の顔を仙狸が、微妙な表情で見返す。

 彼の懸念は判らなくも無いが、他に重要な案件を多数抱え込んでいる自分たちである、今回の件はそこまで注意を払う程の話に思えないのも、また正直な所。

「ま、どのような話になるにせよ、早い内に唐柿の始末に関して、話は付けてこないとならんの」

 考えを纏めるように、そう呟いた仙狸に、男は頷いた。

「そういうこった、すまんが仙狸、この後少し、言い訳を考える相談に乗って貰えるか?」

 言いたい事が無いでもなかったが、仙狸は主の判断を尊重するように、わっちで良ければ、と言いながら一つ頷いた。

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 鞍馬は思っていたより質素な寝間の中に立ち、面白がるような目を周囲の闇に向けた。

 質実剛健だが無骨な実用に傾くだけでなく、どこか風雅なゆとりを感じる所があり、これが領主殿の気質を反映した物なら、中々に悪くない統治者としての感覚を感じる。

 いきなり寝所に忍び込んでしまったが、領主殿が奥方か側室……あるいは、お小姓などと閨の営みに励まれてでもいたら少々困った事になったろうが、幸いそのような事も無く、領主殿の健康そうな寝息だけが聞こえる。

 隣の間からは、宿直の侍が控えている気配を感じるが、鞍馬の存在に気が付いた様子は無い。

 鞍馬山の大天狗たる彼女が、気配を消して忍び込んだのだ、無理からぬ話ではあるが……。

(私がこの館の武術の師だったら落第を出すところだな)

 その昔、鞍馬山で稽古を付けてやったあの少年なら、飛び起きて無言で打ちかかって来ただろう距離まで歩を進めたが、寝息はなお変わらない。

 まぁ、あの当時の武士は、下手をすれば獣と大差ない感覚と獰猛さを兼ね持っていたようなのが掃いて捨てる程居た物だが、今の侍にそれを期待するのも酷であろう。

 戦の在り様は時々刻々と変化し、それに伴い武士達の位置づけや要求される能力も、時代で変化する物、仕方ない事である。

 ふっと、どこか冷めた笑みを浮かべてから、鞍馬は口の中でつぶつぶと呪を唱えた。

「その口は水底に在るが如く重し、その手足は地に根を生やしたかの如く重し、故にその身は汝が意のままになる事能わず」

 疾。

 低く鋭い呼気と共に、その呪を放ってから、鞍馬は領主の枕元に片膝を付いた。

「殿、お目覚めを」

 静かに枕を揺すると、流石に領主殿が寝ぼけ眼を開いた。

「奥か、何事……いや、き」

 貴様は?! そう大声で誰何しようとした口から実際に出たのは、囁くような微かな声が僅かに夜の気を震わせただけ。

 ならばと、相手に掴みかかろうとした、そおの自身の手足も萎えて動かない。

 訳のわからない状況に、領主の顔に惑乱と絶望の色が浮かぶ。

「お静かに、落ち着いて私の顔をお確かめください」

 そう囁いた鞍馬の顔を、青白い天狗の炎が照らしだす。

(うぬは……あの男の隣に居た)

 相談役だと紹介されて同席していた、式姫の一人……名は確か。

 その目と、もごもごと動いた口から、彼が理解した事を確かめた上で、鞍馬は囁くような声を発した。

「式姫の鞍馬と申します、刺も通じぬ内から夜中の訪いという不調法は幾重にもお詫びいたします。 また誤解から刃を交える事にでもなればお互い不幸と存じました故、一時その御身の自由を奪わせて頂きました。 何かとご不快とは存じますが、事情が事情でございます、ご容赦を」

 鞍馬に害意が無い事と、その訪れの用向きを何となく察したのか、領主は緊張を緩め、先を続けるように目で促した。

 この辺りの理解の早さは流石というべきだろう、鞍馬は言葉を続けた。

「お察しの通り、殿が我が主に相談されましたご用向きに関し、お話したき儀がございまして、かく内密に参上しました」

 宜しいですな? そう念押ししてから鞍馬は衣擦れの音すらも立てずに流れるような動きで膝行し、間合いを外してぴたりと正座した。

 この動きを見ても、彼女が武術の腕前だけでも、自分や宿直で控えさせている武士たちなど、纏めて容易く制圧するだろう事を痛い程に突き付けられる。

 自分がまな板の上の鯉である事を理解し、領主は不貞腐れたように顔をそむけた。

「お心遣い痛み入る、行き届いた事じゃな」

 領主の精いっぱいの嫌味を涼しい顔で流し、鞍馬は静かに平伏した。

「我らの側でも独自に調査を行いましたが、残念ながら、あの盗賊団の主が妖であるという確証は未だ手に出来ておりませぬ」

「む……」

 そんな事を言いに、このような……そう言いかけた領主の口を見ぬふりをして、鞍馬は素知らぬ顔で言葉を続けた。

「ゆえ、現状では我らが殿にご助勢する事は叶いませぬが」

 彼女の言葉を聞き、失意に歪む領主の顔を見ながら、鞍馬は懐から巻いた地図を取り出した。

「それとは別に、主より、先だってお越し頂いた際に、急の事ではあったにせよ領主様を手ぶらでお帰ししたは、あまりに無礼、何ぞ返礼を用意せよと下知がありまして、少々遅くなりましたが、こちらを持参した次第」

 つまらぬものですが、そう言って開かれた地図を、青白い炎の灯りが照らしだす。

「……むぅ」

 それを見た領主の顔色が一変した。

 これは、あの盗賊団が立てこもる山の様子を描いた詳細な絵図と、そこに書き込まれた種々の調べ書き。

 水場に兵の配置、防柵の設置状況……彼が今、喉から手が出る程に欲する情報が、微に入り細を極めて、そこに散りばめられているのが、その事で頭を悩ませ続けていた彼には、一瞬で理解できた。

「これは、一体?」

 自分が手練れの斥候達を放っても杳として知れなかった、あの山の全容をどうやって。

「盗賊団首領の事を調べる過程で自然と知れた事を、何かの役にと絵図に纏めただけのつまらぬものでございますが、このような物が殿のお慰めになればと」

 その地図を鞍馬が引っ込めようと手を掛ける、領主はもっと見せろとばかりに咄嗟に手を伸ばそうとするが、彼の四肢はまだ鞍馬の術で縛られたままで満足に動かない。

 虚空を掴んだ手を握り、無念の呻きを上げる彼の前で、慣れた手つきで鞍馬が地図を巻き取り、嫌味たらしく見せつけるように、それをゆっくりと紙縒り(こより、細く裂いた和紙で作った紐)で括り、自分の前に置いた。

「……何が望みじゃ」

 領主の喉が、渇した人が清水を目の前にした如くにぐびりと動く、それを見た鞍馬は、表情を隠すように、深く一礼した。

「我が主は、人界の争いに式姫は用いぬと決めてはおりますが、この地に住まう良民の一人として、盗賊団の跳梁は憂慮する所。 であれば、殿のようなお方に人界を平穏に保っていただく中で、後顧の憂いなく妖怪退治を進めることだけが我らの望み」

 すっと、巻き納めた地図に手を掛けながら、鞍馬は顔を上げた。

「その為に、少々ご相談致したき儀がございます」

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■鞍馬

鞍馬は、ゲーム的には術を操る天狗という扱いでしたが、義経の師匠だし、剣や体術の達人の方が自然だよなぁ……という事で、私の作中では、割とそういう扱いです。

説明
式姫の庭の二次創作小説になります。

「唐柿に付いた虫」でタグ付けしておりますので、過去作に関してはそちらからご覧下さい。

今回出てくる領主様は、夜摩天料理始末で出てきた領主殿とは別人です、私の作品は基本、作品毎に単発の舞台みたいな物で、式姫達以外は「役割」でしかなかったりします、農夫A、領主Bみたいな感じです。
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コメント
OPAMさん 色々纏めて下さってありがとうございますw いくつか棚上げになる謎があるような気がしますが、いくつかは解明される筈ですので、お楽しみにです。(野良)
植物が成長したら何か影響が出るのか?(出ないのか)植物の栽培を依頼した商人に裏の顔はあるのか?(ないのか)盗賊の件はこのまま人間側の問題として終わるのか?(吸血姫が感じた懐かしい何かとは・・・?)いよいよ、それぞれの話が展開してきた感じで(毎回ですが今回はさらに)続きが気になります。果たして白まんじゅうの食料は確保出来るのか?(重要)(OPAM)
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