夏意(三国志創作小説)
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堂の夏ござはひんやりと心地よく、簾ごしに石榴の花が咲き乱れて明るい。木陰が庭一面を覆い、日は中天にある。ふと一陣の風が堂に流れこみ、あらためて張絋は、向かいに座す青年に目をやった。

 

 張絋、字は子鋼という。広陵の生まれである。

 現在は江東の地に居をかまえ、母の喪に服す日々を送っている。都から遠く離れたこの地での生活は静かで穏やかだ。中原の争乱が別世界のように感じられる。

 だが現実には、国の各地で群雄が割拠し、漢朝の権威は失われ、世は麻の如く乱れて行く末がまったく見えないといった状態だ。自分がまだ若く、非才の身を世に尽くそうと思っていた頃と、何故こうも変わってしまったのか。

 

 張絋は、若い時に都へ遊学した。高い見識を身につけ、清流派の名士として名を知られるようになったが、官には就かなかった。当時の朝廷は、宦官の横暴が目を覆うばかりであったがためだ。故郷に戻ってからも、茂才に推挙され朝廷から招きを受けたが、病気を理由に辞退した。自分のような温良な吏僚がせいぜいの人間に、そのように乱れた朝廷で、なにがしかのことが出来るとは思えなかったのだ。

 そして八年前に起こった黄巾の乱。諸侯は皆、自身の権威ばかりを追っており、この先、漢朝の復興が望めるものか、はなはだ心もとない。今でも張絋の名を慕う諸侯から出仕を促されてはいる。しかし、その全てを服喪を理由に断っていた。

 世を治め民を救う経世済民の意は常に胸にありながら、時を救うことの難きを思い、ただ静かな日々を張紘は過ごしていた。

 青年が訪れたのは、そんな頃であった。

 

 明るく澄んだ眼差しを持つ快活な十八歳の青年。武人らしく鍛えこまれた体駆だが、まだ大人になりきれていない若木のしなやかさを感じさせる。まもなく四十になる自分から見れば、ひどくまぶしい年頃だ。

 名を孫策、字を伯符という。先頃、荊州の劉表とのいくさで亡くなられたという破虜将軍孫堅の嫡男である。亡父の意思を継いで兵を挙げたいという。はじめて会った時、彼に自分の幕僚にと請われた。

 いつも諸侯に答えているのと同様の辞意を伝えたが、その後も時勢の急務を尋ね教えを請いたいと、彼は何度も張紘の居に足を運んで来た。

 荒々しい武人とのつきあいが出来る自分ではないと思っていたが、彼は武人らしく直截ではあるものの、私の話に真摯に耳をかたむけ、議論しても声をあらげるということもなく、いつもまっすぐに私を見つめながら話をして帰って行く。

 いつしか張絋は、息子のような年齢の青年が訪れて来るのを楽しみにしている自分がいるのを感じていた。

 

 やがて季節が夏を迎える頃、張紘のもとを訪れた青年はだしぬけに「袁揚州どののもとに行こうと思うんです」と言った。張絋は問うように視線を向ける。いつもとは違う感じを受けたからである。

 確かに彼の父・孫堅は生前に袁術と同盟を結んでいた。しかし孫堅の死後、一族の孫賁がのこった軍勢をまとめて身を寄せた際に、袁術は軍勢をおのが陣営に吸収してしまった。そのことを青年が快く思っていないことは、これまでのうちに察せられていた。

 その袁術のもとへ行こうとは。

「残っている父の兵士たちを請い受け、丹楊の舅氏のもとに身をよせつつ、離散した兵士たちを纏めようかと。俺は若輩の身ではありますが、いささか志すところもあります。東の呉会の地に足場を定めて、父の仇を報じ、朝廷の外の守りに当たりたいと願っています」

 さらりと言ってのける。

 

――何か心に、決めたのだろうか。

 

そう思った。ままならぬ境遇に思い悩むふうな気が、きれいに拭いさられている。

「子鋼どのは、いかがお考えでしょうか」

 問われて、我にかえる。知らずと青年の瞳に見入っていたようだ。青年の眼差しは、張絋を試すように、じっと動かない。

「私には何の才略もありません。只今は服喪中でもあり、とてもあなたのお力添えにはなれないでしょう」

 これまで何度かくりかえした言葉を穏やかに答え、ちらりと庭に目をやる。日差しを強く感じた。

「子鋼どののご高名は広く聞こえ、遠近の者みなが心をお寄せしているじゃありませんか。今、俺がいかなる道を取るべきか、あなたのご意見ひとつにかかっています」

 青年はわずかに膝を乗りだして言を継ぐ。

「あなたのお言葉が欲しいんです」

 熱を帯びた口調に反して、表情は変わることなく静かなままであった。ただ、瞳だけがあふれだすものを抑えようも無く、薄暗い堂の中で存在感をもってせまってくる。

 

 魂に入りこむ瞳だと思った。

映すのは、青年の中に芽生えた何か。まだ確とした形を成さない、熱くたぎった感情。どのようなものなのか。

 彼の若さ、彼の中に見え隠れする、その何かに眩暈がする。羽ばたくにはまだ幼い鳳凰。だが、大空を飛翔する日は間近であろう。

 

 天地をとどろかすような震動の素地を透かし見る。

 

 

 

「――昔、周の王朝の命運が傾いたとき、斉の桓公と晋の文公が立って、周王朝の建て直しを計りました」

 言を継ぐ自分を、彼は黙って見ている。

「あなたはご先父の功業を継がれ、勇武の名声がおありになる。もし丹楊に身を寄せ、呉会の地で兵を募られれば、武威を盛んになさることも可能でしょう」

 

 彼ならば、今の世を変えるのだろうか。

 自分にも、出来る何かが、あるのだろうか。

 今まさに姿をなそうとしている彼の大望を、私に導き助けることが、可能なのだろうか――。

 初夏の風が遠く子供の声を運んでくる。張絋は小さく肩をふるわせた。

 

 

「功業の成られたあかつきには、」

 声が震える。ゆっくりと両腕をあげ胸の前で袖をあわせ礼をとる。

「――江南に渡って麾下に参じたく、思います」

 

孫策は喜びに目を見はった。そして、曇り無き蒼天のような笑顔を浮かべた。

 

 

 

 二年後、孫策は軍を興し、張絋は謀士としてこれに加わることとなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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UP 2001.6.11 (2009.05.24 改稿)

水華文庫発行『江水悠久』に掲載

説明
江都に住む張紘と、彼を訪ねた孫策の小文。呉の二張のひとり・張紘が孫策に仕える決意をする物語です。
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三国志 創作小説  孫策 張紘 

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