唐柿に付いた虫 18
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 大蝙蝠が突風を巻いて戦乙女に迫る。

 皮の翼が叩く空の音、引き裂かれた風の悲鳴、歪み乱れた空気の軋み、何れも彼女が滅多に耳にした事がない程の荒れ狂い方が、あの存在の力の程をまざまざと示す。

 奴は、真っ直ぐにこちらに飛来するだけで、特に攻撃の動きを見せない。

 いや、そうではない、戦乙女は内心首を振った。

 奴にしてみれば、単純にその突進力を生かし、圧倒的な巨体を彼女に叩き付ける、もしくはあの翼の巻き起こす乱流に巻き込んでしまえば、それ自体が最大の攻撃となる。

 そして、その正面からの突進に対しては、彼女が何らかの攻撃を放とうとするのは困難。

 弓矢では余程の強弓でも無ければ、あの身に纏われる空気の乱流に阻まれてその威を喪い、手持ちの武器を振るうというなら、相討ちを覚悟せねばなるまい。

 重く、速く、頑強な体躯というのは、それ自体が有用な武器であるというこの上ない証明。

 正直、百戦錬磨の戦乙女も、空を舞う、これ程の巨獣の相手は殆ど経験が無い。

 さて、どう戦った物か。

 栄誉ある戦こそが彼女の求める物ではあるが、それは別段無謀な状況で無為無策で相手の前に立つ事ではない。

(ヒョウロウゼメと、この国では言いましたか)

 あの巨躯で空を舞うのは、さぞや力が必要だろう、小回りを利かせて引っ張りまわしてやれば、動きが鈍るかもしれない。

 それと、鞍馬が兵たちを逃がし切るまではこちらに注意を引き付けて置く必要もある、逃げ回るばかりでは無く、相手の注意を引く為にも、時折は攻撃の構えも見せねばなるまい……。

 その方針で様子を見てみるか。

 考える間に、高速で飛行する彼女と大蝙蝠の距離が見る間に狭まる。

 もう少しで接触、その刹那に戦乙女はぐんと急上昇し、すれ違いざまに相手の皮の翼を浅く掠めるように槍を振るった。

 穂先に宿った青い炎が、まだ僅かに明るさを残す空で鮮やかに閃く。

 浅く翼の先端を掠めた槍先から、金属と打ち合ったような硬い手ごたえが返る

(これは!)

 本当に僅かに掠めただけだというのに、切りつけた槍から返って来た衝撃が戦乙女の手に、軽い痺れを走らせる。

 確かに翼の中でも骨の通った部分ではあるが、まともな生き物ならば、金属の槍と打ち合えるような部分では無い。

「……強い」

 この調子では少し当たりが悪ければ、自分ですら得物を取り落としかねない。

 ぐっと一度強く槍を握り直し、戦乙女は槍の柄に巻いてあった紐を解き、手際よく手首に巻きつけた。

 その間も、彼女の目は油断なく、大蝙蝠の行方を追っている。

 あの巨体と速度では小回りは利かない、凄まじい速度で彼女から離れた大蝙蝠が大きく旋回しながら、再び彼女に向かって飛来する。

 その速度にも翼の動きにも、先程の戦乙女との接触の影響は何も見られない。

 だが、その様を見た彼女の口元に不適な笑みが浮かぶ。

「相手にとって不足なし」

 我が力の全てを賭して、戦うに足る強敵よ。

 我が主の為にも、この誉の槍に賭けて勝利して見せましょう。

 戦の神々も照覧あれ。

 彼女の闘気に呼応するように、槍先に宿る青白い炎が猛る。

「いざ」

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「こちらを下れ、道幅は十分にある、二列縦隊を崩さず行け!」

 上空を警戒しながら、鞍馬は山道の上を飛びながら、兵の誘導を行っていた。

 領主殿の軍、中でもいち早く山頂に取り付いたような連中は極めて訓練が行き届いており、退却の様も整然としたものだ。

 一様に抜き身を寝かせるように斜め上に向けて肩に担ぎ、行軍時に己や他者を傷つけない心得を自然に示して、鞍馬の声に応じるように、騒がずに退却していく。

 こちらは大丈夫と見て、怒声が上がる方に向かった鞍馬は、眉をひそめた。

 先程の精鋭部隊とは違う、その辺でかき集めて来た兵や盗賊団の連中が混乱した様子で右往左往している。

 抜き身を手にぶら下げたまま、バタバタと足の運びも乱れ切ったままに走っている連中が多いものだから、隣の連中や、自分の脛や足指を手にした刀が傷つけて、血を振りまきながら必死で逃げ惑っている。

(あれは後で痛いんだがなぁ……まともな治療を受けられるのかね)

 戦場での狂騒状態故に、今は痛みを感じてはおるまいが、麓にたどり着いて一息ついて我が身を見たら、足の指が二三本無かった、足の甲がざっくり切れていた、などという連中がごろごろ出そうで、鞍馬としてはため息を禁じ得ない。

 血や泥で汚れた刃で付いた傷から、死毒が回って死に至るといのも、実はよくある話。

 他人事ながら気の毒ではある、かように、刀や弓矢を振り回す技以上に、戦場での振舞いの心得の有無というのは生存に直結する物だが、食い詰めて鍬持つ手に刀を握り、という連中が、そうそう得られる知見では無いのもまた事実。

 戦で味方の損害を減らすには、こういうせぬでも良い不要な怪我を減らす事と、一刻も早い初期治療が必要であるというのは鞍馬が実地での経験を基に予てから考えていた事。

 だが、それだけの心得を習得した兵を育て、家中に留め置く事や、医薬の恩恵を雑兵にも受けられるようにするのは、中々に難しい話ではある。

(嘆いてても仕方ないな、いずれ文字を読めない連中向けに、絵解きで戦場往来術でも書いてみるか、いやしかし、絵巻はそも貧者の手に入る値にはならないか)

 いずれにせよ、そんな物を構想している暇は鞍馬には無い、益体も無い事だと思いつつ、彼女は混乱しながら急斜面を駆けおりようとしている連中に声を放った

「敵は式姫が防いでくれている、武器をしまい、慌てず道を下れ!」

 一応はそう言ってみるが、さて、混乱している連中の中で、どれだけの人に聞こえているか……。

(まして……)

 空を睨む鞍馬の目に、濃くなり勝る夜の帳と、その上で輝きだした星と、存在感を増す月の姿が映る。

 足元や周囲が闇に閉ざされる、隣にいるのがそも人なのか判らなくなる、そんな状況では、その恐怖は層倍の物となるだろう、これ以上の闇が迫る前に下山したいと焦る気持ちは良く判る。

 だが、慌てれば慌てる程、安全は遠ざかる……何故人は、知性や理性で感情を抑制する訓練が出来て居らん輩が多数派なのだ。

「ええ、全くどいつもこいつも」

「苦労しとるようじゃな、軍師殿」

 思えず声を荒げそうになった鞍馬の近くで、笑みを含んだ声が響いた。

「夜にならなければ来ないと思ってたよ、お早いご出仕だね」

 吸血姫に向けてでは無かろうが、珍しく機嫌の悪さが垣間見える声で、鞍馬が僅かに振り向いて言葉を返す。

「何、この近くに仮のねぐらを作ったからのう」

 その程度の準備はしとったよ。

「あの棺を担いできたのかい?」

 式姫の庭の中でも、余り日の当たらない一隅にある彼女の自室に置かれた、何とも豪奢な彫刻の施された、異国の寝棺の事を思い出しながら、鞍馬が呆れたような声をだす。

 だが無駄話ばかりもしていられない、こちらを下れ! そう天狗声で兵たちに一つ怒鳴ってから、羽団扇で道を示す。

「まぁ、妾たちは寝所の設えに殊の外煩いんじゃが、流石にあれは妾でも持ち歩けぬわ」

 お主も、戦陣に綿たっぷりの寝具など持参すまい、くっくと笑いながら吸血姫は言葉を続けた。

「妾たちはちと寝所に秘密があるんじゃが、それを設える法に則っておれば、仮住まいなどその辺の無住の社で十分じゃ」

 寝所を設える法、という部分に僅かな引っかかりを感じたが、今はその疑問を解消している余裕はない、鞍馬は一つ頷いた。

「いずれにせよ、早く来てくれて助かるよ、正直猫の手でも借りたいくらいだったのでね」

「妾の手は猫殿よりちーとだけ高くつくが……」

 吸血姫が山腹の陰から、長い外套を靡かせながら姿をあらわす。

 まだ若干の残照が残っている中だが、陽光で傷つくその辺の低級な夜の生き物共とは違い、吸血姫にしてみると、この程度の日差しなら少し皮膚がチクチクする程度で大した事では無い。

「まぁ、冗談口はこの辺に致そうか、して、妾はどちらに助成する?」

「そうだな」

 鞍馬が何か言おうとした、その時、逃げ惑う兵の間から、恐怖の悲鳴が上がった。

「あ、あの女だぁ!」

 その声に続いて、あの女だ、霧の女だ、そんな声が幾つも上がりだす。

 領主の軍を退けたという、例の女妖怪か。

 やはり出たか、だが、特に妖気は感じないが。

 緊張して鞍馬と吸血姫が敵の姿を捜し、周囲を油断なく見渡す。

 だが二人の目や感覚を以てしても一向に敵の姿は見えない。

「ええ何じゃ、枯れ尾花か」

 鞍馬の背後で吸血姫がぶつくさと呟く、それに同調しかかった鞍馬だったが、眼下の兵を見て、彼らが恐怖の顔を向ける先に目を転じた。

 自分の背後。

 消えゆく太陽の投げかける鮮赤の残光の中、真紅の裏地を持つ漆黒の外套を靡かせた、美しき夜の貴族。

 夜にしか現れない、盗賊団の首領。

 闇の中より霧の如く現れ、兵を切るのではなく、貫いたという女妖怪。

 そういう事……か。

「軍師殿、敵は見当たらぬようじゃが、どう……」

 どうする、と尋ねようとした吸血姫の目に、羽団扇を振りかざした鞍馬の姿が映る。

「式姫に化けるとは小癪な、妖怪、覚悟せよ!」

「な!」

 吸血姫の上げる驚きの声に対する返事と言わんばかりに、鞍馬の羽団扇が一閃する。

 二人の間の空気が急激に軋み、その歪みが刃と槌となって吸血姫を襲う。

 咄嗟に抜こうとしたのか、腰に提げた細身の剣に手を掛けた吸血姫の体を、全てを砕き散らすような、凄まじい颶風(ぐふう)が包む。

 風の刃が閃き、血と漆黒の外套の断片が渦を巻く。

「お主……つっ、正気か?!」

 さしもの吸血姫が、大天狗の巻き起こした大風の中、身動きが取れずに苦鳴を上げる。

「正気さ、極め付きに……ね!」

 羽団扇を、最前よりさらに大きく振りかぶり、鞍馬は更なる大風を放った。

 何やらを言おうと、吸血姫が大きく口を開く、だが、その声すらかき消して、放たれた大竜巻が、周囲の様々な物を巻き上げながら、彼女の小柄な姿を飲み込んだ。

「止め」

 鞍馬の手が呪印を結ぶと、竜巻が更に勢いを増し、更にそれは兵を巻き込む事を避けるかのように山から離れだした。

「引き裂け、吼(たけ)る風よ」 

 鞍馬の言葉に応じ、最後に竜巻が一際空で荒れ狂い、嘘のように消え去った。

 巻き上げられた木々や石が、ばらばらと空から大地に降り注ぐ。

 その中に、大きな物は残っていない、倒木等も巻き込んでいた筈だが、あの短時間で原型留めぬ木片と化しておがくずだけが地にはらはらと舞い落ちる様が、鞍馬の巻き起こした竜巻の威力をまざまざと見せつける。

 その中に吸血姫の姿も無かった。

 大いなる破壊の力に蹂躙された空と山をぐるりと見回し、鞍馬は疲れたように、ふ、と一つ大きく息を吐いた。

 望んでした事では無いのだが……許せ。

 歓声上がる山道に顔を向け、鞍馬は口を開いた。

「見よ、汝らを襲った妖は我が大風により一蹴された! ここは私が守っている、怖れる事無く山を下れ!」

説明
式姫の庭の二次創作小説になります。

「唐柿に付いた虫」でタグ付けしておりますので、過去作に関してはそちらからご覧下さい。

勘の良い方はお気づきかもしれませんが、後半結構書き直して投稿しております……完成品を淡々と上げてりゃ良いかと思ったのにこのザマですよ。
誤字チェックの時に、この方が展開楽しいんじゃない、とか思ってしまったのが運の尽きですよ、ええ。
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コメント
OPAMさん ありがとうございます、その辺の機微を創作やってる方は判って下さるので嬉しい……今回の鞍馬さんの乱心? も変更の産物だったりします、この変更が吉と出るか凶と出るか……(野良)
前半部の戦乙女の真っ直ぐな戦いの場面で盛り上げておいて、後半部の鞍馬の意外な行動で先が読めない状態での続くまで、一気に読んでしまいした。どちらも先の展開が気になるところ。自分がマンガ描いてるときも時間置いて見直すと色々気付いて手直ししたくなることはよく有りました。そして、手直し前の最初の勢いや思い付きで描いた中にも捨て難いものがあったりで取捨選択に悩むというw(OPAM)
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式姫 式姫の庭 唐柿に付いた虫 鞍馬 戦乙女 吸血姫 

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