Pretend to be...
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この前お手伝いをしたあのバーに、包くんと一緒に遊びに行った。目当てはもちろんアーケードゲームだったけど、ドアを開けたら意外な人物がカウンターを陣取っていたから思わず店内に入るのを躊躇する。

「八神さん……」

こちらに気付いた八神さんは、ちらりと視線をくれたけれど、あとは何も言わずにそれきりで背を向ける。包くんが「八神さんも来てたんだね」と言うと、店長さんが出てきておれたちを歓迎してくれた。してはくれたんだけど、どうにもカウンターのほうを気にしてソワソワしているからおれたちまでソワソワしてしまう。

「あの、八神さん、何かあったんですか?」

「いやあ、実はねぇ」

店長さんが再びカウンターに視線を向けたのでおれたちもそれに倣うと、八神さんの席とひとつ空けて隣に座っていたサングラスを掛けた女性が、八神さんに何かを渡しているのが見えた。多分、名刺だ。

「あの方、八神さんをスカウトしに来たらしいんですよ、海外のレーベルのプロデューサーとかで」

「か、海外からスカウト!?」

思わず大きな声が出てしまって、包くんから「真吾さん、声大きいよ」と窘められてしまったので口を押さえてすいません、と頭を下げる。

店長さん曰く、先日の配信ライブが日本のみならず世界の音楽ファンから注目されたことで有名なレコード会社や事務所、そして海外のレーベルがこぞって八神さんにアプローチを掛けているらしい。その一番槍として店に連絡してきたのがあの女性プロデューサーというわけだ。当の八神さんは断ってはいたんだけど、いの一番に連絡してくる熱意のある相手だし会うだけ会ってみれば、ってバンドのボーカルさんに言われて渋々来たようで、何だかんだで律儀な人だよなあとカウンターで琥珀色のお酒を傾ける彼の横顔を見た。

「邪魔しちゃ悪いよね、向こうで遊んでようよ」

「そう、だね」

その横顔に何となく胸騒ぎを覚えて、先に筐体のほうへ行ってしまった包くんがおれを急かす声も聞かずに立ち竦む。すると、おれの視線が煩わしかったのか八神さんはこちらを一瞥して大袈裟に溜息を吐く。ああ、やっぱり邪魔だったのか、と反省してゲームコーナーに向かおうとした。

「おい」

少し大きめの声で背中から呼び止められて、今度はおれが彼を振り返る。彼はじっとおれを見て、それから手招きをしているから「おれですか?」と声に出さずに指で自分の顔を指差して確認する。彼が面倒そうな顔で頷いたから、包くんに「ちょっと待ってて」と言ってカウンターへと向かった。

「あの」

彼の傍らに立つと説明も何もなく背中を押されて、彼とプロデューサーの人との間に立たされる。

「そいつに聞いてみろ」

「へっ!?」

急に何を言い出すのかと思いきや、八神さんは目の前に突き出したおれと話をしろ、的なことをプロデューサーさんに言うから驚いてしまった。何で、と戸惑うおれを余所にプロデューサーさんはサングラスをずらしておれの顔をじっと見た。

「バンドの子?」

「いや、俺の連れだ」

連れ。連れ、って言葉に意味はたくさんあるけれど、多分今彼が言ったのは、多分だけどそういう意味だ。悪戯っぽい視線で合図されたから、何となくわかる。八神さんはおれをそういう意味での『連れ』としてこの人紹介しているらしい。一体どうして。

何で?なんて聞ける雰囲気じゃないし、取りあえず二人の間の席に座ってプロデューサーさんを見た。八神さんのほうには、何だか顔を向けられない。

「連れ?へえ……」

「貴様はどう思う」

「えっ、あっ、その、えと」

「この女と契約することについて、だ。貴様の与り知らん所に出て行くんだぞ」

背後からがっしりと肩に手を置かれ、妙な緊張感に冷や汗がびっしょり浮かんできてしまった。

与り知らないところ。海外。海外って外国ってことだよな、そんなところからスカウトされてるってことは、つまりあれだ、メジャーリーガーみたいなもので八神さんも契約したら海外に行くんだ、日本じゃない、ここじゃない、どこか別の国に行っちゃうってことなんだ、きっと。

……想像したとき、おれの胸は予想以上にざわざわして、それからすごく苦しくなった。

八神さんが海外に行ったら、きっと今日みたいに偶然出くわすこともなければ、道場にふらりとやってくることもなくて、買い物の途中や放課後に草薙さんはどこだって追いかけ回されることもなくなる。全部、そういうのがなくなってしまう、おれの側から。

おれの日々の時間から、八神さんがいなくなる。

それが無性に、寂しいと感じる。

「や、八神さんが急に、その、海外とか、遠くに……行くのは、おれ……」

嫌です、とハッキリ口に出していた。

彼の『連れ』を演じて作った意見ではなく、今のおれ自身の意見を言ってしまったことにハッとしたけれど、慌てて振り返ったら八神さんはニヤリと笑っていたから……多分これで大丈夫だったんだろう。

一方でプロデューサーさんはおれたちの顔を交互に見てから、サングラスを掛け直して綺麗な色の唇をくっと上げて微笑んだ。

「ふふ、別に無理やり連れていったりなんてしないわよ。活動拠点は今のままで、彼や彼のバンドの音楽をウチのレーベルから世界に向けて発信したいってこと」

「えっ、そうなんですか……?」

「だから安心してね可愛いお連れさん。貴方の恋人の大切な音楽、決して悪いようにはしないわ」

それだけ告げるとカウンターに一万円札を置いて席を立ち、店長さんがお釣りを渡す間もなく去っていってしまった。「いい返事を待ってるわね」とだね言い残して。

「返事も何も、な」

残された名刺を眺めて一応ポケットに仕舞った八神さんに、我に返ったおれは身を乗り出して言った。

「ちょっと八神さん!」

考えてみたらおれだけが恥をかいていることに腹が立つ、海外に行くんだって勝手な思い込みで話して笑われてしまったし、しかも恋人のフリなんかさせられてその一部始終を八神さんからニヤニヤ眺められていたんだ。恥ずかし過ぎるだろ。

八神さんはおれの気持ちなんて意にも介さず、グラスの中のお酒をぐいっと飲み干して鼻で笑いながらおれの額に軽く触れてくる。

「良くもまあ言ったもんだな」

「八神さんが言えって言ったんじゃないですかあ」

まるで他人事だからもう怒るより呆れてしまった。そもそも彼はおれが恋人だって思われたことについてはどうでもいいんだろうか、いいんだろうな、それをダシにしてしつこいスカウトを断ろうとしたくらいなんだから。

「しかし折れんか、面倒な女だ」

「……恋人の言うことなら、聞くかもって思ったんすか?」

「大体の場合は効く」

事も無げに言って店長さんにグラスを返しながら「同じものを」と告げて、店長さんがお酒を用意している間に今度はおれの頬を軽くつねるみたいに指先で触って問うてきた。

「嫌か」

「何がです」

「俺の恋人だと思われるのが」

嫌か嫌じゃないか、その二択なら嫌に決まってる。でも、その『嫌』の理由がわからなくて頭と胸がモヤモヤしてしまう。恋人だと思われることが嫌なのと、恋人のフリをするのが嫌なのは少し違う気がするし、それに八神さんがおれの前からいなくなってしまうことは、本当に嫌だと思ってしまったんだから余計にわからなくなる。

「そんなこと聞くなら、最初から言わないでくださいよ」

……例えばここにいたのがおれじゃなくて別の人でも、彼は恋人のフリをさせただろうか。そう思ったら何だかとてもやるせない。

八神さんの前にグラスが置かれる。店長さんはおれたちのやりとりを心配そうに見ていたから笑って誤魔化す。

また、包くんがおれを呼ぶ。まさかこのやりとりを聞かれたわけではないだろうけど、包くんも察しのいい子だからもし聞かれたら何て言おうかと考えながら席を立った。

「おい」

八神さんが、前を塞ぐようにグラスを目の前に差し出す。

「くだらん遊戯が終わったら、隣に来い。先刻の礼に一杯くれてやる」

「いりません、おれ未成年ですよ」

「なら他のドリンクでいい、借りは作らん主義だ」

「いいですってば」

その手を退けて行こうとしたら、今度は腕を捕まれる。しつこいのはどっちだよ、とわざとらしく吐息して振り返ったなら、彼は存外に真剣な顔をしていたから驚きとも違う別の感情で胸がぎゅっと詰まるのを感じた。

「……恋人として一緒に飲めと言ったら、付き合うか」

それは、『フリ』ですか。それとも。

聞けないまま彼を見つめていたら、彼の表情はいつものちょっとこっちを小馬鹿にする顔に戻っていた。

上手く胸の中の気持ちを言葉にできずにいるおれを笑って、八神さんはゲームコーナーで不機嫌そうに頬杖をついている包くんを指差す。

「そら、子供がいい加減待ちくたびれているぞ」

何も言えないままで立ち去るおれの背中に、駄目押しのような彼の言葉が投げつけられる。

「終わるまで、此処に居る」

次に彼の隣に座ったなら、おれは、おれたちは何の『フリ』をすればいいんだろう。

ゲームが終わらなければいいんじゃないか、と訳のわからないことを考えながら、おれは包くんの操るキャラクターの技を必死でガードし続けた。

説明
Gイベントにまつわる庵真です。
以下のお題ガチャのネタを使用しています。

八神さんの恋人のフリをすることになった真吾くん
#お題ガチャ #2W1Hガチャ_amaama https://odaibako.net/gacha/617?share=tw
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