宇宙と空の狭間の
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 科学が発展する前の世界各地に共通する認識として、ほうき星は凶兆とされた。夜空に突然現れて横切り、消えていく彗星はほうきのように尾が長い。だからほうき星。

 特に肉眼でもはっきりと見えるクラスの彗星は、火球が大地に迫ってくるようでもあり、普通の星とは違い、人々に未知なるものへの恐怖をいだかせることが多かった。そして天変地異や戦争の先触れとも取られた。

 彗星という存在は、行き詰まった世の中を変える大きなきっかけになる。

 ユージアでは空に突如として現れる彗星に合わせて、新たなる王が立つという伝承があった。あるいは彗星が見えた日に生まれた子は王になるとも、国を滅ぼすとも。それはある者、ある国にとっては恐怖であり、好機でもある。

 

 それも今や昔。現代では、接近する彗星は天体ショーとして扱われる。とある彗星が約七十一年周期で接近してきたときには、世界はお祭りムード一色だった。

 その彗星の観測も終わり、祭りの余韻が過ぎ去ろうとしている中、世界の空気を一変させたのが灯台戦争だった。

 そして灯台戦争で、天界の王といわれたミハイ・ア・シラージは撃墜された。王は替わったのだ。

 

「だからミスターXを墜としたことで、お前が次の王になったってわけだ。これって教祖様ができるぜ?」

 

 どうよとばかりにカウントが一気に喋り終えると、俺は「はいはい」と返事をしてから、オーロラソースがかかったエビをもしゃもしゃと噛む。

 

「それだけかよ!」

「確かに無理やりこじつければそういうふうに取れるけど、全部偶然じゃん? 科学的説明もできるだろ?」

「あのな、トリガー。そこに吉兆でも凶兆でも、なんらかの意味を見出すのが人間なんだ。分かるか?」

「それって、詐欺の心得その七みたいなノリのやつ?」

「分かってるじゃないか」

 

 ドヤ顔で言ってくるので、こっちは「分かりたくないわー」とあからさまに引く。

 

「でもまあ、七十一年って周期だったら、国の体制としては行き詰まったり民衆が飽きたりしてるだろうから、ぶっ壊して変えたくなるかもな」

 

 そう語りながら、カウントはスープにひたした白パンを優雅に食べる。

 懲罰部隊のときからそうだけど、妙に食べ方が綺麗なんだよな。多分、詐欺でだますために覚えたスキルなんだろうけど。

 

「都合よく彗星の周期と合わせる感じか」

「なんだって都合よく解釈できるようになってんだよ」

「哲学だな」

「詐欺の心得その二十五だ」

「その数字、適当に言ってない?」

 

 二人で他愛のない会話を続けていると、料理を乗せたトレーを持ったロングレンジ部隊の面々が遅れてやって来る。

 

「なあ。今度、うちでパーティやろうと思うんだが、予定はあるか?」

 

 フーシェンの誘いに、カウントが「料理のか? 俺はいいぜ」と気軽に答えた。

 

「俺も」

 

 こっちは手を挙げて参加の意思を示す。

 

「うちってことは、フーシェンのとこか?」

「ああ。家からたくさん((ラー油|チリオイル))が送られてきたから、それを消費したいんだ」

「チリオイルって…調味料だよな。なに作るんだ」

「((水餃|スイジャオ))だ」

 

 カウントが「スイ…なんだって?」と聞き返す。

 

「ゆでるタイプの((餃子|チャオズ))だ。こっちで言うなら…((ゆで団子|ダンプリング))だな。何度か食べたことがあるはずだ」

 

 そう言われても、いまいち思い出せない。カウントと一緒に、頭の上にクエスチョンマークを乱舞する。

 

「パスタのニョッキやラビオリと似たようなやつだ」

 

 すかさずイェーガーが助け舟を出してくれた。それならイメージが湧く。二人で「ああー」と言った。ようやくイメージがつかめた。

 

「具を包む皮から作るからな」

 

 フーシェンは楽しそうに言うけど、皮から…? それって初見殺しも同然じゃないか……?

 なぜかカウントと同じタイミングで首をかしげていると、「お前ら仲いいな」とフェンサーに言われたので、二人で「そうでもない」と同時に言うと、「そういうとこだよ」とスカルドに突っ込まれた。…そうか?

 

 あとから来た隊員たちはダンプリングを話のネタに、ご飯を食べ始める。

 去年の今頃、まだ出会わなかった人たち。人生が交わると思わなかった人たち。

 

 ──行っておいで。多分それがお前の旅になるから。

 

 国際停戦監視軍に行きたいという決断を後押ししてくれた父さんは、そう言って俺を送り出してくれた。

 旅の始まりは壮大じゃない。ベルカ系オーシア人であることや元ベルカ空軍の親族がいること、ノースオーシア州出身であること、ベルカというものから、物理的にも心理的にも少し離れたかった。

 それにあの大陸戦争の英雄、メビウス1に一目会えるなら会ってみたいというのもあったけど、なんだって都合よく解釈できるというのであれば、自分は彗星の導きで旅を始め、仲間と出会った。そう考えると、いきなり壮大な冒険譚になる。

 

 だけど地上に多大な被害をもたらした小惑星ユリシーズと違って、誰も死なない、なにも壊さない彗星に導かれてという始まり方も、そう悪くない。

 なんだかんだで、俺はカウントの((言|げん))を気に入り始めていた。

 

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   幕間1

 

 今日の懲罰部隊の主食は、オーシアでは一般的なペパロニピザ。厚手の生地の上に乗っているのはピザソース、スパイシーなドライソーセージのペパロニ、それにチーズ。味は可もなく不可もなく。

 基地で出されるピザは冷凍食品。それでもオーシアから大海を隔てて遠く離れた片田舎、ユージア大陸の東部海岸にポツンと存在するザップランドでは、ごちそうの部類に入る方だった。ピザは懐かしい故郷の味がするのだ。

 

「家では白ピザをよく食べたな」

 

 トリガーの向かいに座ったタブロイドが、なにげなく言う。

 

「白ピザって?」

 

 話しかけられたと判断したトリガーは、印象的な単語を使って聞き返し、会話を続けた。

 

「フラムクーヘンのことだよ。パン生地にサワークリームを乗せて、さらにベーコンとスライスしたタマネギを乗せる。シンプルなピザだね」

 

 なにかを思い出したように、トリガーは「ああ」とつぶやく。

 

「あの薄焼きピザのことか。ピザソースを使わないから、白いのが目立つやつ」

「それそれ。白いやつ」

 

 タブロイドは楽しそうに反応した。

 

「親戚の店のメニューにあったな。いくつかバリエーションがあった気がするけど、いつでも食べれるおつまみって感じだった」

 

 小腹がすいたときに適した軽食でもあったので、よく売れているらしく、トリガーも親戚の店に行ったときは好んで食べた。

 

「うちは母親がよく作ってくれた。いろんな郷土料理にチャレンジする人だったけど、ベルカの料理は懐かしかったんだろうな」

 

 タブロイドはベルカ系オーシア人だが、彼の両親はベルカ人だった。トリガーが前に聞いた話では、タブロイドの家ではベルカ料理が作られることが多かったという。

 

「うちは、父親がサピン風のピザも作ってくれたな。チーズを乗せないやつ」

 

 今度はタブロイドが「ああ」と言う。

 

「コカだろ。生地にオリーブオイルを練り込んだやつ」

 

 トリガーは感心した表情で「そう、それ」と答えた。

 

「よく知ってるな。オーシアじゃ珍しいだろ」

「子供のとき、いろいろな国や地方の料理を教えてもらったんだ。同級生やその親から」

 

 視線を落とし、タブロイドは過去に思いを馳せる。ピザと言っても、国が違えば料理法はさまざま。使う粉、生地の厚さ、ソースの種類もトッピングの材料も違う。

 

「住んでいる場所が違うと、食生活がまったく違うんだ。料理を知ると、その人の人生が見える」

「詩みたいだな」

 

 タブロイドはちょっと笑ってから、「詩人さんほどじゃないさ」と返した。

 詩人さんとはバンドッグのこと。懲罰兵の間での会話のオチとして、空中管制指揮官のバンドッグが引き合いに出されることが多かった。

 管制官という職業柄、バンドッグは任務中の懲罰兵たちと直接話すことが多い正規兵だった。それに、隙あらば勝手ばかりする懲罰兵たちの手綱を引くため、辛辣な言葉を使う人間でもあった。

 

 だが、ときに彼の罵倒は詩のようにも聞こえるため、懲罰兵たちは裏で詩人と揶揄することがあった。バンドッグ本人はそのことを知っているのかどうかは、懲罰兵の誰も聞かないから分からない。

 いずれにしろ、バンドッグのことを意味する隠語が出たということは、この話題は終わりであることを意味した。

 

 ((懲罰部隊|ここ))での会話の独自ルールに慣れてきたトリガーは、タブロイドとの会話は終了したと判断する。

 次は食事に集中しようと、オーシア風のピザをがぶりと噛んだ。

 

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 オーシアにおいて、バーベキューは食文化と呼べる規模の料理であり、なにより社交の一環である。それは軍部内でも変わらない、エトセトラエトセトラ。

 

「カウント、あと何個くらいいけそうだ?」

 

 ボウルに残っている具を見て「二十ってとこじゃないか?」と答えると、トリガーは「分かった」と具を丸い皮に包む作業を繰り返す。

 

 ロングレンジ部隊は個性的なメンバーがそろっているので、食が一つのコミュニケーションになっていた。任務が終われば隊員たちが連れ立って食事会をするし、休日には誰かがうちでパーティをやろうと誘って、料理パーティをするときもある。

 それはたいてい、空中管制指揮官のロングキャスターが言い出しっぺだった。食べるのも作るのも好きな奴なので、新しい料理に挑戦しているときは、パーティという名の試食会になる。

 ロングキャスターが言い出しっぺだと、((AWACS|エーワックス))の連中が来ることもある。そうしてちょっとした交流会になるわけだ。

 食が好きなロングキャスターがいるからってのもあるが、部隊でここまで頻繁に食事をするのは珍しい。

 

 最初、家族的な繋がりを持たせようとしているのかと思ったら、入れ替えが激しい部隊をコントロールするには、確かにこれが手っ取り早い方法だと気づいた。

 料理をすることで作業の手順、盛り付け方で性格が見えたりする。共同作業をすることもあるので、心なしか相手との距離が縮まり、会話の糸口も見つかる。

 懲罰部隊じゃ新入りが来ると、タブロイドが料理の話をしていたっけ。人間、なにかしら思い出の料理はある。それで話すきっかけがつかめるってやつだ。

 ロングレンジ部隊はパーティ形式だが、こういうノリが苦手な人間にとって、この手の付き合いは大変だ。

 

 でも私用があるときは断るし、それについてほかの奴らは表立って詮索しない。やりたい人間がやって、やらない人間はやらない。やらないことにとやかく言わない。途中で帰ったり、途中から来ても茶化さない。

 疑似家族としての結束を高めるというよりは、屋台のようだった。雰囲気は悪くない。

 それは前の中隊長だったワイズマン発案かと思いきや、意外にもトリガーの先代のストライダー1の発案だという。インシー渓谷で戦死した彼はお喋りでムードメーカーで、仲間思いだった。故人を知るフーシェンやイェーガーから、そんなことを聞いた。

 

 今回もいつもなら庭でバーベキューパーティになるところだったが、今日はフーシェン主催のようなもので、((ゆで団子|ダンプリング))パーティだった。

 なんでもオーシアにいる家族から、ラージィア…なんだっけ。こっちじゃ((ラー油|チリオイル))って呼ばれる調味料が、いろいろ送られてきたらしい。灯台戦争のあとは、宅配便も通常業務に戻った。

 「欲しいって言うと、いろいろなやつを詰めて送ってくるんだよ」とちょっと困ったような、嬉しそうな、そんな顔で言っていたから、多分家族仲は悪くない。

 

 なので今、チリオイル消費のために、こうしてみんなでダンプリング作りをしている。作り方はフーシェン直伝。作るのはゆでるタイプの((餃子|チャオズ))…だっけ? ユージアの食材やチャオズ作り初体験の俺たちに合わせて、アレンジが入っている。

 でも初体験でいきなり皮から手作りって、ハードルが高いような……。

 

 ……それで、だ。皮になる生地は、薄力粉と強力粉を一対一で混ぜて、塩は少々。水を入れながら、滑らかになるまでこねて丸める。

 生地を寝かせている間、刻んだキャベツと豚ひき肉に酒やらコショウやら、いろいろなやつで下味をつけて混ぜて、ねばりが出るまでこねる。

 具ができたら、次は寝かせた生地をクッキングマットの上に置いて、棒の形にする。それをマットのメモリを頼りに均等に切り分けて、((めん棒|ローリングピン))を使って円の形にしていく。

 

 ローリングピンといっても、両端にちゃんとつかむ場所があって、ローラーみたいにクッキーの生地を伸ばすやつとは違う。本当に棒ってタイプのやつ。

 今使っている調理器具のほとんどは、ロングキャスターの私物だった。料理が趣味なので、調理器具をいろいろ持っている。意外なところで役に立つ。

 

 伸ばした皮は打ち粉を振ったキッチンバットの上に置いて、ほかの皮とくっつかないように、さらに上から打ち粉を振る。ここまででかなりの作業。

 次は一口大の大きさの具を皮の中心に置いて、皮のふちに水をつける。具を包むように皮を二つに折って、両端をビタッとくっつける。

 ここでヒダってやつを付けてもいいし、適当にくっつけてもいい。フーシェンはそのへんにこだわりはなかった。とにかく中身を出すな。以上。

 

 具を包む作業の合間、「こういう量産タイプ、冷凍のやつ買うわ」とつぶやくと、トリガーは「分かる」と賛同した。

 

「今の冷凍食品っておいしいから、それで冷凍庫の中が冷凍食品で埋まるんだよな」

 

 今度は俺が「分かるわ」と賛同する。

 

「なんだ。息ぴったりじゃないか」

 

 いつのまにか量産された物を見て、進捗をチェックしに来たフーシェンが感心したように言った。二人で「そうでもない」と同時に言うと、フーシェンは「そうかい」と笑った。

 「どっちかゆでるの手伝ってくれ」と言われると、すかさずトリガーが「俺はあっち手伝うわ」と移動した。当然、残った俺がゆでるのを手伝うことになる。

 ……これは気を使われたってやつか? 多分そうだな。

 

「そんじゃ行きますか」

 

 フーシェンと手分けして、量産したダンプリングがぎっしり並べられたバットを持つ。

 トリガーが手伝いに行ったスカルドたちの方を見ると、向こうではロングキャスターが包み方の指導をしていた。いろいろな国のダンプリングの作り方を知っているので、フーシェンの助手みたいな形だ。

 

 みんなが具を包んでいるあいだに、フーシェンはスープを作っていた。ダンプリングはスープに入れるのが半分、チリオイルにつけるのが半分。

 鍋の中にたっぷり入れられた水はすでに沸いていたので、次々とダンプリングを入れていく。しばらくすると浮き上がってくるので、皮が透き通ってきたらすくって取り出す。俺は満杯になった大きな器を変えたり、取り皿に入れる器を「はいよ」と渡す係。

 ゆでている間は暇といえば暇なので、世間話をした。明日はアグレッサーとの訓練だ。参るぜ。トリガーを自由に動かしすぎると、逆にそこを見抜かれて、やられることが多いんだよなと喋っていたときだった。

 

「そういえばお前、なんであんなにトリガーに突っかかっていたんだ」

「…………」

 

 突然スッと差し込むように問われて、改めて考えた。

 なぜ俺があんなにトリガーに突っかかっていたかといえば、歩調を合わせているようで合わせていない。実はかなり目立つ。なりたかった自分がそこにいる。おそらくそういうものだ。

 ある日颯爽と現れて、難しい任務も軽々とこなして、華麗に活躍する。上からも下からも、すごい、強い、さすがだとちやほやされる。

 俺もそういうふうになりたかったんだと思う。

 

「カウント?」

 

 すぐに答えなかったので、答えをうながされるように((TAC|タック))ネームを言われた。

 

「考え中。もうちょっと待ってくれ」

 

 そう答えると、フーシェンは「ん」と返事をして、ゆでてすくい上げる作業を黙々と進めた。

 

 トリガーは腹の底をぺらぺら喋る人間じゃなかった。

 けれど、一緒に懲罰部隊からロングレンジ部隊に引き抜かれて、否応なしに付き合っていくうちに、見えてきた部分もあった。

 ベルカ系という見えない重しがあって、口答えをしないから、目をつけられて罪をなすり付けられた。そう思ったら、実はそうでもなかった。

 

 空戦が好きで、いろいろな機体を飛ばしたい。誰よりも速く飛びたい。今一緒に飛んでいる仲間を助けたい。ベルカ戦争の七つの核の惨劇を繰り返したくない。

 なすり付けられたのはそうなんだが、単純で、自分に忠実で、空が好き。命令どおりのことをこなすし、任務に対して余計なことは言わないが、グッと前に出る感じが強い。やれると自分が判断したらやり遂げる。

 

 ……多分そこが厄介なんだな。

 戦闘では、直感で動くことが多いように思えた。狩りを成功させることで群れの中の順位を上げていくような、そういう野性的な勘と強さがある。

 なんの因果か懲罰兵になっても、空を飛ぶことを奪われていないから大丈夫。生き延びさえすれば、まあなんとかなるだろう。そんな考えだったらしい。

 

 空軍に入ったことは後悔していないとトリガーは言った。「ただ、選んだって実感がなくてさ」とあやふやなことを言って、「それ以外は進んじゃ駄目って言われたことないし、そういうことじゃないけど、なんて言ったらいいかな」と言葉を濁された。

 一九九五年のベルカ戦争と二〇一〇年の環太平洋戦争を経て、偏見にさらされることが多いベルカ系オーシア人がまともな職に就いて働き続けるなら、軍人がいい。そういう考えもあったという。

 確かに、軍人割引や退役後の特典もあるしな。それは魅力的だ。

 

 トリガーは親族に元戦闘機パイロットがいて、ベルカ戦争の空の話を聞かされて育ったから、当たり前のように空に興味を持った。一般のパイロット免許を取った。高校卒業後は空軍士官学校に進んだ。

 「家業のように思えたんだよ」と言っていたから、進む進まないという考えそのものがなかった。自分も当たり前のように空軍に行く。多分そういう思考だった。

 そんなふうに早い段階から人生設計を立てて進んでいたら、元大統領の件で罠にはめられたように見えるが、俺から見ればそうでもない印象だった。

 

 ぽつりぽつりとこぼされる身の上話を総合すると、ある意味で、周囲の空気に流されていた。レールが敷かれていると思っていた。

 それが懲罰部隊に入ったことで、身ぐるみはがされた。ベルカ系オーシア人の戦闘機パイロットという事実だけが残って、ベルカという民族を巡る最悪な結末はタイラー島で知った。

 

 戦争終盤での、自律型無人機との戦闘のあとで俺が入院しているとき、トリガーは何度か見舞いに来てくれた。

 その後の無人機のことを聞いたら、例の無人機みたいなのは飛んでいないっていう話の流れで、「ベルカが作った物は、ベルカの血が流れる人間が倒すのかもな」と言われた。

 それはタイラー島でなにが起こったかを知ったとき、「どこに行っても血からは逃げられないんだな」とつぶやいたのにかかっている。

 

 垣根を超えて集まった有志連合は、どさくさにまぎれてエルジアから独立をもくろむ奴らもいた。戦争が終わっても、いろいろともめている。繋がれたのは一瞬。また国や民族という形に戻っていく。

 ロングレンジ部隊はパイロットとしての能力を一番に見て、そこで繋がっている。民族や性別、過去はオプション。

 だからあいつにとって、((ロングレンジ部隊|ここ))は居心地がいいし、いたいんだと思う。推測だが、多分合っている。「ここはダークブルーみたいなところだから、いいよな」と、ぽつりともらしたから。

 空気がある空と空気がない宇宙の狭間にある空間は、あいつには曖昧なのが許される場所と同じなんだろう。

 

 血の祖国のベルカと国籍の国のオーシア、どちらを選ぶのか。

 いつも周囲から、しかも無意識でそういう小さな選択を迫られていたら、そりゃ疲れるよな。大きな選択だって大変なのに。

 詐欺師だった自分が、まっとうな人間として振る舞うのを許されるのも、多分ここだけだ。どちらかというと、経歴のロンダリングに近いか。ハハッ。

 

 戦後はユージアに残ることで、トリガーは人生をはっきりと決めた。「決めたと実感したのは、これが初めてかな」とつぶやいて、「お前はなんで残ったの」と逆に聞かれた。

 「元詐欺師を雇うところがあるか?」と答えると、「それもそうだ」とトリガーは笑った。グレーゾーンな懲罰部隊にいたというキャリアを活かして、上層部とは持ちつ持たれつ、軍でやっていった方が無難。

 

「……そうだなあ」

 

 フーシェンがダンプリングをすくい上げて、チリオイル用の大きな器に盛りながら、「ん?」と答えた。

 

「ああなりたいこうなりたいって思ってるのを軽々とこなす奴がいたから、嫉妬したのさ」

「へえ」

 

 軽い答えに、思わず「それだけ?」と聞いてしまう。

 

「しかめっ面で考えていたと思ったら、((水餃|スイジャオ))…ああ、このダンプリングみたいにツルッとした答えが返ってきたから、乗り越えたんだと思ってさ」

「結局は、水面下で必死に足をばたつかせている鳥だったのさ」

 

 グワグワと声真似をすると、フーシェンが「なんの鳥だよ」と突っ込んだ。

 そのとき、「お待たせ」とフェンサーたちがバットをたくさん持ってきたので、軽くザッと見る。具がはみ出ているのは…ないな。一角を指差して「この部分トリガーだろ」と言うと、「なんで分かるの」とトリガーに驚かれた。

 

「見りゃ分かるだろ。個性出すぎ」

 

 具を包んだ皮のふちの形が、包んだ人によってバラバラ。新入りのテイラーが「うわ、ほんとだ」とまじまじと見ながら言い、「わーお」とランツァがいつもの口癖を言う。

 

「包む形は違っても、味は同じだろ」

 

 イェーガーがうまくまとめて、うしろでロングキャスターが「そうそう」と頷いている。

 つまり、うちはこのダンプリングみたいに、そういう部隊ってことだ。

 

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   幕間2

 

「またえらいことになったな」

 

 トリガーのつぶやきに、カウントは「俺は熱いシャワーを浴びたいぜ」と返した。

 サイクロプス隊が所属するニューアローズ航空基地は、島にあった。ユージア大陸東部の都市エキスポ・シティーの南東にあり、現在はエルジア支配地域に程近い。

 二人にとっては見知らぬ土地、見知らぬ基地であるものの、ザップランドに比べれば遥かにマシだった。

 

 懲罰兵の中でも護衛機として選ばれた二人だけは、第四四四航空基地の異動先のタイラー島に行くことなく、いわば勝ち抜けたようなもの。

 基地司令部要員の異動先、ユージア極東部の基地に降り立ったとき、二人の異動先は改めて辞令が下される話だった。トリガーは査問会議のやり直しが開かれるという話だったが。

 

 それが、たった数時間でなにが起きたのか。風向きは一気に変わった。

 当初、第四四四航空基地のマッキンゼイ司令官を乗せた輸送機、護衛機、((AWACS|エーワックス))は、エルジア領内にある親オーシア国ボルゴデレストで補給する予定だったが、急遽変更になった。

 

 ((SAM|サム))による攻撃、敵機の追撃は受けたものの、それらを排除し、ボルゴデレスト領にたどり着けると思った瞬間、謎の無人機が乱入した。その機体を撃墜したのはトリガー。続いて現れたのは、インシー渓谷でスペア隊が助けたサイクロプス隊。

 こちらの状況を説明したいというサイクロプス隊隊長ワイズマンの申し出により、ザップランドの一行はニューアローズに誘導された。この基地でも補給と整備が受けられると聞いたマッキンゼイは、仕方なくという態度で基地に降り立った。

 

 ほかの基地の司令として丁重に扱われたため、最初はマッキンゼイの機嫌は良かったが、いざニューアローズの基地司令と話し合ったら、みるみるうちに顔をしかめた。そんなことはトリガーとカウントが知る由もない。

 二人が教えられたのは、謎の無人機は敵の最新の試験機であることと、マッキンゼイは本人の華やかな戦果報告どおり、転属先が前線に変更になったこと。

 なぜそうなったかの詳細は教えられなかったが、なぜか二人の中で、ザップランドの実質的支配者であり管制指揮官のバンドッグが手を回した。そういう共通認識があった。

 

 一方、二人はニューアローズに留まることになった。

 試験機はサイクロプス隊が性能データの収集を予定していたが、トリガーが見事撃墜した。ニューアローズの基地司令ですら、誰にも撃墜できないと思っていたという。

 それがなにか影響をもたらしたのか。それもまた、二人が知る由もない。

 

 マッキンゼイの急な転属先変更にともない、輸送機の荷物の積み直しがおこなわれることになった。前線の基地に運ぶ物資も乗せるという。

 そのため、トリガーとカウントは自分の荷物を持っていけと言われた。私物はもっぱら基地で配給された物ばかりで、それほど多くはないが、かといって戦闘機に持ち込めるほど少なくもない。マッキンゼイが乗る輸送機の片隅に放り込まれていた。

 二人の私物が入ったダッフルバッグは、正規兵の私物の隣にひとまとめにして置かれていた。それを第四四四航空基地の正規兵が渡す。最初にトリガーが受け取り、次はカウントが受け取った。

 

「あとこれは餞別だ」

 

 カウントには小さな段ボールも一緒に渡された。カウントはトリガーよりも懲罰部隊にいた期間が長いため、正規兵たちの顔はある程度知っているし、言葉を交わしたこともある。

 

「向こうに着いたら売ろうと思ったが、輸送機を守ってくれた礼だ」

 

 カウントはいぶかしげに「なんだよ。あからさまにあやしいな」と言った。

 

「基地の備品だ。売れそうな物は私物扱いで持ち出したんだ」

「相変わらず看守殿はえげつないな」

「お前の減らず口ともこれでお別れだ。じゃあな」

 

 その後、ブツブツ文句を言うマッキンゼイを乗せ、輸送機は戦局の厳しい前線へと飛び立った。AWACSは当初の予定どおり極東部の基地へ転属となり、去って行った。

 トリガーとカウントの身柄は現在調整中のため、指示があるまで待機ということで、臨時的に二人部屋を割り当てられたが、牢屋生活と比べれた天と地ほどに違う。清潔なベッドと空間に、二人は上機嫌だった。

 

「コンポだと?」

 

 驚きと疑問が混じった声を聞き、ジャンケンでベッド上段を勝ち取ったトリガーは顔を出し、下段を見た。小さな段ボールから取り出されたのは、確かにコンポだった。

 

「なにそれ」

「餞別でもらった。基地の備品だと」

 

 即座にトリガーは「嘘だろ」と言う。

 

「嘘じゃねえ。輸送機を守った礼に、看守殿がくれたんだよ。そいつが売ろうとしていた物をくれたのさ」

「…それ、横領って言わないか?」

「命を賭けて基地司令殿にお仕えしたんだぜ? これくらいはいいってもんさ。あそこでの公共の備品は俺たちのもの。私物なら『((COMMANDER ONLY|コマンダー・オンリー))』なんてラベル、貼らないだろ?」

「……屁理屈ってやつでは?」

「どうとでも言え」

 

 カウントはさっそくコンポを設置し、起動した。

 

「おお、動く動く」

 

 ディスプレイに最初に表示されたのは、ノースオーシア・グランダーI.G.のロゴマーク。グランダーI.G.は軍需企業かと思いきや、多分野に手を出していた。次にユーザ名やらなにやらが表示される。

 ベッドから降りたトリガーが、「444AB?」とつぶやいた。表示されたユーザ名に興味をひかれたらしい。

 

「444って基地のことだよな」

「そりゃそうだろ」

「ABって?」

「アルファベット順で適当に入れたんだろ?」

「いや。マッキンゼイの名前」

 

 二人は考え込み、視線を合わせると、首をひねった。同時に「AB?」と声を出す。

 トリガーが「正規兵のフルネーム知ってるか?」と言うと、二人でなにかに気づいた表情をする。カウントは「知らないな……」とつぶやいた。

 そもそも名前を聞く雰囲気でもないし、知ろうともしなかった。大体は名字かあだ名、((TAC|タック))ネームで呼ばれていた。

 

「でもマッキンゼイ、Aは合って……いや違う。Dだ。名前はDから始まる…はずだ」

「だけど洒落た感じで、なんとかB・マッキンゼイって言わなかったっけ?」

「それって懲罰兵の奴らの与太話だろ? お前たちに由緒正しい名前を覚えられたくないとかなんとか言って、酒の肴になったやつ」

 

 懲罰兵たちは由緒正しい名前とやらを想像し、アレクサンダー・ベンジャミン・マッキンゼイなどと長い名前を作って笑っていた。

 二人はまた首を傾げるが、カウントが「それより、どんな曲が入っているか確かめようぜ」と手をひらひらと振って話題を変えた。

 トリガーもマッキンゼイについてはなにも言わず、コンポを操作すると、「…えっ」と驚いた。「どうした」とカウントがディスプレイを見る。

 

「リミックスって……クラブ系の曲ってことだよな?」

 

 今度はカウントが「えっ…!」と驚き、慌てて再生させる。流れてきた曲は、夜のクラブで若者たちが踊るのにぴったりのダンスナンバー。

 

「あいつ、音楽の趣味はいいな……」

「てっきり昔のポップスが好きだとばかり……」

 

 二人は渋い顔をしたあと、同時に「マッキンゼイがクラブ系!?」と間の抜けた声を出した。

 

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 床に古新聞を敷いて、その上に椅子を置く。ヘアサロンで散髪するときに着せられるケープみたいなやつはないから、大きなビニール袋に頭を出す穴を作って代用すると、それなりの格好になる。

 それから椅子に座ると、『((COMMANDER ONLY|コマンダー・オンリー))』のラベルが貼られたコンポが目についた。確か、前にいた部隊の備品を譲られたって話だった。

 

「フーシェン。本当にいいのか」

「いいんだ」

 

 今カウントが手に持っているハサミはセルフカット用のもので、ヘアサロンに行けないときの手入れのために、私が買って持っていた物だ。

 髪を切られる方のこっちに迷いはない。むしろ髪を切る方のカウントがためらって、緊張している。

 

 ((水餃|スイジャオ))パーティでカウントが一人でいたとき、普段と同じ会話のノリで「髪を切ってくれ」と頼んだ。「髪って、あの髪か」と聞かれたので、「ああ、この髪だ」と自分の黒髪をつまんでアピールした。

 「素人の俺が切るのか? ヘアサロンに行けばいいじゃないか」とうろたえたので、「お前に切ってほしいんだ」と強めに言って、心理的にカウントを押し切った。それで、なんだかんだでカウントの部屋で髪を切ることになった。

 

 灯台戦争が終わって、私とカウントの距離は近くなっていた。かといって恋人同士でもない。家族のような関係というには少しばかり微妙な、友人以上恋人未満のような、曖昧な背中合わせの関係だった。

 

「あとでプロに綺麗に整えてもらうから、ざっくり切ってくれ。これは断髪式ってやつだ。気分転換にもちょうどいい」

「断髪式って、やっぱり覚悟が必要なやつじゃないか」

「……前にお前が言っただろ。俺たちは昔会ったことがあるかもしれないって」

「言ったな。それで記憶のあるお前が、その時のことをいろいろ教えてくれた」

 

 カウントは少年時代、友達と一緒にちょっと過激な冒険をした。不良の溜まり場の噂がある街外れの廃工場へ度胸試しに行って、そこでちょっとした事件に巻き込まれた。

 先に友達を逃がしたカウントは誰かと一緒に逃げ回って、なんとか廃工場の外へ行けた。そのあとは緊張の糸が切れたのか、熱を出して寝込んで、一部の記憶が霞がかっていたらしい。

 

 似たような状況は最近も経験した。軌道エレベーターの真下に胴体着陸をしたときに怪我をしたので、救出されたあとは入院した。そこで安心したのか、緊張の糸が切れたのと疲労が同時に来て、熱を出した。

 そこで霞がかった記憶が少し甦って、それを私に話した。記憶を失っていない私はカウントの話を聞いて、あの日の出来事を思い出した。

 私が十代だったころ、軽犯罪をやる若い連中のグループに入っていたこと。ボスの命令で、大人をゆすって金の受け取りをしていたこと。取引場所に廃工場をよく使っていたこと。取引に失敗したとき、偶然そこにいた普通の子と一緒に逃げ回ったこと。

 

 あの日の子供が目の前にいる人間だと知って、二人で驚いた。カウントはぼんやりした記憶が補完されて、私はあのキラキラした子が斜に構えた大人になっていたことに、不思議な気持ちになった。

 

「だから、切ろうと思うんだ」

「途中経過をすっ飛ばすな」

「いつか会おうなって言ったろ? それを思い出して…なんとなく、願いが叶うまで髪を切らないっていう願掛けをしたんだ」

 

 過去のカウントはそう言ったけど、あいにく本人はそのへんの記憶がなかった。

 

「願掛けって、うしろの髪だけ伸ばすのか?」

 

 前髪は切りそろえているから、確かにそのへんは気になるよな。

 

「さあな。これでも手入れはしていたし、伸ばしっぱなしじゃない」

「それでよく願い事が叶ったな」

「誰にも願い事を言わないってルールがあるらしい。それが良かったんだろ」

「連絡先も交換しなかったじゃないか」

 

 おたがいの名前を聞くのは、私が拒否した。会ったきっかけが犯罪絡みだったから、あくまで偶然出会った他人という体裁を保ちたかった。

 

「だから言ったろ? なんとなくだ」

「俺はあのあと、熱を出して記憶が一部飛んだし……なんだか悪いことしたな」

「お前、あの時から変わらないんだな。胴体着陸したあとに入院したときも熱を出したし」

「そういう体質なんだよ。繊細な貴族なんでね」

 

 ここでいいか、そこでいいとやり取りをして、カウントはジャキッとハサミを入れる。

 

「なあ。なんで、なんとなく願掛けしたんだ。初恋ってわけでもないだろ」

 

 軽い口調で聞いてから、またジャキリと髪を切る。

 

「普通、だったからかな」

「普通って、なにが」

「私からすればお前は普通の子で、そいつとした約束は初めての普通で、それで、なんとなく」

 

 なんとなく、言葉を濁す。多分その普通が宝石みたいな、大切な宝物に思えたから。

 カウントは優しい声音で「そうか」とだけ答えて、黙って髪を切っていく。

 

 普通を手に入れるために、私は必死に努力した。声が大きくて暴力で解決する世界にいたから、そういうことはしないように注意した。自分の力量が分かっても、そこで諦めなかった。上を目指した。そうやって普通を手に入れた。

 その普通を、普通の世界の住人だったカウントは捨てた。詐欺師になって罪を犯した。懲罰部隊というところに放り込まれたのは、カウントから聞いた。まだ全部は聞いていないけど、そういうことも話してくれるくらいは、距離が近くなった。

 おたがい、生まれ育った環境とは真逆。私は努力を重ねて普通を手に入れて、カウントは自分から普通を捨てなければ、もう一度出会えなかった。運命の不思議っていうより、奇妙さだな。

 

 カウントが最後のハサミを入れ終えて、ミディアムの長さになる。やっぱり髪型が違うと、頭の重さがいつもと違う。

 

「次はショートにするのか?」

「伸ばすかな。ショートを保つのは意外に面倒だ」

「違う願掛けでもするか?」

「考えておく」

 

 二人でヘアサロンごっこの後始末を始めた。ケープ代わりのビニール袋は切って脱いだあと、小さくまとめた。ハサミはケースに入れて、私のバッグにしまった。

 床に敷いた古新聞と、その上に落ちた髪の毛を始末していると、カウントが「なあ、サプライズパーティやらないか?」と話しかけてきた。「なんの」と聞き返すと、「ほら、基地でそろそろ誕生日の奴がいるだろ」と言われる。

 

「毎月いるだろう」

「要は息抜きだよ、息抜き。((ロングレンジ部隊|おれたち))は個人的にバーベキューだのなんだのをよくやってるけど、ほかの連中はそうでもないだろ」

 

 ちょっと考えたあと、「まあな」と返事をする。

 

「あとトリガーとスクラップ・クィーンを、少しくらい外に出してあげてもいいんじゃないかってな。マスコミ対策だから仕方がないが、基地に軟禁同然だろ」

「…いいことを思いつくじゃないか」

「髪を切る前に、お前が気分転換って言ったろ。それで思いついた」

「へえ」

 

 古新聞に落ちていた髪の毛を一房つまむと、わざと芝居がかった動作で、うやうやしくカウントの目の前に差し出した。

 

「それでは、良いアイデアを思いついた伯爵殿には、褒美にわたくしの髪の毛を与えましょう」

 

 「髪の毛?」と不思議そうな表情をされる。

 

「冗談だよ。髪の毛はお守り代わりになるって話だからさ」

 

 切られた自分の髪の毛を改めて見ると、結構長かった。

 

「……ああ。これなら伸ばすだけ伸ばして、寄付すりゃ良かったな。医療用のウィッグってやつ」

 

 「ちょっともったいなかったな」とつぶやいてから髪の毛を捨てようとすると、カウントは私の手を軽く握った。髪の毛の房を引き抜いて、優雅に一礼する。

 

「ご婦人から贈られた品を断るのは、紳士としてはあるまじきこと。ありがたくちょうだいいたします。これをお守りとして懐に忍ばせれば、弾丸もはじきましょう」

 

 私よりもえらく芝居がかっていて、しかも似合っているから思わず笑った。

 

「そういう口説き方で引っかかる女、いるのか?」

「意外にいるぞ?」

 

 ひとしきり笑ったあとで、自分もわざとらしく一礼する。

 

「では、わたくしの髪の毛が伯爵殿をお守りすることを、切に祈りましょう」

「でしたら次は、それを願掛けにして髪を伸ばしてくださいませんか」

 

 切り口がそろっていない髪の毛を指先がさらりと撫でて、まるで映画の中のスターみたいに微笑む。詐欺で懲罰部隊に行ったって話だけど、絶対恋愛詐欺だなって思った。

 でも、髪の毛を切らせてさわられてもいいくらいには、カウントのことを好ましいと思っている。

 

 じゃあ、この好ましいという感情は、前とはどれくらい違うんだろうか。弟みたいで、家族のようなと言い切るには微妙で、少しは違う方向に傾いているんだろうか。

 自分でも黒白はっきりつけたい性分だと分かっているが、カウントに限って言えば、なにかが少しずつ傾いていくのは悪くなかった。

 

「いいこと聞いた。そうする」

 

 小芝居から素に戻って返事をすると、カウントが軽く驚いた表情をした。

 

「でも、そういうのは人に知られたら叶わないんじゃなかったっけ?」

「だったら黙っていてくれ。それなら叶う」

「え?」

 

 また驚いた表情をしている間に、「じゃあな」とチークキスをして別れた。

 

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   幕間3

 

 正規兵がいる棟に行くと、懲罰兵がいる棟よりそこそこ綺麗なので、格差を実感する。アビーことエイブリル・ミードは目当ての部屋に行き、ノックをした。

 

「バンドッグ、いるか?」

 

 兵士ではないので、上官に対して敬礼もなにもしない。そもそも懲罰兵は上官に対しても慇懃無礼な態度を取る。大差はなかった。

 呼ばれた当人はいつものことなので、そんなことは気にせず、「どうした」と返事をする。

 

「あんたに許可を取れって言われたから、ここに来た」

 

 基地の人間たちはなにを思っているのか、実務的なものに関しては空中管制指揮官のバンドッグに許可を求める。彼とは関わりない業務も丸投げされている状態なのだが、それを基地司令のマッキンゼイ大佐は正す気がない。

 実質、軍刑務所のような第四四四航空基地を回せる人間が回している。そんな状況だった。広大な空き地に滑走路の絵を描き、見栄えのする張りぼてを並べ、ちゃんとした正規軍に被害が及ばないための緩衝材代わりの欺瞞基地は、司令官も形ばかりの存在。

 

「脱走の反省文の提出なら、俺のところじゃない」

 

 アビーには目もくれず、バンドッグはモニタを見たまま答える。

 

 腕を買われたと言えば聞こえはいいが、アビーは拉致同然でユージア大陸東部の僻地、ザップランドにまで連れてこられた。そこでアビーと共に運ばれたモスボール機体でダミーを作れと言われたが、従う気のないアビーは脱走を繰り返した。

 そのたびに犬を放たれて捕まり、営巣に入れられたが、今ではちゃんと機体の整備をしている。毎日爆撃してくるエルジア軍に形ばかりの反撃をするため、本物の基地らしく、戦闘機を飛ばす必要があったからだ。

 

 整備兵からは「兵士じゃないお前が一番役に立ってる」とさえ言われたが、それは褒め言葉なのか皮肉なのか、アビーには判別がつかなかった。実際、この基地で一番腕がいいのはアビーだった。

 ダミーを作りながら飛ばせる機体も組む。パイロットの懲罰兵からも整備に関する評判は良く、アビーは一目置かれていた。

 

「今は嫌味は勘弁してくれ。話は向こうに並べる張りぼてのことだ」

「それがどうした」

「整備兵の奴らが塗装したいんだと。昔有名だった機体のカラーの真似をしたいってさ」

 

 それを聞いたバンドッグは、顔の向きをアビーがいる方に変えた。興味を引いたようだった。

 

「そのままでいいだろう。金の無駄だ。塗料も馬鹿にならん」

「なんだかんだであの人たちも整備兵なんだよ。動かせる機体が出て、やる気が出たみたいだし、塗装でやる気が維持されるなら…あたしにはありがたい。こう頻繁に爆撃されたら、一人で整備するのも限界がある」

「……一理あるな」

「あと、昼間から酒や博打に明け暮れるよりいいだろ?」

 

 この基地には新品と呼べる物はない。これが欲しいと要求すれば融通されるが、すべてがどこかの基地に眠っていた型が古い物か、誰かが一度使った中古品。

 上からは都合のいい最終処分場と思われているらしく、余計な備品も送られる、もとい押し付けられることがあった。今は塗装に関する備品が多くあり、下手に横流しして売りさばかれても困る。

 途中で塗料が尽きても、しょせんは張りぼての機体。未完成でも構わなかった。それらしく見えればいい。

 バンドッグは少し考えたあとで「いいだろう」と答えた。

 

「ただし、ちゃんとオーシア軍のカラーにしろ」

「努力する」

 

 その答えにバンドッグは最初から嫌な予感がしたが、せっかくやる気が出たのに止めてしまったら、不満が爆発する。とりあえずやらせてみることにした。そもそも機体の管理は自分の仕事ではない。

 バンドッグ、すなわち基地上層部から許可が出て以来、((格納庫|ハンガー))ではどの機体にどの色を塗るか、どのデザインでするかで盛り上がっているらしく、食堂に来る整備兵たちの顔は明るかった。

 

 それからバンドッグが忘れた頃に、塗装が終わったという噂を耳にしたので見に行ってみたが、眉間に思いきり皺を寄せた。

 二十四年前のベルカ戦争で名を馳せた、そうそうたるエースパイロットたちの機体カラーがずらりと並ぶ。今となっては神話のごとき存在。

 ベルカ戦争が起きたとき、バンドッグはまだ十代だった。敵国といえど華やかで誇り高く、強いベルカのエースパイロットたちに魅了され、雑誌やテレビで彼らの機体を夢中になって見た。

 整備兵たちが真似をした塗装は、機体はさすがに型を合わせるとまではいかないが、塗装デザインをちゃんと合わせ、見事に復元できているのもある。

 

 しかし、円卓の鬼神と呼ばれたウスティオの傭兵パイロットのエンブレムの位置は微妙。藍鷺と呼ばれたベルカ貴族の末裔が使ったカラーリングの機体は、酔っていたのかなんなのか、尾翼に描かれたベルカ国旗が二重になっていた。

 とはいえ、この基地の仕事としては上出来な部類に入るが──。

 

「オーシア軍のカラーにしろと言っただろう。うちはベルカ軍じゃない。やり直せ」

「このままでいいんじゃないか? どうせ置いておくだけの代物だ。攪乱できるだろ」

 

 アビーがあっけらかんと言うので、バンドッグは大きなため息をついた。

 バンドッグと直接話をしたい懲罰兵はあまりいない。そのため、緩衝材として恐れを知らないアビーが前に出ていた。

 

「それはエルジア軍の場合だ。これはベルカ軍。意味がない。下手に国際問題を起こしたあとで、味方から怒りの的撃ちでもされるか?」

 

 離れた所から、「いい出来じゃねえか、もったいねえ」と聞こえる声で文句を言われる。

 

「だったらせめて国旗をオーシアに直せ。それくらいなら妥協してやる」

 

 今度は「めんどくせえ」という声が飛んできた。

 

「できるのかできないのか。聞きたい答えはそれだけだ。それ次第で、ここに回ってくる備品の量が変わるぞ」

 

 バンドッグは大声で整備兵たちに向かって言う。

 アビーはうしろを向くと、整備兵たちは渋々頷いたり手を挙げた。それを総意と見なし、「できるってさ」とバンドッグに通訳する。

 整備兵たちを取りまとめているのは一番若い女性のアビーらしいことを察し、バンドッグは「お前は整備隊長になったのか」と聞いた。

 

「ただのメッセンジャーだよ。それを言うなら、あんたはここの司令官なのかって話だろ?」

 

 実質基地を仕切っているという噂の管制官は、鼻で笑い飛ばした。

 

「どうせ張りぼての機体だ。せいぜい賑やかしてやれ」

「了解」

 

 バンドッグが出て行くと、整備兵たちは国旗を描きかえるために動き始めた。

 

 どうせエルジア軍に爆撃されてすぐに壊れる。バンドッグはそう踏んでいるが、結局許可を出してくれた。なんだかんだで暇潰しを許すあたり、おそらく根はいい奴なのだろうとアビーは考えたが、根がいいだけなら、捨て駒扱いの収容所には来ないのだ。

 なにかやらかして飛ばされたか、目的があってここにいるか、純粋に運が悪いか。

 不運の掃き溜めのような場所でも、やることがあると気がまぎれるのは確か。小さく息を吐いたあと、「あたしはどれをやればいい」とアビーも仕事の輪に加わった。

 

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   4

 

「──っていうことがあってさ」

「本当に再現したのか?」

 

 買い出しが終わって無言で歩くのもなんだったから、懲罰部隊時代にベルカ戦争当時の機体カラーを再現した話をトリガーにした。

 

「したさ。やたらと塗装の備品はあったから、楽しそうにやってたよ」

「でも、俺があそこにいたときはなかったよな?」

「……ああ。全部エルジアの爆撃でやられた」

 

 見せかけの滑走路の近くに置いた張りぼてはエルジアのいい的になって、あらかた壊された。

 トリガーの伯父さんってのは、ベルカ戦争で活躍したエースパイロットという話だった。有名なのはひととおり再現したはずだから、梟と呼ばれた彼の部隊の機体カラーもあったはずだ。

 でも、スマホもデジカメも、正規兵じゃない奴が持つのは厳禁だったから、あの機体の光景は記憶の中にしかない。

 

「一分の一サイズか……。できれば写真撮りたかったな。出来は良かったんだろ?」

「まあな。いい感じで再現できてたよ」

 

 両手の荷物を持ち直すと、トリガーが「持つか?」と聞いてきた。

 

「これくらい持てるさ」

 

 ──じゃ、トリガーとスクラップ・クィーンが買い出し担当な。

 

 灯台戦争を一緒に戦った地上スタッフが誕生日だというので、ささやかなパーティをしようと周囲が画策した。

 くじ引きに負けたあたしとトリガーは、軍資金という予算が入った財布をフーシェンから渡され、ショッピングモールにまで買い出しに出かけていた。

 が、くじを作ったのはカウントだ。送り出すときの笑顔を見るに、なにか仕掛けたな。なにせカウントが懲罰部隊に来た理由は詐欺だ。

 

 有志連合結成のきっかけとなった電子メールを送ったあたしと、アーセナルバードだけでなく、最強の無人機とも言うべきフギンとムニンをも撃墜したトリガーは、実名は伏せられても有名なあの人という存在になってしまった。

 特にあたしは動画配信で顔が知られているので、基地の外に出るときは帽子を目深に被って、伊達眼鏡をかけた。男性寄りの格好をしてカモフラージュすると、意外に分からないらしい。

 徴用されたとはいえ、一般人であるはずのあたしが軍に参加した経緯、さらにトリガーの経歴を表に出そうにも正規とは言いがたいし、すべてが華やかとも言いがたい。どこかしら暗い側面に引っかかる。

 

 取材を申し込んでくるマスコミは軍がブロックしていたが、この基地にいるのでは、あの基地にいるのではと噂を聞きつけて、周囲をうろつくパパラッチもいる。

 そういうネタを追う記者向けに、餌になりそうな適当な噂を流して、彼らがいない隙を狙って、おそらくカウントが息抜きにあたしたち二人を外に出した。

 

「サプライズパーティだなんて、喜ぶのか?」

「パーティをやりたい人たちがいるんだろ?」

 

 あたしは眉をしかめて、「騒ぎたいだけか」とため息をついた。

 

「基地の外で不用意に喋るな、ネットに書き込むな…っていうのは基本だけど、それなりにガス抜きが必要ってことだろう」

「メンタル管理ってことか」

「そんでこっちもメンタル管理したいんだけど、帰る前にコーヒーかなんか飲もうぜ。荷物持ちとしては、弾薬補給を提案したい」

 

 弾薬補給とは、すなわちおやつ。

 

「いいね。買い出しの金でケーキ食べよう」

「そこは財布を分けない?」

 

 トリガーが疑問を口にするけど、あたしは「それくらい許されるだろ」と涼しい顔で言う。その答えにトリガーは笑ったので、あたしはそれを肯定とみなした。

 コーヒーショップに行く道すがら、冷やかしでホビーショップに寄る。両手がふさがっているトリガーは「商魂たくましいな。ほら」と、自分が乗る機体のプラモデルが飾られているショーケースを顎で指した。

 

「なんか光ってるぞ? すごいな」

 

 スタッフが書いた手書きのポップを見て、「……蓄光塗料?」と首をひねったので、「日光や電気の光をたくわえて、暗い所でも光るやつだ」と説明してやった。

 トリガーは「へえー!」と感心しながら、プラモデルの箱を見た。垂直尾翼には爪によって切り裂かれた三本線の絵と、銃を加えた狼の絵が描かれている。試しに「買うか?」と聞いてみた。

 

「一分の一サイズがあるのに?」

 

 確かに、基地には本物のトリガーの機体があった。「だな」と軽く答えた。

 

「だけど、よく見てるな」

 

 プラモデルの箱をじっくり見ながら、トリガーは面白そうに言う。

 

「どこかで誰かが撮っていたんだろ」

「こういうのは、よく見てるんだな」

 

 つぶやかれた言葉に、ハーリング元大統領の件のことだと直感した。

 大統領の任期を終えてからも、死んでからも、支持者が増え続けるビンセント・ハーリング。大国間の戦争をうまく手打ちにした、理想の善き指導者。

 そうだとしても、彼は戦争が起きるのを止めることができなかった。父さんが死ぬ前に停戦させることができなかった思いが、今もあたしの心の底でくすぶっている。

 

 オーシア国内でハーリングに批判的なことを言うのは、正直危険な行為だった。ファンからは熱弁を振るわれて、なぜお前はあの人の良さが分からないのかと逆に責められる。いわゆる痛い目にあって以来、さすがにそのへんは注意して喋るようになった。

 灯台戦争を経験して、ハーリングへの恨みが筋違いだとようやく分かったとしても、全部納得できたかというと、それは難しかった。多分、ずっとハーリングに対して、複雑な思いをいだき続ける。

 

 あたしのそれと同じように、トリガーもオーシアという国に複雑な思いをいだき続けていて、めったに口には出さない。

 カウントは「喋るようになったぜ」と言うが、あたしからすれば、戦争中も戦後も普通に喋っているように感じた。任務中は無駄口を叩かないらしいが。

 さっぱり意味が分からないので、「危ないこともペラペラ喋るようになったってことか?」と聞けば、「隙のある喋り方をするようになった…ってとこかな」と含んだ言い方をされる。おそらくカウントも説明しづらいのは察した。

 

「お、ピルグリム1号じゃん」

 

 トリガーは嬉しそうに宇宙船のプラモデルの箱を見る。意外な一面を見て、あたしは興味深げにトリガーの横顔をうかがった。

 

 この前、環太平洋戦争の機密文書が全部とは言わないが公開された。それによれば、ベルカ強硬派の残党がいた。しかもその組織は、今度の戦争にも関わっていたというニュースが出た。

 そうなるとベルカ人やベルカ系への批判が起こったが、当時のオーシアとユークの腐敗事情もどこからかリークされた。情報の出所は……察しろってことだな。

 ベルカ政府もすかさず、今も彼らを追っているとアピールした。灰色とかいう連中の中には、終戦のどさくさにまぎれて美術品を持ち逃げした奴がいるらしい。…そういえばそんなドキュメンタリーがあったな。

 

 風評で聞くベルカ人と違って、実際のベルカ人やベルカ系は普通の人間で、全員が全員、陰謀が大好きなわけじゃない。

 それでも、小さいころから染みついたものはすぐに取れない。自然に揶揄する言葉が出てくる。相手が笑顔で流してくれても、あたしをどう見ているのかと肝が冷えるときがある。

 個人として付き合うならなにも変わらないのに、属性がつけられて、それが見えた瞬間、違うグループの人間だと意識する。区別する。それが行き過ぎると、揶揄してもいい対象として笑う。

 

 あたしが知っているベルカ人に対する知識や認識は、普通のオーシア人と変わらない。ベルカ系がいても、たいていの彼らは優秀で、中流以上に属している。あるいは政治的に過激。

 タブロイドは後者だったが、トリガーはその他大勢のベルカ系と変わらない。ベルカ系と知られるのを嫌って、名字をオーシア風の呼び方に変える人たちもいる。オーシアという祖国に忠誠を誓う努力を、彼らは重ねている。

 

「買ってくか」

「ピルグリム?」

「ああ。それに三本線を描く」

 

 トリガーはちょっと驚いた顔で「宇宙船に?」と言った。

 

「かっこいいだろ? 独自塗装」

「だったら三本線のも買って、デカールもらったら?」

「パーツ取りか」

「そういうこと」

 

 最後の無人機との戦いが終わったあと、機体性能ぎりぎりの高度限界まで飛んだトリガーに、あたしは空が何色か聞いた。帰って来てから、トリガーは「空気がある世界の色だった」と答えた。

 ダークブルー。大気があるぎりぎりの世界を示す色。「宇宙と空の狭間みたいで、いいな」という答えへの、奇妙な共鳴。

 

 戦争が始まったころは軌道エレベーターを壊すという案もあって、宇宙への道は絶たれそうだった。

 でも軌道エレベーターを壊さないことによって、小惑星ユリシーズという災厄をもたらした暗い宇宙は、夢と希望にあふれた人類の次なるフロンティアとなった。

 

 そういえば、オーシアが宇宙を目指すための計画で、当時としての最長や最高の記録を打ち出したのは、移住してきたベルカ空軍の元エースパイロットだったっけ。

 ピルグリム1号の帰還ニュースで、軌道エレベーターの公社に転職したその元エースが、管理職として会見場にいた。キャスターがその人物の過去の経歴を喋ったので、頭の片隅に残っていた。

 

 電力供給だけでなく、宇宙港にもなる軌道エレベーター。その第一号の帰還船になったのがピルグリム1号。

 あの元エース、ハーリングに直接声をかけてもらって、公社に引き抜かれたんだろうか。それとも環太平洋戦争のあとはオーシアにいづらくて、自分から公社に行ったんだろうか。

 まあ、そのへんはあたしが知っても知らなくても、いいと言えばいいんだが……。

 

 あたしが…主語を大きくするならごく普通のオーシア人が、陰謀好きと揶揄するベルカの血を継ぐ人間たちは、自分たちと同じように生きている。そこにいる。あるいは死ぬ。変わりはしない。

 

「っていうか、金は足りるのか? なかったら買えないぞ?」

 

 ちょっとした沈黙のあと、トリガーは「ない」と少しつらそうに、だがきっぱりと答えた。

 

「じゃあ、お預けだな」

 

 残念そうに笑うと、トリガーも同じような笑みを浮かべて、ホビーショップをあとにする。ピルグリム1号のどの位置に三本線のデカールを貼るかで、二人でああだこうだと喋りながら歩く。

 

 懲罰部隊がタイラー島に着いた時も、あたしは一緒に異動したタブロイドと歩きながら喋った。

 島で展開しているオーシア軍は、まだ攻略すらできていなかった。しかも通信衛星はダウンして戦場は大混乱。タブロイドは場の雰囲気をやわらげるために、子供時代に体験したという馬鹿話をした。

 今思えばその話は嘘だったかもしれないし、昔読んだという冒険小説のエピソードだったのかもしれないが、元気すぎる男の子がやる行動は大馬鹿で滑稽で、だからこそ笑えた。

 

 そのタブロイドは、戦争の最後に死んだ。

 

 あたしは、自分が怒っていたのはハーリングじゃない。父さんだと気づいたのは、タブロイドが墜落してくる無人機から子供を助けて、かばって亡くなったときだった。

 まだ子供だった自分を置いて戦死した父さんへの、恨みのようなもの。

 家族だから、亡くなったから、父さんを責められなかった。責めるのはいけないことだと思った。心にブレーキをかけていた。

 今ならその感情を見ることができる。言葉にできる。父さんが戦友のために命を賭ける気持ちは分かった。

 

 だけど、置いていかれる家族の気持ちは。その方向は。その先は。

 ねえ父さん。なぜあたしたちを選んでくれなかったんだ──。

 あたしの中でフッと真っ暗ななにかが差し込んで、会話の声の力が弱くなった。

 

「アビー」

 

 トリガーは優しく語りかけてきて、「やっぱりパフェにしようか」と喫茶店の前で立ち止まる。

 

「買い出しの金で、一番ゴージャスなやつを食べよう。それくらいはまだ残ってる」

 

 彼は今の自分の暗いなにかを、おそらく知っている。分かっている。

 でも口には出さない。踏み込まない。暴かない。近寄っていい距離まで来て、ただ寄りそう。

 それは夜の灯台の光が遠くから届いて、地上を照らし出すようで、月の光にも似ている。今のあたしには心地良いものだった。

 

「……財布を分けないのかよ」

「お手当だよ。お手当」

 

 ぎこちなく微笑んでから、「季節のフルーツもりだくさんのやつ食べようぜ」と先に店に入った。トリガーも微笑みながら「はいはい」と二度返事をする。席に座って注文を終えると、今度はピルグリム1号の塗装の色をどうするか話し合う。

 

 正直、今のトリガーに対する気持ちは、いろいろなものが混ざっていて、まだそれぞれの側面が見えない。これと明確に言えるものはない。

 友情以上恋愛未満なのかもしれないが、宇宙と空の狭間のような空間と色、その曖昧さは、今の自分たちとの感情と関係を示しているようで、嫌いじゃなかった。

 そう。あえて言うなら、嫌いじゃない。多分、今はそれでいい。

 この暫定的な答えは、あたしにとって悪くなかった。

 

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   5

 

「カウント、見ろよ。ほら」

 

 そう言って、トリガーは型の古いフライトジャケットを見せに来た。

 

「それがどうした」

「うしろ」

 

 ひっくり返すと、うしろには白ペンキでべったり塗られた三本線。ザップランドで支給された物だと一発で分かった。フライトジャケットは遠くからでも正規兵が見分けて管理しやすいように、背中に罪線が塗られたからだ。

 あの辺境に来たのは懲罰兵だけじゃなかった。機体、衣類、備品。とにかく中古品と余り物が次々と集まった。新品なんてありゃしない。監視カメラも車のダミー風船も、全部よそから回ってきた中古品か、倉庫に眠っていた余り物。

 服は仕分けする正規兵が適当にまとめて、これがお前のだと俺たち懲罰兵に適当に支給した。

 

「俺があそこにいたのは夏だったから、結局これを着なかったんだよな」

 

 トリガーは意外に楽しそうだった。本当にこいつは図太いな。まあ、いたのは一か月くらいだしな。ギャンブルの鴨にされなかったし、暴力沙汰にも巻き込まれなかった。

 

「今でも着るには暑いけどな」

 

 司令のマッキンゼイの護衛任務をやったとき、俺たちの私物はマッキンゼイが乗った輸送機と一緒に運ばれた。私物といっても、あの基地に放り込まれた日に支給された物がほとんど。あとは酒に煙草。まともな私物なんてありやしない。

 俺とトリガーがどこに異動するかは、護衛任務が終わったあとで改めて命令が出るとかなんとか言われたが、途中で無人機に遭遇したり、ニューアローズに行くことになったり、いつのまにかマッキンゼイは違うところへ異動したりしていた。

 

 予定は大幅に狂ったが、俺たちの私物はどこかに紛れ込んで消えることなく、ちゃんと俺たちのところに戻った。

 使える物は引っ張り出して使ったが、あからさまに懲罰部隊の物だと分かるやつは、ザップランド以外では使いにくい。分かる奴は分かる。奥に突っ込んでそのまま忘れていた。

 まともな私物は、懲罰部隊に行く前に没収された。それがちゃんとどこかで保管されていて、ロングレンジ部隊に異動したら戻ってきたのには驚いたが。

 

「でもさ。明日これを着るの、いいと思わないか」

「これを? 式典で?」

 

 目が点になる。懲罰部隊の備品なんて、オーシアにとっちゃ絶対に表に出したくない汚点そのものだぞ。

 

 俺たちロングレンジ部隊は今、レッドミルにいる。

 明日はオーレッドの近郊にあるこの基地で、ベルカ戦争終結を記念した式典がある。エレファントウォークに機体だけが出て、操縦するのは俺たち以外の誰か。肝心の俺たちはというと、見るなら目立たないようにこっそり。

 まあ……いろいろあったからな。トリガーも俺も他人に説明するには面倒な過去があるし、シラージの件もある。お偉方が内々で解決したらしいが、当然住民のなかには納得していない奴もいる。ほかにも理由はあるだろうが。

 

 それなのに、こいつは堂々と存在をアピールする気か? まさか──。

 

「お前たちはあの戦争で目立ちすぎたから、式典では大人しくしろ。上のそんなありがたい配慮をブチ壊す気か?」

「ああいう部隊があったことを知っているの、普通の人は知らないだろ。別にバレやしないさ」

 

 本当に妙なところで大胆不敵な奴だな。前は意識して目立たないように、うしろにいたんだな。それでも結局前に出るし、隠せていなかったんだが……。今じゃ吹っ切れたのか、普通に前に出てくるようになった。

 

「そういうことじゃなくて……」

 

 言葉を濁すと、「暗い過去を思い出したくないとか」と察してくれた。

 

「そう」

「面倒な過去を聞かれたくないとか」

「それそれ。そういう繊細な部分な。言いたい相手はちゃんと選ぶ。それにそんなのを着たら、ほかの奴らに聞かれるだろ。なんて言うんだ」

「オリジナルが欲しかったから、中古品を買って適当にペイントしたって言うさ」

 

 俺はわざとらしく大きなため息をついた。

 

「どうせここに持ってきたってことは、着るのは決定事項なんだろ? ここに俺はいるぜ、あの戦争で活躍した懲罰部隊を忘れるなってアピールする気だろ」

 

 さわやかな顔で「分かってるじゃないか」と言われて、俺はあきれた顔で「いいさいいさ。勝手にやれ」と匙を投げる。

 

「あと、これをお偉いさんのところに行くときに着ていくの、いいと思わないか。お守りみたいでさ」

「そっちが本題か!」

 

 本当に心臓に毛が生えている奴だな! このわけの分からない度胸の良さは生まれつきか!

 

「なに。うちの要求を通さないと懲罰部隊のことバラすぞって、無言で脅迫するのか」

 

 トリガーはニヤッと笑うと、「それいいな。採用する」と言う。思わず「なにも考えていなかったのかよ!」と突っ込んだ。

 

「ああいうのって圧迫面接みたいなものじゃん。だからお守りみたいなイメージだったんだけど……なるほど。武器になるのか」

 

 感心したように、トリガーはじっくりと背中の三本線を見ていた。俺は「まあ、お守りっちゃお守りだな」とつぶやく。

 

「お前も一緒に着ていくと、さらに効果が上がると思うんだけど」

「俺を巻き込むのはやめろ。なにしに上のところに行くのか知らないが、俺は行かないぞ。中隊長様」

「つれないなぁ」

「つれなくていい」

 

 三本線は今や、意味がまったく違うものになった。オーシア空軍のエースの証し。灯台戦争の英雄の証し。懲罰部隊にいたときとはえらい違いだ。世間は簡単にてのひらを返す。

 わざと咳ばらいをしてから、「とにかく」と言う。

 

「上と持ちつ持たれつ、いい関係を続けるために、ちゃんと存在をアピールして交渉してこい」

「だからそういう助けが必要なんだって」

「俺は政治は面倒だから嫌いなんだって」

 

 ふうんとトリガーは反応すると、「政治向いてると思うけど?」と言ってくる。

 

「向いてない向いてない。詐欺と似たようなもんだけど向いてない」

 

 トリガーは「それは残念」とあっさり諦めると、「そういうとこ似てるって言われない?」と話の向きを変えた。

 

「誰と」

「バンドッグ」

「…は!?」

 

 相当嫌な顔をしたらしい。トリガーは忍び笑いをもらした。

 

「それで、そのジャケットをなにに使うんだよ」

「アビーがあれで飛ぶの、もうちょっと有利に運ぼうと思ってさ」

 

 無理やり話題を変えると、トリガーは乗った。

 

「あれって、ずっと修理してるやつか」

「それそれ。だいぶいいところまで来ているっぽいから、そろそろ手を打っておこうかと」

 

 鉛筆みたいな見た目のF-104C。宇宙に近づける戦闘機。今となっては骨董品の代物を、アビーは時間を見つけては熱心に修理して、組み直していた。修理に必要な部品はどこからか調達しているらしい。

 最初はこんな骨董品がちゃんと直るのかと疑っていたが、さすがスクラップ・クィーン。まともな機体に仕上げているようだった。

 

「((懲罰部隊|そっち))の三本線は使えるカードなんだから、やたらめったら切るなよ?」

「大丈夫。ちゃんとここぞというときに使うさ」

 

 そこが大丈夫じゃないんだが…。こいつの場合、ナチュラルに喧嘩上等で使うからな……。

 …まあ、なにかあった時はイェーガーとロングキャスターがなんとかしてくれるだろう。この二人の方が、やたらと裏事情は知っているみたいだからな。

 

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   6

 

「直ったのか」

「やっとな」

 

 おおーとトリガーは鉛筆のような機体、F-104Cスターファイターを見上げる。あたしは休み時間や時間外を使って、ずっとこのスターファイターを修理し続けていた。

 

 自分の手で機体を操縦して、コックピットから成層圏の青黒い空を見る。

 死んだじいちゃんとの夢を叶えるため、じいちゃんとその戦友たちが亡くなっても、いつもどおりジャンクから少しずつ部品を引き出して、ひたすらに復元を続けた。初めて離陸に成功した日、運が悪いことに灯台戦争が始まった。

 ((敵味方識別装置|IFF))を積んでいなかったお陰で、オーシア軍機から敵機と見なされて攻撃を受けて、撃墜された。

 

 あたしにはじいちゃんが元オーシア空軍中将だという切り札があった。じいちゃんは父さんの戦死の件で空軍を信じていなかったから、あたしはその切り札を使うことを由としなかった。

 まあ、こっちが口に出さなくても、尋問する側は調査で分かっていたらしい。じいちゃんは父さんの件以外でも、今の政治の流れの無人機導入に批判的だった。

 それらが複雑に絡み合って、ご丁寧に軍事裁判を型どおり受けさせられて、あたしは政治的に見捨てられた。それに関しては恨んでいない。むしろ当たり前の判断だ。

 

 切り札を使ったのはタイラー島に異動するとき。たまたま古い型の電話機が目の前にあったからというのもあるが、それまで取り上げられていた電話をする権利をありがたく使わせていただいた。

 参謀本部にいるじいちゃんの知り合いに頼んで、懲罰部隊から脱出できる特等席を用意するように、マッキンゼイに圧力をかけてもらった。それはその人のじいちゃんへの恩返しみたいなものだった。

 

 さらにマッキンゼイと直接話をして、特等席が確約されたので、またじいちゃんの知り合いに電話した。護衛任務に打ってつけの奴がいると推薦することで、トリガーに特等席を譲った。

 向こうはすぐにこちらが言いたいことを理解してくれて、めでたくトリガーは護衛機要員に選ばれた。

 それだって、その人にとって政治的にはぎりぎりのはずだ。相当なお情けでやってくれた。あたしにとっては一回だけしか使えない手。だから切り札。

 

 なんでその特等席を他人に譲ったかって? なんでだろうな。あいつは無実の罪でザップランドに来た。ハーリングを恨んでいたわけじゃない。

 トリガーは最初から自分はやっていないと言っていたが、あそこじゃやっていないは決まり文句。だから嘘だと思われていた。

 それが、無茶な任務が連続しても生き残って、撃墜数がトップになってエース級になったことで、みんなの見る目が変わった。こいつが言っていることは本当じゃないかって。

 

 あの部隊の中じゃトリガーは品行方正で、ちゃんと上の命令を聞いて、普通に兵士をしていた。腐らなかった。腐らない奴はたいてい、戻れる場所がある奴だ。

 あたしには生活を助けてくれる親しい親族なんていない。戻れる場所といえば、じいちゃんたちが部品取りで世話になった飛行場か。

 

 でもあたしが撃墜されたことで、部品を横流しする奴がいると目をつけられただろうから、戻ってこれ以上迷惑をかけられない。だったらこのまま軍に残った方がマシ。そんな判断をした。

 要はあたしも懲罰部隊に飛ばされた奴らと大差ない部分があって、窃盗まがいのことをしてあの機体を組み立てて、無免許で戦闘機を飛ばした。そうなると、本当に無罪のトリガーをしかるべきところに逃がした方がマシなわけだ。

 

 あたしが撃墜されたときの機体は回収されて、調べ上げられたらしい。その調査結果と尋問から得られた情報を組み合わせて、あたしが腕のいいメカニックだと分かると、懲罰部隊に整備兵として送られた…というのは、あとから知ったこと。

 撃墜されたスターファイターは戦時中も運良く保管されていて、あたしはとある筋からその情報を得ると、戦後に軍と取引をした。

 正式に軍属になっている間は懲罰部隊のことは口外しない。その代わり、思い出が詰まった機体を無償で譲り受けて、自由に部品を取り寄せ、修理して飛ばしたいという交換条件を出した。

 

 それをトリガーに話したとき、内心引いているのが分かった。「これはじいちゃんたちと一緒に組み立てた機体なんだ」といとおしそうに機体をなでながら言ったのがどう伝わったのか分からないが、批判めいたことはなにも言われなかった。

 

「IFFは積んだのか?」

「また墜とされたくないからな。今度はちゃんと積んだ。ていうか積まされた」

「そりゃ良かった」

「あとは飛ばすだけだ」

 

 トリガーは「つかぬことを聞くけど」と疑問に満ちた目をする。

 

「なんだよ」

「こういう機体の飛行免許、持ってんの?」

 

 「あるわけないだろ」と即答すると、トリガーは天を仰いだ。

 

「普通のならあるぞ」

「普通のはね」

 

 ……これは心の中で、マジかよ、嘘だろ、なんで上は飛ばすことにオッケー出したんだよと突っ込みを入れているな…。

 

「言いたいこと、顔に全部出てるぞ」

 

 まあ、口に出さないだけ紳士的か。

 

「飛ばしていいって許したのは上だからな。文句言うなら上に言えよ」

「……仰せのとおりです」

 

 トリガーは頭を元に戻すと、「俺も一緒に飛ぶよ」とさらりと言う。「は!?」とあたしは甲高い声を上げた。

 

「これで一度墜ちてるんだろ?」

「墜とされたんだ。IFFがなかったからな」

「それに、免許がない凄腕の整備士が一人で飛ぶのは不安だし」

「どこから回ってきた意見だ」

「隊長としての見解。あとは周囲からの心配」

「だからってあんたが護衛機でお目付け役か? そりゃ豪華すぎやしないか?」

「戦闘機の免許がない素人を飛ばすアイデアだよ。政治的なカードなら持ってるんで、取引さ」

 

 トリガーはハーリング殺しという無実の罪を着せられて、懲罰部隊に送られた。今やその疑いは晴れ、三本線という灯台戦争の英雄として、上にも下にも知られている。

 

「そういうので貴重なカードを使うな」

「そうか? 今こそ使うときだろ?」

「どこが」

「この機体でダークブルーの空を見に行くのが、おじいさんとの約束なんだろ? 行きなよ。それに近いんだろ? 命日」

 

 スターファイターをもう一度飛ばそうと思った日付の候補は、いくつかある。この機体での初飛行の日、あるいはじいちゃんの誕生日、じいちゃんの命日。

 あたしはトリガーを軽く小突いた。

 

「気が利く隊長様ってのは、ほんと嫌だね」

「どういたしまして」

 

 微笑むトリガーから、あたしはなんとなく目をそらした。

 

「そうだ。俺の機体もこれと同じだから」

「同じだからって、これと?」

 

 何度もまばたきして、あたしは目をそらしたはずのトリガーの顔をもう一度見た。

 

「そう。宇宙に近い戦闘機なんだろ? 乗ってみたいじゃん」

「でもこんな古い機体、どこにあるんだよ」

「骨董品クラスだから、動くのを見つけるのは大変だったらしいけど、ようやく見つかったって連絡が来てさ」

「どこでどういうコネ使ったんだ」

「そのへんはイェーガーとロングキャスターがなんとかしてくれた」

「おいおい」

 

 そのとき、トリガーのスマホにメッセージが来た。ちらりと見て、「これの写真、撮っていい?」と機体を指差しながら聞く。

 

「いいけど……」

 

 すぐに写真を撮ると、短いメッセージをそえて送り返したみたいだった。「ありがと」と言うと、スマホをしまう。

 

「あんたの機体がうちに来たら、整備すりゃいいのか」

「整備士も一緒に来るってさ」

「誰だよ」

「元懲罰部隊の正規兵」

 

 ああ…とあたしはうなずき、「コネは番犬殿だな」と言う。

 

「なんで分かるのさ」

「さっきの写真、バンドッグに送ったんだろ」

「なぜ分かる」

「壊れたこいつが保管されてるのをあたしに教えてくれたのも、バンドッグだからさ」

 

 トリガーは「嘘だろ」と露骨な態度で引く。トリガーとバンドッグの仲について、「ビジネスで組ませると、いい結果を出すんじゃないかな」とタイラー島でタブロイドに教えられたが、こういうことかとひそかにうなずいた。

 

「懲罰部隊でよく働いてくれた礼だとかなんとか」

「……ほんと、妙なところで律儀だな」

「それがいいところなんだろ」

 

 またトリガーは露骨に「えっ」と引いたので、それを見たあたしはあきれて、「少しはほめてやれよ」と笑った。

 ひととおり笑ったあとで、「付き合ってくれてありがとな」と感謝の言葉を言うと、トリガーは「どういたしまして」と微笑んだ。

 

 元々ミード家はパイロットの、空軍の家系だった。それが父さんの件で、あたしは空軍へ行ってはいけないとじいちゃんに強く言われて、進路を決められた。自家用飛行機を飛ばすことは許してくれたが、空軍パイロットになるのだけは駄目だった。

 じいちゃんとその戦友たちのスターファイターを復元する手伝いをしていたこともあって、機械いじりが好きになった。メカニックになれたらという夢のようなものもあったし、あたしもそれが当然と思っていた。

 

 でも本当は、家業としての空軍パイロットになる道があったのでは。そんなふうに思うときがないといえば、嘘になる。

 自分は大好きなじいちゃんによって、小さい頃から空軍パイロットの夢は見ないように仕組まれていたのか。本来歩むべき道を閉ざされたのか。それとも純粋に、もう二度と家族の命を戦争に取られないように、あたしを守り続けたのか。

 

 じいちゃんたちが組み立てようとしたスターファイターを飛ばすのは、あたしの役目だった。戦闘機を飛ばす免許はないのに戦闘機を飛ばす。その矛盾をじいちゃんは分かっていたはずだ。

 戦闘機といっても武装はしていないし、ただ飛ぶための物だから、そこは別物として処理したんだろうか。やっぱりじいちゃんは、あたしが家業を継いで空軍パイロットになる夢を、そこで叶えようとしたんだろうか。

 

 今となってはなにも分からないが、メカニックとしての自分は嫌いではないし、悪くなかった。

 なんの運命の悪戯か。あれほどじいちゃんが行かないようにと道を閉ざしたはずの空軍に入ることになって、今では特例で戦闘機を飛ばそうとさえしている。

 

 もしかして自分はどちらか片方ではなく、パイロットでありメカニックになりたかったのでは。疑問なのか夢なのか、そんなものも芽生えている。

 じいちゃんの夢を叶えたあとはどこへ。そうだ。どこへ行こうか。思えばあたしの人生はじいちゃんが決めてきた。今度はあたし自身が決める番。

 

「そうそう。過去の記録を調べたら、整備士からパイロットの資格を取得して、訓練してから戦闘機パイロットになった人もいるみたいだ」

 

 こっちの迷いを見透かしたみたいに、トリガーが話を振った。

 

「それ、いつの話だ」

「オーシア戦争のあたりだっけ?」

「まだいろいろとゆるい時代だ」

「でも試すのはありじゃないか? メカニックでパイロット。なかなかいないよ? ゲームの魔法戦士みたいじゃないか。それにほら」

 

 トリガーは((格納庫|ハンガー))の開いている扉の外を指差した。今日は雲一つない真っ青な空。いい天気だった。

 

「空でたとえるなら、ダークブルーみたいな感じ。宇宙と空の狭間にいるみたいでさ」

 

 トリガーの人生の重しはベルカだった。あたしの場合はじいちゃん。守ってくれたのは本当だし、今気づけば、人生の重しになっていたのも本当。

 あの戦争で、トリガーは重しが取れたあとの人生を決めたんだと思う。だからまだここにいる。オーシアに帰らないで、ユージアで戦闘機パイロットを続けている。

 遅れてやってきたモラトリアム。オーシアとじいちゃんから遠く離れた場所でメカニックを続けながら、違う可能性を試し続ける。道が開けていく。

 

「考えとくよ」

 

 そう言ってあたしが拳を突き出すと、トリガーも拳を突き出したので、ゴツッと当てた。

 

 ダークブルー。約束を目指す場所から、いる場所へ。

 あたしはトリガーの((言|げん))を気に入り始めていた。

 

END

 

-10ページ-

   備忘録

 

脇キャラについての解説です。

 

マティアス・オベラート:ZEROミッション03ナイトで登場。アサルトレコードNo.023。航空宇宙局の人。

 

元ネタの解説です。

 

1:7の1周年、71という言葉遊びで思いついた話。

 

4:プラモデルの発光は、特定スキンを使用したときの発光バグ(修正済み)が、その後発売2周年記念の無料アップデートで正式採用されたことからの思いつき。なお、この発光スキンが使える機体はX-02Sのみです。

 

5:コラボ商品のフライトジャケットが発表されたときに思いついた話。GAZEの記念式典ネタをあとから加筆しました。

 

6:ダブルミリオンのイラストのアビーの機体は、ゲーム冒頭で撃墜された機体を修理した物ではという思いつきから。オーシア戦争は、公式で設定されている1905年から1910年まで続いた戦争。

 

幕間2:リミックス曲の公式動画のコンポは、マッキンゼイ司令の物ではないかという思いつきから。マッキンゼイの名前のイニシャルのDは、ミッション10護衛任務前のムービーで判明。

 

幕間3:ZEROのエーススキンの配信直後の出来が所々微妙だったのは、懲罰部隊で暇を持て余していた整備兵たちが、過去の有名な機体を真似した結果という思いつきから。

 

-11ページ-

   後書き

 

個人的に7で好ましい部分は、狭間にいることを許してくれるところだと思います。

説明
ツイッターに投稿していた戦後の小話を加筆修正してまとめたものです。話の主人公はトリガーとアビー、カウントとフーシェン。ネタバレと捏造だらけなのでお気をつけて。仲が進展する前の話→http://www.tinami.com/view/998008 カウントとフーシェンの過去話→http://www.tinami.com/view/1010218
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