鐘撞き堂の君主
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 ――親愛なる殿下はもう、この世にいない。

 

       だから私はペンをとり、殿下の物語を紡ぐのだ――

 

 

[ 鐘撞き堂の君主 from Finalia Chronicle ]

 

 

 

「人は……時の名のもとに平等である!」

 ある日の議会はフィンの一喝と共に静まり返った。

 その日の様子を伝えた新聞各紙の挿絵には、どの新聞にも、ざわめきたつ議会にて勇ましく演説するフィン王女殿下の様子が描かれている。

 ざわめきたつ大衆酒場『赤枝亭』、その中でたった一人の黒髪の男がいた。カウボーイハットをかぶった中年で髭面の男はマスターをたずねてくるなり、話を振った。

「この国の王女様はなかなかご立派らしいじゃないか」

 ええ。と赤い髪の若いマスターは気の無いような返事をするが、さもそれが当たり前のようにうなずいていた。

 その返事だけでも確信したのか、男はくたびれた革袋からスクラップブックを取り出して、おもむろに真ん中のページを開いた。立ち寄った各地で見つけた面白い記事を綴じているんだと男は説明した。マスターは男にちらりちらりと視線を送っては気の無い素振りをする。

 錆びた金具が重い腰を上げ、スクラップブックが開かれる。男は自慢の髭をさすりながら、ある日の新聞を取り出した。

 日付は半年前のウィークリー・ファイナリアだ。

 ファイナリア地方で一番大きい出版社であり、なにしろファイナリアで最初に活版印刷を始めた会社である。一週間の政治の流れ、経済の流れ、事件を伝えるフィーナル王国一の新聞である。

「これだ。この時計塔演説。俺も各地を周ったが、こんな立派なお姫様はいないな。大抵ドレス着て美しさとやらを競ってやがる。毎日大きな鏡に向かって、ドレスとお化粧の相談をしているというのが関の山だ。姫様姫様とちやほやされて、政治にはまったく関心が無い」

 それがどうだ、この国の王女は。

 男に混じって、いや、男をものともせずに持論を並べやがる。

 男は帽子を取って墨の様に真っ黒い髪をかき乱し、興奮気味に話す。

「ええ。我らが自慢の王女殿下です」

 いたって冷静にマスターは受け応え、グラスを拭く作業を続ける。

「だろうな。それもまだうら若く、たいそう美しいらしいじゃないか。それこそ鏡に相談するほどケチなことが必要ないくらいな」

 おや、と思ったのか、マスターは旅人であろう男の言葉に手を止める。

「国外にもそのような噂が?」

「美人の噂話はある種の伝染病だ。山を越え、谷を越え、どこまででも広がるよ」

「伝染病とは、あまりよい例えではありませんね」 

 ふうとあきれた様子でマスターは息をつく。

 だが、一つの事実に思い出したように感心した様子で今度は自ら声を髭の男にかける。

「ウィークリー・ファイナリアは国外にも出回っているのですか」

「ああ、俺もあの記事読んだときは感心したぜ。なにしろ活版印刷が伝わっていて、時計が伝わっていない国だって言うんだからな」

 どこかで咳払いをした音が聞こえた。

 髭の男は構わず続ける。

「今回ファイナリアに来た目的はよぉ、このフィン王女ってのを一目拝んでくることと、この記事の真偽性だ」

 熱っぽく語る髭面の男にマスターは軽く笑う。

「どちらもご満足いただけると思いますよ」

 マスターの相槌に髭面の男は気分よく豪快に笑う。

 会話は一旦終わった。

 そこで、髭面の男は自分の声が店に響いていたことに気付いた。

 周囲を盗み見れば、興味深そうにちらちらと視線を送る他の客達の様子が窺がえる。

 誰も彼もがみんな赤い髪をしていた。

 ちっ、と舌打ちをひとつして、ジョッキを空にする。

 そのタイミングにあわせてウエイトレスが髭面の男の隣までやってきて、布巾で隣の席を拭いた。男に追加注文をうながす。彼女はショートに切りそろえているが、やはり赤い髪であった。多少、茶色が混じっているが、やはり分類するとすれば赤や橙といった色合いだ。

 手を振って、追加注文のないことをウエイトレスに意思表示すると、ウエイトレスはマスターに小さな声で何事か告げた。

 その言葉にマスターは一瞬考え込んだものの、旅の男にしっかり体を向けた。

「旅のお客さん」

 マスターは声音を変えて唐突に声をかける。

 気の無い声ではなく、意思と力のこもった声。

 旅の男はその声に何事か期待をし、首を上げ、マスターを見上げる。

「もしよければ、あなたに紹介したい方がいるのだが」

 思わぬマスターの誘いに男は笑っていた。

「女か?」

 その応えにか、マスターは可笑しそうに微笑む。

 明らかに何かを隠したいたずら小僧の笑み。

 男はわけもわからず、

「女ならもう一杯もらおう」

 と、ドンとカウンターにグラスを叩きつける。

「女性と言って欲しいわね」

 コツコツとヒールの音がして、後ろから若い女の声がした。

「マスター、彼に追加を差し上げて」

「かしこまりました」

 ウエイトレスが席をひくと、そこは先ほどウエイトレスが拭き掃除をして綺麗になったカウンター席であった。

「ご相伴に預からせてもらってもよいかしら?」

 真っ赤な髪が腰まで美しく流れ、額には黄色と黒で炎をかたどったバンダナを巻いていた。厚手のパンツスタイル、上着は上品な生地を使った男物に近いシャツであり、胸の上には首からなだらかに吊るされたペンダントが光り輝いている。目には意志の強そうな光が灯り、アイラインがさらにそれを強調する。端正な顔立ちが可愛らしいではなく、美人という言葉を連想させた。

 男はしばらく彼女の姿に圧倒され、言葉を失ってしまった。

 地ビールが満杯まで注がれたジョッキが勢いよくカウンターに置かれると、男は気を取り直し、半開きの口を慌てて閉じると、今度はどうやって開くか忘れてしまったように言葉を探す。

「あら、ご迷惑かしら?」

 女が先に言葉を放ち、にっこりと微笑んだ。

「ご懇意にさせてもらっているフレアさんです。フィン王女殿下のお話に詳しい」

 マスターは気の無い声どころか、しっかりした声で紹介をする。だが、笑いを堪えているのか唇の端が妙に引きつっている。

「なるほど……気の利く店だな、マスター」

「光栄です」

「あなたのような旅の方とお話できるから、私はこうやってマスターの側で飲ませてもらってるの」

 会話に割って入ってくる女の声にマスターは苦笑する。

「改めてこんにちは。私はこの辺の商家の娘でフレアというわ」

「おう、いいところの娘さんか。道理で見た目が小綺麗なわけだ。俺の名前は……まあいいだろ。近いうちにここを発つ身だ。いやしかし、あんたえらい美人だな」

「お褒めの言葉ありがとう。お名前の件は、そうね、こういうのを一期一会というのかしら」

 小さなグラスに氷を落とした強めの酒を口に流しながら、男の返答を待っているようだった。

「それで、かの有名なフィン王女殿下の話に詳しいのか?」

「ええ。あなたのような方にお話できるようにいっぱい仕込んであるわ。素敵な柄の包装布に包んでお土産にしてあげたいくらいよ。ぜひ旅先でも伝えて欲しいわ」

「包装布ときたか、そりゃまたえらく豪華な話だな。いいところのお嬢さんらしい物言いじゃないか。それほど良い話なら、各地に周った際の酒の肴にすることを約束しよう。それじゃあ、早速、この記事のことを聞かせてくれないか」

 記事を叩いて、男は鼻息を荒くする。

「まかせて。それにしても、どこから話せばいいかしらね……」

 フレアと名乗った女はあどけなく首を捻ってみせると、つられて男は笑った。

 酒場の窓から宵の空にそびえたつ時計塔の巨大な釣鐘が定刻の鐘の音を響かせる中、その音をしみじみと聞きながらフレアはじっくり思い出すように語り始める。時折見せる、笑顔にまだ幼さがあった。口調が大人びていたので気づかなかったが、髭の男はようやくフレアがまだうら若き乙女であることを悟った。

 それこそ、麗しのフィン王女と同じくらいの。

 

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 半端に開いたテラスのカーテンを、さっと豪快に開けた。

 眩しい朝日と共にすがすがしい空気が流れ込んでくる。

 朝の日差しが寝ぼけ眼を強烈に襲い、思わずフィンは顔を覆った。

 それでも瞳は遥か遠くにそびえたつ聖なる山々、フィーナル連峰に注がれていた。先日初冠雪を迎え、わずかな雪化粧が大自然の雄大さと美しさ、どちらも備えていた。

「さすが、元・王の間、眺めは宮殿一ね」

 フィンは腰まで流れる赤い髪を風にたなびかせた。ひんやりした風が髪を散らす。

 寝起きの儀式とでもいうべきか、フィンはベッドが出ると必ず朝日がさしこむ領地を一望する。

 炎がシンボルの国ファイナリアらしく、町のあちこちに煙突が立ち並び、朝にもなると一斉に湯気を上げる。そうなると煙ってしまい、景観がよろしくない。それがこの国らしいという意見もあるが、フィンとしてはあまり好まない。澄んだ空気での神秘的な大自然という景観を拝みたいのだから人工的な煙は邪魔、というのがフィンの持論だ。だからフィンは庶民が朝食の準備が始まるだろう時間の前から起き出し、自室のテラスから領地を一望する。

 そのため、どうしても朝日が昇って間もない時刻になってしまうのが朝の弱いフィンの悩みだった。

 だが、この朝の景観だけは誰にも渡せない、そう心に決めていた。

「ねえ、あなたもそう思わない、メリッサ?」

 傍らに静かに立つ、フィンよりもわずかに年上の女。黒と白のエプロンドレス、裾を膝上限界ギリギリまであげた特徴的なミニスカートと、膝を隠す黒いニーソックス。切りそろえられたショートの髪を揺らさずに一歩フィンに近づき、朝日の洗礼をあびるが一切動じない。

 顔つきはわずかにフィンよりも丸みを帯びて幼く見える。

「はい。殿下のわがままの賜物です」

 メリッサの無感情な返答にフィンはむっと唇を尖らす。

「なんでそういう言い方するのかしらね」

 フィンの不貞腐れにも動じずメリッサと呼ばれた若い女性は堂々と応える。

「国王陛下に自室の交換を申し出をする方を、フィン王女殿下以外存じません」

「いいじゃない。お父様が良いと言ったら良いのよ。この国ではお父様が一番偉いのだから、お父様の決定は絶対だわ。私は、ただ、申し出ただけ。決定権は私には無い。お父様が私に甘いのは私の責任ではないし、いずれお父様の跡を継ぐと公言しているのだから、私がこの部屋に入るのは時間の問題なのよ」

 さもそれが当たり前の様にフィンは言ってみせる。

「左様ですか。ではそうなのでしょう」

 呆れたように無感情で返す。だが、フィンは目の敵をそうそう許しはしない。

「それで、私は二つの大きなわがままをいったと続けるのでしょう?」

「はい。一つは国王陛下のお部屋を取り上げたことと……」

「もう一つは、あなたを私のものにしたこと」

 フィンはウインクしてチャーミングに微笑んだ。

「言葉に語弊があります、殿下。私は王女殿下専属の御付きとして雇われているだけです」

「いやらしい異母兄弟からこきつかわれていた、かわいそうな名家の私生児を引き取っただけじゃない、物語にするならサクセスストーリーだと思うけど?」

「無報酬には代わりありません。衣装の趣味は今現在の方が過激だと思われます」

「いいじゃない、肩と胸の露出は減ったのだし、衣装の素材や生地、アクセサリーなんて王家ご用達なのよ。そこらの貴族と一緒にしないでくれる? それに、あなた足が細くて綺麗なのよ。目つきもツンとしていながらもどこか影がある、まるでよくできたお人形みたい。美は才能。見せられるうちに見せびらかしておくべきよ。まあ、私が眺めて楽しめる服を着せられる人も必要なのよ。私のセンスを腐らせないための必要な処置よ。もっともプロポーションの完成度では私の足元にも及ばないけどね」

「恐れながら殿下の足元程度です」

「はいはい、その自信過剰さがきっと年寄りの癇に障るのよ。って、年寄りみたいなつまらないこと言ってないで着替えるわ。今日は朝礼よね」

「はい。週明けの定期朝礼です。お召し物はいかがいたしましょう」

 フィンはメリッサの衣装を上から下まで眺めて、思いついたことを言った。

「あなたと同じような格好」

 私もミニを履いてみたかったの、と子供みたいに微笑むフィンに、メリッサはため息をついた。

「おやめください。それでは私の存在意義がなくなります」

 

「王女殿下のおなーりー」

 決まりきった呼び出しの口上が響く中、大広間に現れたフィン王女の姿を見て、誰もが呆気にとられた。感情が先走る者は半開きの口をし、冷静な者も眉がつりあがる。

 紅白柄なのはよくあることだが、ミニスカートでニーソックスという、特殊な趣味を持つものが好んで配下の者に身に付けさせる衣装で、プリンセスが突如現れたのだった。

 週初めの朝礼は大臣や名のある貴族をはじめ、一定の地位のある者で宮殿周辺、城下町であるファイナリアシティに住む者の長と後継ぎが必ず参加する公の場である。男性女性不問だが、圧倒的に男性の参加が多い中、視線は王女殿下の剥き出しのふとももに一斉にそそがれた。

 私語は一切禁止である。

 司会進行であるアレックス執政官は咳払い一つすると、いつも通りの口上で式を進めた。

 まずは定期連絡や国政の報告。

 数字の読み上げなどは眠くなるところだ。

 フィンは王の病欠という名目で代わりに玉座に腰を据える。

 もうかれこれ三ヶ月は毎週ココに座ることになった。

 時折、フィンは考える。

 ――お父様の面倒くさい仕事を押し付けられているだけのような気がしたわ。

 王家の血筋の伝統は朝に弱いこと。フィンはそれを、身を持って知っていた。

 当の父王は早々に早起きにギブアップし、ひどいときは昼まで仮病だ。年を重ねるたびに父親が横着になっていく様を、フィンは日に日に実感する。

 だが、そんなどうしょうもない父親の血を受け継いだからといって、朝が弱いと言い訳したことも無ければ、絶対に玉座にて居眠りはおろか、あくびもしたことがない。

 しかけたことがあるが、傍らに立つメリッサが寸前で肩に手をかけてくれる。このことは誰も知らない秘密のはずだ。だからフィンは真面目な王女様という触れ込みなのだ。

 が、軽々しく肌を露出した衣装を公の場で着てしまうケースもあった。

 なぜか王族だけが衣装に指定がない。

 文官なら文官の制服が、武官なら軍服があるのだが、貴族、王族には特に指定は無い。

 奇抜な衣装を好む貴族は笑いものにされるのがいつものことだが、フィンがそれをやるとシャレにならない。シャレになっていないが、文句をいうわけにもいかない。

 正装を着るときもあれば、軍服に身を包んでみたり、町娘の格好をしたり、派手なドレスを着たり、体のラインがはっきりするようなスーツをしばしば……本当に同じ格好はそうそう無く、とにかくフィンにとっての朝礼は仮装パーティのノリだった。

 けしからんと言う者と、ニヤニヤするものと、無表情を気取るもの、大体三通りだとフィンは壇上から男達の顔を眺めながら思った。あるいは、貴族の女性がいつかの自分の衣装を真似ているのを見つけるとにやりとする。

 そこで、今日の獲物を見つけた。

 アレックス執政官の定期報告の読み上げ中にも関わらず、フィンはおもむろに立ち上がり、壇上を降り、貴族の男達が立ち並ぶ列に混じっていく。堂々とヒールの音を鳴らして列の間の通路を進む王女の姿に、各貴族たちは今日のどこの馬鹿がやらかしんだと小言で罵る。

 ヒールの音が止まる。

 執政官の口上はまだ終わらない。

 大広間の奥に並ぶ若い将校たちの前で王女が止まった。若い将校達は冷や汗気味に、互いの顔を見合う。あいつだあいつだと本当に小さな声で伝言ゲームが始まる。

 指摘された青年将校の隣で彼の軍服をつっつく者もいたが、当の本人は一向に気付かない。

 やがて、フィンの影を追うようについてきたメリッサが渦中の青年将校の袖を思い切り引っ張り、彼女の華奢な見た目から想像も出来ないような強い力で列からつまみだし、フィンの前に晒した。

 立ちながら頭を傾けていた、もとい居眠りをしていた青年将校は何が起こったのかわからないといった顔をあげると、そこには自分を見下す王女様が立っていた。

 周りの者は見ていられないとばかりに顔を覆う。

 フィンは手をあげた。

 アレックス執政官の口上が止まる。

 と、同時に平手打ちの音が大広間に轟いた。

 ――殿下がいつかのように厚底ではなかったのが幸運だったな。

 アレックス執政官の隣にいたベル伯爵がそう言った。

「そんな暴力的な姫君ではありませんぜ」

 ベル伯爵の言葉を聞いた鎧姿の庸兵のジークは腕を組みながら、言葉を訂正させる。

 が、その瞬間、鈍い音が聞こえた。

 同時にガクっとジークは肩を落とす。

「まったく大人げねえ姫君だ」

 耳を澄まさなくとも、フィンの言葉が聞こえてくる。

「未来を預かる身で国政の報告中に居眠りをするとは何事か! 恥を知れ!」

 その言葉を耳にして、ジークは首をかしげる。

「自分の居眠り防止に他人の居眠りを見つけて怒鳴りつけるなんてなあ、ホント大人げねえ」

 朝礼が終わった後、個々に散っていく議場にてフィンは小声でメリッサにいつも言う言葉がある。

「私は将来を憂いて嫌われ役になるのよ。好き好んでひっぱたいたり、蹴飛ばしたりなんか出来るわけ無いわ。私はプリンセスなのよ」

 そういう風に捉えている人間が何人いるだろうとメリッサは首をかしげる。

「甘く見られるということないとは思いますが」

 暴力王女のレッテルを張られているのではないかと進言しようとしたがやめた。

 ベル伯爵夫人が玉座に寄ってきたのだ。二人で急な真面目な顔つきになる。

 威厳は最低限、保たねばならない。

「フィン王女殿下、今朝も御機嫌麗しゅう」

「それは皮肉かしら」

「いいえ、滅相も無い」

「それで、どうしたのかしら? 朝礼後の私に用とは余程のことなのね」

 この後のスケジュールはつまっているのだと、秘書役のメリッサの目がフィンに訴える。

 そのことがわかっているのか、フィンは鏡の様にメリッサの瞳をベル伯爵夫人へ映す。

「鐘撞き堂に関してですけれども」

「ああ、その話」

 フィンは手をぽんと打った。

「先日の議会閉会後にベルク王国から届いた巨大な時計の設置場所についてかしら」

「ええ、その件についてですわ」

 伯爵夫人は少し不満げな表情を見せた。フィンは逃さない。

「貴女はまだ機械時計というものを知らないわね?」

「そんなによいものなのでしょうか? 先祖から受け継いだ日時計を代弁する鐘撞き堂に設置するとはよほどのものかと思いまして、お忙しい御身に関わらず質問したことをお許しください」

「ココだけの話、機械時計の小型化と量産に成功すれば莫大の富を得られるわ」

 フィンは声を小さくして言った。

「もしかしたら、のお話でしょうか」

 騙されないぞと顔に書いてあるように夫人は顔を引き締める。

「いいえ、私は仮定の話をするつもりはないわ。他の国では成功していることを我が国はまだ取り入れていないだけ。それを独占できるかどうか、という話よ」

 ピンと来るものがあったのか、今度は逆にうふふとベル伯爵夫人は笑う。

「おいしいお話をちょうだいしましたわ、殿下。やはり殿下はすばらしいわ」

 扇子で妖しく微笑んだ口元を隠し、夫人はスカートの裾をつまみ上げてうやうやしく挨拶をして下がっていった。

「よいのですか」

 傍らに立つメリッサが問う。

「いいのよ。一日も早く民に自分の時を手に入れてもらいたいの。それに、あの夫人ならやるわ。宮廷一のがめつさをもつ彼女だから、黙認してもらってお金儲けが出来るとわかればどんな手でも使ってでも成功させるでしょうね。小型時計の普及にうってつけよ」

 そう言って、フィーナル王国に現在数点しかない時計のうちの一つ、ベルク国製の金銀細工の懐中時計を取り出し、時間を確認する。

「まったく、時間がわかってしまうとせかされて嫌だわ」

 フィンはため息をつきながら、迷い無く次の会議に向かおうとしていた。

「まずはお召し物を変えていただきたいのですが」

 配下の者達の視線の先に何があるか、という言葉を紡ぐが、フィンはメリッサの進言に振り向いて怒鳴る。

「そんな時間は無いわ! それはあなただってわかっていることでしょう」

 怒鳴っておいて、軽い調子でステップを踏むフィンの後姿に、メリッサはため息をついた。

「……お気に入られたのですね」

 やはり私の存在は罪深い――などとメリッサは独り言をこぼした。

 

 

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「贈り物を返す? そんな馬鹿な話は無いわ」

 先ほどから頑として譲らない主張を繰り返すベル伯爵に、今まで黙っていたフィンも口を開いた。フィンの言葉は王に近い言葉として重要性を持つが、絶対ではない。

 それがまた微妙な立ち位置なのだ。

「これは国家の危機ですぞ、姫様。我が国の“時の君”を差し置いて、他国の機械仕掛けの円盤と数字で『時』が管理されては、我が国の伝統が侵犯されます」

 時の管理人だか、時の君の付き人だか、そんな触れ込みのベル伯爵。彼の顔こそ、面長でそれこそ縦長の釣鐘のようだった。叩けばいい音がするのではないかと、フィンはいつも思う。聞けばベル伯爵の悪口の代名詞はあの頭は打てばいい音が鳴る、らしい。

 誰もが認める公然の事実にいつも笑いを堪えて、その顔を注視する。

 今日は自分の発言に興奮しているのか、震えていた。

 またその様子が可笑しい。

「ベルク王国の方は少々遅れた我らの文化の発展を願って、わざわざ特注の時計をこしらえてくださったのだ。伯爵の考えていることは邪な考えぞ」

 質実剛健を地で行く、口ひげがダンディーなアレックス執政官はなだめるような口調でベル伯爵を説こうとする。

「永きに渡り国交のなかった我が国にはどんな手をつかっても、文明文化の発展に全力を注がねばならん。伯爵は文明侵略を主張するが、今は耐えるときなのだ」

「執政官殿、それは違う。我が国には我が国の、我が国なりの進歩と発展がある。我が国の誇りを捨て、今さら他国に追いつけ追い越せとは……執政官殿ともあろうお方が」

 またこのパターンかと呆れるのもつかの間、物別れですなと伯爵は言い切って、議場を出てしまう。説き伏せることが出来ない不甲斐なさにフィンは思わず頭を抱えてしまう。

「 “時の君”を最大限ダシにして譲る気は無いみたいね」

「王女殿下のご活躍に危機感を持っておられるようです」

「私の活躍? どうして?」

「彼の派閥には王家ゆかりの者が多い。殿下の発言力が強くなれば、ベル伯爵を支持していた配下の者達がこぞって殿下に馳せ参ずることでしょう」

「痛いことを言うわね。私はまだ飾りなのね」

「恐れながら。陛下の代理とはいえ、政治を司るにはまだ日が浅いかと」

「言ってくれるわね」

 フィンは苦笑する。後ろでピクリとメリッサが反応するが、それを、手を挙げて制止する。ここで無礼だと騒いでも大人気ないのだ。

「殿下には、それこそ一刻も早く陛下の正式な代理となっていただきたいと思ってはおりますゆえ、前にも申し上げましたが、殿下には多少厳しい評価を下します。ある程度の無礼はご承知願いたい」

「執政官の親心に感謝するわ。あなたたちから見て、私は生意気な小娘なのでしょうね。でも、負けないわ。私は私が正しいと思ったことを実現してみせる」

「よい心がけだと思われます。私は仕事がありますのでこれにて」

 アレックス執政官の優雅な足取りを見送り、議場にぽつんとフィンは残った。

 後ろにいるはずのメリッサに語りかける。

「本当に親心なのかしら」

「アレックスとベルの二強時代と言われていますから。殿下を取り込んで、ライバルを叩き落すには格好の事件なのでしょう。今回は」

 フィンの影は静かに言葉を紡ぐ。

「真剣に国を思い、憂い、そして愛する……言葉ではみな口をそろえていうのだけれども、なかなか権益争いの域から出ないのね。なんだか悲しいわね」

「おっしゃるとおりです。ですが、彼らも政争に負ければ職無しです。職が無ければ、それこそ食がありません。みな、食べるために必死だと思えば、かわいいものです」

「それだと、まるで私が必死じゃないみたいじゃない」

「ええ、身分が保証されていますから」

 フィンは苦笑いをする。

「あなたくらいのものよ、私にそこまで言えるのは。いつかその綺麗な頬をひっぱたいてあげたいわ、真っ赤に腫れあがるまでね」

「どうぞお気の召すままに」

 無感情に促す。

「張り合いの無い言い方するわねー。あーあ、なんだかあなたと一緒の格好をしているのが嫌になったわ。着替えるから手伝って」

「かしこまりました。お時間の方はよろしいのでしょうか」

「今日の予定は全部キャンセルよ。そんなに重要なことはなかったはず。それより――外に出たいのよ、町へね。噂の鐘撞き堂の様子を見に行きたいわ」

 

 

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 宮殿の勝手口として機能する裏門には見張り兵の数が少ない。

 今日も二人の若い兵士が退屈そうに槍を杖代わりにして、ぼんやりと立ちつくしていた。

 革の鎧を身に着けたジークが何気なしに現れると、二人の兵士は急にしゃきっと背筋を伸ばし、近づくジークに向けて敬礼する。

「よう。見張り御苦労」

「はっ、異常ありません」

「言ったろ、俺の前では適当でいいって。それより、今夜飲みに行かないか? おい、そこのお前、こっち来い」

 門の反対側にいた兵士にも声をかけ、手招きする。

「しかし、持ち場を離れるわけには」

「ああーん? 俺、傭兵っていう名目だけど、一応お前らより上官だぜ。そこを忘れんなよ」

「し、失礼しました」

 ジークの前に門番である二人の兵士がこそこそっと集まる。

「あんまり大きな声じゃいえないんだがな……」

 男三人が固まって、内緒話をする中、兵士達の後ろを物静かに通りすがる影が二つ。

 赤い髪を振り乱し、ジークに向かってウインクひとつ。

 彼は応えるように手を振る。

 若い兵士はジークの、俺のおごりだぜの言葉に興奮して、いつまでも後ろの影には気がつかなかった。

 こうやって、フィンはお忍びの旅に出かけるのだ。

 メリッサはフード付きのコートを着て、呆れた顔をする。

「警備体制はどうなっているのでしょう」

「これくらいがちょうどいいのよ」

 と、訳知り顔でフィンは応える。男物のシャツに着替え、ファイナリアの女性には珍しいパンツスタイル。髪も結ばず、顔も隠さず、バンダナを巻いて、薄化粧。外へ出かけるときはだいたい、このような服装だ。

 フィンの着替えを手伝って、自分は着替えることもなく、メリッサは宮殿内にいるときとほぼ同じ格好でコートを着込む。メリッサの方が背が低いものだから、フードを被れば、どちらが身分の高いものなのか、わからない。

 フィンは面白がって、よくメリッサにフードをかぶるように言う。

「私も“王女殿下”をやめて、普通の町娘になってみたいわ」

 何てことも言う。

 ファイナリアシティはセントラルストリートと呼ばれる、宮殿から街を覆う塀まで一直線に伸びた大通りを中心に発展している。宮殿の裏林にある隠し通路を抜けて、エンド川という街に沿って流れる大きな河川のほとりに出る。上流から運び込まれる荷物の発着場、船着場となっているので倉庫群にもなっている。王家専用の倉庫に繋がる隠し通路から、堂々と港に顔を出し、荷卸をする業者の視線を浴びながらセントラルストリートを目指し、歩く。最初はびくびくしたものだが、フィンは次第になれ、良くも悪くも気にならなくなってしまった。

「この辺りでは時折男装した美人の女が出るんですってね、殿下」

「やめてもらいたいわね、人を幽霊か何かみたいに。それに、私は男装をしたつもりはないのだけれど」

「下々の者が殿下のセンスについてこれないだけですわ」

 ストリートに出ると、あちこちから鼻をくすぐる匂いがする。

 コックの作るものに比べれば、安っぽいものだが、小銭を払ってお菓子を食べながらぶらぶらするのも憧れた光景だ。だが、それをすると、メリッサが怒る。

 お似合いになりません、だそうだ。

 もっとも、フィンはお金をもたないので、小銭はメリッサの財布から支払われる。だから、余計に嫌な顔をする。

「おごってくれる素敵な男性でも見つけようかしら」

「それならば私が支払いますので」

 慌てて切り返すメリッサを見ると、フィンは自分で言って、これは殺し文句ではないかと考える。

 そんなことを言っているうちに、目的の場所についた。

 セントラルストリートのちょうど真ん中に位置する、フレイム広場。炎がゆらめくような形をしているから、そう呼ばれる。いや、名前から先に出来て、街を改造したのか、フィンはメリッサと論争になるときがある。

「今日は広場の由来について、争いたくないわ。それよりも重要なものを見にきたのだし」

「わかりました。今日は触れないようにいたします」

 と、二人で同時に空を見上げる。

 フレイム広場の一角に一戸だけ背の高い建物がある。

 最上階に吊るされたものが、その場所を語るにふさわしい。

 噂の鐘撞き堂だ。

 建物自体は古く、何回も改築した宮殿などとは違い、百年単位で建っている。

 鐘の音は空気を揺らし、味のある高音を何度も響かせる。

「相変わらず、高いわねー」

「ええ、国内一の建造物ですから」

「私の部屋とどちらが眺めがよいかしら」

「ベル家は王家に負けず劣らずの風景をもっているということですね」

 メリッサの何気ない言葉にフィンは口を尖らせた。

「それは、聞き捨てならないわね」

「あの塔にお登りになりますか?」

 フィンは苦笑いする。

「それは……骨が折れそうね」

 小高い丘とはいえ、登りやすい坂が各所に設置された宮殿と違って、狭くて急な階段は見るだけでぞっとした。

「この高さがあるからこそ、時計を置くならばこの鐘撞き堂、そもそも時計そのものに反対なのはここを管理する当主。だから、こうやって自分の目でじっくりと見てみたかったの」

「街の意見も二分しておりますわ。この鐘撞き堂は身分差を隔てないただ一つの掛け橋」

 同じ鐘の音で目覚め、食事をとる。王と民といえど、誰も彼もが目安にするに違いない。

「私は朝の鐘の前に起きるわ」

「私は殿下のご起床に備えて、その前に起きますが」

「はいはい、私が悪かったわ。それにしても、不思議よね。鐘が針になるだけだというのに。伯爵は時の君の名を利用してわめきたてている」

 二人はじっと高いところにある鐘を見上げる。

「どうした、お嬢さん方」

 不意に、背筋のちゃんとした老人が話し掛けて来た。

 フィンはメリッサを制して、笑顔を繕う。

「いつ見ても見事な鐘だと思って。遥か古代から受け継がれているとは思えません。さぞかし管理の行き届いていることだろうと感心していたところです」

「そろそろ建物を修理せねばならんが、鐘はまだまだ丈夫じゃぞ。なにせわしらが毎日手入れをしている。もし、この鐘に何事かあればわしは民に怒られてしまうて」

 フィンとメリッサははっとした。

「もしやあなたはベル一族の方?」

「いかにも。この鐘撞き堂を管理しているリンガー=ベルという。わしはもう隠居の身じゃけえ、爵位は次男坊に譲ったからの。ただの鐘撞き爺じゃ」

 そういえばとフィンはこの老人の顔を思い出す。幼いころに何度か見かけたことがあるのだ。

――気付かれているか? 

メリッサに目で問うて見るが、首を振っている。気付かれていない、ではなくて、私にはわかりません、という意味だと理解するのに時間はかからなかった。

「お嬢さん方、立ち話もなんじゃけ、お茶でも出すに」

 老人は鐘撞き堂の勝手口に二人を案内した。メリッサは辺りに注意を払いながら、コートの中から剣を鞘ごとフィンに渡す。ずしりとした重さがフィンの手にかかる。鞘を腰にかけると、やや緊張する。命のやり取りがあるかもしれない。正体を知られているのなら、この老人、リンガー=ベル氏がよからぬことを企んでいる可能性が、ないこともない。

 戦いで頼りになるのは傭兵のジークの方だが、一緒に歩くとメリッサが嫌がるので、いつも女二人だ。腕前には自信はあるが、いざとなるとやはり心細い。

 だが、年季の入った板張りの廊下を歩くと、「廊下は走るな」という張り紙があったりとするものだから、それほど危険性はないのかもしれないと思うようになる。

 質素な応接室に通されるとお茶が運ばれてきた。幼い男の子と女の子がティーセットを載せた台車を転がすのだ。

「お孫さん?」

「いかにも。早々と逝っちまった長男の子でな、リンとリナという双子じゃ」

 二人は照れくさそうに頭を下げ、退室する。

「かわいいコたちね」

「不肖の次男坊ではなくて、この二人にこの堂を継いでもらいたいと考えるのは老人のわがままかの」

 次男坊とは今も弁舌に余念の無い、あのベル伯爵のことだと思うとフィンは可笑しかった。この老人は顔は長くない。がっちりしたタイプだ。

「ベル一族に関して教えていただきたいと思いますが」

 フィンが先手を打った。

「はて、お嬢ちゃん方もあの論争に興味があるのか」

 はい、とフィンが答える。そして、どうやら自分の正体に気がついていないようだ、と独りでほくそえんでいた。よくよく考えてみれば、身分の高い女が男のような格好をして外を出歩かない。フィンは確かに高価な生地の服を着ているが、名のある商家ならそれくらいの見栄は張れる。名のある商家のお転婆娘と言えば顔を知らない連中は信じ込ますことが出来る自信はあった。

「お嬢さんはフィン王女殿下に似ておられるな」

 と、言われるときは確かにあるが、

「よく言われます。光栄ですね。でも、王女殿下は私なんかより遥かに美しい」

 と、ごまかす。これがいつもの手だ。このように言えば、誰しも納得する。

今日もメリッサは不思議な顔をして相槌を打つ。

「あの方は神がかり的なところがあってな。わしらの思いもつかないことをなさる。いっそ女王にでもなられていただければなと飲み仲間と話す日々じゃ。とまあ、そんな話はよい。我が一族であったな。ベル一族の領地というものを知っておるか?」

 そういえば聞いたことがないとフィンは思う。勉強不足だ、舌をうつ。

「知らんのだろう。それもそのはずじゃ。確たる領地などないのだからな」

「え」

「あるとすれば、この堂。この堂がある限り、ベル一族は“時を管理する”という名目上、国から給付金が支払われる。愚痴になってしまうがの、もう少し紳士としての嗜みをもつ息子がいればと思ったわい。堂を管理させていただいている名誉にも関わらず、偉そうな口を叩き、給付金を腹の肥やすにする。まったく、建物がガタついているのは存位中に修理しなかったわしだけの責任ではないのだがな」

「ということは時を管理しているだけの名目で、伯爵位と給付金を?」

「そうじゃ。だから、わしは今の論争が馬鹿げておるといっているのじゃ。鐘の手入れもしないようなクソガキの味方など誰がしてやるものか。その点、リンとリナはいい子じゃ。みんなのお昼ご飯の時間を、ボクたちが教えてあげるんだと張り切って鐘を鳴らす」

「時を告げるのはベル一族の専売特許のようですが、そもそも時は王や民に関わらず平等なはず。だとしたら、今回の言い分は専売特許を失うことを恐れた伯爵のいいがかりなのですか?」

「今時の娘さんは賢いな。もちろん、そのとおりじゃ。それに時計というものがどんな代物であろうが、鐘は鳴らせばよいではないか。元々、ベル一族は鐘撞き係り。時の君をでっちあげて時の管理人などとしてしまったのがそもそもの間違いじゃ。鐘なんぞ誰でも鳴らせるのだ」

「よいお話をありがとう、心から感謝します」

 フィンはそういって、最後まで名前を名乗らず老人の前を去ろうとした。老人は孫の手をつないでフィンを満足そうに見送ろうと玄関までやってくる。

「おねえちゃん、またね」

 二人の孫はそういって、可愛らしく手を振る。

 フィンとメリッサは笑顔で出て行こうとするが、大きな影が行く手をふさいだ。

 見上げると、柄の悪い大男が三人、フィンを見下ろしていた。

「オヤジさん、誰の味方もしないんじゃなかったですかね」

 大男の一人が低い声で老人に語りかける。

 リンガー=ベル氏はいかつい顔に顔で大男を睨みつける。

「おぬしらに関係の無いごく個人的な客じゃ。倅の関係ではない。くれぐれも手を出すではないぞ」

 二人の孫は老人の影に隠れている。

「ベル家はこのようなごろつきを配下においているのですか」

 冷静に言葉を紡ぐメリッサだが、懐の短剣にひそかに手を伸ばしていた。

「実に申し訳ない。愚かな倅がわしにつけた監視じゃな。まったく、実に愚かな」

「オヤジさん、この女はなんだ? いい服着てるじゃねえか。顔もスタイルも抜群だな。俺にもツキがまわってきたかな」

 へへっと品の無い笑いをする。

「そこをどいてくださらない?」

 フィンは臆することも無く、堂々と言葉をかざした。

「この建物はな、勝手に入っちゃいけないところなんだよ、ねえちゃん。ちょっと詰め所まできてもらおうか。どっかのスパイかも知れねえしな。身体検査をさせてもらうぜ」

 メリッサはぎりぎりと目つきを鋭くするが、あくまでフィンは冷静に息をつく。

「よせ、おまえらのかなう相手ではないぞ」

 リンガー=ベル老人は孫をかばいながら、声だけで大男たちを制止しようと試みるが、大男たちは聞く耳をもたないようにフィンに一歩ずつ近づく。

「御手を下劣な者の血で汚すようなことはさせません。ここは私が」

 コートの懐からナイフを一本取り出し、逆手に構える。

「そんなんで俺たちとやろうってのか、おもしれえ」

 各々が凶悪な形をしたナイフを取り出す。

「メリッサ、刃を収めなさい。子供たちの前よ」

 怯え、老人の影に隠れるリンとリナ。

「いいわ、あなたたちの詰め所とやらに案内して」

 慌ててメリッサが振り向くが、フィンは頷くだけ。

「ふふん、物分かりがいいじゃねえか」

 大男たちもナイフをおさめ、ついてこいと怒鳴る。

「お嬢さんたち、この者たちは……」

「お邪魔したわね、リンガーさん。私たちのことは気にすることは無いわ。それよりも二人のお孫さんを守ってちょうだい……ヒマをみつけてまたくるわ。またね、リン、リナ」

 笑顔で玄関を出た。

 常にメリッサの反抗的な目つきを背中に浴びつつ、フィンは大男に囲まれて、歩んでいく。やがて、倉庫の一室の錆びたドアをあけて、男は入れと促す。

 がらんと空いたなにもない倉庫だった。剥き出しの地面に壁と屋根をつけただけの簡易的な倉庫で、妙に埃りっぽい。窓が無いため、空気も悪い。

 反対側に取り付けられたトビラから大男たちのリーダーらしき男がやってくると、その証拠に大男たちがぺこぺこと頭を下げる。

 ――ベル伯爵ではない。

 雇い入れたごろつきの頭か、とフィンは計算する。

「まずは名前をきかせてくれないか、お嬢さん。わかってると思うが、鐘撞き堂は部外者立ち入り禁止なんだよ。世間が大騒ぎしてるだろ、ベルク王国の機械時計がどうとかってよ。その関係で当事者であるオヤジさんの身の回りを俺たちが警護してるってわけよ。だから、身分の知れない、ましてや女が気軽に立ち寄られるといらぬ誤解をあたえるだろう? みたところ、いいところの出身だろうから、ご両親に連絡してやるよ。忠告つきでな」

 なにも言わないフィンにしびれをきらしてか、男はフィンの胸倉をつかもうと手を伸ばす。

「なんかいえ……うおっ」

 横からメリッサがナイフを振り回して、男を追い払う。

「……には触れさせません」

 男はタイを直すと、

「ほほう、女が護衛とはよほどの大物だな。こりゃあ、旦那に悪いが、俺たちの獲物にさせてもらおうか」

 男が顎で合図すると、ぞろぞろと手下の男達が現れ、手にはナイフを構えている。

「適度に傷つけない程度に縛り上げろ」

 男の指示に大男たちは叫び声で応える。

「悪の芽は見つけたときに摘み取るとよいのかしらね、メリッサ」

「まったくです」

 コートの中から取り出したナイフを右手で逆手に持ち、左手をコートの内ポケットにつっこんで、投げナイフを密かに構える。

「この人数なら一人でいけます」

 ダメよ、とフィンは言った。

「あなただけに血を浴びさせるわけにはいかないわ」

 フィンは腰の剣を抜く。

 細見の剣身は倉庫に注ぐ夕陽にまぶしく輝き、やがて、剣自体を淡い炎が包みこむ。

「やれ! 護衛の女は殺しても構わん」

 男の指示に手下達は動き出す。

 メリッサは大男たちの剣閃から身をかわし、左手の投げナイフを放つ。矢のような刃物の襲撃に、メリッサに飛び掛った男は避けられず、慌てて叩き落そうとするが、間に合うはずも無く、腕と足にそれぞれ刺さる。うめき声がひびく中、恐れをしらない男達によってメリッサへの襲撃が続けられる。だが、細い体を右に左にメリッサはダンスを踊るように身を翻し、動き回り、襲い掛かる男にコートの裏に仕込んだ投げナイフを放つ。

 一方、フィンにも数人の男が諸手で襲い掛かる。

 髪を鷲づかみにしようとフィンの頭上に手を挙げた男の腕が、剣の一閃と共に火をあげた。

 その瞬間、絶叫がこだまする。

 男の腕の切り口が燃えているのだ。どんな燃料もなく、ただ皮膚と肉を焼きつづける。

「ファイナリアは炎の民族。あなた達はその大切な事実を忘れているわ」

 炎が燃え盛る剣を片手に、男達へ迫るフィン。

 男達が一歩も二歩も下がる。

「古人の血を正当に受け継いだ私の聖なる炎で、あなたたちの穢れた心と体、焼いてあげるわ。きっと次に生まれ変わる時は優れた人物になっていることでしょう」

 そういって、フィンはうすら笑う。このようなフィンの状態ではメリッサは止めることが出来ない。王族だけが受け継いだ古代の力・炎を生み出す力、ロイヤルフレア。

 それを正当に受け継いだ、フィーナル王国の姫。

 その名はフィン=クローズド=フレアリング=フィーナル。

 後光のように炎をまとったフィンの姿。

 メリッサは男達が冷や汗をかいて、状況を窺がっているのを感じた。

 そのときだった。

 倉庫のドアが物々しく、開いた。

「新手!?」

 メリッサが反応したが、

 扉を開けて、震えて入ってきたのは、ベル伯爵夫人だった。

「おやめなさい、殿下の御前ですよ」

「なんだと!」

 リーダー格の男がフィンを見据えた。

「殿下、どうか御気を御静め下さい。炎の力、この者達にはもったいのうございます」

 夫人の言葉にフィンはようやく、炎を少しずつ弱める。

「くだらないことをやっているのね、ベル伯爵は」

「申し訳ございません、主人にはよく言って聞かせますので。この場はどうか、剣をお納めください」

 夫人は膝をついて、頭を下げた。

「なにをしているの、あなたたちも!」

 男達に対して怒鳴り声を上げる。

「女将さん、どういうことです」

「どういうこともないわ。このお方はフィン王女殿下なのよ!」

 愕然と。

 メリッサもようやく刃をおさめる。

「けが人の手当てをなさい」 

「はい、御慈悲のお心、感謝いたします」

「この場はあなたに免じて、許します」

「は、はい、ありがとうございます」

「だけど、二度とこのような組織の編成をすることをないように徹底すること。それと爵位は」

「はい、返上させていただきます」

「そうね、商売に精をだして。このような男達を従える力があることは大切よ。民への小型時計の普及、本格的にお願いするわ」

「ありがたいお言葉」

「それと、旦那さんは?」

「旦那は、夜の時計議案採決に向けて走り回っております」

 男が横から口を出した。

 メリッサは態度の変わりように腹が立つように唇を突っ立てたが、フィンは気にしていないようだった。

「夜の議案採決? 強行するつもり?」

 懐から時計を取り出し、フィンは焦った。

「もう、こんな時間。夫人、この男達の処分は貴女に任せるわ。いくわよ、メリッサ」

 

「まだやってるわね」

 外から帰るなり、着替えもせずに議場に姿を現した。

埃りと汗で美しさが台無しだとメリッサは舌を打つが、当の本人はそれどころじゃないと怒鳴る。 

 そして、フィンはまだ続いていた議場の席に戻り一喝した。つまらないことでもめている時間はない。

「人は皆、時の名の下に平等である。それは王であろうと、民であろうとベル一族であろうとなんら変わりは無い。以後、鐘撞き堂は時計塔と名を改め、定刻に鐘を鳴らすことを命ずる」

「お待ち下さい、それでは時の君に対して我が一族は……」

「ベル伯爵、時の管理人の名誉にかけて、あなたは時の君に仕えること。爵位を返上し、時の伝道師となって民に時計を普及させなさい」

「いやしかし、それでは……」

「あなたは一度でも鐘をならしたことがあって?」

 会場では拍手が沸いた。その音にかき消されて、ベル伯爵の声は誰の耳にも届かなかった。だが、フィンは当たり前のことを言っただけで拍手は失礼だと思った。

 

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「それで、その夫人とご老人はまだ御健在なのか?」

 旅人は締めくくるように尋ねる。

「ええ、今日も元気に時計塔の整備をしていたわ。もしよければ訪ねてあげて。珍しい話の一つでもしてあげると喜ぶわ。とくに他国の機械細工には興味あるみたいだから。まあ、けっして口には出さないけれど。それと、夫人は旦那を黙らせてベル社の女社長よ。今では爵位がなくなった途端に、なにもできなくなった旦那に小遣いをあげているわ」

 就寝を告げる鐘の音が城下の町並みに控えめに響く。今日もそろそろ終わるのだ。

「お礼に帝国のロイヤルブルーの姫君に関する面白い話を披露したいところだが、今夜はもう遅いようだ。また、次回があれば話をさせてくれ、王女殿下によく似た美しいお嬢さん」

 そういって、二人分の代金であろうコインを差し出し、男は席を立ち、店を出て行った。

 口笛の音が上機嫌を示しているようだった。

 フレアは最後の一滴を喉に流す。

「よく言われるわ。でも、王女殿下はもっと美しいのよ」

 そこへウエイトレスが割り込むように後ろから声をかける。

「ええ。王女殿下ならお支払いを踏み倒したりしないですもの」

「失礼な。私は無銭飲食などしない。払わないとは言ってない。ツケておいてと言っている。あなたはいつも私の揚げ足ばかり取る! ホント、頭にくるわ」

 ウエイトレスはミニのスカートの裾をちょんとつまみあげて、微笑みながら礼をした。

「それが私のお役目ですから」

 

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説明
「人は……時の名の下に平等である!」ある日の議会は王女フィンの一喝と共に静まり返った。小国家フィーナル王国での時計をめぐる物語。
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