唐柿に付いた虫 29 |
儀助の強張った手が、服の上から掴んでいたそれを苦労して引っ張り出し、吸血姫は、その首飾りを月光に翳した。
曇りのない銀のような素材で作られた細工が、綺麗な陰影を落とす。
メダルの部分はかなり古い、だがそれをはめ込んだ台座と鎖は新しい物。
これは、携帯の便宜を図るために、後から付けた物なのか……それとも何か、他の意味があるのか。
「ふむ、これが異界への門を開き固定した呪具……か?」
どこかで見たような気がするのう……そう呟きながら、メダルの文様を仔細に指でなぞりながら、意匠と、そこに込められた術式を読み取っていた吸血姫の顔が、さっと強張った。
「まさか、これは」
遥か昔に、彼女の部屋に無造作に置かれたそれを、一度だけ見た記憶が甦る。
(これは、世界が創まる前の場所と、終焉を迎えた先にある場所に至る為の、対を為す鍵)
何でこんな物が存在してるか良く判らないんだけど……今は何故か私が預かる羽目になってるのよ。
(預かる? お主の物ではないのか?)
(知らない内にこの城にあったから預かってるだけよ。 私こんなの要らないし)
作ったは良いけど、扱いあぐねた間抜けが置いてったのかな、長生きしてると、面倒な話だけが勝手に積み上がるよね。
そう呟いて、ピン、と指ではじかれたメダルが二つ、くるくると月光の中で踊り、再び彼女の手に収まる。
(ただね、この虚ろの地への鍵は、定命の者の世にあっちゃ駄目な物なの)
だからまぁ、ここにあるのが正しいのかもねー。
気怠そうに、その二つのメダルを大理石の彫像も羨むような蒼白な指先で弄んでいた彼女の顔を思い出す。
なぜ、これが彼女の手から離れ、このような盗賊が手にしていたかは知らぬが、少なくともこれは、少し術の心得がある程度の輩が扱いきれるような代物では無い。
誰かが手ほどきしたのだ、これが何か知っていて、扱えるだけの知識と魔術の腕を持った存在が。
そう考えれば、この不便な山の上にわざわざ異界への門を開く場を作った理由も判る。
山はただでさえ異界への入り口が開きやすい場所、その境界の曖昧な場所の力を借りたというのは、敵首魁が持つ魔術的な知識の存在を裏付ける。
問いただそうとして、まだ気絶したままの儀助の顔を見た吸血姫の顔が忌々しげにしかめられた。
この虚ろの鍵を使って開いた異界、恐らくは時と空間の『果ての地』に封じられていた棺。
あのような場所に封じねばならなかった、夜歩く者。
「何が起きておるのじゃ、一体」
想像していたより遥かに大事になりそうな予感に、さしもの吸血姫が僅かに身を震わせる。
これは、一刻も早くこの棺と共に下山し、主や鞍馬に相談せねばならぬ……だが、その前に、下に展開している領主の軍が踏み込んでくる前に、この建物も詳しく調べたくはある。
術というのは、どこかに施した存在の癖が見える物、仔細に調べれば手がかりも掴めるだろう。
とにかく、調べられるだけの事は調べたい。
あの棺を開くとしたらその後。
あれだけ厳重に封じられた代物だ、下手に開ければ、中から何が出て来るか知れたものではない。
何にせよ迂闊に動けぬな、取り敢えずは、この館に至る道を何か術で封じて下山するか。
物思う吸血姫を、その時巨大な陰が覆った。
「何じゃ?!」
見上げた吸血姫の目がそれを見た。
月を覆う、禍々しくも懐かしい巨大な翼。
「ダークウィンド? ……何故お主までが斯様な場所に?」
茫然と呟いた吸血姫の銀髪が、吹き付ける強い風の中に踊る。
「吸血姫! 気を付けてくれ! 敵だ!」
珍しく余裕のない鞍馬の声が、その後を追う。
「敵……じゃと?」
そんな馬鹿な事が。
あの闇の王直属の下僕が……妾の敵。
なんの悪い冗談じゃ、それは。
一瞬の自失、それが、吸血姫が上空から迫る脅威へと対応する時間を奪った。
盗賊達の悲鳴が木霊す中、その声すら覆うように巨大な影がこちら目がけて急降下する。
「ダークウィンド、止まれ!妾じゃ、吸血姫じゃ」
届いているだろうその声にも、大蝙蝠の勢いは衰える事は無く。
容赦なく荒れ狂う風の中で、館が悲鳴のような軋みを上げ、座り込んでいた盗賊達がなすすべも無く転がされる。
巨大な影が猛禽のように舞い降りてくる、その足が狙う先。
「狙いは棺か!」
たとえお主といえど、それはさせぬ!
巻き起こされた、人ならば立っているのも困難な暴風を物ともせず、鋭く踏み込みながら吸血姫が抜き撃った細剣が、雷光の如く大蝙蝠の足を貫く。
的確に筋を狙った痛撃に、さしもの大蝙蝠が軋るような苦鳴を上げる、だがもう一方の足がしっかりと棺を捉えた。
鋭く舌打ちした吸血姫が、手元に細剣を手繰り寄せ、再び刺突を放とうとする。
だが、それを阻むように丸太のような足が吸血姫を蹴りつける、それを飛び退って彼女が躱した隙に、大蝙蝠は脚から血を振り撒きながらも、上空へと高く舞い上がった。
「吸血姫、無事か?」
地に膝を付いて空を睨んだ吸血姫の傍らに、鞍馬と戦乙女がふわりと舞い降りる。
「妾とそこな盗賊共はな、じゃが状況は無事とは程遠いわ!」
珍しく荒い口調で二人にそう告げた吸血姫が、細剣を鞘に納め、背に負った外套を大きく打ち振った。
それが見る間に、漆黒の ーまるで今飛び去った巨獣を思わせるー 蝙蝠の翼に変じる。
「奴を追うぞ!」
黒革の翼を力強く羽ばたかせた吸血姫の体が、夜空に矢のように飛び出す。
吸血姫の後に続いて、再び空に舞い上がった鞍馬と戦乙女も速度を上げ、吸血姫に並ぶ。
「吸血姫、あの大蝙蝠が持ち去ったのは一体何だ?」
君は、知っているのか?
鞍馬の問いに吸血姫は頷き、忌々しそうな顔を、追いかける大蝙蝠の背に向けた。
「お主の見込み通りじゃった、奴らがあの館に隠していた、そして今、あの大蝙蝠、ダークウィンドが持ち去った物はとんでもない物じゃ……一歩間違えば、妾達にとってすら危険な存在」
「私達にすら危険?」
吸血姫はおよそ誇大な物言いをする性質(たち)では無い、その彼女がそう言うということは。
緊張に引き締まる鞍馬と戦乙女の顔を見て、吸血姫は強張った顔を前に向けた。
じわじわとだが、ダークウィンドとの距離が拡がるが、見失う程の圧倒的な差も無い、最悪夜明けまで見失いさえしなければ、何とかなるか。
にしても妙な……奴が本来の力なら、妾達すら振り切られておったろうに。
「とにかく奴を逃がしてはならん、奴が持ち去った棺……あれは恐らく」
自身を落ち着かせるように、一つ呼吸を置いてから、吸血姫は言葉を継いだ。
「妾達の始祖たる夜闇の王……真祖の棺じゃ」
漆黒の巨獣が疾駆する。
綺麗な月に照らされてくっきりと影を落とす榎の大樹が生えた丘、おそらくもう帰らない屋敷が、ぐんぐんと遠ざかる。
彼の家の駿馬すら及びも付かない程の速度で、しなやかに音も無く走る巨獣の背にしがみ付きながら、彼は不思議な程に静かな気持ちで、その光景を眺めていた。
『榎の旦那』も、これにて店じまいか。
幾つの偽名を重ねて来たのか、もう覚えてもいない。
今となっては忌まわしい記憶しかない本名を、血と炎の中に焼き捨ててしまってこちら、彼にとって名前という物には何の感慨も無い、用が済めば弊履(へいり)の如し。
何かの時の為に、各地に再起の為の金も地位も名前も用意してある、さて、次は何と名乗り、何をする事になるのか。
全ては、このお方次第。
ちらりと見上げた、その彼の視線に気が付いているのか居ないのか。
「良い夜ねー」
こちらは、その巨獣の背の上に、優雅に横座りした真祖が、風の中に銀髪を躍らせながら、空を見上げて呟く。
流石に、その言葉に何かを返せる余裕は彼には無い、必死で鞍も無い頑丈な筋肉の盛り上がった背にしがみ付く姿を見て、真祖は肩を竦めた。
「あんまり冥牙の背は乗り心地良く無いかもしれないけど……急ぐからちょっと我慢してね」
そんなに時間は掛からない筈だから。
乗り心地が悪いどころでは無い、暴れて跳ねる事がないのは救いだが、背にした存在の事など一顧だにしない獣の疾走は、人が乗るには辛過ぎる。
この速度で走る存在から振り落されれば、死ぬか、運が良くても大怪我を負うのは必至。
必死で彼女が冥牙と呼んだ獣にしがみ付くのは……だが、これが初めてではない。
真祖の足許に落ちた月影から、ずるりと現れ出でた、二間(約3.7m)を超えそうな強靭な四肢持つ漆黒の狼。
その大顎が時折息を吐く度に、口の端から青白い炎が溢れ、夜の中に細く軌跡を閃かせる。
その青白い炎の中に、真祖の蒼白な顔が時折浮かぶ。
「……あの時は、貴方と儀助の二人を乗せて随分走ったわね」
ぽつりと真祖が呟く。
「さようで……ございましたな」
あの、故郷を去ったあの夜と同じ。
この方は、私の取引相手の船に乗って海の彼方よりやってきた。
あの船が、何故接収されたのか、更に、単なる取引相手でしかなかった私にまでとばっちりが飛んで来たのかは、私には判らない。
ただ宣教師が、狂ったように十字架を振り回しながら叫んでいた言葉と、醜悪な顔だけが記憶に焼き付いている。
(この船を所有する商会は、異端の集団として教会と王家に認められた!)
奴らは、あの淫らな天竺の邪神共と我らが神を同一視するが如き布教を行い、信仰を歪めてまで商売を優先した。
私がそれを告発し、教会と王家もそれを認めた、これがその証の書き付け。
あの汚らわしい奴らも、奴らの商う荷も、それを取引し、利を貪る者らも全て。
悪魔。
悪魔は殺せ。
そして、悪魔の財は、此の地に正しき信仰に則った教会建設に使う事で赦しを得られる。
それが神の御心なのだ。
あの宣教師の言葉に乗り、あの船を接収し、船長以下の船員、そして取引相手の捕縛に動いた地方官府の長官の動機は、信徒としての純粋な信仰心の発露だったのか、それとも我欲だったのだろうか。
私は、船長の勧めで、円滑な商売の為に洗礼を受け、聖堂の建設の為の用地を提供しただけだったのに……。
(奴は養子、この家とは関係ありませぬ! これこの通り、悪魔めを差し出します、寄進も致します)
だから、私たちはお助け下さい、私たちも悪魔の被害者なのです。
私を縛り上げ、足蹴にして役人の前に転がしたのは、父や母や妻と呼び、昨日まで愛していた人たち。
そして、私を拷問に掛けた長官と宣教師の狂ったような顔と声。
悪魔というのは何なのだ……
理も慈悲も聞く耳も持たず人を悪魔と決めつけ罵り、石を投げる側こそが……悪魔なのではないのか。
その後、儀助に助けられて牢を抜け出し逃げ込んだのは、破壊され尽くした、あの商会が拠点にしていた商館。
私は、そこでこの方に出会った。
(澄んだ絶望の闇をその目に宿しているわね)
(……貴女は?)
(私? そうね、あの連中が語る、安っぽい悪魔みたいなモノかしら……そんな事は良いけど、全てを喪った貴方、一つ頼まれてくれない?)
私が貴方の導になってあげるから。
私と儀助は、逃げ出した私を捜索する為に手薄になっていた地方官府に再び潜入し、押収されたあの船の荷物から、あの方の宝冠と少し大ぶりの貨幣のような円盤を二つ、それと何か、砂のような物の入った袋を盗み出した。
そして、後を追って来た長官と捕り手を、瞬きもせぬ間に血祭りに上げたあの方の姿を見た時、私の心は決まった。
(お陰で力も取り戻せたわ、何かお礼をしないといけないわね)
あの真紅の冠を戴きながら、彼女は物憂げに私を見た。
何を望む?
私の……望み。
壊れそうな心が望んだ事。
(私の過去の消去……そして以後、私めが貴女様に忠誠を誓う事を)
お許しください。
(……ふぅん、変わった人ね。 まぁ、標になって上げるって言っちゃった事だし、良いわよ)
その願い、聞き届けた。
私の生を狂わせたあの事の真相は、全てが彼女の操る炎の下で灰燼に帰した今となっては知る由もない。
今となっては……どうでも良い事。
「貴方には、良い記憶じゃなかったわね」
真祖の言葉に感情は伺えない、懐かしんでいるという事でも無い。
ただ淡々と、有った事を思い出しながら、言葉を紡ぎ出しているだけ。
だけど、その言葉だけで、私は。
「いいえ」
下手に口を開くと舌を噛みそうになる中で、それだけを答える。
彼女の記憶の中に、自分の存在が残っている。
永遠なる彼女の中に、一かけらだけでも、自分の存在が。
それだけで、彼はどこか心が満たされるのを感じていた。
「……そう」
短くそれだけ口にした真祖が、獣の首を軽く叩いた。
徐々にその足が緩み、静かに止まる。
目的地か。
強張った指を背中から引き剥がすと、力を失った指や腕がカタカタと震える、彼は息も絶え絶えになりながら、滑り落ちるようにして何とか地に降り、膝を付いた。
それをちらりと見てから、冥牙はグルルと地響きのような喉声を発しながら、真祖の手に巨大な頭をこすりつけた。
「貴方には大したことじゃ無かっただろうけど、お疲れ様」
しばし休んで居なさいな。
「ここは」
何とか顔を上げた彼の目に、月明かりの下に浮かび上がる長く白く続く練塀と、浅い堀に囲まれた広壮な屋敷が見えた。
この場所は一度だけ、儀助をお供に、進物の饅頭を片手に挨拶に訪れた事がある。
生唾を飲み込みながら、真祖の方に顔を向けると、彼女の足元に伸びた影の中に、再び冥牙がその巨体を沈めて行く所だった。
「ええ、言ったでしょ唐柿を愛でに行くって」
くすくす笑いながら真祖が歩き出した。
慌てて、彼もその後を追う。
彼女の歩みを向けた先、式姫の庭へ。
説明 | ||
式姫の庭の二次創作小説になります。 「唐柿に付いた虫」でタグ付けしておりますので、過去作に関してはそちらからご覧下さい。 |
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コメント | ||
OPAMさん ありがとうございます、主役を食うほどにキャラ付けや掘り下げをする気は無いんですが、超越者に関わってしまった普通の人の色々な有り様を混ぜていきたい、というのが常にありまして、こういう人を対立軸の向こうに置きました。 その辺を感じて頂けたみたいでとても嬉しいです。(野良) 榎の旦那・・・魅力的なキャラだったのですね。(今回の話を読むまで真祖さまの圧倒的な存在に対して盲目的に従うロボットのような人だと思っていました)絶望の果てに無感情までにはなれず、といって復讐しようというほどの強い感情を持つわけでもない・・・普通の人ってそうなるよなぁ、という妙なリアリティを感じて読みながら共感していました。すべてが一つの場所へと集約していく展開に物語が終盤だと実感させられます。(OPAM) |
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