絶撃の浜風 赤城編 01 ミッドウェーと回想
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絶撃の浜風 赤城編

 

 

 

 

 

 

 

01

 

 

 

 

 

 

 

ミッドウェーと回想

 

 

 

 

 

2020年4月15日加筆  2021年8月5日 同年12月26日 修正

 

 

 

  天城型巡洋戦艦二番艦《赤城》改め、赤城型航空母艦一番艦《赤城》と言えば、世界最強と呼ばれた空母機動部隊である第一航空戦隊の旗艦である

 

 

 当時の大日本帝国海軍では、表向きは長門がリーダーという事になっていたが、時代は既に大艦巨砲主義の終焉を迎えていたため、戦闘には殆ど参加していなかった

 

 その一方、数多の戦場を駆け巡り、実行部隊を率いて連合国軍を叩きまくっていた赤城こそが実質的な大日本帝国海軍のリーダーであった

 

 

 

 撃墜数500機、撃墜比率12:1という圧倒的な戦闘力を有し、連合国軍にとって最大の脅威であり、連合艦隊の中にあって、赤城率いる第一機動部隊だけは別格的存在であった

 

 

 

 最強の戦闘マシーンと恐れられていた空母赤城であったが、先に記した通り、元は天城型巡洋戦艦2番艦という出自である。ユトランド沖海戦の戦訓から、高い攻撃力と装甲を保持しつつ、高速戦艦並みの速力を持つ戦艦として開発された経緯を持つ。だが、ワシントン海軍軍縮条約のあおりを受け、未完のまま空母へと改装されたのである(当初は三段空母であった)

 

 

 

 加賀同様、改装は混迷を極めた。本来であれば、鳳翔をベースにデータを積み重ねながら徐々に大型化していくはずの空母開発であったが、いきなり世界最大級の戦艦の艦体をベースに開発する羽目に陥ってしまったのだから、無理からぬことではあった。駆逐艦並みの重量を誇る41p主砲や装甲を撤去した事で、当然の事ながら船体が浮き上がり、スクリューが水上に出てしまったり、単純に煙突との重量バランスをとるために艦橋を左右逆配置にした事で、着艦の際、左へ流れるレシプロ機の障害となったりと、無理な改装に加え、まだ空母の理想形態も手探りの時代だったため、現実には様々な問題を抱えた艦だった

 

 

 八八艦隊六番艦の出自である巡洋戦艦ベースの艦体は、全長252.4mと大和型と長門型の中間に位置するほどの巨体で、信濃が竣工するまでは、間違いなく連合艦隊最大の航空母艦であった(信濃は赤城没後の竣工なので、面識はない)

 

 

 真珠湾では零戦隊の板谷、雷撃の神様こと艦攻隊の村田、攻撃隊指揮官の淵田といった、三人の飛行隊長を有する前代未聞の豪華布陣であった。別に仲が悪いわけではないが、エース級の飛行機乗りは総じて我が強く、「司令塔」が複数存在していた弊害で、麻雲や源田らとの指揮系統に問題を抱えていた

 

 

 現代に語り継がれた内容の多くが、ミッドウェーで敗北した事実ばかりが取り沙汰されているが、エンタープライズからのSBDが襲来するまでに日本が受けた被害の倍近くの敵機撃墜をしており、損害の規模では米軍の方がはるかに大きかった

 

 

 

赤城は、最後の最後まで最強の機動部隊旗艦であった。(同年4月18日・5月10日加筆修正)

 

 

 

 

 

2020年4月16〜17日加筆

 

 

 

 栄光の第一機動部隊・第一航空戦隊(通称一航戦)旗艦であった赤城だが、本山六三八連合艦隊司令長官は、航空戦に明るい山口多聞少将ではなく、海軍内の年功序列を理由に水雷屋上がりで航空戦の素人である麻雲忠三中将を空母機動部隊のトップに選んだ

 

 だが、彼を選んだ本当の理由は、小沢や山口、大西に比べ、本山にとって麻雲が最も御しやすいという、ただそれだけの事であった

 

彼が就任して以来、赤城たちの戦歴に暗雲が立ち込め始める

 

 

 

 現実問題として、航空作戦の実質的な判断は航空参謀の源田実が行っていたが、重要な局面において、その新任の機動部隊司令は稚拙で不可解な采配を採り、その最後の日まで、赤城たちを苦しめる事となる

 

 

 

 

《敵は叩くべき時に叩くべき相手を叩けるだけ叩く》

 

 

 

それが戦闘マシーンと揶揄され連合国軍を震え上がらせた赤城の矜持である

 

 

 赤城にとって、戦場は生き物である。時折垣間見える勝機を逃さず、叩くべき相手を徹底的に、二度と反撃出来ない位、それはもう徹底的に叩く。詰めの甘さが、自分の寝首をかく事になりかねない事を、彼女は戦場で嫌というほど学んでいた

 

(2020年4月18日加筆修正)

 

 

 だが、赤城と麻雲中将とではその考え方があまりにも相容れなかった。というよりもお話にならなかった。麻雲は、本山六三八の傀儡でしかなかったのである

 

 

(2021年12月26日 加筆)

 

 日本より一足早く、遠く大西洋で英国と戦っていた三国同盟の朋友ドイツとイタリアは、ドイツ軍のUボートによる通商破壊作戦により、英国の多くの資材を徹底的に叩き、兵站の面で追い詰めていた。そしてヨーロッパ連合国軍の主要国である英国とオランダの資材の多くは、英国の支配下にあったスエズ運河を通り、ビルマ、マレー、東インド、フィリピン、グァム、ニューギニア、ビスマルク諸島といった植民地から賄っていた

 

 海戦前から日本の方針ははっきりしていた。英国やオランダが支配するこの南方海域の制海権を確保し、両国の輸送艦を余さず沈める通商破壊である。大西洋においては同盟国のドイツ軍が、スエズ運河への通り道である地中海ではイタリア王立海軍が、そして資材の供給元である南方海域においては大日本帝国海軍がこれを行い、英国とオランダの音を上げさせギブアップさせる戦略であった。三国同盟のターゲットはあくまでも大英帝国とオランダであり、国民の多くが他国の戦争に介入する事を嫌悪しているアメリカを刺激しないよう、ソ連や?介石軍への支援の遮断などを細心の注意を払ってこれを行っていたのである

 

 

 だが、陸軍参謀本部、内閣の承認を得ず、また、海軍においても源田や淵田、山口といった多くの将官が反対したにもかかわらず、本山六三八連合艦隊司令長官は独断で十三年越しの夢であった真珠湾攻撃を慣行。日本は、本来行う予定であった対英国・対蘭国戦である南方作戦構想が大きく崩れたまま、大東亜戦争に突入した。踏んではならない虎の尾を、思い切り踏み抜いたのである。その結果ヒトラーは対外的には日本を賞賛したが、本山の愚行に激怒し、チャーチルは「これで英国は救われた」と皮肉を込めた感謝の意を示し、ルーズベルトは「まさか本当にやってくれるとは思わなかった」と、予定していた結果があまりにも簡単に転がり込んできた事に驚いたという

 

 

 本山のこの軽率な行動は、アメリカ国民を激怒させ、日本との本格的な戦争に突入したばかりでなく、ルーズベルトにヨーロッパ戦線へも参戦する口実を与えてしまった。ドイツとイタリアの敗北は、実はこの本山の行動によって引き起こされたのである

 

 

 

 

 チェスター・ニミッツをはじめ、東郷平八郎を尊敬するアメリカ軍人は多い。だが、本山六三八を尊敬するというアメリカ軍人は皆無であるという事実が、彼の愚行が如何程のものであったかを物語っていると言えよう

 

 

 

 

 

そして運命のサイは振られた・・・・いや、本山六三八のイカサマサイコロにより、日本国民や世界を巻き込む大博打が打たれた

 

 

 真珠湾では戦艦アリゾナ、オクラホマ、ウエストヴァージニア、カリフォルニアをはじめとする多くの艦艇を沈め、多大な戦果を挙げた第一機動部隊であったが、機械工場や修理施設といった工廠や、450万バレルに及ぶ重油タンクを見逃し、攻撃を加えなかった。そしてハルゼー中将座上のエンタープライズは、真珠湾攻撃の報を受け、単艦で決戦を挑もうとしていた。同時にレキシントン以下第12任務部隊は、偵察機を出し、日本艦隊を捜索していた。つまり、そのまま戦闘を続けていたら、遭遇戦になる可能性が十分にあった。その時の航空戦力比はおよそ350対131・・・・後にアメリカ太平洋艦隊司令官チェスター・ニミッツは、この時点ででエンタープライズとレキシントンが第一機動部隊と戦闘状態に入ったら、間違いなくやられていたと語っている

 

 

 だが、麻雲中将は第三次攻撃隊の出撃を取りやめた。真珠湾にはまだ手付かずの工廠や重油タンクがあったにもかかわらず、である。これを叩いておけば、米軍は真珠湾から作戦行動を取る事が数か月間は不可能となるはずだった。結果的に、エンタープライズとレキシントンは麻雲機動部隊が引き上げた事で命拾いをした。しかも、レキシントンに至ってはその日の夜に真珠湾に帰港し、燃料の補給まで行っていた。麻雲が腹を括っていたら、その後の歴史が全く変わっていたのは明白であった

 

 

 

 敵の工廠や補給施設を全く叩かず、それに敵空母を一隻も撃沈せず撤収するなど、赤城には到底受け入れられない事だった。これでは悪戯にアメリカを刺激しただけで、戦略的意味が全くない・・・・・いや、そもそもこんな遠く離れた太平洋に浮かぶ真珠湾を攻撃する事事態が、戦略的には何の意味もない・・・悪手でしかない

 

 悪手を選ぶなら、その中で最善の手を打つべきである。だが、麻雲は悪手の上に、最悪の選択・・・・悪戯にアメリカを刺激し、尚且つ反撃の機会を与えるという愚を行ってしまったのである

 

 時代は既に大艦巨砲主義の時代から、航空戦主体の時代へと移行しており、空母の保有数が、そのままその国の力を表していると言えた。そして空母と艦載機の建造費、そして飛行機乗りの育成は、その国の経済と人的資源に大きな負担となっていた。故に、敵空母を叩く事は、敵国に深刻なダメージを負わせる事に等しかった。空母のあるなしは、後の戦況を大きく左右するようになっていたのである

 

 

流石の本山もこの件について麻雲を強く非難したが、全ては後の祭りであった

 

 

 

 

 

 第三次攻撃隊出撃中止の報を受け、赤城はやり場のない怒りを覚えていた

 

 

 

 

「この戦いに出立する時、機動部隊の半数を失う覚悟で挑んだはずではなかったのですか?なぜ目先の戦果だけで満足するのです?・・・私は、真珠湾で討ち果たす覚悟で臨んでいたのに・・・・麻雲よ、臆したか!?」

 

 

(2020年4月18日加筆修正)

 

 

 

「空母を叩かずして、何のために私たちはこんなにも遠くまでのこのこやってきたというのですか!!」

 

 

 

 

 

 赤城の懸念は的中した。事実、この時取り逃がした空母の中に、後にスプルーアンス少将指揮下となり、ミッドウェーの立役者となるあの《エンタープライズ》がいた。真珠湾攻撃よりわずか半年後のミッドウェー海戦において、麻雲貴下の一航戦・二航戦は全滅という憂き目にあわされる事になるのである

 

 

 

 セイロン沖海戦でも、対空警戒警報も出さずに爆装を雷装に換装。その最中、ウェリントンに爆撃を受けるまで、間抜けなことに敵襲に気付きもしなかった

 運よく直撃は避けられたが、もし被弾していたら爆装や魚雷に引火・誘爆して大惨事になっていたかも知れなかった

 

 艦娘になってからの赤城の口癖、「慢心、ダメ!絶対!!」は、この時の事を指していた。だが、赤城の思いも空しく、麻雲中将は同じ轍を何度も踏む愚か者であった

 

(2020年4月18日加筆修正)

 

 

 

 

極めつけはミッドウェーへの奇襲戦である

 

 

(2021年12月26日 加筆)

 

 言うまでもないが、日本にとってミッドウェーは戦略的に何の価値もない島である。仮に占領したとしても守るに難しく、これ程遠くまで伸びた戦線に兵站を確保する事自体が困難である。ましてや相手はあのアメリカである

 

 

 そこへ日本へ降って湧いたチャンスが訪れる。ドイツのエルヴィン・ロンメル元帥がスエズ運河に向けて進軍を開始したのである

 

 当時の北アフリカ戦線は砂漠地域の戦いであり、兵站能力が極めて重要であったのだが、ドイツ海軍は英国海軍に比して弱く、イタリア王立海軍はマタパン岬沖海戦でザラ級重巡洋艦の多くを失っていた上、深刻な燃料不足で活動が制限されていたばかりか、王立空軍の横槍で制空を担う為の空母を保有していなかった。そのため、補給の拠点としてのマルタ島周辺の制海権が極めて重要であったにもかかわらず、英国海軍にいいようにされていた

 

 

 そこで大日本帝国としてはこの好機を逃がさず、スエズ運河を超えて地中海の制海権を抑え、ロンメル機甲師団の兵站ルートを確保し、同時にイタリア王立海軍に不足している燃料と航空戦力を供給し、一気に連合国軍を押し返す案が検討された

 

 

 アメリカが国力にものを言わせて本格的な反抗作戦に出る前に、早期に英国を屈服させるという、南方作戦の本来の目的に立ち返り、それに賭けようとしたのである

 

 

 だが、ここでまたしても本山六三八連合艦隊司令長官が異を唱え、今頃になってやはりハワイを占領しようと言い出したのである。その足掛かりとしてミッドウェー島の攻略をするべきだと

 

 

 無論これも周囲の反対を受けるが、海軍軍令部総長、所謂海軍の実質的なトップである長野修己がこれを黙認した事と、運悪く同年4月18日に行われた日本への無差別空襲であるドゥーリットル空襲が重なり、日本国民の反米感情が高まってしまい、結局この作戦が行われてしまったのである

 

 

 

 

 

 

 これまでアメリカ軍に対し連戦連勝であった大日本帝国海軍であったが、機動部隊の乗員は南方作戦における長期の連戦で疲弊しきっていた。更に数多くの新兵の加入による再編もあり、古参の兵の休息と、新兵の教練などが明らかに不足していた

 

 

 要するにこの時の一・二航戦は、本来の戦闘力には程遠い状態にあったのである

 

 

 それに加え、K作戦の失敗により敵空母の位置情報も掴んでいなかった

 

 

 乗員の休息と新兵の教練の不足、それに敵の位置情報の把握など、明らかな準備不足を理由に源田と山口は同作戦の延期を申し出たが、本山はこれを却下

 

 

 全てが準備不足のまま無情にも奇襲作戦実施の日時だけが決定され、律義に(馬鹿正直に)それを実行した

 

 

 敵の位置もわからないまま出撃した状態での索敵は混迷を極めた

 

 

 敵空母がなかなか発見できず、麻雲中将は敵空母が当海域を離脱したと判断し雷装を爆装に換装させミッドウェー島攻撃に切り替えた

 

 

 ところが利根から索敵に出ていた零式水上偵察機から、「十隻の敵らしき艦影」発見の報が、更に一時間後、「敵空母らしきもの」発見の報が続く

 

 

 最初の報から数十分後になって麻雲中将はようやく雷装から爆装に換装した装備を、また雷装に戻すよう指示を出した

 

 

 この時「飛龍」に乗艦していた第二航空戦隊司令の山口多聞少将はこの指示に対し強く反対したという

 

 

 

 

「時は一刻を有する。爆装のまま今すぐ発艦し、敵空母を叩くべきだ。」と

 

 

 

 

しかし麻雲中将はこの進言を却下

 

 

 

 

「雷装切り替えだ。空母は爆装では沈まん」

 

 

 

 

 そして、艦内格納庫では雷装→爆装→雷装の換装が慌ただしく行われ、爆弾や魚雷がそこら中に転がっている状態だったという

 

 

 

「こんな所を敵に攻撃されたらひとたまりもないぞ」

 

 

 

格納庫のあちこちでそんな声も聞こえたという

 

 

 そして換装を終えて第一陣が発艦しようとした矢先にエンタープライズSBD艦爆隊の攻撃を受け、加賀に四発が落とされ爆発炎上、そして赤城には・・・たった一発の500キロ爆弾がエレベーター付近から飛行甲板を突き破って炸裂、格納庫に転がる陸用爆弾、艦攻、艦爆に次々と誘爆し、それが赤城の致命傷となった

 一発の雷撃も受けていなかった赤城は、艦体や機関に左程ダメージを受けていなかったにもかかわらず、誘爆によって内部から焼き尽くされていった。セイロン沖海戦での教訓が全く生かされていなかったのだ

 

 

 

 疲弊した兵に新兵を加えた編成、敵空母の位置情報がわからないままの出撃強行、利根4号偵察機からの報告で迅速に判断、対応しなかった事(爆装のまま直ちに出撃すべきであった)、換装中の索敵を厳にしなかった事・・・・

 

 

 実際、加賀の飛行隊は散発的に出現する雷撃隊の攻撃を凌ぐため、決死の防空戦をしていた。低空の攻撃に気を取られ、上空から急降下爆撃を敢行するエンタープライズSBD隊の攻撃に気付かなかった

 

 

 しかも、エンタープライズから発進したSBD隊は、麻雲が否定した艦戦の直掩機をつけないで発進した艦爆隊だった。確かにSBD隊は相当数が撃墜されていた。だが、彼らはその犠牲に見合うだけの戦果をあげていた・・・・・第一機動部隊の全滅という戦果である

 

 

 

 ここに、麻雲中将とスプルーアンス少将との器の違いを感じずにはいられない・・・

 

 

 

 

 これらは全て本山六三八司令長官と麻雲中将の采配一つで回避できた事であった

 

 

 

 

更に言えば、米軍は日本側の暗号通信を既に解読しており、麻雲機動部隊の動向は筒抜けだった

 

 

 

 圧倒的な規模を誇る大日本帝国連合艦隊に対し、米軍側は雪辱に燃える「エンタープライズ」に加え、「ホーネット」「ヨークタウン」を中心とした連合艦隊であったが、規模ははるかに劣っていた

 

 そのため、ターゲットを一航戦の空母機動部隊に絞り、戦力を一点集中してこれを叩くべく虎視眈々と待ち伏せていたというのが真相であった

 

 

 

 加えて、こんな事実もある

 

 運命の6月5日、第一・第二航空戦隊壊滅という悲劇の前日、そのはるか後方を航行中だった連合艦隊司令長官「本山六三八」座上の旗艦、戦艦「大和」にて、敵空母らしき呼び出し符号の電波を傍受していた

 にもかかわらず、大和の先任参謀「白島鶴人」大佐はこの事実を麻雲機動部隊に伝えず、情報を握りつぶしていた

 

 

 とにかく、全てがどうしようもなくお話にならなかった。いかに赤城擁する機動部隊といえど、指揮官がこれ程まぬけ揃いではひとたまりもなかったであろう

 

 

 世界最強と謳われた主力空母四隻を同時に失うという事実は、その後の戦況を大きく悪化させた。暗号通信を解読されていたとはいえ、この時点では連合国軍には零戦に対抗出来うる戦闘機もなく、空母も不足していた

 

 

 加えて、大日本帝国海軍のお家芸であった水雷戦、特に夜戦における水雷戦隊を壊滅に追い込んだレーダー照準射撃の実戦投入もまだ行われていなかった

 

 

 つまりこの時点では、大日本帝国海軍は連合国軍に圧勝できる可能性があった

 

 敵空母打撃部隊を壊滅させ、ミッドウェーを制圧すれば、米国との終戦協定も視野に入れる交渉も不可能ではなかった

 

 

 

そう、ミッドウェーは、絶対に負けられない戦いだったのだ

 

 

(2020年4月18日加筆修正)

 

 

 

 

 

艦娘になって少し落ち着いた頃、赤城はこう言ったという

 

 

「あの当時の事ですか?・・・・・まぁ、言いたいことは色々ありましたが、あれも運命だったのでしょうね。戦略・戦術面で無能な者が、より上の立場に立って采配を振るう・・・命を張って戦う立場からすれば、これはもう悪夢としか言いようがありませんね」・・・・と。

 

 

また、

 

 

「爆装でも何でも飛行甲板をぶっ壊して飛べなくしちゃえばいいじゃないですか。あの時点ではもう沈めるのにこだわってる段階は過ぎてましたよね。多聞さんの言うのは尤もですよ。」

 

 

 

そして更に言葉を続ける

 

 

「セイロン沖での空爆の時、いっそ被弾して麻雲中将もろとも私が沈んでいれば、少なくともミッドウェーで一航戦二航戦壊滅、なんて事にはならなかったかも知れませんね

 

加賀さんが生き残ってさえいれば・・・それに飛龍には多聞さんがいましたし、五航戦の子たちも編入すれば・・・・・なんて、思っちゃいますね」

 

 

 

ヒートアップしてきた赤城はとどめの一言をグサリ

 

 

「過ぎた事ですけど、第一戦隊はあんな後方で何する気だったんですかね? せめて私たちの前に出て囮で体を張るなりしてくれれば、あんな状況でも力押しで何とかなったと思うんですけど。戦力は圧倒的にこっちの方が上だったんですから

 

まったく、あんなデカい図体して、何のための装甲なんですかって事ですよ! 淵田や村田達が怒るのも無理ないですよ・・・・・・あ、あくまで中の人の事ですから」

 

 

 

 

赤城の言う所の中の人とは、本山六三八と麻雲中将、それと白島鶴人に他ならなかった

 

 

 

 

 

赤城は断言する

 

 

 

 

「この三人がいなければ、そして多聞さんが指揮を執っていたとしたら、真珠湾でエンタープライズを逃す事も、ミッドウェーで敗北する事もありませんでしたね」

 

 

 

 

そして続ける

 

 

 

 

「それ以前に・・・あいつですね・・・・長野修己海軍軍令部総長・・・・あの男がいなければ、そもそも真珠湾攻撃なんて行われなかったでしょう」

 

 

 

 

 

 

 陸軍参謀総長、そして海軍軍令部総長・・・それは陸軍、海軍それぞれの軍を統括する実質的なトップであり、内閣や天皇陛下でさえ、それを止める事は出来ない

 

 

 特に海軍軍令部総長である長野修己はコミンテルンとの交友関係が噂されており、国体の破壊と、背後にそれを支援する存在が見え隠れしていた

 

 

 

 

 

 さもありなん、十年以上も前から真珠湾攻撃をやりたくてやりたくてそこら中で吹聴して回っていた本山六三八を、連合艦隊司令長官の任期が切れていたにもかかわらず、ゴリ押しして続投をねじ込んだのは長野修己であった。あの男に・・・・本山に続投させたらどうなるか・・・・わかっていたはずである

 

 

 

それを危惧していたのは源田や山口だけではない・・・・多くの将官が、それを懸念していたのである

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まぁ、私は人間のそういった部分には興味もありませんし、干渉する気もありません・・・・ですが・・・・」

 

 

 

 

 

 

 艦娘として復活してからの赤城は、大本営に全てを委ねる事の危険性を危惧していた。大日本帝国海軍軍艦としての出自がある以上、軍務を全うし、人に従いたいという欲求・・・本能じみた感情はある・・・・だが、

 

 

 

 

 

 

「私たちが沈んだ事で、祖国は敗戦への道を辿る事になった・・・まぁ、人と人同士の争いの結果に関しては、甘んじて受け入れましょう・・・でも・・・・・」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・人類存亡の幕引きを、自ら行おうとする愚か者には、それ相応の《おしおき》が必要ですね・・・・・」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

利根 01 利根四号機  及び

 

赤城 02 赤城禁止   に続く

説明
絶撃シリーズのスピンオフ 赤城編です

作品世界の根底を支える赤城さんにまつわる過去の回想です
この作品はフィクションです。念のため。

2021年12月26日 加筆修正しました
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艦これ 艦隊これくしょん 赤城 ミッドウェー アフター ストーリー 

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