カッティング〜Case of Shizuka〜 4th Cut
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 インターフォンを押ししばらく待つとスピーカーから返事があった。

「どうしてきたの?」

 一週間ぶりに聴くシズカの声だ。

 その声音は僕に少なくないショックを与えた。

 言葉こそ質問を向けているが、スピーカー越しでも分かるほどの拒絶を感じさせる。

「言っただろ、側に居るって。だから会いに来たんだ」

 僕はただシズカの側にいたい。今の僕が心から望むことだ。

「分かった。鍵は開いてるから入ってきて」

 シズカの返事は先ほどと違い拒絶されている感じはしない。しかし、一切の感情を感じさせない無機質な声だった。

 玄関のドアを押すとシズカの言ったとおり鍵はかかっていない。

 玄関で靴を脱ぎ中へ入る。

「お邪魔します」

 インターフォンに出ていたので居るはずだが返事がない。

 僕はリビングへ向かう。

 そこにもシズカは居ない。

「シズカ、どこ?」

 僕はどこにもシズカが居ないから、心細くて声を出す。

 返事は聞こえてこない。

 僕が聴いたシズカの声は幻聴だったのだろうか。

 ふと、水の流れる音がすることに僕は気がついた。

 その水の音がシャワーの音だと分かると、安心すると同時に今シズカが裸で居る事実が緊張を生む。

 ソファーに座り、シズカのシャワーを待つ。

 きっとシャワーに入ろうとしているときに僕が来たから、インターフォンであんなことを言ったのだろう。

 理由が分かればなんてことは無い、ただタイミングが悪かっただけだ。

 これなら事前に連絡をしてから来ればよかった。

 とはいえ、この一週間はシズカの携帯電話が一切通じず連絡の取りようがなかったのだが。

 しばらくすると、扉の開く音が聞こえた。

 音がした方を向くとそこにはシズカが居た。

 その場で僕は動けなくなった。

 まだ薄っらと濡れた髪とお湯で暖まりほんのりと赤みを帯びた頬が艶めかしい。

 しかし、それ以上に僕が動けなくなった理由はシズカが全裸だったからだ。

 シズカは一定の間隔で僕に歩み寄る。

 そのまま僕の座るソファーまで来ると、石けんの匂いがした。

 シズカは何も言わずに僕に抱きついてくる、体重をかけてくるシズカに押し倒される。

 押し当てられた胸の感触と間近に感じる吐息、石けんの中に混じるシズカの体臭。それら全てが僕の理性を砕いていく。

 何故シズカが突然こんなことをするのか、まるで分からない。

 辛うじて残っている理性をかき集め、シズカに問う。

「いきなり、どうしたこんなことを」

 シズカがそっと僕の体から上半身を離す。

 全裸のままシズカが僕の上に乗っているので、シズカの胸に視線が向きそうになるのを必死にこらえる。

 ここでシズカから視線をそらしてはいけない。僅かに残った僕の理性の欠片に従う。

「ケイジが来てくれたから。もう会えないと思ってた。私にはケイジしか居ないから。私には私が誰なのか分からない。前の私と今の私はきっと違う私。私は死んだはずなのに、今の私は生きてるのそれとも動く死体なの? だから……だから」

 そういうことだったのか。この一週間、心のどこかで僕をいたたまれなくしていたのは、これだったんだ。

 僕はそっとシズカの左腕に手を伸ばす。

「これが傷の理由だったんだね」

 シズカの腕には無数の傷が刻まれていた。黄泉返った時に無くなった傷がたった一週間でこれだけ増えていることがとても悔しい。無数の傷が僕の無力さを見せられているようだ。その傷の数だけ僕は自分が何も出来なかったことを思い知らされる。

「僕はこの一週間君に会いたいそればかりを考えていた。でも、一番大切なことを見落としていたんだ。生き返った君がどうしているのかってことだ。君の側に居ないといけないときに側に居れなかった」

 ゆっくりとシズカが首を横に振る。

「違う。そうじゃない。ケイジが好きだったのは前の私、今の私じゃない。でも、今の私もケイジが好きで、でもそれは前の私の記憶の所為かもしれないし。なのに好きだっていうこの気持ちは止められない。私はどうしたら良いの。ケイジが側に居てくれないと不安で、一緒に居る今はすごい幸せなの。この感情が本物なのか分からない。本当に分からないの」

 そうか、この一週間僕を不安にさせていたのはこれだったんだ。

 シズカが今までと同じシズカなのか、そのことから僕はこの一週間逃げ続けてきたんだ。見ていたのに、シズカが解体されてもう一度、組み立てられるところを。

 今、目の前に居るシズカは僕の知っているシズカなのか?

 そう疑い始めると僕は精神の底なし沼にとらわれた。

 この全裸の少女は生きていると言えるのだろうか。

 生きていたとして、果たしてそれは本当にはシズカと言い切れるのか?

 一体、何がもしくは誰が生きているにか分からない未だに僕の上に跨がったままのシズカをシズカであると証明できるのだろう。

 分からない。今まで信じていたものが全て根底から覆る。

 僕はどうすれば良いんだ。今、何をしたらこの気持ちを拭い去れるのだろう。

 シズカはきっとこの何倍もつらい思いをしているだろう。自分のことなのだから。この一週間の間、僕はなんと呑気に過ごしていたのだ。シズカの苦しみはなど全く考えずに過ごしていたのだから当然だ。

 目の前に居る今のシズカどう接するかを今一番に考えるべきだ。

 やはり、全裸の異性に押し倒されたままだと男として冷静に物事を判断できない。

「やっぱり、どいて服を着てくれるかな」

 僕の言葉にシズカの表情があからさまに曇る。

「やっぱり、嫌だよね。私みたいな化け物の安直な色仕掛けなんて。気持ち悪いだけだよね」

 シズカはそう言いながら僕の上から退くと、どこかへ歩き出す。

「待って」

 僕は慌ててシズカを呼び止める

「嫌じゃない。気持ち悪いわけがない。むしろ、裸のシズカを見てすごいドキドキした。」

 シズカがこちらを振り返る。

 僕は慌てて視線をそらす。

「とりあえず服を着て。それから話そう」

「分かった。ちょっと待ってて着替えてくるから」

 そう言ってシズカは歩き出す。

 シズカの足音が遠くなり、やがてドアを閉める音が聞こえて、ようやく僕は大きく息を吐きソファーに座る。

 ゆっくりと息を吸い込むと石けんの残り香がして僕はドキリとした。

 ついさっきまで好きな異性が全裸ですぐ側に居た。その事実に僕は悶々とする。

 どさくさに紛れて胸を揉むぐらいはしてもよかったのではないかと不埒な考えが頭をよぎる。

 いきなりのことで上手く思考が働かなかったが、それでもシズカの裸体はとてもきれいで魅力的だった。

 シズカの裸体を思い出そうとする誘惑を振り切って、落ち着こうと自分に言い聞かす。

 辛うじて落ち着きを取り戻した頃にシズカが服を着て戻ってきた。

「ちょっと待ってて、コーヒーを入れてくる」

「ありがとう、確かに喉がカラカラだ」

 シズカに言われるまで気が付かなかった。目の前に好きな女の子の全裸があったんだから喉も渇いて当然だ。

 やがて、キッチンからコーヒーの匂いが漂ってくる。前もこうやって待った後に二人で見た映画の内容を思い出す。

 あの映画では主人公が赤い錠剤を飲んでいたけど、今の僕は赤と青の錠剤を選ぶことも出来ずに、気がついたら赤い錠剤を飲まされていた気分だ。

 ただ、シズカのためなら赤い錠剤を飲んだって構わない。

 そんなことを考えているとシズカがコーヒーを持ってきて、僕の隣に座る。

「さっきあれだけのことを言ったんだから、化け物でも隣に座るぐらいいいよね」

「いいよ、それにシズカは化け物なんかじゃないよ」

 今は服を着ているとはいえ、さっきまで裸で居た場所と同じ場所にシズカが居るせいで、緊張してシズカの方を向くことが出来ない。

「じゃあ、なんでこっちを向いてくれないの?」

 不自然だよな、この前みたいに映画を見ているわけでもないんだから。「いや、えっと、あの、さっきの――」

「私の裸を見たことを気にしてるの?」

 あまりにも直接的な質問に、僕は何度も首を縦に振るのが精一杯だった。

「気にしなくていいよ、見せたのは私なんだから。見たいならまた見せようか?」

「そりゃ、見たいしそれ以上のこともしたいけど。僕だって男だし。今は落ち着いたみたいだけど、さっきみたいに取り乱してるのを利用したり、弱みにつけ込んだりするのはしたくないし」

「やさしいね。ますます好きになっちゃう」

 僕はシズカが淹れてくれたコーヒーを飲む。その味は以前のシズカが淹れてくれたものと同じで、やっぱりシズカはシズカなんだと実感できた。

「あのさあ、今自分をシズカだと認識しているのは、僕の横に居るシズカだけで、僕には今のシズカと前のシズカの違いなんて分からない。だから、シズカが自分のことが誰なのか分からなくなっても、僕がシズカを信じるよ」

「なにそれ、すごいキザ。そもそも、ケイジが好きだったのは前の私で、今の私じゃない。別人なんだよ、見た目が同じならそれでいいの?」

 もう一口コーヒーを飲む。そして、僕はまっすぐにシズカを見つめる。「さっき、僕に好きだって言ってくれたよね。僕はシズカを信じるって言った。でも、シズカ自身が自分のことを信じていないみたいだ」

「そんなの当たり前じゃない。だって、私は死んだはずなのに今こうして生きてるんだよ。じゃあ、死ぬ前の私は何だったの。今の私は誰なの?」

 僕はシズカの表情をを見て、この子を助けたいと思った。その顔には絶望感や悲壮感はなく、あるのはただ圧倒的虚無感だった。

「だったら、僕を信じて。シズカを信じる僕を信じて」

「ごめん、今は出来ない。ケイジが好きだったのは前の私だから、今の私を好きになってほしい。ケイジが好きだった女の子は死んで、目の前に居るのは同じ見た目で同じ記憶を持った化け物なんだよ」

 どうしても、僕には目の前のとても可愛い女の子が化け物には見えない。けれど、シズカ自身が自分を化け物と信じて疑わないようだ。

「どうでもいいよ。化け物であろうと関係ない。これからもシズカと一緒に居たい。さっき言ったよね、僕だって男だ。正直に言うと色仕掛けに絆された。僕は今のシズカが好きだ」

 僕のなんとも情けない告白に、シズカが呆然としている。

「今度また一緒に映画を見に行こう。また、じゃないね。今のシズカとはまだ映画を見たことがないね」

「分かった。前の私から今の私がケイジを奪い取った。そういうことで納得する」

 シズカは半ばあきれた風な口調だ。

「じゃあ、今から僕たちは恋人同士だ」

「そうだ。初めてのお家デートなんだし、今から映画を見よう」

 そう言ってシズカは前のシズカと一緒に見たSFアクション映画の二作目を棚から取り出す。

「いいね。実はこのシリーズって一作目しか見たことがなかったんだ」

「だと思った」

 そう言いながら、シズカはプレイヤーの再生ボタンを押す。

 映画を見始めてしばらくたった頃だ。洋画によくあるロマンスシーン、最初はそう思っていた。しかし、それがやたらに長くて濃厚なのだ。ねちっこい。くどい。しつこい。

 背中だけしか映っていないとはいえ、女優が全裸なのだ。

 そのせいで、さっきのシズカの裸が脳裏にちらつく。

 なかなか映画に集中できず、横目でシズカを盗み見る。

 シズカと目が合った。というよりも、ニヤニヤした目つきで僕のことを見ていた。

 やられた。シズカの好きな映画シリーズなのだから、当然こういったシーンがあることは知っていただろう。

 知ったうえで僕の反応を楽しんでいたようだ。付き合いだしたばかりなのに、早速手玉に取られてしまった。

 それでもあのニヤニヤした顔は、さっきまでの思い詰めた表情に比べれば遙かにマシだ。

 気がつくとロマンスシーンは終わっていて、格好いいバトルシーンに移っていた。

 映画が終わると夕方になっていた。お互いに軽く感想を述べ合ってから、僕はシズカの家を出た。

説明
翅田大介著/『カッティング』シリーズの二次創作です。
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