ユメミル コトリ ト |
週一回の墓参りを終えてすぐに、私は墓場のすぐそばに建っている館へと向かう。館の黒くて高いフェンスを飛び越える事はできないし、入り口はいつも頑丈な鍵と南京錠で開かない。
けれど焦る必要はない。館に入ることが私の目的ではないからだ。
「今日も『小鳥』はいるかな?」
館の小窓のある部屋の前、フェンスのすぐ傍に私は座る。私が『彼女』の存在に気がついたのは、まだ寒さの厳しい冬の事だった。冷たい風と共に墓場まで飛んできた澄んだ声と音色に、私はすぐに胸を打たれた。
その日以来、私が墓参りに来る目的が変わった。週一回、水曜日に決まって墓参りをしているのは故人を偲んでの事ではなくなった。
『小鳥』。そう呼んでいるのは私が彼女の名前もおろか、姿すら知らないからだ。声からしてまだ少女だろうと想像はできる。けれどそれ以上の情報を手に入れる事はできない。
けれどそれでいいのだ。『小鳥』は神秘的だからこそ惹かれる。誰も姿を知らなくても、この歌声を知らずとも、私だけが彼女を知っていればいい。
グランドピアノの音色と共に、今日もまた、彼女は歌う。高い音域をものともせず歌えるのは少女ならではだ、と思う。
「……綺麗」
うっとりとせずにはいられない歌声。彼女の歌声に勝る美酒もこの世にはないだろう。彼女の歌声を聞かなければ、私は真の悦びを知らぬままにこの世から消え去っていた事だろう!
けれどよく聞けば『小鳥』の発音には独特のアクセントがある。それは時に歌をいっそう引き立てることもあったが、逆に道化の歌う馬鹿馬鹿しい音色へと転化させることもあった。きっと、外国から来た美しいお嬢様だろう。いや、容姿などどうでもいい。歌が劣化してしまうことに私は怒りを隠せなかった。
「ああ、違う! そこのアクセントはbeのところなのに!」
『小鳥』はアクセントと共に音程も一瞬外した。許せなかった。彼女の歌がこんなどうでもいいところで汚されてしまうのが許せない。叫びは私の心の代弁をするようだった。彼女はもっと言葉を勉強するべきだ。彼女ほどの才能の持ち主が、こんな所で躓いていていいはずがない!
フェンス越しに館を睨む。『小鳥』の親は何を思っているのだろうか。彼女の才能に気付けないほど愚かではないはずだ。なのにどうして『小鳥』を家から出そうとしない?
私は彼女が館から外へと出てこないことを知っていた。否、出る事が許されていないのだろう。彼女はまさに籠の中の小鳥だった。窓から外の景色を見ることしか出来ない、可愛くてかわいそうな小鳥。
「もう仕事の時間だ……。『小鳥』ちゃん、また逢いにくるよ。今度も美しい歌を聞かせてね」
私は印刷所で働いていた。平日はいつも仕事が入っている。墓参りがある、と哀しげに上司に媚を売っておかなければ、職場を抜け出して墓場にまで来る事はできない。
これが私が週一回墓参りに来る理由だ。でなければわざわざ墓参りを終えてから館へと向かうことはない。こんな煩わしい事さえなければ、私はすぐに『小鳥』の許へといけるのに。
風に吹かれて私は館のそばを歩き去る。こんなにも離れてしまっていては、彼女の声は私の耳に届かない。あの日私の耳に彼女の声が聞こえたのは、奇跡としか言いようがなかった。
また来よう、そう心に誓って私は駅へと向かう。
「……奥様、例の方は帰られたようです」
「よかったわ。爺、早く引越しの準備を。いえ、先にあの子を向こうに避難させましょう。このままではあの子が危険すぎるもの」
「わかりました。お嬢様は我々が無事に向こうに送り届け、保護いたします」
年老いた執事と使用人たちは皆、主の奥方に深々と頭を下げた。館の中は布が掛けられたソファや、テレビの置かれていないテレビ台などしかない。二階の部屋もまた、全てのものが回収されて向こうの家に送られている最中だ。
いま館には、生活する為の必要最低限の物しか置かれていない。
「変質者が私の娘に目をつけるなんて……なんてこと! あの子は私達の宝物よ! あれさえいなければ、あの子を学校に通わせる事だってできるのに……」
変質者が館の前に現れるようになったのは、まだ寒さも厳しい冬の事だった。決まって水曜日にしか来ないが、安心することはできなかった。もしも他の曜日に来て、娘に何かあってからでは遅いのだ。
自由にしてやりたいのは山々であったが、危険な外に出してやる事はできなかった。彼女は今学校に行かず、家庭教師を雇って勉強をさせている。
「お母さま、落ちついて。向こうにはあんな人いないわ。そしたら私も、学校に行っていいのでしょう?」
ゆらり、と小さな影が一階に現れる。少女は小さく笑って、母親を元気付けようとしていた。
「ええ、勿論よ。貴女の大好きなお人形さんも、一緒に買いに行きましょうね。お父様と食事にも行けるわよ」
「うん! 早く向こうにいこうね!」
無垢に笑う少女を抱きしめて、母親も笑った。彼女はこの家の宝だ。誰かに奪われることは、絶対に許してはならない。
「貴女は歌がとても上手だから、歌もお勉強しましょうか。言葉のお勉強もね。貴女には才能があるわ。きっと、素敵な歌い手になれるわよ」
母に褒められて、『小鳥』は花のような笑顔を浮かべた。
その日から一週間が経ち、私が目にしたのは既に空き家として売りに出されてしまっている館だった。いつも頑丈に掛けられていた南京錠の代わりに、『売家』と書かれた看板がぶら下がっていた。
私はすぐに、その看板の下に書かれていた会社の電話番号に掛ける。公衆電話のケースの中、息はすぐに絶えてしまいそうなくらいか細くなっていた。掛かるのを待つ時間すら惜しくてたまらなかった。私の『小鳥』は一体何処へ行ったしまったのか!
「はーい、×××株式会社ですー。御用件は何でしょうかー?」
気の抜けた女性の声だった。
「あの、××番地の墓地の近くの館のことなんですが」
「はいはい、お目が高いですねー。まだ築一年のぴっかぴかですよ。その分お値段は張りますが――」
違う方向に話しを展開させる、電話向こうの女性に苛立ちが増す。館などに興味はない、私は私の『小鳥』を探しているのだから!
「いえ、その館に前住んでいた方のことが知りたいのですが」
「はー、え? ……お客様、私どもから言えることはありません。それはプライバシーに関するものですので」
「いいからさっさと言え!!」
電話が切れた。私はさらに苛立つ。受話器を思い切り電話に投げつけると、公衆電話の画面にヒビが入った。私の知ったことでは無い。そんなことは気にするようなことでは無いからだ。
私の『小鳥』が! 私の『小鳥』がいないのだ!! それに勝る問題などこの世に一つとして存在などしない! 私の『小鳥』が、私だけの『小鳥』が、いないのだ!
公衆電話を叩く。きっと連れ去られたに違いない。彼女の歌声は神秘的で、この世の快楽全てを集めても作り出せないほどに甘美なのだから! 許せない許せない許せない。私の『小鳥』を連れ去った奴は地獄に落ちろ!! 私の『小鳥』がもうここにいないなど許せない、許されないことなのだから!
何かが壊れる音がした。けれど私には何も関係ない。
『小鳥』はもう、此処には居ないのだから。
××××年。市民およそ五十名が一度に変死体になって墓場で見つかり、首都をどん底に突き落とした大量虐殺事件が起こる。逮捕された犯人は狂ったように「私の小鳥が」と繰り返すばかりでその事件の概要は未だに謎に包まれたままである。
七年後、失意に飲まれ自ら命を絶つ者の絶えなかった首都の住人達を、ある女性歌手がその麗しい歌声で救う。彼女の名は定かではないが、彼女の成したことは世界中に広まり、大きな反響を呼んだ。
彼女は美しい歌声を持つことから『カナリア』と呼ばれ、このことが後の音楽が大成したきっかけとなる――。
説明 | ||
突発的に短編を。 『私』の性別はお好きなように。 |
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