ポッキーの日。
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ロッカールームで部活用のバッグを漁っていたら、カバンの底に何かを見つけた。探り当てた取り出すために持ち上げると、明らかに手触りが妙だったので思わず目元が険しくなる。

「うわ」

ポッキーだ、ポッキーだけど、中身はもはやポッキーの形をしていないと思う。何でポッキーがしかも内袋でこんなところに紛れているのかを必死に思い出して、そういえば9月の強化練のときにマネージャーからもらったあとバッグにしまって……まで思い出した。その先が思い出せない、というか、今の今まで存在を忘れていたのだ。

「食えんのかなこれ……」

9月といえばまだ残暑の厳しい頃で、袋の中身は一度熱されチョコが全部溶けた後でひと月前ごろの肌寒さで再び固まったことを想像させる手触りをしていた。およそ二ヶ月の時を経た棒の集合体は、およそ数十本が一体化して巨大ポッキーと化しているらしい。もらった手前ここに捨てていくのも憚られて、再び合体ポッキーをバッグのサイドポケットにしまったおれはそのまま部室を後にし帰路に就いた。

 

校門の横に悪目立ちするお馴染みの赤毛と着崩した制服で佇む風体の人影を見つける、飽きもせずに部活が終わるのを待っていたのかと溜息が出てしまった。随分慣れたかと思ったけど全然慣れない、寧ろ妙な居た堪れなさを覚えて毎度胸がきゅっとなってしまう。会えて嬉しい、なんてちっとも思っていないはずなのに、おれを見つけた彼の視線を無視できないのはどうしてなのだろう。今は、理由をあまり考えたくはなかった。

「おい」

「何ですか、疲れてるんで今日は帰ります」

「週末、空いているな」

「空いてるわけないでしょう、秋季大会があるって前におれ言いましたよね」

こっちの都合なんてハナっから気にしちゃいない八神先輩は、日曜のライブにおれを誘おうと待ち伏せていたらしい。全く傍迷惑な先輩だ、断られてもなおおれの後ろをついてきてまでしつこく誘う先輩におれは辟易して振り返る。先輩は目が合った俺にちょっと嬉しそうにするから、ほとほと呆れてまた溜息を吐いた。

大体、何でそんなに自分のライブを観て欲しいのかがわからない。別に動画サイトでライブは配信されてるし、流行りのSNSでベースソロの切り抜き動画がバズってたりもしたから生で見なくたって嫌でも目に入る。その都度先回りして「観ました(だからこの話は終わりです)」と定期報告のように言っていたのだから、今更観ろ観ろとしつこく言われたところで「だからこの話は終わりですってば」としか返せない。これ以上おれのリソースを八神先輩でいっぱいにしたくないんだ、これ以上、おれの中に入ってこられたら、それこそおれは彼をまともに見てなんていられなくなりそうで嫌だった。なのに先輩はおれの手を掴んでぎゅっと握ってくる、振り解けないのは強引に見えて酷く優しいからだ。

「今回は、必ずお前に来て欲しい、チケットもある」

「だから、別におれは観たくないんですよ、何でそんなにしつこいんスか」

「しばらくライブをやらんからだ」

「辞めるんですか」

「そうではない、が」

歯切れ悪くおれの手を離して、先輩は口元に手をやり何から話すべきかと逡巡の後で視線を逸らしては努めて何でもないことのようにぽつりと溢す。

「……願書を出した、大学の」

「へえ、頑張ってください」

大学、あの八神先輩が、大学に進学する。意外すぎて「ええ!?」なんて気を抜いたら言ってしまいそうだったから我慢して平静を装う。三年生になっても勉強とかしてる感じなかったけど大丈夫なのか。

「この街から、離れることになるだろう」

「まあ、いいんじゃないスか。おれも草薙先輩もせいせいしますよ」

自分でも驚くくらい口からするりと餞の言葉が出た。頭の中では『八神先輩が大学へ行く』ということすら整理が出来ていないのに。どこか知らない街に行って、卒業したらもう会うこともないかもしれないと、それを理解してしまうのを躊躇ったのではないだろうかと自分の思考を疑ってもみてしまう。

だとしたら勝手だ、本当に身勝手過ぎるだろ。本当に言わなくちゃいけない言葉を誤魔化して自分を守ってるんだから。先輩は今おれにちゃんと言ってくれたのに、会えなくなるかもしれないって最後のチャンスをくれたのに、それにすら気付かないフリでやり過ごそうとしている。

拳を握ってこみ上げてくる何かを堪えて、おれは八神先輩に向き直る。すう、はあ、と一度呼吸を整えてから心の中にさんざめく感情など一切見せずに、鞄を担ぎ直しながら言い放つ。

「おれ、先輩が思ってるほど先輩のこと好きじゃないですよ、多分」

「諦めろということか」

「そうしてもらえると、助かります」

そのほうがいいに決まってる。ついぞ結ばれず行き違いのまま拗れた感傷なんて高校生活に置いていけばいいんだ。置いていけるのは卒業する先輩の特権なんだから、そうすればいい。

それじゃ、と踵を返して今度こそ帰路に就こうとしたおれの肩に彼の手が乗り、強く掴んで引き留められた。「痛いですよ」と不機嫌に声を震わせたら、彼はそれを泣いているのだと勘違いして手を離し、「……悪かった」と謝ってくる。謝られても困る、いっそあのまま力任せに抱き寄せでもしてくれたら嫌がって離れる理由になったのに、とまた身勝手に狡い言い訳を探している。

ここまでして意固地になって、彼の『好き』から一年以上も逃げ続けた理由は何だ?おれだって先輩のことが、と言えないのはどうしてだ?言えば楽になるのに、きっと、こんな風にどんどん狡くなる自分に失望することだってなくなるのに。

八神先輩は、しばらくおれのことを心配そうに背中越しから覗き込んだ後で、それからそっと背中を抱いてくれた。温かい吐息を吐く唇が肩口に埋まって、おれの心と身体に直接染み込ませるような言葉を告げる。

「……貴様が本当に、心の底からそう思っているのなら、そうしてやってもいい」

「そうじゃなかったら、どうするんです」

「妙なことを聞く、諦めろと言ったのは貴様だぞ」

「……そうでしたね、じゃあ、おれ帰るんで」

この温もりに、全てを委ねてしまえたらいいのに。迷惑なくらいに優しくて、うざったいくらいにおれのことを好きだと言う先輩。先輩がおれから離れていくということは、おれが先輩から離れていくってことだ。

彼の腕から抜けだそうとして身を捩ったら先輩は余計におれを強く抱き締め、切実な願いにも似た言葉でおれを縛る。

「諦めないでおいてやる」

「……え」

「お前だけを見て、お前だけを想って日々を暮らす。卒業したとて諦めてなどやらん。何処に居てもお前を」

彼の唇が紡ぐ切実な言葉を最後まで聞いてしまったら何もかもを偽れなくなりそうで怖くて、おれは思いきり力を込めて彼の腕から抜け出していた。そして、とにかくこの先輩に何かをしてやりたくて堪らなくて咄嗟にバッグのポケットからあの溶けたポッキーの袋を引っ掴んで彼の胸元へと力の限りに投げ込んでやったんだ。

袋はそのまま八神先輩の胸に届き、突然投げつけられたお菓子の袋を手に訝しい顔をしてこっちを見ている。

「何だこれは」

「ポッキーです、あげます」

「溶けてないか」

「溶けてますよ、全部溶けてくっついてます」

苛立ちのままつっけんどんに言い放つ。それから、深呼吸を何回かして、今度こそ逆方向にむかって歩き出すために一度だけ彼を振り返った。

「頑張ってください、受験」

「……真吾」

「これは、おれの本当の気持ちです」

「他は」

「知りません、それじゃ」

本当は、どれがおれの本当の気持ちなのかわからない。本当は、彼がおれの前から消えてなくなればいいなんて思っちゃいない、だけど受験に失敗して欲しいとも思わないしちゃんと志望校に受かって欲しい。歩幅はどんどん広くなり、最終的に走り出していた。頬に生ぬるい雨が伝う。まさか既に暗い秋の夕暮れに夕立なんて、さっきまで夕陽の照らす雲一つない空にあるほずもない。

「おれ、何で泣いてんだろ……」

バカみたいだ、チョコみたいに溶けてなくなってしまいたい。でも、先輩に投げつけたあのポッキーときたら全部溶けたって芯が残ってるじゃないか。本当に嫌だ、本当に。

泣いたせいで乾く口に何か入れたくて、涙を拭って寄ったコンビニの棚を見て今日がポッキーの日だってことにようやく気付く。おれは深い深い溜息を吐いて水とポッキーとレジ台の上に置いた。

説明
G学八神先輩と真吾くんのポッキーの話。
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