天使と悪魔の狭間(はざま)、十音より五音を引いて残る五音の双方一緒の言霊(ことたま)
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シェムハザ、ベリアル、アザゼル、サリエル、マスティマ。

これら天使なのか悪魔なのか良く分からない天使達に捧ぐ。

天(あま)、意味(いみ)、生む(うむ)、慧愛(えめ)、思(おも)う。

天は天を表す言葉であり、シェムハザが来るその前の所と考えられる。

ベリアル、言葉の意味について、堕落天使は知っていたか?いや、知らなかった。

アザゼル、生む、グリゴリ達はネフィリムを生んだが、今はどこにいるのやら。

サリエル、慧愛、慧の愛。良く見抜ける愛の事。頭が良いという漢字に愛すなわち、聡明(そうめい)たる神、アッラーフ、英明にして全知なる神。

頭が良い愛、すなわち、神である。

マスティマ、思、想、重すなわち、実体があるものである。

天の神、意味深(いみぶか)き神、生む神(天地創造の神)、慧愛の神、想う神。

意味深き神こそ、この五十音総神徳の神である。すなわち、五十音は神によって出来ており、意味深きものである。という命題に当てはまる神である。これをしても言霊信仰に当てはめる事が出来る。

聖書の基本は生む神である。天の神もまた、同じであり、慧愛(えめ)の神も同じ、想う神も思念なくして、創造はなし。

思念は破壊であり、創造の前に破壊あり、すなわち、「クルアーン」の水のたとえとは、思考においてであり、思念と成る上で、火を纏(まと)うものである。

ここに火水の仕組みがあろう。

シェムハザは天の神に導くものであり、ベリアルは意味深き神に導くものであり、アザゼルは生む(天地創造の)神に導くものであり、サリエルは英明にして全知なる愛の神に導くものである。

マスティマは思念という破壊の後の創造に導くものである。

心の中ではこれらは天使であり、悪魔でもあり、また、双方一緒と考える事も出来る。

双方一緒の存在。

すなわち、神ではないが、はっきり悪魔というものでもない。中間かと言うと、双方一緒の存在である。

すなわち、天使でもあり、悪魔でもあるが、その善悪の狭間で導く者であり、神の御許(みもと)にて、ま・み・む・め・もの言霊(ことたま)を意味深き神として、神に捧げる者達である。言霊であり、存在であるかは、定かではないが、少なくとも、双方一緒の言霊である。

双方一緒の言霊は、いわば、天使か悪魔の姿で現れるが、心の中においてだけなのである。

一方的に善性なるものなのであり、言霊という意味で、働く幻想と言えよう。

双方一緒の言霊とは、善悪の狭間をこじ開けるものでありながら、幻想そのものである共言える。

また、サタンやルシファー等の様に、悪性のものではなく、幻想に寛容(かんよう)なものは一方的に恩恵(おんけい)に預かる事が出来る。

言霊信仰において、神の顕現(けんげん)であると言えよう。すなわち、天使はもちろんの事、天使か悪魔か?はっきりしない幻想はすなわち、あま・いみ・うむ・えめ・おもの言霊において、善性を輝かすものである。

それらに従う事は良い事である。

説明
あま・いみ・うむ・えめ・おもの言霊について語る。
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