わすれもの
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足を踏み入れると、しっとりとした古臭い香りに包み込まれた。

 

 

背の高いその本棚たちはぎっしりとその身に本を蓄え、突然入り込んだ異分子の自分を歓迎するでも拒否するでもなく、ただ毅然とそこに立っている。

 

 

歩を進め、最奥の本棚へと辿り着いた。

 

とりあえず端の本から一冊ずつ手に取り、ぺらぺらと捲り目を通す。

しばらくそれを続けた。

 

 

さして期待などしていなかったが、やはり自分が求めていた情報は手に入りそうにないな、と半ば諦観する。

 

 

それでも手を進めていると、ふと、分厚い本たちの隙間にひっそりと挟み込まれたような、小さな赤い背表紙の本が目に付いた。

 

それも手に取ってみる。

 

表紙にも何も書かれておらず、中身は分からない。

 

 

 

本を開いた。

 

 

───────────────────────────

 

 

 

 

 

『とある使用人の手記』

 

 

 

私には家族がおりません。孤児院で育てられた、しがない平民のひとりです。

 

内向的で人付き合いが苦手だった私には、幼少期から友人の一人すらおりませんでした。人と触れ合うことの温もりを知らなかったのです。

 

 

これは、そんな私が体験した喜び、驚き、そして悲しみの記録です。

 

幸いにも読み書きの教育は受けておりましたので、拙文ながら綴らせていただきます。

 

 

 

これを読んだ一人でも多くの方の心に、彼女のことがほんの少しでも残りますように。

 

 

 

 

何から語りましょうか。

 

恥ずかしながら、こういったまとまった文章を書くのは初めてなことですから、勝手が難しいものです。

 

そうですね。ひとまず私の人生の転機となった、あの時の出来事から語っていきましょう。私にとっての、始まりを。

 

 

 

今から六年ほど前のことです。

 

 

当時私は十三歳、前述の通り孤児院で多くの人に囲まれながらも孤独な生活を送っておりました。

 

そんな私にこのような話が舞い込んできたのです。アマシスタ家のお屋敷で使用人として働かないか、と。

 

 

アマシスタ家、勿論存じておりました。

なんといってもその孤児院は伯爵家であるアマシスタ家の寄付によって建てられ、支えられていたのです。

 

シスターにも私達孤児は常々、アマシスタ家の方々への感謝の気持ちを忘れぬようにと言い聞かされておりました。

 

どうやらアマシスタ家は時々、こうして孤児院からも使用人となる者を引き入れているらしいのです。

 

 

私は大層驚きました。

 

自分が子供である自覚もありましたし、伯爵家のお屋敷で働けるほどの器ではないと思いました。

 

 

ですが、シスターが私を推薦してくださったらしいのです。

 

当時私は孤児達の中でも比較的年長で、幼い子らに取って代わり家事を率先して行っていました。

大したことなどしていないつもりだったのですが、その時に思いのほか自分の能力が評価されていたことを知りました。

 

今思えば、孤立していた私に対する気遣いでもあったのかもしれません。新しい場所なら友人も出来るかもしれない、と。

 

お屋敷で働かせて頂けるのは有難く、とても光栄なことです。

ですが、私の胸中は不安でどうにかなりそうでした。

 

 

シスターは優しく声をかけてくれました。アマシスタ伯爵も婚約者の方も、寛大なお方ですから案ずることはありません、と。

 

私はアマシスタ家の方々にお会いしたことがなかったので、その言葉で少し安心しました。

 

こうして、私は孤児院を出てお屋敷で働くことになったのです。

 

 

 

孤児院とアマシスタ家のお屋敷は、リヴィオネ地方というところにあります。

 

ご存知の通り、ここトパーシオ民主共和国は数多くの向日葵畑があることで有名ですが、リヴィオネは最も広大な向日葵畑を有しております。

 

伯爵家のお屋敷なだけあり、これまでの私の短い人生の中で見た、最も大きく荘厳な建物でした。

そして、そのすぐそばにも美しい向日葵畑がありました。

 

 

使用人の方に連れられ、私はお屋敷の門へと向かっていました。

 

ふとその人が向日葵畑の方を見て、何かを見つけたのか、ついて来てと私に言いました。私は言われるがまま後をついて歩いていきました。

 

 

 

ええ、今でもよく覚えています。黄金の太陽の花に囲まれた、目が覚めるような鮮やかな赤色。

 

赤い髪の、美しい女性がおりました。

 

 

使用人が声をかけますと、彼女は振り返りこちらを見ました。

まだ若く、美しくもあどけなさの残る顔立ちをされていました。

 

 

そう、このお方こそアマシスタ伯爵の婚約者、ナルヴァ様だったのです。

 

 

 

その時何かナルヴァ様と言葉を交わした気がしますが、私は緊張のあまり恥ずかしながら覚えておりません。

彼女は、初めて会った私に優しく微笑みかけてくださいました。

 

これが私とナルヴァ様_____のちの第七十九代目、最後のアマシスタ伯爵との出会いだったのです。

 

 

 

お屋敷にお邪魔した私は着慣れぬ制服に身を包み、現アマシスタ伯爵、アラード様へご挨拶に向かいました。

 

話に聞いていた通り、アラード様はとてもお優しい方でした。

よく笑う明るい方で、あの方とお話していると、ほんわりとこちらまで優しい気持ちになるのです。

 

 

 

早速その日から私はお屋敷内の仕事を任されました。

 

初めてなこともあって粗相もしてしまいましたが、アラード様もナルヴァ様もお怒りになることは一度もありませんでした。

まこと、感謝すべきことです。

 

 

聞けば、アラード様とナルヴァ様は近々ご結婚されるらしく、その後のご出産のことなども考えて使用人を新たに迎え入れたそうでした。

 

私の他にも何人か新しく入った者がおりましたが、皆私より年上で、あまり最初は仲良くとはいきませんでした。

 

ですが心優しい主人お二人のお側で働くことができ、私の心は少しずつ満たされていきました。

 

そしてそのお二人にそっと背中を押され、私は他の使用人達とも徐々にお話ができるようになったのです。

 

 

私はこのお屋敷に来てよかったと心から思いました。

 

 

 

アラード様は当時十九歳で、爵位を継いだばかりでした。というのも、先代、第七十七代目伯爵にあたるお父様がご病気で急死なさったかららしいのです。

 

 

アラード様には元々お母様もご兄弟も、他の親族もおりませんでした。

 

ナルヴァ様も同じです。驚くべきことに、ナルヴァ様もアマシスタ家が管理する孤児院のご出身らしいのです。

平民であったナルヴァ様を妻として迎え入れることに、先代様は強く反対なさっていたそうです。

 

ナルヴァ様が嬉しそうに語っておられました。

お人好しで流されてばかりのアラード様が、初めてその時強く自分の意思を貫き通してくれたと。

 

愛するナルヴァ様と、何があっても結婚して共に暮らしたい、と。

 

 

やがて使用人の仕事にも慣れてきた私は、アラード様の孤児院や病院、教会などへの訪問に度々同行することがありました。

 

アラード様はこうして、アマシスタ家で管理している施設、さらには領内の町や村を定期的に訪問なさっておりました。

 

 

そしてそこでの人々と一人一人、丁寧にお話しし、困っていることはないか、とお訊きになるのです。

 

泣いている子供が居たら優しく声をかけ、病気のお年寄りにはそっと手を握ってあげていました。

 

 

人々は皆口を揃えて言うのです。こんなに優しく素晴らしい領主はいない、と。

 

アラード様がいることで、皆が笑顔になるのです。深く慕われ、愛されるお方でした。

 

 

私もそんな主にお仕えしていることを誇りに思っておりました。

 

 

 

しかし、ナルヴァ様は近年お身体を少々悪くされており、あまり遠出しないようお医者様から言われておりました。

 

そのため、アラード様の訪問にはほとんどご同行されていませんでした。ナルヴァ様はそのことを残念そうにしておられました。

 

ですから私は、なるべく自分が訪問に同行できるよう他の使用人に頼むようにし、そしてお屋敷に帰ってきたらナルヴァ様に外でのアラード様のご様子をお聞かせするようにしました。

 

少しでも、ナルヴァ様に喜んで頂きたかったのです。

 

 

そういうことが続きますと、私とナルヴァ様はよくお話する仲になりました。

 

 

ナルヴァ様はとても男勝りな性格で、アラード様が迷うことがあればハッキリと意見を言われるような方でした。

 

貴族らしくないと思う方もいるかもしれませんが、服装もあまり派手ではなくすっきりとした動きやすいものを好んでおられました。

 

そんなナルヴァ様は私にはとても格好良く、美しく思えました。

 

 

 

私はナルヴァ様のお部屋で昔話を聞きました。

 

孤児院にいた頃の自分は今よりもっと勝気で喧嘩っ早い性格で、そんなところにやってきた身なりのいいお坊ちゃまが気に入らなくて最初は邪険に扱っていたと。

 

でも彼のまっすぐな求愛に、いつの間にか心惹かれてしまっていたのだと。

 

 

アラード様のお話をされている時のナルヴァ様は頬を染めており、とても可愛らしく思えました。

 

それを指摘すると赤い頬を一層赤く染められるのです。

ええ、それはそれはとても乙女でいらっしゃいました。

 

 

 

やがてお二人はご結婚され、正式に夫婦となられました。

 

幸せそうなお二人をお側で見られて、私も、使用人達皆幸せだったことでしょう。

 

 

 

ところが、困ったことがありました。ナルヴァ様がなかなかご懐妊されないのです。

 

 

お医者様はナルヴァ様のお身体が弱いことと関係しているかもしれない、と仰っておりました。

 

それを聞いたナルヴァ様はとても落ち込みましたが、諦めずに必死にご病気をよくしようと努力されました。

 

私に出来ることはただそれをお手伝いし、祈ることだけでした。

 

 

 

月日は流れ、私が屋敷にやって来てから二年が経ちました。

 

そして、ようやくこの時ナルヴァ様が身篭られたのです。

アラード様も、使用人達も皆涙を流して喜びました。

 

 

身重となったナルヴァ様は、これまでよりお屋敷で過ごされることが多くなりました。

 

ただでさえお身体の弱いことですから、私達も万一のことがあってはならないよう常に気を張っておりました。

 

 

ナルヴァ様はよく愛おしそうにお腹をさすり、家族が増えることが本当に楽しみだと言っておられました。

 

私も元々家族がおりませんでしたから、自分のことのように同じく楽しみにしておりました。

 

 

 

しかし、幸せは長くは続きませんでした。

 

 

なんということでしょうか、アラード様が不慮の事故により亡くなられてしまったのです。

 

馬車と同乗していた使用人ごと、崖から落ちてしまったというのです。

 

 

私も、ナルヴァ様も、使用人も、人々が皆、心優しき伯爵の死を悲しみました。

 

 

ナルヴァ様は泣いているところを私達に見られないようにしておられました。

でも、強いように見えても、愛する人の死が悲しくないわけがありません。

 

あの人に私達の子供を一目でも見せてあげたかった。

 

彼女が私だけに零した、小さな小さな一言でした。

 

 

 

そしてナルヴァ様は亡き夫に代わり、アマシスタの爵位を継ぐこととなったのです。

 

 

 

 

時は悲しむ人々を待ってはくれません。

 

 

やがてナルヴァ様のお腹はどんどん大きくなり、ご出産の時が近づいてきました。

 

ナルヴァ様はなんとしてもお腹の子を無事に産むと決意されました。

使用人一同、そのために最大の尽力をさせていただく所存でした。

 

 

産まれてくる赤子は何も知らないのです。私達が精一杯、笑顔で祝福を差し上げねばなりません。

 

 

 

やがてその時はやってきました。

 

 

丸一日かかった難産でした。

私はナルヴァ様の手を握り、必死に声をかけることしかできませんでした。

 

 

ついに、赤子が産まれました。

 

そこでやっと、双子の女の子だったことを知るのです。

 

ナルヴァ様は二人の子供を見て、とてもとても喜ばれました。

 

 

 

運命はなんと残酷なのでしょうか。

 

何故、何故こんなことがあってしまったのでしょうか。

 

 

 

双子の赤子は産声をあげないのです。

いつまで経っても、あげないのです。

 

浅い呼吸をして、ぐったりとしていました。

 

 

立ち会っていたお医者様が、すぐにある限りの処置を施しました。

その時ナルヴァ様も難産で衰弱し、危篤の状態でしたが、必死にこの子達を助けてと訴えかけておりました。

 

 

ですが、町一番の名医をもってしても、一刻を争うこの状況で二人の赤子を助けることは不可能だったのです。

 

 

どちらも助けようとしたら、どちらも死んでしまうかもしれない。

 

その場にいた誰も、どちらを生かすかなど決められるわけもありません。

 

それでも、それでも私達は、

 

 

片方を選ぶしかなかったのです。

 

 

 

ああ、何故、何故、

 

 

この子達は双子だったのですか?

 

 

 

 

ナルヴァ様は深く、深く悲しまれました。

 

愛するアラード様との子は、ナルヴァ様の腕の中で元気に産声をあげています。

 

これほど喜ばしく、そして悲しい時などないでしょう。

 

 

 

亡くなったのは先に産まれた、姉の方でした。

 

葬儀は慎ましやかに行われ、小さな、とても小さな箱に遺骨が入れられました。

 

 

ナルヴァ様は私達の前で涙を流しました。

声を上げて、泣いておられました。

 

 

私は己の無力さを悔やみました。

 

ただこうやって、目の前で起こった心を抉る凄惨な出来事を見ていることしかできなかったのです。

 

 

産声をあげるたった一人の赤子を見ました。

 

 

私はその時、せめて、せめて、

この子だけは命をかけてお守りしようと決めたのです。

 

 

 

 

ナルヴァ様は娘に、リアンジュと名付けられました。

 

リアンジュ様はナルヴァ様と同じ、美しい赤い髪をしておられました。

 

 

 

お屋敷の皆、リアンジュ様を大切に大切に育てました。

 

この子の未来だけは、どんなことがあろうと守らなければいけません。

 

 

ナルヴァ様は、あの時以来一度もリアンジュ様の前で泣かれることはありませんでした。

 

 

いつでも明るく、笑ってリアンジュ様と接しておられました。

ご出産の負荷が根強く残り、ますますお身体が悪くなっているにも関わらず、です。

 

 

夫も子供の片割れも失ったナルヴァ様にとって、リアンジュ様は最後の希望だったのでしょう。

 

私達にも、深い深い娘への愛情が伝わってきました。

 

 

 

リアンジュ様は何も知らずすくすくと育ち、やがて一歳の誕生日を迎えられました。

 

この頃になると、言葉を覚えてお話ししたり、立って歩くことが出来るようになられておりました。

私の名前も覚えて呼んでくださった時は、とてもとても胸が熱くなりました。

 

皆、リアンジュ様の成長を心より喜びました。

 

 

 

しかしナルヴァ様のお身体は依然良くならず、ほとんどの時間をお屋敷の中で療養しながら過ごされておりました。

 

ですから、そんなナルヴァ様に代わり、私がよくリアンジュ様のお世話を任されました。

 

私は時々リアンジュ様をお連れして、お屋敷の近くを散歩しておりました。

 

 

もしかしたらナルヴァ様の、知れず姉を亡くしたリアンジュ様へのお気遣いだったのかもしれません。

私は使用人の中で一番年下で、リアンジュ様と一番歳が近い者でしたから。

 

 

リアンジュ様はどうやら向日葵畑がお好きらしく、よくそこへ行きたいとせがまれておりました。

 

黄金の太陽の花に、鮮やかな赤い髪。

私はナルヴァ様と初めてお会いした時のことを思い出しました。

 

ナルヴァ様もリアンジュ様も、この咲き誇る希望の花を愛しておられたのです。

 

 

 

リアンジュ様はやがて二歳になられ、純粋無垢で好奇心旺盛な、明るく可愛らしい女の子に育ちました。

 

 

この頃になると、お屋敷内外構わずよく走り回っておられました。

 

お転婆が過ぎるあまり物を壊してしまうこともありましたが、可愛い可愛いリアンジュ様を叱れる者などおりませんでした。

 

 

ナルヴァ様は伯爵の立場でありながら、とても公務をこなせる状態ではございませんでしたから、代わりに他の領主様がアマシスタ領を治めておられました。

 

前述の通り他に親族の方もいらっしゃいませんでしたから、さほど来客もなく、お屋敷では平穏な時間が続いておりました。

 

 

 

そんなある日のことです。

 

 

リアンジュ様は以前よりお一人で遊んでおられることが多くなりました。

というのも、たまたま使用人の辞職が重なり、お相手できる者が減ってしまっていたのです。

 

ですが、リアンジュ様はお一人でも没頭できる遊びを見つけたらしく、寂しそうな様子はございませんでした。

 

 

それでもある時、私はリアンジュ様が気になり、仕事の合間にご様子を伺いに行きました。

 

 

リアンジュ様はお部屋の中で、絵本を読んでおられました。

お邪魔するのも悪いかと陰から伺っておりますと、奇妙な点に気づきました。

 

 

時折、何もない場所に話しかけているのです。

まるで、隣に誰かがいるみたいに。

 

私は思わずリアンジュ様に声をかけておりました。

どなたとお話しされているのですか、とお尋ねすると、

 

 

おねえちゃん、と答えたのです。

 

 

 

私はその時冷や汗が止まらなくなりました。

 

 

リアンジュ様は楽しそうに、とても楽しそうに、その「おねえちゃん」とお話ししておりました。

 

 

私は何も言えず、その場を去りました。言えるわけがありませんでした。

 

 

最初その時は、ナルヴァ様や他の使用人にこのことをお伝えするか迷い悩みました。

 

ですが私が言うまでもなく、そのリアンジュ様が「おねえちゃん」とお話ししていることは、ご本人によりたちまち知れ渡っていきました。

 

 

それを初めて知ったナルヴァ様は可哀想に、お顔が真っ青になり、がたがたと小刻みに震えだしておりました。

 

ですがリアンジュ様の手前、精一杯笑顔を作り、

そうなの、寂しくならないわね、と仰ったのです。

 

 

私達使用人は皆、胸が張り裂ける思いでした。

 

 

偶然です。

そう、これはただ偶然なのです。

 

母親以外にご家族もおらず寂しい思いをされていたリアンジュ様が、たまたま架空の存在として作り出したのが「姉」だったのです。

 

 

想像力豊かな子供のことですから、そういうことがあってもおかしくありません。

 

成長されるにつれこのようなこともなくなるだろう、と皆がそう結論づけたのです。ナルヴァ様も、必死に己に言い聞かされておりました。

 

 

 

しかし現実は残酷でした。

 

 

さらにそこから二年が経過し、リアンジュ様が四歳になられても、「おねえちゃん」の話をおやめになることはありませんでした。

 

 

ナルヴァ様のご心境は計り知れません。

 

リアンジュ様からその話を聞かれる度に亡き我が子を思い出し、悲しみと後悔に苛まれておられたことでしょう。

 

それでも、ナルヴァ様はリアンジュ様の前で、その素振りを見せることはありませんでした。

 

 

 

リアンジュ様にも、ナルヴァ様にも罪などないのです。

 

 

あの時、リアンジュ様ともう一人の子が産まれた時、そこにいた私達使用人全員の罪なのです。

 

私達は、片方を選んでしまったのですから。

 

 

私が罰を受ければお二人が報われ、悲しむことがなくなるならばいくらでも受けましょう。

 

 

ですがナルヴァ様は、私達を責めることなど一度もありませんでした。

 

誰も、誰も悪くないと仰ってくださったのです。

 

 

 

リアンジュ様は相変わらず「おねえちゃん」といつも遊んでおられました。

 

本当に誰かとお話をしているようで、一人芝居になど到底思えませんでした。

 

 

聞けば、「おねえちゃん」はいつの間にか自分のそばにいて、本当に自分の姿にそっくりで最初は驚いたのだと。

 

おねえちゃんはいつも優しくて、頼りになる。

だから、そんなおねえちゃんが大好き。

 

赤い髪も、顔も同じ。

ただ一つ自分と違うのは、夜空のような紫の瞳。

 

 

と、可愛らしく無邪気に笑いながら語るのです。

 

 

 

それを聞いて私はまた、恐ろしい衝撃を受けました。

 

 

亡くなったリアンジュ様の姉も、外見の特徴が全く同じだったのです。

 

 

私はそこで、それ以上深く考えるのをやめてしまったのでした。

 

 

 

やがて、私達には「おねえちゃん」が『見えない』ことを徐々に理解してしまったリアンジュ様は、あまりその話をしなくなりました。

 

 

 

私は心の底で願いました。

 

もし本当に、本当に亡くなられた姉の魂がそこにあるならば、どうかほんのひとときでもナルヴァ様の目に映ってくれないかと。

 

 

 

リアンジュ様は「おねえちゃん」と同じくらい、母親であるナルヴァ様をとてもお慕いされておりました。

 

 

お二人で散歩される時には私も付き添いました。

 

好奇心旺盛なリアンジュ様は、お花や生き物など色んなものを指さしてはこれは何、あれは何とナルヴァ様にお訊ねになるのです。

 

ナルヴァ様はそのたび笑顔で、お答えになりました。

 

 

私は、このお二人にとって幸福な時間がいつまでも続くよう願いました。

 

 

 

リアンジュ様が「おねえちゃん」の話をいつかしなくなっても、ナルヴァ様が亡き我が子を忘れることなどないでしょう。

 

私も、決して忘れぬように今後生涯背負ってゆくつもりです。

 

 

リアンジュ様の笑顔は輝いていました。

咲き誇る黄金の太陽の花たちよりも、眩しく。

 

 

リアンジュ様が、このまま成長し幸せな人生を歩んでくださることが、

 

私達にとっての幸せなのです。

 

 

 

 

ですから、どうか、どうか助けてください。

 

 

お医者様がナルヴァ様に仰いました。

 

もう長くはないと。

 

 

 

何故、何故なのですか?

 

神様はなぜ、こんなことをなさるのですか?

 

 

ああ、私の命などが代わりになるならいくらでも捧げます。

 

どうか、どうかナルヴァ様を、リアンジュ様を、お助けください。

 

 

 

あの子が、あの子が悲しむ姿など見たくないのです。そんなこと、あってはならないのです。

 

あの子の笑顔が失われてしまう。

 

 

ひとりです。

あの子はたったひとりになってしまうのです。

 

 

悲しみと怒りと、どうしようもない悔しさで私は叫びだしそうでした。

 

 

 

私は、私は、

 

アラード様も、亡き姉の子も、ナルヴァ様のことも、

決して、何があろうと忘れません。

 

 

 

リアンジュ様が、愛しい赤い髪の、薄紅の瞳の、

あの子の歩む未来が、

 

 

どうか幸福でありますように。

 

 

 

 

 

愛する私の主

 

 

アラード=アマシスタ

 

ナルヴァ=アマシスタ

 

=アマシスタ

 

リアンジュ=アマシスタ

 

 

 

 

アマシスタ家使用人 シエファ

 

 

 

 

───────────────────────────

 

 

 

 

 

手記はそこで終わっていた。

 

 

 

 

本を閉じようとしたところで、残ったページの隙間から何かがかさりと床に落ちた。

 

拾い上げる。

半分に折られた古い紙は、新聞記事の切り抜きだった。

 

 

 

それは今から十一年前の記事のようだった。

 

 

 

 

───────────────────────────

 

 

天暦993年 ディエスの月 27日

 

 

 

<アマシスタ伯爵家 ユーリスにより襲撃か>

 

 

今月24日、リヴィオネ地方の統治を担うアマシスタ伯爵家が襲撃を受ける。特有の残虐なやり口、現場に残されていた声明から、犯罪組織「ユーリス」の仕業であると断定された。屋敷は火災により全焼し、焼け跡から遺体は6人分発見された。全てが成人のものであったことから当主ナルヴァ=アマシスタ(当時24歳)と全使用人5人であると思われる。生存者は確認できず。だが、一人娘であるリアンジュ=アマシスタ(当時4歳)と思われる子供の遺体は発見できず、捜索が行われるも未だ見つかっていない。国家警察隊は犯人の手がかりなどの捜査を進めている。

 

 

───────────────────────────

 

 

 

それを折り畳んで本に挟み、すっと本棚の元の場所に戻す。

 

 

 

 

思うところがないわけではない。

 

 

 

知りたいと思ったのは自分だ。

 

 

だが、脳が拒んだ。

 

たぶん、それだけだ。

 

 

 

 

 

 

「──────ジュビア!」

 

 

遠くで聞き慣れた声が、自分の名前を呼んでいる。

 

 

 

そうだ。

随分時間が経っていたから、探されているはずだ。

 

早く戻らねば。

 

 

 

 

 

大丈夫だ。

 

私の居場所は、ここにある。

 

 

 

今は、

 

今だけは、このまま。

説明
自創作の本編の一幕(のつもり)。

最後まで読んでくださった方がいれば嬉しいです。
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