ICECREAM.
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今日は随分と暖かい、遅咲きの桜をもいよいよと散らす冷たい雨が続いていた中に漸く訪れた春らしいひと時だ。ぬくぬくとした陽光に浮かれたのか、真吾はリビングに居た勾依を引っ張って半ば無理矢理散歩へと連れ出した。

彼の妻であるカヤは、子を連れて真吾の母と一緒に西松屋へ買い物に出掛けてしまった。置いて行かれた勾依は大層寂しがっているだろうと気を回して誘い出したのだが、当の勾依にしてみれば休日に遊んでくれとせがむ犬の相手をしているような心持であった。置いて行かれて寂しかったことは、否定しないでおく。

「何処へ行くんだ」

「特に決めてないですけど……行きたいところってあります?」

「現代≠フ事は良く知らん、貴様に任せる」

時を越えて此方に来てから暫く経つが、同じ日本だというのに余りにも文化文明が違い過ぎる所為で勾依は未だ此処での生活に慣れずにいた。それでも一人でコンビニに行けるようになったし、電車やバスにも乗ることができるようになっただけでも大きな進歩だと真吾は感じている。そんなことを言ったら偉そうに聞こえるので直接彼に告げたことはないが、カヤには時々「今日マガイさんはこんなことをしたんですよ」と話して聞かせていた。カヤは「そうですか」と優しく微笑んでくれたが、半分くらいは一生懸命に勾依の世話を焼こうとする真吾に対して笑ってくれているのだろう。

立場が人を作るとはかくあるものかと、かつて当主という立場≠ノ為らざるを得なかった者のことを想った。そして、その背景にあった者の死のことも。

 

さて、結局当て所も無く散策を続けた二人は、やがて住宅街を抜けてバイパス沿いの歩道に出た。そこで何かを見つけた真吾が「あ!」と声を出し、まるで耳と尻尾をぴんと立てるように横断歩道の先を指差す。未だ赤信号の灯る縞模様を渡った先には、小さいが確かに何かの店らしい構えに看板が立っていて、どうも真吾は其処へと勾依を誘っているらしかった。

「マガイさんアイス食べましょうアイス!」

「あいす……?また面妖な物を食させようとしているんじゃあないだろうな」

真吾が悪気無く勧めるままにこの時代の食べ物を口にして、それはもう散々な目にあったことは一度や二度ではない。勿論此方を謀ろうなど微塵も思わず、全て好意でしてくれていることだと解っていても無意識に身構えてしまう。渋い顔の勾依を見た真吾は、少々困った顔をしてはどうにかして警戒心を解いて貰おうと両手で大ぶりなジェスチュアをして訴えかけた。

「面妖でも何でもないッスよ!えーっとなんて言ったらいいんだろう……甘い氷みたいなモンっていうか……ああもう、とにかく食べたらわかります!絶対絶対、美味しいんですから!!」

信号が青に変わり鳥の囀りが聞こえた、訝る表情とは裏腹に麗らかな日差しを反射する眩く白いシャツの裾を引っ張って、真吾は目的地まで彼をいざない横断歩道をゆっくりと渡った。

 

対岸へ辿り着き二人で眺めた店は、最近できたばかりなのか壁の塗りも真新しく見える小さなジェラートショップだった。中へ入るとショウケースには色とりどりのジェラートが並んでいて、真吾は思わず「うはー」とか「やはー」とか、兎に角は嬉しそうな声を上げてそれを眺めている。既に店内に居た客の会計を済ませた店員がケース越しに二人の前へとやってきて、ずらりと並ぶジェラートについてあれこれと説明をしてくれたのだが、興味深そうな真吾とは対照的に何を言われているのかさっぱり解らない勾依は「貴様に任せる」とだけ言って奥にあるテーブル席に座ってしまった。

「もう、じゃあ、俺の好みで決めちゃいますからね」

「それでいいと言っている」

二人のやり取りに苦笑いする店員へ苦笑いを返した真吾は、暫くケースの中身とにらめっこをしてから「これと、これで」とガラスの向こう側を指差した。スマホのアプリで二次元コードを読み込み会計を済ませ、ややもすると手際よく掬い取られコーンに乗せられたジェラートがスタンドに据えられ目の前に差し出される。それをトレイごと受け取りそそくさと勾依の元に向かった真吾は、背後から聞こえた「お水はセルフサービスです」の声へ「はあい」と間延びした返事をした。

「お待たせしましたっ!」

対面に座った真吾が持ってきた謎の物体に、勾依の眉間に皴が寄り益々顔が険しくなる。片方は象牙のような色をしていて、もう片方は苔生した岩のようだ。勾依の困惑を他所にして、真吾は象牙色のほうを取り上げると山の頂点から一気に口に含んで見せた。

「いっただっきまーす!」

はくっ、と大口を開けて齧り付いたジェラートに、真吾の顔が一度きゅっとなってからみるみるほころんでいく。「ん〜!」とまた嬉しそうな声を出して、それから唇や舌先でもってちまちまとこそげ落としつつ食らっている。一体何を食っているのか、彼は手本を見せているつもりなのだろうが何も言ってくれなければやりようがない。勾依が手に取ることを躊躇したままでいたら、真吾はキョトンとした顔をした後で行儀悪く肘をついて身を乗り出した。

「早く食べないと溶けちゃいますよ」

「そうなのか」

「氷みたいなモンだって言ったじゃないスか」

シャーベットやソフトクリームのように直ぐに溶け始めてくるものでもないが、このまま自分が食べるのをまんじりと見ていたら彼のジェラートは半分ほど液体になってしまいそうだ。真吾に急かされるまま彼を真似て緑色の物体を口に含んだ勾依は、まずその冷たさに目を見開いてみせ、そのまま口の中で蕩けていく物体の何とも言い難い舌触りに困惑する。全く知らない味ではないことが更に彼の疑問を加速させたが、不味い訳ではなかった。むしろ、美味しい。確かに氷のように冷たい、しかし口に含めば仄かな苦みと鼻に抜ける香り、その後でまったりした甘さが追いかけてくる。氷を用いた菓子なぞ口にできるのは貴族でも一握りだ。こういったものを食べつけているとなれば、出会った時に貴族の子だと思ったのはあながち間違ってもいなかったのだなと妙に納得してしまった。

「どうです?」

「……美味い」

「やったー!」

この現代では貴族でなくても子供の小遣いで容易に食べられる。それが果たして国の平穏と民の豊かさ故であるかは解らない、しかし今目の前ではしゃぐ少年を見ていたら、この笑顔は守られなくてはならぬと心から思う。いつの間にか釣られて笑みを浮かべていた自分に気付いた勾依は、もう半分ほどを食べてしまった手元のそれを改めて眺めてみた。

「成程、これは茶葉の色だったのか」

「はい、抹茶ならマガイさんも心配せずに食べられるかなと思って」

「苔かと思ったぞ」

「こ、苔…………」

あの時代チョコレートは確実に無かったし、果物やナッツ類だってどの程度現代と同じものが存在していたのかはっきりしていない。それならミルクか抹茶……勾依の渋い顔を思い浮かべたら抹茶だろう、と最終的には顔の印象で決めたなんて言えやしない。まあ、気に入ってくれたのならいいか、と真吾も自分のジェラートをまくまくと食べ進めた。すると今度は其方が気になるのか、勾依は長い前髪を払いながら真吾の手元に視線をくれる。

「それは」

「俺のは日向夏です、多分みかんの一種だと思いますけど……一口、食べてみます?」

はいっ、と食べかけのそれを差し出され、促されるままに口を寄せた。遠慮がちに唇の先で啄んで、舌の上であっという間に溶けたそれは先刻とは明らかに違う味と舌触りだ。甘味よりも爽やかな酸味を強く感じる。

「どうですか?」

「悪くないが、少し酸味が強いな……」

「甘いの食べたばっかりだから、余計かもしんないスね」

そのままゆっくり、だけどジェラートが溶けてしまわないように、二人は冷たくて甘い不思議な時間を過ごす。さっきは聞きもしなかったのに、美味しいものだと解った途端に様々な質問をしてくる勾依のことを何だか少し可愛いな、なんて思いながら、真吾は会話を続けた。

「こっちじゃ俺がマガイさんの先生みたいですねぇ〜」

「そもそもお前の師になどなった覚えは無いが」

「そりゃあそうです、俺の師匠は草薙さんだけですもん」

そういえば勾依たちが此方へ飛ばされたときに大倭一緒に来た筈だと聞いたが、今どこで何をしているのだろうか。京ならまだしも、庵と鉢合わせしていたら大変まずいことになる気がする。どうかその前に自分たちのところへ来てほしいものだが、子孫に似た性格をしていることを考えたら彼は彼でこの時代を楽しんでいそうだと二人は同じことを考えて少しだけ笑った。

「あ、マガイさんマガイさん、そこ、垂れそうです」

「む……」

ふと、真吾が勾依の手元を指し示す。蕩けた抹茶ジェラートが、コーンの外側に一筋垂れ落ちそうになっている。指摘された勾依があたふたと手元を動かすものだから余計に垂れてきて、見かねた真吾が紙ナフキンを数枚取って向かい側から手を差し伸べた。

「おっ、と……間に合ったあ、はい、これ使ってください」

遂にぽたりと落ちた緑色の雫は、寸でのところで真吾が差し出した紙の上に落ちる。あのまま落ちていたら真っ白なシャツにはそれこそ苔生したような跡が付いていただろう。危機一髪、とばかりに吐息した真吾の手から紙ナフキンを受け取った勾依は、「すまない」と一言呟いた。

指先を拭いて面を上げたなら、そこにはまるで自分を慈しむが如く微笑む少年の面差しがあったから思わず呼吸が止まる。

苛烈な炎を操っている時とは違う、穏やかに自分を見守る凪のような微笑み。それは例えば……兄の顔に似ていたのではないだろうか。

「マガイさん?どうしました?」

「……いや」

馬鹿げた妄想に目を背けてかぶりを振って、勾依は残りのコーンを急いで口の中へと押し込んでは先刻よりも汚れた指を丸まった紙ナフキンで拭う。蕩けたアイスに慌てたのだと思った真吾はまた穏やかに笑って見つめているから、今だってその顔をまともに見ることは出来そうにない。

「あ、そうだ、コンビニにも売ってるんですよアイスって。カヤさんにも買っていきましょう!」

「そうだな」

「何がいいかなあ、雪見だいふくとか好きそうッスよね」

「貴様にカヤの何が解る」

「ヒィッ……す、すいません……」

一瞬怖がる素振りを見せても、此方が何もしてこないと解るとまた朗らかに笑う。今度は何をするでもなく、ゆっくりと此方に伸びてきた少年の手に何気無く掌を重ねた。その手は炎にはまだ足りぬが確かに春の陽光を閉じ込めているように温かかったから、冷たい口の中まで蕩けていく気がして、勾依は口の裏側を奥歯でぎゅう、と噛んだ。

説明
外伝時空、勾依さんの現代転移話です。真吾くんと二人でアイス食ってるだけの話。クライマックスに向かってつらすぎるので自分の心を守るために書きました…………。
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