唐柿に付いた虫 56
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「……ご無事で?」

 榎の旦那はそれだけ口にした。

「……ええ、貴方のお蔭よ」

「それは、よう……」

 微笑んだ口元から血が溢れ、それ以上の言葉は音にならなかった。

 支える力を失った頭ががくりと垂れる。

「……良く言葉を発せた物じゃ」

 その様を見ていた吸血姫から、感嘆の響きを伴う呟きが零れる。

 真祖が、対等の敵手たる高位の吸血種を滅ぼすために、礼を尽くし、全力で放った葬送の一撃は、ただの金属の刃のそれではない。

 圧倒的な闇の魔力を刃として顕現させ、龍の鱗ですら薄紙の如く引き裂き、刺し通した敵を内部から破壊する。

 守りの力なきただの人が、そんな一撃を受けては……外見には小さな刺し傷だけでも、体内では心臓も内腑も原型を留めぬまでに引き裂かれているだろう。

 普通ならば、瞬時に絶命していてもおかしくない。

「一心、という物だな」

 鞍馬はこうめを地面に降ろしながら、その様を見ていた。

 榎の旦那。

 この庭に挨拶に来た時に鞍馬も同席し、見定めていたが、彼は間違いなく武の心得一つなき、ただの商人。

 今の彼の動きも、およそ、秀でた物は何も無かった。

 ただ、そこに一片の雑念も無かった。

 何処までも透明な心境で、ただ、あの存在の為だけに、その身を躊躇いなく投げ出した。

 欲得での繋がりや、魔力に操られての者には出来ぬ……ただ一心を込めて。

 だから、あの超越者二人の戦いの狭間にすら、ただの人が、割って入れた。

 主の身を危機にさらした敵手ではあるが、その覚悟と行動に、鞍馬は敬意を抱いた。

「……こうめ君、先程預けた壺、貰えるか?」

 無言でこうめが差し出した小さな壺を受け取った鞍馬が、その封を無造作に外し、軽くその壺の底を叩いた。

 縛り上げられた儀助の姿が、ふいと鞍馬の足許に現れたのを見て、こうめが驚愕の目を向ける。

 訝し気に見上げる目を、感情を宿さず見返した鞍馬が、その視線を導くように指をさした。

「君の誇り高き主達の最期だ」

 ……看取り給え。

 鞍馬の言葉に、儀助は慌ててそちらを向き……猿轡越しに何ともいえない悲痛な呻きを上げた。

「軍師殿、良いのか?」

 吸血姫が向ける視線に、鞍馬は目を伏せた。

「後で経緯を説明するにしても、見て貰って置いた方が早いからね」

 それだけの事さ。

 乾いた口調でそう口にした鞍馬の肩を、吸血姫は無言で軽く叩いた。

 優しいのう……お主は。

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「……馬鹿ね、貴方は」

 静かに満足げに微笑んで息絶えた男の顔を見て、彼女はそう呟いた。

 貴方が居なくなってしまっては、私が真祖様になり替わる理由も無いのに。

 何で、私みたいなバケモノを、身を挺してまで。

 何でそう……貴方は。

「その人、貴女の眷属では無いのね?」

「ええ」

 真祖の言葉に、彼女は頷いた。

 それは、私の力不足の故。

 そっか……。

 そう小さく呟いて、真祖は二人にどこか優しい眼を向けた。

「その人に、永遠を上げたかったのね」

「はい」

 今の私が、この人に与えられるのは、多少の自由な意思を持っていても、所詮、私に隷属する存在としての不死。

 わが命の終焉と共に滅びる、偽りの永遠でしかない。

 そうでは無い。

 一人で世界に立つ、魂と意思を宿す不死の命を……私に叛逆する事さえできる永遠を、この人に上げたかった。

「貴女はその為に、私の力を……本当の意味での『真祖』を欲した」

 自らに隷属せぬ、誇り高き魂に不死を与える、それは世界でただ一人、彼女だけが為し得る事。

 故に、彼女は真祖。

「そうです」

 最初は、単なる真祖という存在への憧れだけだった。

 側近くで仕え、彼女を知る程に、その手が届きそうでいながら、絶望的に届かない事を知らされる存在への、憧憬と、叛逆への誘惑が、ある日暴走した。

 本来ならそれだけの話しでしか無かった。

 真祖様に対抗する切り札を用意しながら、あの方の外見や振舞を真似し、広い世界を逃げ回り、あの方の弱体化を待って封印し、すり替わる。

 本来なら、更に数百年掛けて実行する事を想定していた……それだけ、あの方の力は巨大。

 けど……私はこの人に出会ってしまった。

 廃墟となった商館の中で、とても綺麗な目をした貴方に出会った。

 クスっと、何かを思い出したように、彼女は笑った。

「おかしいんですよ、この人……私を助けてくれたお礼として、彼の望みを聞いた時『自分が忠誠を誓う事を許して欲しい』と願ったんです」

 財宝とか、色欲とか、名声とか、地位を望むには、彼は余りに人の生に絶望していたのかもしれないが。

 それにしても……その願いは余りに人が望むには風変わり過ぎた。

「そう……」

 真祖が優しい声で答える。

 その人は、上に立つ者の苦しさや、忠誠を背負う事の重みを、良く知っていたのね。

 時勢や一時の有能さで人の上に立った事で優越感に浸り、他者を踏みつけ睥睨する事を上に立つと勘違いしているような人には知る事が出来ない。

 上に立ちながらも身を慎み、誠実に、人の忠誠に応えねば、それは容易に砂上の楼閣となり、脆く崩れ、君臨していた人を容易く飲み込む。

 そんな、忠誠の重みと恐怖を識る人。

 だから忠誠を捧げると言わず、忠誠を……自分の生を、貴女に背負わせる事を許してくれ、と。

「はい」

 この人は、誠実に生きてきた生を、儀助一人を除き、全てに裏切られた。

 すべて失い、壊れそうな心を抱え……でもその目は、闇を宿しながらも、どこかまだ澄んだ光を湛えて。

 その後、静かに私に忠誠を尽くし続けるこの人を、何度か眷属にしようと思った。

 でも、その度に、私を留める声がした。

 この、胸に深い諦念と、それでもなお消えぬ情熱を静かに抱きながら、日々を生きる人を、安っぽい永遠の奴隷にするなと。

 そして、そうして年月を過ごすうちに、彼女の中に一つの興味が芽生えた。

 この人が私に比肩する存在となった時、彼はどういう生を望むのだろう。

 この人は私に忠誠を捧げ続けるのか、それとも私のように叛逆を試みるのだろうか。

 それとも……私と永遠を過ごす事を、選んでくれるのだろうか。

 でも、それは私にはできない事……。

 真祖様ならば、それができる。

 私は、その時、力を欲してしまった。

 本当の意味で真祖様になる。

 だが、人という存在の寿命を考えた時、残された時間は余りに少ない。

 その焦りが……私の計画を破綻させた。

 何とか真祖様をこの地に複雑に張り巡らせた陰陽術の結界に誘い込み、馴染みのない術に僅かに戸惑った隙を突いて棺に封じ、時の果てに安置した……だが、性急すぎる動き故に、この地の領主に盗賊団の存在を知られ、終には式姫達が動く事となってしまった。

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「ですが……全てが終わりました」

 すり落ちそうになる、この人の体を支える。

 結局、私はこの人の生を踏みにじり、真祖様を封じる手段を得るための使い走りで終わらせてしまった。

「私は……この人に何も、与える事は出来なかった」

「そいつは、違うんじゃねぇか」

 真祖様の後ろから、弱々しい声がした。

 この庭の主……。

「どうして?」

 私、この人に、何も上げられていないのよ。

 寿命も若さも、富とそれを使う享楽も……結婚し、子を為すという喜びすらも奪って。

「そうでは無いだろ」

 旦那は、満足して逝ったんだ。

 あの時、武の心得一つ無いのに、俺を組み敷いた旦那の異様な迫力と力は、心から信じた物を持っている人だけが持てる物だった。

 そして、最後までそれに殉じた。

「あんたは、旦那が最初に望んだように、彼の忠誠を最後までちゃんと受け止めて来たんだ」

 そうでなければ……あれだけの男が、最後に我が身を躊躇いも無く投げ出すまでに、仕えては来なかったろう。

「それこそが、旦那にとっては、他の誰もくれなかった、あんただけが彼にくれた、贈り物だったんじゃねぇのか?」

 だからさ……それだけは、否定しないでやってくれ。

 旦那と同じ、人として……頼むよ。

「そう……そうね」

 庭の主よ。

 あなたは敵手たる私達の最後を、そんな言葉で送るのね。

 人って……やっぱり面白いわ。

 彼女の盾となってくれた躯を、最期の力で抱き寄せる。

 ねぇ、私を最後まで守ろうとしてくれた貴方。

 貴方はあの世とやらで、私が聞きたかったことの答えを……教えてくれるのかしら。

 

「真祖様」

 あの方の顔を見上げる。

「……ありがとうございました」

 もう……ようございます。

「……そう」

 真祖が剣を引き抜く。

 支えを失った榎の旦那の体と、そして、それに守られていた彼女が同時に倒れる。

 純白のブラウスの胸が真紅に染まっていく。

 真祖の……闇の王の葬送の一撃が、人の体一つで防げる物では無い。

 間に入った人の体を貫き、無慈悲な程に完璧な精密さで、彼女の心臓は貫かれ、そして破壊されていた。

 最後に、こうして話す時間を頂けたのは、真祖様のお慈悲。

 あの方に頂いた、永遠を刻む心臓が停止した。

 

(真祖様は、何故私に自由をお授け下さったのです?)

 永遠の命だけでは無く……何故、私に自由な魂を。

 昔、そう問いかけた私に、あの方はきょとんとした顔をお返しになり、その後くすくすと綺麗な笑い声を響かせた。

(貴女もどらちゃんと同じ事を聞くのね)

(……吸血姫殿も?)

(そうだよー、面白いねー)

 そして、あの方は笑みを含んだ声で、恐らく吸血姫の時と同じ答えを私に下さった。

 私が、貴女の魂を愛したから。

 そして、貴女が、定命の存在を愛し、共に滅びる事を願ってしまった時。

 自分の意思でその永遠を終わらせられるように。

 そして、終わりを得た時……その生に満足できるように。

 生の終わりを呪詛では無く、祝福の言葉で迎えられるように。

 

 私に魂を残して下さった事、心より感謝します、真祖様。

「私は、自分の意思で貴女様に叛逆し……今、ここに滅びます」

 その言葉に真祖が頷き返し、小さく口を開いた。

「さよなら、私の大事な……」

 彼女にだけ届いた低い声。

 その言葉に、少し驚いた顔をしてから、彼女は真祖に淡く笑み返し。

「お別れです」

 さようなら、我が永遠の王よ。

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「また、行っちゃった」

 私の大事な友達が……。

 眷属の滅びを看取った真祖の姿が、徐々に最初に纏っていた白の上着と濃い茶色の変わった袴のような服装に戻る。

 ややあってから、真祖が背後に立つ男に目を向けた。

 その目に涙は無かった。

 ただ、その深緑の瞳の中に積み重ねられた深い寂寥の色に、男は胸を突かれる思いがした。

「……私は、いつもこうして、見送るだけね」

「……そうか」

 それ以上、何も掛けられる言葉が思い浮かばず、言葉に詰まる男の手に、真祖は手を重ねた。

「痛むー?」

 真祖の声が、少し間延びする。

 その響きは、白まんじゅうの声のそれ。

 それを聞き、緊張が僅かに解けたのか……。

「……言われたら、何となく痛くなってきた」

「そうー?」

 そう言って、真祖はまだ完全に血が止まり切っていない彼の手を取った。

「本当、痛そうねー」

「そりゃまぁ、ぶっすり骨まで行かれた挙句に、旦那に痛めつけられたからな……」

 そっかー。

「体は大事にしてねー」

 その傷をよく見るように、真祖が彼の手を持ち上げ、顔を寄せる。

「だって……貴方の血……とっても美味しいから」

「ん、今なんて?」

「こんなになってたら、つい飲みたくなっちゃう」

 その傷に柔らかい唇が触れる。

「お……おい!」

「ごちそうさまー」

 離れた唇が、彼の血に濡れて鮮やかに赤い。

 それが、小さく微笑む。

「私を式姫にしちゃった以上、他の子に吸わせちゃだめだよー」

 月を背にした事で、その表情は陰になって良く見えない。

 底知れない力を持つ、夜闇と魔術の王、全ての吸血姫の上に君臨する真祖。

 だがまぁ……それでもな。

 俺は、俺の知っているこいつと付き合っていくさ。

「誰に吸わせる予定もねぇやな、お前さんも普段は唐柿でも齧っててくれ、なぁ、白まんじゅう」

 男の言葉に、小さな笑い声が答える。

「……そうだったね、それじゃ今後もよろしく、私の愉快な呑み友達」

 ま、今はそれで良いかな。

 預かった貴方の命と魂……私はまだ、返す気は無いからね。

説明
式姫の庭の二次創作小説になります。

「唐柿に付いた虫」でタグ付けしておりますので、過去作に関してはそちらからご覧下さい。
以上で本編は完結となります、後日譚は追加予定ですが、物語としては終わりです。長い作品になってしまいましたが、お付き合い頂きありがとうございました。
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コメント
OPAMさん 長い連載にお付き合い頂きありがとうございました。 毎回頂いたコメントがこの作品を完結まで書けた原動力でした、どうしても書いてる側は全部の事情が判って書いてるので、そうでは無い読者の方の理解や見え方を教えて頂ける貴重な機会を頂き、本当に幾ら感謝してもし足りないです。(野良)
OPAMさん ありがとうございます、やっぱり敵役は最後までちゃんと敵で居て欲しいので、あんまりそちらに感情移入する要素は入れたくないんですが、最後に悪い奴やっつけたぞで終わりたくも無し……という事で、ちょこちょこ伏線入れつつ、最後にあんまりクドくならない程度に敵サイドの事情を入れ込みました。 ロジカルな展開が苦手なので、推理小説の種明かしのように感じて頂けたというなら光栄です。(野良)
長編の完結お疲れ様でした。これまでに何度も感動させてもらったり、美しい戦闘場面(激しさより華麗さを感じる戦闘が多かったように思います)を想像して、楽しませていただきありがとうございました。(OPAM)
最後に真祖になることを望んだ理由を明かす展開はやられたと思いました。その理由を初期や中盤で知っていたら同じストーリー展開でも感情移入する相手や強さが変わって別な読後感になっていたでしょう。まるで推理モノの最後で謎解けたときのようなカタルシスがありました。(OPAM)
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