義輝記 別伝 その十 後編 その壱
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【 勝算 の件 】

 

? 飯盛山城 城下町の茶屋 にて ?

 

 

「ふふふ……よく颯馬は、あの難問を解けたものだ。 私も散々思考して、やむを得ず久秀に教えを問うたと言うのにな」

 

「………………………」

 

 

何かを語る長慶に従いつつも、つい目が追ってしまう。 聞きたくも無い煩わしい声が、久秀の耳に纏わりつき、苛立つ心を更に掻(か)き乱す。

 

 

「凄いです! 流石は颯馬ですね!!」

 

「そこは私も同意しましょう。 しかし、古語にも《 勝って兜の緒を締めよ 》という言葉もあります。 くれぐれも油断は禁物ですよ」

 

 

『(………煩い)』

 

 

「ははは、これも颯馬殿が行った日頃の勉学の賜物。 ならば、私も颯馬殿に負けぬよう、一層の精進しなければな!」

 

 

『(…………煩い煩い)』

 

 

「あああぁぁ、はにかみながら見せる颯馬様の笑顔、実に素敵ですわ。 もし、わたくしだけの物に出来たら……もっと素敵ですのに……」

 

「ふむ、青二才の働き、なかなかの活躍だった。 それに比べ、この活躍を顧みて何と思うているだろうな、もう一人の策士殿は……」

 

 

『(………いい加減に黙りなさい! 有象無象の輩風情の癖に!!)』

 

 

心中では罵詈雑言を吐きながらも、他の者に気取られないよう、平静を保たなくてはならないのに。 

 

こうでもしないと我慢できなくなり、『あれは久秀の物よ』と、あの集まりの中に駆け込み、声高々に言い放ちたくなる。

 

 

「────!?」

 

「颯馬、どうかしましたか?」

 

「い、いえ、ちょっと悪寒が………」

 

 

…………ふぅ、思っていた以上に感情がささくれて、鋭くなる視線は完全に隠せず、何回かは見られたかも知れないわね。

 

 

────でも、仕方がないのよ。

 

本来ならば、颯馬は久秀の物。 

 

初めて足利家に訪れた際、逢って一目で気に入り、物の試しと様々な戯れを行ってみれば気丈にも抵抗し、簡単には壊れそうにないモノ。

 

増して、どこぞの戦馬鹿と違い、内政に関しても的確な助言や意見を得られ、建設的な会話もでき、仕事が大幅に捗るの。

 

そんな颯馬だから、久秀のお気に入りの玩具と定めたのに、そんな大事な玩具へ群がり、口喧(くちやかま)しく寄り添う者が後を絶たない。

 

何かにつけ颯馬へ秋波を送り、己を意識させるよう一生懸命に行動を起こす、不埒な輩。

 

だから、久秀は一計を案じたのよ。

 

 

「長慶様、あの時の御約束。 お間違えは……御座いませんか?」

 

「ん? 颯馬が久秀との問答で負ければ、我が三好家へ仕官させる件か?」

 

「はい、颯馬殿の見識や知謀、三好家においても必ずや力になると確信する次第。 もし、御家に仕官してくれたら、久秀も安心ですので」

 

 

颯馬に勝負を仕掛け、久秀が勝てば三好家に颯馬を取り込む。 そうすれば、颯馬に集る輩どもなど久秀が前に出て、全部握り潰してあげる。

 

そして、久秀の屋敷内で厳重な監視の下、颯馬を後方に回して仕事漬けにし、夜は久秀に付き合ってくれればいいのよ。

 

 

「心配するな。 足利家にも事情は話して承諾の書状を受け取っている。 《 もし、颯馬が負けるのであれば、好きにしろ 》……とな」

 

「流石は長慶様、用意周到ですね」

 

「誉めて何も出ないがな。 だが、久秀は颯馬に対し勝算ありと言うのだな」

 

「いえ、勝負など時の運。 しかし、此方からの提案で、負けを晒すなど武家の恥ですので」

 

 

よく、《 負けた後の事も考えるのは大事 》と聞くけど、それは準備を怠った際の世迷言。 残念だけど、この勝負に久秀の負けはないの。

 

先の一敗は、颯馬の力量を確かめる為の試金石であり、認識を誤魔化す囮みたいな物よ。

 

もし、勝負に固執したなら、この地は三好家の領地ゆえに、久秀の権限が及ぶ限り、色々と無理も通じさせる事もできたわ。

 

先のような事になっても、久秀が封じれば大概の者は黙るしかないわ。 誰だって権力者に睨まれるのは、嫌なものだと知っているから。

 

まあ、身の程を弁えずに余計な喧嘩を売った愚かな駒如き、この久秀が庇う必要も無し。 適当に罪を擦り付けて処分するのは、当然の結果ね。

 

 

「本来ならば、私は三好家の家宰である久秀を応援しなければならない身。 だが、他国の者とは言え颯馬も私の家族。 どちらを選ぶのは……」

 

「分かっておりますわ、長慶様。 どうぞ、双方共に応援して下さいませ。 ただ久秀は、御家の為に全力を出し切るまでです」

 

「…………すまない、久秀」

 

 

心底すまなそうな表情で、長慶が久秀に謝るものだから、つい物分かりが良いような表情を作り、慰めてあげたわ。

 

だって、今の久秀は機嫌がいい。

 

そのお蔭で、久秀の願いは叶うのだから。

 

 

「……………む? 何か機嫌が良さそうだな」

 

「申し訳ありません。 漸く探していたモノが手に入りそうなので、つい嬉しくて…………」

 

「そうか、また良い名物(茶器)でもあったか。 流石は目利きだけあるな、羨ましいものだ」

 

 

何やら勘違いしている様子だけど、その方が都合が良いから、笑顔のままで押し黙った。

 

久秀の主である長慶サマは、三好家中が今どうなっているのか、全く存じてない様子。

 

これが久秀の主とは……笑わせてくれるわ。

 

 

─────三好家と足利家の同盟。

 

 

 

長慶が提案し数々の苦難の末、ついに現実になった三好家と足利家の同盟。

 

領土が隣接するゆえに互いの背後を気にせず戦え、また三好家の武力、足利家の権力が互いを補い、領土拡大の一助にもなっている。

 

それに、三好家の長慶や一存、足利家の颯馬と昵懇の仲で有名であり、その名声により商人達は安心して商いを活発にし、領地に繁栄をもたらしているのは事実よ。

 

だけどね、今の対応に不満を持つ臣下は多数。

 

三好家の領地は足利家の数倍という有利な中、公方という力無き権力を携えているだけの弱小国相手に、三好家と対等な同盟国扱い。

 

戦国の世である今、ただの御飾り相手に余りの厚待遇。 しかも、三好家当主と同格扱いとなれば、この家に仕える臣下はどう思うかしら?

 

だから、久秀が裏から手を回して懸命に慰撫してあげたの。 始めは反抗的な者も居たけど、少ししたら大いに喜んでくれるようになったけど。

 

そんな久秀が負ければ……三好領内の不満が一気に高まり、同盟国から一転して敵対国へと早変わり、ついでに周辺の国も巻き込まれるわ。

 

そうなれば、三好長慶、十河一存は素より、三好家より遥かに劣る、名ばかりの武家の棟梁たる足利家も壊滅。

 

後は、新たな当主に久秀が継ぎ、その勢いのまま足利領も併呑、颯馬は久秀の玩具に。

 

久秀が新たに当主となれば、久秀の玩具を、颯馬を好き勝手なんかせさせない。 旧三好家を率いて邪魔な領主を蹴散らすの。

 

どんな阿鼻叫喚の地獄になるのかしらね。

 

 

────ただ、懸念するのは、颯馬が薄々だけど久秀の策に気付いている様子。

 

もしかすると、側に居る武田や織田辺りから話が入っていたのかもしれない。 久秀程じゃないけど、それなりに目を見張るものがあるから。

 

でもね、颯馬は理解もしているわ。 自分が勝負に勝てば、足利と三好の平和を崩す火縄と化す可能性がある事に。

 

それを何とかしなければ、颯馬は積極的に勝ちを求められないわ。

 

全てが………久秀の掌の上。

 

そう言えば、久秀の前に居る長慶も、颯馬に満更ではない様子みたいね。 確約こそ得ていないけど、久秀の提案に乗っているのが良い証拠よ。 

 

もしかの時は、久秀の身代わりに長慶へ全てを擦り付るのも……ありかも、ね。

 

 

 

【 友情 の件 】

 

? 飯盛山城 茶屋から空地 にて ?

 

 

あの後、店主より物言いの声が上がったり、その言葉に喧嘩腰で反応した一存を窘めたりと、まあ色々とあったが、長慶殿より正式に俺の勝ちと裁定され、胸を撫で下ろした次第だ。

 

その間、久秀殿の様子も垣間見たが、何時もの久秀殿と変わらず、表情はそのまま。 

 

幼子の様に負けて悔しがる様子など、とても想像できないが、逆に眉一つ動かさず、淡々と長慶殿に従っている姿に怖じ気が走る。 

 

どうやら、久秀殿にとって俺が課題を解くのは、予定調和だったらしい。 勝負は三回戦ゆえ、俺の技量を試したということか。 

 

相変わらず、恐ろしい御仁だ。

 

 

「おい、颯馬! 姉さんから準備が出来たからと、伝えに来てやったぜ!」

 

「そうか、ありがとう! 直ぐ説明に向かうから案内を頼む!」

 

「へっ、天下の鬼十河が道案内役にするんだ。 必ず勝てよ、颯馬!」

 

 

三好家の一族だと言うのに、無邪気な笑顔で俺に勝つよう言ってくれる一存に、俺は心底より礼を述べた。

 

ったく、身内の利益を顧みず、他勢力の俺を姉弟共に応援してくれて、本当に頭が下がる。

 

だが、今回の勝負は……俺と久秀殿の知恵比べだけじゃないだろう。 あの御仁自ら仕掛けてきたとなれば、必ず何かしら策謀が隠されている筈。

 

 

だとすれば───

 

 

「────おい、颯馬!」

 

「っと、すまん!」

 

 

一存の声で、考え事をしていた俺の意識が、現状に戻る。 横を見れば、呆れたと言わんばかりに、苦笑する一存の顔。

 

 

「また、何か考えていたんだろう?」 

 

「い、いや………」

 

「はぁ〜、また俺には話せない複雑な話かよ」

 

 

俺の考えは推測に過ぎず、こんな事で、久秀殿と犬猿の仲である一存に言えば、火を見るより明らか。 だから、語らず黙っているしかない。

 

決定的な証拠が無いのに関わらず、親友とは言え他勢力の重臣に、こんな話をする権利や義務も俺には無いのだ。 

 

 

「話をしても、無駄だと言うのは分かるけどな。 それでも、相談ぐらいはしてくれよ?」 

 

「………………………」

 

「もし、俺じゃ駄目なら、姉さんに聞いて貰うよう取り次ぐから、その時は言ってくれ!」

 

 

そう言うと、一存は歩き出す。

 

一存の背中は何時も見慣れていた筈だが、何故か

大きく感じ、黙っているしかなかった俺は、一存の背中越しに謝るしかなかった。

 

すると、そんな俺の気配に気付いたのか、振り向いた一存は俺に破顔して言い放つ。

 

 

「颯馬、姉さんだったら……お前を《 家族 》と言うだろうが、俺にとっても《 親友 》だ! だから、遠慮なんてぇさっさと捨てちまえッ!!」

 

 

この時の力強い言葉に、どれだけ俺は勇気付けられた事か。 俺は最後まで戦う覚悟を決めると、意気揚々と進む一存の案内で場所へと向かった。

 

 

向かったのだが………

 

 

「この場所で本当に良いのか? 余りにも何だか場違いな気が……」

 

「だがな、この付近の空き地と言えば、此処しかない。 伊達に姉さんから逃げるため城下町を逃げ回った、この俺が言うんだから間違いない!」

 

「断言してくれるのは心強いんだが……」

 

 

一存の話によると、そこは先ほどの茶屋より少し離れた場所。 屋敷を建てる予定でもあるのか、広めの空き地が整地してあったという。

 

だが、問題なのは場所ではなく、その周辺の物々しさ。 三好家の家紋《三階菱に釘抜》が描かれた陣幕が張り巡らされ、忙しげに動き回る下人達の姿。

 

まるで、盛大な催しを行うような、大規模な準備の真っ最中だったのだから。

 

 

 

【 反抗 の件 】

 

? 飯盛山城 空地 にて ?

 

 

「……………って、姉さん。 いつの間に、こんな堅苦しい場に変えたんだ? 俺が来た時、ここまで重々しい状況じゃなかったのに………」

 

「仕方あるまい。 知らぬとは言え、他国の太守が見えられたのだ。 我が家の体面もあるゆえ、失礼無きよう礼を弁えねばな」

 

「一言だけでも言っといてくれば───」

 

「話の途中で飛び出して行ったのは、何処の誰だったか? まあ、一存達と無事に合流できたのは幸いだ。 詳しい事は中で説明しよう」

 

 

颯馬と共に来た一存は、探しに来た三好家の家来衆に捕縛されると、強制的に身支度を整えさせられ、待っていた長慶と共に向かう。

 

向かうのは当然、颯馬を案内していた空き地。

 

だが、二人の行き先は更に奥であり、真新しい陣幕を何度も潜り抜けて進むと、屈強な兵達が目を光らし護衛する警戒厳重な中心部へと至る。 

 

長慶が兵に言葉を掛けると、一礼した兵が陣幕を開き中を案内し、泰然とした様子で進む長慶達が

入って見れば、既に先客が待っていた。

 

 

「姉上の体調が心配なので、このような配慮は大変有難いのですが………別に太守でもない私まで。 立ち見でも一向に大丈夫なんですが……」

 

「まあまあ、太守の妹御を立ち見にしたなど噂が出回れば、三好家の顔は丸潰れ。 それに、私が横だとな、この姉上が臍を曲げられて困るのだ」

 

「…………私ばかりが優遇されるなど、家中の者が聞けば皆の怒りを買いますよ。 それと、影虎から姉上呼ばわりされる筋合いなどありません!」

 

「まあ、と言う訳だ。 信廉殿には三好家と上杉家を助けると思って、どうか座って頂きたい」

 

「……くすっ、分かりました。 それでは、お言葉に甘えて────」

 

 

この場所を急拵えで造営する原因になった三人は、用意してある床几へ腰を掛ける。 

 

 

武田家と上杉家の来賓。

 

 

先程よりも、厳格な勝負の態勢が整えられているのは、単に颯馬に付き従う他国の太守達の存在。

 

三好家と足利家の問題として、内々に済ます筈だった颯馬移籍問題が、あろうことか他国からの視察まで受けるとは思わなかったのだ。

 

そのため、颯馬からの提案もあり、このような重苦しい場所を急遽準備した訳である。

 

あと、本来ならば二人の人物が座る筈だったのだが、その席は空席。 二人は案内される前に、何処ぞかに姿を消していた。

 

武田、上杉両家も理由は知らず、三好家側では奔放な信長、久秀と犬猿の仲である順慶だからと、居ない者達を外し準備に勤しむ次第であった。

 

そして、囲みの中央部では、互いに近付き小声で話す対戦者……緊張で顔が強張る天城颯馬、微笑みを浮かべる松永久秀が対峙する。

 

話す内容は小声で聞きづらかったが、二人の間に漂う緊迫感が事の重大さを教えた。

 

 

「まんまと一戦目はやられたわ、颯馬。 可愛がっていた飼い犬に手を噛まれるとは、こういう事態をいうのね。 ホントに最低最悪の気分よ」

 

「………久秀殿……」

 

「だけど、安心なさいな。 反抗的な態度をしても久秀が直ぐに捩じ伏せ、きちんと躾けてあげる。 二度と逆らえないよう、徹底的に……ねぇ」

 

 

勝負を始める刻には早く、準備も出来ていなかった為、これ以上は双方共に語らず距離を開けた。

 

されど、先程まで苦悩していた颯馬の目に迷いは無い。 全力で勝負を挑むとの意志を固めていた。 

 

 

そんな剣呑な様子を、陣幕を通り抜けた長慶と一存が偶然見届けた後、所定の場所へ移動し用意されていた専用の床几へと腰を落とす。

 

来賓側の床几も立派な造りだが、此方の床几は座る人物を特定しているので、その体躯に合わせての特注品の為、実に座り良い逸品である。

 

それ故に、強張った長慶から緊張感が消え、普段の柔和な表情に戻った事を一存が気付く。

 

これは何かあるな……と動物的勘で察した一存だが時遅く、長慶が微笑みながら口を開いた。

 

 

「一存よ、颯馬殿……いや、颯馬の表情が吹っ切れたように見えるが、何か言ったのか?」

 

「ほんの少しだけ、颯馬に気合いを入れてやっただけさ。 陰険なアイツなんかに負けるなって」

 

「…………そうか。 颯馬には迷惑を掛けてしまったな。 三好家当主として、お前達の姉として不甲斐ないばかりだ」

 

 

勝敗の説明は、既に準備を頼まれた段階に聞いている。 無論、解答も颯馬より直接受けていたゆえ、多少は内容を聞いていなくても問題ない。

 

何やら面倒な事を頼まれそうだと、気を揉んでいた一存だが、まさか思いもよらない謝罪の言葉が出た事に、思わず目を白黒させ止めさせた。

 

 

「な、何だよ!? 急に謝られても───」

 

「ははは、そうだな。 これは私としての戦いであり、一存には関係は無いことだ。 寧ろ、一存が参入すると……更に事態が悪化する恐れがある」

 

「ちょっ!? 姉さん!!」

 

 

謝罪をされたと思えば、茶化して誤魔化そうとする、普段と違う長慶の様子に戸惑いを隠せない。

 

しかし、長慶の目は真剣である。

 

思わず周囲に配慮して小声に落とし、姉の様子を窺うつもりで問い掛けた。

 

 

「姉さん、冗談は抜きにしても……何があった? 姉さんや颯馬が関わり、俺だけ蚊帳の外なんて」

 

「だが、これは三好家内の問題であり、養家に出た者に責任なぞ───」

 

「俺は三好家中で名高い鬼十河だぜ。 それが家族や親友の危機に、何もせずに黙って見ていたなんてこと、俺の矜持が許さねぇ!」

 

 

その迫力は、やはり鬼と形容されるだけあり、普通の人であれば気絶するほど。 一応、声は落としての会話だが、その迫力は日頃以上。

 

されど、流石は三好長慶。 鬼十河の鬼気迫る勢いにも、平気な顔で付き合わす。 

 

 

─────いや、口角が僅かに上がる。

 

 

「そこまで言うのであれば、お前にも一肌脱いで貰うぞ」

 

「へっ、ドーンと来いだッ!!」

 

 

さっきまで警戒していた身だが、普段から十河一存は姉を尊敬し大事にしている男である。 それと同時に持ち前の性急さもあった。

 

それゆえに、後に事情を知った十河一存は、この敬愛する姉からの言葉に、心底後悔する羽目になるのである。

 

 

 

【 次戦 の件 】

 

? 飯盛山城 空地 にて ?

 

 

三好姉弟の話し合いが終わった頃。

 

知恵比べ第二戦目の提案者より、対戦相手に問題の内容を語り始めていた。

 

前者が天城颯馬、後者が松永久秀である。

 

 

「その昔、かの頓智で名高い禅師は、貴人から長い紙を与えられ《 分りやすく》《 長い 》有難い字を書くよう請われたと申します」

 

「その話は有名ですね。 《 万人いつかは必ず訪れるもの故、常々意識して生を楽しめ 》との教えで、《 し 》の一字を記載したと言う事かと」

 

「はい、久秀殿の仰る通り。 そんな禅師に比べ明らかな凡人ですが、その逸話を元に問題として準備をお願いした物が、こちらとなります」

 

 

その言葉が終わると同時に、用意してあった布地の側へ竹箒ほどの大筆、桶に並々と入った黒い液体が、二つ持ち込まれる。

 

布地の大きさは、縦が十尺(約3b)、横が一尺(約30a)の細長い布地。 禅師が行った時の物より遥かに短いが、文字を書くには充分な品物だ。

 

また、桶に入っている黒い液体は、炭化した木を溶かした物である。 これも手間や高級品という関係で、代替品を使用。

 

本来ならば、準備する物は何でも揃えると長慶は言ってくれたのだが、颯馬も其処まで甘えるつもりがなく、なるべく安く済ませる方法を取った。

 

持ち込まれた品物を一瞥し、そのままの状態で口を開き、久秀達に二戦目の課題を説明する。

 

 

「此処に用意してある筆を使用し、この布地に私達も《 分りやすく》《 長い 》字を記入して頂くと言うのが、私からの課題となります」

 

「一応聞いておきますが、禅師が書かかれた文字は禁止、そう考えても?」

 

「その通りです。 ですが、それだけでは知恵比べとは言えませんので、もう一つ付け加えようかと………」

 

 

颯馬は唐突に大筆を手に取ると、桶の黒き水に付けて十分に含ませ、布地を動かし横向きに設置し、そのまま布地に沿って横一本線を引いた。

 

布地に現れたのは、漢字の《 一 》だ。

 

 

「勿論、何でも書けば良いわけではありません。 この私が先に書いた字より勝る意味合いの文字を、一筆で新しい紙に書いて頂きたい」

 

「それは、どういう範囲でしょう?」

 

「どんな考えでも結構ですよ。 ただ、正解の決定権は私にはありません。 ここに居る長慶様達が全員納得されれば、久秀殿の勝ちです」

 

そう言って颯馬は押し黙り、久秀の様子を伺う。

 

颯馬の問いは、『一筆書きで、新たに字を書き出す事。 ただ、颯馬の書いた文字より格上の意味合いの文字とし、審査者の納得させろ』となる。

 

この問いに居合わせた者達は、色々と考える。

 

 

「漢字と考えても、?(ツリバリ)や丶(テン)等がある。 だが、此方は漢字の部首として使用するゆえ、意味合いも殆どないから、勝つのは無理な話だ」

 

「残念ながら、私としても影虎と同意見です。 颯馬の書いた字に足せば、まだ意味も分かりますが……書いた文字で意味合いが上になるとは」

 

「で、ですが! 颯馬は嘘をついてまで、この問題を出してくる理由がありません! きっと、私達が思いもよらない答えがあるんですよ!」

 

 

 

「…………三好家当主に相応しい者になる為、様々な勉学に費やしたつもりだったが、まるで答えが思い付かぬな。 どうだ、一存は解けるか?」

 

「…………無理だ!」

 

「直ぐに思考放棄するとは何事だ! 古今東西、幾ら戦に強くても、策で破れた者は幾らでもいる! 私は一存の心配して────」

 

「だあぁぁぁ、一応は考えたんだ! 試しに漢字の数字を入れても、『一』以外全部二画以上じゃないか! どう考えても俺じゃわからん!!」

 

 

喧々囂々と語る者達にとっては、実に理解が及ばない難題だった。

 

『一』は漢字でもあり、数字でもあり、文字でもある。 漢字ならば越えるかと思案すれば、他に一字で書ける物は無い。 

 

では、数字ならばと考えるが、一筆書きとなるのは『一』だけ。 これも……駄目。

 

他に考えるが別に浮かぶ物もなく、謎解きに躍起になっていた面々も静かになるしかない。

 

 

そんな中、久秀はスッと前に出ると、大筆を桶に入れて染み込ませた後、準備してあった布地へ筆を付けるのであった。

 

 

説明
颯馬と久秀の戦い 二戦目です。 
今度の投稿は7月を予定しております。
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