はじまりはかがくのあじ
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「え、今日誕生日なの」

 がちゃん、と音を立てて自販機がミネラルウォーターを吐き出す。不意打ち気味に知らされた事実に動揺する僕に、アルフレッドくんは居心地悪そうに「うん、まあ」ともぞもぞと返事をしてくる。普段の目立ちたがりで、構われたがりの彼にしてはあまりに珍しい態度だ。

「ええと、……おめでとう?」

 こういうとき、なんと言えばいいんだっけ。緊急停止した思考をなんとか働かせて、ようやく出てきたのは当たり障りのない、平凡な一言だ。我ながら気が利かないというか、洒落っ気の一つもない、とってつけたような空虚な響きに、ほんの少しだけ申し訳ないような気分になる。

「ああああもう!」

「えっ、なに、僕なにかした?」

 すっかり放置されていたペットボトルを取り出すためにしゃがみ込んだ僕の頭上から、唐突に唸り声とも怒鳴り声とも形容しがたい声が降ってくる。慌てて目線を上げると、アルフレッドくんはがさがさと、髪型が乱れるのも気にせずに指を突っ込んで髪の毛をかき回していた。

「だから嫌だったんだ!君に伝えるの!」

 びしっ、と効果音がつきそうなぐらいはっきりと、鼻先に彼の人差し指が突きつけられ思わずむっとした。そりゃあ僕だって前から知っていればもう少し気の利いた言葉のひとつやふたつ、かけられただろうけれど、なにせ知ったのは今日の今日だ。

「だったら、もう少し早く」

「だって絶対気をつかうじゃないか!そういうのなんていうか、嫌なんだよ。むず痒いっていうか、とにかくどういう顔したらいいかわからないし、」

「え、そっち?」

「そっちってどっちだい!」

 困っているのか怒っているのか、またしても形容しがたい顔をしたアルフレッドくんはうー、とか、あー、とか、意味のない言葉を吐きながら、なおも片手で髪をがしがしとかき回している。確かについこの間までは犬猿の仲という言葉では収まらないほど仲の悪かった僕らだ。今でこそこうして休憩時間に並んで会話をする仲になっているけれど、僕だって彼から気をつかわれたらそりゃあ大層居心地の悪い思いをするだろう。

 と、そこまで考えた僕の頭の中に、ひとつの考えが浮かぶ。ぐいぐい寄せられた不機嫌そうな眉毛とか、ずっとやり場が無いように髪をかき回している手とか、そういうもの全て彼なりの、

「ひょっとして照れ隠し?」

「そっ、」

 振り返ったアルフレッドくんの顔の中で一番目立つ、眼鏡の奥の明るいブルーが見開かれる。それがじわじわと潤んで、ああきれいだなあなんて思ったのもつかの間。白い肌がぐわりと赤く染まった。

「それのどこが悪いんだい!?」

「ええ、別に悪いなんて言ってないよお、ただ、可愛いなあって」

「かわ、」

 これ以上赤くなりようがないほどに真っ赤だったアルフレッドくんの顔が、ちょっと心配になるほど赤くなっていく。けれど僕はと言えば自分の口から思わず飛び出した言葉に、内心首をかしげていた。

 かわいい、と言ったのは自分のはずなのに、妙に実感がない。生意気な後輩だとか、うるさいとか、ぷちっとしちゃいたいなあとか思ったことは星の数ほどあるけれど、かわいいと思うのははじめてだ。そう、僕は確かにアルフレッドくんの事をかわいいと思ったのだ。不思議なことに。

「っきみ、俺を馬鹿にするのも大概にしてくれよ?!」

「アルくんうるさいよ、ちょっと考え事してるから黙ってて」

「その態度が馬鹿にしてるって言ってるんだぞ、イヴァン!ああもう、変にごちゃごちゃ考えるからダメなんだよ。とにかく君は、俺に何かプレゼントをするべきだ!」

「今さっき僕には気をつかわれたくないって言ったばかりじゃない」

「知ってしまったんだったら盛大に祝うべきじゃないかい?」

 あ、開き直ってる。胸をはってふん、と鼻を鳴らす姿は、さっきまでのかわいいアルフレッドくんではなくて、いつものちょっとぷちっとしたくなるアルフレッドくんだ。とはいえここで何もしないで引き下がるのも癪だ。一応、彼よりひとつ上なわけだし。

「ううん、」

 盛大、と言われても一体に何をすればいいのか、僕には見当もつかない。第一、今僕らがいるのはパーティ会場でも彼のよく行くファストフード店でもなく、校舎の裏にひっそりと設置された自販機の前だ。わくわく、きらきらとご褒美を期待する飼い犬のような眼差しがじわじわと僕に圧力をかけてくる。おかしいな、圧力は僕の専売特許だったはずなのに。

「……一本、好きなの買ってあげる」

「君散々考え込んだ結果がそれかい」

「しょうがないじゃない、自販機しかないんだから」

 きらきらとした輝きを一瞬で消してしまった瞳が、一瞬不満げに僕を睨んで、けれどすぐに自販機へと視線を移した。

「ちょっとイヴァン、この自販機コーラが置いてないぞ」

「ある中から選んでよ。ほら、休憩時間終わるよ?」

「えー……じゃあ、これ」

「はいはい」

 こつ、とプラスチックを叩いて彼が示したのは、見るからに合成着色料ですと言わんばかりの緑色をしたメロンソーダだった。ああ、こういうカラフルなの好きだよね、おいしくはなさそうだけど。そういう心の声は口に出せばまた面倒なことになるのを知っているから、意図的に口を噤む。一旦はポケットのなかにしまった財布を取り出して、小銭を入れた。これでいいの、と目線で確認すれば、あれだけ不満そうな顔をしていたアルフレッドくんは、いつの間にやらさっきの、期待満々の顔に戻っていてちょっとだけ恥ずかしい。

 がちゃん、と大きく音を立てて落ちてくる一瞬、炭酸飲料はちょっと心配になる。キャップを開けたら泡を吹いてあふれ出すんじゃないかという想像に襲われて。けれど、取り出したメロンソーダを受け取ったアルフレッドくんはそんなことなんて考えないのだろう。ためらいもなくキャップを捻られたペットボトルからぷしゅう、と気の抜けた音。それから毒々しいほどの緑色をした液体は、あっという間に四分の一ほどが飲み込まれてしまった。

 あまりにも見つめすぎてしまったのだろうか、一息ついた心地のアルフレッドくんがきょとりと目を瞬かせた。

「なんだいイヴァン、君も飲みたいのかい?」

「そんなわけないじゃない、甘ったるそうだもの」

「いや君甘党のくせによく言うよ、こういう飲み物はさ、いかにも科学の味っていうのがいいんだよ」

「ふうん?」

 僕にはよくわからないけれど、彼の中ではそういうものなのだろう。いまいち納得しかねる顔をした僕を、アルフレッドくんが意地の悪そうな顔で笑う。

「君も飲んでみるかい?」

 からかわれてるなあ、と思う。以前に僕が炭酸でむせていたのを覚えているのだろう。生意気で、全然かわいくない顔だ。僕だけに見せるそういう顔も決して嫌いではないのだけれど、どうせプレゼントまでさせられてしまったのだ、ちょっとぐらいやり返したってバチはあたらないだろう。

「……じゃあ、ひとくちだけ」

「え」

 どうせやり返すのなら、さっきみたいに不意を突かれて驚いて、真っ赤になった顔が見たい。そう考えた僕の行動は早かった。僕と彼の体の距離を、ぐいと一歩縮める。少しばかり僕の方が身長が高いから、アルフレッドくんが見上げる形になるのが気分がいい。滑らかな頬に手を添えて、五センチ下の顔に、自分の顔を寄せた。

 柔らかいけれど、ちょっとかさついた感触。至近距離でぼやけた青が、見開かれたのだけはなんとなくわかった。

 ふ、と顔を離して、ついでに体同士の距離もちょっと離す。さっきみたいに見開かれた瞳。一瞬の沈黙。それから、あっという間にこれ以上赤くなったら爆発してしまうんじゃないかというほどにまで赤くなる、顔。

 生意気だ、可愛げがないと思ってたはずの顔が、表情ひとつ違うだけでこんなにも印象を変えることに、僕自身もびっくりしている。そうしてふわふわした気分のまま、まだ感触の残る自分の唇を舐めた。

「やっぱり可愛いなあ。アルフレッドくん」

 今してやったりと満足げに笑うのは僕の方だ。舌の上に広がる人工甘味料と、わざとらしい香料の風味。かがくのあじ、はやっぱり僕には合わないようだった。

 

 

説明
※2017/07/07にPixivへ投稿した作品をTINAMIへ移行したものです

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