ほしをかぞえて |
「あれえ、こんなところで何してるの」
ちょっといびつに舗装された道路の上、星がきれいだなあなんてふらふら歩いていたら、向こうから歩いてきた人に肩をぶつけてしまった。
「大丈夫か、い……」
俺はひとより体が丈夫だから、ぶつかってしまった人が怪我をした、なんてことがあるかもしれない。だから慌てて振り向いたというのに、ふわ、と視界を掠めたのはクリーム色の長いマフラーだった。
こんなところで出会うなんて。思い切り舌打ちしそうになるのをぎりぎりでこらえて、ひくつく口元をむりやり引き上げる。
「やあロシア」
「こんばんは。で、こんなところでなにしてるの」
どうやらこの国の中で、よりにもよって俺がふらふらしていたのがお気に召さないらしい。にこ、と擬音がつきそうなほど綺麗に笑んだ顔の中、紫色の瞳だけが凍り付くようにつめたい。
「特に何も。スパイ活動とかじゃないから、安心してくれよ」
「そうかあ、まあそうだよね。スパイだとしたら、あんまりにも目立ちすぎだよね」
「なんか引っかかる言い方だけど、まあいいさ。それじゃ俺はこれで」
「ええ、待ってよ」
踵をかえした俺の肩を、厚みのある手ががっちりと?まえる。振り切って逃げることだってできるけれど、わざわざ彼のテリトリー内で追いかけっこをする気もなかった。
「別に、なにかしてるわけじゃないぞ」
「ほんとうに?アメリカくん、会議終わってからあっちにふらふらこっちにふらふら、あんまり人通りのない道に入っていくからなにしてるのかなーって、追いかけてきたんだけど。ほんとうになにもしてないの?」
「だからなにもしてないって。探してもないぞ。ていうか君、俺の事つけてたのかい?」
「つけてたっていうか、自主的な護衛?」
「いらないよそんなの……」
わざとらしく傾げられた首に、ちょっといらいらする。ぼんやりしていたとはいえ、これだけ目立つ相手に後をつけられていたというのに気が付かない自分も自分だ。
「で、アメリカくん」
「なんだい」
「きれいだった?空」
にっこり、というかにんまり、というか。とにかくそんな感じで今度こそ目の奥までしっかり笑ったロシアには、俺のしていたことなどお見通しだったというわけだ。当たり前だけど。上を見ながらふらふらしてたんだから、ばればれに決まっている。
「きれいだったよ。夕焼けから星空まで。おんなじ空のはずなのに俺の国とは違うんだな」
「あれ、」
「なんだい」
鳩が豆鉄砲を食ったよう、というのは、多分こういうときに使うのだ。目を真ん丸にして、中途半端に口を開いたロシアは、どうやら本当に驚いているらしかった。
「アメリカくんのことだから、俺の家が一番なんだぞーって言いだすかと思ったのに」
「いや俺の家が一番なのは当然だけど」
「……かわいくなあい」
「かわいいは狙ってないんだぞ!」
じっとりと湿ったような視線を受けて、跳ね返すように胸を張る。とはいえ、この国の空がきれいなのは本当だ。そうじゃなければ、わざわざ空の見えやすい所を選んでふらふら歩いたりしない。
「ていうかアメリカくんさ、ここどこだかわかってる?だいぶホテルから離れてるけど」
その言葉にぐるりと周囲を見回す。そういえば、どこをどう辿ってきたのか全く覚えていない。周囲はいつの間にか住宅街だし、それなりに遅い時間なのもあって人通りも殆どない。
「……まあ、なんとかなると」
「へえ、本当に?」
念を押すロシアの声は、どう聞いたって弾んでいる。そんなに迷子が面白いか。
「送ってあげてもいいよ」
「遠慮するよ」
「まあまあ」
「ちょっと!背中押さないでくれよ!」
「うふふ」
肩を押されて回れ右をした俺を、そのままロシアが後ろから押してくる。ホテルはこっちだ、ということなんだろうけれど、なんだか釈然としない。避けようとして早足にしたところで、そもそも彼と俺では歩幅が違うのだ。
「ああもう、一緒に帰ればいいんだろう!」
でこぼこの道につんのめる直前で声を上げた俺の背中を、ふふ、と笑う声が追いかけてくる。ゆっくりと並んだ大柄な体を、ちら、と横目で伺う。今日の彼は、ちょっと気味が悪いくらい上機嫌だ。
「なんだってそんなに機嫌がいいんだい」
「んー?」
ふわ、と揺れるマフラーの裾は、なんとなく、彼の気分に連動しているんじゃないかというような気がする。彼が一歩前へ進むたびに、ひょこひょこと跳ねるように揺れた。
「だって、ねえ、アメリカくんに褒めてもらえるなんて思ってなかったから」
だからうれしいんだあ、と続けたロシアに、え、それだけ?と言いそうになってしまったのは秘密だ。慌てて顔をそらして、前を向く。明かりの少ない道を迷いなく進む彼の足取りは、確かに心強いものだということを認めざるをえなかった。
「空が、綺麗だって言ったんだぞ」
「うん。でも僕の国の空だから」
「そりゃまあ……ううん、じゃあそういうことでいいよ」
「うん」
かつん、とアスファルトに革靴のかたい足音がひびく。周りはすっかり静まり返っているから余計だ。本来泊まる予定だった場所からは、確かにかなり離れてしまっているらしい。
「あ、」
響いていた足跡のひとつが、突然止まった。それにつられて俺も足を止める。高いところから見下ろすような視線に、不快感を隠さずににらみ返す。彼から見下ろされるのは、身長差があるからどうしようもないとはいえ、神経を逆なでされるような感覚があるのだ。
「なんだい」
「アメリカくんってさあ」
にゅう、となんと気配もなく伸びてきた手が、がっしりと俺の顔の両脇を抑え込む。息をのんでしまったのは不覚だった。けれど、ロシアはそれを気にした様子もなく、じっくりと俺の顔を覗きこんでいる。
「目の中に、星空があるんだねえ」
「は?」
「眼鏡にも映ってるけど目の中にね、星が映り込んでるからきれいだなあって。いいなあ」
「はあ」
きらきらと好奇心ばかりが輝く紫色が、瞬きもせずにじいとこちらを注視し続けるのは、正直居心地が悪い。
「なあロシ、」
最後の音が空気を震わせることはなかった。よく見ようと身を乗り出した彼の唇が、俺の口をふさいだからだ。
見開いたロシアの目と、しっかりと見つめ合うこと三秒。ゆっくりと離れていく彼を、呆然と見送ると、ロシアはゆったりと口を開き、
「わあ」
と間抜けな声を上げた。
「いやキスしておいてそれかい?!」
「アメリカくん今は夜なんだよ。うるさいよ。それにね、ちょっと前まで僕の所のあいさつだったし、そんなに気にしないよ」
「俺は気にするぞ!」
「ええ、もしかして初めてだった?」
「そんなわけないだろ……」
ぐったりと脱力した俺の横を、するりと滑るようにロシアが進む。先を行く広い背中をにらみつけたところで、彼が立ち止まるわけもない。仕方がないから斜め後ろをそろりとついて歩く。
「だいたいなんでキスなんかしたんだい」
「えっ別にしたくてしたわけじゃないよ。ちょっと近くで見てみたいなあと思ったらぶつかっちゃっただけで」
「本当に君むかつくな」
「うふふ、ありがとう」
褒めてない。全然褒めてない。
「でもいいねえ、アメリカくんの目、空みたいで。手の届くところにあって、すごくうらやましいなあ」
「君が俺に言うとしゃれにならないんだぞ」
「えー?」
くふくふと笑う声が上から降ってくる。本当に、今日の彼は上機嫌だ。お得意のウォッカでも飲んだのかと思ったけれど、めずらしく彼からアルコールの匂いはしない。
「なんでそんなに機嫌がいいんだい」
「ん?アメリカくんとこうして、ゆっくりお話ししながら歩いてるからかなあ」
まためんどくさい冗談を、と思って彼の顔を見上げて、俺はちょっとだけ驚いた。少しだけ上の方にあるロシアのほほが、ほんのりと赤く染まっている。あれ、これひょっとして本音だったのか。
「……あんまり見ないでよ」
もふ、とぐるぐる巻きにしたマフラーに顔を埋めて、ロシアは歩調をはやめた。
「ちょ、っと、置いてかないでくれよ!」
「アメリカくんが遅いんでしょ」
小走りで隣に並ぶと、さっきよりもつっけんどんな声が返ってくる。
見上げる形になるからわからないけれど、きっと彼の紫色の瞳の中にだって、映り込んだ無数の星が輝いているんだろう。それを確認できないことが、なぜだか急に悔しく感じられた。
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※2018/07/28にPixivへ投稿した作品をTINAMIへ移行したものです 夜の散歩 |
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