セックスしないと出られない部屋完全攻略マニュアル |
気がついたら知らない部屋の知らないベッドの上で、よく知っている人と並んで眠りこけていたなんて、そんな馬鹿な話があるだろうか。それがあるのだ、ここに。
アズールは無駄に豪奢な天蓋のついた少女趣味なベッドの上で、両手を組み、体勢だけは厳かに考えを巡らせていた。そして気が付いた。あ、これイデアさんの部屋にある薄い本で読んだことがあるやつだな、と。
指定された行動をとるまでは出られない部屋、という、妄想と煩悩の塊のようなシチュエーションのひとつだ。そんな部屋の中に、なぜかアズールと、イデアは閉じ込められている。
どうしてこの部屋が、件のシチュエーションだと気が付いたのかというのは簡単な話だ。アズールの見上げる天蓋に、ネオンサインのごとくけばけばしく下品に「セックスしないと出られない部屋」と書き立てられているからだった。考えを巡らせる間でもない。やっていたのは現実逃避だ。
「いやどうするんですかこれ……」
イデアとアズールは恋人同士だ。丁度一週間前に付き合い始めたばかりの、付き合いたてほやほやのカップルだ。手を繋ぐところまではかろうじて済ませた。だから、セックスだなんだというのは、あまりにも段階をすっ飛ばしすぎている。
ふたりともマニュアルは読み込むし、手順はそれなりに大切にする方だった。三カ月を目途に一旦考えてみましょうと、そういうことをなんとなく話した矢先のこれだ。
仰向けに寝転がったまま、隣に目線を移動させる。唇をうすくひらいて、静かに呼吸を続けるイデアは、そうしていると造形の美しさが際立って見えた。主にマイナスの方に表情豊かだから目立たないけれど、なかなかどうして美しい造りの顔をしている。
アズールがそうやって寝顔を見つめているうち、ふる、と青いまつげが揺れ、やがて持ち上がった。鉱物めいた金の瞳が異常を察知し、じわじわと焦点を合わせていく。
「な」
「おはようございます、イデアさん」
アズールは自分の持つなかで、一番美しい笑顔でイデアの目覚めを迎えてやった。勿論動揺は織り込み済みだ。ひ、と息を呑んだイデアが慌てて室内を確認する。
「なななな、な、なん、なんでアズ、アズール氏、え、あの、これ夢?」
「悲しいことに現実です」
「現実かあ……!」
寝起きから大変元気な人だ。頭を抱えて丸まり込んで、かと思えば体を広げて左右を見回してみる。目まぐるしい展開をしているだろう頭の中を見れたならば、さぞ楽しいだろうなあ、とアズールは思った。勿論これも現実逃避だ。
「イデアさん」
「はい?!」
「上をご覧ください」
「あっはい……はい?」
「はい」
ツアーガイドよろしく指し示されたのにつられ、イデアは天蓋に書かれた下品な指示を見た。すう、と青ざめた顔でアズールの方を向いたと思えば、神妙な顔で真上を向いて、体勢だけは厳かに両手を組みあわせた。
「なあにこれ」
「いや僕にもさっぱり」
「アズール氏落ち着いてんね……」
「実は同じことをあなたが目覚める前にやっていまして」
そっかあ、と呟いた声が妙に平静で、余計にこの状況の異常さを際立たせていた。無駄に少女趣味な天蓋付きベッドで、真上を向いて横たわっていてもなにも解決しないのはわかっているが、解決するための行動を起こすのは、肉体的にも精神的にも、あまりに負担が大きかった。二人そろってそのまま数分、ぼんやりと下品な指示を眺める。
「あのさ、その……セッ……しないと出れない部屋、というけどさ」
「無駄に伏せると余計いかがわしくなりません?」
「あっはい。いやあのさ、そもそもクリアしたってどうやって判断するわけ?」
「確かに。この部屋ってそもそも魔法なんです? だとしたら、まあ……行為を感知して……いやでも完遂したかどうかがわかりませんよね……」
「それなんだけどさ……魔法で外から監視してたりとか、するのでは、と」
「クソほど趣味が悪いですね」
「いや言葉」
ぬるぬるとした動きで起き上がり、ベッドの上に座り込む。無駄に柔らかくスプリングが効いているものだから、座りにくいことこの上ない。致すならこのぐらいは弾まないとね、という気遣いとでもいうのだろうか。自身の思考まで下品になってしまったようで、アズールは頭を抱えたくなった。
「疑問点を洗い出そう。まずここがどこか」
「そもそもここに来るまでのことも朧げなんですよね。思い出せればここがどこかもわかる気がしますが」
「あー……逆に言えばここがどこか分かれば、その前のこともわかるかもね。それからどうやったらクリアという認識になるか」
「見られてるとしたらそこから逆探知ができるかもしれませんね」
「そうね。あとは……まあこれも仕組みが分かんない事にはなんとも言えないけど、クリアしたと部屋に誤認させる」
「では初めにやるべきはやはり、部屋の解析でしょうか」
「だね。アズール氏魔法解析学は?」
「学年二位に何聞いてるんです。それなりに得意ですよ」
「そうだった。じゃ手分けして、拙者向こうの壁から行きますわ」
よいせ、と立ち上がったイデアが、ベッドの柔らかさに転がった。アズールがそれを助け起こし、そうしてなんとか、部屋の解析が始まった。
イデアは左回りに、アズールは右回りに壁沿いに部屋の中を解析していく。あからさまに怪しいベッドは後回しだ。そもそも文字が出現している時点で、魔法が使われていることは明白だ。
慎重に魔法式を組み立て、ペンを振る。知らない魔力の痕跡が白い壁の上でわずかに輝いた。幾重にも重なった魔法式を読み取るのはこれからとして、その複雑さはよく理解できた。アズールの唇から、思わず舌打ちが漏れる。面倒なことこの上ない仕掛けだ。
「これ、部屋自体が魔法になっているわけではなさそうですね」
「あーそうね、自分の魔法と親和性の高い素材用意して部屋作って、そこに魔法色々組み込んだうえで拙者たち閉じ込めてるみたいな……うわ」
「どうしました?」
同じタイミングで解析を始めたはずなのに、イデアは随分と先行していた。いままさに扉の解析に取り掛かったところだったらしい。ペンを振ると、一際濃い魔法の痕跡が、壁よりも強く薄青に光っている。
「あー……これ、ああー……」
「読み解けます」
「あー……まー……そうね、なんとか。聞きたい?」
「聞かなければ解析の意味が無いので。気分としては聞きたくないですよ」
「オッケー。じゃあまあ、とりあえずぐるっと一周簡単に解析して、それからまとめて発表会と行きましょうぞ」
申し訳なさそうに眉を下げたイデアが、尖った歯をむき出しにして笑顔をつくる。彼がそんなふうにする謂れはないのに、イデアは妙なところでマイナス思考だ。
結局部屋の解析はイデアが三分の二ほどを済ませ、アズールはその分ベッドの解析を任された。ここにも同一人物の魔法の痕跡がある。
「解析終わり?」
「まあ、おおよそは」
解析のためにベッドに上がっていたアズールの隣に、イデアがのそのそと上がり込んでくる。ヘッドボードを背もたれにあぐらを組む。どんよりと停滞した呆れと、張り詰めるような緊張の共存した空気に、アズールはどう話を切り出すべきかを迷う。す、と息を吸い、報告を始めたのはイデアの方だった。
「オッケー。あのね多分解析して分かったと思うけど、基本は本当に単純なのしか使われてない。時間のカウントと、室内にいる人物の行動を把握し、向こうが設定した行動をとった場合のみ部屋の扉が開くようにしてある」
「悪趣味ですね。ベッドもおおよそ同じです。あとは破壊されないように強化と、おそらく目くらましですか?」
「その辺かな。でさあ、まあ……僕ら文字見てるし、解析もしたし、わかると思うんだけど」
「ええ、はい」
口の中が乾いて、引き攣れたような音が出た。無様だ。イデアの前ではできるだけ格好つけていたいと思うのに、どうしたって上手くいかない。
「向こうが設定した行動っていうのが、まあ、性器の挿入を伴う性行為でして……」
「どうしたらそんな低俗な発想ができるんでしょうね……?」
「ちなみにこれ、部屋全体ね。アズールも見たでしょ」
「見ましたよ。我が目と頭を疑いましたが」
がり、と奥歯を噛み締めて、アズールが不快感をあらわにする。最悪の場合、魔法で破壊することも考えていたが、これも部屋全体にかけられている強化の魔法は随分と緻密で、生半可な威力で破壊できそうなものではなかった。
苛立っていても仕方が無いのはわかっている。アズールは深呼吸を繰り返し、自身の感情を抑えるようにつとめ、それから小さく挙手をした。
「……あの、イデアさん。勉強不足で申し訳ないのですが、これ、どうにかする方法はあるんでしょうか」
「あー……、まあ、ちょっと手間がかかるけど、一応は」
面倒そうに目を伏せるイデアに、アズールはぱちりと大きく瞬きをした。
「あるんですか」
こうなったら本当に性行為をするしかないだろうか、と半ば腹を括りかけていたところでの、イデアの発言だ。態度から察するに、きっと非現実的な案でもないのだろう。ただ、言葉通りに手間がかかり、心底面倒な案ではあるのだろうが。
「この部屋にかかってるのは、任意の行動をとれば部屋の扉が開く魔法でしょ? であれば、僕らがその魔法を書き換えれば良いわけだ」
「書き換える……ああ、なるほど。だから魔法の解析を行っていたんですね。魔法の起点を調べなければいけないから」
「そ。アズール氏、この魔法の起点は?」
「扉ですね。一番頑丈にかけられていた」
「正解。という訳で、恐らくこれが一番安全だとは思うけど時間はかかる。拙者が頑張ってる間、アズール氏お暇になってしまうと思うけど、大丈夫?」
「お手伝いくらいしますよ。まあ、どこまでお役に立てるかはわかりませんが。それに、ここを安全に出られることが第一ですから、時間についても気にはしません」
「そか」
そもそもいつからこの部屋に閉じ込められていて、どのくらいの時間が経過したのかもわからないのだから、心配のしようもない。腕時計が止まっているのは、目覚めてすぐに確認済みだ。
ほっとしたように笑うイデアは、多分書き換え方もおおよそ考えているに違いない。手伝いぐらいはするといったものの、アズールの出る幕はないだろう。それがどうしようもなく歯痒いが、そんなことを言っている場合でもない。
「そうすると決めなければならないことがありますね」
「そうだね。任意の行動を何にするか。アズール、何か案ある?」
「……いちおう、ひとつだけなら」
それが受け入れられるかどうかは、アズールにとってもちょっとした賭けだった。けれど、付き合いたてとはいえ恋人なのだし、この辺りでひとつ、口実が欲しかったのも事実だ。アズールは慎重に、なるべく冷静な口調で、提案を口にした。
「キスとか、どうでしょう」
「却下で」
「どうして!」
「却下で……」
食い気味の却下に、冷静な口調はあっという間にどこかへ行ってしまった。イデアはいっそ凍ってしまったのかと思うほどに冷たい顔で、口を噤んでいる。そうしていると酷薄そうに整った顔立ちも相まって、妙な迫力がある。
「握手とか、ハグとか、その辺でいいかなって僕的には思うんだけど」
「キスじゃだめですか? 僕に提案を求めておきながら、理由も言わずに却下は納得できません」
「いやむしろなんでキスなわけ?簡単なやつでいいじゃん」
「キスは簡単な方では?恋人なんですから、そう拒否することでもないでしょう」
イデアは冷たい雰囲気のまま眉根を寄せ、余計に気難しく、頑なになっていく。これ以上言葉を尽くしても、軟化することはない。アズールは経験からそのことを理解していたが、それでも碌な理由もなしに否定を繰り返すばかりの態度は、到底納得のいくものではなかった。
意識して呼吸を深くする。理論的でないのは向こうも同じだ。けれど、アズールが感情的になればなるほど、イデアは内側に閉じこもっていくだろう。平穏無事に部屋を出るには、もうどちらかが折れるしかない。
「……わかりました。ここは僕が譲ります。ハグで書き換えてください」
「ん」
「貸し一ですよ」
イデアが幼い仕草で頷く。自身の行動が理性的でないことを、理解している動きだ。貸し一、という言葉を否定もしなかったのだから、ここを無事に出たあかつきには、何かしらの取引が準備されるはずだった。
イデアがベッドから降り、扉の前に腰を下ろしたのを確認し、アズールはベッドに沈み込んだ。子供っぽいとは思うが、キスを拒まれた悔しさで、進んで手伝いをする気にはなれなかった。
眼鏡を取り、枕に顔を押し付けるようにうつぶせになり、手を握り込む。付き合って一週間。別にキスをするのに早いとは思わなかったが、イデアにとってはそうではなかったらしい。拒まれる可能性をひとつも考えなかった訳ではないが、まさかあんなに勢いよく、頑なになられるとは思ってもみなかった。
閉じられた室内はほぼ無音だ。あるのはせいぜい二人の呼吸音と、呪文なのか独り言なのか、イデアが低く呟く声だけだ。それが無性に寂しくて、アズールは投げ出した足をばたばたと動かした。
「アズール氏?」
「なんでもありません」
我ながら愛想のない声だ。ばたつかせた足を止め、アズールはここから出た後、イデアに要求する対価を考えはじめた。モストロラウンジには粗方手を入れてもらったし、そもそも対価なしにも妙な魔道具を渡してくる男だ。アズールの要求も、そろそろ底をつきそうだった。
イデアは依然、ひとりで何事かをぶつぶつと呟いており、アズールの力を借りる素振りのひとつもない。結局解析でも役に立ったとは言い難く、アズールは久しぶりに無力感に打ちのめされていた。
目をつむる。爪を噛みそうになるのを、枕を掴んでこらえ、イデアが天才で、何でも自分の手でやってしまうのは今に始まったことではない。それでも、その事実が今は随分堪える。
体を重たくする罪悪感に耐えているうち、アズールは再び、眠りこんでしまっていた。
「アズール、アズール起きて」
「ん……ん? あ、イデアさん……?」
優しく肩を叩く感触が、アズールの意識を眠りの深いところから引っ張り上げる。ゆっくりと左右を確認し、イデアの困ったような顔を視界に入れた瞬間、跳ねるようにして体を起こした。適当にベッドの上に置いておいた眼鏡をかけ直すと、そこがまだ件の部屋の中であることが知れた。
「おお、よかった。またなんか魔法でもかけられたのかと思った。あのさ、書き換え終わったから、ちょっと協力して欲しいんだけど」
「……すみません、あなたがこの部屋をどうにかしようとしているときに、眠りこんだりしてしまって」
「それは別に……あの、暇だろうし、アズール氏いつもあんまり睡眠足りてなさそうだし。うん」
だからべつに、と続ける声は優しい。眠る前までの、あの頑なさとは違ういつものイデアの声だ。アズールだけが聞く権利を持っている、彼が恋人に向ける声だ。
「貸しがひとつ、できてしまいましたね」
「まあプラマイゼロでいいんじゃないの。で、えーと、任意の行動なんだけどね」
「ああはい、握手ですか。ハグですか」
「ハグで、お願いします」
ベッドの上に正座をしたイデアが、ぺこりと頭を下げる。そんなに畏まらなくたって構いやしないのに、イデアはアズールに意図的に触れるとき、いつだって畏まって頭を下げる。なるほどこの距離間では、確かにキスなど夢のまた夢だろう。
「では、いざ」
「なんで一騎打ちの前みたいな声出してるんですか? はい」
「うひっ」
じり、じりとにじり寄る骨ばった体を捕まえて、アズールは腕に力を込めた。イデアがつぶれないよう、最大限加減した力だ。腕の中に閉じ込められた方はといえば、呆けたような声を上げて数秒後、そろそろと慎重に、アズールの背中に手を回した。壊れ物を扱うような繊細な力加減に、アズールは嬉しさと、少しの不満を覚えた。
「イデアさん。もっと力込めても大丈夫ですよ」
「や、あの、緊張して……」
「そうですか」
骨格のせいで案外がっちりとした体を抱え直す。温かな体だ。温度のなさそうな見た目とは程遠い、生きている人間の体温を感じて、アズールは息を吐き出した。それはイデアも同じことのようで、がちがちに固まっていた体が、ゆっくりと溶けるように柔らかくなっていく。
「ところでイデアさん、これどのくらいハグしてたら出られるように設定したんです?」
「あ、も、もうまもなくだと……」
かたん、と鍵の開く音がしたのは、イデアの回答とほぼ同時だった。ふたりで顔を見合わせて、すぐさま扉に走る。魔法でがんじがらめになっていたドアノブを、イデアが慎重に引き下げる。それが何の抵抗もなくなされたことに、思わず手を打ち合わせた。
「よかったー!」
「開いた……!開きましたよイデアさん、すごい、やっぱり天才」
「いやそれほどでもあるんだなこれが! よかったよかった本当に、こんなところで初体験とか本当、もう思い出どころか黒歴史作るところだった……あ、いや黒歴史ていうのはその、嫌とかではなく」
自身の発言に顔を青くしたかと思えば、イデアは慌てて扉を背に、アズールに向き直った。さっきまでゆるゆるに緩んでいた口元を引き締め、珍しく目を真っ直ぐに合わせている。
「あの、あのさあアズール氏。その、拙者さっきキスをさ、拒否してしまったじゃないですか……」
「ああ、もう気にしてませんよ」
「や、そのそうではなく」
どうやら怒っているかどうかの御機嫌伺いをしたかったわけではないらしい。イデアはなおも扉の前に立っていて、出口は物理的に塞がれている。
「あのさ、拙者童貞だし、オタクだし、結構夢見がちなんですわ」
「知ってますけど」
「あ、そうすか……で、その。そのね。キスとかさ、セッ……クスとか、その、こんなところで手段として消費したくないんですわ。できれば、シチュエーション整えて、ちゃんとしたタイミングでやりたいの。あの、で、ちょっと混乱しすぎて死ぬほど冷たい態度取っちゃって……本当にすみませんでした……」
「お……、そう、ですか。いえ、僕もちょっと軽率な提案でした……」
直角に下げられた頭のおかげで、イデアの、普段身長差があるせいで見ることの叶わないつむじが見せつけられていることに、アズールは妙な感銘を受けていた。要するに、そのくらいには混乱していた。
マニュアルは読み込むし、手順は大切にする方だが、まさかイデアがここまでちゃんと考えているとは思わなかったのだ。ぼんやりとした未来の予定を、しっかりあるものとして考えてくれていたという事実が、何よりも嬉しかった。
「イデアさん」
イデアの、体の横にぴたりと添えられていた手を取って、ゆっくりと握る。かすかに湿った、生々しい皮膚の感触。
「出ましょうか、部屋」
「は、はい」
「どうせキスなんて、このあといくらでもできるんですし」
「い、いくらでもできるんですか……?」
「言葉の綾です。でもまあ、ほら、お付き合いを続けていけば、あながち間違いでもないんじゃないですか」
「あながち間違いでもないんですか……?」
予想通りの反応を繰り返すイデアを横目に、アズールは空いた手でドアノブを引き下げた。静かに、音もなく開いた扉の向こうから飛び込んできた薄青い光に包まれ、ふたりはしっかりとまぶたを下ろした。
*
「そういえばイデアさん、あれ結局犯人どなただったんですか」
「え」
オセロの石をつまんだイデアが、ひたりと動きを止めた。冷や汗、動悸、息切れ。つくづく嘘を吐くのが下手くそな人だ。
光に包まれたあと、二人は気付けば部室に戻っていた。窓の外は煮詰めたように赤い夕焼けで、アズールの腕時計は午後五時半を示していた。思い出されたのは、部室の扉を開けたところまでだ。一歩踏み込むやいなや、目の前が薄青く光り、気が付けば件の部屋にいたのだった。
「詳しく解析したあなたが、知らないわけないでしょう。ほら吐いてください」
「だ、だめです」
「駄目ですってなんですか。僕だって被害者ですよ」
「いやあの、悪意があった訳じゃないというか」
「はあ?」
あんなに迷惑をかけられたというのに、イデアが犯人を突き出すつもりがないのが、アズールには到底信じられなかった。あの無駄に凝った転送魔法といい、見覚えのあるテンプレート的なシチュエーションといい、ほぼ間違いなくイグニハイド生だろう、とアズールは踏んでいる。
「まさかあなた、寮生を庇って」
「いや庇ってるわけじゃないけどさあ! 拙者だって一応罰則与えましたよ……寮長だし……」
「なにしたんです」
「半月ネットアクセス禁止。まだ期間内じゃないかな」
「それはまた……」
アズールにしてみれば大したことないようにも聞こえるが、機械類に慣れ親しむ生徒の多いイグニハイドでそれを実施されるのは余程の苦痛だろう。寮内のお知らせもおおよそデジタル化されているはずだから、単純に生活の上でも不便なはずだ。
「悪意じゃなかったとしても悪質でしょう。第三者が性行為を強制してるようなものですよ、あれ」
「あーうん……それなんだけどね。犯人の子、僕らがセックスして出てくるとは最初から思ってなかったみたい」
「はい? あんな部屋作っておいてですか?」
うん、とひとつ頷き、イデアは石を盤上に置いた。傍らに置いた炭酸飲料を一口飲み、話を続ける。
「まあシチュエーションは確かに、テンプレ的に作り上げたものらしいけど、僕ら二人なら間違いなく魔法書き換えて、サクッと出てくるだろうと思ってたんだって。本当にやっちゃって出てくるんでも、まあよかったらしいけど」
「……なんというか、嫌な方向に信頼されていますね」
「寮長達の優秀さを信じてたんです、って大泣きされたら、いくら拙者でもほんの少しは許してやろうかなって気持ちにもなるんですわ」
「で、罰則が半月ネット禁止」
それはそれで恐ろしい話だ。イデアの言う、ほんの少しの許しとやらが無かったならば、一体どんな罰則が繰り出されていたのだろう。
アズールが石を持ち、指先で遊びながら盤上を眺める。
「……いやそもそも、泣くぐらいならどうして僕らを閉じ込めたりしたんです。見つけ次第強制労ど……いえ、モストロラウンジでビシバシ働いてもらおうかと思っていたんですが」
「ごめん今強制労働って言った?」
「気のせいでは」
肩を竦め、遊ばせていた石を盤上に置く。そのままいくつかの石を黒にひっくり返しながら、アズールはイデアの説明を待った。金の瞳が、うろうろと左右に泳ぐ。
「あー、のね、怒らないで欲しいんだけど」
「ことと次第によっては」
「うん。あの……拙者たちが着き合ってるの知ってて、で、まあ、寮長奥手だし、ここはひとつ進展しやすいようにシチュエーションづくりを、と思った結果が、空回っちゃったらしく……」
「バッ」
アズールは仰け反って、息を吸い込んだ。予測していたように耳をふさいだイデアが、音の衝撃に耐えるように体を小さく丸める。
「バカすぎるだろ?」
「あーほら怒んないでってば! 僕もね、倫理がやばすぎるので今後はやめようね、って言ったんだよ」
「いや倫理がやばいというか、あの、発想が本当にバカ……いや……そこでどうしてデートプランをお膳立てするとか、そういう方向に行かなかったんですか……」
「あの子たちはデートプラン立てたった、ぐらいの気持ちだったみたいだよ」
「やばいじゃないですか」
「だからやばいんだって。今後はもうしない、なにか発案したら僕に必ず見せるってことで着地してるので」
アズールは知っている。目の前の男が、実のところイグニハイドで一番倫理の基準が緩いことを。だから、信用していないぞという意志を込めてその目をじっと見つめたのに、当の本人は照れたように笑うばかりで、アズールの意図などなにひとつとして伝わっていないようだ。
「本当に大丈夫なんでしょうね」
「大丈夫……だと、思う。次やったらモストロで強制労働って言い聞かせてあるし」
「なら安全ですね」
ふ、とひとつ息を吐き出し、アズールは肩の力を抜いた。対人関係を苦手とするものもそれなりに多いイグニハイドにおいて、ラウンジでの労働を罰則とするのは相当な抑止力になるはずだ。
「まあほら、誰かに強制されるより、やっぱり、その、ほら、僕らのペースで進みたいですし?」
「仰る通りですね。つきましてはイデアさん」
「はい?」
「僕らそろそろ、次のステップに進んでもいいんじゃないかと、思うんですが」
いかがです、と続けたアズールの顔は口調とは裏腹に、ひどく不安げだ。
お互いにマニュアルは読み込むし、手順はそれなりに大切にする方だ。おまけに結構夢見がちで、ロマンチストな部分もある。だからひとつの騒動を乗り越えた後、夕焼けに染まる二人きりの部室でのファーストキスなんて、中々ロマンチックでいいんじゃないかと、そう思っていた。
「……コーラ飲んじゃったけど、いいかな」
「いいんじゃないですか、僕ららしくて」
アズールが目を閉じる。イデアは爆発しそうな胸を抑えて、机に手をつきぐっと身を乗り出した。
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※2021/05/04にPixivへ投稿した作品をTINAMIへ移行したものです 例の部屋に閉じ込められたふたりがなんとかセックスせずに部屋を脱出する話 |
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