始祖と裁定者 |
場所は戻ってレストラン。
クロを見送った後、ハイ・ヨーからランチを手伝ったお礼にと賄いの蟹チャーハンに舌鼓を打つラスに、ある人物が近寄ってきた。
「久しいの、裁定者。」
「……シエラか。」
蒼き月の紋章の主、吸血鬼の始祖シエラだ。ラスの向かい側に座り頬杖をつく。これからする話の大体の内容は想像がつくため、消音の結界を張った。
「まさか君が宿星に選ばれているとはね。石板を見た時驚いたよ。」
「ほっほっほ、あの小僧には借りがあるからの。わらわも驚いたぞ、まさかお主がここに来るとは。」
「妻についてきただけさ。僕がこの戦争に参加するとバランスが崩れる。」
「この前は派手にやっておったではないか。」
「息子の危機に身体が動いてね。少々やりすぎてしまったけど。」
「ははぁ、バランスの執行者にしこたま小言を食らったな?」
「ああ。全滅させたのは妻なんだけど、僕も久しぶりに首を狩れるから興奮していたのは確かだ。反省してるよ。」
「ほほほほ、流石は鬼神と呼ばれるだけあるわ。そうそう、わらわはそのお主の妻君に興味がある。」
「…リオンに?」
「あれはソウルイーターであろう。……テッドはどうなった?」
「やはりそっちか。」
百二十年ほど前、テッドを抱いた後に出会ったのがシエラだった。彼女は蒼き月の紋章で吸血鬼の始祖となり八百年を生きる身。ネクロードに奪われていた四百年間も真の主として紋章と繋がっていた。そのためか、真の紋章がいた気配を読み取れるのだ。出会い頭にソウルイーターの気配が残っていると構ってきたのを覚えている。遥か昔、ソウルイーターを宿したばかりのテッドに生きる術を教えたのもシエラだったのだそうな。
「君の予想通りではあるんだけれど。」
「構わぬ、話せ。」
ラスはテッドについて嘘偽り無く話した。三年前、旧赤月帝国で起きた解放戦争の中でウインディに狙われソウルイーターをリオンに託したことも、そのソウルイーターに命じて魂を喰わせたことも。
己の意思で己の命の使い道を選んだか。とシエラはため息をついた。
「わらわと同じく長い時を生きてほしいと願っておったが…。あれは我が子同然であった。子が死ぬのはつらいものじゃ。」
「そうか。テッドは嫌がるかもしれないけれど、同時に嬉しいんじゃないかな。」
「ふふ、目に浮かぶようじゃ。」
リオンと親友になるまで、ソウルイーターに狙われないように人との繋がりを絶ってきたテッドのこと。シエラに我が子同然と言われてうげっと嫌そうな顔はしそうだが、嬉しくないわけがない。
「しかし、あれほど荒んでいたお主が番を得るとはの。あな惜しや、お主がおなごを抱けたならばわらわも味見くらいはしたかったものを。」
ラスはキカを亡くしてから、女を抱く気になれなかった。どうしても彼女を思い出してしまうし女はいろいろ面倒なことになるから、リオンと恋人になる前までは美少年か美青年しか抱かなかったのだ。
「冗談はやめてくれないか。」
「何が冗談なものか。真の紋章を宿した者でお主ほどの色男はおらんのじゃぞ。火と雷と水もいい男じゃがわらわの好みではないしな。」
炎の運び手と名乗っていた彼等か。三十五年ほど前に会った彼らを思い出して、確かにシエラの好みではないなと納得した。シエラの好みはラスのような美青年と、クラウスのような線の細い美形だ。
「あまり若者を誑かしてはいけないよ?クラウスは未来に必要な人材なんだから。」
「人聞きの悪いことを言うでないわ。じゃが、お主変わったな。」
「そうかい?」
「うむ。満ち足りた顔じゃ。」
罰の紋章に主と認められ、魂を寄生され裁定者の役割を担う男。シエラと会った当時はキカを亡くし三十年経過していたが、少々荒んでいた。長い年月を経て落ち着きを取り戻し、レックナートがハルモニアから引き取った真の風の坊やの父親代わりになったと聞いた時も驚いたものだが、ソウルイーターの新たな継承者と番になっているとは。だが、ソウルイーターの干渉を受けないのはこの男しかいないだろう。いくらソウルイーターでも、同じ真の紋章の性質に干渉出来ないのだから。
リオンにはかつてのテッドのように人を突き放す気配は無い。ある程度他人との距離を線引きしてはいるが、常にラスが隣にいるおかげか紋章を恐れていない。
「で?今朝方シーツを洗濯しとったということは、昨晩はお楽しみだったのじゃろ?あの懐きっぷりはどう考えても何から何までお主が仕込んだのじゃろ?ん?ん?ん?ほれほれ言うてみい。」
愉快そうに下からずずいっと覗き込むシエラに、勘弁してくれないかと苦笑いしつつ蟹チャーハンを完食する。シエラと話していると、自分よりも狡猾で強引だった姉を思い出すから苦手なのだ。水を飲んでフゥ、と息をつく。
「リオンの可愛い姿は僕だけが知っていればいい。」
「ほほ、お熱いことよ。まあよいわ、妻君にじっくり聞くとしよう。」
「お手柔らかにね。僕の可愛い妻は他人とその手の話をするのは苦手なんだ。」
「お主に抱かれまくってそれとは初々しいのぉ。」
この男がここまで独占欲を向けるのも珍しい。テッドのことも聞きたいし、いずれじっくり話をさせてもらおう。
「ところで裁定者よ。先ほど未来に必要な人材と言ったな。お主に未来が見えているということは、あの子にも贖いの時が訪れるのか?」
流石は長き時を生きるシエラ。先ほどの会話で気付いたか。
「…いや。あの子は父親が贖いを背負うことで赦されることになっている。」
「…逃れられぬか。」
「通常であれば逃れることは出来ない。」
「逃れた者がおったのか?」
裁定者であるラスが見た贖いを逃れることは本来であれば不可能だ。それをねじ曲げたのは、図り知れぬ始まりの紋章の片割れ。
「輝く盾の紋章が彼の贖いを防いだ。」
「…あやつか。」
誰のことを指しているかシエラには検討がついた。ヒエンの恋人、クロだ。
「シエラも彼に気付いていたのか。」
「当たり前じゃ、あやつには他者の血の臭いがこれでもかと染み付いておる。」
シエラは狂皇子と対峙したことは無いが、その非道かつ残虐な行いは各地で耳にしていた。
「それにあやつ、獣に血を与えたな?」
「ああ。」
「厄介なことを。獣の気配がこれでもかと残っておるわ。眠っていた獣に与えた最初の血はあやつの血であろう。」
「そこまで分かるのか。」
「あまりにも気配が残りすぎておるのよ。あやつが死んだとされる時期から考えても長すぎる。」
「ということは、獣の紋章は彼を認めているのか…?」
「そこまでではなかろうな。卵から孵った雛が最初に見た者を親と思うぐらいであろう。獣の気配の状態から察するに、あれはまだ血を与えられているようじゃ。今は抑えられているが、いつ暴走してもおかしくない。」
「抑えているとすれば…、皇王か。」
ヒエンの幼馴染みである皇王ジョウイ。始まりの紋章の片割れ、黒き刃の紋章を宿した者。刃は諸刃の剣、使いすぎれば魂を削る。ミューズ市長を暗殺しこの争いに拍車をかけたジョウイの罪は重い。この世界の原始たる始まりの紋章の片割れを宿している彼の贖いは不鮮明だが、自らの死よりもつらいものになるのは見えている。
「…クロには新たな贖いの時が近づいているけれどね、それもまた不鮮明だ。」
「裁定者たるお主にも見えぬのか?」
「そもそも贖いの時を防がれたことも初めてだったからね。彼の心次第だ。」
現に、狂皇子と呼ばれた頃の残忍性と凶悪性は無くなってきている。ヒエンの愛情のおかげか、ナナミの強引なお姉ちゃん節のおかげか。仮面の下の口元から読み取れるのは今まで彼が経験したことのない楽しいという感情。
「見ている分には初々しくて楽しいんだけどね、彼とヒエンくん。」
「あやつ不能じゃろ?」
「シエラ…、いくら音を消しているとはいえあからさますぎる。」
「不能な上に童貞と見た。」
「シエラ。」
「ほっほっほ。よいではないか。」
「真剣な若者を茶化してはいけないよ。彼はヒエンくんを抱きたいって言ってたし、誰かを好きになったのも初めてかもしれないんだ。不能は撤回してあげてくれ。」
「随分肩入れしておるな。」
「悩める青年から相談を受けたばかりだからね。年長者として背中を押してあげるぐらいはするさ。」
「昔のお主は他者を気遣う余裕など無かったがな。」
「百年も経てば変わるものだよ。」
二人が話していると、ふよふよと火の蝶がラスの元へ飛んできた。シエラが不思議そうにそれを見つめると、ラスの耳元でフッと消える。
「妻君か?」
「ああ。札屋にいるから迎えに来て欲しいと。」
札屋の隣は紋章屋、ジーンのいる店だ。札屋のラウラは友人らしい。筆不精なリオンがこうして迎えに来て欲しいと連絡するということは、女性二人から質問責めにでもあっているのだろう。リオンはテオに似て、女性の頼みを無下に出来ないのだ。
皿を持って立ち上がるラスをシエラが見上げる。
「行くのか。健気よの。」
「可愛い妻の頼みだからね。」
「おー、暑い暑い。」
パタパタと手で自分を仰ぐ。
「そうじゃ、ここの店は小僧の希望で変わった物を仕入れておってな。よければ妻君にも教えてやるとよい。」
「変わった物?」
「それこそ色事に関する物をな。店主に数字で八零一と書いた紙を見せるといいそうじゃ。」
「…あからさまな気もするんだけど、教えておくよ。ありがとうシエラ。」
ひらひらと手を振って皿を下げに厨房に向かっていくラスを見送ったシエラは、フゥ、とため息をついた。
「裁定者でも見えぬとはな…。小僧、厄介なことにならねばよいが…。」
終わり。
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経験者は語る、の4様サイド。シエラ様が好きなのでいっぱい出したい。 | ||
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