堅城攻略戦 第一章 出師 6
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「鬼一法眼殿を引っ張って来よったか」

 六韜三略をちょろまかして来るよりは、なるほどこちらの方が余程に気がきいとる。

 猫の耳とふかふかの尻尾をゆったりと揺らす、落ち着いた風情の式姫がにやにや笑いながらそう口にしたのを聞いて、鞍馬は苦笑した。

「馬鹿弟子に読んでおけと貸してやったら、どさくさ紛れに返して貰えなかったという話が、いつの間にやらああなっていて、本人が驚いてるよ」

 誑かされた娘役はさしずめ私かね、まぁ商売道具たる黄石公兵書を持ち逃げされたのではそう言われても仕方ない、情けない話さ。

「本当にお主を口説いて誑かせる程の男なら、そもじ、兵書の類など要らん気もするがの」

「そうでも無いさ、こう見えて駄目な男に引っかかって苦労してきたんだよ」

 詐欺師に一番騙されるのは詐欺師だとも言うしね、多少の書を齧り、小賢しく振舞う術は覚えても、本当の賢者には中々に成れない物さ。

 肩を竦める鞍馬に、彼女は化け猫よろしく、くっくと喉の奥で笑い声を上げた。

「うちの大将が、その駄目男の列に並ばん事を祈っとるよ、そうそう、自己紹介がまだじゃったな、わっちは仙狸じゃ。鞍馬山の大天狗に助力頂ける事となれば大助かりじゃよ、心から歓迎するぞ」

「こちらこそ良しなに願いたい、仙狸殿……ふむ」

 面白そうに仙狸を見た鞍馬が、何かを考える時の癖なのか、ほっそりした指を顎に添えた。

「間違っていたら申し訳ないが、唐の国の仙猫殿かな?」

「ふふ、わっちの出自を知りおるか」

 流石に物識りじゃな。

「かの国で多少、軍略の修行をさせて貰った事もあってね、いつ頃こちらにお越しかな?」

 おつの殿の言を信じれば、多少の修行でもあるまいな……などという内心はおくびにも出さず、仙狸は気楽な顔を返した。

「そう……まぁ今よりちょいと昔の話じゃ、あれはそうじゃな、大和の国に、大飯ぐらいの毘盧遮那がでかい顔して胡坐をかいた少し前か」

 仙狸の言い種に、鞍馬が苦笑する。

「猫様に掛かると、世の平安を祈って建立された大仏殿も形無しだな」

「ふん、鰹節の一本も寄越さずに、仏像仏画の保護をせよと、荒海逆巻く海に引っ張り出された猫からすれば、経ばかり覚えて、ネズミの一匹も追えんような釈迦牟尼の弟子共に好意を抱いてやる義理は無いわい」

 まぁ、寺の縁側で呑気に昼寝しとるのは嫌いではないがな。

 そう返した仙狸の顔も、にやにや笑っているところを見ると、本気の言い種という訳でも無かろうが、内容は中々に辛辣ではある。

 男はまだ楽しそうに話を続けそうな二人の間に軽く割って入った。

「楽しそうに話してる所悪いが、残りの話は呑みながらやってくれ、そこの紅葉の姐ちゃんが、さっさと歓迎会を始めろと睨むんでな」

「大将こそ、勧誘で疲れたからって一杯やりたそうに喉を鳴らしてるじゃないか、人のせいにすんじゃないよ」

 浅黒い肌が健康そうな印象を与える、大柄な山姫を面白そうに見ながら、鞍馬は頷いた。

「確かに少々虐め過ぎたかもしれないな、今後の円満な人間関係の為にも、ここは一つ多めに呑ませて、私との会談は一炊の夢と忘れて頂こうか」

「ありゃ、少々の酒で、おいそれと忘れられるような代物じゃねぇよ……」

 全くキツイ軍師殿だぜ、ああしんどかった、そうわざとらしくぼやいた男の顔を見て、紅葉がにまりと笑う。

「帰って来た時ゃ、戦に負けた時よりげっそりしてたからねぇ、何やりゃあの図太い大将をあんなに虐められるんだい?」

 紅葉がにやにや笑いながら向けて来た顔に、鞍馬も似たような顔を返す。

「何、課題に対して提出された答案の重箱の隅を少しつついてやっただけさ」

 大した事は何も。

「鞍馬ちゃんが重箱の隅つついたら、九割がた重箱が壊れちゃうけどねー、つんつんじゃなくてココッコカカッカカカカコッコココココカケケケーってアカゲラみたいに突っついたんでしょー、そりゃもう、余程に強靭な漆三重ね位の重箱さんじゃないと穴だらけになっちゃうよね、ご主人様が丈夫な重箱で良かったねー。 あ、そうそう、宴会用のおかず買って来たんだけど、お豆腐と粉山椒好きだったよね? ちょっと堅めの美味しいのを分けて貰えたから、田楽にして食べようねー、蕎麦粉もあるけど、そばがきにする?蕎麦切が良い? いやー、それにしても、鞍馬ちゃんや式姫皆でお座敷囲めるなんて、数百年ぶりだからおつのちゃんもう嬉しくて嬉しくてねー、って、挨拶忘れちゃってたね、ご主人様おかえりー、無事で良かったね」

「……や、ありがとよ、おつののお蔭で良い軍師殿を引っ張って来られたぜ」

 しかし、無事で良かったとは、何たる言い種だよ。

「えー、だって最初から厳しい人だよー、試練もあるかもよー、それでも良いのーって念押しした上でおつのちゃんは紹介しましたよー、私が厳しいって言ってるんだから、それはもう千日回峰並にきついに決まってるよー、まぁご主人様なら何とか行けるかなー、どうかな、もしかしたらちょっと危ないかなー、とはちょっと思ったけど、当たって砕けなかったんだから良かったよね、良かった良かった、あ、あっちでもう宴会の準備は完了してるよー、ほらほら、皆早く行こう」

 主の手を引っ張って別室に足を向けたおつのの後に、式姫達が談笑しながら従う。

「おつの君も相変わらずだな」

 旧友の上機嫌な時の癖である、流れるような言葉の奔流を浴びるのは久しぶりである、意図してかは知らぬが、声音と拍子の良さで、聞く者の愉悦を誘う、一種の音曲の如き言葉。

 すっと、一団の後ろに回って、宴会場として用意された広間の式姫達の様子を見る。

 旧知のおつのだけでは無く、他の式姫達とも言葉を交わしてみて判ったが、成程、ここまで戦って来られただけはある、主との深い信頼と絆はあるが、ほどほどの距離感が保たれており、集団の方針決定の為に、彼の意思だけでは無く、豊かな経験と判断力を持つ式姫達が、それぞれの視点から闊達に意見を交わしている様子が見えるようなやり取りは、この一団が健全な集団を形成している証とも言える。

「もー、何を主賓が後ろで斜に構えてますかねー、ほらほら、ここに来た以上はかっこいい軍師様だけでは居させませんよー、はい盃持って、はい、お酌しまーす、おっと、お客さん行ける口だね、盃捌きが慣れた物だ」

「斗酒尚辞さぬとは言わないが、まぁ天狗並にはね」

 おつのの言い種に苦笑しながら、鞍馬は朱塗りの盃に、馥郁たる香りと共に片口から流れ込む酒を危なげない手つきで受ける。

「ではご主人様に一言ご挨拶を頂いちゃいますよー、いつもみたいな素っ気ないのじゃ無くて、たまには何か気の利いたかっこいい事言ってね、何ならどうやって、あんな快適極まる隠居所から、何かと人への注文がめんどくさい鞍馬ちゃん引っ張り出したのか、その口説きの技をここでぶっちゃけちゃっても良いよー、ぶれいこーぶれいこー、それじゃはいどうぞ、皆さん拍手拍手ー」

「無茶いうなよ、俺は挨拶って奴が苦手なんだ」

 苦笑しながら盃を手に立った男を見やりながら、鞍馬は僅かに杯の面に目を落とした。

 主の能力と見識、そしてこの集団の関係性はまぁ問題ない……。

「えー、それじゃ手短に、この小集団には少々勿体ない位の軍師をこの度お迎え出来た事を感謝し、ささやかながら宴を用意した、皆で楽しんでもらいたい……では、鞍馬、一言貰えるかな?」

 彼らしいというべきか、本当に最小限のあいさつの後に、一同の盃が鞍馬に向けて掲げられる。

「鞍馬だ、こうして歓迎の宴を用意してくれた事に感謝する。現在直面している困難に対し、非才の身ではあるが軍師として微力を尽くす事を約束しよう、では、今後もよろしく」

 主と似たり寄ったりの素っ気ない挨拶だが、本人の人柄を示すような歯切れのいい口調は耳に心地よい。

「いやー、いい挨拶だねぇ、ウチの大将はこういう時にさっさと酒呑ませてくれるから好きだけど、軍師殿も同じみたいで嬉しいよ、あたしゃ」

 紅葉御前の声に、苦笑気味に頷く一同を見ながら、男は杯を掲げた。

「偉い人の長広舌は、燗とやる気を冷ますだけって奴さ、それでは」

 乾杯。

 その声と共に、掲げられていた杯が、それぞれの口元に運ばれる。

 こくり、と美酒を口に含み、鞍馬はちらりと談笑を始めたり、こちらに歩み寄ってくる一同に杯を掲げた。

 後は、この集団の戦力を、確認せねばならないね。

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 宴も引けた深更、春の宵特有の穏やかで心地よく揺蕩うような夜気の中、術で作った青白い炎を眼前に灯し、縁側で何かに目を落とす鞍馬の姿があった。

「隣良いか?」

「茶を差し入れてくれるような気の利いた人は常に歓迎するよ、主君(あるじくん)」

 あの問答をしていた時からは想像も付かない程に柔らかく笑いながら、鞍馬は傍らに歩み寄って来た男に顔を向けた。

「来た当日から軍略練ってくれてんのか?」

 彼女が目を通していたのは、この辺りの絵図面。

「何せ、ここ数百年、浮世を離れて、山中にて狐たぬきと戯れながら楽しく過ごしていたのでね、軍略に使う頭なんて何処かに置き忘れて来てしまったよ」

 涼しい顔をしているが、裏では必死で、落とした頭を探している所さ。

「おいおい、あんまり心強い事言わんでくれ、伝家の宝刀、抜いてみたらば赤鰯じゃ洒落にならんぜ」

 軽口を返してよこした男に、鞍馬は軽く肩を竦めた。

「抜けば錆び散り、猫が飛びつく赤鰯、という程鈍らせている気は無いが、現役復帰の第一戦で、あの堅城を落とせと来ては、慎重にならざるを得ないさ」

 苦笑気味に、絵図面を掲げて見せる彼女に、傍らに座した男は、僅かに緊張した顔で、声を低めた。

「あの城の攻略……成算はあるか?」

「成算という奴は実現の可能性を論じなければ常にある」

 君の選んだ道のような無茶苦茶な代物にだって成算は立つのさ、実現の可能性が低すぎるだけでね。

 くすくす笑いながら、鞍馬は言葉を続けた。

「だが、王の仕事はそれで良い、その行先が余りに魅力が無く、成算も低いとなると、王に付いて行く家来が減って、それに応じて実現の可能性が減るだけの事だがね」

「なるほど、まぁ……そんなもんだよな」

 苦笑する主に、鞍馬は似たような顔を返した。

「そして、その行先に納得して王に従う軍師の仕事というのは、そこに辿りつく為に、少しでも実現の可能性が高い策を立て、周辺の状況を整えて、可能性を上げてやる事……という辺りの心得は、君にちゃんと政戦両略を講義する時に改めてするが」

 鞍馬はそう言いながら、例えば、と言いながら絵図面に細く美しい指を走らせた。

「今回の堅城攻略に際しては、織姫君が指揮して作ってくれてあったこれなどは、その成功率を上げるに大いなる助けになる物さ、実にありがたく、また示唆に富む良い絵図だ」

 ざっくりとした物ではあるが、利用できる道路、簡単な高低差が把握できる山谷の配置、河川、そして、把握できただけの、堅城の縄張りと、敵の配置、そして敵が引いた地点までが書き込まれている。

「これは、君の指示かな?」

「俺は、敵の動向を探る事を頼んだだけだがな」

 この辺の地理に土地勘のある織姫と紅葉、すばしっこく身軽な飯綱、聴覚に優れ、草木に紛れて行動する事に長けた白兎、そして空から偵察できる天狗の五人に、敵の動静把握と、その際の情報を元にした、凡その配置を把握できる程度の物を、と依頼した。

「敵がこちらに寄せて来る事への警戒が主だったんだが、まさかに、こんな立派な絵図を拵えてくれてるとは思わなかったよ」

 織姫はあれだな、結構凝り性なのかもしれん。

 成程、と呟きながら、鞍馬は指で絵図を示した。

「彼女や紅葉御前のような、多人数の上に立っていた人は、軍を動かすに際して、どういう情報が必要か良く判っていたという事だろうね、人選の宜しきを得たという奴だ」

 そこで鞍馬はお茶で軽く喉を湿した。

「そしてこれだけじゃない、君たちは敗北しながらも、制圧地の治安を守り、人心を安定させつつ、敵の配置を詳細に探り、糧秣や物資を揃えて、敗戦の傷を最小に留めつつ、態勢を立て直してきた」

 これならば、即座に反攻に掛かれよう。

「……反攻だと?」

 驚く男に、鞍馬は頷き返した。

「そうだ、こちらの戦力は敗戦で落ちてはいるが、ここで一手打ち返す」

 長期の対峙は、寧ろ少数側が不利となる上に、敗戦の後の膠着状態が続けば、人心も動揺する、そうなれば妖の力は更に増す。

 その前に、こちらがまだ反撃の力を十分に所持している事を内外に示す。

「尤もだ……だが、どう攻める?」

 織姫たちの偵察の状況を聞いていても、一切の隙が無い上に、戦力差もかなりの物。

「武術もそうだが、達人同士の勝負では、隙が無い所にいかに隙を作るかが主眼になる」

 今回のこれも同じ事、堅固な城壁、どうしてかは知らぬが、そこに依り、組織化された守備を見せる妖怪達。

 それに正面切って立ち向かうのは蛮勇という物。

「隙を探れ、もしくは作れ、という事だな、しかしだな……奴ら誘いにも乗ってくれんから、中々付け入る隙は無いぞ」

 妖の多くは自身の力に過剰とも言える自信を持ち、挑発に乗りやすい。それを狙って、一部の部隊を引き離して攻撃しようとしたが、その試みはことごとく失敗した。

 奴らはこちらを深追いする事も無く、あの城の防備を固める事に専念している節が見える。

「そう、そこだ、余りに妖の本然から外れた規律の存在はやはり異常と言わざるを得ない、逆に言えば、その辺りに妖を組織立って動かしているからくりが有るように思えてならない」

 そして、それを突き崩し、奴らを組織だった軍から烏合の衆に戻した時、我らの勝機がより明確に見えて来る。

 そう信じ込んで動くのは危険極まるが、見極めるだけの価値はある。

「その為にも、ある程度の危険は承知で、一手こちらから仕掛けたい」

 そう呟きながら、鞍馬は堅城から少し離れた所にある、一際高い山を描いた場所に指を置いた。

「おいおい……ちょっと待て、そこはまさか」

 鞍馬が指さした場所を理解した男が、首を振りながら訝し気な顔を鞍馬に向ける。

「そう、堅城攻略を難しくしている要因の一つ、要害の地たる仙人峠」

 ここを陥とす。

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おつのんは盛り上げ役として得がたいのですが、台詞書くのが毎度大変、コレ一息に喋ってるかと思うと凄いわ……朧のおつのの声が、ちょっと低めだったのに一部で不評もあったようですが、あの声はラジオのパーソナリティの声だと思うと結構ハマってたのよね……次回作でも同じ方が声当ててくれるのかな?

説明
式姫の庭の二次創作小説になります。

「堅城攻略戦」でタグを付けていきますので、今後シリーズの過去作に関してはタグにて辿って下さい。

第一章終わり。
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コメント
>>OPAMさん ありがとうございます、イラストの試みは、やっぱり字だけで伝えきれない部分もあるので今回は敢えて作者の一言みたいな感じで入れております、楽しんで頂けてるようで良かった。結構今回は戦闘シーン多めになるので、今から結構悩んでるんですよ……それっぽく書けると……いいなぁw(野良)
和やかな歓迎会の中でも「この集団の戦力を、確認せねばならないね。」と冷静な鞍馬さん、流石です。自軍の戦闘能力が未知数な状態での堅城攻略・・・どんな作戦でどんな展開になるのか続きが気になるところ。今回のシリーズの最後のページのあとがき的なコメントとイラストがイメージの補完にもなって良いなぁと感じてます。(OPAM)
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