festa musicale [ act 1 - 7 ] |
学生の本分は勉強である。
と、昔どこかの偉い人が言ったらしい。
その言葉の通り義務教育と言う言葉もあるし、実際小中学生は学校に行くことを義務付けられ、日夜勉学に勤しんでいる。 義務教育というわけでもない高校生ですら、毎日ちゃんと学校に行っているのだ。
しかし、大学生はそうじゃない。
毎日授業がぎゅうぎゅうに詰め込まれているわけでもなく、しかしスカスカというわけでもない。 必死に勉強しなくても卒業くらいは出来るし、出席を取らない授業だったら自主休講することすら可能だ。
というわけで、今日の俺は自主休講である。
何をしているかというと、楽器屋に来ている。
ちょっと新しいマウスピースが欲しくなったのだ。
どっかのバンドに触発されてついつい創立祭でスカパンクをやることになったため、今までのような吹奏楽向けの柔らかい音では満足できなくなった、というのが表向きの理由だ。
実際のところは、とあるオーボエ吹きに触発されて、更なるスキルアップを目指すと共に、長い間装備が変更されていなかったトランペットをハードの面から変えていこうと考えたから。
というわけでこうして楽器屋に訪れる。 ここは都内でも数少ないほとんどの種類の楽器をカバーする、言ってしまえば楽器のデパートという感じの店なので、トランペットのマウスピースもあるしチューバのミュートもあるしギターベースドラムキーボードマイクなどなどからPA専用の機材まで、何でもこの店だけで揃ってしまう。 なにしろ楽器屋だけで七階建てのビルを丸ごと使っている上に、地下には練習と試奏用の個人ブースまであるという徹底ぶりだ。 これだけ設備が整っているにもかかわらず価格設定も他の店よりも安い。 アフターサポートも充実しているし、年に二回盆暮れには必ずといって良いほどセールをやる。 一言で言えば、良い店なのだ。
毎日のように楽器のレッスンが行われていて、そのレッスンも売っている楽器だったら大抵はカバーしている。 『楽しいラテンパーカッション』とかいうレッスンを見つけたときはさすがに『そこまであるか』と若干引いたけど。
ここに来るのは大学に入学する直前、後輩に楽器の紹介をしたとき以来だ。
「いらっしゃいませー…って、なんだ馨君か」
「なんだとはご挨拶な」
馴れ馴れしいが、まぁ叔父なので仕方がない。
「叔父さん、ペットのマッピ見せて」
「はいはいちょっと待ってなー、今つなぐから」
そう言って電話の内戦で金管楽器の担当者を呼び出す。金管、木管、パーカッション、ギターベース、弦など、十数種類のカテゴリーにそれぞれ人員がいて、それをまとめているのが叔父というわけだ。
「今来るってよ」
「ありがとう」
そっけないようだが、これが俺と叔父の正しい距離感だ。
そうして、持ってきてもらった数十種類のマウスピースの中から、バリバリとした音の出るマウスピースを探し出す。 これには大体ひとつ十分くらい時間がかかるので、来たのは朝なのに終わる頃には夕方、なんてこともザラだ。
ようやく満足のいく音を出してくれる物に出会えた頃には、例のごとく午後四時を回っていた。
「じゃぁ、これで」
「おう、ありがとなー」
金のやり取りをする。 結局大学生になっても金の使い方は変わらない。 『音楽』か、『コーヒー』の二つだ。
店の外に出る。 一応季節はもう六月だけど、外はだいぶ薄暗くなってきていた。
「おぉ、もうこんな時間か」
一応今日は”空”のシフトが入っている。 若干急ぎ足で”空”に向かう。
この街には色々な人間がいる。 例えばホームレスであったり、ホームレスに食べ物などをタダで提供しているどっかの慈善団体のボランティアだったり、その慈善団体に金を出しているスポンサーだったり、そのスポンサーの作る製品の下請け会社だったり。
例えばの話でものすごい暗い話になったが、実際にそういう人間がいるのだから仕方がない。 同じ人間としてもその辺で野垂れ死にされるのは心にチクリと刺さるとげのようなものを感じるのだ。
ホームレスの中には昔は凄い才能を持ったプレイヤーだった、という人も当然いる。何らかの原因で現役続行が不可能になってしまった人だ。
以前この街のそういう人たちと、自分の高校の吹奏楽部とのジョイントコンサートをやったことがあるが、たとえ今は住所不定無職のホームレスだって、昔はバリバリ仕事もしていたし、才能もあった人材であることの方が多い。 皆根はいい人たちばかりということもある。
こう描くとものすごい差別的な発言になってしまうが、実際同じ人間なのだからもっと寄り添いあうことが出来るんじゃないかと、俺はいつも思っている。
「まぁ、うちの店長もその中の一人なんだけどね」
誰に対してというわけでもなく、そう呟く。
国内外様々な音大から声がかかったにもかかわらず今の大学を選んだ理由には、そういうことも含まれているというのを再確認したのだ。
そうこうしているうちにもう”空”に着いてしまった。どうやらこの時間には珍しくお客さんがいくらか入っているらしい。
カラン
「はよざーっす」
「おはよう」
店長が最初に挨拶してくる。
「あー、馨だー。 遅いよー。 今日学校サボって何してたんだよー」
よくみたらなぜか灯までいる。 そしてめんどくさいことにいじけている。
「え、お前学校サボったの? いけるうちに行っとけよー」
と、新見までいる。 というか、SLEEKが全員いる。
「…え、何これ」
頭上に特大の疑問符を浮かべながら、半分呆れ顔にならざるを得ない状況なのだった。
「灯ちゃん、いい子だねー、俺と付き合わない?」
「あははー、ごめんなさいねー今は楽器で精一杯」
「…」
よく分からない空間が生まれている。 ここって”空”だよね? 俺、来るところ間違えてないよね?
バックヤードで前掛けをして戻ってきたら、なぜかそんな会話が繰り広げられている。 友達が友達をナンパするというのはこんなにも複雑な印象を与えるものだったんだな。
ちなみにナンパしているのはSLEEKのギターだ。
「あ、馨、ブレンドおかわり」
「…良いけど、お前何杯目だよ、ちゃんと払えよ?」
「払うよー、それにまだこれ三杯目」
どんだけ好きなんだよと問い詰めたくなる。 いよいよもって頭が痛くなってきた。
それでもちゃんと淹れてあげる俺。 優しいのだ。 『優しい』とは若干違う気がするが、とにかく優しいのだ。
「いつ飲んでも馨が淹れるコーヒーは美味いな! コツとかあるのか?」
と、新見が聞いてくる。
「ひたすら練習、あと勉強、最後に豆選びのセンス」
と、本当のことをそのままそっくり教える。
「勉強って…豆の?」
「それも勿論だけど、器具の使い方から適正温度とかそういうのもろもろを含めた全てだな」
ちなみに高一から勉強しているにもかかわらず、まだまだ勉強することは山積みである。
「うはー、うちらで言う楽器みたいに勉強と練習がものを言うってことかー。 俺、コーヒーはやらないと思う…」
「のめりこむと危ないから、インスタントでいいんじゃん? もしくは毎日ここに来て金を落とせ」
「…なんか不機嫌?」
「…そんなことないぞ?」
「…」
もう、よく分からない空気だ。
確かにイライラはしてる。なぜかなんて理由は分からないが、なんとなくイライラしてる。
原因は多分こうだ。
『灯が俺以外の男と楽しそうに話して、男は灯に冗談とはいえ告白をし、灯はそれを誤魔化すように断った』
どこがいけないというのか。
『イケナイ』部分なんてどこにもないじゃないか。
俺は何に対して納得できない。
何に対して憤りを感じている。
――なぜ、嫉妬している?
「くだらない」
「ん、なんか言った?」
「いや、何でも。 ほら、さっさと飲めよ、不味くなるぞ?コーヒーは淹れたてが一番美味いんだ。 俺の目の前でそれを逃すのは許さん」
そういって、自分の分も入れる。本当はこれはやってはいけないが、今店長は自分の立場を見失いつつあることに茫然自失となっているため、おそらく問題はない。
自分の淹れるコーヒーの味を確かめて、少し顔をしかめる。
香りが足りないこと。
深みが足りないこと。
いくつも要素があるのに、一つでもかけると一気にグレードが落ちてしまうのに、二つも欠けた結果こうなってしまうのだ。 まるでコーヒーを淹れ始めてすぐの頃のよう。
精神的な影響。
今、俺は、今までの人生の中でもこれ以上ないというほど、自分のことを精神的に追い詰めているらしい。
たった、五分足らずの会話で、これほどまでに自分を追い詰めることが出来るということを、初めて知った。
「さて、時間も時間だし、そろそろ帰ろうかな!」
と、灯が言う。
時計の針は八時ちょうどを指している。
「お、もうこんな時間か」
さっきよりは幾分苛立ちも収まったため、落ち着いてコーヒーを淹れることが出来る。 事実、今までにも数人の客が来たが、それぞれに出したコーヒーは悪いものではなかった。
…ただし、良いというわけでもなかった。
「今日馨ちょっと変だった。 大丈夫?」
「…ん、そうか? そんなことないけどな。 むしろ新しいマッピ買ってご機嫌って感じ?」
感づかれたことにまた焦る。 変な部分で勘が鋭いんだ、灯は。
「ひょっとして、創立祭のこととかで疲れてるんじゃない?」
そんなのは関係ない。 むしろこっちから楽しんでやってるのだ。
「悩みあるなら、相談乗るよ? 役に立つかは別として」
と、灯はふざけた感じで話してくる。 灯のこういうキャラクターは場の雰囲気を和らげるという意味でとても良い。
だけど、そのとき俺は、全く別のことを考えていた。
何が不安なのか。
何が不安なのかすら分からない。
なんで悩んでるのか、想像もつかない。
灯がナンパされたという事実に対して苛立っているのか?
良いじゃないか。
灯は美人だし、モテないわけが無い。 そう考えたのは自分じゃないか。
なら何がムカつくんだろう。
心臓を鷲掴みにされて、肺を思いっきり殴られて、腹を全力で蹴られて、息が出来ないような、そんな感覚。
「馨?」
灯に呼ばれるまで、そんなことを考えていた。
「ん、どうかした?」
「いや、今日は疲れてるのかなって」
だから、そうじゃない。
「大丈夫だって」
誰も理解なんか出来ないんだろうな、このキモチは。
なぜか分からないけど、そんな風に思っていた。
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物語は急速に動き出します。 これから先、どうなるのでしょうか。。。 |
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