Princess of Thiengran 第三章ー宮廷生活2
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「ああっ」

カガミが悲痛な声を上げた。

「お酒、こぼしちゃった」

あーもう。トモキが布を取りにはしる。気を付けてくださいよ、これ高かったんだから。

それはもったいない。と床に口を付けようとするカガミにトモキがギャーと叫んだ。

この二人は面白いな。

湯呑に口をつけながら、シラギはひっそり笑う。中身は勿論酒だ。

たまに、ごくたまに、こうやってトモキらの部屋で酒を飲む。

ある時、トモキが誘った。

 

ヨカッタライッショニノミマセンカ。

 

一瞬、何を言われているのか分からなかった。理解するのに時間がかかった。トモキが不思議そうな顔で見ているのに気が付いて、慌てて承諾した。

この子は本当に屈託がないな。

そびえ立つシラギの壁を、ひょいと乗り越えて声をかけてくれた。

そして感心することに魔窟な宮廷において、擦れることがない。

愛情をたっぷり受けて、育ってきたのだろう。かつて訪ねたトモキの家を思い出した。

温かで居心地の良い家だった。優しそうな母親と、小さな弟。

しかし、自分はそこから彼を引き離したのだ。己の便宜のために。厄介者の王女を押し付けるために。

そして王女を厄介者にしたのは…。

胸がズキリと傷んだ。

「どうしたんですか?」

トモキが覗き込む。

「あ、ああ。いや、ご家族と連絡はとっているのか」

咄嗟に覗きこまれて、少し動揺した。

「はい、母は元気です。弟は、離れた町で中学に行っています。下宿して」

シラギさまのお陰です。頭を下げられた。下げるのはこちらであるというのに。

「ぼくも中学に行きたかったなぁ」

「よく言うよ、昼は王女さんの授業を横で聞いて、夜はぼくの本を読んでいるくせに」

へへへ。トモキが笑う。

確かに、この部屋には大量の本があった。壁の一面に巨大な本棚があり、行儀よく収められている。

「ぼくが作ったんですよ。あまりにもひどかったから」

部屋中が本で埋め尽くされていて、最初、ぼくの居場所なんて寝台の上だけだったんですから。と笑うトモキに対し、カガミは不満そうだ。

「ぼくはあの方が落ち着いたのに」

「でも、部屋は片付いていた方がいいでしょう?」

「猥雑な方が、落ち着く事もあるんだよ」

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話は自然、宮廷のことになる。

表面化では、平穏に見えても水面下では派閥争いが勢いを増してくるようになった。

まずに第一王子であるアナン。そして二人の王子。王女であるリウヒは一番年が若いこともあり、あまり関わりはないようにみえる。

しかし、それぞれの血縁者が本人らの意志とは関係なく担ぎあげるのだ。臣下の者も今後の行く末がかかっているため必死だった。

「シラギさまは?」

「王女派になるな」

自分は側室であった亡きイズミの親戚にあたる。面識はあまりなかったが。

争いには興味がなくても、結局は血に縛られるのだ。勝手に派閥に組み込まれる。

「継承者はアナンさんで間違いないと思うんだけど、どうなるか分からないねぇ」

「どんな方なんですか?」

王子たちの講師をしているシラギとカガミは、アナンの事をよく知っている。

「温厚篤実、謹厳実直、胆大心小」

「なんですそれ。呪文?」

「君は一体何を勉強していたんだい」

呆れるカガミをよそに、ぼくも王女派なのかなあ、他の人を知らないし。とトモキが首をかしげる。

「ただ、ショウギが何やら動いているみたいだな」

「国王の後ろ盾もありますしね」

「ショウギの息子さんにも、ぼくら教えているんだよ。この親にしてこの子ありって感じの子なんだけどさ、王位を継ぐことはないね」

「どうしてですか」

「当たり前じゃあないか、連れ子だもの。いくら王の権を笠に着ているからってそれだけは許されないだろう」

まあ、ぼくは日和見派だけどーとオヤジが体をゆすった。腹が前後にゆれる。このタヌキオヤジとトモキが肘でつついた。

「まあ、誰が王位に立つにしろ、王女さんは守りたいね」

それはシラギもトモキも同意見だったので、二人揃って頷いた。

あの小さな王女は守ってやりたい。その周りのものたちも。

「ところでトモキくん」

「はい」

「ぼく、吐きそうなんだけど。限界…」

口を押さえ、空を睨む。

「やめてぇ!今吐かないで我慢して!」

叫んだトモキはオヤジを引っ掴んで、部屋を飛び出していった。

取り残されたシラギはしばらく呆然とし、それから噴き出した。笑いは止まらず、後から後からわいてくる。声をだして笑ったのは、一体何年振りだろう。眼尻に涙をためて、そう思う。

もしかしたら、生まれて初めてかもしれない。

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女の肌は、生まれたての赤子のように瑞々しかった。

二十歳前後だろう、深夜だというのに疲れを微塵にもださず、生命力すら感じさせた。

丁寧に礼をとり、跪いている。踊り子というだけあって、仕草のいちいちに花があった。

そんな若い女を前にして、自分の老いに焦りを感じているショウギは不機嫌である。いらいらと扇を弄んでいる。

カグラは内心呆れながら、その後ろで立っていた。

間諜の一人に、踊り子を使ってはどうかと持ちかけたのはショウギなのだ。だから、一番人気の娘を選び呼んだ。自分から言っておいて何を…。

本日何度目になるか分からないため息をこっそりとつく。

ただし、笑みは絶やさない。

この笑みも、薄紫の目も、銀色の髪も、声も、女を虜にするには十分効果を発揮している。とりわけ、娘に威圧的に話をしているショウギに。

「我に話を聞かせよ」

「わたくしは一介の踊り子にございます。ショウギさまのお耳に入れるような、楽しいお話など、恐れながら持ち合わせておりません」

娘はにっこりと笑う。

もしかしてこの娘は、喧嘩を売っているのだろうか。

自分の美しさを熟知した上で、見せつけるような笑顔。若干嘲笑しているようにも見えた。

面白い娘だ。

「お名前は何と言うのです」

唐突にカグラがきいた。

「マイムと申します」

凛とした声で、マイムが答えた。

ちらりとショウギを見ると、こめかみに筋が浮いているのが分かった。

カグラが娘に名前を聞いたのが許せないのであろう。

踊り子の立場を使って、情報を集めてこい。そして報告しろ。そのような旨を単刀直入にいう。

娘はかしこまって、即引き受けた。

「どのような報告をお望みなのですか」

「アナンとリウヒじゃ」

吐き捨てるように、王子と王女を呼び捨てにした。

御意、とマイムが礼をする。

さがるように、とショウギが扇を振りながら、あさってを見た瞬間。

カグラはマイムが、礼の下ではっきりと嘲りきった笑みを浮かべたのを見て取った。

ああ、この娘はおれと同じ匂いがする。

そう思いながらマイムの後ろ姿を見送った。

その姿が消えるや否や、ショウギが縋りついてくる。

どうしてあんな娘の名前を聞いたりするのだ、わたしに飽きたのか、わたしはあなたに捨てられたら生きてはいけないではないか、哀れっぽく訴えてくる。

まるで餌をとられた犬のようだ。

「あなたを悲しませてしまって申し訳ない。名前は、便宜上必要だから聞いたまで。わたくしが、あなたに夢中なのはよくご存知でしょう」

ショウギの髪をひと房とって口づけしながら、そうささやく。

なぜ女はこういう歯のうくような言葉が好きなのだろうか。

多分、自分の存在意義を見つけたいのだろう。心からの言葉だろうが、つまらぬ世事だろうが、己を認めてもらう事に満足しているだけに違いない。

目の前の女はまだ鳴いてくる。

ここ最近、さらに纏わりつく様になった。王が寝込んでからだ。この女も不安なのだ。なにか縋るものがほしいのだ。

「ショウギさま。アナンさまが正式に次期後継者として認められましたね。どうなさるおつもりですか」

さらに揺さぶってみる。

もっと怯えるがいい。もっと怖がるがいい。

案の定ショウギは震え、カグラに抱きついた。

「そんなことおっしゃらないで。そんな恐ろしいことおっしゃらないで。あなたが守ってくださるのでしょう」

誰が守るか。

火種をつけたら、煽って炎を大きくする。その炎は美しいことだろう。

おれはそれを見ながら嗤ってやるのだ。この醜悪な宮廷を燃やして嗤ってやる。

震える女をかき抱きながら、カグラは優しほほ笑む。

「当たり前のことを聞かないでください。わたくしが命の限り、お守りいたします」

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「自分の身は自分で守らないとね」

自分に言い聞かせるように、マイムは呟いた。

夜空に月はなく、星たちは遠慮がちに瞬いている。

ショウギに呼ばれた。間諜のまねごとをしろと言われた。腹が立った。

あたしを巻き込まないでよね。

勝手に自分らで騒いでいればいいじゃない。迷惑この上ない。

どうせ、色々なところに間諜を放っているに違いない。保険の一つなのだろう。踊り子は確かにいろんな所に出入り出来るし、王族とも接点が多い。でも、踊り子ごときに容易に重大な情報を渡すだろうか。渡すはずがない。それをやれという。

しかし、断れば殺されるのは分かっている。そういう奴らだ。だからすぐに受けた。

ショウギ。

昔は、嫌いではなかったのに。もう少し道理をわきまえれば、うまいやり方なんてたくさんあるのに、何が望みなのだろう。王位か。まさかね。

初めて近くでみたショウギの顔は、年には勝てず肌が乾いていた。化粧もひび割れていた。

こっそり笑ってやった。あたしの方が女として上じゃないの。そう思った。

神経質にわめく年増女の、その後ろに立っていた銀髪に同情するわ。あの男だって何か考えがあって、ショウギのそばにいるのだろう。

権力が蠢いている下に、純粋な愛なんてあり得るわけがない。

あの男は多分、あたしと同質だ。女の直感だった。

 

アナン王子とリウヒ王女。

王子の方はよく出入りする。本人がくつろいでいる横で歌うのだ。楽師らの奏でる音に合わせて。自分の声も楽器のようなものである。目の前で舞うこともある。王子本人にも、何回か声をかけられたことがある。いい男だ。頭の回転の速い人なのだろう、とても楽しかった。周りも本当に慕っている、そんな雰囲気がした。

あの人が、王になればいいのに。素直にそう思う。

王女の方はまったく接点がない。数年前に寝ているところを起こそうとして、威嚇された。それだけだ。いや、トモキとかいう少年が、確か王女に仕えているといっていた。

弟と同じ名前をもった男の子。

初めて、素直に話せた男の子。

あれから二、三回会話を交わした。世間話とか、天気などの話だ。それでも心が和んだ。あの子には、ここのいざこざに巻き込まれてほしくない。媚を売ることに疲れた自分の大切な時間なのだ。

マイムは髪をかきあげ、小さく息を吐いた。

仕方がない。

あの後輩らのさえずりに耳を傾けてみようか。何か出てくるかもしれない。

トモキは巻き込まない。そう決めた。

あたしにだって汚されたくないものがあるのだ。

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誰にだって汚されたくないものがある。

トモキの場合は、リウヒだった。

赤子のリウヒを見た時は、世の中のどんなものからも守る気でいたし、道を外れたら手を引いて、自分が正しいと思う方向に戻してやろうと思った。

しかし、世の中は自分が思っているほど甘くはなかったのだ。

もっと巨大で、どす黒かった。

世界はただ美しいだけじゃない。醜悪な闇だって背負っている。

 

カガミがいびきをかいて寝ている。

介抱が大変だったが、出せるものをすべて出すとそのまま寝てしまった。

今度は、部屋へ引きずっていくのに苦労した。

シラギと二人、飲みながらぽつぽつと話をしている時、どうしても胸の奥で引っかかっていた事を聞いた。

リウヒはどうしてあんなに変わってしまったのかと。四年前に再会した時は別人かと思った。素直で可愛らしい幼子が、闇を纏った理由が分からなかった。

「それを聞くのか」

シラギが苦しそうに言う。

「聞く覚悟があるのか」

だまって頷いた。

「少し風に当ろうか」

椅子をたって、部屋を出る。前を歩くシラギの背中が、気のせいか気落ちしている。

東宮の庭園に出た。

たまに、ここでマイムと会う。最近知り合った、きれいな女の人だった。

会話は世間話やどうでもいいことが主だったが、マイムの日に輝く髪だとか、少し物憂げな横顔を見ていると、胸の隅っこがキュンと縮んだ。

 

「お前がいつそのことを聞いてくるのか、本当は気が気じゃなかった」

シラギが庭石に腰かけながら低い声で言う。

「だが、聞いてきたら、包み隠さず全部言おうと思っていた」

まるで、トモキにではなく近くにある御影石に語りかけるようだった。

 

リウヒが東宮に入った時、小さな王女は喜んで走り回った。自分の寝室に驚き、美しい衣にはしゃぎ、それはもう無邪気で可愛らしかったという。

ひとしきり騒いだ後、帰ると言い出した。

「にいちゃんとかあさんのとこに帰る」と。

これからここで、暮らすのだ、あの村には帰れない、と伝えても聞き入れずに大泣きした。

実母であるイズミにも会ったが、母は見向きもしなかった。人形をわが子と思い込んでいてリウヒには一瞥もしなかった。リウヒもイズミを母と思っていなかったらしい。

かあさんは、いつも台所にいるの。あんな顔していないの。あれは違う人だもの。

国王は幼い王女を膝に抱き、非常に喜んだ。

初めて手にした娘である。その日は、ずっと膝に乗せ政務をこなした。周りの臣下も、その溺愛ぶりを微笑ましく思った。

 

「ところが」

シラギの声が絞られるように掠れた。

「陛下が夜な夜な、リウヒさまの寝室を訪れるようになった。人払いをして」

トモキが弾かれたようにシラギの顔を見た。

苦しそうに歪んでいる。

「それからだ、王女の様子がおかしくなったのは」

まず、人に怯えるようになった。肌に触られるのを嫌った。表情が消えた。心を閉ざし敵愾心を露わにするようになった。殻に閉じこもる。癇癪をおこす。すぐに逃げる。

トモキは大きく息を吸った。吐き気がする。腹の底が熱くて気持ち悪い。

だから、肌に触られるのを嫌がるのか。

少女が纏っていた闇は、自衛のものだった。

部屋から逃げるのは、逃避の為だった。

幼女は必死に身を守ろうとした。

「イズミさまが亡くなった頃には、もう陛下は東宮に姿を現さなくなった」

「どうしてあんたは止めなかったんだっ!」

激情のままシラギの襟もとを掴み揺さぶった。シラギはなすがままになっている。

リウヒの近くにいながら、気が付いていながら、なぜ止めなかった。なぜ少女の心が壊れていくのをそのまま傍観していた。

「どうしてあんたは…」

声が擦れているのが分かった。喉が焼けつくように痛い。怒りのあまり世界が回転しているようだ。

 

初めて人を殺したいと思った。

皺だらけの国王も、目の前のシラギも、世の中のすべてを本気で殺したいと思った。

こんな事が許されていいのか。ここは何なのだ。

まるで

「魔窟だ」

 

説明
ティエンランシリーズ第一巻。
過酷な運命を背負った王女リウヒが王座に上るまでの物語。

「どうしてあんたは止めなかったんだっ!」

視点:シラギ→カグラ→マイム→トモキ
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コメント
華詩さま:コメントありがとうございます。トモキの踏ん張りどころです。(まめご)
あきらかになった衝撃の事実。行き場のない怒りをトモキはどこに向けるんでしょうか。ちょっと心配です。(華詩)
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