猫になれたら
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「では、今日はここまでとする。お疲れ」

「お疲れ様でした」

体育祭も終わり、この時期の生徒会の仕事は比較的少ない。特に今日は、簡単な会議だけで済んだ。

「一年中こんななら楽なんですけどね」

「楽じゃないから生徒会に入ったんだろう?」

「まあ、そうなんだけど」

柿留と布袋がそんな軽口を叩き合っている。ラントはそれをなんとなく聞きながら、ぐっと大きく伸びをした。

それを見たクマ子がくすりと笑う。

「今のラント、なんだか大きな猫みたいだったよ」

「猫、か……」

真っ先に寺刃を思い出す。

猫のような気ままさ、自由さ、気高さ。

いつからだろう、あの赤色に惹かれるようになったのは。

ラントがどんなに手を伸ばしても届かない。はるかかなた宇宙の先の存在。もし、ラントのその手が届くとするならば。

「猫になれたら……」

そんな本音がぽろりと溢れる。

「いいですね、生徒会の仕事を忘れてのんびり日向ぼっことか……一回くらいなら」

それを聞いていた金仁が、ペンケースをカバンに仕舞いながらこたえる。

そういうほのぼのとした考えではなかったのだが、これは調子を合わせたほうがいいだろう。

「うちの学園には猫が多いので……見ていて羨ましくなるときは確かにありますね」

参歩が忘れ物をチェックしながら相槌を打つ。

「まあ、所詮は叶わぬ夢だな」

そう締めてラントはカバンを手に取った。

 

 

 

 

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生徒会を後にしたラントは、まだ日も高いので商業地区にある贔屓の文房具店に寄ることにした。ご老人の営む小さな店舗だが、そこにしか売っていない消しゴムが愛用品なのだ。

商業地区の、どこか雑多な雰囲気のある個人店の並ぶ地区を歩いていると、ふと背筋が寒くなる。こういうときは近くに怨霊がいる。一年間怨霊と関わりを持ったことで、ラントの霊感は研ぎ澄まされていた。うっすらとした気配をなんとか辿る。気配は、店舗と店舗の間、非日常の入り口とも言うべき、普段なら絶対に行かない場所──裏路地の方からだ。

狭い道をしばらく歩くと、開けた空間に出た。その中心に、黒いモヤのようなモノがふわふわと漂っていた。

「やはり怨霊か……!?」

魔神ウォッチにメダルを装填しようと構えた、その時。

 

────サミシイ、サミシイ、サミシイ────

 

────オ兄チャンモ、サミシイ?────

 

モヤが、語りかけてきた。

「なっ……私は、寂しくなど……!」

 

────オ兄チャンモ、サミシイナラ、ボクト一緒ニナロウ───

 

するとどんどんモヤが広がり、ついにはラントを包み込む。

モヤを吸い込んだ途端、急速に意識に霞がかかってぼんやりとし、遂には膝をついてしまった。

「クソッ……」

短く悪態をついたのを最後に、ラントは意識を手放した。

 

 

 

 

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朝。メラからメッセージが来た。

ヒノコちゃんが風邪を引いて学校を休んだから、看病のために今日はクラブを休むという連絡だった。

ヒノコちゃんにお大事にって言っておいて、と返信した。

 

 

昼休み。さあ学食に行くぞとコマ君と席を立ったところで、フブキが隣のクラスからやってきた。

「ごめんなさい、参加してるプロジェクトにちょっと問題が発生しちゃって、放課後はそっちに行かなきゃならないの」

「おっけー!頑張れよ!」

「ありがとう!埋め合わせは必ずするから」

気にしなくていいのに、とか言いながら、三人で一緒に学食に行って昼食を食べた。途中でゴロミにソーセージを一つ奪われて、返せと追いかけっこになりそうになったところに会長が通りがかって怒られた。

 

 

放課後。今日は二人だけどとりあえず部室に行こうか、とコマ君と席を立ったところで、サオリさんがおずおずと教室の扉から顔を出した。ジンペイはコマ君の背中をペシペシと軽く叩くと、コマ君の返事を待たずに軽やかな足取りで教室を後にした。

 

 

 

 

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久しぶりに一人きりの放課後だ。すぐに帰るのもなんなので、一人で商業地区をブラブラすることにした。個人商店がひしめく通り──ジンペイの好きな通りだ──に差し掛かって、そういやこの辺に会長のお気に入りの文房具屋があるんだっけ、と考えていると、裏路地の方から怨霊の気配がした。

急いで駆けつけると、黒いモヤがあたりをおおっていて、その中心に黒猫が倒れていた。黒猫のいるあたりのモヤが特に濃い。ジンペイは咄嗟に、

「おい!何してるんだ!」

と声を張り上げた。

 

────コワイ、コワイ、コワイ────

 

そう声が響くと、モヤは霧散した。怯える声があまりにも弱々しくて、悪いことをしてしまったかもしれない、と罪悪感を覚えたが、それより今は目の前のことだ。

「おい!大丈夫か!?」

倒れている黒猫に駆け寄って抱き上げる。温かい。良かった、命を取るとかそういう類の怨霊ではなかったようだ。

ふるり、と猫が震えると、ゆっくりとまぶたが開いた。その下から覗くのは、キレイな浅葱色の瞳。会長と同じ色だ。

「良かったー……無事で」

そう安堵の息を漏らすと、猫は驚いたようにぴょんとジンペイの腕から抜け出した。

 

 

 

 

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ラントが目を覚ますと、視界はぼんやりとしていた。遠くから近くから、様々な音がひっきりなしに耳に飛び込み、土やアスファルト、飲食店の油の臭い、体臭、色々なものが入り混じった複雑な匂いが鼻孔を刺激する。

「良かったー……無事で」

目の前のぼんやりしたものは、寺刃の声でそう言って、ほっと息をついたようだった。ラントは驚いて飛び退く。

地面に着地して、自分が四足歩行であることに気がつく。視点も、ぼやけていて分かりにくいがいつもより随分と低い。

慌てて近くの排水管の下に溜まっていた水たまりを覗き込むと、そこには浅葱色の瞳をした黒猫が映っているのが辛うじて確認できた。

(猫に……なっている……!?)

もしや、先程の黒いモヤの仕業だろうか。

「おーい、大丈夫か?」

両脇に手を差し込まれて持ち上げられる。不慣れな体勢にうにゃあと大きく声をあげてしまう。

「わ!ごめんごめん!」

寺刃が慌てて手を放す。ラントはくるりと向きを変えると寺刃の体を蹴って、肩に飛び乗った。うん、ここがしっくりくる。色彩は乏しいし、ぼんやりとしているものの、目線が人間に近い。

「いつつ、お前登るとき思い切り爪立てたな……お、肩がいいのか?」

肯定の意味でにゃおんと一声鳴いてみせる。

声は間違いなく寺刃なのに、あの赤色が随分とくすんで見える。そういえば、猫の目は赤色を認識しづらいと聞いたことがある。少し残念に思った。ラントはあの赤が好きだから。

「お前、人懐っこいな……そうだ!一緒に商業地区まわるか?」

肯定の意味でにゃーんと鳴いて、寺刃の頬にすりすりと頬擦りをした。こんなこと、猫でなければ出来やしない。ラントはこの状況を楽しみはじめていた。

「よーし、じゃあ、しゅっぱーつ!」

「なーん」

 

 

 

 

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それからの時間は夢のようだった。

この学園は猫が多いから、生徒が猫を連れていても誰も気にしない。

二人(正確には一人と一匹だが)は本屋を覗き、インテリアショップを見て回り、服屋をひやかした。

たまに寺刃は買い物をした。

「なぁ、これどっちがいいと思う?」

枕カバーの色に悩む寺刃が問いかけてくる。ラントは意思があるからいいものの、普通猫にそんなことを尋ねるだろうか?などと呆れつつ、ラントは赤いストライプの枕カバーにぽんと肉球をついた。

「そっちかー!……うん、お前がそう言うならならこれにする!さんきゅーな!」

ラントはゴロゴロと喉を鳴らす。一緒に買い物が出来ている。役に立てている。それがたまらく嬉しかった。

 

 

しかし、そう浮かれてばかりもいられないということをラントは思い知る。

 

 

銭湯の前を通りかかると

「そういやお前路地裏で倒れたよなー……よし、ちょっとキレイになっていくか!」

風呂。普段はむしろ好きなはずなのに、濡れるとわかった瞬間ぶわりと総毛立つ。水は嫌だ。濡れるのは嫌だ。一刻も早く逃げなくては。そう思い身を翻そうとした瞬間、がしっと首根っこを掴まれる。

「猫って風呂嫌いだよなぁ。逃げるなよ、キレイにしてやるから……番頭さーん!猫入れていいー?」

湯船に入れないならいいよ、という番頭の返答を聞き、ラントは目の前が真っ暗になった。

 

 

 

 

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「…………」

「そう拗ねるなって。ほら、ぜっぴん牛乳買ってきたぞ。半分こしよう。子猫は人間用だとお腹壊すんだけど……お前くらいの大きさなら大丈夫だと思う」

きゅぽん、と牛乳瓶から蓋が外れる小気味良い音が小さく響く。

お湯で全身を濡らされ、わしゃわしゃと洗われ、流され、最後にドライヤーで乾かされ、やや癖のある毛並みがふわふわになる間、ラントはみゃーみゃーしゃーしゃーふーふーいっていたが、どれも無視された為、最後には沈黙するという手段をとった。

ぱたり、ぱたりと不機嫌に尻尾を揺らしていると、目の前に皿が置かれ、牛乳が注がれていく。目ではっきりとは見えないが、牛乳のほのかに甘い香りがラントの鼻をくすぐった。

「………………」

「これで機嫌治してくれよ?な?この牛乳、人気でめったに買えないんだぜ?」

「………………」

ぺろり。試しに、と自分に言い聞かせて一口飲むと、もう止まらなかった。

ぺちゃぺちゃと夢中になって飲む。人間のように一気に飲み干せないのがもどかしい。

「美味いか?良かった良かった……なぁ、今日このまま、オレんとこ泊まってく?」

ぴくり、と耳が反応する。寺刃の部屋には何度か勉強を教えるために行ったことはあるが、当然だが泊まったことはない。ラントは躊躇いなく

「にゃーん!」

と元気よく返事をした。

「そっか!じゃあこれ飲んだら帰ろうな!」

「にゃん!」

寺刃がそっと喉を掻いてきたので、ゴロゴロと喉を鳴らす。

風呂は災難だったが、結果オーライだ。

 

 

 

 

 

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「そういえば、名前つけてなかったな。いつまでも“お前”じゃ不便だよな」

銭湯から生徒宿舎へと帰る道すがら、ラントを肩に乗せたジンペイがそんなことを言い出した。

ラントにはラントという名前があるが、伝えることは不可能だし、何より伝えられる状況ならこんな事にはなっていない。ラントは文字通り猫をかぶって

「にゃあん?」

と何も知らないかのように返事をした。

「実は会ったときから決めてるんだ!お前の名前はラント!ラントだ!」

「にゃ!?」

ラントは焦る。まさかバレていたのか?どうする?今からでも逃げるか?いやしかし…

「お前、会長に似てるなーってずっと思ってたんだ!あ、会長ってのはオレの好きな人なんだけど」

「にゃにゃ!?」

今度は頭が真っ白になる。寺刃が?俺を好き?いやしかし、恋愛の意味での好きとは限らない。

混乱していると、何か誤解してしまった寺刃がそっとラントの首筋を撫でる。

「嫌か……?」

と不安げに訊いてきた。ラントは慌てて喉を鳴らすと、

「にゃあー」

と鳴いてすりすりと頬擦りした。

「お?いいのか!じゃあお前は今日からラントだ!よろしくな!」

「にゃん!」

今はただ、この流れに身を任せていたかった。

 

 

 

 

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寺刃の部屋の前まで来ると、少し遠くから、

「ジンペイ君!」

と声がした。次いでとたとたと足音が響く。

ぼんやりとしか見えない目を凝らすと、寺刃より小柄な、水色の髪が揺れるのがわかる。

「あ、コマ君!」

「遅かったね!肩の猫は……?」

「色々寄り道して、銭湯も入ってきたから……この猫は商業地区で会ったんだ!一晩泊めようと思って」

そう言って寺刃が首をかいてきたので、ラントはゴロゴロと喉を鳴らした。

「へぇー……随分ジンペイ君に懐いてるみたいだね。一晩くらいなら万が一見つかってもお目溢ししてもらえるんじゃないかな」

「だな!じゃ、また夕飯で!」

寺刃がひらひらと手を振る。コマ君が少し笑ったのが、音で分かった。

「うん!またね」

コマ君の声を背に、寺刃が自室と扉を開け、中に滑り込む。ラントは寺刃の肩からトン、と飛び降りた。

「ここが俺の部屋!適当にくつろいで!」

前にラントが部屋に入ったときより雑然としている。おそらくラントが来る前はいつも片付けているのだろう。この状態では小言を言う自信がある。

ラントは広げっぱなしの漫画雑誌や、雑に洗濯物が放り込まれた籠を避けてベッドに飛び乗り、丸まった。猫になってしまってから、やっと一息つけた。

寺刃は鞄をどかっと椅子に置くと、インテリアショップで買ってきた枕カバーを広げている。

「……うん、やっぱりこの柄にしてよかった!さんきゅな、ラント!」

「にゃん……」

なんだか、急に眠くなってきた。今まで気を張っていたせいで疲れが出たのか、猫は随分寝ると聞くのでそのせいなのか。

「眠そうだな?俺夕飯行くから、それまで寝ててな?」

毛並みに沿って優しく撫でられると、いよいよ眠気に抗えなくなってくる。

「にゃ…………」

ラントは、ゆっくりと目を閉じた。

 

 

 

 

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目が覚めると、寺刃はまだ帰ってきていなかった。部屋の細部まで視認できるが、日はとっぷりと暮れてしまったようだ。

一度起き上がって大きく伸びをするとまた丸まる。そういえば放課後に伸びをしたところをクマ子に猫みたいだと言われたな、と思い出した。あの時猫になれたらと呟いたが、まさか本当に猫になるとは。

寺刃もいないしもう一眠りするか、と決めたところで勢いよく扉が開いた。

「たっだいまー!遅くなってごめんな、ちょっとマタロウ……遠くにいる友達を呼び出して遊んでさ。お土産あるぞー」

「にゃ……にゃにゃにゃ」

また軽いノリでアメリカにいるマタロウを呼び出したのかと、ベッドを降りて寺刃の足元に立ち説教しようとしたが、口からはにゃーしか出てこない。

寺刃はカチャカチャと音を立ててビニール袋を探ると、そこから小さな缶詰と、割り箸と、小皿を取り出した。

「銭湯でちょっと牛乳やったけど……それだけじゃ足りないよな?ほら、猫缶!いま解してやるからな!」

寺刃は小皿を床に置き、パキャッ、と小気味良い音を立てて猫缶を開き、割り箸で丁寧に解しながら小皿に盛りつけた。

「…………………」

「どうした?お前のだぞ?」

今は猫の身体とはいえ、ラントは人間だ。猫缶を食べるのには抵抗がある。しかし腹が減ったのも事実だ。

無言で考え込んでいると、寺刃が

「匂いが足りないのか?……よし、ちょっと待ってろよ」

と言って、目の前の皿をひょいと持ち上げると部屋を出ていってしまった。ラントが食べないから処分しに行ったのだろうか。ほっとしたような、残念なような気持ちになりながら再びベッドに飛び乗り丸くなっていると、寺刃が戻ってきた。とてもいい匂いと一緒に。

「お待たせ!電子レンジで温めてきたぞ、これなら美味そうだろ?」

確かに、かなりいい匂い──美味そうな匂いだ。

腹が減っているから。仕方なく食べるんだ。

そう自分に言い聞かせ、ラントは温まってはいるが猫の舌には熱すぎない、絶妙に加熱されている猫缶を食べた。

美味い、と認識してしまえば、後は空腹も手伝ってガツガツと食べた。寺刃は隣でうんうんと嬉しそうに頷いていた。

ラントが食べ終わり、顔を洗っていると、寺刃はまたビニール袋に手を突っ込みガサガサと何かを探している。

「あったあった……ほら、猫じゃらし!」

「にゃ!?」

紐の先に飾りがついているタイプのそれがふわりと揺れると、ラントの目は釘付けになった。

すかさず狩りの構えに入る。寺刃はその食いつきの良さからか気分を良くしたようだ。

「ほーれほれ!」

「にゃ!にゃ!にゃ!」

たしっ、たしっ、と猫パンチを繰り出すも、それらは虚しく宙をきる。かと思えばたまに命中することもあって、ラントは夢中で飾りに噛みつき足蹴りした。

後で知ったが、寺刃は学園の猫好きの界隈では猫じゃらしの名人としてその名を轟かせているらしい。

たっぷり三十分はそうして遊んでいただろうか。流石に互いに疲れてきて、寺刃はベッドに上半身を突っ伏した。

「ちょっと疲れたなー……でも楽しかったな、ラント」

「にゃーん……ゴロゴロゴロゴロ……」

耳の裏をかかれて、心地よさに喉を鳴らす。と、寺刃の手がゆっくりと離れた。

「にゃあん?」

「……会長とも、こんなふうに出来たらいいのにな……」

しおらしく呟く寺刃は、ラントのイメージする気ままで孤高な存在ではなく、ただ普通の少年であった。

もちろんラントのイメージする寺刃も寺刃を形作る一部なのだろう。でも、そうではない部分がラントには見えていなかったのだと痛感する。そしてまた、寺刃にもラントの一部分が見えていないのだ。

「にゃあ……」

「俺さー……もっと会長と仲良くなりたいし、その……もっと先にも行きたいんだけどさ、会長は眩しくて、近づけなくて……怖くて。初恋のときは勢いでなんとかしちゃったんだけど。その勇気が今はなくてさ……今の関係も、それはそれで気に入ってるから。このままでもいいかなって」

ラントには寺刃の気持ちが痛いほど分かった。自分の手には掴めぬ程眩しく感じる存在。

惹かれれば惹かれるほどに縮められない距離がある相手。

「にゃん!」

「うわ!なんだ!?」

ラントは寺刃の顔に身を寄せると、頬を舐める。

「わ!ザリザリする……どうした?励ましてくれるのか?……へへっ、お前ほんと良い奴だなぁ」

「にゃにゃ……」

こんなにもどかしい事はなかった。俺は霧隠ラントで、お前の気持ちは全部聞かせてもらった、俺もお前が好きなんだと今すぐ伝えたかった。

「さて、そろそろ寝るかー……」

寺刃は起き上がり、寝間着に着替え始める。

お前勉強はしないのかと少し冷静になった頭で考えて、まぁ寺刃だからな、と一人納得した。

「さ、寝るか!……おいで、一緒に寝よう」

「にゃあ」

ラントは寺刃の腹のあたりで丸くなる。布団が被せられて、隣の寺刃が温かくて、さっきまでずっと寝ていたのにもううとうととしてきた頭で、どうにか今後のことを考える。あの怨霊にもう一度会えれば、元に戻る方法が分かるかもしれない。

明日はあの怨霊を探そうと決めて、ラントはそのまま眠りに落ちた。

 

 

 

 

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ミケッティオは夜が好きだ。だから体を使える日は夜の学園をプラプラと散歩する。

協議に協議を重ね、三匹組とは一日交代で体を使う協定を結んだ。ジンペイが呼び出す時にはその限りではないが。

誰もいない往来を一人歩くのはなかなか気分がいい。ミケッティオは居住区域を散歩していた。

公園の前に通りかかったところで、弱々しい妖気を感じた。少し近づいてみると、己の形さえまともに作ることのできない、本当に弱い怨霊がいた。

 

 

────オカアサン、ミンナ、ドコ?────

 

────コワイ、サミシイ、コワイ────

 

 

ミケッティオはちっと舌打ちをした。どうやら少し早く体を明け渡さなればいけないようだ。

「こういう奴は、あいつらのほうが向いてるからな……」

昔なら見向きもしなかったであろう存在だ。それを今ミケッティオは助けようとしている。

俺も随分甘くなったものだ、と自嘲しながらも、悪くないと思っている。

「しっかりやれよ、お前達……」

そう呟いて、ミケッティオは体を三匹に明け渡した。

 

 

 

 

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「ド?」

「んん?」

「あれ?」

分裂すると、まだ夜だったので三匹は困惑する。体の交代時間は朝九時のはずだ。

「あいつがタダで交代するとは思えねぇけど……」

「あ!あれ見て!」

「ドド?」

ブルポンが滑り台の片隅に縮こまるように存在する、黒い霧のような怨霊に気づく。

 

 

────オカアサン、オカアサン、オカアサン────

 

 

「可哀想に。親兄弟とはぐれて死んでしまったんだね」

ブルポンが呟く。ゴロミがポンと手をついた。

「ミケッティオの野郎は、この為にアタイ達と交代したのか」

「なら話は早いドー!」

ドスドスとバケーラが勢いよく怨霊に近づいていく。怨霊はぶるりと震えたように見えた。

 

 

────オニイチャンタチ、ダレ?────

 

 

「安心しろ、アタイ達はお前の味方だ!」

「今までよく頑張ったね、さぁ、暖かくて安らげる場所へ導いてあげる」

 

 

────オカアサンタチニ、アエル?────

 

 

ブルポンは暫し瞑目する。

この子の親兄弟はこの子と逸れてしまっただけで元気にしているかもしれない。逸れた後に何かの理由で死んでしまったかもしれない。ブルポン達には確認しようのないことだった。

ブルポンは慎重に、ゆっくりと言葉を紡いだ。

「わからない……でも、いなくても待っていれば君は必ずお母さん達と再会できる、そんな場所だよ……君はお母さん達をそこで待っていて」

 

 

────ワカッタ!ボク、マッテル!────

 

 

「いい子だ。さぁ、僕達に全てを委ねて……」

怨霊は三匹に導かれ、静かに成仏していった。三匹は晴れやかな顔で

「いつかお袋さん達に会えるといいド」

「だな!」

「そうだね」

と言い合った。

「ミケッティオには感謝しないと……さて、僕達はこれからどうしよう?」

ブルポンが問いかけると、

「うーん……ジンペイはきっともう寝てるド」

「じゃー海行こうぜ海!アタイ朝日が見たい!」

「いいね、行こうか」

ワイワイと、聞こえる者にしか聞こえない笑い声が深夜の公園に響いた。

 

 

 

 

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チュンチュンとスズメの鳴き声がする。なんだかゴツゴツするものがお腹のあたりにある。昨夜は猫のラントと一緒にベッドに入ったはずだ。

猫のラント。

会長みたいなちょっと癖のある黒い毛色で、会長と同じ浅葱色の瞳の、キレイな猫。

昨日は楽しかったな、今日も授業が終わったら一緒に遊びたいな、そんなことを思いながらモゾモゾと体を動かすと、やはり猫にしては巨大な何かがお腹にいる……というかこれは、もしかして。

「人……?」

恐る恐る毛布をめくる。と、そこには予想だにしなかった人物が丸まっていた。

「かっかかかか、か、会長!?!?いでっ!!」

思わずとびのいて、頭を壁にぶつける。当の会長はまだ寝ぼけている様子で

「んん……寒い……」

とジンペイがはねのけた毛布を手繰り寄せている。

会長は制服で、靴も履いたままだ。

ジンペイは恐る恐る会長の肩に手を置き、優しく揺さぶる。

「か、会長、会長……起きて」

「ん、んん……なんだ寺刃……じば?」

会長はがばっと起き上がると、そのままもんどりを打って倒れた。ごちん、とかなり痛そうな音がして、本人も頭を抱えて呻いている。

痛みが落ち着いてきたであろう頃合いを見計らって、ジンペイはおずおずと声を上げた。

「あの、それでなんで会長がここに……?」

ジンペイにもおおかたの検討はついていたが、それでも本人の口から聞くまではわからない。

「それは……その……昨日の猫が、私、だからだ……」

ああやっぱり。ジンペイは瞑目して、そしてある事に思い至って会長を見る。

「あの……会長、昨日の記憶は……?」

昨日は自分の気持ちを赤裸々にラントに──あの猫に吐露してしまった。ジンペイが会長を好きだということも。どうか忘れていてくれと祈るように会長を見ると、会長は気まずげに答えた。

「ああ、全て……覚えている」

終わった。さようなら二度目の恋。

じわりと視界がボヤケてきて、会長の前で泣きたくないと服の端で慌てて拭う。

「寺刃……話したいことがある。聞いてくれ」

いつも真面目な会長の、いつにもまして真面目な声でそう呼びかけられて、会長の方を見ると靴を脱いで床に正座していた。ジンペイもベッドの上で正座になる。

「私は、寺刃がとても強くて眩しい存在だと思っていた。そんな寺刃に惹かれていた」

ジンペイは驚きに目を見開いた。今、会長が俺惹かれてたって言った?

「しかし、昨日猫として一緒に過ごして……お前も強いばかりではないと知った。そしたら、もっとお前のことを知りたくなった。一緒にいたいと思った」

会長の頬は紅潮している。その目はひたむきな輝きをもってジンペイを見つめている。目が離せなかった。

「私は……俺は、寺刃のことが好きだ。寺刃のことをもっと知りたい。俺の事をもっと知ってほしい」

「会長……俺、は、」

その時、ジンペイのスマホがけたたましくパンツのリズムを取り始めた。

思わず二人とも飛び上がる。スマホはパンツの歌を歌い始める。

二人で顔を見合わせた後苦笑して、ジンペイはスマホを取った。コマ君からだ。

「もしもし、コマ君?どうしたの?」

『朝早くごめん!でも大変なんだ、ジンペイ君!ラント君が昨夜から寮に戻ってないってクウカさんから連絡がきて……!ご飯食べたら皆で探そうって事になって……!』

「大丈夫だよ、コマ君。会長なら俺と一緒にいるから」

『えっ!?』

ジンペイはスマホをスピーカーモードにすると、会長の方に差し出した。

「コマ君、心配をかけたな。申し訳ない」

『ラント君!良かったあ、無事だったんだね……でもなんでジンペイ君のところに?』

「ちょっと色々あって……朝ごはん食べながら話すよ。悪いけど皆への連絡はよろしく」

『分かった、じゃあ朝ごはんでね』

「うん、またなー」

通話が終わると、なんともいえない雰囲気が流れそうになって、ジンペイは慌てて

「会長!」

と声を張り上げた。

「あ、ああ」

「好きだ!」

「知ってる」

「俺も会長の事もっと知りたい!付き合ってください!」

ずいっと手を差し出す。その手はすぐにとられた。ギュッと強く握られる。

「もちろんだ……お互いをもっと知っていこう」

改めて言われると、どんどん嬉しさが湧き上がってくる。ジンペイは立ち上がると、会長の頬にキスをした。昨日会長がジンペイの頬を舐めてくれたように。

会長はちょっと面食らった顔をしたあと、今まで見たことがない優しい顔で笑った。こうやって、どんどん新しい会長を知っていくんだろう。

こつんと額を突き合わせて、二人で笑った。

 

 

 

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寺刃と付き合うようになって、半月が経った。

あっという間の半月だった。

毎日が新しくて、楽しくて、今までにしなかったような喧嘩も沢山したけれど、それすら寺刃を知るためには必要だったと思える。

大きく前進するきっかけをくれたともいえるあの怨霊は、ラントが猫に変えられた夜に猫妖怪達が成仏させたらしい。朝になってラントが元に戻ったのもその影響だろう、と。

ラントは胸を撫で下ろした。寂しいとラントに訴えた、あの小さく弱々しい怨霊は、もう孤独に震えることは無いのだ。

 

 

 

 

 

「俺、会長と付き合えて毎日ところてんだ!」

「それを言うなら有頂天だ」

今日もそんな他愛のない会話をしながら一緒に帰る。時には本屋を覗き、インテリアショップを見て回り、服屋をひやかした。

ラントはあのとき寺刃が買ったものと色違いの枕カバーを買った。

寺刃はラントが贔屓する文房具店で新しいボールペンを買った。

そうやって、互いを知って得た物で、少しずつラントたちの周りは満ちていった。

 

 

 

 

 

────猫になれたら。

 

 

そう、願っていた。自分とかけ離れた、遠い遠い星に手を伸ばすような願いのはずだった。

けれど、ラントが遠くにあると思っていたものは、実はずっと近くにあった。

 

 

────もう一度、猫になれたら。

 

 

今度は暖かい陽だまりで、二人で昼寝をしたい。

ああでも、それは猫にならなくてもできるだろうか……。

 

 

「寺刃、今度の日曜の予定なんだが……」

 

 

 

 

 

 

 

 

説明
フォロワーの恵さんのツイートがきっかけで生まれた作品です。
ラント君が怨霊の力で猫になってしまうお話です。
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ジンラン

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