釣りの話 |
ひく、と。自慢の大きな耳が小さな音を捉える。その音に敵意の有無を無意識に探って―今いる場所が自分たちの棲家だということを思い出した。次いで、渋々と瞼を持ち上げて視線を横に向ける。いるはずの人影が見えなくて、大きな舌打ちを一つついた。
「おい、カイル。テメーどこ行くんだよ」
薄暗い室内でも的確に相手を探し出して、ほどほどの声量で背中に声を掛けてやる。カイルは振り返るなりシーッと指を立ててあたりを見回して、おはようと返してから、
「どこって……。えーと、釣りだけど。レイも来るか?」
爽やかな笑顔に対して、こんな明け方にかよ、とゲンナリする。そして、釣具に加えて普段の装備をしているカイルに、これは遠出だなとレイは舌打ちしてやる。
「誰が行くかよ。そうじゃねー、今日はゼクスとどっか行くとか言ってただろーが。こんな早朝だとは聞いてねーけどな」
「ああー言ってたな」
つい先日、ゼクスとどこそこに行くから何か土産でも買ってきてやるよ! 何がいい? と何度も言われていたので嫌でも覚えている。それがさ、とカイルは腕を組む。
「なんか急に仕事が入ったとかでさ、行けなくなっちゃったんだよな。まあ、ゼクスっていつも忙しそうだし、仕方ないといえば仕方ないけど」
その苦笑に、なにやらレイも勘付く。おおかた、仕事を手伝うと申し出たがキッパリと断られたのだろう。
「で、まあ……忙しいなら、魚の差し入れとかも兼ねてさ」
「ケッ、世話焼きなことだ」
「レイは来るか?」
「あ? 話聞いてたのか?」
聞いてたけど、ときょとんとするカイルに、レイは再度舌打ちをする。そんなレイを気に留めるでもなくカイルは続ける。
「なんかさ、魔獣用の釣り池? があるんだよ。手掴み限定で魔法や殺傷能力が高い技は使っちゃだめだけど」
「何がおもしれーんだよそんなもん」
心底つまらなさそうに顔を歪めるレイに、ずい、とカイルは近寄るとニヤリとして、
「魚と肉が交換できる」
「は」
レイの表情が目まぐるしく変わるのを見て笑う。
「魚が好きな魔獣はそのまま魚を持って帰っていいし、肉の方がいいっていう魔獣は捕まえた魚とキロ単位で交換できるんだ。ちょっとはやる気出るだろ?」
「早く行くぞカイル!」
いつの間にかレイの方が先に玄関に向かっている。
「そうこなくっちゃな!」
意気揚々と声を上げレイを追いかけるカイルの背に、別室の同僚騎士が寝ぼけ眼で部屋から顔を出して、お前ら朝からうるさいぞ!と怒号を飛ばした。
オルダーナ帝国の北西に流れる川をずっと北上していくと、やがては水源である広大な湖へと繋がる。途中に滝があってそこは観光スポットとして季節を問わず賑わいを見せるが、早朝というのもあってか、滝に打たれるのが趣味のもの好きな修行者や、日中にはお目にかかれない獲物を狙う釣り人が時折やってくる程度のようである。滝を通り過ぎて湖までの道のりとしては登りも降りも容易ではないが、そこは鍛えられた帝国騎士、なんなく―相変わらず口喧嘩もとい殴り合いの喧嘩をしながら―滝をさらに北上して湖へと辿り着く。
「無えじゃねーか」
あたりを見渡したレイの声に、
「ここも釣りスポットとしては好きなんだけどな……今回はここじゃないんだ」
カイルは湖の奥を指さして歩き出す。黙ってレイも後に続いた。湖から外れた道の、更にそこから森の奥深くに進んだ場所が、今回の目的地であった。人気は無いが石で若干舗装された道の先に、大きな看板が見える。近づくにつれて、デカデカと描かれた魚のイラストが嫌でも目に入った。
『オルダーナ養魚池』
湖からの水を引いて作られた人工的な池で、そこで育てられた脂の乗った新鮮な魚たちは帝国や近辺の村々にも卸されている。近くに住んでいる物好きのおかげで様々な種類の魚の養魚に成功していて、今は海水魚も適用できないかと挑戦している―とすらすら説明するカイルをレイは隣から怪訝そうに見つめた。
「こないだここのおっちゃんに教えてもらった」
「そんなこったろーと思ったぜ」
葉っぱや蔦が絡まって薄汚れた看板を見上げながら鼻を鳴らし、レイはほくそ笑む。そんな態度を受け流して、カイルは看板近くに建っている受付用の小屋へと向かった。
古くはないが建てられて幾年かは経っているであろう小屋の窓口には誰もいない。カイルはそこから室内を覗き込んでいたが、やがて裏手に回り、
「おっちゃーん! いるかー? カイルだ! 約束通りきたぞ!」
扉をノックしながら大声を上げると、少ししてから足音が聞こえて扉が開いた。ボサボサの頭をした中年男性が顔を覗かせて、声の主が誰かなのかを認識すると、日に焼けたシワだらけの顔が人の好い笑顔をパッと浮かべる。
「おお! こないだの騎士の兄ちゃんじゃあねえか。よく来たな! えーっと、ちょいと待ってな」
扉を閉めるなりドタバタと音を立てて数分後、身なりを整えて再度出てきた。
「改めて、よく来てくれた! ようこそオルダーナ養魚池へ」
「こちらこそ、誘ってくれてありがとな。でも、いいのか? 釣れたら釣れた分持って帰っていいなんて」
男は手を振って、
「いいんだよいいんだよ。兄ちゃんには世話になったしな。礼になるかもわからねえくらいさ。それに、こっちのルールも設けちまうしさ」
それから気まずそうに頭を掻く。以前魔獣に襲われているところを救われた男は、礼にとカイルを養魚池へ誘いいくらでも釣っていい!と豪語したのだが―
「やめたほうがいい」
「釣り尽くされるかもしれませんよ?」
「破綻されたら困る!」
と、カイルの同僚騎士に懇願されて養魚池での元々のルールを設けることとなった。とはいっても、養魚池でレンタルできる釣り竿を使用すること、時間制限を設けること、というものであった。
「ん? もしかしてそっちが、兄ちゃんが言ってた相棒か?」
「あ? なんだよオッサン」
「おーおー、その口の悪さと態度のデカさ、聞いてた通りだ!」
真上から睨みつけられても怖じけることなく、むしろバンバンと景気良くレイの背を叩く。
「これだけ鍛えられてりゃ、何にだって負けねえな! ヨッ! 世界一!」
ヒューッと口笛を吹けばレイは何度か瞬いてから腕を組む。
「お、おお……そうだ、オレ様は実際つえーからな!!」
機嫌良くガハハと豪快に笑うレイをカイルは呆れて見ていたが、管理人の男が隠れてウインクを飛ばすとなるほどなー、と頷いた。
そんな上機嫌であったレイだが今は、
「だーっ!!!」
大声を上げながら両手を振り回していた。雷厳禁と言い渡されているので、得意の雷撃が出せなくてイライラしているように見える。普段の彼であればそのようなルールを無視しているところだろうが、管理人の男が上手いことレイをヨイショした手前、そのルールを破ることは彼のプライドが許さないのだろう。肉のために我慢している様子を見て、カイルはリールを巻きながら感心していた。カイルの方はというと順調に魚を釣り上げており、そろそろバケツ一杯になろうというところであった。制限時間にはまだ余裕があったので、もう二、三杯くらいいけそうだなと内心頷いている。管理人の男は別の仕事があるとかでその場にはおらず、カイルたち以外に客もおらず、なんとものんびりと釣りを続けている。いや―
「下手だギャ」
「下手くそだギャ?」
「うるっせえ!! 焦がすぞテメーら!!」
レイの側の池には管理人の男から紹介された、養魚池のスタッフだというサハギンたちがレイをからかっていた。サハギンを紹介された時は驚いたが、キチンと給与―という名の現物支給―を得て働いているというのでレイだって働いてるんだしなあとカイルは納得した。
「ここをこーやってやるんだギャ」
「力任せはダメだギャ」
「……! …!」
捕らえ方も丁寧に教えてくれるので、レイも肉の手前黙りだすのがおかしくて、カイルは顔には出さずニヤついていた。
「おっ」
そうこうしている内に、またも浮きが沈む。
サハギン先生たちの教えもあってか、その後のレイは順調に魚を捕まえることができた上に、
「楽しかったギャ」
「お前上手くなったギャ!」
褒められてまんざらでもなさそうである。耳が機嫌良さげに揺れていた。勿論、捕えた魚は肉と交換した。
制限時間が過ぎてしばらくした後、管理人の男が戻ってきたのでカイルたちが釣果を伝えると素直に驚かれた。
「騎士の兄ちゃん、本当に上手いんだな! こりゃ、申し訳ねえけど話を聞いておいてよかったな」
本当にバケツ三杯がいっぱいになっているのを見て、苦笑もされた。全てを持ち帰ると言われていたので、魚を梱包するために男が準備しながら、
「で、どうする? 全部宿舎に送ればいいか?」
「うーん、そうだな……レイ! そっちの肉もちょっと借りていいか?」
「あ? チッ、しゃーねえな」
それぞれ一杯は宿舎で使うとして、残りをゼクスに差し入れすることにした。
「きっとゼクス喜ぶぞ! いいことしたな」
「貸しが一つだな」
朗らかに笑う二人を、男も満足そうに頷き眺めていた。
翌日、部屋の前に魚が入った箱と肉が入った箱が多数置かれている事を指摘されたゼクスは、
「まったく」
という苦笑と共に、朝っぱらからとは思えないほどの大きなため息をついたという。
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ラストクラウディア 小話。もちろん全てが捏造 | ||
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