ペイバック |
イライラが止まらない。
世界なんてものは下らないものだ。
俺を否定するものが、どんな優れてるって言うんだ。
いいか?本当に優れているのはこの俺で、それ以外は下らねぇんだ。
*
真夜中の住宅街を、肩を怒らせた若い男が歩いていく。
静けさを省みず、男はドカドカとやかましく歩いていた。
世間全てを馬鹿にした、自己中心的なその男の足元に、どこからか逃げ出してきた飼い犬がなついてきた。
男は足元にまとわりつく犬を見下ろし、無言で……。
男は犬の腹を思い切り蹴り上げた。
犬は声にならない声を出し、浮き上がって地面に落ちた。
程なくして、犬の口からは赤黒い血流が流れ出てくる。
恐らくは内臓破裂。
朝を迎える前に、この犬は絶命するだろう。
男は何もなかったかのように、やや蹴り上げた足を気にしながら、帰途についた。
それは溜まっていく。
*
別の日。
またも真夜中の住宅街に、男はいた。
家々の間隙を突いたかのような小さな荒れた空き地に、男は猫の餌をばら撒く。
この空き地は昼間になると、野良猫が大挙として押し寄せて日向ぼっこをする場所だ。
男はそこに、乾燥タイプの猫の餌をばら撒き続ける。
改心し、野良猫のために奉仕をしているのか?
いや、そうではない。
男は「くだらない世界の一部である野良猫を駆逐する」ために、餌をばら撒いているのだ。
そう、その餌には毒が仕込んである。
警戒心の薄い住宅街の野良猫たちは、何の疑いもなく餌を頬張り、そして死んでいくだろう。
男は闇の中、小さく笑みを浮かべた。
それは溜まっていく。
*
住宅街は騒然としていた。
静かな街並みだったのに、様相は一変。
街中で動物たちが死んでいくのである。
犬、猫、鳥。
家庭で飼われているペットから、野生動物までが次々と死んでいくのだ。
毒物を投与されたり、単純に殴り殺されたり、死因は様々。
だが自然死ではない。
それはこの街に、動物を殺して回る狂気が潜んでいることを示している。
狂気は、その日の夜も街を歩いていた。
さすがに警戒しているのか、飼い犬は皆家に入れられている。
男はジロジロ辺りを見回した。
野良猫や野良犬も、今日は見つからない。
寝静まっているのか、それとも殺しすぎたのか。
男がイライラして歩調を強めた時、それは目に映った。
一軒の家の小さな庭にある犬小屋から、ふさふさの尻尾が出ているのだ。
男は笑みを押し殺す。
音を立てないように門扉を開けて、ゆっくり男は犬小屋に近づいた。
寝静まった住宅街に、庭土を踏む小さな音が鳴る。
ナイフを取り出し、男は狂気を剥き出しに、犬に襲い掛かった。
溜まり続けたそれは、この日とうとう溢れてこぼれた。
*
ゴトン
小さな音が響いた。
駅前のスチール製のゴミ箱の底に、硬いものが落ちた音だ。
男は苦虫を噛み潰したような顔で、その音を聞いた。
血や指紋を拭き去ったナイフを、男はこっそり人気のない駅前のゴミ箱に捨てたのだが、思いがけず中のゴミは回収されていて、落下音を鳴らしてしまったのだ。
辺りを警戒して、男はせわしなく視線を動かす。
そこに動くものは何もない。
「ふん」
男は小さく鼻を鳴らし、踵を返した。
―と
「犬、猫、鳥、あわせて何匹殺した?」
背後から声がした。
「誰だ!」
声を荒げ、男は振り返る。
しかし、広がるのは闇だけ。
「おい、どこだ?どこに居る!?」
心もとない街灯の下、男は声のした方へ目を凝らす。
だが、誰もいない。何もない。
「気のせい……」
気のせいか?
言おうとした時だ。
闇の中からぬっと手が伸びてきて、男の腕をつかんだ。
「気のせいではないね」
闇の中から、黒ずくめの人間が出てきたのだ。
男はあわてて、黒ずくめを振り払った。
「もう一度聞こうか。あわせて何匹殺した?」
黒ずくめのいでたちに、手と顔だけが白く浮かびあがる。
その顔は、男でも女でもないような気がして、そのどちらでもあるかのような気にもさせた。
「なんだ、あんた。何のことを言ってる」
警戒して後退り、男は言った。
黒ずくめは人差し指を立て、小さく振った。
「君のしたことは全て割れている。よくもまぁ、これだけ溜め込んだものだね」
呆れるように言って、黒ずくめは頭を振った。
「ペイバックって、わかるかな?」
黒ずくめは男に問いかけた。
中性的な、どちらともつかない声色で。
ペイバック……。男は黙考する。
確かペイバックとは、借金を返すことや、払い戻しのことを言うはずだ。
「な、なんだよ、クソどもを殺した清算をしろってのか?」
男は思い至り、言った。
自分が殺した動物たちを、クソどもと罵り、言った。
「そう、簡潔に言えばそうなるね。君から取立てに来たのさ」
「ハッ!馬鹿にするな!」
黒ずくめに言われ、男は吐き捨てる。
「犬や猫を殺したからって、俺をどうこうできると思ってるのか?」
開き直ったのか、男は黒ずくめに詰め寄る。
「いいか?動物なんぞ殺したって、罪にはならないんだよ」
馬鹿にしたような口調の男に対し黒ずくめは「ふむ」と小さく頷き、
「程度にも寄ると思うが、人間の法というのは変わっているな」
と呟いた。
「はぁ?何言ってやがる」
黒ずくめを眺めて、男は言った。
まるで「自分は人間ではない」というような発言をした、人間を。
いや、人間のような存在を。
「だが、法などはこちらには関係なくってね」
黒ずくめはおどけるように両手を広げた。
「君は世界に悪を成した。それは償わないといけないだろう?」
中性的な声で、外見で、黒ずくめは言う。
何故だか気圧されて、男は一歩下がった。
「でも人の法で罪にならないというなら、こちらも歩み寄ろう。よし、一千万だ」
黒ずくめは言って、人差し指を立てた右手を上げた。
「は?」
「単位は……、円だったかな」
きょとんとしている男を尻目に、黒ずくめは続ける。
それを聞いて、男は腹がたってきた。
下らない世界を改善してやろうと、俺はクソどもを駆逐してきた。
それをなんだ?金を出せと言うのか?
この変な男だか女だかは、俺の弱みを握ったつもりなのか?
罪にもならんことが、俺の弱みだとでも?
しかも一千万だ?
馬鹿にしやがって!
「払ってたまるかよ、バカヤロウが!」
男は声を荒げ、懐からナイフを取り出した。
今日は刺殺と決めていた男は、ナイフを数本持っていたのだ。
一つ殺したら、凶器は交換すると男は決めている。
振り回した男のナイフは、黒ずくめの腹に突き刺さり、確かな感触が男の腕に伝わる。
とうとう俺も人を殺した。
男がそう思ったとき……。
「まったく、最後のチャンスだったんだけど、仕方ないね」
声は後からした。
ナイフは確かに突き刺さったはずなのだが、その刃先から黒ずくめは忽然と姿を消している。
そんな馬鹿な!感触だって伝わった!
男は胸中で叫ぶが、黒ずくめは確かに背後に居る。
「薄汚れちゃってるけど、君の命貰っていくよ」
黒ずくめは、男の後で小さく呟く。
「なんだと!?」
一声叫び、男は振り返った。
と、唐突に足から力が抜けて、男は地に膝をついた。
「わかるだろう?」
黒ずくめは優しく言う。
「ペイバック、だよ」
膝立ちしていた男は、顔面から地に倒れ伏し、そして……。
*
朝になり、駅前は騒然としていた。
一人の男が倒れ、死んでいるのが見つかったのである。
すぐにゴミ箱からナイフがみつかり、男が同じナイフを持っていたことから「連続動物殺し」の犯人が男であったことは陽の目を見るだろう。
好奇の目が降り注がれる中、黒ずくめも人垣の中に居た。
「世界は下らない、か。一理あるかもしれないな」
黒ずくめは小さく呟き、踵を返す。
「君みたいな人間がいるから、世界は下らないんだよ。ま、死んでちゃ聞こえないか……」
街中から住民が押し寄せてるのではないかというくらいに、人垣は増え続ける。
その流れに逆らって、黒ずくめは人垣から離れ、そしてやがて消えうせた。
ペイバック…それはまだ残っている。
世界が続いていく限り、それはなくなることはない。
終わらないのだ、ペイバックは。
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ちょっと毒っ気のあるものをぽーい。 わからんちんには空手チョップでもくれてやればいいのです。 そうなのです。 |
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