主従が別れて降りるとき 〜戦国恋姫 成長物語〜
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21話 章人(18)

 

 

 

 

その日の夜、章人と帰蝶は信長から質問攻めにされていた。いくら主家に背くことをしようとも、あの竹中半兵衛を引き抜くなどということを簡単にできるはずがないと考えていたからである。聞き忘れていた鉄砲三丁に関しては、お試し、ということで早坂隊で使うことを許されたのだった。

 

 

「でも、私も一つ気になってることがあるのよね。どうして、すぐ入らずに、頃合いを見計らってわざわざ危ないところまで待ったの?」

 

「ああ、あれか。俗に“吊り橋効果”とかいうやつでね。要は、より危ないところを救われたほうがこちらになびきやすくなる、っていう話だよ。武人でもなし、自決だっていってもそううまくできないのは自明の理。まわりはあの通りゴミクズしかおらんし、助けるのなんざいつでもできるからな。壬月と麦穂ほどの敵が殺しにかかってるとでもいうのなら話は別だが、そんなことがありえんのは結菜でもわかったろう?」

 

「要は抜く気満々で、その可能性を引き上げるためなのね……。ホント、あの子、どこまでも手のひらの上で踊らされてるだけじゃない」

 

章人の説明で納得した帰蝶は思わず嘆息をもらしていた。先を読む力が強いのは知っていたが、ここまでとは思っていなかったのである。

 

「なんと失礼なことを」

 

「さすがの手際、としか我は言えんな……。美濃攻め、お主はどう見ている?」

 

「そうさなあ……。まず詩乃を休ませる。次の段階では私とお主の執務補助に慣れさせる。それが終わったら、前に言った評定を開催するか、演習をするか、だろうな。どちらを先にするかは一長一短ある」

 

信長の問いにはそう答えた章人だった。竹中半兵衛を抜いたことが正解だったかどうか、何を任せればよいか、をまず見極めたいのだった。

 

「休ませる、とはどういうことだ?」

 

「考えてもみろ。いつ命を狙われるかもわからん、心許せる者は誰もいないところから、いきなり命の危険もない、のんびり休むことがでいる地へ来たら、これまでの疲れがどっと出るのは普通のことだろう? 期間は、10日かそこらだろうな」

 

「確かにな……。で、評定と演習はどう関わってくるのだ?」

 

墨俣築城の勲功で言った評定をついに開催するのかと思った信長であった。織田の総力を結集しなければ美濃攻めなど到底できないと考えていたため、評定の開催には大賛成なのだった。

 

「演習の場を墨俣あたりに設定してみたらどうか、ということさ。佐久間あたりに清洲城を守らせつつ、お主が見ている前で、壬月の組と麦穂の組に分かれて演習をやったら、面白いとは思わんか?

 

織田の結束を見つつ、評定で全員集めて大半を演習で出すか、さきに主要人員で演習をやってから評定を開催するか、だ。どちらもありはありだと思うぞ」

 

「我は前者をとる。どうせなら全員集めてからやったほうがあれだろう! お主曰く、常在戦場!」

 

それを聞き、心底面白いことになりそうだと思った章人であった。

 

 

「もっと休んでいてもよかったんだがなぁ。ひとまず私の仕事の裁き方を見てもらってから久遠の補助でも頼むとするか」

 

「いえ……。ひよところの二人にもやらせたいことはあるでしょうし、いつまでも私ばかり甘えているわけには参りません。かしこまりました」

 

最初の数日こそ、ほぼずっと休んでいたが、章人の読み通り、十日後には、自ら仕事をしたいと言ってきた竹中半兵衛であった。

 

「ここが執務室なのですか……?」

 

「そう。なんだかんだずっとここだ。尾張にいる間は変わらんだろうな」

 

あまりの場所に面食らった竹中半兵衛であったが、章人が仕事を始めると、場所以上に驚くことになる。美濃にいたとき、これほど見事な決裁をして、城の文官たちの陳情を仕切ることのできる人物は誰一人としていなかった。わずかに見たかつての主、斎藤道三でさえ、これだけ見事に仕切ることはできないという確信があった。

 

「早坂殿は、久遠様の補助をする私にこのような裁きをせよ、と言うのですか?」

 

「はてさて。できる範囲で構わんよ。最初から頑張りすぎるとまた疲れる」

 

本音を言えば、信長の補助をするより章人の裁きを見ていたい気持ちのほうが強かったが、そうもいかなかった。竹中半兵衛が章人の執務室を訪れるのは、信長の執務が少ないときに限られていた。

 

数日後、家中の全員を集めて評定を開催する、というお触れが信長直々に出る。そしてついに評定の日、当日を迎えることとなる。

 

「あの……。我々はどこに座れば……?」

 

「ひよところは末席だな。詩乃は……。久遠に決めてもらえ」

 

結局、竹中半兵衛は無理やり柴田勝家と丹羽長秀の次に押し込まれることになるのだった。無難に始まる……という期待を持っていた信長や丹羽長秀の思いとは裏腹に、評定は最初から紛糾するのであった。理由は単純で、森一家の当主、森可成も、娘の森長可も、副長の各務元正すら来ていないからである。

 

「森一家など来ても何か言うわけでなし、いなくていい連中! 早坂殿もそう思われますよな?」

 

「殿の招集に来ないのは、いかに森一家といえど許されざる所行! 処断して然り!!  早坂殿はどう思われますかな?」

 

信長、柴田勝家、丹羽長秀の三人が森一家に甘めであることを知っているためか、大半の武官と文官は皆、信長の横に座り、武も知もここにいる人物の中で最高である、と考えている章人に賛同してもらおうと、信長の目の前でありながら主導権争いにあけくれるのであった。

 

柴田勝家ですら、いきなりここまで揉めるとは想定していなかったため、信長自身が、これをどう受け止めるか不安だったが、章人ならば策の一つくらいあるだろうというところに一縷の望みをかけたのだった。

 

「良いか? 久遠」

 

「許す」

 

「これでは評定にならなかろう。久遠の、美濃攻めを前提とした評定の招集に無反応ということは、一般論として美濃攻めで役に立たない、ということが想定できるが、反論できる者はいるかね?」

 

柴田勝家と丹羽長秀は、「さすがに来ると思われる」と言おうか心底迷ったのだが、それは過去の経験則だけで何の根拠もなかったため、言うことができずにいたのだった。

 

「いない、とみて話を進めて良いかな? 話を聞いている限りではあるが、評定に来る来ないは別として、森一家はいなくていい、いないほうがいい、という地点では一致しているように聞こえるのだが、そこはどうだ?」

 

「間違いありません」

 

「そこは確かに一致しておりますな」

 

「ふむ……。であれば美濃攻めの前に、獅子身中の虫を取り除くのが先と思うが、全兵をもって森を潰すのはどうだ? 家老の2人は反対のようだが、家中の大半は賛成のようだ。あとは久遠、お主の判断だな」

 

正気か、と思ったのは柴田勝家と丹羽長秀だけではなかった。佐々成政ら、三若ですら、美濃の前に森攻めをやったらいいなどと言い始めるとは考えていなかった。いくら章人がいるとはいえ、森一家と本気で事を構えたくはなかったのである。

 

「森を潰してこちらの兵数を減らしては元も子もないのだが、章人。お主本当に他の案はないのか?」

 

信長としても、本気で森一家と事を構えるなどということはやりたくなかった。ただ、家中のなかに賛成論者が多いことは明らかだった。

 

「今思いつくものはないな」

 

「今、とはどういうことだ?」

 

「全兵を出して戦をするにしても、森の誰かを連れてくるにしても、今すぐは無理だろう? 兵を出すなりここに森が来るなりすれば多少は考えようもあるが、いないのではどうにもならん」

 

「よろしいですか、久遠様、早坂殿!」

 

信長と章人の話を聞いていたとある武官が、どうしても気になることができたので発言を求めたのだった。

 

「許す」

 

「構わんぞ」

 

「森の誰かを連れてくる、と仰いましたが、どうやったら連れてこられるのですか? 久遠様の招集を無視するような連中ですぞ!」

 

「森を恐れぬ家老様がそこに2人も座っているではないか」

 

信長の招集を無視する連中など、どうやっても来るはずがないと思っていたのである。それに対しての章人の回答は、皆をざわつかせるのに充分だった。

 

「お主、我々に……?」

 

「嫌か? 嫌ならば仕方ないが、家老が行っても来ないのならば、それは戦ということだろうな」

 

柴田勝家は唖然としつつそう聞いたが、章人の回答は単純明快かつ、筋の通ったものだった。殿自ら行くのでは、信長の格が下がる。それを回避しつつ呼ぶことができるのは柴田勝家と丹羽長秀の二人をおいて他にはいなかった。

 

「よし、壬月、麦穂。最低限、桐琴を迎えに行けい! そして章人、お主に一つ命を与える。この一件の全権を渡す。かわりに、森との戦を避ける策を考えるのだ。味方同士でつぶし合っても敵が喜ぶだけぞ。再度の評定は明後日。よいな!」

 

最後に信長がそう告げ、評定はひとまず終わるのだった。

 

「殿の命令は色々ありましたが、ここまで気が重くなるのは初めてですね……」

 

「全くだ。早坂殿が上手くやってくれるのを願うのみだな……」

 

森一家のところへ向かう丹羽長秀と柴田勝家は非常に憂鬱だった。平穏に終わる未来を見るのはまず無理だろうという確信すらあった。そもそも呼びにいったところでちゃんと来るのかすら謎だった。来なければ問答無用で戦を起こすというのでは、とにかく何が何でも連れてくるしかなかったのである。

 

「それなのですが……」

 

「どうした麦穂?」

 

「おそらく、早坂殿も森一家相手となると強硬派なのですよね……。」

 

かつて、木下秀吉に案内されて章人の仕事ぶりを見たときのこと。間違いなく『ゴロツキなんぞ死んだって誰も困らんだろう?』と章人が言っていたことを丹羽長秀は思いだしていた。

 

「なんだと!?」

 

「以前、ひよさんに案内されて早坂殿の仕事ぶりを見たときのことを覚えていますか?」

 

「あれか……。まずいな。これは桐琴に言ってなんとか穏便に終わるように抑えてもらうほかないか……」

 

それで柴田勝家も章人の言葉を回想していた。“軍規を守らぬクズなど軍に存在する価値もなし”確かにそこまで言っていた。森一家から最もかけ離れたものであることは疑いなかった。

 

「ちなみに麦穂、お主ならば、早坂殿と森一家の仲裁をできる可能性が、私よりまだあると思うが……?」

 

「難しいでしょうね……。まして久遠様が早まってしまった。早坂殿に全権を与えてしまった以上、口は挟みにくいです。戦を回避するといっても、森母子を討ってしまうことで回避する手もある」

 

「確かに……。とはいえ、((一対一|サシ))の勝負ならまだしも、母子まとめてかかってきたらさすがの早坂殿でも苦戦しそうな気がするが、どうなのだろうな」

 

「そこは……。まずは桐琴どのと話ですね」

 

そんな話をしつつ、気が重いながら森一家の本拠地へついた二人であった。

 

「お前らが呑まねえなんざ、よっぽどなんだろうが、しかし気にくわねえな! 自分で((殺|や))りに来るならまだしも、家老様を使いっ走りにするなんざ、何様のつもりなんだ!

 

おい麦穂、何してやがる!!」

 

「あの方を怒らせれば、桐琴どのと小夜叉ちゃんたちの首が本当に飛ぶことになりかねない。何を言われても、低姿勢でひたすら我慢して下さい。どうか、お願いです」

 

出された酒に手をつけなかったことに驚きつつ、森可成が吠えた。それに対して丹羽長秀は、ほぼ土下座せんばかりに頭を下げていた。ここで森一家を失うのはあまりに大きな損失だと考えていたため、何が何でも生き残って欲しかったのである。

 

「なあ壬月。そいつ、そんなにつえーのか?」

 

「サシならば確実にお前たちが負けるだろうな」

 

「決めた、オレは母についてく」

 

「何のつもりだクソガキ!」

 

「母一人殺させやしねーよ。各務がいりゃこっちはなんとでもなんだろ」

 

話を聞き始めた頃から、娘、森長可はそう決めていた。最悪の状況である母の戦死をむざむざ聞くより、どうなろうとも一緒にいることを選ぶことにしたのである。

 

「ったく……。気が利きすぎだクソガキの分際で」

 

 

そんな話が行われている頃、信長は章人と、配下である木下秀吉、蜂須賀正勝、それに竹中半兵衛を秘密裏に自邸へ集めていた。それに加えて、集めていることを知らなかったが、章人と話をしたくて訪れた滝川一益も一緒に加わることになった。

 

「今日の評定、率直にどう思った?」

 

「私までいていいんでしょうか……?」

 

「構わん。末席からしか見えぬものもある。ましてころは野武士としての経験もあり、詩乃は美濃の評定も知っておろう?」

 

木下秀吉が恐る恐るそう聞いたが、信長は笑っていた。

 

「開き直ったと見える。想像していたより嫌われてはりますなあ、というところだ」

 

家中の掌握で醜態をさらし、自信喪失しているのではないかと章人は思っていたが、信長は、今さらどうということもない、と開き直ることにしたのである。

 

「評定には、不満を聞いて膿を出させるという側面もなくはないですし、美濃でもあることです。とはいえ……相変わらず早坂殿の裁き方は上手いと思いました」

 

評定、といえば章人の知る言葉で「ガス抜き」という側面もあり、主君に対して諌言をしたり、目の前で色々言うことができる、というのはそれだけ風通しがいいということの裏返しでもあるのだった。

 

「あの程度で上手いも下手もなかろうて。で、雛は何をしにきたんだ?」

 

「ん〜。本気で森一家を討伐する部隊の編成なんてする気あるのかな〜って」

 

「はてさて。これは面白いことを言う」

 

「む? 雛よ。それはどういう意味だ?」

 

「あ、久遠様。兵を実際に出す人なんて果たしているのかな、って思いまして。壬月様と麦穂様は反対でした。私も和奏と犬子も、兵が半分以下になりそうだし、さすがに森一家相手の討伐兵を出したくはないです。ほかの人たちだって実際出すか、って聞かれればたぶん出さないんじゃないかな〜ってことですね」

 

滝川一益が疑問に思っていたことを説明すると、章人は頭を撫でていた。現状でそこに気づいている人物がいるというのは、信長に優秀な部下がいることを如実に示していた。

 

「ずいぶん鋭くなったな。怖い配下がそろって私も怖い怖い」

 

「子ども扱いしないで下さい……。で、どうなんですか?」

 

「そうだなぁ……。まあ、こうなった以上思い描くものがないわけではない。最初に指摘した君だけにヒント、要は助言をあげよう。ただし他言無用だぞ」

 

「なぜ雛だけなのだ!? 我にも聞かせよ!」

 

「やだ」

 

そうして滝川一益だけはその助言を受け取るが、どこが助言なのかわからず首をかしげるだけなのだった。受け取った助言は「宿老」であった。おそらくあの二人のことか、二人のうちのどちらかかを指すのだろう、とは思いつつも、迎えに行っている者たちである。何が関係するのか、全くわからなかった。

 

「評定がおわったら、また同じくここに集まるか。そのとき、今言った助言が何か教えてやるといい」

 

「雛、今すぐ教えよ」

 

「すみません久遠様。雛は久遠様より早坂殿のほうが怖いです」

 

「何だと!?」

 

「久遠より何歩も先をいってるもの、そこは仕方ないでしょう? それはそうと、久遠。明後日の評定、私も入れなさい」

 

これまでの話を聞いていた帰蝶は、どんな計略を巡らせているのか、直接見たくなったのである。帰蝶はもちろんのこと、柴田勝家ら家老の二人どころか、信長ですらうまく操るのに苦労する人物たちである。章人ならばどう相対するのか、心底気になっていた。

 

「何?」

 

「構わんぞ。ただし、発言は一切するな。久遠の横か斜めで見ているだけならば、私は何も言わん。家中でも反対する者はいないだろうさ」

 

「わかったわ」

 

そして迎える評定の日。始まる前から場はざわついていた。いかに柴田勝家と丹羽長秀が迎えに行っているとはいえ、本当に森可成と森長可が来ると思っていた者は少なかったのである。

 

信長、帰蝶、章人が同時に入場し席に着いた。そして章人は開口一番。

 

「再びの評定、皆ご苦労。ところで……。帯刀程度ならば許さんこともないが、槍まで持ってきている者が2人もいるな。皆が萎縮してしまうし、やめてほしいのだが?」

 

そう告げた。森可成と森長可が自分の愛槍を評定の間まで持ってきていることに気づいていたからである。

 

「てめぇが噂の天人様か」

 

「はて。私の命に答えてほしいのだがね」

 

覇気もなければ、目を見ても明らかに弱そうと思っていた森可成は、こんな奴相手に負けるはずもない、まして柴田勝家と丹羽長秀が言っていたような怖さもない。そのわりに偉そうな人物だと思ってしまった。思ってしまっていた。

 

このやりとりを見て、章人は別格に猫を被るのを上手いということを忘れていたと焦っているのは丹羽長秀である。高圧的に接して怒らせようという作戦にでることは考えていても、自分が弱いと侮らせる作戦にでてくるとは全く予想していなかったのである。

 

「てめえ、目が腐ってんな。一つ教えてやる。てめえみたいな奴をこう言うんだ。『君側の奸』ってな。表に出ろ。久遠様の害を取り除くのも臣下の仕事よ」

 

「ほう。良かろう、取り除いてもらおうではないか」

 

「待て章人! お主」

 

「まさか、武士に二言はなかろうな? それを殿様自ら破るのか? 生きている間は全権を寄こしているのだろうし、心配するな。悪いようにはせんよ」

 

信長ですら、森可成がいきなり章人を『君側の奸』呼ばわりして殺しにかかるとは思っていなかったため、こんな状況になるのは予想外だった。

 

「今日は清洲城の庭が良さそうだな。演武には多少狭いが、久遠の庭よりは観客は多く入るのでな」

 

「どこでもいいが、死んでから、庭が狭いだのなんだのと言い訳するんじゃねえぞ」

 

「死んだら言い訳できんだろうさ」

 

「おい母」

 

「まだ待ってろ」

 

「サシか。それはそれで良いな。どれ、取り除いてもらおうか」

 

覇気もない雑魚、そう侮っていたが、少なくとも章人の構えだけは隙がなかった。

 

「てめぇ……。猫被ってやがったのか」

 

「私は犬のほうが好きなんだがな」

 

「ふざけやがって。行くぞ!!」

 

その戦いを見ていた森長可は驚きを隠せなかった。いかに隙がない構えだったとしても、一撃入れればすぐ死ぬだろう、そう思っていた相手が、母が何度攻撃してもあっさり受け流している、ということである。それに加えて、本当にあの母が死ぬかもしれない、そういう恐怖を抱いてもいた。

 

「母の攻撃を、受けてやがる……」

 

そう呟くと、完全に隙だと思っていた背後から乱入していた。

 

「あ、ちょっと小夜叉ちゃん!」

 

それだけは一番やってはいけない行為だと思っていた丹羽長秀が、止める間もなく。

 

「母親は母親で大概だと思ったが、なかなかどうして。娘もずいぶん行儀が悪りぃな」

 

「嘘……だろ」

 

しかしそれは、あっさりと章人に受けられるのであった。

 

「一発ぶん殴って手打ちにしようかと思ってたが、しゃあなし。軽い地獄でも見せてやろうか」

 

章人はそう呟くと、これまではしていなかった、自分からの攻撃という手に出るのだった。そして……。

 

「首じゃなくて、良かったなぁ」

 

初撃を辛うじて躱した母娘であったが、二人の背中まである長髪は首までの長さに斬られていた。その冷徹な声と、これまで一切出していなかった殺意に心底恐怖を抱いていた。あの柴田勝家が恐怖を抱いたときもはるかに恐ろしい、見ている者にまで圧倒的に伝わるほどの殺意である。森母娘をして、ここまでの殺意を出す敵には出会ったことがなかった。

 

「切捨御免」

 

「な……」

 

そう言って二撃目で切ったものは、二人の愛槍であった。その立ち合いを見ている者でも、見えたのは柴田勝家らわずが数人だけである。

 

「まずは母親からいこうかね」

 

森可成の鳩尾に一撃入れた章人であった。意識は飛ばず、しかし動けない程度の一撃である。

 

「さて、君。母親にとって、親にとって一番辛いことが何かわかるかい?」

 

「何を言って……?」

 

「答えは、子に先立たれることさ」

 

そう告げると、目標を娘の森長可に変えていた。外野が「早く殺せ」という、章人応援一色になったのを確認しつつ、である。

 

「や、やめ……」

 

「逃げろガキ!」

 

なぜあの程度の一撃で、自分が動けないのかはわからなかったが、ともかくも自分の前で娘が先に殺されるのだけは避けたかった森可成だった。

 

「逃がすと思うか?」

 

その声を聞くまでもなく、敵前逃亡、という、これまで一度もやったことがないことをしようとした森長可だったが、当然の如く章人に阻まれる。無慈悲な蹴りを胸に喰らい、逃げることもできず、ただ、今殺されるという恐怖一色に支配されていた。

 

「やめ……。殺さないで……殺さ……」

 

「心配するな。母親にもすぐ後をおわせてやるさ」

 

その言葉でついに失禁までしてしまう森長可であった。このとき、母娘に恐怖を抱かせることがもう一つあった。先ほどのやりとりや、聞いていた話で主君、信長や柴田勝家らが口を出せないのは仕方ないにせよ、大半の武官も文官も章人の味方であり、自分たちを助ける者は誰もいない、という恐怖である。

 

そうして章人は、森長可へ向けた刀を無造作に振り下ろした。

説明
第2章 章人(1)

あと1話upしたら、恋姫をどうにか考えようと思っています。
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