真・恋姫無双 〜不動伝〜 孫呉
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襄陽を出て一週間とその半分。

隊商を見つけ、大陸の西方、羅馬皇室お抱えの絵師が描いた物だとしてトランプを売却することで信也の旅装を調えた。

そしてそのまま同伴させてもらい、馬の世話やら炊事係やら引き受けながら南陽郡苑城に向かう。

隊商の親方もまた、南陽郡は治安だけは良いと漏らしていた。

それ以外はどうなのかと問いたいが、旅人である信也にとっては他人事である。

道中の安全が確かのものならば、それ以上を求めるのは欲張るというものだ。

 

「だと、いう、のに、これは、どう、いう、ことだ!」

 

ガタガタと上下左右に信也たちが乗り込んでいる馬車が揺れる。

大地を駆ける馬の蹄によって土煙が濛々と舞い上がっていく。

信也たちは、荒れる馬車から放り出されないように必死に馬車にしがみついていた。

揺れる視界、激しい振動で酔ってしまいそうになる。

視線を変えれば信也たちの馬車だけでなく、商品を積んだ馬車もだ。

 

襄陽の対岸、樊城から伸びる街道と言えども、道路整備は成していない。

車輪も木材で出来たものだ。衝撃を吸収する、ゴムで出来たタイヤなどあるはずもない。

道の大小の凹凸をダイレクトに馬車へ伝えながら、馬たちは懸命に飛ばしていた。

後ろから迫る、鬼気迫った表情を浮かべる人の塊から逃げるために。

 

「は、わわっ! しゅみ、ましぇん。こうなりゅとは、思っても、なかった、ので」

 

「お、恐りゃく、野盗の、生き、生き残りが、けっ、結集、したものと、おもい、ましゅ」

 

隊商の集団より後方一里と半里(一里はおよそ四百十五メートル)から士元が述べた通り、野盗の集団が追いかけてくる。

袁術の命令による孫策の賊退治で討ち漏らした賊が南陽から離れた場所に寄せ合い、追いかけてくる数は三百を超えている。

隊商の護衛に傭兵を雇ってはいるが、騎兵十騎、歩兵四十人ばかりである。

いくらなんでも六倍の兵力差で打ち合うのは、無茶を通り越して無謀だ。

日暮れまでには到着予定だから苑城に向かうことにした。歩兵も幌馬車に乗り込んでいる。

体が軽く、馬の扱いに長けた者に早馬を任せ、苑城へ救援要請も出している。

馬がバテなければ、既に苑城に到着しているはずだ。

もっとも出撃準備に時間がかかるはずだから気を抜ける余裕はない。

商品を積み込んだ馬車が中心の隊商にとって幸いしたのは、野盗が歩兵中心だということだ。

賊側の数少ない馬も後方に控える野盗の指揮官たちが使っている。

すぐさま追いつくには先頭の集団を迂回して来なければならないから無理と見ていい。

 

「城までまだかぁぁぁぁぁ!」

 

野盗と遭遇して、既に半時を過ぎている。心情としてはもう到着して欲しい気持ちで一杯だ。

何よりももう馬車にしがみつく腕の力が弛んできている。

しかし、ここで振り落とされたら後続の馬たちに踏み殺される落ちだ。

 

孔明も士元も二人一緒に固まって目を瞑っている。

馬車の揺れがなくても恐怖で体を震わせているだろう。

捕まれば女子供は蹂躙され、男共は容赦なく斬り捨てられる。

博学な故にそのような想像は容易に浮かんでくる。

 

馬たちも荒々しい呼気をして、満載の荷台を引っ張って走る。

人目見て分かるほど体中から汗を垂れ流し、肌を切る風に乗って後ろに流れてくる。

最早馬も限界が来ていると直感した時、前方から馬蹄の音が響いてくる。

前方は苑城の方角だ。と言うことは――

 

「救援だ! 旗が見えるぞ!」

 

砂塵から見て小数部隊のようだが、見える範囲にいるのは全て騎兵。

拙速を優先して、最大速度を出せるギリギリの兵数で打って出てきたのだろう。

そして、何よりも翻る赤紫の旗。金糸で描かれた蓮を背後に浮かぶ文字は、一字。

 

「旗の文字は――孫! あの、孫策だ! 孫策が来てくれたぞ!」

 

隊商の中の誰かが歓喜の色とともに声を上げる。

これで助かったと途端に隊商の誰もが喜色を浮かべ、先程までの必死の表情が消え去る。

信也たち三人も安堵の息を吐き、駆けつけてくる救援のいる前方を見やる。

そして救援に駆けつけた孫策軍は、隊商とすれ違って賊軍へ向かっていった。

 

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          真・恋姫無双 〜不動伝〜 第四話 孫呉

 

 

 

 

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「あれが、救援を頼んだ隊商ね」

 

「そうじゃろう。後ろの賊共は……報告通り、三百と少しじゃな」

 

馬上で声を交し合うのは、百騎ばかりの騎兵隊を率いる先頭の二人。

 

江南出身だと分かる褐色の肌、淡い桃色の髪に蓮を模した髪飾りをつけている。

大陸南部の海を思わせる碧眼、額に小さく描かれた紋様。

江南の情熱を表現した茜色のチャイナドレスを身に纏い、腰に剣を佩く人物こそ――孫策、字を伯符。

 

そして、その孫策と声を交わしたのが呉の宿将、黄蓋。

旗と同じ色のチャイナドレスを着こなし、腰には大量の矢が納まった矢筒を掛けている。

右手には金色の籠手をつけ、黄蓋の愛用する大弓――多幻双弓を持つ。

 

前方およそ二里の距離に隊商の集団。双方、馬で駆けているからこの距離は瞬く間に詰められる。

軍を隊商の右に抜けるようすれ違うと、今度は一里ほど先に目当ての野盗の集団を視界に収める。

長く追い続けていたのだろう。三百もの賊軍は、縦に伸びていた。

その陣容を見て、孫策はすぐさま全軍に命を飛ばす。

 

「左軍五十騎は、このまま私と共に賊正面に突撃! 右軍五十騎は、祭と共に賊の右側面を駆けながら射よ!」

 

精鋭中精鋭の騎兵で構成された騎兵隊は、軍を右と左に綺麗に分ける。

それを息遣いだけで感じ取り、鞘から剣――伝家の宝刀『南海覇王』を抜き、孫策は頭上に掲げる。

 

「敵は所詮、烏合の衆だ! 我らの相手にもならぬ! 銘々、私に日頃の練兵の成果を見せよ!」

 

「全軍、抜刀せよ!」

 

黄蓋の言葉に左軍は剣を、槍を構え、右軍は矢を弦に掛けて弓を構える。

 

「全軍、突撃ぃぃぃ!」

 

そして、孫策の号令を受けて兵たちは咆哮を上げて、賊軍と激突する。

 

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賊軍は官軍の登場に気を取られ、足を止めたところを孫策率いる左軍の突撃を受けてしまう。

鍛え抜かれた騎兵の剣が、槍が煌めき、容赦なく賊の首を飛ばし、体を斬り捨て、貫いていく。

馬上にいる孫策軍の兵に反撃を行おうともそれより早く相手の剣が繰り出されている。

中には突撃する騎馬の体当たりを喰らい、吹っ飛ばされる者もいる。

装備など手入れもされていない剣や槍しかない上、歩兵しかいない賊軍は対応し切れず、防戦一方に陥る。

後方にいた賊も仲間が成す術もなく打ち倒される様を見せつけられ、完全に足が止まったところを今度は左側から横撃を喰らう。

 

孫策たち左軍と分かれ、右軍を率いる黄蓋は軍を縦を伸ばす。

そして弓の射程範囲に入り、尚且つ敵歩兵に追いつかれない絶妙の距離で構えさせた弓矢を射させる。

孫策たちの対応に追われていた賊軍は、突如として降りかかる矢の雨をその身で受け止めるしかなかった。

体中に矢羽を生えさせた屍骸が出来上がり、ますます賊軍は恐怖の底に陥る。

 

唯でさえこの集団は、孫策軍によって討伐された賊の生き残りだ。

孫策軍の恐怖を誰よりも骨身に沁みて分かっている。

その恐怖を思い出した賊軍は、後方に控えている指揮官の抗戦の命令を無視して一人、また一人と戦場――いや、処刑場を離れていく。

しかし、半時以上もの間走り続けていた賊が逃げ切れる体力は残されていない。

賊の動きが鈍いことに気付いていた孫策は軍をさらに二分し、追撃にかけさせる。

黄蓋も二分し、追撃部隊を放ち、自身は残った騎兵と共に後方へと回り込む。

 

すっかり撤退の時機を見逃した指揮官たちは、孫策と黄蓋の部隊に囲まれてしまう。

彼らもまた目の前の獲物に目を奪われて、まともな判断力を失っていたことが最大の原因だ。

そして、囲いの後ろから現れるのは、血が滴る南海覇王を握り締めた孫伯符。反対側からは、多幻双弓を構える黄蓋。

最早抵抗は無意味と悟るや否や、馬上から降りて土下座をし降参し、命乞いをする。

その姿に孫策は、笑顔を浮かべる。それを見た賊の指揮官たちは、助かったと安堵した。

その時だ。安堵して、頬の肉を弛緩し切った指揮官の首が飛んだのは。

首の断面から噴水のように血が一瞬噴き出し、血の流出が収まるとぐらりと体が頽れる。

目の前に起こった光景にただ呆然と眺める賊の副官たち。そして、そのことを理解した時にはもう遅かった。

僅か十人足らずの賊――それも降参して、無防備状態の――を、孫策は瞬く間なくその首を打ち落とした。

こうして孫策軍と賊軍の衝突は、賊軍の壊滅と言う孫策軍の圧倒的な勝利で幕が下りた。

 

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さて、何故このような状況に成ったか。状況を整理する。

 

孫策を恐れ、略奪行為を控えていた賊だが、確立された補給などなく兵糧が日々減っていく。

遂には馬も屠殺し、仲間にすら手を掛け、食い扶持を繋いできた。

そこに降って湧いてきたのが、信也たちが同伴する隊商の一行。

目の前に人参をぶら下げられた馬の如く、賊は隊商の一行に飛びつく。

護衛の兵がいても僅か五十ばかりだ。こちらが六倍もの数を有していると知れば、猛然と襲い掛かった。

官軍――孫策軍が現れる前に略奪を終わらせて逃げ出せば、再びまともな食事にありつける。

自分たちの生き死にが懸かった、この襲撃はどうしても成功したかった。

 

しかし、一向に隊商は捕まらない。

歩兵ばかりと言えども、多くの商品や召使いを乗せた馬車は速くない。

応戦するかと思った護衛の兵も誰一人武器を構えることもなく、隊商と共に逃げていく。

数の恐怖に駆られた行動にしては違和感があったが、賊たちにとってどうでも良かった。

今は隊商を捕まえ、奪えるものを徹底的に奪う――それしか頭になかった。

 

それを見越していたのが、隊商に同伴する小さき軍師の卵の二人『臥龍鳳雛』。

賊の構成が、数騎を除いて全て歩兵。街道に隆起はなく、平坦としている。馬を歩かせる速度で苑城まで数時の距離。

賊の鬼気迫った雰囲気を感じて、孔明と士元は現状においての最良の手を生み出していく。

そして生み出された計略が、三十六計の最後の一計、走為上だった。

だが二人の軍師は、さらに先を見ている。

ただ逃げるだけではない。それだけならば、兵法を齧った者ならば思い付こう。

後の禍根を断つためにさらに色々と工夫を組み込ませている。

 

無理に相手をするよりも尻尾を巻いて逃げることで、俄然攻め立てる気を煽る。

孫策の活躍によって追い詰められた賊軍ならば、またとない好機と見て、視界に収まっている限り追い続けてくる。

そして早馬を出すことで先に救援を要請し、官軍を引き出して賊を今ここで討伐させる。

ひたすら走らされた賊はまともに打ち合うことも出来なくなり、官軍の勝利を確実のものへとさせる。

 

また、追いつかれそうならば商品を捨てて、馬の負担を減らして速度を上げる。

賊も捨てられた商品を無視することも出来ない。

兵糧でなくても売れば金になるし、そこから食事にありつける。

一つ一つ落としていくことで賊軍を寸刻みにしていけば、対等にやり合える状況に持ち込める。

また隠れ蓑になれる場所も見渡す限りないため、伏兵の可能性に怯える必要もない。

 

ちなみに信也は、策を編み出す二人の傍に突っ立ったままで手出しが出来ない。

隊商の頭に策を伝える時に元直から預かった剣を突き立てて、恐喝に近い形で実行させることにした。

もっとも頭を丸め込めたとしても手足もそう簡単に従う訳ではない。

軍師として最高峰の実力を持っていても、所詮は小さな子供が言い出したこと。

特に契約で定めた金だけの関係である傭兵からしたら、そこまで愚直に従う義理はない。

契約を無視して逃げ出すことも出来たが、孔明の鶴の一声で全員孔明たちの策に乗ることになった。

 

曰く、苑城には孫策がいると。

 

曰く、今まで賊退治をしてきた孫策ならば、この救援要請を断ることはないと。

 

流石に孫策の名を出されると成功するかもしれないと言う想いが生じる。

そこを信也が機転を働かせ、付き従った兵に対して金一封を出すと約束する。

トランプを売って出来た路銀が大量に残っていたからこそ可能だった。

そうなると後は一人乗れば、芋づる式に乗ってくる。

そして、隊商の全員の協力を取り付けた信也たちは、逃走劇へと身を投じるのだった。

 

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孫策軍とすれ違った隊商は、萎んだ風船のように一気に気が抜けて足を止めていた。

これ以上走らせれば、馬が倒れかねないという理由もあった。隊商にとっても馬は大事な足だ。

全員が息をついている中、酔いが回った体に鞭を打って、信也は後方で行われている一方的な虐殺を眺めていた。

 

「あれが、孫策……孫伯符か!」

 

あっという間だった。いくらかの高名な孫策でもあの程度の兵数では手こずるのではと思っていた。

だが、信也の想像を遥かに超えて、いとも容易く賊を蹴散らしていく。

『江東の小覇王』、『江東の麒麟児』と謳われることになる、孫策の武勇は圧倒的だった。

 

「だけど、あそこまでやる必要はあるのか……! いくら賊だからって同じ人間だろ!」

 

だからとは言え、孫策軍の行動に納得は出来なかった。

理屈としては理解出来る。心の方が認めようとしない。

確かに相手は力なき民たちに対して暴虐を働いた。

いくら生きるために仕方なく賊に身を落としたと言っても言い訳にもならない。

無論、中には自ら望んで賊になった者はいよう。己の欲望のためだけに略奪し尽くした人間もいる。

そういう人間ならば死刑になろうとも心にも思わない。当たり前だと思える。

だからこそ罪は、裁かれなければならない。ではないと国家として、人間社会として成り行かなくなる。

 

しかし、今逃げ散っていく賊たちはそこまでの裁きを受けなければならないのか。

酌量余地があるのではないのか。彼らには更生する機会も設けられないのか。

人としての尊厳すらも守られず、ただ狩られるように殺されるしかないのか。

全ては、現代日本で育ってきた信也だからこそ孫策の行動には納得が行かない。

ギリギリと歯を噛み締め、両の拳を真っ赤になるまで握り締めて、裡にこみ上げてくる怒りを抑える。

 

「不動さん……」

 

怒りに体を震えさせる信也の様子を見て、孔明と士元はただ呟くしか出来ない。

信也の暮らしてきた世界を少なからず見聞きしてきた二人は、懸念があった。

この世界とは違って数十年戦争から離れていること。司法制度が整い、罪人にも人権が確保されていること。

二人にとっては夢の如き世界観を生きてきた信也が、この世界の世界観を受け入れるには余りにも優し過ぎる。

旅の途中でこのような目に遭う可能性は無くもあらず。その時に信也が耐え得るのか心配だった。

 

「彼らは飢えた獣だ。躾のならん獣は、被害が出る前に仕留めるのに限るだろう」

 

信也たちの後方から一人の女性が現れる。

長く伸ばした黒髪に眼鏡をかけて、知性を窺わせる萌黄色の瞳。

大きく開いた胸元から臍の部分を見せる扇情的な服装に、ついつい孔明と士元はまじまじと見つめてしまう。

常の信也もエキゾチックな蠱惑を見せつける女性に目のやり場を困らせるが、生憎今はそのような心情ではない。

傍から見れば不敬の目をやる信也の態度に周囲の空気がピリピリと緊張してしまう。

その女性が率いてきたのだろう、新たな騎兵百騎も信也の不遜な態度に静かな怒りを醸していた。

 

「あんたは?」

 

「ほう、助けてもらいながらその様な態度が出来るとはな」

 

「助けてもらったが、これとあれとは別だね。で、あんたは誰なんだ」

 

「納得行かないという顔だな。まあいい。私の名は、周瑜。孫策に仕える軍師だ」

 

女性――周瑜は、髪をかきあげて名乗る。周瑜の名を聞いて、孔明も士元も驚く。

二人は、孫策と断金の交わりを誓った名軍師がいるという話を聞いている。

その軍師が、今目の前にいる。同じく軍師を希望する二人にとっては雲の上の存在だ。

 

「周瑜――ああ、『美周郎』か」

 

「幼い頃は周郎と呼ばれていたが、『美周郎』か。中々むず痒いものがあるな」

 

信也が周瑜の名前を聞き思い出して呟いた渾名に、周瑜は言葉とは裏腹に余裕の表情で受け止めた。

 

「なあ、『美周郎』に聞きたい」

 

「ほう、なんだ?」

 

「あそこまで一方的にやる必要はあるのか?」

 

「さっきも答えたが、躾のなってない獣はただの危難でしかない。

 危難を取り払うのは、為政者として民を守るために必要なことだ」

 

周瑜は、淡々と答える。その態度を見て信也は我慢ならず、激昂する。

 

「だから、相手の事情も顧みないってか!? あの中にも望まずしてああなっちまった奴もいるだろ!」

 

「確かにそうかもしれんが、だからと言って罪を犯した者を見逃す訳にもいかん」

 

「それは分かる! 俺が言ってんのは、更生する機会も何もないのかってことだ!」

 

信也のその言葉を聞いて周瑜の眉がピクリと動き、見る見るうちに険しい表情になる。

 

「更生だと? ならば、奴らによって殺された民たちはそれで納得するのか?」

 

「そ、それは……」

 

周瑜の纏う雰囲気がガラリと変わる。軍師としての冷静沈着さを捨て、激情の炎が猛る覇気が滲み出る。

孔明と士元と違って、孫堅の代から孫家に仕え、既に戦の経験もしている本物の軍師だ。

身に纏う覇気は、平和な世界を生きてきた人間では出すことも出来ない、乱世の英傑としての凄味を持っていた。

それを正面から受け止めてしまった信也は気圧され、知らず知らずに一歩後退してしまう。

孔明も士元も二人の論争に口を挟む余地がなく、ただ信也の後ろでうろたえるだけだ。

 

「老人は足手まといだとばかりに切り殺され、男は見せしめに嬲り殺される。

 女は慰み者になって陵辱され、子供は奴隷として売り飛ばされる」

 

「う、ぐ」

 

「そんな民に賊共を更生させたから許してやってくれだと? 甘いにも程があるぞ。

 少年、お前がどんな人生を送ってきたのか知らんが、そのままだと――」

 

周瑜はそこで一旦、言葉を切る。それでも鋭く射抜くような視線は、信也の両眼を捉えて離さない。

信也もその視線に耐え切れず、ぐらりと体が揺れて膝をつく。息も荒くなり、動悸が激しくなってきて体も熱い。

そんな信也の様子を気にもかけず、周瑜は止めの一言を刺した。

 

「死ぬぞ。この乱世においては」

 

慈悲も容赦もない絶大な一言は、完全に信也の心を打ち砕いたと周瑜は思っていた。

しかし、信也は両手すら地につけていたが、目に宿る火だけは消えていない。

 

(ほう。打ちのめしたと思ったが、意外や意外。中々骨があるじゃないか)

 

「あっれ〜。冥琳、やっと来たの? もう私たちだけで終わらせたわよ」

 

信也の後ろにいる孔明と士元のさらに後ろ。明るい声を響かせるのは、つい先程まで賊の討伐に出ていた孫策だった。

既に南海覇王は腰の鞘に収められ、代わりに何かを握っていた。

 

「雪蓮。また勝手に飛び出していって、自分の立場と言うのが分かっているのかしら?」

 

「うっ。で、でも、おかげで隊商は無事だった訳だしね」

 

「ああ、そうだな。急いで部隊を纏めて来てみれば、もう終わっていると来た。ここまで軍師泣かせのことはないぞ。」

 

「だって賊の奴ら、なんかヘトヘトで手応えすらなかったもの。久々に腕が鳴ると思ったのに白けちゃったわ」

 

孫策は溜め息を吐いて、肩を落とし周瑜の傍まで行く。その時孔明と士元が声を上げて、軽く体を引く。

信也も手を口に当てて、催した吐き気を押さえ込もうとする。

 

「あら? 驚かせちゃったかしら?」

 

孫策の影に隠れて見えなかった手の物は、賊を率いていた男共の首だった。

孫策は髪を掴み、ぶら提げていた首を持ち上げる。

 

「どーせ、持っていっても報酬なんて期待出来ないけど、嫌がらせのお返しにはなるでしょ」

 

袁術の怖がる姿でも想像したのか、孫策は妖艶な笑みを浮かべる。

 

「ところで、そっちの男の子はどうしたの?」

 

孫策は地面に手をついた信也の姿に指差して、疑問を口にする。

孫策の疑問に周瑜は素っ気無く返す。

 

「ちょっと、甘ったれた思想を打ち砕いてやっただけだ」

 

「冥琳が言うと、ホントのことに聞こえるから怖いわね」

 

おどけてみせる孫策。しかし、当の信也はそれどころではない。

激しく馬車の上に半時以上いたおかげで気分が崩れ、車酔いと同じ症状に陥っていた。

そこを周瑜に威圧する覇気を浴びせられ、孫策の持つ首から漂う血の臭いに吐き気を催している。

孔明と士元も信也の様子に気付き、信也の背中を摩り始める。

手を当てて必死に飲み込もうとするが、初めて嗅いだ人の死を実感させる血臭に遂に我慢の決壊が来る。

 

「ええええ!? この子、吐いたわよっ!」

 

「「ふ、不動さん!!」」

 

込み上げてきた胃の内容物を耐え切れず、信也は地面に吐き出す。

地面についている手が汚れるのも構わず吐瀉物を吐き出した信也は、気力が切れて意識を落としてしまった。

 

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「……むあ」

 

見知らぬ部屋の寝台で寝かされていた信也は、寝ぼけ眼で目が覚ました。

一瞬水鏡宅の客室かと思われたが、部屋の調度品の装飾が違っていることで違う部屋だと気付く。

 

「……ループって怖くね?」

 

倒れたと言うのにボケる辺り、今回は余裕があるらしい。

意識が失う前のことを思い出し、慣れないことをしてしまったと自嘲する。

信也は体を起こし、寝台から足を下ろしたところで部屋に誰かが入ってくる。

 

「あ。起きられたのですね」

 

「えーと、あんたは?」

 

「私は、孫策様の館で働く給仕です。お連れの方をお呼びしますね」

 

「あ、よろしく頼む」

 

信也の容態を見ていた給仕から出た言葉を聞き、ここが孫策の住まいだと理解する。

目の前で吐いてしまったから態々ここまで運ばれたのだろうか。

酔いはなくなっているが、まだどこか重さが残っていて思考は鈍い気がした。

信也にとってはほんの僅かな時間だったが、どうやらそれなりの時間が過ぎていた。

扉から声がかかり、入ってきたのは、孔明と士元の二人だった。

 

「不動さん。大丈夫ですか?」

 

「悪い。心配をかけた」

 

「そ、そんなことないです。私も気分が悪かったですし」

 

顔の前に両手を合わせて謝る信也に士元が取り成す。

二人から感じ取れた感情が心配の色だけだと分かると状況の説明を求める。

 

「あの後にですね、信也さんが意識を失ったので、孫策さんのところにいるお医者さんに見せることになったんです」

 

「周瑜さんが『私にも一端がある』と言って、取り計らってくれたんです」

 

「周瑜が、か。いや、でもよく無事で済んだもんだ」

 

うんうんと唸る信也に孔明が叱責する。

 

「無事で済んだ、じゃないです! 普通、あそこまでしたら斬首の可能性もあったんですから!」

 

「うおっ。はい、すみません」

 

孔明が小さな体で精一杯怒りを表現するように頬を膨らませ、そっぽ向く。

士元も孔明の言い分に首をコクリと頷き、信也に対して批判的な視線を向けていた。

 

「いや、ホント悪かった。御免なさい」

 

二人の怒りが本気だと感じ取った信也は、この世界に来て身につけた『一秒土下座』を敢行する。

 

「孔明様、士元様、この通りです。平に平に〜」

 

「はわわっ。分かりました! 分かりましたから止めてください」

 

目上の人間に土下座をされるというのはどうも落ち着けない。

孔明も多分に漏れず、慌てて信也の頭を上げさせる。

 

「あう。不動さん、意地悪いです」

 

士元に弱々しく悪態を衝かれるが、信也は視線だけで謝ることにした。

 

「でも、周瑜の言葉にはまだ納得しちゃいないぞ。あくまで今回の勝ちを譲ってあげただけなんだから!」

 

「……不動さん、気持ち悪いです」

 

「そこは『ツンデレかよ!』と突っ込んで欲しいところだぜ」

 

ボケてみたが、孔明と士元は白い目で信也を見ている。

ツンデレという言葉がない以上、そんな突っ込みを要求するのが酷である。

そこに扉が開き、先程の給仕が入ってくる。

 

「諸葛亮様、鳳統様。孫策様方々がお呼びになっておられます」

 

「は、はい。玉座の間ですね?」

 

「左様でございます。ご案内しましょうか?」

 

「いえ、先程までいたので大丈夫です」

 

孔明が給仕の申し込みを断ると給仕はすっと引き下がり、部屋から出て行く。

 

「さっきまでいたって?」

 

「私たちが仕掛けた策について聞かされていたんです」

 

「あー、ちょっと可笑しいとか思われたのか」

 

「は、はい。賊の抵抗が余りにも弱かったので親方さんが話を聞かれ、それで私たちのことを知って」

 

信也は話を聞き、納得する。

この時代、計略を練られるということは智を持つということだ。そして、智を持つ人間など数が知れている。

もしかしたら、二人を引き抜こうと言う思惑があるのかもしれない。

 

「……なあ、俺もついていってもいいか?」

 

「え? でも、まだ目が覚めたばかりですし」

 

「なあに、酔いはもう醒めた。それにここまで運んでくれた孫策に礼を言わなきゃ失礼だろ」

 

そう言われると断る理由が見当たらない二人は、信也を連れて孫策たちが待つ玉座の間に向かう。

 

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孔明と士元に連れられ玉座の間に入り込んだ信也は、前方の玉座にいる三人を見つける。

小高い玉座の前まで歩き、ようやく三人の顔がよく見えた。

 

「あら、そこの少年。もう歩いても大丈夫なのかしら?」

 

孔明と士元が連れてきた信也を見て、孫策は軽い対応でコミュニケーションを取る。

横に侍る二人――周瑜と黄蓋も信也の姿を確認して、囃し立てる。

 

「ほう。あの孺子が、公謹に噛み付いた孺子か」

 

「噛み付かれてもいませんよ。降り掛かる火の粉を払ったまで」

 

「…………」

 

一方、信也は微動だにしない。孫策たち三人を見つめながら硬直している。

 

「「不動さん?」」

 

二人は信也の様子に首を傾げる。呼びかけてみても反応がない。

 

「って、ちょっと、しょうねーん。何か言ってくれないと困るんだけど?」

 

「ふーむ、何やら儂らを見て固まってるようじゃが」

 

流石に反応が返ってこないとやり辛くなった孫策と黄蓋は、どうしたものかと困り顔になる。

 

「お……」

 

反応しない信也がようやく口を開き、何かを呟こうとする。

孫策も黄蓋も信也と周瑜との論争を聞いているだけに何を言い出すのか、興味津々だ。

周瑜に敗れたと言えども、そもそも周瑜に口答えする気骨ある人間自体をまず知らない

そのために変な風に期待されてしまっている信也との会話は楽しみだった――のだが。

開かれた第一声は、場を思いっきり固まらせるものだった。

 

 

 

「おっぱいのトリプル役満やぁぁぁ!!」

 

 

 

「「「「「…………」」」」」

 

 

 

拳を頭上に突き上げ、声高々と絶叫する信也。

よくよく見れば、突き上げた拳は力を入れる余りにプルプルと震えている。

そして、最初に動き出したのは孫策側だった。

 

「ぷっ。やっだー。いきなり何を言い出すかと思えば……うぷぷ、あー面白ーい」

 

「なるほどのう。儂らの胸に見惚れておったのか。まだまだ儂も捨てたもんじゃないのう」

 

「はあ……」

 

信也の言葉の後半は意味を理解出来なかったが、『おっぱい』という単語と信也の行動から本能的に意味を感じ取った。

現代なら間違いなくセクハラと呼べる行為も孫策と黄蓋は笑い飛ばす。

周瑜は溜め息をついて、やれやれと肩を落とした。

 

しかし、孔明と士元はそうではない。初めて聞いた単語だが、しっかりと意味を感じ取っていた。

二人して自分の胸を見る。外側に膨れ上がったスカートの裾があるが、足元が見えたはず。

 

「不動さん……」

 

「はっ!」

 

孔明の呼びかけと何よりも二人から放たれる怒気を当てられ、自分の世界に逝っていた信也は反射的に還ってくる。

 

「ま、待て! 話せば分かる! 俺の国だと『おっぱいは真理』という言葉があるんだ!」

 

「そうなんですか……」

 

信也は弁明するつもりが、さらに墓穴を掘ってしまった。

二人の反応を見て、なんとか取り繕うとする。

 

「って、違う違う! 間違えた! 本当に言いたいのはこっち! 『可愛いはせい――ごふっ!」

 

『可愛いは正義』と身も蓋もないことで取り繕うとした信也の鳩尾に孔明のコークスクリューが決まる。

腰を落とし、全体重を乗せた拳が、無防備に晒されていた信也の鳩尾に打ち込まれたのだ。

無意識のうちに行われた一連の動作は、小さな体と思えぬほど重い一撃となり、信也の膝を折らせた。

 

「不動さんは、胸が大きい人が好きだとよーく分かりました。行こう、雛里ちゃん」

 

聞く耳持たずといった感じに踵を返す孔明に士元もついていく。

孫策たちに呼ばれたことも忘却する辺り、二人の琴線に触れたのは間違いないようだ。

そして、床にのた打ち回る信也が孫策たちの前に置いていかれる形になった。

 

「おーい、少年。大丈夫? またお医者さんかしら?」

 

「うむ。中々いい踏み込みじゃったしの」

 

「いや、先に聞きたいことがある」

 

「冥琳?」

 

弛緩した場の空気に似合わず厳しい表情をした周瑜に孫策は顔をきょとんとさせる。

 

「あんな一芝居を打って、私たちと話したいことはなんだ? 少年」

 

「ぐ、ぐふぅ……な、なんだ。バレてたか? 流石『美周郎』だな」

 

信也は、まだ腹を押さえながらもよろよろと立ち上がる。

だが、先程の一連の流れを芝居だと言うのには否定しない。

 

「……へえ、冥琳の言った通りに中々食えない奴ね」

 

孫策の口の端が吊り上り、目を細める様は虎を連想させる。

 

「公謹に噛み付いたぐらいじゃからの。孺子、名はなんと言うのじゃ」

 

「不動。不動信也だ」

 

「不動信也? 姓が不、名が動、字が信也ということかしら」

 

孫策たちにとって聞き慣れないニュアンスで発音された信也の名前をそう誤解する。

しかし、信也はその誤解をあえて直させないままにした。

 

旅に出る前に天の国の出自だということは伏せることにしたのだ。

小さき軍師によれば、天上人だと吹聴すれば『天の御使い』の耳に入るかもしれない。

だが、狂言師だと間違われて獄中に入れられる可能性もある。

中には信也の持つ知識を悪用しようとする者も現れかねないという判断だった。

 

「ならば、不動に訊く」

 

周瑜が眼鏡を持ち上げて問い質す。その瞳にはいかなる嘘も逃さない鋭利な輝きがあった。

 

「はいよっと」

 

「あの二人から聞いたが、何でも襄陽からここまで来たらしいな。

 このご時世に一体何のために旅に出ている?」

 

「あの二人からは伺ってないので?」

 

「勿論、聞いた。しかし、お前のことは聞いてないからな」

 

周瑜は腕を組み、肩を竦めてみせる。孫策と黄蓋は、傍観に徹する構えのようだ。

 

「俺の目的は、二人を仕えるべく人の下に送り届けることだ。

 あの二人には賊に襲われて、怪我して倒れてた俺を助けてくれたんでな。

 その恩を返す意味も含めて、あの二人の旅に同行している」

 

嘘ではない。主目的ではないが、こちらの目的も信也にとって大きな目的だ。

 

「ほう、成程な。なら、二人の仕えるべく君主とはどういったものだ?」

 

「この乱世を取り纏め、民たちのために心血を注げる人間だな」

 

「へぇ、私たちがぴったりじゃない。だったらあの二人は私たちが勧誘しようかしら?」

 

信也の言を聞き、孫策が割り込んでくる。口調は軽めだったが、その表情は冗談を語る表情ではない。

孫策もこの乱世を天下統一という手段を以って、民に平和を約束するのが目的だからだ。

 

「私も考えていたところだ」

 

周瑜もまた孫策の提案に乗り、妖艶めいた笑みを浮かべる。

黄蓋は腰に両手を当てて、興味なさそうにしている。

 

「水鏡塾の出門と言ったかの。そこまで凄いのか。その水鏡とやらは」

 

「黄蓋殿。水鏡――司馬徽殿と言えば、この荊州の武官、文官、学者全てに序列をつけた者ですよ。

 人を見る目が素晴らしく人物評の名士であり、同時に自身も深い見聞をお持ちの方だ」

 

「なんじゃと! ならば、儂らのことも当然知っておるのか」

 

「ええ。彼女が下す人物評は、公平無私。腹心のある部下を探るにはうってつけと言える」

 

周瑜は自身の陣営のことをジョークにして答える。

そして、信也は苦虫を噛み殺したような表情をする。

 

「孔明と士元を引き込むことで、水鏡先生との繋がりを持とうということか?」

 

「そういうことだ。我々が独立を果たす時、司馬徽殿を引き込めていれば、そこから有望な人間を紹介してもらえるだろう。

 そうすれば孫呉にとっては国力強化に相まって、将来の安泰がより確実となる」

 

周瑜の言は一理ある。国を支える上で有能な人材は、喉から手が出るほどだ。

だが、人材と言うのは簡単には見つけ出せない。

ましてや、袁術の客将として身動きが取れない孫家にとって火急の懸案だった。

目立った人材登用を行えば、袁術側にいらぬ疑いを持たれてしまう。

しかし、孔明と士元ならば侍女や給仕として雇えば、誤魔化せることは可能だ。

そして独立を果たし、孫呉の骨組を作る際に登用する人材が、水鏡が推挙するほどの人材ならば大いに期待出来よう。

荊州以外にも広い名士ネットワークも持つため、情報源としても期待出来る。

 

「二人がそれで納得するならいいけどな。でも、もしだ。

 無理矢理にでもこの地に押し留めようとするのならば、俺が許さないぜ」

 

その気になっている周瑜に対して、信也は釘を刺す様に指を向ける。

二人のことを考えると二人の旅はここで終わりではない。

史実の通りならば、孔明と士元が仕えるべく君主は劉備しかいない。

この世界の劉備を見るまでは少なくとも旅を続けさせたい。

もし二人が劉備に惹かれるものがないのならば、二人が納得行く道を決めさせたい。

納得と言うのは、誇りを持つ上で重要なキーパーソン。納得なき誇りなど誇りにあらず。

 

「この私にまだその様な口を聞けるとはな」

 

「納得ってのは、大事だ。納得出来ないのならば、前に行くことも後ろに戻ることもままならねぇ。

 命の恩人をそんな風にさせることは絶対に出来ない。何が何でも阻止させてもらう」

 

初対面では周瑜の覇気に呑まれる形だった信也だが、今は歴戦の勇将、智将を前に一歩も遅れを取らない。

周瑜に睨みつけているが、発される気は孫策と黄蓋にも向けられている。

三人が信也を黙らせることは実に容易い。不敬罪として獄に入れることも出来れば、今この場所で首を取れる。

だが、このままでは信也の意志の前に屈服したことを認める形になる。

孫呉の王家としての誇りが、一介の若者に貶されたままではいられない。

 

「冥琳、いいんじゃない。今回は、この不動って子の顔に免じて見逃してあげましょ」

 

「しかし、人材強化の絶好の機会よ。孫策殿」

 

「だからって無理強いをさせるのは、孫家の誇りに泥を塗ることよ」

 

「そうか。ならば致し方ない。今回は見送るとしよう」

 

孫策があっさりと諦めると周瑜も身を引いた。

 

「面白い孺子じゃな。儂らを前に啖呵を切れる者など中々いないぞ?」

 

信也は肘を張って、自身の胸に手を当てる。

 

「『名は体を表す』って言葉がある。俺は、それを愚直に実行したまでだ。

 我は、不動の信義也(なり)。故に不動信也は、不動信也足らしめる」

 

「ほう、既にその名自体が真名となる訳か……うん? お主は真名を持たぬのか?」

 

「俺は辺境の生まれなんで、真名なんて物はないんだよ」

 

「ふむ、通りで聞き慣れぬ名じゃった訳か。まだまだ世界は広いということじゃな」

 

サラリと嘘を吐く信也だが、黄蓋は納得したようにうんうんと頷く。

その時、玉座の間に誰かが入ってくる。

頭の上に冠を載せ、鼻の上にちょこんと載せた丸眼鏡が可愛らしい。

腕を覆い隠す長い裾をした服を着込み、白いニーソックスを履いている。

そして、何よりも孫策たちに負けず劣らずの立派な胸をお持ちだった。

 

「呉の人間は化け物か!」

 

思わずそう叫ばざるを得ない。男として女性の胸は無視出来るはずもない桃源郷。

そんな物が殆ど布一枚で隔てているだけの格好は、思春期の信也にとって凄まじい凶器だ。

 

「あの〜、こちらの方はどういった方で」

 

「救援を願い出た人たちがいたでしょ。その中で計略を張り巡らせた子たちの付き添いで、吐いて意識を失ってた子よ」

 

「そう言えば、お医者さんを呼びに行かせましたねぇ。成程、この人のためだったんですねぇ」

 

納得したのか、のんびりとした雰囲気を醸し出す少女はポンと手を叩く。

 

「穏、何かあったのか?」

 

「はい〜、実は早急に冥琳様の目に通してもらいたい案件がございましてぇ」

 

「そうか。ならば、執務室に戻るとしよう」

 

「じゃあ、私は袁術ちゃんのところに行って、賊退治の報告をしてくるわ」

 

「儂は、部屋に戻るとするかの」

 

周瑜が玉座の間を後にすると孫策も黄蓋もそれに続いて去っていく。

後に残されたのは、信也と穏――陸遜だけ。

 

「あの〜、お名前を伺ってもよろしいですか」

 

「あ、ああ。不動信也だ。あんたは?」

 

「私は、姓は陸、名は遜、字は伯言と言います〜」

 

ニコニコと笑みを浮かべ、のほほんとした雰囲気の陸遜にテンポを狂わされる信也。

陸遜は、そんな信也のことをお構いなくに話し立てる。

 

「不動さんは、あのお二人の付き添いと言ってましたが〜」

 

「ああ。二人を仕えるべく君主の下まで届けるためにな」

 

「それじゃあ、その後不動さんはどうするんですか〜?」

 

「そりゃあ、故郷に帰るさ」

 

「そうですかぁ。このご時世ですもんね〜。帰って、親御さんの不安を消してあげないと」

 

「ま、まあね。じゃあ、俺は二人を探しに行くから」

 

信也は余りにもやり辛さを感じて、つい逃げるようにこの場を去ってしまう。

一人残された陸遜だが、ニコニコとした笑みを消して、軍師としての引き締まった顔になっていた。

 

「雪蓮様たちを前にしてのあの啖呵、機転を働かせる智謀……意外と掘り出し物かも知れませんねぇ」

 

玉座の間に入ったのはつい先程だが、実は孔明と士元が去った後に玉座の間の前まで来ていた。

見慣れない人間――信也が、孫策たちを前にして言葉を交わしていたために入るタイミングを見計らっていた。

 

孫策たちは孔明と士元の二人に興味を持っていたが、陸遜は違った。

信也のことは、周瑜に対して論争を仕掛けたこと、孔明と士元の策が実行されるために利かせた機転も信也が寝ている間に聞いている。

周瑜に論破された後だというのに再び前に立ちはだかる姿は、滑稽を通り越して愚かしい。

それでも孫策たちが身を引いたことには驚かずにいられない。

何の武も智もない少年が孫呉の王を引かせるという光景は、陸遜からしたら重大事だ。

 

「だからこそ、取り込むべく人材は不動さんの方かもしれませんねぇ。

 もしくは――呉の脅威になるべく芽は、今のうちに摘み取っていた方がいいかもしれません」

 

そして、陸遜の呟きが後に現実の物になるとは誰も知る由が無い。

 

 

 

 

 

          第四話、完

 

 

 

 

-9ページ-

 

あとがき

 

疲れた。そして、お久しぶりです。もちら真央です。

 

ようやく朱里と雛里以外の原作キャラの登場。

長かった……実に長かった……!

 

この四話は、最初はコメディテイストで進める気でした。

感じとしては拠点フェイズの雰囲気です。

でも、それじゃあ雪蓮の魅力を出せなくね?

ここら辺りにちょっと刺激を入れないと駄目じゃね?

雪蓮と言えば、やっぱ戦だろ。常識に考えてと思い、プロットからリメイク。

書き始めた冒頭部分を捨てて、今回の冒頭に書き換えました。

信也君の『おっぱい』発言も『可愛い』発言もリメイク前の名残。

 

そして、敵が雑魚だったと言えども初めての戦のシーン。

状況の解説とかホントにしんどいね!

おかげでいつもよりずっと時間がかかったよ!

でも、大きな戦になると兵のぶつかりをより細かく書かないと駄目だからこれの比じゃないね!

 

もちら真央は、拙速を尊びますので誤字脱字がございますかもしれません。

意味が通じない言葉があるかもしれません。

その時は是非ともご一報を。すぐに修正します。

 

では、次は第五話でお会いしましょう。

 

 

 

P.S. 冥琳と穏の口調が今一掴み切れてない。これはリプレイフラグか!?

 

説明
本作品はオリキャラが主人公のために、以下の条件の下で大丈夫な方のみお読みください。

・オリキャラが中心となる物語
・北郷一刀は存在
・蜀√を軸に『三国志』『三国志演義』を交えていきます
・本作品にて三国志のことも触れていくつもりです
 そのため、『三国志』モデルのオリジナル武将、軍師が出てきます
・作者の力不足による描写不足

以上の条件を受け入れられる読者の方だけ、引き続き本作品を楽しんでいただければ幸いです。
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コメント
ブックマンさん > 男なら( ゚∀゚)o彡°おっぱい!おっぱい!ってなっても可笑しくないと思うんだ。(もちら真央)
おっぱいおっぱいwww(ブックマン)
キラ・リョウさん > 彼はあくまで『天の住人』ですからね。手を組むかどうかは状況次第でしょうね。(もちら真央)
NEKOさん > この旅を通して、信也君には色々と学んでもらう予定です。ですから楽しんで頂けると嬉しいです。(もちら真央)
御使い二人が組むということにはならないのかな?(キラ・リョウ)
不動君の成長と活躍楽しみです^−^b(乾坤一擲)
ヒトヤさん > 少なくとも呉にとっては脅威になることは確かです。でも、それがいつになるのかは……完結させますのでお待ちください。(もちら真央)
呉が敵になるの?(ヒトヤ)
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