ミラーズウィザーズ第四章「今と未来との狭間で」09 |
(違う。あれは敵、あれは敵。あれはローズなんて名前でもない。単なる敵なんだから……)
エディは目を瞑り大きく息を吸い込んだ。風の音が聞こえる。二人の衣擦れの音。森に渦巻く幽星気(エーテル)の唸り。
そしてエディは『霊視』を開ける。
〔なっ、主! 待て、待たんか。我は別に『霊視』を強めよとは言っておらん。やめんか、それは危険じゃ〕
自分の失言にやっと気付いた幽体の魔女は制止の言葉を口にする。しかし。エディには届かない。視ることだけに集中したエディには何人の声も聞こえていない。
(私に出来るのはこれだけだから。これだけが私の力。魔法がろくに使えない私のたった一つの現実)
エディは金色に輝く瞳でローズを洞見する。
(……服は、霊装じゃない。幽世に何の配慮もされていない普通の服。そう、街で一緒に買ったあの服……。肩下げ鞄の中に、何か……、あれは符? 変わったところはない私の知ってるローズの……。だったら、本人の幽星体(アストラル)? ローズの小さい体に小さい幽星体……。え……? あ、ぐわっ!)
エディの体が飛び跳ねる。痙攣に似た震え。エディは頭痛に頭を抱えた。自分が何を視たのか、それが理解出来ない。その恐怖がエディの心に突き刺さった。
「エディさん。どうしました?」
様子のおかしいエディを気遣う間も、ジェルはローズへの牽制を怠らない。いつでも攻防出来る、自然体の構えで少女を睨み付けたままだった。
「……なんなのあれ。なんなのよ! ローズ! それなんなの!」
「なんだ、視たのか。いや、視れたのかい。全くお前は変わった子だよ」
(止めなきゃ。ローズを止めなきゃ。彼女に魔法を使わせちゃダメ)
〔あれが奴の『代償』じゃ〕
全てを見透かしたようにユーシーズが宣告した。
(あれが『代償』? 馬鹿にしないでよ。あれ自分の幽星体(アストラル)を魔法でくくり付けてるんじゃない。あれじゃあ幽星体(アストラル)が!)
エディは自分が何を視たのか真には理解出来ていない。ただ、色や形と言った『霊視』に視えるもの以外のものを視てしまったのだけはわかった。ローズと名乗っていた少女の幽星体(アストラル)は確かにそこになる、それなのに希薄、命の灯火を燃やしているにも拘わらずそこにない。そんな異質な幽星体(アストラル)の中に魔法構成が見え隠れする。それが継ぎ接ぎのように幽星気(エーテル)繋ぎ合わせローズの幽星体(アストラル)を肥大化させている。その大きく膨らんだ幽星体(アストラル)は、有と無の二律性を同時にもって、生と死との狭間にある。まるで燃え尽きる寸前の蝋燭が炎が激しく燃やすように幽星気(エーテル)を廻している風に視えた。
〔逆じゃな。恐らく、ああしなければ奴は幽星体(アストラル)が保てないのじゃ。奴は魔法を使い続けなければ生きていけない。じゃから魔法が強靱なのじゃ。彼奴はいつだって命懸けで魔法を使っておる。その精神力は主ら魔法学園の学徒などと比べるべくもない。命懸けという『代償』、これはなかなか重いぞ〕
(そんなの! ……どうして、今まで気付けなかったの私? 私、ローズのこと見てなかった? 友達とか言っておいて、私、ローズのこと全く……)
「ふん。視えたのなら別に隠す必要もないが、今は私のことなどどうでもいいさ。そう、それが私さ。人にあるまじき姿だろ?」
ローズと呼ばれていた少女の押し殺した言葉に視えていないジェルが怪訝な顔をした。
「少々お喋りが長すぎたか。三人相手となると少々骨が折れるな」
「三人?」との疑問にエディとジェルが同時に振り向いた。
「くっ。気づかれていたのですね」
森の暗闇から男の声が聞こえてきた。
「いやいや、狙いはいいさ。兵を伏するのは基本中の基本。私がこの子達に構っているうちに、奇襲するつもりだったんだろカルノ・ハーバー?」
ローズが視線を向けた先に皆が注目する。少し勿体ぶった間を空けて、森の闇の中から痩身の人影が現れた。疲れたような白髪。魔法使いにあるまじきホワイトシャツを着流して、カルノ・ハーバーが現れた。
「お義兄ちゃん!」
「カルノ、無事だったのですね」
「えぇ、この通り、そこの幼女魔法使いにやられてボロボロですが」
とカルノは、軽く手を振って見せた。いつもは純白のホワイトシャツが土汚れにくすんでいた。少し頼りない線の細い容姿ではあるが、いつもの飄々とした空気をまとっている彼に、エディは安堵の息を吐いた。逆にローズは刺々しい視線でカルノを射貫ていた。
「お前自身が作った濁流に飲み込まれたはずだが、よく生きていたな」
「ええ、クルエが身代わりに」
エディの呼吸が止まった。そうだ、いつも義兄の肩に巻き付いていた白蛇の姿が見られない。あの白蛇は昔、エディと共に山里に住んでいた頃、養子のカルノに母が送った、たった一度きりの贈り物。幼い頃から共に過ごしてきた魔法生物だ。カプリコット家を離れ独り立ちした今でも、カルノが後生大事に『使い魔(ファミリア)』として身近に置いていたはずなのに。エディにとっても馴染み深い家族同様の使い魔なのに。
「さて、先程は遅れを取りましたが、クルエの仇は討たせてもらいますよ」
あのいつも冷静沈着なカルノ・ハーバーの瞳が確固たる意志で怒りに燃えていた。
「はは、あの白蛇に魔法補助をさせているお前が、使い魔を失って何が出来る」
「僕自身が魔法を使えないわけではない! 〈我が水よ。素は現に、意は流れ出で其を貫け〉」
カルノが唱える呪言(スペル)は力強く、森に満ちる幽星気(エーテル)に意味を与えていく。宙に現れた一光の滴が膨らみ上がり水球を成す。そしてカルノの指先の印令に従い弾け飛ぶ。その水しぶきは大きさを増して、ローズに狙いを定めていた。
〈我を貫くを禁ず〉
無情にも、先だってローズが例の禁令を唱え上げた。砲撃魔法に対して「命中」を禁じる『禁呪』。その効力はジェル・レインの雨のような『魔弾』を全て逸らして見せるほどのものだ。
「それはもう知っています!」
カルノが指先の振り下ろす。魔法構成の変更。魔法の軌跡を制御するらしい指印は魔力を帯びて振り上げられる。刹那、カルノの『水撃』はローズの足下に目標を移す。
ローズの目元が僅かにつり上がった。カルノの意図を察したのだろう、彼女は面倒臭そうに飛び下がる。
『禁呪』により本人に命中しないことを知って、元より足下を削る為に『水撃』を放ったのだ。体に当たらなくても、足下の地面が魔法の水流でさらわれれば、ローズといえども平気なはずがない。
ジェル・レインはそれを待っていた。
〈水気は土門に流れ九道を閉じて、彼の者の両軸を折るに至る。されば其の足を伏せしめ止めざらん。とくとく言令の解。地橋を渡して岩戸を閉めよ〉
エディには学園でよく耳にする普通の呪言(スペル)と少し韻律が異なる。エディ達が扱う呪言(スペル)魔法と同質ではあるが、その魔術式に流れる思想は東洋の術式に通じるものがあった。
(生徒会のユキヤさんの術法に似てる。ジェルさんって、本当に全然系統の違う魔法を使えるんだ)
今更ながらに驚きを感じる。
ジェルの魔法の完成で、何やら地面が僅かに震えた。そこはカルノの『水撃』で森の地面が刷り取られ、辺りには魔法による指向性を失った水が撒き散らされていた。土を濡らす程度の水が、ジェルの魔法で大地を溶かし始める。そして大地はぬかるみと化して泥の海がローズの足を沈めていく。
ローズが一つ大きな舌打ちをした。ジェルが魔法で作り出した泥溜まりは、渦を巻き始め、容赦なくローズの体を地中に引きずり込んでいく。それはまるで、亡者が地獄に引きずり込もうとしているかの如く、陰湿に足を沈めていく。それでも、ローズは慌てた様子なく、
「はは、陰陽にまで手を出しているのかい。ほんと無節操な女だね」
と悪態を吐いた。ただ、泥の海から足を引き抜こうにも、足場が不安定では身を藻掻かせるだけだった。何か諦めたように息を吐いたローズは得意の禁令を発した。
〈我、沈むを禁ず〉
たったそれだけで、ジェルの魔法がどれだけ地中に引きずり込もうとしてもローズの体はぴくりとも動かなかった。
だが、ジェルはその魔法の施行を止めはしなかった。魔法制御を続けるジェルは、ちらりとカルノの方を見た。カルノも、相手がブリテンの魔法機関『魔術師の弟子』の筆頭ととなると、その程度で終わるはずがないと考えていたのだろう。既に次の魔法構成を終えていた。カルノの魔力が宙に光の粉を撒き散らし、その一粒一粒が大気に融けて波紋を作る
(光変換だ。カルノお義兄ちゃんの得意な術式……)
相変わらず合理的で洗練された魔法構成だった。エディは魔法戦の真っ直中ということも忘れて、緑みを帯びたカルノが作り出す光の力場に見取れていた。
説明 | ||
魔法使いとなるべく魔法学園に通う少女エディの物語。 その第四章の9 |
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