テーマ別に書きます。
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テーマ別に書きます。

 

●09:30くらいかな、朝の・・・屑Kの腹話術テレパシーにすっかり毒されてしまっているような人々からテレパシーがたくさん来ました。覚えているテレパシーの台詞だけここに書くと、「その眼鏡をとると・・・になっちゃうんだよ!」という女性の台詞とか、屑Kの何度も嫌われて貶されているのに・・・―それはあいつの真実の性質を自分は知っているからです―自分の事をすごく好きだとか言っている台詞が聞こえて来て、その他に、ある結構人気がありそうな女性と、兄妹とか姉弟・・・とか言われていると思われる男性の声で「やらん!」と言っているのも聞こえて来ました。さらにその直前に「舐めなよ!」と最近やたらテレパシーの会話の中で派手な台詞を吐いている女性の声が聞こえ、そのすぐ後に誰かが本当に舐めたせいで感じているように「あんっ!」とか言っている声もハッキリと聞こえましたが私は舐めていません。もし舐めているとしたら多分屑、いえ絶対に屑Kだと思いますよ。

 

●その後も何回かポツポツと同じメンバーの声でテレパシーが来ましたが、いつも内容があやふやであまりにもあっけらかんとした感じで、意味不明でした。それに実際の交流がまったくなくて声だけだったので、なお分からんチン状況でした。でも多分すごく怪しいのは最近発見した時々、とても不気味な色―濃い明るい水色のような色―の電灯を夜、横に細長い窓―小さい窓が横に全部で7から10、くらい並んでいるように外側から見えます―から外に見せている、そのすぐ目の前の家がそうだと分かりました。そして、先に書いたテレパシーの主の中の一人は、そこに暮らしている人かな?と思いました。何故なら今まで全部で7回くらいその明かりが見える場所を探したけどその家が何処だかサッパリ分からなかったんですが、最近何故か偶然その家の場所をハッキリと見つけたからです。―すごい近所でした―

 

●こちらとしては、そんな細長いけど結構大きな広い面積でたびたびそのような怖い色を外に見せているからいづれ事件が起きたら怖いと思って誰だか探していた・・・ただそれだけです。

 

※そして上記の悪戯みたいなテレパシーもその後に始まっています。ミヨジが分かったけどここには書きません。何故ならプライバシー情報だからです。ただし、うちの父の下の名前とその人のミヨジは半分は同じふりがなと音ですよ。それだけは真実です。―おそらくやはりこの手の名前は、明らかに分かる形で、常に子供を踏み台にしてのし上がって行く典型的なタイプなのかも・・・と思います―

 

●もうこのままだとサラリーマンが無くなるかもしれないって瀬戸際なのになんでそんなにみんな自分勝手なんだろう?って本当にいつも不思議に思っています。

 

●16:40に一瞬停電になり、すごく怖くなりました。この蒸し暑い状況でたとえ二、三日だけだったとしてもエアコンが使えなくなるのは非常に惨い事だと思ったんです。実際に沖縄は今停電で、すごい状況だそうです。停電じゃなくても何かの理由でエアコンが使えなくなった老夫婦二人が修理が住む前に熱射病で死んだ事件も最近ありましたよ。

 

●もしもの時のために充電式の冷風機を備えておくことが必要と上記の事件のニュース報道記事の最後の方に書かれてありましたよ。

 

●でもどうしても緊急時にコンパクト充電式冷風機が身近に無い場合は、水風呂に入るか、車のエアコンに当たるか、あるいは、コンビニはよく停電でも緊急時専用の電球を使って営業している場合があるからそこへちょっと非難するかですね。また電車が走る時間になったら停電じゃない地域までちょっと―車か電車を利用して―移動してそこでファミレスとかエアコンが聞いている場所に避難すべきだと思います。その際ネットカフェに入り、携帯電話も準備していればいつ停電が終わったかすぐ分かると思いますよ。

 

●アマゾンの宣伝は文字数が多くて貼れなかったんですが、宣伝数を半分に減らして貼ったらきちんと貼り付けを完了させる事に成功できました。

 

※事件連発で緊張が続く中、近所のゴミ捨て場にはまだ白いポリタンクが置かれていて、その中身は相変わらずずっと電池のみで種類も数もこの間とまったく同じでした。FUJITSUの単一電池が4つとPANASONICの単三電池が三つ、まだ白いポリタンクの中に入っていました。

 

●18時ちょっと過ぎに無言テレパシーが来て、その内容は、「“市役所の怖い事件”というタグでネットを検索するように・・・!」というものでした。さっそくすぐ検索すると「ウキぺデイアのみどり荘事件」という事件がすぐ目につきました。

 

●で、約2時間くらいかけてその事件の内容と説明をウキペデイアで読んだんですが、その感想としては「すごく奇妙な事件・・・最初は、よく意味が分からなかったけどずっと読んでいくうちに、明らかに真犯人はハッキリと名前が挙がっている男性では無いな!」という事でした。特に、『分析化学的検査としての元素分析については、事件現場で採取された毛髪と被害者・被害者の姉・輿掛の毛髪の塩素・カリウム・カルシウムの含有量を比較して輿掛と同程度であったと鑑定したものである』という下りの部分がすごく気になりましたね。・・・。

 

●「さらに、遺体の司法解剖の鑑定書に何かが剥がされた形跡を発見して鑑定人に問い合わせたところ、当初の鑑定書には被害者の膣内に残されていた精液はA型またはO型であると記された付属説明文書が添付されていたことが分かった[258]。被害者の陰毛に付着していた精液は輿掛と同じB型のものであったため、弁護団は複数犯による犯行を強く疑うようになっていった[259]。

 

柳川鑑定」ここの部分もすごく気になりますよね。

 

※また次の下りもすごく気になります⇒『弁護団は、輿掛の逮捕前後のマスコミの報道姿勢に対する不信感からジャーナリストの肩書を持つ小林を警戒感をもって迎えたが、丁寧な取材を通じて積み上げた事実を基に判断しようとする小林の取材手法に触れる中で徐々に信頼関係が形成されていった[275]。一方の小林は、初めて会ったときの自然体の対応や庶民的な飲み屋に通う姿から、初対面で弁護団に好印象を持ったと記している[276]。それでも小林は、当初、事件については予断を持つまいと努めていたが、弁護団から渡された一審判決を読んで、少なくとも刑事裁判の大原則である「疑わしきは被告人の利益に」に反すると感じ[277]、また、取材を通じて輿掛の無実を信じるようになっていった[278]。』

 

※これも気になります「分析化学的検査としての元素分析については、事件現場で採取された毛髪と被害者・被害者の姉・輿掛の毛髪の塩素・カリウム・カルシウムの含有量を比較して輿掛と同程度であったと鑑定したものであるが[260][262]、各人のデータには幅があり、しかも被害者の姉と輿掛の数値は大部分が重なっていることを示し、本来、この重なりあった部分は「鑑定不可能領域」であり、事件現場で採取された毛髪の数値がこの領域にあれば被害者の姉のものとも輿掛のものとも判定できないものであると指摘した」

 

●「弁護団が指摘した毛髪の長さの問題とは、輿掛と同一のDNA型が検出されたとする「符号16-1、台紙番号10、毛髪番号1」の毛髪が15.6センチメートルの長さがあったという点である[345][358][359]。事件当時の輿掛の髪型はパンチパーマで、当時警察に任意提出した毛髪は最も長いものでも7センチメートルであり、一目見て輿掛のものではないと分かるものであった[358][375]。実際、この「符号16-1、台紙番号10、毛髪番号1」は事件当日の1981年(昭和56年)6月28日に被害者の部屋の和室の押入れ前で採取されたもので、大分県警の科捜研から警察庁の科警研に毛髪鑑定に出す際にも、長さや形状から被害者または被害者の姉のものと判断されて対象から除かれたものであった[345][386][387]。それでも検察側は、たまたま長いものがあったのではないかと主張した[375]。」

 

●「。ノンフィクション作家の小林道雄も、こうした警察発表を垂れ流すだけの報道は裁判官に予断を生じさせることになり、起訴状一本主義は有名無実と化すとし[513]、「輿掛さんを犯人にしたのは、警察・検察・一審裁判所の三者であり、それに加えてマスコミが輿掛さんを抹殺しようとした。この四者すべてが謝罪していない」「この四者の中でマスコミはいち早く謝罪し、他の三者にも謝罪するように迫るべきだ」と主張している」

 

●「原田助教授によれば、電気泳動の結果を撮影したX線フィルムを拡大コピーしたものにトレーシングペーパーをあて、泳動結果を示すバンドの中心に鉛筆で線を引いて泳動距離を測定したということであった[398][419][420]。1塩基の違いは、元のX線フィルムで約0.33ミリメートル、拡大したもので約0.5ミリメートルにあたる[390][398]。しかし、輿掛の血液のDNAのバンドの幅は約8ミリメートル(24塩基分)、輿掛と同一のDNA型が検出されたとする毛髪のバンドの幅は約2ミリメートル(6塩基分)あった[390][398][420]。原田助教授らの測定方法は、それぞれのバンドのだいたい真ん中と思われるあたりに目測で線を引いて、その距離を1ミリメートル単位の目盛の普通の定規で測るというものであった[421]。このやり方では、それぞれのバンドのどこに線を引くかで数塩基程度の誤差は容易に生じうるし[390][420][422]、引かれた線も基準の線と平行ではなく、どこを測るかによって計測結果が変わってしまう」

 

◎『みどり荘事件(みどりそうじけん)は、1981年(昭和56年)6月、大分県大分市で発生した強姦・殺人事件である[1][2][3]。大分女子短大生殺人事件とも呼ばれる[4][5]。

 

隣室の男性が逮捕・起訴され、第一審で無期懲役の有罪判決が言い渡されたものの[1][3][6][7]、控訴審で逆転無罪が言い渡され確定した[8][9][10]。控訴審の判決理由では被告人以外の真犯人の存在が示唆されたが[11][12][13]、1996年(平成8年)6月28日に公訴時効が成立し、未解決事件となった[1]。

 

日本で初めて裁判所の職権でDNA鑑定が採用された事件[14][15][16]、当番弁護士制度創設のきっかけになった事件[17][18][19]、また、被疑者や家族に対する報道被害事件としても知られている[20][21][22]。』

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