堅城攻略戦 第三章 坑道の闇に潜む者 4 |
数日後、方針が定まったという事で広間に式姫たちが集められ、鞍馬による現状分析、そして現在企図している堅城攻略に向けた計画に対する説明がなされた。
何度か驚きの声が上がり、その後、活発な質疑が戦わされた後、予定より少し長くなった会合は終了した。
長引いた理由も、鞍馬の示した策自体というより、まだ個々の式姫の能力や人脈を把握しきっていなかった鞍馬に対し、様々な提案がなされ、それに応じた計画の修正がなされた結果。
「大体議論と提案は出尽くしたな、では以上で散会とする。 此度の戦は今まで俺たちが経験した事のない総力戦になる……忙しくなるが、皆、頼むぞ」
男の言葉に緊張した面持ちで式姫たちが頷き、各々が足早に部屋を後にする。
天狗や狗賓が、用意されていた書状を手に、遠方への使者にと飛び立つ姿を見送っていた紅葉御前が苦笑しつつ肩をすくめた。
「やれやれだ、軍師殿が来てからこっち、忙しさも層倍だねぇ」
彼女自身もそんな事を言いながら、さて、どう回ろうか、と、今の活気を楽しむ様子で思案顔を浮かべる。
「姐さん、あたしがどっちかの使者に立とうか?」
そう口にした傍らの邪鬼に顔を向けて、紅葉は頷いた。
「そうかい? なら太白の連中の所に黒鍬の人らを案内するのを頼むよ、あたしが先に回ろうかと思ってたけど、アンタが行ってくれりゃ話が早い」
助かる、と笑って片手拝みしてきた紅葉に、邪鬼は似たような顔を返した。
「さっき、あたしが軍師殿に頼まれた反物なんかを揃えてくれって話は、実はほぼ待機中にやってあったんだよね、時間が空いてたから丁度良いよ」
「はー、相変わらずマメだねぇ」
戦に出れば、自分に引けを取らない剛腕の戦士である邪鬼だが、平素は自分とは正反対に、繊細な織物や裁縫仕事を好んでこなす働き者の顔を見せる。
「マメっていうか……あたしとしては好きな事やってるだけなんだけどね、とは言えさ」
「ん?」
「裁縫仕事は好きだけど、なんだかんだ最近街中での生活続きだったからね、そろそろあたしも山の空気を吸いたくなったんだ」
嫌いじゃないけど、里はどうもあたしら鬼には落ち着かないからね。
「違いない、少し逗留する分にゃ飯も酒も旨くて良いんだけど、どうも里は肌が乾いていけないやね」
「姐さんもか、まぁ、あたしらが里にこんな長逗留する方が珍しいんだけど」
その意味じゃ、軍師殿は、あたしらにいい仕事を振ってくれたって事かな。
「ま、山の民に仁義通しついでに頼み事するならあたしらか……他だとおつのんや狗賓位しか居ないから、こっちにお鉢が回ってくるのは自然な成り行きだけどねぇ。 そうそう、邪鬼の事だ、どうせ挨拶用に土産持って行くだろ? ちょいと余分に持ってって、交換に太白の連中から膏薬と干し肉を仕入れて来てくれないかい?」
この間使っちまってね、かなり減ってるのさ。
そう口にした紅葉御前の膝は、既に先だって蝦蟇と繰り広げた激戦も忘れさせる位、綺麗に癒えている。
式姫の持つ回復力や、天女たちの操る癒しの術の力も然ることながら、これだけの早さでの回復は、山の民秘伝の薬で行った最初の治療が効いている。
「時間はそれなりにあったから、反物だけじゃなくて、ちょっと使える布や着物は色々用意してあるよ、連中だと漆の磨きに使う布とか多めに持っていけば喜ぶかな」
邪鬼が機織りや仕立てに長けているのは、趣味という側面も無論あろうが、何より織物が通用する範囲が広い、運搬が容易で物々交換で使いやすい品だから、という側面があるのは間違いない。
こんな時代である、金を介した物品のやり取りが常に成立するほど治まった土地ばかりでもないし、元よりまつろわぬ民である山の者たちの間では、日用品の方が喜ばれる物。
邪鬼が丁寧に細い糸で織った柔らかく目の細かい布は、めったに得られぬ漆を磨くにも濾すにも重宝な物で、手土産としては申し分ない。
「それで良いと思うけど、あそこは長の娘に婚礼話が持ち上がってるそうだから、交換用とは別に綾衣とか持ってくと、何かと話が早いと思うよ」
山の民の動静は黙っていても紅葉御前の耳に入ってくる、この辺りは何かと頼られる事の多い姐御ならではと言うべきか。
「そりゃ丁度良い、そういう話ならご祝儀がてら、進物におまけも少しつけて上げようかな」
「その辺の贈り物で、何が良いかってのは邪鬼の方が詳しいだろ、細かい話は任せるよ」
邪鬼が普段織る布や、仕立てる服や小物は、頑丈かつ利便の良い物で、元より山の民にはすこぶる評判がいいが、彼女が特別に織りあげる繊細な綾衣は別格で、都の一流品にも全く引けを取らない、持参すればさぞ歓迎されるだろう。
「折角手土産持参で行くなら、膏薬も姐さんの分だけじゃなくて、纏まった量取引できないか聞いてみようかな」
種々の薬草を使うあれは、そんなに大量には作れないし、連中が使う分もあるだろうけど、お互い良い商売になると思うんだよね。
邪鬼の言葉に、紅葉が微妙な表情で頷いた
「そうだねぇ、確かにその方が良いかもしれないね、ただ独断で商談進めるのもあれだし、反対はされないと思うけど、大将と軍師殿に話は通してきな」
あの二人の事だ、そんな面白い話もっていけば、ついでに余計なお使い頼まれるかもしんないけどね。
そう言ってニヤリと笑った紅葉に、邪鬼は最前の会合の様子を思い出し苦笑した。
「確かにね、余計な仕事引き受ける事になりそうだけど、まぁそれも良いんじゃないかな。 いずれにせよ太白の連中への遣いはあたしが引き受けた」
それじゃね、と主たちの執務室に足を向けた邪鬼を見送ってから、紅葉も使いに立つべく、玄関の方に歩き出した。
「薬か……まぁ、確かに調達しておいた方が良いよな」
今回は、大量に必要そうだしね。
「随分と大きく状況を動かすのね」
使者としてやってきた天狗から、今後の方針の説明を聞き終えたかやのひめが、若干の憂慮を眉宇に漂わせながら天狗に顔を向けた。
「懸念は尤もですわ、ただ、鞍馬さんの言うには、色々検討したが、長期の対峙と停滞は明らかにこちらが不利、であれば勝利した事により動き出した状況を捉え、ここで更に勝負を掛けるのだと」
私も賛成ですわ。
「なるほどにゃー、魚だって釣りあげてしまうと、美味しく食べられる時間が限られるからにゃ」
釣った側が時間に追われて寧ろ慌てふためく、まぁ、よくある話だにゃ。
猫又は呑気な口調で、彼女らしい喩えを口にしてから、小さく欠伸をして座布団の上で丸くなった。
想像以上に事態が早く動き出した事を感じ、広間に集まった一同の間で高まりかけた緊迫感が、そんな彼女の一言で目に見えて軽くなる。
狙っての事か、自然の振るまいかは知らねど、空気が程よく緩む。
そして、緩んだ空気は、議論に幅を持たせる事も可能にする……遠征軍の決定に対し、後方からの意見を求めてきた今回の件を論じるなら、寧ろ望ましい。
「猫又ちゃんに掛かると、軍略の話もへぼ釣り師の日常に早変わりね」
くすくす笑いながら、いすずひめが猫又の艶やかな髪に繊手を滑らせる。
でもまぁ、そんな物かもしれない。
事が思った以上に上手く行ってしまったが故に、準備不足のまま次の動きを始めてしまい、結局失敗するなど良くある事……調子に乗らず、自らはへぼ釣り師であると思って次の行動に際しても、しっかりと準備する。
そのくらいが丁度良いのかも。
「違いありませんわね、まぁ、あの太公望は釣った魚の種類に合わせた調理器具やお皿まで全部用意してある類ではありますけど」
そうは言っても、今回の魚は大きすぎますものね。
天狗が苦笑しながら、庭の留守部隊のまとめ役に自然に納まっているかやのひめに顔を向ける。
「即答できる話では無いと思いますけど、返事はいつ頃頂けそうですの?」
「逆に聞きたいけど、いつまで待てる?」
遠征隊が、かなり急いで事を動かそうとしているのはなんとなく感じるが、拙速に返事を返すには何かと危険が大きい。
「そう……こちらの返事を持ち帰って、計画に修正を加えて、もう一度ここに、と考えると、明日の朝には立ちたい所ですわね」
日が陰ってきた外を眺めながら、かやのひめは一つため息をついた。
「判ったわ、狗賓に湯と床を用意させるから、天狗は体を休めていて頂戴」
早めに皆の意見を集約し、提案や懸念や疑問点を纏め、返事を認めねばならない……いずれにせよ、今宵は遅くなるか。
「お願いしますわ」
堅城の六層を成す天守全てが森閑とした静寂に満たされている。
元より、天守はそれほど多くの人々が常駐する空間ではないが、今や、蜘蛛や鼠の這いまわる音すらかさとも立たぬ。
埃すら積もらぬのではないかとすら感じる、死の静寂。
「静かじゃな」
廊下でそうつぶやいた声が、乾いた反響となって、一時、虚ろな空間を満たす。
彼の言葉には感情は伺えない、ただ見たままの事実を口にしただけ。
この城に今存在する、生あるものは己だけ。
歩む足下の板すらみしりとも鳴かぬ、ひたすら頑堅にと材も構造も拘り抜いて建造された結果の産物。
そう、落城近かったあの日、全身を甲冑で鎧った武者達が、四六時中ひっきりなしにばたばたと駆け回っていても、殆どたわむ気配もなかった堅城の廊下、平服一つを纏っただけの己が歩んだところで、それは小動もせぬだろう。
戦の折には上の階に引き上げる事が出来るように作られた、急な階段をゆっくり降りる。
かつて胡桃の油で丹念に磨かれた艶めく木肌は、手入れする者が居なくなった今も、昔日の光の幾何かを残している。
目を転じれば、壁には守りの備えとして掛けられた多くの槍や矢が、使うものとて無くなった今も、新たな使い手を待つように、暗がりの中で鈍い光を放つ。
「千金を投じて築き上げられた堅城も、今や虫も寄り付かぬ空虚の箱か」
人の営みなど、空しい物じゃな。
それにしても、こうして城内を歩くのも久しぶりだ……天守の頂上から、最下層へと歩みを進める。
ややあって、一層目に作られた、かつて厨だった場所に立つ。
一層目は妖共が、つい先だってまで根城にしていた場所だけに、上層と違い生の気配が未だ濃密。 中でもここはそれが強い、この城の所有を示す焼き印が捺された酒樽が転がり、壁や地面には黒ずんだ血痕が未だ生々しい、そして隅に転がっているのは何かの腐肉か……漂う死臭に、男は顔をしかめた。
あの連中相手に、退去に当たって清掃を、などという事を期待していた訳ではないが、眼前の光景は不快極まる。
「この時点で、儂は所詮奴らとは相容れぬか」
我ながら狭量な事だが、結局相手の存在を受け入れられるか否かは、最後にはこういう身近な価値観に依るのだろう。
自身が若干潔癖症気味である事は自覚してはいるが、物には限度がある。
「詩文を嗜み、囲碁の相手をしてくれるような風雅な鬼は居らぬ物か」
男は小さく首を振ってから、白い巾で口元を覆ってから、広い厨の中に足を踏み入れた。
周囲を余り見ないようにしながら歩みを進めていた男が隅の柱の所で屈みこみ、その根方に手を伸ばした。
誰も触れた気配が無い事を確かめた男の頬に、僅かに皮肉な笑みが浮かぶ。
「……日夜ここで喰らい酔ってとぐろを巻いて居ながら、その目に何も見いだせなかったか」
それだけ、この城の仕掛けが見事という事もあろうが……注意力が散漫というか、そもそも人の営為や細工を見下している連中の限界か。
「生まれついて恵まれた力や知性を与えられながら、粗雑な事だ」
下らぬ連中め。
暫く何やら探っていた男の手元で、カチリと小さな音が響く。
「物を隠す時は、人も通わぬ深山幽谷ではなく、人が犇めく場所の只中を最上とする……か」
どこかで歯車の動き出す音が立ち、少し後、板塀の一部がキイと音を立てて開いた。
その奥にあったのは、更に下へと続く石段、その奥の闇から、封じられ、淀んだ空気がのそりと這い上がってくる。
持参した手燭を灯した男が、変わらず慎重な足取りで、階段を下る。
「流石、元は黒鍬の城よ……坑道を掘り慣れた者らからすれば、この程度の抜け道などお手の物だな」
これは、落城の折に備えて作られた抜け道。
手燭のぼんやりした灯りが、ほんの僅かに揺れるのは、この抜け道がまだ生きている証。
(奴らには、この道の存在、気づかれてはおらぬようだな……)
その細い灯りを頼りに、一本道を歩むと、ほどなく少し開けた空間に出た。
本来なら、逃走用の衣服や医薬、武器等を置いておく為に作られた空間。
その地下の闇の中に、鬼火が揺れていた。
燐光の如き、緑の炎が二つ並んでゆらゆらと。
そこにある、と知っているにも関わらず、闇の中に浮かぶそれを見たとき、男は背筋をぞわりと這い上がる何かを感じた。
(……ぬぅ)
この燐光は、死者をかりそめに動かすための術が施された躯である事の表れでしかない、その光自体に大した意味など無い事を自分は知っている、その筈なのに。
だが、その揺らめく炎には、紛れもなく彼をたじろがせる何かがあった。
「貴様は、そのような姿になり果てて尚、儂を威圧するか……」
だが、貴様と儂の力関係は、既に逆転している。
心地よい空気ではないが、自らを落ち着かせるために、男は淀んだ空気を深く吸い、静かに吐いてから、懐から一枚の符を取り出し、眼前に翳した。
今や、こんな紙切れ一つで我が意のままになる所まで落ちぶれた貴様が……。
「汝に命ずる……」
そう、汝は我が意のままに働くのだ、その身が朽ち果てるその日まで。
説明 | ||
「堅城攻略戦」でタグを付けていきますので、今後シリーズの過去作に関してはタグにて辿って下さい。 猫又ちゃんは偉大なるツッコミ役にして癒やし |
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コメント | ||
OPAMさん ありがとうございます、魔王軍の内紛はお約束ですので、是非入れたいなとw 皆単純ではないので、三重の騙し合いがどう転がるかという感じで暫く進むと思います。 式姫側も仕込みを入れつつ、でも猫又ちゃんに言わせると「釣りの準備が、実際の釣果になれば苦労は無いにゃー」ではありますがw(野良) 前回の敵側陣営内部での騙し合いを読んだあとだけに、今回の敵側軍師の男の行動も(そんな描写は何も無いのに)妖側はわざと気付いてない状態を装っているのでは?男も実は妖側の動きに気付いていてあえて独り言で釣ろうとしているのでは?と勝手に妄想させてもらいながら読んでいます。それとは対照的な式姫側の穏やかな(主に猫又さんのおかげ)会話の中にも次の戦いへの備えや緊迫感があって次の戦いが激しくなるのを皆感じているのが伝わってきますね。(OPAM) |
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