「両面宿儺はひかがみとかかとがなかった」これまで日本書紀にある両面宿儺についてはいろいろな考察がされている。僕も勝手に考えてみた。現代では双子が癒着する奇形で産まれた場合は 手術で分離するが、当時はそのまま育てるしかなかったのだろう。通常なら背中合わせにくっついた双生児は生存確率は低い筈だが宿儺は生き延びて 強く逞しく育った。背中合わせにくっついたまま どうやって歩き走り、座ったのかは 想像し難いが、ひかがみ(膝の裏側)がないという事は膝が両方(前後)に曲がるという事ではないだろうか?踵が無いということも 爪先立ちのような形になっていて、足首が前後に可動するという事かもしれない。 それは前後どちらへも進める事を示唆している。靴はバレエのトゥシューズのようなものが必要だったろう。つまり両面宿儺は4つの目で360度の視界が効くので 死角はなく、どちら側も前にも後ろにもなるから 方向転換する必要がないので素早く行動出来た訳だ。おまけに四本の腕で刀を振り回すから強かったのだろう。両面宿儺から逃げるには木に登るしかなさそうだ。 飛騨の人々が宿儺を異形の化け物としてではなく、強いヒーローとして讃えているところが素晴らしい。今でこそ障害者や奇形を馬鹿にする風潮は少なくなったと思うが、見た目だけで社会から省かれてもおかしくなかったと思う。両面宿儺が実在して日本書紀の記述が事実だという事は有り得るだろう。阿修羅は空想上の物語でしかないが 両面宿儺は実在した可能性は高いと思う。 もし 僕が宿儺ならカラオケで独りデュエットがしてみたいなぁ♪ |