アインシュタインは調べられるものは いちいち記憶する必要はないと言った。また 想像力は知識よりも重要であるとも言っている。コンピューターが発達した現代では 余計にアインシュタインの言葉の重要性を実感する。うろ覚えの暗記より正確な事実を検索する能力の方が重要で役に立つだろうし、物事はその上で想像力を駆使し 発展して行くのだろう。いつまでも学校の試験は 暗記主体のままで良いのだろうか?想像力があるからこそ人間なのだ。その想像力は人は皆良く似ているとTINAMIを見ていると感じる。人間とは 皆が同じようなものを描いたり 、書いたり、作ったりするのかも知れない。人の脳には普遍性があると研究している学者がいる。もし太古の昔からそうだとしたら、芸術も音楽もずっと同じような物が作られているのかも知れない。歴史を研究している学者は発見したものを証拠に こういう事実があったと言っているが、それは実際にあったことなのだろうか? 僕たちの現代はフェイクニュースや作り話の小説、架空の漫画やアニメに溢れている。その方が現実よりもずっと面白いからだ。もし 古代の人々もそうだったなら どうだろう。洞窟の壁画は願望を描いたり、昨夜の夢を描いただけかも知れない。聖書は当時 人気があった ただのお伽噺かも知れない。そして古事記や日本書記の最初の方はただの言い伝えだろう。なかには 事実だとしても 他人を喜ばせようと脚色してあるかも知れない。 もし 現代人が滅んだ遠い未来に 今の時代の遺跡を発掘する知性のある生物が 兎耳や猫耳の漫画を見つけたら?.....こんな事を想像するとおもしろいねぇ♪ |