Cafe Clown Jewel Vol2 |
Second Mission
日付の変わる少し前。
そこは圧倒的な闇に支配されていた。
建設途中のビルの中は不気味なくらいに暗く、電気の配線もされていないので、灯りをつけることはできない。
他のビルやら、外からの光が窓際を淡(あわ)く照らすだけで、無骨な内壁に立つと見えなくなりそうな程の暗がりが支配している。
空調も見込めるはずも無く、冬の軋(きし)む寒さがビル全体に充満していて、そればかりではなく、冷えたコンクリートが氷の様に冷気を帯びていて、なまじ外よりも寒く感じる。
東京都に属する島では都心に近いとは言え、実質的に土地として機能して二十年足らず。商業区と言われるここらには、進出してきた企業の建設途中ビルがちらほらある。そういった所は、秘密裏な事には向いていると言える。
もう直ぐここで違法の取引が行われる。
密かにビルに侵入した綾は、物陰に隠れて、赤黒いコートに身を包んで闇に埋もれいていた。
(さぁあむいいぃ)
コートの中で身体を摩(さす)りながら、体温を保っていた。
特に指先を丁寧に暖める。持参したカイロがなんとも頼もしく思う。
迎撃に拳銃を使うにも、指が動いてくれないことには、無駄に等しい。向うも少なからず武装しているからには、一瞬の賭け引きが命取りに繋がる。
目には目を、歯に歯を、銃刀法違反には銃刀で裁きを。つまり、そういうこと。
(ぅぅう・・・早く来ないかしら・・・)
寒さに耐えながら、切実にそう思う。
港倉庫の時は、倉庫の壁が冷気を遮断(しゃだん)していたから、まだマシだった。
けれど、今回は冷え切ったコンクリートの支配するビルの中で待ち構えているので、コートを羽織っていても堪えるものだ。
こんなときに時間はなかなか進んでないように思えるもの。精神的に痛い。
カツカツカツカツカツカツカツカツ
ここよりも奥に響く足音。
下の階だろうかと判断し、普段の頭を残酷なる回路に繋げる。
そして、暗歩し始めた。
カツカツカツカツカツカツカツカツ
複数の足音が廊下に響く。
社員もない、機材も無い、お金も有る筈の無いこのビルに警備員が巡回している事はある訳が無い。それこそ、泥棒もここに来る意味は皆無である。
綾がここにいる理由と複数の足音がなる意味。
―――― 密輸取引。
医研の不正な取引がここで行われる。
誰がそんな情報をどうやって仕入れたかは分からずだが、真の情報らしい。
今回も臓器関係だろうと思案しながら、足音に近づく。
足音の主たちは無音の暗殺者には気づける程に卓越してはいない。例え、自分達以外にこのビルに後一人だけ、その背後にいようとも。
小さなペンライト一つで、灰暗い廊下を照らして歩いていく黒い身なりの者ども。その内の一人が円柱形のケースを運んでいる。
程なくして、ある部屋に辿り着いた。社長室と呼ばれるそこが取引の場所なのか、黒の者達はその中へと入っていった。
綾は社長室にドアの取り付けてない事により、前行く影に紛れて、中へと忍び込み、また暗がりに隠れた。
造りかけのビルなのに、社長室だけは殆ど完成に近い状態にあった。広い室内に、外を一望できる大きな窓。床一面に敷かれた絨毯(じゅうたん)の上に重厚な机と椅子が置かれている。
その座に社長とは見て取ることのできない、白衣の男が鎮座している。
(医研の・・・・)
取引主だろう。黒の者達が持っているケースがその品だろう。
(中身は臓器なのかしらね。・・・けど、)
一片程の疑問では有るが、気がかりな事を考えた。
(過去の再来をしていた平沼を殺したのに、まだ取引がつづくなんて・・・)
部屋の隅に隠れながら、コートの中から銃器を取り出し、奇襲の準備をする。艶の無い黒一色のベレッタの安全装置を弾き、頃合を読む。
「依頼料は持って来ているだろうな」
交渉開始。
ケースを持った男が啖呵を切り、交換に応じるように白衣に迫っていく。
「持ってきているとも。・・・・ほら」
椅子の横に置いていた、アタッシェケースを机に上げて、中身を晒して見せた。
アタッシェケースの中には隙間無く、福沢諭吉の顔が敷かれていた。二列三行四段としてその束が並んでいたとして、千八百万円ほどだろうか。
(そんなに高い臓器ってあるのかしら・・・)
今回の取引が高額か、重要かと思案しつつ、綾はその万札の束に違和感を覚えた。
「これで満足かな」
白衣はケースにロックをし、カギと共に黒衣に差し出した。
「・・・・」
黒の男は無言で手持ちのケースを机に置き、アタッシェケースとそのカギを手に取った。
「もう用は無いな」
他の連れにも、帰るよう指示して即部屋を出て行くつもりらしい。
警戒している。そんな気が三人の黒から滲み出ていた。
「お前ら――医研と関わると、よく死に目に遭うそうだからな」
白い笑みに背中を向けて吐き捨てる。
今回も勿論。
「死に目に遭わせてあげる」
開幕宣言と共に、三発。
脳漿(のうしょう)をぶちまけた人間が、三人。
警戒していた割には手応えも歯応えも無い、そんな何時も通りのエキストラの幕切れ。
「あっけない」
独り言洩らしつつ、今回の死刑囚に銃口を突きつける。
今から殺される。そんな状況なのに、白い笑みは薄らいでいなかった。元から、事前に、予想されている事態というように。
こちらが優勢と言わんが如く。
「あっけないかマキナ。なに、これからさ」
椅子から立ち、月照らす窓辺に歩いて見せた。
銃口がその頭を捕らえているのにも拘らず。
「昨日のとは違って、随分落ち着いているわね」
綾の質問に対して、ああ、と肯定する。
「平沼、君がやったのか。私も彼のように殺すつもりか?」
「お望みなら、要望通りに処刑してあげる」
「ああいいとも。わたしは死んでもかまわないのだがな・・・」
月光に照らされた、男の顔は老いて、無気力で、覇気の無い、死に近いそんな顔をしている。
死ぬことを悟り、殺されることも厭(いと)わない。そんな顔をできる心理はそうであるのだろう。
(唯、殺される気はないみたいね)
仄(ほの)かな、それでいて濃厚な殺気を肌に感じつつ、周りを伺う。
社長室。五十畳は有りそうな広い部屋。大きな窓と壁にはドアかクローゼットのようにスライドすると思われる。別の部屋に繋がっているのかもしれない。
そんな部屋には第三者たる綾を除いて、白衣と黒衣三人の死体。生きている者だけなら白衣しかここには居るべき人間は居ないと言える。不法侵入者であることでは誰もが居るべきではない事は置いておくとして――――。
しかし、今まで綾達――S.I.S.O.――が密輸を妨害してきたと言うのに、前回も取引の両方にガードがついていたと言うのに、今回の片方にもそれらしく三人組みで来ていたと言うのに、白衣、つまり医研の者がたった一人で取引に来るだろうか。前回の取引でその仲間に当たる男が殺されているのを知っていて、果たして身の安全性のない取引をするだろうか。
(それは、思うに・・・・ってことかしら)
綾が気付いた点はその他にもある。一つは取引に行われるのがこのビルである事は良しとしても、この部屋つまり広い社長室である必要が有るのかと言う事。二つは複数の足跡が絨毯に見られる事。その数はここに入ってきた人数を上回る数の足跡であるのが、暗視の利く綾には見える。
つまり。
銃騒音が響いた。
壁と壁との間、扉と思われるその隙間、部屋の壁の両側から幾つもの破裂音と薬莢(やっきょう)から放たれる光が出ていた。
狙いはどれも綾。両側から三発ずつの計六発が的確に彼女を襲う。
綾は部屋の中央に居て、ここが広くても、壁まで距離があるといっても、ハンドガンでの射撃有効範囲にあり、音速を超える弾丸にすればその距離も意味を成さ無い。事先に気づいていたとしても、六発の同時射撃が避ける事を許さず、況して防ぐ事は不可能だ。
穂畝綾は死ぬ。これで死を免れたとしても、銃弾を浴びて尚動く事はできる筈も無く、次で確実に殺されるだろう。どっちにしろ、先刻殺された三人の様に、頭を打ち抜かれてしまえば死ぬし、身体に六つも穴が開けば致命傷だ。
不意に撃たれる事は予測していた。
撃ってくる場所も把握していた。
撃ってくる瞬間も悟っていた。
しかし、常人では如何する事もできない。
常人で無いのなら、
避けてみせる。
同時に六発撃っていたように見えても、事細かには全弾の発射に、コンマ数秒のタイムラグがでる。弾速も銃の種類、弾の種類、手入れの状態により変わってくる。故に相手に着弾するまでの時間が変わり、その為、六発の弾と弾との間に空間が生じ、何処を狙うのかの誤差でもそれができる。
その一瞬にも満たない隙を縫って、身体を微動させるだけで、一歩もそこから動かずに綾はかわした。
避ける刹那の刹那をスローモーションで見れば、彼女は大きく身体を上下左右前後に動かしてはいるものの、動体視力の良さに関わらず、その動きを追える者はここには居ない。
綾の身体をすり抜けたかのように、弾丸は全て直進して壁に着弾した。
闇討ちが失敗し、隠れていても危険であると判断した六人は、クローゼット等の扉から出てきて、臨戦態勢に入った。
身なりはまちまちだが、殺しのプロか軍人流れだろう。
予め決めていた動きで統制を取り、チームプレイで制圧する気だろう。姿を現すなり、其々が順当に動く。部屋が広いとはいえ、防弾しているとはいえ、非防御部に被弾する可能性は無いとは言えない。
綾はそれが整うのを待った。
余裕からではなく、より確実性を高める為に。
「流石だね。銃弾を避けるなんて、人外な事をする」
そう言う白衣に返して、
「人の道踏み外した事やっている、あなたたちの方がよっぽどよ」
と言った。
「それもそうだな」
「六人もお抱えの殺し屋呼んで、そんなに邪魔されたくないって事?」
「今まで散々されてきたから、実力行使に走っているわけだ。医研にしてみれば、今が肝心な時だからな。もっとも、わたしがよんだわけではないが・・・」
今までの取引の頻度からそれは確かだろう。
色々と思案が浮かんでくるが、それらの事は今は置いておくことにした。
「兎(と)に角(かく)、こいつらを射殺して、残ったアンタから医研の企みを聞き出せばいいってことね」
コートの裏に忍ばせた、もう一丁の拳銃取り出し、二丁の黒いベレッタを下手に構えた。
敵対する白衣以外の殺し屋六人は既に身構えている。得物はバラバラだが、全部銃器である。
白衣の皺寄った手が綾を指す。
「いけ」
気だるく短い布告と命令にて、殺し屋たちが動いた。
白衣に近い三人が連射して牽制弾を放つと、他の三人は綾の動きを見計らうようにして、射撃を行う。相手の動く先を突く戦法なのだろう。
「どうってことないわね」
つまらなそうに、平然と牽制の銃撃を避け、さらに飛んでくる弾を避けて、余裕に右手の銃を廻してみせる。
その間隙に連射していた一人が後ろに傾く。後ろには大きな社長机があり、その角に頭をぶつけ、溢れる血で机を汚しながら倒れた。
「遊びにもならないか。素人すぎ・・・」
悠々と銃撃の中、挑発し、対峙するもの達を困惑させた。
一人を遊び感覚で撃たれたトリックショットで殺され、恐怖が辺りを一瞬走る。
その恐怖で飛んでくる弾道がぶれたのを見て取り、綾は異常な速さを持って十メートル近く離れた壁際に中央から瞬時に動いた。
壁際の一人をゼロ距離で顔面を撃ち壊して、遅れて飛んでくる乱射の雨に遺体を晒(さら)し、自らは壁を蹴って、天井に足を着ける。
逆さまながら、安定してその場から連射する二人を左右同時の射撃でヘッドショットした。
天井を蹴り、床に降りようとする。
その無防備な刹那を逃すまいと、残っている二人が空中に居る綾に乱射した。コンマ数秒で着地するとは言え、その間に飛んでくる弾を防ぐのは難しい。
しかし、綾は弾が届くよりも早く床に着地し、着地直後を狙った弾は驚異的な彼女の射撃技術によって、相殺――飛来する弾を撃って弾道を逸(そ)らした。
着地の硬直をもろともせず、瞬時一人の懐に入り、顎下(あごした)に銃口を突き付けるとトリガーを引いた。
顔の穴という穴と頭頂から散布する血を避け、最後の標的を睨んだ。
最後に残った事で、多大な恐怖を感じている事だろうが、逃がす気はない。
右手に持っている打ち止めのベレッタを投げつける。
逃避も攻めもさせない為の牽制であるが、いきなり飛んできた銃身に反応できずに、顔面受けしてしまい、呻く。視界が回復しかけた時には標的を見失っていた。
肩を背中から掴まれたと感じる。序(ついで)、目の前の空中に血華が咲き、すぐに視界がブラックアウトした。
心臓を背中から打ち抜いき、崩れる筐体を後ろに投げて加虐(かぎゃく)にも頭を打ち抜き、床に血花を散らす。
始末すべき最後の一人に向かい問う。
「こんな奴らで、私たちに刃向かう気だったの?」
綾の言う、私たちとはS.I.S.O.の事である。
S.I.S.O.の構成員。特に、荒仕事を任されている面の殆どは何らかの力を持っていたり、特化したところがある。法で裁きようの無い犯罪者を根絶やしにする為、または、そう言った者達を傘下に引き込んで行った為に、所謂(いわゆる)、超能力者と称される者達の巣窟である。
とは言え、意味合いを吟味すれば、まだ他の事も言えてくるだろう。逆接には人の道から外れた超能力者達を殺す機関でもあるのだ。
そして、綾もその死刑執行人としての力を持っている。
「そのつもり、だったんだろう。連れて来たのは上の指示だったからな」
飄々(ひょうひょう)と白衣。
「上?医研で貴方より上が居るって言うの?医研所長の浅崎(あさざき)禎(さだ)明(あき)」
彼女がたまたま知っている、または、S.I.S.O.の資料から知った訳でない。この白衣の初老は有名であるのは確かなのだ。
浅崎禎明。総合医療研究所、略称医研の現所長を任とする男であり、脳外科の技術を知識の面から開拓した第一人者。医研の創設者でもある男だ。功績の大きさを讃えられていて、医学や知識人には有名なのだ。
「わたしが、所長だからと言って、あそこで最も権力があるとは言い難いぞ・・・。それに、わたしは君のことは知っている。こんな無駄な犠牲をだそうとは思わない」
疲れた笑みを絶やさず、坦々と語る。
「私の何を知っているってわけ?言ってみなさい」
綾も高圧的な態度で臨む。相手が自分の何を知っていようとも、医研の犯罪者は殺すだけだ。
「十年前のプロジェクトによって生み出された。それが君だろうマキナ」
浅崎が呼ぶ名を拒絶する。
「それ以上喋らないで、その言い方されるの大嫌いだから」
荒げた声を叩(たた)きつける。そんな事をする意味はないのだけれど、感情が高ぶってしまう。
落ち着くよう自分に言い聞かせ、綾は詰問(きつもん)を再開した。
「あのプロジェクトは貴方も参加していたの」
浅崎は黙秘する気はないらしい。自分の語れる事、答えられる事に全て応じるような雰囲気でもある。
「その研究の惨禍(さんか)では無かったが、今はこの有様だ」
「どういうこと?」
「あの研究は医研の中でもグループの違う者達のやっていた事で、わたしの属するグループの既知の外だった。が、今は、医研全体の主体みたいに成ってな。わたしの専門分野も必要と相成って、無理矢理の参加を推(お)されたわけさ」
「じゃあ、初めから知っていた訳ではないのね」
「ああ。数年前だ。事によれば、創設以来から研究されていたらしいが・・・」
「首謀者は創設以来から医研にいる人物ってことなのかしら?」
推測を綾が示してみる。しかし、それに対して浅崎は頭を振った。
「昔はそうだったが、今は違う」
「平沼が研究を後継したってこと?」
「違う」
否定された事で、綾は何か食い違いがあると思った。
浅崎は詳細を切り出してきた。
「元々のプロジェクトの発足者は、副所長の慰(い)神(がみ)宗(しゅう)次(じ)だったが、二年ほど前に死んで今は彼の腹心達がプロジェクトの引継ぎ行っている。それからはそのグループの研究に収まらずに、医研全部の研究グループを巻き込んでいるわけだ。」
感傷も感情もなく、綾はただ聞く。
「残念か?君にとって、慰神宗次は復讐する第一人物だと思うが」
どうでもいいような口ぶりで、冷徹に答える。
「関係ないわ。私が復讐したいのは医研であって、慰神宗次っていう死人じゃない。復讐ってよりも、殺したい第一候補は、今プロジェクトを続行している跡取りさんなるわ」
辛辣に悪辣を返すように、浅崎がほくそえむ。銃口を突きつけられている状況下において、その状況すら楽しんでいるかのような笑みが、顔に広がっていった。
「何か、可笑しい?」
抑揚なく綾が問う。対し、浅崎は笑い返す。
「くくくっ・・・。面白いと思ってなぁ。復讐の修羅か羅刹か女鬼か―――、標的が無くなろうとも、止まる事は無いのだろうか?」
綾の表情が強張り、銃持つ手に力が入る。
しかし、浅崎は続ける。
「実はな、わたしは医研が大嫌いだ。自分で創っておいてだ。嫌いも嫌いで憎悪しているくらいにだ。医療技術医学会の進展医薬品の開発医師の進化医学的未知領域の開拓。全て、総ての望みを叶え、実現させるために創設し、確かにそれらの悉く行い成功させてきた。
しかし、しかしだ。それらの功績名誉受賞参賞の全てが気に入らない!爆ぜた名声も流布した醜聞にしか思えない!
はっきり言おう。医研は在ってはならなかった。存在してはならない。存続してもならない。創るべきではなかった。やり直し出るわけでもないが、やり直したとしても今になれば同じようになるに決まっている。初めの始めから狂っているのに、歪んでいるのに、崩れているのに、真っ当にいくわけが無い。
医療とは医学とは救うことだ。痛み、苦しみ、病、死、そして生。それらから人だろうが動物だろうが生物を救済することだと思っている。
だが、医研の方針と思想は順列が逆だ。医学のために犠牲を払い、医学のために生贄(いけにえ)を捧げ、医学のために何でもする。殺そうが、犯そうが、解剖しようが、配合しようが、摘出しようが、生体実験だろうが、改造だろうが、何しようが、医学のため、医学のため、医学のため!
・・・・・・・・・・・・うんざりだ。」
そこで一息大きなため息を吐く。
人間は大小なりの社会の中で生きる。生きている社会が狂っていれば、人間も狂う。しかし、狂っている社会では狂っている人間が正常とみなされる。通常社会においての普通の人間は、狂った社会では異端とされる。そのような人間も狂った社会にはいれば、勝手に狂っていく。自ら狂いにいく。そうである事を望まれ、そうならずにはいられない。その中で、平生の精神を保ち、狂うことなく狂う人間の核中に、長く永く居ることは、苦行な事だろう。それを彼は十年以上も続けていたのだから―――。
「あなたの事はどうでもいいけど、ついでと言う訳でもないけど、お望みの通りに壊してきてあげる予定。その代わり、協力として情報をありったけ提供してもらうわ」
と言って、綾は銃口を降ろした。
「警戒を解いていいのか?」
「別に解いたわけじゃないわ。今あなたを殺すよりも、生かしておいた方が利得と思っているだけよ」
「非道な集団を設立した老いぼれに、生きる価値もないと思うがな・・・」
嘲る初老に対し、質問を続ける。
「じゃあ、今のうちに聞けるだけ質問しておくけど。まず、今計画を首謀しているのは誰?」
表情を元に戻し、質問に答える。
「御絨碍(みじゅうがい)という男だ。慰神が死んでから入ってきた男だ。慰神とコネがあったのか、知らないが、研究の指揮上に直ぐに立っていた奴だ」
綾の知らない男だ。S.I.S.O.の情報にもない。
「今の密輸や誘拐等の犯罪もそいつの指示?」
「と思ってもらっていいだろう。慰神と同じく、マッドな奴だ。どんなことでも、なんでもやる。
例えば、君が知っているようなこともな」
その事は思い出さないようにする。
「・・・・・今やっている研究の目的は何?」
「前の研究の延長だと思ってもらえばいいが、目的はよくわからない」
「どういうこと?」
「慰神の研究は君の知っているだろうが、生体実験の範疇(はんちゅう)では無いようなきがする・・・。被検体の数も多すぎる。そのくせ、意味の無いことばかりだ。医学的な見地を超えすぎている・・・」
意味のわからない事を呟くと、浅崎は机の上に置いていた円柱型の筒を指差した。
「そこに研究の成果の一つがある。私の専門に従事しているが、あまりいい物ではない。後で確認してくれ」
綾は筒の取手を握り自分の前に引き寄せた。
「あなたの専門ってことは脳外科かしらね」
「そうだ。どうしてもその分野を必要としていたらしい。私は数年前に脳移植手術の方法を立案し成立させた。その発展だ」
脳の手術の難しさは言わずもながらだが、それ以上に困難な脳移植は、不可能に近い。その技術を開拓した浅崎禎明の功績は、ノーベル賞を貰うに相当すると思ってもいい。
しかし、彼は医研の狂乱(きょうらん)惨禍(さんか)に属してこれを成し遂(と)げたのだ。何らかの、何人かの犠牲が有ったかもしれない。有ったとも思われる。
「後で確認ね・・・生物(なまもの)かしら」
「生物(せいぶつ)だよ。生きている事には成っているからそうだろう」
「曖昧な表現だけど・・・・・・。いいわ、次の質問。具体的にはどんな事してるの?前みたいに継ぎ接ぎ?」
後半の抑揚が少し不機嫌だ。
「その筒の中身が沢山と、人体のあらゆる臓器の培養だ。しかし、これは手段だそうだ。御絨から直接聞いた事だ」
「じゃあ、目的は聞いたんじゃない?」
首謀者から話を聞いているなら、今医研のやっている研究の概要を知っているはず。なら、目的についても聞いているのが普通だ。
「完全なる存在の完成」
「確かに、良くわからないわ・・・」
前に彼が言ったとおり、目的が良くわからない目的だった。
目的とは物事の行う上での到達点であるべき目標であり、そこにそれに辿り着くには明瞭で鮮烈なものであるのが望ましい。が、この場合の目的は恐らくでもなく、隠すべき事柄である。研究の内容が人徳を逸し、背徳を達したものであるのは判っている事である。ならば、手段の時点で異常ならば、目的は更に異常に違いない。
「前の続きなら、私で終わってるはずなのに」
綾の憎悪の呟きに浅崎も頷いた。
「らしいな。あれ以降、君以上の傑作は出なかったようだ」
諦め切れなかった奴も居るがと、更に続けて言った。
「それも嫌な感じね。褒めているのに物扱いなんて、人をあそこは何だと思ってるのよ」
辛辣な愚痴を零した自分が自分を不機嫌にさせているのが分かる。どう愚痴を、罵倒を吐いたところで、決着をつける以上に積年の積念を晴らせないらしい。
「もう、ここはいいわ。後はあなたの研究成果の確認と、あなたには部署で尋問(じんもん)に耐えてもらう事にしましょ」
「そっちも秘密裏な所だろう?私を連れてっていいのか?」
「いいわよ。その方が色々と都合がいいしね。情報を引き出すなら、私よりもその道のプロに頼んだほうが早いし。ああ、って言っても拷問じゃないから」
綾は浅崎に立つように命じた。
しかし、浅崎はそれに応じることはなかった。
「言っただろう?警戒を解いていいのかな」
彼の手には小さな拳銃(ハンドガン)、警察官が良く持つニューナンブのそれがあった。
拳銃(ハンドガン)の銃口(マズル)は綾に向いている。
射程までの距離ほぼ零(ゼロ)。
正確には銃口と綾の心臓とは五十センチ強は離れているが、引き金を引くのと同時に動いても避けられる距離ではない。
通常の人間ならそうだ。
そうでない彼女はこの状況でも余裕な態度を貫いた。
「無駄って分かるでしょう?この距離からでも私なら避けられるし、避けられなくても私は問題ではないわ」
諭す彼女に対して浅崎は笑みを浮かべ、こう言った。
「言っただろう?」
彼の腕が動く。
「生る価値などないと」
儚げな笑みだった。
「!」
引き金(トリガー)が引かれ、撃鉄(ハンマー)が持ち上がって、打ち下ろされ、薬莢を叩くと、銃声が響いた。
綾は反応できても対応する事はできなかった。
コール音。後に?がる音と声。
「はい、完了です。処理班をビルまで。ええ、そうです。死体は十体ありますので」
社長室。できかけのビルで最も出来上がっている場所。しかし、今では最も悲惨な場所でしかない。
十の死体は全て銃死体。どれもこれも脳漿(のうしょう)ばら撒いて、床の絨毯(じゅうたん)も重厚な机も高級な椅子も壁も赤黒く汚している。無残な亡骸には無残な死相を湛えるものばかりだ。頭という頭に元からではない穴が開いている。一体だけは胸からも血を流して、血の池を作っている。
そんな終っている様な社長室で、死体置き場のようなここで、淡々と事務的に携帯電話を掛けている。
「対象から手に入った物があるので、今から支部の方へ向かいます。では、後ほど」
デジタル音が甲高く鳴る。
懐に携帯電話を仕舞って、重い金属筒の取手を握った。
正面には死体。
死体は死体でしかないが、他とは全く異なる死体。死因は同じでも、この死体だけは違うものだ。
何故なら、顔が違う。他九の死体が無念の顔をしているのに対し、この一死体は安らかに寝入っている様な顔をしている。
「たく・・・、貴方だけね。私を相手にして殺されなかったのは・・・」
不満であり侮蔑、敬虔(けいけん)であり遺憾な言葉を残して、生存者はここを去った。
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Second Mission からです。 バトル主体となってますが、長いです。 |
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