霊能者ヒジマさん(日本Ω鬼子シリーズ)
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 かなりヤバい心霊スポットだという その廃墟に「行ってみようぜ」と言い出したのは、意外にも赤井であった。

「そう言や俺ら、今まで肝試しとか やった事、ほとんど無くね?」

「僕は、いつも"行ってみよう"って言ってたじゃないですか?みんな"うー"とか"あー"とか生返事するばっかりで、結局はいつも僕一人で行ってたけど」

「いや、俺ら集まるっつったら毎回 飲み会だろ。車出せねえじゃん」

「いやいやいやw 俺ら飲酒運転とか気にするタマじゃねえしw」

 

 黒沢・白木・黄根・赤井の4人は、中学時代から なんとなく つるんできた。

 皆、趣味も育ちも、現在では通っている大学すら違うが、何故か ちょくちょく集まっては酒を囲んで、特に意味の無い会話で飲み明かしている。

 例えば"今度みんなで旅行に行こうぜ"とかいう計画的な話になった事は ほぼ無いし、なっても次の集まりの時には どーでもよくなって立ち消えている、というパターンだ。

 今回もその流れかと思ったが、今回に限って言いだしっぺの赤井は、妙にその廃墟探訪を推してくる。

 赤井は医者の次男坊で、車を乗り回しては女の子と遊びほうけているような奴である。いつもなら そういうオカルト系の話題は白木の独壇場であり、陽キャの赤井はいつも 白木の語る胡散臭い怪談に茶々を入れながらも一番面白がっているようなポジションだった。

 その赤井が、やたら熱心に、しかも「今から行こう」と主張して譲らないのである。

「いや、どうしたのお前?何かあったの?」

「へへ、実を言うとさ、こないだ知りあった子に、オカルトマニアっていうの?そういうのめっちゃ好きな子がいてさ。

 白木から聞いた話とかしたら、めっちゃ食いついてくんの。

 まあ、陰キャって言えば陰キャなんだけどさ、逆に遊んでる感じじゃなくて、何か、すげえソソるんだよね。

 で、お持ち帰りしようと思って"ホテル行かない?"って言ったら、心霊スポットのホテルと勘違いしちゃってwマジうけるw

 その話の流れで、"○○センターが本当に出る、そこなら行ってみたい"みたいな話になってさ。

 だったらそこに、今度二人で行って、まあ その後で なし崩しにラブホに連れ込みゃいいか、って思って。

 でも俺 そこ行った事ないから、下見がてら お前らと行ってみようと」

「いや、知らねえよ!暇な時に一人で行って来いよ!?」

「暇なんかねえよ!女との予約で満席だっつーの!こうしてお前らと くだらねー話してる今が 唯一無駄になってる時間なんだよ!」

「ざけんなゴラ!」

 赤井の勝手な言い分に皆呆れたのだが、オカルト好きの白木が食いついてくるであろう事は計算に入っているのだろう。案の定、

「でも、行きたくないかと言われたら、僕は是非とも。○○センターは距離的には近場ですけど、場所が場所だけに車でないと行けないんですよね…僕、車運転できないし」

などと言い、赤木のプランに乗りたそうである。

「俺はどっちでもいいわ。肝試しとか中坊の頃以来だし、まあ、たまには そういうのも面白いかもなー」

 黒沢が そう言ったのは少々意外である。体育会系の大学に通い、自分の筋肉にしか興味が無いような男なのだが、逆に考えれば こういう子供じみたイベントの方が彼の興味を引きやすいのかも知れない。

「いや、車どうすんだよ?」

「お前まだ350(ml)一本しか空けてねえじゃん?」

 その日、なぜか酒のすすんでいなかった黄根は、運転手役を押し付けられそうになって露骨に嫌な顔をした。

「やだよ、酒気帯びで切符切られるの」

「大丈夫だって、この辺 警察なんかいねえし」

「○○センターは山ん中ですからね。引っかからないで行けると思いますよ?ホラ、ここ」

ご丁寧にスマホで目的地までのルートを調べて見せてくる白木。

「いや、遠いじゃん…ガチで山ん中じゃん…」

「だから〜、連れてってくれって頼んでるのよ。この通り!」と、手を合わせてくる赤井。

「行こうぜ、黄根」

 黒沢まで加勢してきた。

「こんな事でもなけりゃ、俺ら4人集まっても、みんなで何かしようって事になんねえじゃん?

 せっかくこういうノリになったんだからさ、行こうぜ?

 いつも通り、ただ酒飲んで くっちゃべってるだけでも いいけどよ。

 たまには こういうのも悪くないじゃん?」

「…罰金くったら お前らに請求すっからな…」

 渋々承諾して、黄根は腰をあげた。

 

…後から考えれば、この時点で彼らは"引き寄せられていた"のかも知れない。

 違和感は確かにあって、しかし、得てしてそういうものは当事者にとって"気に留めるようなものではない"のである。

 いわんや、そこから先の事を想像する判断材料にも なり得ないのだった。

 

〜〜〜◆◆◆〜〜〜

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 郊外を抜けて、街灯すら無くなった県道を やや暫く進み、山道に入った時点でカーナビがアテにならなくなった。

「いや、この時点でガチでヤバイんですけど?大丈夫なのコレ?ケータイ繋がってる?」

「うわ、圏外だわ」

「オイイイイ!!?ちょっと勘弁してくれよォ!?」

 最高潮の不安を抱えつつも、黄根は車を進めるしかなかった。気が付けば、真夜中の山中で、ほぼほぼ一本道に入り込んでいる。引き返すにしてもUターンするスペースを見つけるまでは前進するしかない。

「なんかあってもロードサービス呼べねえじゃん!」

「いや、ちゃんと前見ろ前!道、はみ出したら 落っこちんぞ」

「白木ぃ〜、ホントに ここなんかよォ〜」

「そりゃ間違いないですよ、一本道なんだから。間違えようがないでしょ。タイヤ跡もあるし」

 確かに、こんな山道にも関わらず、車の通ったような形跡が うっすらとある。肝試しや廃墟探訪に来る人間が、そこそこいるのだろう。

「そんなにメジャーなスポットじゃないんだけどな…DQNに荒らされてないといいんですけどね」

「今は俺達の心配をしてくれ」

 

 唐突に、車は少し開けた場所に出た。コンビニの駐車場くらいの広さで、敷き詰められた砂利の隙間から草が生えているような所で、そこから先は行き止まりのようだ。

「あ〜…やっとUターンできるわ」

 安堵の溜息をついた黄根だったが、

「いや、ここから少し歩くんですよ」

という白木の言葉に

「(目的地)ここなんかい!」

と突っ込みを入れる。

「元々、どっかのブラック会社の研修施設だったみたいです。ここが駐車場だったんでしょうね」

「車はここまでなの?」

「みたいですね」

黒沢の問いに、わざわざケータイにダウンロードしておいた情報を見ながら、白木が応えた。

「ほら、あそこから入って、少し登るんで。ライトは僕と、一応もう一人誰か持って下さい」

 そう言うと白木は自前の高輝度懐中電灯を持って車を降りた。

 

「ええ…?」

 3〜40mも歩いただろうか、深夜の山中に忽然と現れた建物は、想像してたのと違った。

 コンクリート造りの4階建ての建物。一階正面は ほぼ全面がガラス張りで、建物の前は少し開けている。田舎町のビジネスホテルといった風体だ。

 入り口のドアのガラスが無残に叩き割られているのと風雨による汚れ以外、目立った損壊もない。

「おかしくないか?」

黒沢が疑問を口にした。

「車道があの細い一本道しかなくて、しかも さっきの駐車場で行き止まりなのに、どうやって建てたんだ こんな建物」

「なんででしょう?不思議ですよね…」

「まあ、別に俺らには関係ねえけどな」

 それ以上の疑問を脇に置いて、赤井は早速 建物の中に入ろうとする。

「ガラス気をつけろよー」

「しっかし、思い切った割り方したな!いくら不法侵入したいからって、こんなガッツリ 玄関破壊するか?普通…」

「人が割ったんじゃないのかも…。何らかの理由で割れて、その後で廃墟マニアなんかが中に入れるようになって、そこから口コミで話が広がった、って線もありますよ」

「確かに、これを割るとなったら車載のハンマーじゃ無理だよな。最初からガチで扉やぶるつもりで、馬鹿でかいハンマーでも持ってこないと…」

 玄関内は開けたロビーになっていて、しかも二階とは吹き抜けだった。ますますもって どのように建てたのか不思議である。

「なんか綺麗じゃね?」

 正面がガラス張りだからか、ライトで照らさなくともロビー内は薄明かりに浮かび上がっている。

 その白い壁に、廃墟にありがちなラクガキは見当たらない。ライトを当てればゴミや塵・ホコリが積もっているのが分かるものの、案内図やら"○○室"と描かれたプレートやらは破損していない。

「まあ、まだ あんまり知られてない所ですし。僕としては荒らされてなくて嬉しいですよ」

「"心霊スポット"って雰囲気は無えけどな。本当に、ただの廃業したばっかりのホテルみてえじゃん?もっと感じ出してくれねえと、△△ちゃん連れて来た時に盛り上がらんわw」

 喜ぶ白木と、拍子抜けして軽口を叩く赤井。

 しかし黄根にとっては、出発してから感じ続けている"違和感"が更に募るだけであった。

「上に行くにはエレベーターしか無いのか?」

 ロビー脇の、電源の入っていないエレベーターのボタンを、手慰みに連打しながら黒沢が言った。

「んな訳ねえだろ。最悪、非常階段とか無けりゃ消防法に引っかかるだろ」

「わかんねえぞ?建ってる場所が場所だし、違法建築だったりして」

「電気が通ってたみたいだから、それは無いかと」

 

 4人はアレコレ話しながら、部屋をのぞき見しつつ1階を探索する。どうやら この階は事務室や応接室、和室、小ホール、食堂などで構成されているらしい。事務室以外、備品などは撤去されているので、どの部屋も殺風景である。

 そうしているうちに、1階の隅の方に上への階段があるのを見つけた。

「お、あったあった」

「上にはもっと、何かあるといいんだけどな」

 そう言って階段を登り始めた時、遠くの方で

『チーン』

と、ベルのような音がした。4人は思わず固まる。

 静寂の中、何か駆動音のような音が微かに聞こえる。

「…聞こえたか?」

「何?今の?エレベーターの音?」

「まさか…」

 皆、思う事は同じだった。電源の落ちているはずの廃墟で、エレベーターの到着したベルが鳴り、その扉が開いた・・・。一瞬、全員の脳裏にその光景が浮かぶ。

「…確かめましょう!」

 数秒の沈黙の後、呟くように言って白木が駆け出す。赤井が慌ててその後を追い、黒沢と黄根は一瞬 当惑した顔を見合わせて それを追った。

 

 やはりエレベーターは先程と何も変わらず、その扉を固く閉ざしたままだった。もちろんランプも点灯しているはずもない。

 眉をしかめつつ白木は扉やその周辺を照らし、異常を見つけようと目を凝らすが、扉の周辺に付いた埃が何年も稼動していない事を物語るだけである。

「や、やっぱり何かの聞き間違いかぁ」

強がりのような、期待外れのような、安心したような妙なトーンで赤井が言う。

「いや、何かが起こったと思います。"電話線の切れた電話のベルが鳴る"とか"電池の入っていないダンス人形が踊り出す"という霊障もある事ですし…」

「扉、開けてみるか?」

「いや、流石にそこまでは…」

 やや脳筋ぽい提案をして、黒沢がエレベーターの扉に手をかけようとするのを、白木が止めた。

「まあ、霊障だったとしても、俺達はその場に居合わせなかったんだ。実際に見る事が出来なかったんなら、気のせいと変わらねえんじゃねえか?」

 思わず どっちつかずのコメントをしてしまう黄根。ずっと感じている違和感のせいで怪奇現象を全否定も出来ず、かといって実際にソレに遭遇したいわけでもない。そんな今の自分の立ち位置が、この場に相応しくないものだと 自分でも思う。

 かといって、『自分だけ車に戻って待機している』という選択肢も思い浮かばなかった。10年も つるんでいる仲間と、この状況で別行動をとるというのも、黄根にしてみれば よっぽど不自然な事である。

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 結局、エレベーターの件は保留にして、一行は2階に上がる事にした。

 階段は間取りの端にあるため、2階の最初の部屋は、必然的に いちばん端の部屋となる。

 そこは1階の部屋よりも手狭で、学校の教室の半分以下の広さしかなく、数個のダンボールとガラス戸の棚があった。何かの準備室といった感じである。窓は無く、ライトで照らさなければ何も見えない。

 ごく自然に、誰とはなく半分蓋の開いたダンボールの中身を覗き込む。

 中身は『販売員指南書』と書かれたマニュアル本だとか、『SSP-004s 仕様書』等と書かれた商品の説明書の束だとかで、特に興味を そそられるものではない。この施設で行われていたという社員研修とやらで使われていたものだろう。

 ダンボール箱の中身に拍子抜けした4人は続いて書類の入った棚に目をやった。鍵こそかかっていたが、ガラス戸ごしに読めるファイルの背に書かれたタイトルも、やはり社員研修のための指導マニュアルやら『平成○年度参加者名簿』といった、特に見たいとも思えないようなものばかりである。

 次の部屋の探索に移ろうとして ふとライトを下げると、その棚の下部の収納スペースが鉄製の箱に置き換えられている事に気付いた。観音開きの収納の扉が外されて、正面を南京錠で止めた簡単な金庫のような箱がスッポリはまっている。

「何だこれ」

「ずいぶんと物々しいな」

「なんか、レア物入ってるっぽい?」

「空でしょう。大事なものを入れてたんでしょうけど、だったら中身は持ち出してますよ」

「でも、金具が ちゃっちいな。一度壊れて、応急処置で修理した、みたいな」

 そう言いながら黒沢が南京錠に手をかけ、ガチャガチャと引っ張る。

「ちょっと黒沢君、やめて下さいよ!」

「おう、不法侵入はともかく、器物破損はちょっと…」

 制止する白木と黄根の声に、黒沢は反論した。

「いや、俺達がやらなくても、そのうち別の奴が開けるだろ?玄関のドアだって ぶっ壊されてんだし。

 別に中のモノを盗ろうってんじゃない、ただ開けて見るだけなんだからさ。お前らだって、気になるだろ?」

 そう言われるとその通りなので、二人もそれ以上 止めようともしなかった。

 「お、外れそうじゃん」

 4人の視線が、金庫の扉に集中する。

 

「なーにを してるんですかアンタ達」

「「「「うわああああああああああああああ!!!???」」」」

 突然、背後から声をかけられた4人は思わず大声をあげてしまった。

「っ、つ〜〜〜…」

 ライトが部屋の入り口を照らすと、そこには場違いな格好をした女性?が、耳を押さえて立っていた。

 セーラー服の襟のついた膝上10cmの真っ赤なワンピース。袖は肩と つながっておらず、手首のあたりで広がったアームカバーのような形になっている。頭には、教会のシスターの頭巾のような、ちょっと見た事のない形状の帽子をかぶっている。

「うおっまぶしっ」

「だ、誰だ、お前!!?」

 テンパった声で赤井が叫ぶ。まあ、彼が言わなかったら別の誰かが、同じようにテンパった声で問うていただろう。

「こっちのセリフですっ!」

 改めて顔と背格好を見てみれば、それは"少女"と言っていいくらいの風体だった。声だけが少々オバチャンがかっている。

 首からは社員証のようなものをブラ下げて、タスキ掛けにショルダーバッグを下げている。

「何で、よりによって今日、こんな所に遊びに来るんですか!!仕事の邪魔なんで!!さっさと帰ってくれます!?」

 何か、よくわからない理由で怒っているらしい その少女は、一方的にまくし立てる。

「いや、仕事って…」

 もちろん、4人とも話についていけない。当然、こんな突然現れた奇妙な少女の言い分に、ハイ分かりましたと即座に対応も出来ない。

「いや、だから なんなんだよ お前は」

 いちばん早く我に返った黒沢が、やや高圧的に口を開いた。

「どうせお前も、ここに肝試しに来たクチだろ?見たところ中学生くらいか?どんな仲間と つるんでるのか知らんけど、中坊が出歩く時間じゃねえだろ?ツレはどこよ?」

「ツレはいませんし、中学生でもありませんよ」

 憮然とした表情で少女は言い返す。

「こう見えて あなた達より年上です。そして、私はちゃんと市からの要請を受けて、許可された上でココに立ち入ってるんです。一緒にしないでくれます?」

「市からの要請ってw」

 やっと平静を取り戻した赤井が いつもの軽い口調で口を挟む。

「今、"仕事"って言ってたけど、じゃあ おたく 何やってる人なの?こんな夜中に女一人で廃墟の調査とか、常識的に言って有り得ないでしょ」

 落ち着いてしまえば確かにその通りである。どっちがより怪しい人物かと言えば、少女の方が圧倒的に怪しい。

「下の駐車場にも、他に車もバイクも無かったしな」黄根も疑問を投げかける。「アンタ、どうやってココに来たんだ?まあ"その格好で歩いてきた"って言われても、不可能ってほどじゃないだろうけど…」

「チッ」聞こえないくらいの小声で、少女は毒づく。「(カンのいいガキどもめ…)」

「…ま、まあ、キミが この建物に住み着いてる霊だ、っていうんなら、そっちの方が説得力あるかなぁ、って…いや、もちろん冗談だよ!?」

 オカルト好きの白木の発想は突拍子もないものだったが、他の3人は一瞬 同意しそうになった。

 こんな深夜、しかも山奥の心霊スポットに車も使わずやってきて、女性がたった一人で入り込んでいるのが『公用』だと言う。異様としか言いようが無い。いっそ幽霊であってくれた方が よっぽど納得できる。

「あは、ソレ、有りかもだよ、白木w」

 この不安な状況を無理矢理なんとかしようと、赤井も白木の"冗談"に乗っかろうとする。

「足はあるみたいだけどな…ヤッてみれば幽霊かどうか、わかるんじゃね?w」

「頭 涌いてるんですか」「馬鹿いってんじゃねえよ」

 赤井の下品な冗談に、少女と黄根のダブルツッコミが入る。

 

「えーっと、アンタ、名前…」

気を取り直して、黄根は少女に近づいた。

「ヒノモト オニコです」

「名札に ヒジマ レイコって書いてあんぞ」

「読めるなら聞くなよ」

 ライトで照らされた名札には『火島レイコ』と書いてあった。本当は その上に小さくアルファベットで『Kashima Reiko』と書いてあったのだが、それに気付く前に黄根の関心は名札に書いてある役職名に向いた。

「太宰府神社 文書館 第二分室 管理員…アンタ、大宰府天満宮の人?」

 大宰府天満宮…天神・菅原道真を祀る、日本の代表的な神社のひとつである。その特徴を挙げればキリがないため、ここでは その説明を省くこととする。

「なるほど、神職の人でしたか!」

「え。おたく、巫女さんなの?」

「いや、管理員って、事務職だろ…」

 他の3人が それぞれの思った感想を口にする。

「まー、管理員っていうか、清掃員っていうか…」

「バイトじゃねーか!」

「委託職員!!」

 思わずツッコんだ黄根に反論するレイコ。

「でも、神社がらみって事は…やっぱりこの建物、"本物"って事ですよね?」

 オカルト好きの白木が、やや興奮した口調で問う。大宰府天満宮ほどの格式ある神社が、内々に公式に職員を派遣したとあれば、それは心霊スポットとして"本物"だという お墨付きが与えられたようなものだ。

 世のオカルトマニアの多くがそうであるように、白木もまた"決定的な霊体験"というものを した事が無い。

 ネットで『ガチで危険』とされているような儀式に手を出した事もあれば、ネットに情報が無く 一部の"関係者"の間だけで『本当にヤバイ』とされているような心霊スポットにも足を運んだ事があるが、それでも"コレ"といった体験を得るには至らなかった。

 今、こうして"明らかに異常な状況"に陥り、その状況下で現地点が『本物の心霊スポット』であるという証明が得られては、期待するなという方が無理である。

 

 …一方のレイコはと言うと、苦虫を噛み潰したような表情で全身から『めんどくさい事になった…!』というオーラを放っていた。

 この建物が"本物"かと聞かれたら、『そうだ』と答えるしかない。もう この状況で どう言い訳しても『ここには霊なんていないよ!』とは ならない状況である。

 自分の失言が原因で、この若者達の危険な好奇心に火をつけてしまった。

 こんな所まで わざわざ肝試しに来るくらいだから、彼らに悪霊を恐れる気持ちは希薄だろう。"危険"に対する心構えを持っていないし、その反面、もう心霊現象の一つでも体験しなければ帰れないくらいの気持ちになってしまっている。

 レイコは深い溜息をついた。

「…この状況で誤魔化しようもないんでしょうね。ええ、この場所は…えー…"霊的に かなり危険な所"です」

 言っても無駄だろうな、と思いつつも、レイコは説得にかかる。

「ハッキリ言って、神なり仏なりの加護を受けた人間以外、立ち入って無事を保障できるような場所じゃあないんですよ。

 私も神職に関わる者として、その危険に一般人が巻き込まれるのを、むざむざ看過したくないし、するべきではないんです。

 貴方達に何かあったら、私も それ相応の処分を受ける事になるかも知れない。

 ここはひとつ、助けると思って帰ってくれませんかお願いします」

 泣き落としのような情けない理屈で、レイコは頭を下げる。

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「まあ、そこまで言うんなら、アンタにも事情があるだろうし…」

 そう黄根が納得しかかった時、赤井が猛然と反発した。

「おい黄根!何、言いくるめられそうになってんだよ!?そりゃあ おかしいぜ!?

 今、この状況で、なんでソイツの言う事を丸々信用できるんだ!!??」

「いや、丸々信用するってわけじゃ…」

「そもそも、こんなところに居る時点でマトモな奴じゃねえだろ!その社員証だって本物かどうかなんて わかんねえし!!」

「いや、でも、本当に大宰府天満宮の人で、除霊のために ここに来てるんだとすれば、多少は辻褄が…」

「多少だろ!?まだソイツは、俺達を信用させるだけの事を何も言っちゃいねえだろうがよ!?」

 白木のフォローにも赤井は にべもない。しかし赤井の言う事も もっともである。

「なあ、お前、ここは"霊的に かなり危険"だって言ったよな?」

 そこに黒沢も加わる。

「けれど、何だ、ここに入り込んだのは、俺達が初めてじゃぁ ねえだろ?

 心霊スポットとしてソコソコ知られてる、って事は、俺達より前に ここに来て、何らかの おかしな体験をして、無事に帰った奴らがいるって事じゃないのか?」

「まあ、それは…」

レイコの答えは歯切れ悪い。

「運が悪くなかった、としか…」

「運?」黒沢の眉間のシワが一層深くなる。「ただの運で片付けようってのか?」

「分かりやすく言うと そうなっちゃうんですよ!」

 まあ、納得してもらうには最悪の答えではある。歯切れも悪くなろう。

「基本的に、"霊"っていうのは"この世"が よく見えてないし、人なりモノなりを感知出来ないんです。

 人間が、肉眼では紫外線が見えず、犬笛の音が聞こえないように、"霊"というのは例えるならば『紫外線"しか"見えない』し、『犬笛の音"しか"聞こえない』みたいなものです。

 しかも、それぞれの"霊"が感知できるモノっていうのは それほど理路整然としていなくって、かなり極端な例え方をすれば『1週間以内にサンマを食べた人間の姿だけが見える』とか、『生涯で40時間以上サンバを踊った事がある人間の声だけが聞こえる』みたいな、人間からすれば意味不明な基準で現世のモノを感知してるんです。

 ただ、よっぽど無茶な条件でなければソレに当てはまる人間というのは存在し得るし、存在し得る人間がいる以上 それを感知できる"霊"と接触する確立も完全にゼロにはなりません。

 より厄介で危険な"霊"というのは、その条件が比較的現実的だったり、より多くの人間を囲い込めるような広いテリトリーを持っていたり、あるいは偶然に接触した対象者に より深刻な影響を与えたりするものを指しますが、ぶっちゃけると『具体的な霊障に遭遇する確立』というのは ほぼ"運"と言ってしまった方が、人間が理解する上では適切なんです」

「だったら」

 赤井は尚も食い下がる。

「俺達だって、よっぽど"運"が悪くない限り、何事もなく帰れるって事じゃねえか」

「いや、貴方達は」

 頼むから分かってくれ、といった上目づかいで、レイコは言った。

「貴方達は、『呼ばれてしまって』ここに来たんじゃないですか」

 

「ヒジマさん」

 見かねて話を変えようとしたのは白木である。

「じゃあ、あなたは一体、何を心配してるんです?

 僕達が ここに居るのは危険だと、あなたは言うんですよね?

 僕達がここの"霊"に呼ばれた、つまり、ここの"霊"には僕達が感知できるし、僕達に危害を加える事が出来る、として…

 ここに留まれば、僕達は ここの"霊"に、何をされるんです?」

「食われます」

 あまりにシンプルに言いすぎである。赤井は堰(せき)を切ったように噴出し、他の3人は眉をひそめた。

「プッ、ハハハハハ!!食われる!食われちゃうんだ!!アハハハハハ!!そりゃ傑作だ!!ヒヒヒヒヒ!!」

「おい赤井」

「いや、お前ら…ククククク…ここ笑うところだろ!!あひゃひゃひゃひゃ!!

 今時そんな…ハ、ヒヒヒヒ…幼稚園児相手にでも言わねえよ!!ゲッゲッゲッゲッ…

 あ゜ーーーーーーッ、あ゜ーーーッ、苦し…」

「おい赤井、大丈夫か…」

 あまりに派手に笑い転げる赤井に、レイコも含めた4人は心配そうに見守る。

 

「"食われる"っていうのは…なんだろう、もちろん"物理的に"ってワケじゃないんだろ?」

 赤井が落ち着くのを待って黄根が聞いた。赤井のオーバーリアクションを見せられた後だけに、他の3人は逆に冷静さを取り戻している。

「ええ。もちろん"霊的に"です。その"霊的に"というのを説明するのは難しいんですが…」

「生命力やら、気力やらを吸い取られる、とかでは ないんですか?」

「それもあるし、それ以外のモノも"持っていかれ"ます。貴方達は、ここを訪れて戻ってきた人達の"その後"の話を聞いた事がありますか?」

「俺と黒沢は、今日初めて聞いたから…どうなんだ白木?」

「そういえば、僕も聞いた事がないですね。特に"何かに撮り憑かれて、後々酷い事になった"とかいう話は、無かったんじゃないかな?」

「特に霊障が残った人はいない、と、皆は思っているというわけです。でも、」

 レイコは少し言葉を区切る。

「その人達にも、本人も周りも気付かないような、ごくごく小さな変化があるんじゃないかと、私は思います。

 例えば、なんてことのない記憶の断片を忘れてしまっていたり、食べ物の好みとか好きな芸能人が変わってしまったり、それまで続けていた生活習慣をパッタリやめてしまったり…

 そんなのは普通に生活していても起こり得る変化ですが、だからこそ、ここを訪れたのを境にソレが起こっても気付かないだけで」

「それも、何かを"食われた"せいだって言うのか?」

「さっきも言いましたが、"霊"というのは理路整然としたモノではないんです」

 少し説明し疲れたように、レイコは答える。

「"霊"が"食らう"部分も、人間の生存にとって重要な要素である場合もあれば、特に必要のない部分である事もあります。それは それぞれの"霊"によって まちまちだし、誰に対しても毎回同じ というわけでもありません。

 "霊"は、自身が感知できる人間の、食らいやすい部分を食らう。それによって"食われた"人間が死んでしまうか、あるいは生き残るかは、"霊"にとっては意味がないんです」

「なるほど…」

「つまり、"何"を食われるかは"霊"次第で 予測は出来ない、って事で合ってるか?」

「そうです。ただ、"霊"が"食らう"のが どんな要素であれ、過剰に"食われ"れば ヒトは死にます。

 例えば、"人毛"だけを食らう妖怪がいたとして、エサとして1人の人間を捉えたとしましょう。

 まずは一番豊かな髪の毛から食べ始めるでしょうが、食べる量が多ければ頭髪を食い尽くすまで それほど時間はかかりません。それで食い足りなければ他の体毛にも手をつけ始めて、それも食べつくしてしまっても まだ足りず、他の得物を手に入れられなかったら…

 その人間の、"毛に近い構成物"まで むしゃぶり尽くそうとするでしょうね。つまり、その人間のタンパク質を根こそぎ…」

「じゃ、じゃあ、僕らがここに居続けたら、ここの"霊"の"得物"になって、命に関わるものまで食い尽くされてしまう、と…」

「鈍いぞ、白木」

黄根が真顔で訂正する。

「ここに居続けたら、じゃない。たぶん、ここに来ようと決めた時から、俺達はもう蜘蛛の巣に引っかかってたんだ。そうだろ、ヒジマさん?」

レイコは無言でうなづく。

 

「黄根、お前まで何を…」

 焦ったように黒沢が反応した。

「いや、自分で言っててオカルト臭えとは思うけどよ…

 なんとなく違和感は感じてたんだよ、ここに来よう、って話になった時から。普段なら、どんなに盛り上がっても話の上だけで、実際に何かしよう、どこか行こうなんて行動力、俺達には無かっただろ?」

「確かにそうだけどよ…」

「なんで赤井は、今日に限ってあんなにもゴリ押ししてきた?そんなキャラじゃねーだろ、コイツは。

 そりゃ、人間、たまたま何かの拍子に『どうしても行きたい!』って気分になる事だってあるだろう。俺もさっきまでは『そういう事もあるか』って思ってた。思おうとしてた。

 けど、今のコイツの馬鹿笑いを見たろ?絶対に いつもの赤井じゃねえ」

「うん…」

「まあ、『取り憑かれてる』って感じでしたよね…」

「ハア!!!???俺がおかしいって言うのかよ!!!???」

 一旦は落ち着いていた赤井が再び大声を張り上げる。

「いや、おかしいのは この女だろ!!??いきなり現れて訳のわからねー事並べ立ててよ!!??明らかにイカレてるだろソイツ!!??

 そんな奴の釣りに引っかかる お前らも おかしいって!!雰囲気に流されてんじゃねえよ!!」

 これまでの"違和感"がなければ、赤井の言い分の方が正論である。

 こんな廃墟で、真夜中に一人徘徊している女など、不審者以外の何者でもない。そんな人物が口にした突拍子もない話を判断材料にする方が よっぽど正気が疑わしい。

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 確かに、雰囲気に流されてはいる。黄根は自分でそう思った。

 反面、この奇妙な格好をした自称神社職員の言う事が、なぜかデタラメとは思えない。

 自分は、『早くここを出たい』のだと思う。今となっては直感的に そう感じているのがわかる。理由は後付けでもかまわない。

 部屋を出る前から、重なりながら続く違和感の果てに何があるのか、それを知ってしまったら"終わり"なのではないか?という恐怖が、黄根の中で徐々に形を成してきていた。

「ただの廃墟だろ、こんな所」

 嘲るように赤井が言った。

「別に自殺や殺人の現場でもねえ、曰くつきでも なんでもねえ タダの研修センターだろうがよ。そんなところに 何の霊が出るってんだ。

 頑張って ゴタク並べまくったのに可哀想ですけどね、話 盛りすぎなんだよ」

 先程までと比べて少しは落ち着いてたのだろう。自分の"正論"に満足したように、赤井は鼻でフンッと笑った。

「まあ、確かに"事件現場"ではないですね…今日の昼には"死亡事故現場"には なってるでしょうけど」

 それに対して、レイコは聞き捨てならない事を言い出す。

「オイオイ、ちょっと待て何だそれ」

「それって、僕らがここで死ぬ、って言いたいんですか!?」

「違いますよ。あなた達の先客の事です」

 半分以上 諦めたような顔で、レイコは語り出す。

「6人…この3年間で、(この建物のある)○×市で行方不明になった人達のうち、6人が この建物に侵入しています。そして まだ この建物から出ていません」

「って事は…」

「当然、ここで死んでます。遺体は発見されてません」

「じゃあ何で そんな事が分かる」

「それこそ霊能力的な方面からの追跡と分析ですよ」

 レイコは名札の紐をつまんでブラつかせる。

「当日の足取りで、全員が この山の最寄のコンビニに立ち寄ったところまでは、警察も把握しています。

 で、失踪者の身内からウチの神社に相談があって、霊視したところ この建物に入ったのは間違いないと。

 ですが、この建物は出入り口も窓も全部施錠されていたので、物理的には侵入できない状態だったんです」

 道理でラクガキが一つも無かったわけである。恐らく、正面玄関が壊れたのは つい最近であり、それ以前は この建物には立ち入る事自体が出来なかったのだ。

「まあ、そこを掛け合って一通り内部を調査したんですけど、特に遺留品なんかは見つかりませんでした」

「そりゃ、入れなかったんなら 中に遺留品なんか無いのは当然だろ」

「でも、"何者かが侵入した形跡"はあったんです。

 鍵も壊されていないし、窓も締め切っているのに、床の埃の上に真新しい足跡や備品を引きずった跡が」

 唐突にミステリーじみた話になってきた。

「警察も困ったみたいです。どこか出入りできる箇所は無いかと探したらしいですが、それらしい場所は発見できず、結局、それらの痕跡は証拠としては弱いという事で、警察の方では失踪者との関連は薄いと結論づけられました」

「そら見ろ」赤井が小馬鹿にしたように言う。「警察が捜査して無関係だと言ってるんだ。やっぱりお前の でっち上げじゃねえか」

 本当にでっち上げならば、わざわざ自分からそんな事は言うまい。警察の捜査うんぬんは 単なる状況説明に過ぎない。

「捜査したのは"普通の捜査員"でしたから。"普通の人"に見えないものは発見出来ませんよ」

 むしろ ここからが彼女達の仕事である。

「実際に侵入されたという証拠が無いせいで、"この建物から出たという証拠も無い"という点は無視されました。

 ウチの職員が問題にしたのはソコで、霊的に"入った痕跡"は掴んだのに"出た痕跡"は無い。そして建物内に関しては、ほぼ霊視が不可能だったんです。

 それで、この建物は何か強い霊的な力で封じられているのだと判断されました。

 後日改めて、霊能力を持った職員が派遣されたんですが、そこで 想定外の事が分かった。

 この建物の中は霊的感知だけでなく、『普通の人間の知覚感覚さえ狂わせるほどの力場になっている』と」

「どういう事だ?」

「具体的には、そこに実在しているものの姿形が見えなくなってしまう現象が起こりました。存在しないはずの幽霊が見えてしまうのと、ちょうど真逆の現象ですね」

「なるほど、言われてみれば あり得そうですね!無いものを見せる心霊現象があるなら、その逆も可能なのか…!」

 白木が感嘆した。

「派遣された職員には当然 霊能者もいたわけですが、彼らは元来"見えすぎる"人達ですからね。建物の外から霊視をしたんですが、思いっきり"力場"の影響を受けて、一時的に視力まで奪われてしまって。その日はもう調査にならずに引き上げざるを得なかったみたいです。

 

 …そうこうしているうちに、行政処分だか何だかで、ここの持ち主がこの建物を手放す事になりまして。所有権が市の方に移って、まあ、心霊スポットとか何とか噂は立っていましたし、使い道も無いので取り壊そうか、という話になったようです。

 っても、この建物を作る時に使われていた道は土砂崩れで塞がれちゃってるので、すぐには重機も入れられないでしょうけど。

 でもまあ、とにかく取り壊す前提で話がまとまったので、いっぺん視察が入る事になったんです。それが今日の昼前です」

 時刻は深夜0時を回っている。数時間後には役所の人間が やって来るわけだ。

「警察の捜査が入って、市の視察まで行われて『何もなかった』となれば、ウチの方でも もう手出し出来なくなっちゃいます。

 早急に手を打たないと、と思っていた時に、たまたま私のスケジュールが調整できましてですね。

 ギリギリになっちゃいましたけど、行方不明者の遺体を『普通の人間にも見える状態』にして、あと、状況の辻褄が合うように ちょこっと細工をして、視察の時に見付けてもらおう、という事になったんです」

「いや、霊能者が一時的に失明するような所にアンタ一人派遣するって、かなり無茶だろ」

「霊能者にも得手不得手はあるんですよ。彼の場合『見えすぎた』から影響も大きかったわけで、私は特に霊視とかはしないんで」

「それで どうやって見付けるってんだ?」

「霊障で見えなくなっているなら、その影響をあまり受けない体質であれば 普通に見つけられると思いません?」

「でも、『普通の人間でも影響を受ける』って、さっき…

 …あっ、"霊を感知する能力が過敏"なのではなく、"霊の影響に対して抵抗する力"が強ければ、霊の力で隠されたものも見えるって訳ですね?」

「その通り。私は そっち方面には かなり強い方なんで、まあ適材適所って事で白羽の矢が立ったわけです。

 もっとも、ここの"霊"は かなり厄介でして、霊的にだけでなく物理的にも隠されてまして…流石に簡単には見付からなかったし、しかも、事故に見せかけるには ちょーっと無理があるような状態だしで、どうしようかと…」

「え、見付かったんだ、死体」

 黄根が口に出した途端、4人の背中を何かが駆け抜けた。

 正直、レイコの話は常識的に言って現実味のある話ではない。だから、一応の筋が通っているとは言え、自分達への警告も 半分他人事のように聞こえていたのだが、そのレイコが『既に死体は見つけた』と言う。

 それは、すなわち『見せろ』と言われれば見せられる状態にあるという事で、それをもってレイコの話が事実であると証明できる、という事を意味する。

 唐突に訪れた現実感に、一同が固まる。

-6ページ-

「…どこに、あるんだ?」

「おいやめろ黒沢!!」

「いや、ヤバイですって!!僕もガチの死体なんて、見たくありません!!」

 つい こぼしてしまった黒沢のつぶやきに、黄根と白木が慌てて抵抗する。

「いや…まあ、うん…それはそうだな」

 まだ完全にはレイコの話が事実だという確証は無い。もしかしたら本当に出任せなのかも知れない。

 しかし…『万が一にも本当だったらシャレにならない』という事に気付いて、黒沢は前言撤回の意を示した。

「え?何言ってるの。死体あるんなら見なきゃダメでしょ?」

反対意見を出したのは またしても赤井である。

「いや、お前、気は確かか!?この人と一緒に遺体発見者になって、警察で取り調べとか受けたいのか!?」

「何?ビビってんの黄根ちゃんw」

 軽口で煽る赤井。もっとも、彼らから見れば その軽い態度は"いつもの赤井"のものだった。そのため、彼らの心に若干の"安堵"が生まれてしまった。

「ハッキリ言って、俺はその女の言う事なんて信用してないからね?

 長ったらしい講釈たれてっけど、言ってる事はオカルトオタクの妄想じゃん。常識的に言ったら『有り得ない話』っしょ。

 "死体"という"証拠"があるってんなら、見せてもらおうじゃないの。

 そうしたら俺だってコイツの言う事信じるし、納得して帰ってもいい」

 相変わらず何かに固執している風ではあるが、赤井の言い分には一理あった。レイコの話は、確かに何一つ証明があるわけではないのだ。

「確認したら、それで帰るんだな?」

 黒沢が念を押すように赤井に問う。

「帰りますよ。いくら俺だって、本当に死体が転がってるような場所、気色悪いし」

もう他に、彼を説得する手段は無いだろう。なんとも言えない表情で、黒木はレイコに向き合った。

「そういう事だ。悪いが一回だけ、お前の言う"遺体"とやらを見せてもらおう。

 そうしないとコイツは納得しないようだし、逆に言えば、それさえ確かめれば お前の言ってる事が本当だと証明されるんだ。

 後は、ちゃんと お前の指示に従って ここから出て行くし、口止めが必要だって言うなら この話は誰にもしない。

 それでいいな?」

「正直、承諾しかねますが…」

 レイコは半分泣き出しそうな顔をしている。

「この様子だと仕方ありませんね。分かりました。

 ただし、これだけは約束して下さい。

 遺体を確認して、この建物を出るまで、決して私の側を離れない。必ず見える範囲にいて下さい。

 いいですね?」

 全員が頷く。が、やはり赤井だけはテンションが違うようだ。ポケットからスマホを取り出す。

「いや、何するつもりだ お前!?動画とか写真とか撮ろうってんじゃないだろうな!?」

「え、だって、証拠になるじゃんwww 『マジで死体見ましたー』とか、話だけしても嘘だと思われるじゃん普通」

「悪趣味すぎるし、色々ヤバイですって!そんなもん見せられたって、相手ドン引きしますよ!!」

「ちぇっ」

 赤井のノリに一抹の不安を覚えながらも、黄根は改めてレイコに聞いた。

「それで、その死体は どこにあるんスか?」

「えー…ちょっと…言いづらいんですけど…」

 言いよどんで、またもやレイコは とんでもない事を口にする。

「最後の一人、この部屋にいるんです」

 

 赤井を除く3人は、思わず「おわっ!」と叫んで辺りを見回した。

 ダンボール数箱と書類棚しかないと思っていた この部屋のどこかに、人間の死体があるのだ。肝を抜かれない方がおかしい。

 しかし、そういう意味では やはり赤井は"おかしくなっている"のだろう。一人だけテンションをブチ上げている。

「いや、ちょ、どこよ?www マジですか?www」

 楽しそうな声を上げながら、あちこち懐中電灯で照らしたり、ダンボールを ひっくり返したりし始める。

「いやいや、冗談きついわーwww あるわけないっしょwww こんな狭い部屋、死体あったら すぐ見付かるってwww」

「忘れたんですか、赤井君!さっき彼女が『普通の人間には見えなくなってる』って…」

「そんなん嘘っぱちだろ!死体なんて あるわけねーんだよ、かつぎやがって」

 赤井はダンボールを蹴飛ばす。

「どこにあるんですかねえ、死体は!えー、大宰府の霊能者さん?」

 勝ち誇ったように、わざとらしい口調でレイコを煽る赤井。

 それに対して、レイコは苦々しい表情で、先程まで4人が鍵をいじっていた金庫のある書類棚を指差した。4人の背中は再びザワっとする。

「え、まさか…」

「あの金庫…の中か…?」

 おおよそ人が入るようなスペースは無い。もし死体が入れられているとすれば、全身がバキバキに折られているか、さもなくばバラバラ死体であろう。

 それを想像して動けない3人に対し、一瞬の躊躇こそあったが赤井は書類棚に飛びつき、外れかかっている金具に手をかける。

「や、やめましょう赤井君!!」

 意外にも真っ先に白木が止めに入った。つられるようにして黄根と黒沢も赤井の側に駆け寄る。

「今更何言ってんだ!!」

 皮肉にも、止めに入った白木が強く赤井を引っ張った勢いで、金具は外れてしまった。その衝撃で扉も全開になる。

「…ッ!!」

 息を飲み、箱の中身に視線を注ぐ4人。赤井の懐中電灯が、ゆっくりと中身を照らし出す。

「…何もねえじゃねえか!!!」

 箱の中身は見事なまでに空だった。紙切れ一枚、画鋲一個入っていない。

 一気に緊張の糸が切れた3人は、失望と安堵で深い溜息をついて脱力した。どちらかと言えば『何も入ってなくて良かった』という気持ちの方が大きい。

「お前、いい加減にしろよ!!クッソでまかせ ばっかり並べやがって!!俺らを おちょくって、タダで済むと思ってねえだろうな!!?」

 つかみかかる赤井に対して、レイコは苦々しい表情のまま

「いや…『そっちじゃない』です」

と返した。

「ああ!!?そっちもこっちもあるか!!あの棚のどこに死体なんか入ってるって言うんだ!!」

 尚も攻め寄る赤井は、唐突に前のめりに転びそうになった。

 『襟首を掴んでいたレイコの姿が突然消えた』と、赤井は感じた。

 振り返ると、レイコはいつの間にか数歩先に立っている。

 "杓(しゃく)"のようなものを手にしたレイコは、それをサッサッと数回振ると

「もう見えますよね?」

と言った。

 赤井が書類棚を照らし、他の3人もそれに視線を向ける。

 

 さっきまでファイルが入っていた書類棚のガラス戸の中には、メチャクチャに ひん曲げられたミイラが入っていた。

-7ページ-

「うわあああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!」

 大絶叫とともに、赤井は部屋から飛び出した。

「あっ!コラどこ行く!!? ちょ、離れちゃダメだって!!」

 部屋の扉から身を乗り出してレイコが叫ぶが、赤井の絶叫は遠ざかっていってしまった。

「ああっ、もう!!言ったのに!!皆さん、大丈夫ですか!?立てますか!?」

 驚きのあまり声も出せずにいた3人が、その言葉で我に返る。

「え…あ… …赤井!おい白木、ライト貸せ!」

「へっ…いや大丈夫です、立てます。僕も行きます」

「早く!赤井を追わないと…」

「バラけないで!私と離れないで!!」

 混乱しつつも赤井を追うべく、非常階段を駆け下りる4人。焦りからか、足の速い黒沢はついつい先行しすぎそうになる。

「早く来い!」

「赤井のライト見えないのか!?」

「そのまま外出たんじゃ?」

 言っているうちに4人はロビーに到着した。辺りを見回すが、赤井が持っているはずの懐中電灯の光は見当たらない。

「やっぱり、もう外に出たんですよ。車の方に行ってるんじゃないですか?」

「ったく、一人で勝手にゴネて、一番に逃げ出すかよ?ホント、勝手な奴だな」

「まあ、コレで あいつも懲りたろ…俺達も引き上げようぜ。ヒジマさん、迷惑かけたな」

「アッハイ…って、どこ行くんです?」

 レイコに軽く会釈して、正面玄関から出ようとする3人にレイコは怪訝そうな声をかける。

「どこって、外出るんですけど?」

「どこから?」

「どこって、正面玄関…」

「へっ!!??」

 白木がスットンキョウな声を上げた。見ると、ライトで照らされた正面玄関には、埃で汚れたガラスがはまっている。先刻、彼らが入ってきた時には、ガラスは叩き割られて ほぼ完全に脱落していたのに。

「えっ、いや、俺達ここから入ってきたよな?」

「お、おう。ガラス割れてたぞ、確かに…」

「どうやら」神妙な面持ちでレイコが言った。「あなた達は相当強い力で『呼ばれ』てしまっていたみたいですね。私は"読み間違え"ていたようです…」

 レイコの言葉の意味は分からなかったが、先程の書類棚のミイラといい、自分達が異常な状況の中にあるという事を実感して、3人はようやく彼女の話に本気で耳を傾けるつもりになった。

「ヒジマさん」黄根が問いかける。「アンタの警告に素直に従わなくて すまなかった。都合のいい話かも知れねえが…俺達はこれから どうすればいい?教えてくれ」

「とりあえずココから出ましょう」

レイコは即答する。

「私が入ってきた事務所の裏口が開いてますので、そこから。

 ただ、お友達の…赤井さん?申し訳ないのですが、彼の事は、いったん忘れて下さい」

 不吉な宣告だったが、今は従うしかない。4人は連れ立って建物を出た。

 

「おい、あれ、赤井の懐中電灯じゃないか!?」

 裏口を出て建物正面に回ったところで、木の上に何か灯りがあるのを黒沢が見つけた。

「見るな!」

 ほぼ同時に、それまでとは うって変わった鋭い口調でレイコが叫ぶ。しかし、ライトを向ける白木の動作は それへの反応が一瞬遅れてしまった。

 そこに照らし出されたのは、ありえない方向に五体を捻じ曲げられて木の枝に引っかかった赤井の無残な姿だった。

「そんな…赤井…なんで…」

「ちっくしょう!!!やってくれやがったな!!!よくも…よくも私の目の前で!!!」

 3人は呆然と立ち尽くし、レイコは激しく地団駄を踏む。

「申し訳ありません。私の判断が甘かったせいです。どう お詫びしたらいいか分かりませんが…」

「甘かったで済むか!」

「よせ、黒沢!!」

 頭をたれるレイコに向かって激昂しかかった黒沢を、黄根が止める。

「ヒジマさんはちゃんと警告してくれたんだ。それを本気にしなかった俺達にも責任はある。ヒジマさん一人のせいにするのは違うぜ」

「赤井くんが一番『呼ばれ』てたんでしょうね…それに気付けなかった僕も情けないです。何がオカルトマニアだ。霊の罠にハマって、こんな所にノコノコと…」

「お気持ちは お察ししますが、まずは皆さん安全なところに。車で来てるんですよね?」

「はい、この下の駐車場みたいなところに停めてあります」

 一行が駐車場に到着すると、レイコは3人を車に乗せ、前後とドアに何やら術をかけた。

「すぐにでも山を降りたいでしょうが、あなた達は いったん あの建物に入ってしまっています。あそこの"霊"に"得物"と認識されてしまっていますから、下山中に何らかの霊的攻撃を受ける可能性が高い。そうなれば道も狭いし、逃げ損なって事故を起こす危険もあります。

 ---私は今から、あの建物の"霊"を"処理"してきます。

 この車には護りを施しましたので、中にいる限り安全ですから、私が戻るまで絶対に外に出ないで下さい。なるべく早く戻ります」

 そう言い残してレイコは闇の中へ戻っていった。

「"処理"って…まさか一人で あそこの"霊"を除霊するつもりなんでしょうか?」

「…俺達に聞かれてもな。そういうのは お前が一番詳しいじゃないか」

「だからですよ。僕達4人をまんまと『呼び寄せ』て、あんなに簡単に赤井くんを殺せるような強力な悪霊ですよ?ヒジマさんがどれほどの霊能者かは知りませんけれど、マンガじゃあるまいし、たった一人でそんな強い悪霊と対決するなんて、無謀ですよ」

「俺達の感覚からすれば、そうだけどよ…」

 不安を口にする白木に、半分自分に言い聞かせるようにして黄根は自身の考えを述べる。

「けど、さっきまでだって、俺達の常識で考えてたからこそ、ヒジマさんの言う事が信じきれなかったんだ。

 その結果、赤井を犠牲にしちまった。

 不安なのは俺も一緒だけど、ヒジマさんはプロなんだから、勝算の無い事はしないだろう。

 俺達に出来る事は、彼女を信じる以外ないんじゃないのか?」

「けどよ、さっきも『判断を間違えた』って言ってたじゃねえか。プロだからって万事うまくやれるってもんでもねえだろ?」

 どうやら黒沢も、不安を抑えきれないらしい。

「この車だって、アイツは安全だって言うが、何かザッと お祓いみたいな事やっただけで、御札の一枚も貼ってねえだろ?そんなんで安心しろって方が無理だぜ」

「…もう やめてくれよ、そういう後ろ向きな話は」

 黄根も手が震えている。仮に、レイコを待たずに山を降りるとなっても、あの山道を事故らず下りきる自信は、今の黄根には無い。その事を二人に告げると、二人とも押し黙らざるを得なかった。

-8ページ-

 沈黙が流れて数分もしないうちに、車の外で物音がするのが聞こえた。

 見れば、施設へと続く道の入り口から人影が歩いてくる。

「あ、ヒジマさん、もう戻ってきた」

「やっぱり一人で除霊とか無理なんですよ。僕達と一緒に山を降りる事にしたんでしょう」

「山降りるったって、黄根が運転できる常態じゃねえだろ」

「まあ、俺が落ち着くまで一緒に居てくれるんなら、それはそれで心強いけどな」

「ヒジマさん、早かったですね」

 そう言って白木は後部座席のドアを開け、レイコを出迎えた。だが、次の瞬間「えっ…」という声とともに、彼の動きが止まる。

「…どうした白木?」

 同じく後部座席に座っていた黒沢が、白木の体ごしに外を覗き込む。その表情が固まった。

「え…なんでだよ…」

 そのつぶやきに、黄根は反応できなかった。何か深刻な、良くない状況になっているのは明らかだったが、一瞬、それを確認する勇気が黄根には無かった。

「あ、赤井くん…」

 白木が震えた声を出す。

 ほんの数秒のうちに、彼らの脳内に様々な考えが浮かんでは消えた。

 …もしかしたら…

 『赤井が死んだ』という事は何かの錯覚で、本当は彼は無事だったんじゃないか?俺達と はぐれてしまった事に気付いて、この駐車場まで戻ってきたのではないか?

 そんな希望的観測もあり、一同は次に とるべきリアクションを決める事が出来ない。

 意を決して、黒沢が叫んだ。

「赤井!無事だったのか お前!!」

 また いつもの軽口が返ってきてほしい、と誰もが思った。

 今夜の出来事は夢か幻か、とにかく現実ではなかったと、そうであれば良いと皆が思った。

 赤井が答えた。

「 dh時jgmmんwrjV;Q¥EM,GN:JGJあD 」

 日本語じゃなかった。聞き違いではない。人間が発する"声"とは別物だった。動物の鳴き声とも違う、"なんか変な音"。それが"赤井の姿をしたソレ"からの返答だった。

「うおおおおおおおおおおおおお!」「はあああああああああああああああ!!」

奇声を上げ、黒井が反対側のドアを開けて逃げ出す。同時に白木も悲鳴を上げながら全力で駆け出していた。

「おっ、ちょ、ま、おい!!」

 黄根も、いっそ一緒に逃げたかったのだが、シートベルトを外している間に出遅れてしまった。"赤井の姿をしたソレ"は、車から数メートルのところまで迫っている。

「ふっっっざけんなよ!!」

 後部座席に身を乗り出し、ドアに手をかける。間一髪、"赤井モドキ"の手が届く前にドアは閉まった。大急ぎで反対側のドアも閉める。

 一瞬、車内の灯りに照らされて見えた"赤井モドキ"の顔は、黄根の良く知る赤井の顔あると同時に『人間の顔ではなかった』。

 バン、バン、と、車の窓が叩かれる。ドアロックを忘れている事に気付いて、黄根は再びドアの取っ手に飛びついた。ガラス越しでも、間近の"ソレ"の存在を感じるだけで、恐怖でおかしくなりそうだ。

 "ソレ"は何故かドアの取っ手に手をかける事なく、しばし後部座席の窓を叩いた後、車の後ろに回った。そうして今度はリアウィンドウを、バン、バン、と ゆっくりしたリズムで叩き始める。しばらくすると もう一方の後部座席側に移動し、その窓を叩く。その次は運転席の窓を。

 そのようにして"ソレ"は車の周りを回りながら、窓を叩き続けた。

 恐怖のあまり気が遠くなっていく黄根だったが、ふと『中に入ってこれないんだ。ヒジマさんの言った通りだ』という事に気付いた。

 もしかしたら助かるのかも知れない。

 うずくまり、耳を塞ぎながら、黄根は一筋の望みを信じて耐え続けた。

 

〜〜〜◆◆◆〜〜〜

-9ページ-

 同じ頃、レイコは施設の正面玄関に居た。

 彼女は大変に立腹していた。怒り心頭、とか、激怒している、というわけではなく、言ってみれば"度を越した不機嫌"のような心情である。

 そもそも今回の任務、レイコにしてみれば最低限の作業で済ませるつもりだった。

 ここの"悪霊"がどれほど強力で、かつ悪質かというような事は、彼女にとっては『割と どうでもいい』事柄である。

 事前の調査によって、ここの"悪霊"は"建物"に依存しており、外部から建物を解体してしまえば勝手に分散して無力化されるであろう事も分かっていたので、それであれば わざわざ手間をかけて"除霊"する必要もあるまい、と、遺体を発見して事故死に見せかける作業だけで済ませる予定だった。

 あと一人で その作業が終わる、という時に彼らに出くわしてしまった訳である。

 ぶっちゃけると、彼女は あまり口の上手い方ではない。何か巧い理由をつけて彼らを追っ払えれば良かったのだが、不幸にも彼女には そのようなスキルは備わっていなかった。

 そうこうしているうちに、その中の一人が重度に"悪霊"に囚われてしまい、わずかな隙をつかれて アッと言う間に殺害されてしまった。

 ほとんど、彼女の目の前で殺されたにも等しい。

 彼女のプライドは大いに傷つけられ、その怒りは下手人をボコボコにしなければ収まりそうにない。

 つまるところ、『人が殺された』事への怒りではなく、自分の顔に泥を塗られた事に立腹しているに過ぎない。こんな事は、犠牲者の友人達の前では口が裂けても言えまい。

 

 図面によると、正面入り口は強化ガラス張りである。その一歩手前で、レイコは右手で握り拳を作ると大きく振りかぶった。

 バリャバキバリメキャキャバリャー!!ガシャンゴロンガンガチャーーーーン!!

 レイコが腰の入った投げっぱなしのパンチを繰り出すと、砕け散ったガラスをブチ撒きながら正面玄関が、枠ごと屋内のロビーに吹っ飛んだ。言うまでもなく、絶対に人間の力ではない。軽トラックでも突っ込んだかと思うような有様である。

「う゛〜〜〜〜」

 低い うなり声を上げながら、レイコは ずかずかとロビーに入っていく。ほぼ闇一色のロビーに、レイコの両眼が赤く光る。

「よくもまぁ、私の前でナメた真似してくれたなぁ?」

 ドスのきいた声で つぶやいて一拍、雷のような怒号が建物全体に響きわたる。

「《一塊になって我が前に ひれ伏せ、卑しき歪みども!!》」

 日本語ではない。古代サンスクリット語、レイコの言うところの"真言"である。

 建物全体を駆け抜けた"真言"によって"卑しき歪み"は部屋から、壁から、廊下から追いやられ、一箇所に集められた。

 建物最上階、一点に集約された"ソレ"は、ロビー中央へと落ちてくる。

 ズシン、と建物が揺れた。"霊"に質量は無いが、圧縮された霊的エネルギーの塊が物理現象に影響を与えている。

 落下してきた"ソレ"は、ゆっくりと立ち上がった。その姿は、身長10メートルほどの、三面四臂の巨大な仏像のような形を成した。

 もっとも、ロビーの吹き抜けは2階ぶん、せいぜい数メートルほどしかない。よって"ソレ"は物質的に存在しているわけではなく、天井を突き抜けている部分はさながら立体映像か、合成に失敗した特撮のように見えている。

「《この期に及んでコケ脅しか?この罰当たりめ》」

「ウ゛ヌ゛〜〜〜ウ゛」

 ゆっくりと動き出した"ソレ"は、やおら腕の一本を振り上げ、レイコめがけて振り下ろした。床が砕け飛ぶ。現実の物質をも破壊できるほどの強大な霊的エネルギー、しかし そこにはレイコの姿はない。

「《だから、そんなものはコケ脅しだと言っておるのだ、このウスノロ》」

 "ソレ"が声の方へ首を向けると、レイコは劇場の舞台よろしく、2階ロビーの中央に不敵な笑みを浮かべて立っていた。"ソレ"の頭は三面であるから振り向かなくとも良さそうなものだが、どうやら正面の顔以外は飾りであるらしい。レイコの言う通りコケ脅しだ。

 振り向きざま、"ソレ"は腕を振ってレイコを払い飛ばそうとした。

 が、レイコが頭巾に手をかけて脱ぎ去ると、それは帯のように長く伸び、迫りくる巨腕に鞭のように当たって その攻撃を弾いてしまった。

 困惑する"ソレ"の目の前で、帯となった頭巾がレイコの体を包み込む。その刹那、"ソレ"はレイコの頭に牛のような一対のツノと、虎縞の猫耳があるのを見た。

 牛・虎 --- 丑・寅 --- 鬼門 ---鬼が来る!!

 瞬間、 閃光が走り、それが収まった時には レイコの姿は…どう形容したら良いか分からない奇妙なコスプレのような姿であるが…とにかく、漆黒の闇を切り裂くような白く輝く衣をまとった『鬼娘』へと転じていた。

「《さても、名も無き災厄よ》」

 その声と姿に、"ソレ"は 一つの感覚を抱いた。"恐怖"だ。

 恐怖の根源は"未知"と"死"が多くを占める。

 今までは…"ソレ"は『人間に理解し得ない何か』だった。自らを感知できず、何が起きているのかも把握できない人間どもから容易に、一方的に奪う事が出来た。

 だが、今"ソレ"の目の前にいるのは『人間ではない』。それどころか、『"ソレ"が理解し得ない何か』なのだ。

 ゾッとするような笑みを浮かべて、レイコは宣告した。

「《"貴様など存在していない"のだという事を、思い出させてやろうぞ》」

 

〜〜〜◆◆◆〜〜〜

-10ページ-

「…〜し。もしも〜し。起きて下さ〜い。大丈夫ですか〜?」

 その声に黄根は我に返った。気を失っていたのだろうか。

 顔を上げ、窓の外に人影を確認した彼は、思わず「ヒッ!」と声を上げて後ずさる(車内なので 体半分ほどしか動けなかったが)。

「え〜と…無事ですよね?他の人達は?」

「ヒ…ヒジマさん?」

 その緊張感の無い声に、その人物が先程まで車の周りにいた"何か"とは別なものである事に気付く。

「本物のヒジマさんか?」

「本物っていうか…まあ、先程まであなた方と一緒にいたヒジマです」

「赤井は?」

「赤井さん…?ああ、すみません、まだ木の上から下ろしてないです」

「そうか…」

 安堵というか、喪失感というか、形容し難い感情が黄根を満たす。

「その様子だと、やっぱり何かありましたか」

「赤井の姿をした…赤井じゃない何かが来た。赤井だと思ったんだ。白木がドアを開けて、赤井じゃないって分かって…白木と黒沢、咄嗟に逃げちまった」

「あー…」

 やっちゃいましたか、と、他人事のようにレイコは言った。

「あいつら、どうなりますか?」

「その、"赤井さんモドキ"は、お二人を追いかけていくとか しましたか?」

「いや、ずっと車の周りをバンバン叩いてた」

「あっ、じゃあ大丈夫です」アッサリとレイコは答える。「こっちに気をとられてたんなら、そうそう別口にまで手を回せるだけの器用な"霊"じゃありませんでしたし、そんな余裕も与えませんでしたから」

「余裕って…?」

「かき集めて『グシャ』ってしてきましたんで。そっちの方は、もう心配いりません」

「…除霊…できたんですか?」

「まあそういう事です。元から断ってきましたんで安心して下さい」

「そっか…」

やっと緊張の糸がほぐれた。同時に酷い脱力感もある。何より、友人を一人失ってしまったという現実を、これから受け入れなければならなかった。

「運転できそうですか?」

「いや…まだちょっと…」

「そうですね。ま、もう慌てる必要もないですし、夜が明けてからでも ゆっくり下山しましょう。

 …、あ、時間があるんだったら、ちょっと打ち合わせしときたいんですけど?たぶん、警察から事情聴取されると思いますんで…」

 

 レイコの説明によると、除霊の最中に建物の正面入り口付近・ロビーの部分が崩落を起こしたらしい。実際にはレイコと"霊の塊"との戦闘…というかレイコによる一方的な蹂躙…の結果なのだが、とにかく諸々を巻き込んで瓦礫の山が出来た。それを利用して、レイコは その瓦礫の中に遺体を配置したという。

 『見付からなかった遺体』を6体も、どのような状況で発見させるかでレイコは頭を悩ませていたらしいが、建物が崩落したのならば、元々遺体があったであろう状況を誤魔化す事が出来ると考えたらしい。

 レイコのシナリオとしては、

「何らかの方法で屋上に上った不明者が何らかの理由で身動き出来なくなり死亡。その遺体が建物の崩落と共に落ちてきた」

という筋書きでいけるのではないか?との事だった。

 赤井に関しては、「探索中に、"4階の"開いた窓から誤って転落した」という形でいこうと思っているようだ。数メートル下、しかも木の枝に引っかかって、全身がへし折れて死亡、というのも無理のある話だが、

「まあ、建物がいきなり崩落する事自体 原因不明ですし、多少辻褄の合わない事があっても『詳細不明』とか なんとかで、処理してもらえたらいいなぁ、と。

 たとえ原因やら因果関係がハッキリしてなくても、現実問題として建物が崩れて死体が見付かってる以上、なんらかの理屈をつけて無理にでも納得するしかないんですから。『生きている人間』というものは、ね」

 納得するしかないのだろう。この一夜の出来事は あまりにも非現実的すぎたが、夢や幻で済ませる事は不可能なのだ。

 黄根は、両腕に顔を埋めた。

 

〜〜〜◆◆◆〜〜〜

 

 レイコは「大丈夫です」と言った白木と黒沢だが、結果から言えば全然大丈夫じゃなかった。

 ほとんど視界もない真夜中の山道をパニックになって爆走していったせいで、案の定 二人は道を外れて転落。白木は打ち所が悪かったせいで呆気なく死亡。黒沢も重症を負って数時間放置され、早朝には病院に運ばれたものの、話せるような容態ではないらしい。

 おかげで事と次第の捏造は いくぶんスムーズにいったものの、複数の死傷者を出してしまった『大宰府文書館 第二分室』の面目は丸つぶれになり、その立ち入り調査を依頼した市の担当者も処分を受ける羽目になった。

 

 ひとり難を逃れた形となった黄根は、赤井・白木の遺族および黒沢の近親者からの非難を一身に浴び、加えて深い自責の念から心身を病んで、大学も休学してしまう。

 

 しばらくして、彼は一度だけレイコと再会した。

 彼女も彼女で、秘密裏に処理するはずの案件を無駄に大事にし、なおかつ犠牲者まで出したという事で、メチャクチャ怒られたらしい。それでも、彼女のような"特異な能力"を必要としている職場なだけに、クビにしたくとも出来ない、辞めたくてもやめられない、というのが実情だそうだ。

「もし、あの時、俺が本気で みんなを止めていれば…」

と悔いる黄根の言葉を

「いやぁ、それは無理でしょ」

 と、レイコは にべもなく否定した。

「"肝試し"ってのは、暗黙のうちに"安全が担保されている"事が共通認識になっているからこそ成立するんです。暴力団の事務所や原発事故の跡地に"肝試し"しに行く馬鹿はいません。

 廃墟だろうが心霊スポットだろうが、あなた達は全員が『安全だ』と思ったからこそ あの場所に行ってしまったんです。"安全な場所"に行くのを、本気で止める事なんか出来ませんよ」

 そう言われてしまえばそれまでなのだが。

「危険は、先んじて予測し難いからこそ危険なのだ、とも言えます。だからこそ人は"未知"に対して恐怖を感じる。

 まあ、極論すれば人生なんて一寸先は闇。次に何が起こるか分からない"未知"に恐怖を覚えつつも、常に それと対峙し続けているようなものですよ、人間は。

 時に果敢に、時に無謀に、"未知"に切り込んでいっては、時として この世の予定調和をも変えてしまう。

 "霊"には"未来"なんか ありませんし、だから変わる事が出来ない。一度正体を知ってしまえば、いくらでも予測も対処も可能になります。

 対して、人間は生きている限り、一瞬ごとに"未来"へ踏み込み、"過去"を更新して変化していく。だからこそ、私も あの夜の出来事の顛末を事前に"知る"事が出来なかった。

 私にとって"霊"とは既知でしかなく、"人間"こそが未知なんです。

 だから私にしてみれば、あんな出来損ないの"悪霊"よりも、あなた達 人間の方が よっぽど恐ろしいんですよ」

「まるで、自分が人間じゃないみたいな言い方ですね」

 思わずそう つぶやいて、黄根は自分の言葉にハッとなった。

「…ヒジマさん、あんた一体、何者なんです…?」

「知りたい、ですか?」

「!」

 ニヤリと意味深に笑うレイコの表情を見て、黄根は自らの問いを頭から振り払った。きっとこの世には、踏み入るべきでない領域があるのだ。あの夜が そうだったように…。

「…いや、やめときます…」

「それが よろしいでしょう」

 そう言った時には、レイコの笑みは ごく普通の少女のそれになっていた。その笑みは、ほんの少し憂いを帯びても見えた。

「私は、オバケみたいなもんです…よほど運が悪けりゃ、出くわしてしまう事もある。そんな時は、知らんふりをして素通りしてしまえばいいんですよ。

 あんなものは…あると思うから"在る"のであって、『無い』と言ってしまえば それまでなんですから」

 

 それっきり、黄根はレイコと会う事は無かった。オバケと関わる事も無かった。

 いないものと会う事は出来ないのだ。

説明
小説の投稿テスト。2022年にPixiv小説に投稿した創作怪談風の単編です。
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