とある戦いの終わり
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 背中の翼でも分かるのだが、頭の天使のわっかを見れば誰もが納得するだろう。

 ユニコーンに乗って現れたのは紛れもない、儚くも美しい天使だった。頭上に湛えた金冠と同じ色をした髪は柔らかに頬を撫でている。背後にも多くのユニコーンを従えこの地に降り立った彼女の使命は、『魔王』の討伐だった。

 つい先ほど、命のないはずの地面に偶然見つけた乳白色の卵を白い指で軽く撫で、それを胸元にそっとしまう。

 寂涼なる大地のひとつの卵、それを見つけた時、彼女はこの長かった闘争の終わりを予感した。

 

 

 周囲は荒涼とした石の大地が広がり、生命の息吹は全く感じられない。時折、頬を掠めて刺すほどに冷えた空気が駆け抜けるのみだ。そして目の前に大きく聳え立つのは、黒い霧に巻かれ、その天頂の果てが知れぬ城。

 その場所にはまったく似つかわしくない純白の翼を広げた天使の、磨き上げた陶磁器のように白い頬は感情を映さない。ただ、銀鞘に収まる長剣のみを携えていた。細腕に似合わぬ剣技を持つ彼女の武器だ。完璧に整えられた眼に収まる蒼い瞳には、目の前に佇む黒衣に身を包んだ青年を映すのみ。

 鮮やかな真紅の髪を揺らして微笑んだ青年は、呆れたように言った。

 

「毎日、ご苦労なことだな」

 

「それが、務めですから」

 

 この城に住む多くの者たちは、才に秀でた彼を祀り『魔王』と呼んだ。

 彼を取り巻くように配下の餓鬼が各々剣を構える。とはいえ、大きな腹に細すぎる手足を生やしただけの彼らは、紅髪の青年とそれに相対する天使から見ればまるで力ない小人のようなものでしかないのだが。

 さらに青年の背後には、天使の乗るユニコーンを包囲するように漆黒の毛並みのペガサスたちが何十頭も並んでいる。

 魔王の朝の日課、それは毎日欠かさず寸分の時間の狂いもなくこの場所へとやってくる美しい天使の少女からこの城を守ることだった。

 最も、陽と呼ばれるものはなく時間感覚の薄いこの場所においてその刻を『朝』と呼ぶのが適切かは分からないが。

 

「そろそろ諦めてくれないか?」

 

 天使と対照的な闇色の瞳を持つ青年は、そう言って目を細める。

 が、答えはない。

 代わりに眩い閃光を放つ魔法が指先から乱射された。

 黒衣に身を包んだこの城の主は腰の黒刀を一瞬で抜き放ち、その場を飛び退る。

 光の力を持つ魔法球は彼のいた場所の地面を深く抉り取った。

 取り巻いていた餓鬼達が幾らか巻き込まれ、宙を舞う。

 

 

 

 

 魔法球を打ち終えた天使の少女は、ユニコーンの背から何もない大地に降りた。

 そして、足元に転がった動かぬ餓鬼達を一瞥すると、その一つを拾い上げた。挑むような視線を投げつけている紅髪の『魔王』に対して、足元のその小人を投げつけて、冷たい声で言い放つ。

 

「このような者たちを庇って、何になると言うのですか。存在するだけで悪気を振りまき、周囲の者を貶める」

 

 それを聞いた『魔王』の眉がぴくりと動く。

 

「……お前に何が分かる、天使」

 

 冷酷な光が『魔王』の闇色の瞳に灯る。

 天使たちによる討伐が始まってからというもの、餓鬼をはじめとする『魔王』の仲間が居住できる場所は徐々に狭まっていた。安全な、という意味ではもはや存在しないだろう。

 

「去れ。俺は、この場所を決して動かない」

 

 真っ直ぐに伸ばされた黒刀の先からもこもこ、とピンクの雲などと軽々しく呼ぶには毒々しすぎる、血を元にして混ぜ合わせたような緋色の霧があふれ出してきた。

 それはまるで雨をもたらす暗雲のように広がっていく。

 すると、その霧に包まれた暗黒ぺガサスの群れに変化が起き始めた。

 霧が触れた皮膚が、ぼこり、ぼこりと音を立てて盛り上がり始める。翼からは漆黒の羽根が抜け落ち、むき出しの皮膚も徐々に鱗で覆われていく。額からはユニコーンとは全く違う曲がりくねった毒々しい角が皮膚を突き破って生えた。

 その姿は、まるで――

 

「悪いな、今日は本気なんだ」

 

 『魔王』の言葉で、変化を終えたペガサスたちは一斉に低いうなり声を上げた。その姿はすでにペガサスのものではない。

 ツタの絡まる巨大な城は、いつしかドラゴンの群れに囲まれていた。

 背後の城からすれば小さなドラゴンは、大きく羽ばたいて『魔王』の元へと集った。

 数十枚の膜翼が起こした風は、艶やかな紅髪を揺らす。

 

「長い闘いもこれで終わりにしようか、天使」

 

「……ええ、そうですね」

 

 ペガサスたちの変貌を無言で見ていた天使は、その懐からひとつ、小さな卵を取り出した。

 その唐突さに、紅髪の青年は思わず眉を寄せる。

 

「何だ、それは」

 

「ここへ来る前に拾ったものです。ただ……そろそろ、この卵が孵るのではないか、と」

 

 少女の乗っていたユニコーンが卵に鼻先を寄せると、ぴくり、とその卵が動いた。そして、少しずつ殻にひびが入っていく。

 荒涼とした石の大地。そこに佇む暗黒の城。

 そんな中で、卵は、小さな小さな音を立てて弾けた。

 

 

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 いくつもの目が見つめる中、卵から孵ったのは、なんと小さな、本当に小さな天使だった。天使の少女の掌に乗ってしまうような体で、小さな小さな羽根をばたつかせている。

 それも、聞き取れるか聞き取れないか分からないような小さな声でキーキーと喚いた。

 

「勇者様、勇者様、大変です、魔王が……って、あれ?」

 

 どうやら卵から孵った小さな天使は自分の状況を把握できていなかったようだ。

 きょろきょろ、と見渡してようやく自分の居場所を知ったようだ。

 掌に小さな天使を乗せた少女は、無表情のままに聞いた。

 

「伝達天使でしたか……どうやら封印されていたみたいですね」

 

「よかった! 魔王が暴れているのを報告にと思って、途中で配下のヤツに封印されて……あっ、こいつです、魔王『フェニックス』!」

 

「ずいぶんと長い間封印されていたようですね。その報告はすでに届いています。そして私は彼の討伐を命じられてここに来ました。それも、ずっと前に」

 

「えっ? そうなんですか?」

 

「……貴方は離れていなさい。ここは危険です」

 

「あっ、はい!」

 

 小さな天使は小さな羽根を必死に動かして飛んでいった。

 それを追おうとしたドラゴンを、『魔王』が制止する。

 

「こちらに集中しろ」

 

「ええ、それが賢明です」

 

 少女はようやく手にしていた銀鞘の剣をすらりと抜いた。

 

「貴方はこれまで、何度も私の剣を受けました。そして、何度も深い傷を負いました。でも、貴方は今まで死ななかった」

 

「ああ、そうだな。何度もやられてはまた迎え撃ってやった」

 

「不思議です。どんな深い傷でも貴方は次の日にはちゃんと私を出迎えてくれました」

 

「ああ……ここを失いたくはなかったからな」

 

 少し目を伏せた『魔王』は黒刀を静かに鞘に収めた。

 が、すぐに顔をあげ、天使に向かってにやりと笑う。

 

「長い時間だったよ! 俺が成長するのに十分なほどにはな!」

 

 刹那、魔王の背に髪と同じ深紅の翼が出現する。血のように真っ赤な羽根が周囲に舞い散った。それにつられる様にして凄まじい熱風が辺りを支配する。

 その熱風の中でも顔色一つ変えず、金髪碧眼の美しい天使の少女は静かに呟いた。

 

「……それが本来の姿ですか」

 

「ああ、そうだ。この姿を見せたのはお前が初めてだな」

 

「その不死鳥(フェニックス)の羽を引っこ抜いたら、いったいどんな気分なんでしょうね」

 

「……うるさいっ!」

 

 翼を出すという身体変化を起こしたせいか、青年の頬には炎を模した刺青が黒々と浮かび上がってきた。その刺青は首筋から肩を通り、腕にまで広がっている。

 腕を突き上げ、『魔王』は叫んだ。 

 

「来い! 炎妖刃っ!」

 

 召喚して出てきたのは、一振りの剣だった。

 だが、ただの剣ではない。『魔王』が一振りするだけでその先からは凄まじい炎が迸るのだ。灼熱を超えた温度を持つ、蒼炎はまるで生きているかのように空を走った。

 ところが天使は魔王を一瞥し、己の剣をまっすぐ敵に突き付けた。

 

「どうかその一振りで、自らを傷つけませんよう」

 

「ずいぶん余裕だな」

 

「貴方こそ」

 

 これほど会話を交わすようになったのは、いったい何時からだろう。

 いつしか当たり前になっていた、馴れた剣戟の感触が『魔王』と『天使』を包み込んだ。

 同時にドラゴンと餓鬼たちは天使の背後のユニコーンの群れへと突っ込んでいった。

 

 

 

 

「どうしようどうしよう、魔王ってば本当に強そうだし……あの勇者様、大丈夫よね?」

 

 上空に退避した小さな天使は、不安そうに戦いを見守っている。

 この小さな伝達天使は、あの魔王が誕生した時にその大事を天使のもとへと知らせる役目を負っていた――ただし、知らせる途中で魔王配下の者に捕まり、封印されてしまってはいたが。

 

「でも私の使える魔法なんて知れてるし……」

 

 不安げにきゅっと眉を寄せた天使は、それでももう一度唇を引き結んだ。

 

「こんな処で迷っていても仕方ないわ。私に、できる事をしよう」

 

 

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 天使と魔王が切り結ぶ場所は孤島のようにぽっかりと舞踏台になっている。ユニコーンも、ドラゴン達も近寄らず……いや、近寄ることなどできないのだ。

 文字通り視覚では感知できぬほどの速度で光と炎の魔法が炸裂して爆音を響かせ、破裂音と金属音を撒き散らしている。

 

「最初は殆ど歯が立たなかったよな」

 

 初めて天使がやって来た日、魔王は手ひどい傷を負った。

 配下のドラゴンたちに助けられた自分がひどく悔しかった。

 だから魔王はどんな時も、どんな朝も――たとえ動けないような怪我を負っても、毎日天使を迎え撃ったのだ。

 

「そうですね。貴方は強くなりました」

 

 天使が知る事はないだろう。

 その一言で、魔王の心がどれだけ打ち震えるかを。魔王が命のない大地で金色の髪を見つける度に心躍らせていることを。蒼い瞳が向けられただけで目が離せなくなってしまう事を。

 それでも魔王は、自分の配下と仲間を守るため、毎朝天使を撃退しているのだということを。

 いったん距離を置いた魔王は、蒼炎の剣を構えなおした。

 

「すべて、今日で終わりにする」

 

 『すべて』という言葉にいったい何が含まれていたのか、彼自身以外が知る事は未来永劫ないだろう。

 それが例え永い間闘争を繰り返してきた金髪の天使だったとしても。

 

 

 

 

 その時、上空でドラゴンの断末魔が響き渡った。

 空を飛べないユニコーンが上空のドラゴンを攻撃できるはずはない――思わず視線を上空に移した魔王は、信じられぬ光景に目を丸くした。

 

「な……何だ、これは?!」

 

 頭上には、無数の天使が羽ばたいていたのだ。その数はユニコーンやドラゴン、餓鬼の数の比ではない。暗黒の霧が包む空を真っ白に塗り替えるほどの小さな天使が浮かんでいた。

 一匹のドラゴンが天使の群れに向かって行ったが、小さな天使たちは数十の徒党を組んで魔法を一斉放火し、撃墜してしまった。光魔法で黒焦げになったドラゴンの体は魔王の目の前に落下してくる。

 

「勇者様ーっ!」

 

 先ほど卵から孵った小さな伝達天使の声が空から降ってきた。

 

「敵はみんな包囲しました!」

 

「……助かります」

 

 天使の少女はにこりともせず、魔王から視線を外しもしなかった。

 

 

 

 

 目の前にはユニコーンの軍団。上空には無数の天使たち。

 もう勝ち目はない。

 そう判断した彼は、配下の者たちに向かって叫ぶ。

 

「逃げろッ、逃げるんだッ、捕まったらもう……!」

 

「遅いですよ」

 

 天使の少女は、最後まで冷酷だった。

 両の掌から放たれた光の束は、渦を為して逃げ道を失くした餓鬼に、ドラゴン達に襲いかかる。逃げようと上空に飛んだドラゴンたちにも同じ末路が待っている。

 

「やめろーっ!」

 

 魔王の声が、何もない大地に響き渡った。

 

 

 

 

 

 すべての光が消えた後、累々と積み重なる餓鬼やドラゴンの変わり果てた姿ばかりが視界に広がっていた。

 其処に残ったのは、純白の翼の天使と、真紅の翼の魔王のみ。

 

「あとは貴方だけです」

 

「ち……くしょう……!」

 

 しかし、守るべきものすべてを失ってしまった魔王に、もはや反撃の力はない。  

 がむしゃらに振り上げられた蒼炎の刃をかいくぐった天使の鋭い剣筋は、確実に彼の躰を切り裂いた。

 血飛沫が飛び散るか、と思われたが、切り口から噴きだしたのは深紅の羽根だった。

 同時に、背の翼を覆っていた真っ赤な羽根もはらはらと舞い落ちていく。

 

「終わり……か」

 

 噴き出す羽根、そしてさらさらと崩れ始めた自分の両手を見つめた魔王は、ぽつり、と呟いた。

 

「お前の勝ちだ、天使。お前の……」

 

 そこまで言ってから、魔王は自嘲気味に笑った。

 

「はは……俺……お前の名前も知らねえや」

 

 さらさら、と羽根を失った翼の原型が崩れていく。紅の鮮やかな飛沫(ひまつ)となって冷淡な風に乗り、大気に紛れて消えていく。

 純白の天使はただそれを見つめていた。

 

「あばよ、天使」

 

 最期の『魔王』の笑みは、天使の少女だけに向けられた。天使の少女の蒼い瞳は、灰燼と帰したその体が飛び去って行った方角から逸らされることはなかった。

 こうして、不死鳥と呼ばれた魔王は、永い年月を戦い抜いた末、天使の手によって抹殺されたのだった。

 

 

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 すべてが終わり、小さな翼を湛えた小さな天使たちをすべて従えて、天使の少女は帰路に就いた。

 帰還する道中、彼らはひどく嬉しそうに小さな仲間たちの功績を讃えていたのだが、その中で相変わらず天使の少女だけは無表情だった。

 いや、どこか悲しげなのは気のせいなのだろうか。

 その様子を見とった小さな伝達天使は彼女に声をかける。

 

「ねえ、勇者様」

 

「私は……勇者ではありません」

 

「でも、魔王討伐の責を追った天使様はみな、その称号を与えられるのでしょう?」

 

「私にはティアギエルという名があります」

 

 それは、あの魔王が生涯知る事のなかった美しい天使の少女の名。

 その名を口にしたとき、無表情だった天使の心のうちは大きくさざめいた。

 

「ねえ、勇者様」

 

「……」

 

「何故泣いてらっしゃるの?」

 

「……っ!」

 

 ずっとずっと、長い間戦ってきた魔王と天使――その間には、本当に何もなかったのか。

 小さな伝達天使に返す言葉を持たず、ティアギエルという名の少女はただ静かに止まらぬ涙を流し続けた。

 眼下には命のない冷たい地面が広がるだけ。どこまでも、どこまでも続くその大地に、黒い霧に覆われた魔王の居城だった建物だけが天を衝いていた。

 

 

 

 

 ああ、何故だろう。

 何故こんなにも苦しいのだろう?

 

 

 

 

 天空の上で、目を閉じた彼女は幻を見た。

 それは、瞼の裏に焼きついた最期の彼の笑顔。自分に微笑みかけ、そして名を――

 はっと目が覚める。

 自分がひどく動揺しているのに気づいて、少女は困惑する。

 空想世界での現実、それは彼女にとってひどく不可思議なものだった。

 

「何故……『魔王』の事を思い出してしまうのでしょうか」

 

 彼女は気づいていない。

 長く剣を交えるうち、『魔王』は彼女にとって魔王ではなくなっていた事に、そして、勇者を名乗りたくないと思った理由にも。

 

「どうして……」

 

 

 

 澱のように胸の底に溜まってしまった想いを、生涯彼女は理解することなどないだろう。

 無表情な天使が涙した意味も、胸の内を焦がした感情の正体も。

 

 

 すべての答えは、彼の命と共に消えてしまったのだから――

 

 

 

 

 

 

 

 

※ イラストは夜天夕羽さまにいただきました。

 

説明
 その天使と魔王は、永く闘争を続けていた。
 が、ある日その戦いに終止符が打たれることになる。
 戦いの結末と、跡に残されたものとは――

 イラストは夜天夕羽さまにいただきました。


※「創作・後ろにくっつけようぜ的なバトン《ファンタジー編》」のために書いたものです。
 あちこち表現が微妙(ピンクのもこもことか……)なのはそのためです。


バトン内容は以下。

 以下の言葉の後ろに言葉をくっつけていって下さい。短文にするもよし、詩のようにするもよし、セリフにするもよしです。

□背中の翼で
□頭の天使のわっかを
□ユニコーンに乗って、
□魔王の朝の日課、それは
□魔法が指先から乱射、
□小人を投げつけて
□もこもこ、ピンクの雲、
□ぺガサスの群れに
□ツタの絡まる巨大な城は、
□小さなドラゴン、大きく羽ばたいて
□卵から孵ったのは、なんと
□勇者様、勇者様、大変です、魔王が
□不死鳥の羽を引っこ抜いたら
□召喚して出てきたのは、
□どうかその一振りで
□どうしようどうしよう、
□逃げろッ、逃げるんだッ、捕まったら
□あばよ、
□帰還する道中、彼らは
□空想世界での現実、それは
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