ハロウィン仮装用の 天使の翼、悪魔の羽、妖精の翅
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説明
ナショナルジオグラフィックによると、初期のハロウィーンの衣装には、動物の皮や首、異性装、さらには馬の首の作り物までが使われていたという記録が残っているという。 カナダの聖フランシスコ・ザビエル大学の教授によると、ハロウィーンの前身はケルト人(ケルト人というのは、黒海沿岸部から馬や馬車などを持ってヨーロッパに渡来したインド・ヨーロッパ語族ケルト語派の言語を用いていた民族であると考えられていて、ケルトとは古代ローマ語で未知の人を意味し、本来は民族を示す言葉ではない)がサーウィンという新年を祝う行事で、記録を見ると非常に質素なものだったという。古代のハロウィーンの様子を示す記録が無いため、数百年前まで続いていた風習に基づいて推測するしかないそうだが、フランスで1890年代に発見されたケルト人の暦を分析すると、サーウィンは少なくとも2000年前には既に行われていたことがわかっている。それは、収穫と狩猟が一段落する時期に1年の終わりを祝う祭だった。 祭りに合わせて家畜を解体し皮を剥ぎ、祭りの期間中はその皮を身に付けて儀式を行ったと言われている。キリスト教以前の原始的な自然崇拝に関連した祭りであった可能性が高い。  古代ローマには、現在のドイツとフランスに当たる地域に住んでいた一部の部族が賑やかな儀式を行っており、その儀式では動物の霊と交流するために獣の首や皮をかぶって扮装していたという記録が残っている。  このケルト人の祝祭儀式の、かがり火を焚き動物の皮をかぶる慣習は近年まで残っていたようだ。このような儀式が、アイルランドとスコットランドの聖マーチン祭(11月11日に行われるキリスト教の祝祭)で行われていたことは確実で、これが古い暦ではハロウィーンに当たるものだったと思われる。 サーウィンは、死者を偲ぶための夜でもあった。その夜、死者の霊は生者と共に過すと信じられていたのである。詳しい内容は不明だが、数百年前には、サーウィンで家族が先祖のために食事を供え、時には食卓まで用意していたという。サーウィンの夜には人々が変装し、いたずらや大騒ぎをしていたという。若者たちは死者の霊に扮するために、マスクやベールを被り、あるいは顔を黒く塗り、白い装束や藁(わら)で変装した。 このような扮装の目的は、祭りで騒ぐ人々を邪悪な霊から守ることだけでなく、訪れた家の住民をからかうためでもあった。スコットランドなどでは、死者に扮して騒ぐ人々が、食べ物を要求しながら家々を回る習慣があり、これが現在のトリック・オア・トリートの原型となった。 当時の扮装には顔を黒く塗るなどしたものが多く、これは幽霊や悪霊を表現していた。サーウィンでは生者と死者の境界が消え去っていたのと同じように、男女の境界も無くなっており、若い男性は女装し、女性は男装していたという。例えばウェールズでは、ハロウィーンに女装していたずらする若い男性の集団は“鬼婆(hags)”と呼ばれていた。 サーウィンの衣装は多くの場合、くりぬいた「カブ」の中にろうそくを灯したランタンが付き物だった。後にこの習慣は北アメリカに持ち込まれ、カボチャを使った丸っこいランタンとして再現されることとなる。 そして、既に盆も正月もある自然崇拝の日本に ばか騒ぎだけが持ち込まれたわけだ。
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