1907年のオランダ、第2回ハーグ国際会議(平和会議)で、交戦の意志が無いときは白旗を上げるルールが決められたそうだ。日本では勝負の勝ちが白星で 負けが黒星だからややこしい。はっきりさせることを白黒つけるとも言うし 日本語はめんどくさい。 古くから日本においては、黒色はたいへん高貴な色とされており 結婚式などの慶事でも使われていたそうだ。神事では古くから白黒の鯨幕が使われている。それが、現在のように黒白の鯨幕は おもに葬式などの弔事で使われるようになったのは、昭和初期に葬儀社が使うようになったことがきっかけとされている。だがそれは本当だろうか?高貴な色を葬式にしか使わないなんて不自然ではないか? 元来、黒白の鯨幕は弔事・慶事に関係なく使用されるものなので、現在でも皇室では納采の儀や結婚式などの慶事にも、黒白の幕を使用しており、出雲大社の大祭でも鯨幕が使われている。この『黒白が なぜか いつの間にか紅白にすりかえられている』のだ。紅白がおめでたいのは日本だけのようで、使われ始めたのは昭和の初期頃という噂がある。これは日本の長い歴史からみると最近の出来事だ。これも怪しい。何かの作為を感じるのは僕だけか。なぜ黒が赤(紅)に変化したのかが気になり調べたが、だれも明確な説明は出来ないようだ。幾人かはこう説明している。『 紅色はめでたい、お祝い、縁起がよい、といった意味で使用されている。そして紅白の由来には諸説あり 赤色が赤ちゃん、白色が死や別れを意味し、その2つの色を組み合わせることによって人生そものをあらわす。』と、同様なことを 大勢がもっともらしく、薄っぺらな説明をしている。これにはがっかりだ。コラムを書くならば、史実を検証し自分なりの考察を書くべきだと思う。 そこで僕はこう考える。欧米では黒に「高級」なイメージと共に「死、不吉、失望」といったマイナスイメージを強く持つようだから、国際的な日本にしたいという思惑があった日本のリーダーたちは ヨーロッパに受けの悪い黒を使わないようにして赤(紅)に変えたのではないだろうか。 紅白が組分けに使われるようになったのは、1180年〜1185年の源平合戦において 敵味方を区別するために 源氏は白旗を平家は赤旗を用いて戦ったことからきているといわれてるらしい。この源平合戦を紅白のルーツの説明に使う人たちも多い。この説明はまことに都合が良さそうだから、多くの人が引用している。だが昭和が始まったのは1926年なので、 紅白の幕が使われ始めたのは早くても1930年以降からだと推察できる。だから1180年代の源平合戦を紅白の幕が使われ始めた説明につかうのはかなり乱暴な気がする。 日本人なら誰もが知ってる紅白歌合戦が始まったのは、1951年だ。終戦は1945年である。終戦と紅白が関係していると思うのは自然な流れだろう。何かつながりがあるはずだ。僕は戦後 アメリカに遠慮しながら復興しなくてはいけないなかで、アメリカ人に不快感をあたえる黒を紅に変えたのではないかと考えた。チョコレートのブラックサンダーだってアメリカ進出時に名称を変えている。日本伝統の白黒の幕は白人と黒人を連想させるから使うのをやめたのではないだろうか。だから 全国の鯨幕を紅白の幕に変えた時期というのは、敗戦後で それを指示したのは日本政府だったと思うのだ。そして、さりげなく紅白の幕に変えたことを国民に気付かせないために、紅白歌合戦で、紅白という言葉を国民に浸透させたのだ。これは日本政府が国民を操作した、一種の洗脳作戦だったのだろう。だから、誰も鯨幕が紅白の幕に変わった時期と理由を知らないのだ。 もし、日本が戦争に勝っていたら、日本のサンタクロースは衣装も高貴な黒だったかもしれない。 そして トナカイのお鼻も僕のおなかも真っ黒だろう。 |