堅城攻略戦 第三章 坑道の闇に潜む者 12 |
火龍。
おゆきの言葉に、一同の顔が鋭い緊張に引き締まる。
式姫の力を以てしても、自然の暴威に等しい龍の力はそうそう制する事が出来る代物ではない。
「あの地に龍が潜んでいると?」
鞍馬の問いかけに、おゆきが、その美しい顔をわずかにしかめる。
「どうかしら、あの城が式姫の庭みたいに龍を封じているとか、逆に龍の住処かといわれると違う気がするけど」
ただ、自分の結界すら破壊した、この力は紛れもない。
「ふむ……少なくとも事実として、敵は龍の力を扱えるという事か」
その根源がここにあるか、別の場所から引っ張っているか、どの程度自在に扱えるかは不明だが。
「それは、間違いないと思うわ」
自分の感覚に問いかけながら、おゆきが慎重に選んだ言葉を口にする。
「奴の力に直接触れた、山神たる君の言なら間違いなかろう」
ふぅ、と僅かにため息をついただけで、内心はともかく、その表情にはさほどの落胆も示さず、鞍馬は皆の方を向いた。
「おゆき君の力で骸骨兵団を封じられなかった時の取り決め通り、今日の所は撤退する、敵伏兵と、骸骨兵団による包囲を避けるため、大きく迂回する道を取る、主君を中心に陣形を組み、彼を護る事を最優先しつつ、速やかに宿場まで移動、殿(しんがり、最後尾)は、今回は私が務めよう」
主君、騎乗を。
鞍馬の言葉に、男は無言で頷き、着慣れぬ重厚な鎧に若干苦労する様子を見せながら、馬上の人となった。
その様子を見ながら、紅葉御前は今にも暴れだしそうな悪鬼の首根っこを掴みつつ、何とも言えない顔で堅城を仰いだ。
「派手に暴れた割に、実入りは少なかったねぇ」
「そうでもない、おゆき君の力すら退けた龍の力となれば、それこそが堅城の本当に最後の切り札だろう、相手の手の内をこれでほぼ見切れたのは大きいさ」
しかし、火龍とはね、堅城がここに存在している理由として私が予想していた中でも、最悪の事態に近い大物だな。
内心のため息を押し殺しつつ、もう一度堅城に目を向けた鞍馬に、不機嫌そうな紅葉御前の声が掛かる。
「こっちも貴重な切り札を二枚も切っちまってるのはどうなんだい?」
「城攻めをする側が手札を余分に切らされるのは仕方ない、相手とこちらの手札が相殺された後に、こちらの皆が無事なんだから上出来という物さ」
しれっとした鞍馬の顔は、これが策を裏に隠した韜晦なのか本気なのかが、様々な人を見てきた紅葉御前にすら読めない。
「仕方ないで済みゃ……」
更に何か言い返そうとした紅葉と鞍馬の間に、するりと仙狸が割って入った。
「楽しい語らいは帰ってからゆっくりやってくれんかの、骨惜しみせん連中が、隊列揃えてこちらにやってくるぞ」
仙狸の指さす方向を眺めた鞍馬と紅葉が同時に肩を竦める。
「ち、さっきまで氷漬けだったってのに良く働く骨だね、とりあえず引くとしようか」
「そうしてくれ、そうそう、今度も悪鬼君と狛犬君を頼んで良いかな?」
「……ったく、人に仕事押し付けるのが上手いねぇ」
「軍師稼業の要諦はそこに尽きるのでね、お褒めに与ったと思っておくよ。 皆、引くぞ」
「やって……くれる」
中空に浮かぶ炎の前で、男は荒い息を吐きながら倒れこむように床に突っ伏した。
大量の氷が一息に融けた事で溢れ出した水が、屋根を伝って流れ落ちる音が聞こえ、そこかしこから雨漏りとなって天井から降り注ぐ。
常ならば、颶風の折ですら漏りなど見た事も無い堅牢な城だが、それが逆に、最前までこの城を覆っていた氷雪の分厚さを物語る。
城郭一つを、またたくに氷漬けにする異常な力……式姫、やはり恐るべき相手。
濡れて纏わりつく服は不快ではあるが、無理な術の行使で熱を帯びた体を冷やす水滴はむしろ心地よい。
このまま脱力感に身を委ねれば、緩やかに眠りに落ちてしまいそうになるが、今そんな事になったら致命的である、男は自らを鼓舞するように声を上げながら、無理に床から顔を上げ、眼前の炎を見上げた。
梁から滴る雨滴が炎にも降り注ぐ、だが、それは何事も無かったかのように、燃え盛る火炎を通り抜け、ぴしゃぴしゃと床を濡らす。
水が蒸発する事も、その滴りが火勢を弱める事も無い。
そう、これは、熱を持たぬ、魂の炎。
だが、あの仙人峠に放った、亡者の魂、陰火の類などではない。
見上げた視線と、見下ろす視線がひたりと合う。
冷たい怒りと、そして悲しみを帯びた目が、炎の中から彼を見下ろしている。
炎の揺らぎの中に、美しい顔と優美な体の線、美しく揺れる髪のうねりがはっきりと浮かび上がる。
こやつが、これほどくっきりとその姿を現したという事は、かなりの力を使わされたようだな。
この城を。いや、この地を守るため。
皮肉な事だ。
「今は、貴様も儂に助勢せざるを得ぬな」
男の言葉に、その美しい顔は何の表情も浮かべなかったが、その身を形作る炎の色が青白い色を帯びる。
これが本当の瞋恚の炎という奴か。まぁ、無理もあるまい。
「貴様にとっては、さぞ不本意ではあろうが、今はこの堅城を守るために、儂に力を貸して貰う」
男の言葉に、ゆらり、と、ため息をつくように炎がかすかに揺れ、浮かんでいた顔が炎の中に消える。
彼女の姿の消えた炎を暫し眺めていた男が、わずかに首を振って立ち上がった。
足が多少ふらつくが、とりあえず立てた事に男は安堵した。
板戸を開き、外を見る。
屋根から滝のように流れ落ちる雪解け水を透かし、氷の縛めを解かれた骸骨兵団が再び動き出した事を見てとる。
こちらは良し。一つ頷いてから、男は目を転じ、懐から遠眼鏡を取り出し式姫の陣内を子細に眺め出した。
「やはり、決断が早い」
恐らく堅城攻めの切り札だったろう攻撃を破られたにも関わらず、さほど動揺する様子も無く、僅かなやり取りから次の行動に移ろうとしているのは、状況を幾つか想定して、どう動くか事前に決めていたからだろう。
そして、その動きの意図が何となく見えた男の顔に、かすかだが嘲るような色が浮かぶ。
「そう……その位置から逃げるなら、思慮深い軍師がいるならそう動くな」
貴様らが、この城の力を見て、対策を立ててきたように、儂らもまた貴様らを迎え撃つ策を練って待っておった。
「我らが同じ愚を犯すと思うなよ」
二の丸を攻めるに利のある、その絶好の位置をがら空きにしたこちらの意図を読めず、かつ、有利な地を占めつつ攻めきれなかった時点で貴様らの負け。
まさか、あの力を使わざるを得ない所まで追い詰められるとは思っていなかったが、何とか凌ぎ切り、相手に退却を決断させられた、先ずは良し。
「貴様らの最大の弱点、その身を以て教えてやる」
大きく三の丸の内を迂回し、崩れた櫓を横目で見ながら、式姫たちの一群は城郭の外に出た。
最前彼女たちが走った街道より細いが、頻繁な往来の跡が残る比較的平坦で見通しのいい道と、道沿いを流れる小川が、彼女たちの眼前に広がる。
恐らくは、城内に物資を運び入れるための道であろう、良く踏み固められた感触を足に感じる。
「宿場町まで一息に駆ける、先鋒部隊は敵の伏兵に気を付けながら進んでくれ」
「急ぎながら警戒しろってかい、面倒をお言いだね」
低くぼやいた紅葉が左右に目を配る。
見通しのいいここは、およそ兵を伏せるには向いた道ではない。
それもその筈、あの街道もこの道も、物資や旅人の安全を図り、彼らを狙う盗賊が潜む場所を極力減らす事を意図して、かなりの大金を投じて整備された物。
それなりにあった林をつぶし、沼沢地を埋め立て、広く見晴らしのいい田畑が広がっている。
商工の活動をかなり重視していたらしい、この地の領主の統治の足跡がここにも見える。
とはいえ、堅城失陥からこちら、放棄されたこの地では、丈の長い草がそこかしこに生い茂りだしてはいるが、まだまだ視界は良好である。
道沿いには、休憩のための日陰を作るための木立や、旅人の寝泊まりにも供せる程度の二十三夜の月祀りや祖神の祠が点在している、かつては理想的と言っていい平穏な田舎の光景そのものだったのだろう。
(なるほど、スタコラ逃げるにゃ良い道だねぇ)
逆に、塀を乗り越えて街道までの道を突っ切る最短距離での逃走を図った場合、その行く手を空堀に阻まれるだけでなく、その空堀に移動を阻まれた相手を攻撃する兵を伏せる場所に事欠かないのは、事前の天狗達の偵察で知れている。
多少遠回りとはなるが、ここを逃走路に選んだ軍師の見立てが正しい事を紅葉は認めた。
「狛犬はどうだい、あんたの鼻に妖の気配は感じないかい?」
紅葉御前の言葉に、少し先を行く狛犬がすんすんと暫く形のいい鼻を蠢かせてから、首を傾げる。
「無いッス……けど」
狛犬の臭覚は獣のそれより更に優れた物であり、付近の妖の匂いを逃す事はない。
まして狛犬の性格である、白黒はっきりした返事が来るかと思っていた紅葉御前が意外そうな顔を狛犬に向けた。
「自信ないのかい?」
「妖の匂いは無いッス、でも何か変な匂いはするッス」
「変なにおい?」
なんだそりゃ、と傍らを走る悪鬼からの言葉に、狛犬は渋面を返して首を振った。
「判んないッス……ただ、嫌な匂いッス」
説明にあぐねた狛犬が渋面を浮かべる。
何でみんな判んないッスか。
「変で嫌な臭いねぇ……」
狛犬の言葉を聞いた紅葉御前が、暫し顔をしかめていたが、やがて考えるのは自分の任ではないと言いたげに肩を竦めてから、後ろを向いた。
「軍師殿、狛犬が妖じゃないけど何か嫌な匂いを嗅ぎつけたそうだよ!」
気にしといてくんな。
紅葉御前の言葉を聞いた仙狸が、珍しく疲れた様子が外見からも伺えるおゆきに目を向けた。
「狛犬殿が具体的に指摘できない匂いとなると、少々気がかりじゃな。『帳(とばり)』とは言わぬが、何か隠形の術の気配は感じないかの?」
異界とこの世を隔てる層、「帳」。
それが壁でも塀でもなく、「帳」と名づけられたのには訳がある。
それは万古不変の境を示す壁ではない、時に、世界の動きに応じ、揺らぎ、波打ち、めくれ、そして一時だが彼方と此方を繋ぎ、互いの行き来を可能としてしまう。
故に、帳。
滅多には無いが、練達の術師や一部の妖の中には、一時あちらに身を潜めるような真似が出来る輩も居ると聞く。
「その類の術の形跡は無いと思うけど……ちょっと自信無いわね」
今の私よりは、烏天狗ちゃんや吉祥天ちゃんの方が、その辺を感じ取る力は確かじゃないかしら。
「それもそうじゃな」
堅城含む広大な二の丸の領域丸ごと氷漬けにする雪山の結界。あれだけの術を行使した後では、さしも大雪山の化身たるおゆきも、いつも通りには動けまい。
おゆきの言葉を受けて、どうじゃな? と言うように、仙狸が彼女たちの少し後方を並んで走っていた烏天狗と吉祥天に視線を向ける。
「特にその辺は……」
「無いと思うけど」
ねー、と二人が顔を見合わせる。
「左様か」
この三人、そして先鋒部隊に居る天狗と天女、殿を走る鞍馬が何も言わないという事は、その類の術の可能性は薄い。
だが、確かに狛犬だけでなく、自分もまた何やらぞわぞわと這い上るような嫌な気配を感じ取ってはいる。
(一体、これは何じゃ)
先頭を行く、狛犬と悪鬼の目に、街道脇に点在する村落が見えだす。
かつては周囲の田畑で収穫された作物を、宿場や堅城に供していたり、道行く人に草鞋や湯茶、昼食を供したりもしていたのだろうが、最近の騒動で人は離散し、無住の地と化している。
その集落跡の傍らを駆け抜けた時、悪鬼が怪訝そうな顔で後ろを見た。
「どうしましたの?」
「いや、何かが動いた気が」
その悪鬼の言葉が終わるか終わらないか。
民家の物陰から、弓を構えた数人の男女が飛び出して来た。
「な……」
「どうしてッス!人の匂いはしてなかったッス!」
慌てて、前衛部隊はくびすを返し、後に続いていた式姫たちも防御の構えを取ろうとする。
だが、完璧な不意打ちからの攻撃を阻むことは、さしもの彼女たちでも出来ず、その一団は一斉に矢を射放った。
彼女たちにではない。
最初から、ただ一点。
その集団の中で唯一、馬上高い位置に居るその人だけを目掛け。
「大将!」
「む……ぐぅ」
至近からの強矢を複数受けた体がぐらりと揺れ、重い甲冑の音とともに地面に転がった。
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「堅城攻略戦」でタグを付けていきますので、今後シリーズの過去作に関してはタグにて辿って下さい | ||
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OPAMさん ありがとうございますー、この辺までは軍師同士の仕込みを長々やってたので、この辺からは戦場らしく、動き出したらわりとバタバタさせたいなぁという事で、展開は早めていきたいなぁと思ってます……そしてお気遣い感謝です、年末はどこも忙しいですね(野良) 全てを凍らせる作戦も驚きでしたが、それに対して火龍が登場するのも驚きでした。しかも、この火龍なにか秘密がありそうで今後が気になりますね。お互い痛み分けで仕切り直しかと思いきや、敵側軍師がさらに先を読んで仕掛けてくるとは・・・次々と事が起きてくる早い展開に読むほうは続きが楽しみです。が、年末の忙しい時期だけに無理はなさらずに書いてください。(OPAM) |
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