長いトンネルを抜けると、
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説明
『国境の長いトンネルを抜けると そこは雪国だった。』の場所は、群馬県と新潟県の間にある清水トンネル(9702m)だ。95年前の 1929年(S.4年)《12月29日》に貫通した清水トンネルは、高崎側から1922年(T.11年)8月18日に工事が始まり、1931年(S.6年)3月14日に完成している。工事費の総額は1172.5万円(現在の価値に換算すると約150億円らしい)だった。工事による死亡者(殉職者)は48人で重軽傷者2,720人であった。旧湯檜曽駅跡地に慰霊碑と上越南線殉死者供養塔があり、土樽駅までの線路の傍らには上越北線殉職碑があるそうだ。完成当時には鉄道トンネルとしては東洋一で 世界では第9位の長さだったという。 苦労を重ねて築いた清水トンネルは、珍しいループ線を用いている。通常なら列車が上り下りできないほどの急勾配のルートを、坂をループを描いて登/降坂することで可能にしている。 開通後に越後湯沢を訪れるようになった川端康成は、乗車した経験を元に 1935年(S.10年)から『雪国』を執筆している。のちのあとがきには「国の場所は越後の湯沢温泉である」と追筆している。 戦後(S.20年〜)は交通量が大幅に増加し、単線では対応しきれなくなったため、1967年(S.42年)9月に 隣接した下り線専用の新清水トンネル(全長13,490m)が開通した。それ以降は 清水トンネルが上り線専用となっている。 だから現在は川端康成と同じルートで湯沢へ行くことができなくなったが、やはり昔よりも もっとずっと長い国境のトンネルを抜けるともっと大量の雪があるのだろう。そして夜の底も白いに違いない。
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