「テラス・コード」 第九話
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第九話 タカミムスビ

 

 

 

 解放されてそのまま、どさりと床に崩れ落ちた。

 ツヌミのリストバンドから伸びていたコードは切断されたというのにまるで生き物のように蠢いて、シュルシュルと自らバンドの中に消えていった。

 

「ツヌミ!」

 

 ミコトはすぐにあたしの上にかぶさったツヌミを助け起こし、ヨミはあたしの手を引いて立たせた。

 

「しっかりしろ、ツヌミ!」

 

 ミコトの呼びかけにも反応しない。

 当たり前だ、ツヌミに触れただけのあたしだってまだ全身がぴりぴりとして、ヨミの支えがないと立てないほどなのだ。直接攻撃を受けたツヌミのダメージは計り知れない。

 青白い顔でぐったりとした彼の固く閉じられた瞼が開く兆しはない。

 

「ツヌミ」

 

 ミコトが強く肩を揺さぶる。

 反応しないツヌミを見て、青ざめたミコトは手首をとって生きている事を確認する。

 

「僕、すぐ行ってカノ呼んでくる」

 

「頼む、ヨミ」

 

 ヨミは弾かれる様にして、たった今駆け降りてきた階段を戻っていった。

 ミコトはそのままツヌミへの呼びかけを続けている。

 心臓が止まりそう。

 いつも纏められていた黒髪が広がっている。青白い頬と微かに痙攣する身体が深刻なダメージを示していた。

 まだ痺れの残る手で、ぎゅっとツヌミの手を握った。

 

「お願い、ツヌミ、目を開けて……!」

 

「ツヌミ! 起きろ!」

 

 あたしとミコトの必死の呼びかけにも答えない。

 ああ、ダメだ、また泣きそう。

 じわりと視界が滲んだ。

 ツヌミ、お願い。起きて。

 あたしが無理を言ってナミから離反させた。その結果、カグヤに閉じ込められてしまったというのに、文句ひとつ言わずにあたしたちを助けてくれた。

 そして、たった一人、始祖であるタカミムスビに立ち向かった。

 あたしは、あたしたちは、この人にいったいどれだけの負担と期待を背負わせていたんだろう。

 

「ツヌミ……!」

 

 ナギが死んでから5年間、ずっと一緒だった。機械越しだけれど、あたしたちは確かに、共に闘っていたのだ。

 お願いよ。

 あたしはもう――何も、失くしたくない。

 祈るように握りしめ、額にあてた両手。

 ふいに、微かな力が握り返してきた。

 

「ツヌミっ!」

 

 ミコトの声で、ツヌミがうっすらと目を開けた。

 その瞬間、あたしの中をどっと安堵が駆け抜ける。

 ツヌミは震える唇の隙間から、か細い声を絞り出した。

 

「……私は……大丈夫……はやく、この下にある扉から中枢に入り込んでください……」

 

「でもお前っ」

 

「先ほどのは、タカミの……最後の力です……私と心中するつもりだったようですが……切断してくださったおかげで助かりました……」

 

 力なく笑うツヌミ。

 

「ロックは……すべて解けています……はやく……手遅れに、なる、前に……」

 

 ああ、ツヌミはタカミムスビを倒したんだ。

 これだけぼろぼろになりながらも、身を呈してあたしたちの道を拓いてくれたんだ。

 

「……泣かないでください、テラス……貴方は私達の希望……太陽を取り戻すための道標」

 

 優しい手があたしの手を包み込んだ。

 

「ミコト……後は、頼みます……ナミとムスヒの幻影、そしてミナカヌシはこの先に……」

 

「分かった、分かったからもう喋るな、すぐにヨミがカノを連れてくるから!」

 

「……ヒノヤギに、気を付けてください……彼は……ナミの、最後の砦」

 

「それは……知っている」

 

「テラスを頼みます」

 

 ミコトは真摯に頷いた。

 それを見て安心したのか、ツヌミは再び目を閉じる。

 やはり無理をしていたのだろう、あたしが握りしめていた手からは、すぐに力が抜けてしまった。

 すぐやってきたカノとウズメにツヌミを任せ、あたしたち3人はツヌミが命がけで開いた扉に向かった。

 

 

 

 

 扉の向こうには、気の遠くなる程長く暗い廊下が続いていた。どこまでも、底もなく続く深淵の闇――

 その暗闇に脅え、止まりそうになる足を前へ前へと動かしていった。

 体中で活性化しているコードのせいだろうか、闇の中でも、視覚や聴覚、全身の細胞一つ一つが鋭敏に起動しているのがわかる。

 

「先に確認しておこうか」

 

 きっとあたしと同じ感覚なのだろう、微かに頬を上記させたヨミが駆けながらあたしとミコトを交互に見ながら言う。

 

「説得する相手で、何より優先するのはナミ。ナミにはおそらくヒノヤギがついてるから注意ね」

 

「ヒノヤギ……て、あの赤い髪の人かしら」

 

「会った事ある? 彼はナミの助手兼ボディーガードの、生物物理学系研究者だよ。頭だけじゃなくて腕のほうもかなりたつから、並の異形狩りじゃ歯が立たないだろうと思うよ」

 

 ナミ自身に戦闘能力はない。

 もし説得に応じない場合は武力に訴えて拘束する事を考えていたけれど、ボディーガードがいるとなれば話は別だ。

 

「ヒノヤギが応戦してきた場合、俺が相手する」

 

「頼むよ、ミコト。君なら……ていうか、君にしか無理だと思う。まあ、闘わずに説得できるならそれでいいんだけどね」

 

 説得。

 あたしは本当にナミを説得できるんだろうか。

 

 不安。焦り。迷い。

 

 それらは、あたしの心を侵食しようといつも狙っている。

 

「あとは、始祖って言ったね。『タカミムスビ』はさっきツヌミが倒した。ナギは既に死んでるし……ナミを除くと、あとは『ムスヒ』と『ミナカヌシ』」

 

 そう。始祖はまだ残っているのだ。

 

「ツヌミはムスヒの幻影とミナカヌシの頭脳って言ったわ」

 

 幻影。

 頭脳。

 ナミとナギがクローンで、タカミムスビが情報生命体だとしたら、残りの二人も何らかの形でタカマハラに存在する。

 

「幻影……ねぇ」

 

 その言葉を聞いて、ヨミが微笑んだ。少しばかり、黒い裏側の見え隠れする笑顔で。

 

「実はさぁ、タカマハラに来てからずーっと、僕らについて来てるモノがあるんだよね」

 

 意味が分からず、あたしは思わず首を傾げた。

 が、ミコトは視線を床に落として呟いた。

 

「……気づいてたのか、ヨミ」

 

「当たり前でしょ、これだけべったりじゃねぇ」

 

「最初は極薄のホログラムかと思ったが、違うらしいしな。アレ自体が意志を持ってやがる」

 

「そうだねぇ、きっと化学専門の研究者にでも聞けばわかるんだろうけど」

 

 やれやれ、とヨミが肩を竦めた。

 あたしには何が何だか分からない。けど、ミコトとヨミには何か分かっているらしい。

 

「僕に任せてくれるかな? 付き纏われるのも不快だし、何とかしてみたいんだけどさ」

 

 その言葉に、ミコトは怪訝な顔をする。

 

「敵の正体も分からないのに、か?」

 

「何となく分かってるよ。どういう理屈かは分からないけど、化学生体化しているんじゃないかと思うんだ」

 

 ヨミはそう言いながら、ハクマユミを召喚した。

 

「だとすれば、弱点だってあるよね。さっき、異形(オズ)と闘った時にだけソレがいなかったのは、そのせいだと思うんだ」

 

 きっぱりと断言し、ヨミはにこりと笑った。

 

「だから、ここは僕に任せて二人で先に行っててくれるかな?」

 

 ぱりり、とヨミの周囲に電撃の欠片が爆ぜる。

 

「行こう、テラス。ここはヨミに任せるんだ」

 

 何? 何の事? あたしにはさっぱりわからない。

 が、聞き返す間もなくミコトがあたしの手を取り、強く引いた。それにつられて足は先へと向かっていく。

 真っ暗な道にヨミ一人を残して。

 一瞬、通路全体がぱっと照らし出され、背後で電撃が縦横無尽に走ったのが分かった。

 

「通さないよ……『ムスヒ』かな。君、電気苦手なんだよね? まさか、分解されちゃうってワケじゃないよね?」

 

 歓喜を隠しきれていない、高揚した声が聞こえる。

 あれは本当にヨミの声――?

 それを確かめる前に、あたしはミコトに引っ張られ、さらに下層へと降りていった。

 

 

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 ずっと駆け降りてきた階段が途切れた時、あたしを覚えある気配が襲った。

 

――嫌な、気配

 

 ねっとりと絡みつくような、蔑むような、憐れむような、最悪の視線。そして、声。

 

「とうとう、ここにまでも来てしまったね」

 

 風もないのに微かに靡く金色の髪。憎らしいほどに整った顔に張り付けたいやらしい笑み。

 以前一度だけ会っている、朱金の髪を短く刈りあげた褐色の肌の青年がすぐ後ろに付き従っていることだけ。

 ナミとほぼ同じくらいの身長の彼は、すらりと引き締まった肢体を見たことのない衣装に包んでいた。赤を基調にした装飾の多い服で、前をかい合わせて腰帯びで止めるタイプのものだ。

 不思議な造りの服だったが、精悍な顔立ちの彼にはとてもよく似合っていた――彼は『ヒノヤギ』。

 心臓がこの上もなく早く拍動している。全身が震えだす。

 ああ、もうこの場から逃げてしまいたい。

 必死に足が震えるのを押さえていると、ミコトがあたしを背に庇うようにして前に進み出た。

 

「何が来てしまった、だ。俺が来る事を見越してヒノヤギまで連れて来ていたくせに白々しい」

 

「カノがそちらにいただろう? 不完全とはいえ、コードが取り出せるだろう事も分かっていたそれに、ツヌミがお前達についた時点で、『タカミ』の防御が破られる事は承知していた。何しろ彼は、始祖タカミムスビの遺伝子をほとんど受け継いだサラブレッドだからね」

 

「……」

 

 ミコトは返事をしなかった。

 ツヌミがタカミムスビの遺伝子を継いでいる。あたしの中にナギがいるように。

 きっともう、あたしは何を聞いても驚かない。

 タカミムスビの名を出した時の、あのツヌミの複雑そうな表情にはそんな意味が隠されていたんだ、と妙に納得しただけだった。

 もうあたしの感情はだんだんと麻痺しかかっているのかもしれない。

 

「これで最後だ」

 

 ミコトは両手を胸の前でぱん、と合わせた。

 まるで祈りでも捧げるかのように。

 

「ナミ、完全なコードをタカマハラの、いや、この防御壁の中に住む人全員に与えてくれ。ナミの持つ技術と知識があれば可能なはずだ」

 

 静かに、でも、どこか諦めたような口調でミコトは淡々と言葉を紡いだ。

 それは本当に最後の通告。

 

「だから、頼む。全員見捨てるなんて言わないでくれ」

 

 ミコトの言葉はいつも強い。

 心の底から願って、絞り出された感情だから。そして、その言葉を真実にしようとどこまでも努力し、声を張り上げる人だから。

 

「ナ――」

 

「もうやめないか、不毛な争いは」

 

 ミコトの声を、ナミが遮った。

 その瞳に表情はない。

 

「コードは既に揃っている。私のやるべき事は変わらない」

 

「ナミ!」

 

「ヒノヤギ。もういい。ミコトを始末しろ。テラスは傷つけず捕獲するように」

 

 ヒノヤギ、と呼ばれた青年が前に進み出る。

 ヨミがナミに刃を突き付けたあの時、ツヌミがそうしてナミを庇ったように。

 

「ヒノヤギ、お前も目を覚ませ!」

 

 ミコトの言葉に返答はない。

 朱金の髪と朱金の瞳の青年は、表情なくミコトの前に立ち塞がった。

 

「そこまで意固地になるのら――力ずくでも」

 

「貴様にやれるものならな、スサノオ」

 

 ようやく口を開いたヒノヤギは、ミコトと同じように胸の前で両手を合わせた。

 そして、ゆっくりと、その両手を左右に広げていく。

 

「来い、トツカ」

 

 相対するミコトも同じようにその掌にトツカを召喚する。

 ぼんやりと青白い光を放ちながら現れた神剣トツカの柄をしっかりと握りしめ、ミコトは目の前の敵を睨みつけた。

 朱金の髪のヒノヤギも、同じく大剣を手にしていた。

 あの光には見覚えがある。

 見覚えがあるどころか、あの剣は――!

 

「驚いたようだな、スサノオ。当たり前だ。神剣がもう一本あるのだからな」

 

「うっげぇー、やめてくれーよ、俺は一人でじゅーぶんだってぇーの!」

 

 ミコトより先に返事をしたのはトツカ本人。

 

「これは神剣ヤツカという。貴様の持つ神剣トツカの設計図をもとに創られた武器のための武器。電子頭脳など搭載していない」

 

 トツカと同じ、神剣。それも、電子頭脳を搭載していない、本当に戦う為だけの武器。

 朱金の瞳に剣が放つ独特の光を反射させ、ヒノヤギは表情なく告げた。

 

「一刀の元に切り捨ててやろう、スサノオ」

 

「お前こそ頭冷やせ、ヒノヤギ」

 

 険悪な空気がその場を支配した。

 心臓がぎゅっと掴まれる。

 次の瞬間には、誰にも入り込めない戦いが勃発していた。

 

 

 

 

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「開放系第1段階、斬(ざん)……『石折神(いはさくのかみ)』っ!」

 

 鋭いミコトの叫びと共に、目に見えるほどに凄まじい斬撃が空を裂いた。

 が、迎え撃つヒノヤギの剣ヤツカは、その斬撃すらも切り裂いてしまう。

 

「くっ……」

 

 予期せず反撃に転じられたミコトは、体勢を崩しながらも何とか剣先をかわし、大きくバックステップした。

 一度間合いを置いて、対峙する。

 これまで一度も息を乱したことなどなかったミコトが、ほんの少しの時間しか戦っていないというのに、大きく肩で息をしている。

 見れば、対するヒノヤギも額にうっすら汗をかき、息を乱している。

 それだけ、二人の実力が拮抗しているということだ。

 全力――それを少しでも緩めれば、どちらかが地に伏してしまう。

 

「あー、イライラするぜぃっ。詠唱なしに開放系なんか使いやがってーよ!」

 

「言うな、トツカ。詠唱が必要な設定にしたのは俺だ」

 

「しょーがねぇなあ」

 

 この緊迫した空気に似合わぬ軽快な会話に、思わず口元を緩めてしまった。

 少しでも気を抜けばやられてしまう相手、それも、トツカは開放系の時に詠唱を必要としている、というハンデがある。

 でも、大丈夫。きっとミコトは負けない。

 あたしは二人から視線を外して、その向こうに佇んでいるナミを視界に捕える。

 ナミもその視線に気づいて、ゆっくりとこちらに向かって歩んできた。

 その瞬間にも、すぐ隣では電撃が爆ぜ、金属音が響き渡るすさまじい戦闘が繰り広げられている。ナミの整った顔が雷の光に照らし出され、ぞくりとするほどの美貌を纏う。

 

「……それ以上は近寄らないで」

 

 間合いまであと数歩のところで、あたしはナミにヒルメを突きつけた。

 

「物騒なことだ」

 

 ナミが武器を持っているようには見えない。今、あたしが攻撃すれば避けられずに命を落とすことになるだろう。

 彼の生殺与奪権はあたしが握っていた。

 が、そんなことどうでもいいかのようにナミはゆらり、と立ち止まった。

 酷薄な笑みを湛えて。

 

「君はすべての人を救うと宣言したようだね。カグヤの人間も、タカマハラの一般市民も」

 

「ええ、言ったわ。でも、それができるのはあなただけ――お願い、ナミ。あたしたちに力を貸して」

 

「もうそれは何度も断ったはずだが」

 

「なぜ? 研究者全員にコードを植え付けるのも、タカマハラと街の全員にコードを植え付けるのも何も変わらないんじゃないの?」

 

 あたしがそう言うと、ナミは笑みを崩さず返した。

 

「まず、本当にそう思っているとしたら、君はもう一度生物学を学んだ方がいい」

 

 あたしはぐっと詰まった。

 5歳でタカマハラを後にしたあたしは、ヨミやミコトと違ってほとんど学習過程を経ていない。専門的な生物学どころか、基礎知識を植え付けただけの状態だ。それも、ナギからほぼ口頭で学んだだけ。

 コードがどうとか、細胞とかクローンとか、実はまだまだ分かっていない事が多いのは事実。

 

「それはこれから勉強するわ。わからない事があるなら教えて欲しい、出来ない事があるならできるようになるまで練習する」

 

「……戯言を。『努力すれば何も出来ないことなどない』などとというのは子供の幻想だ」

 

「幻想なんかじゃない。だからナミ、あなたが頑なにコードを植え付けようとしない理由が知りたいの」

 

 ナミは笑顔を崩さない。

 

「その幻想が真実ならば、いま、タカマハラなどというものは存在しないよ。放射能の汚染も、カグヤも、何も存在しなかったはずだ。それなのに今、こうしてこの街が存在すること自体が、幻想を打ち砕いているのだよ」

 

 ナミの言葉は難しい。

 でも、はぐらかされちゃいけない。あたしが聞きたいのは、それこそそんな戯言じゃない。

 

「ナミ、話を逸らさないで答えて。ツヌミは、あなたなら全員を助けられるって言ったのよ。だから、あなたがあたしたち全員を救う能力を持っているのは事実。だとしたら――」

 

 ツヌミの泣きそうな顔と、力なく握り返した手を思い出す。

 信じていたナミに裏切られて、それでも命がけであたしたちと共に戦ってくれた姿を見て、勇気づけられないはずはない。

 

「なぜ、助けようとしないの?」

 

 ナミは表情を崩さなかった。

 

「あたしには出来ないの、ツヌミやカノみたいな知識はないし、ミコトやヨミみたいに強くもない。ましてや、あたしたちの持つコードを扱えるのは、ナミ、あなたしかいないのよ」

 

「無知の知とはよく言ったものだが、認めたところで君の無力は変わらないよ」

 

「答えなさい、ナミ」

 

 ヒルメを握る手に力を込める。

 スタンバイオーケイ、いつでも射出可能。

 

「君の問いには以前にも答えたと思っていたが……仕方がない、もう一度だけ繰り返そう」

 

 ナミはやれやれ、と肩を竦めた。

 

「コードはそれ相応の人間に与えられるべきだ」

 

「相応って、何?」

 

「より、『生き残ることができる』人類の事だよ」

 

「『生き残る』?」

 

「ああ、そうだ。あの時、あの地獄の中で生きる術を見出したのは、他でもない、私たち研究者だった。テラス、君の中にあるコードを生み出したのもナギだ。そして、これから先、コードを手に入れた人類が直面した課題を取り去っていくのはいつだって私たちだろう」

 

 ナミはさも当然といったように言葉を繋いでいく。

 

「それが出来ない人間が生き残ってどうなる? 私たちの成果に縋って生きていくのは、彼らにとってもいいことだと思うのかな?」

 

 背後で戦う二人の斬音が遠くに聞こえる。

 あたしはナミの言葉一つ一つを絶対に聞き逃さないよう、集中していた。

 

「自ら生き延びることができる能力を持たない者たちを永らえさせていくのは、自然の摂理に反するよ。この大地が出来た時から、生命は能力の高いものを選択することで『進化』を繰り返してきた。それは、この危機において例外ではない」

 

――進化

 

 聞き慣れない単語に、あたしは少し首を傾げる。

 

「人類自身が作り出した最終的な進化段階だ。それを生き延びた者たちが新たな大地を踏む事を許されるのだよ。これは壮大な選別作業さ!」

 

 話すうち、だんだんと興奮していくナミにあたしは恐怖を感じていた。

 得体の知れないモノ、理解できないモノへの恐怖。

 

「世界中に、街がこれ一つだけだと思っていたのかい? だとしたら考えを改めた方がいい。このような施設は世界中に点在する。もはや100年、通信手段もなくどの施設がどうなったか知る術などないが、どの街の研究者もこのコードを切望していたよ。もしかすると、似たようなものを既に別の街は作り出しているかもしれないな。だが、その街もおそらく選別を開始したはずだ。世界は、すでに動き始めた」

 

 もう、分からない。

 ナミが何を言っているのか分からない。

 

「新たな世界の創造! 素晴らしい話じゃないか、私たちは神に等しい存在になるのだよ!」

 

 怖い。今すぐにでもこの場を逃げ出したい。

 そんなあたしの感情が伝わってしまったのか、ナミは一歩、一歩とあたしに近づいてきた。極上の笑みをたたえ、両手をあたしに差し出して。

 あたしはそれにつれて一歩、また一歩と後ろに下がっていく。

 ヒルメをナミに突き付けたまま、一歩、また一歩。

 

「嫌……っ」

 

「アマテラス、君は外の世界に興味はないのかな……?」

 

「近寄らないでっ……!」

 

 怖い。怖い。怖い。怖い。

 嫌だっ!

 

 全身の血がざぁっとひく。

 

「テラス、気をつけて、このままだとあと2歩でトツカとヤツカの攻撃圏内に入ってしまう」

 

 ヒルメの冷静な声で、あたしはなんとか足をとめた。

 が、ナミはその間にも歩みを止めない。

 いつしか、斬撃音が近付いていた。

 

「君はナギの遺伝子を受け継いだサラブレッドだ。ミコトとヨミが、図らずも私の遺伝子を持つように、ね」

 

 

 

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 もう驚かない、と思っていたのに――あたしは、心臓が止まりそうなショックを受けた。

 ミコトとヨミが、ナミの遺伝子を継いでいる。

 

「君たち3人には生き延びる権利があった。始祖の直子は少ないからね……だが、ミコトはあまりに母親の遺伝子が強すぎたようだ。彼には、邪魔になる前にもう消えてもらおうと思ってね」

 

 ああ、ナミがミコトとヨミの親だなんて。

 もう何が何だか分からない。

 

「驚いた顔をしているね、おそらく彼ら自身は知っていたよ。私を親と知っていて反抗しているんだ。ああ、そうそう。ヒノヤギはミコトと同じ母を持っているよ。そして、その片親は、ナギだ」

 

 ナギ、という言葉に、あたしは即座に反応した。

 そして、はっと後ろを振り向く。

 そこには、肩で息をしながら向かい合う、二人の青年の姿があった。どこか楽しそうに見えてしまうのは、気のせいなんだろうか。

 

「ヒノヤギは君と腹違いの兄弟ということになるね」

 

 もう、頭がパンクしそう。

 誰と誰が兄弟で、血の繋がりだか同じ遺伝子だとか……難しすぎる。

 

「おかしな話だね、近縁種は惹かれあう。その先に待つのが遺伝子の弱体化だと分かっていても」

 

 背後で二人の打ち合う音がする。

 

「近縁種は反発しあう。直系ならば保護の対象となるにも関わらず」

 

 ナミの問答はもう聞き飽きた。

 

「そんな曖昧な言葉は聞き飽きたわ、ナミ」

 

 またはぐらかされてしまうところだった。

 

「あたしには『進化』とここでカグヤを見捨てることの整合性が理解できないの。どうして、多くの人を見捨てようとするの?」

 

 そう言うと、ナミは少し驚いた顔をした。

 

「アマテラス、君は不思議な感性をしている。あんな廃れた街で、生きていくのも精いっぱいだったはずのあの街で育ったというのに、なぜ他人を見捨てるということを知らない? それは非常に興味深いことだ」

 

 ナミの不思議そうな声。

 でも、それに対する答えは簡単だ。

 

――生きなさい

 

 頭の中でナギの、声がする。

 

「ナギはあたしに『生きなさい』って言ったわ。それは、あたしに生きて欲しいと言っていたの。だから、あたしは『生きたい』と願ったわ」

 

 あたしの中の制御は外れた。岩戸プログラムは解除され、太陽を取り戻すコードと過去の記憶はあたしのものとなった。

 

「カグヤの人たちも、同じ願いを持っていたわ。だから、あたしは共に同じ目標に向かって全員が進む道を選んだの」

 

 同じ母親から生まれたのなら、なぜミコトとヒノヤギは争っているの?

 どうして同じ方角を見て、同じ目標に向かって努力する事が出来ないの?

 あたしの中に疑問が膨れ上がっていく。

 

「願いは誓いになり、力となる。そしてそれはいつか『真実』へと変貌する」

 

 これは、ミコトが繰り返したこと。

 

「だから、みんなの願いが一つなら、全員が一緒に生き残るのは道理よ。誰も、そこに線を引くことなんて出来ないわ」

 

「理想論だね。幻想を抱く子供の理論だ」

 

「そんな事ないわ。あなたみたいに進化とか選別とか自然とか、勝手な言葉を使って切り捨てようとするよりずっといいわ!」

 

「それを、ずっと異形(オズ)狩りをしてきた君が言うのかい?」

 

「……!」

 

 あたしの中の、いちばん深い傷。

 人間だった異形を葬ってきた罪。

 ナミは一瞬でそれをえぐり出した。

 思わず、ヒルメを持つ手に力が入った。が、それと反してあたしの両手はヒルメの照準をナミから外していた。

 

――マタ 殺スノ?

 

「……嫌」

 

――本当ハ アレモ 救イヲ 求メテイタノニ

 

 ナミの笑顔が近付いてくる。

 あたしの両手が動く気配はない。じっとりと染みでた汗で滑るほどになっても、ナミに矢を向けることが出来なかった。

 

「いい子だ、アマテラス。これで自分がどうすべきか、分かっただろう?」

 

 あたしはずっと、人を殺してきた。

 生きるためとはいえ、何十何百の異形を葬ってきた。

 そのあたしが、生きたいと願うことなんて、赦されない。同じように生きたいと願っていた人たちの想いを踏みにじってきたあたしが生きていく事なんて赦されるはずがない。

 全身が震えだす。

 

――生きなさい

 

 やっと、答えを見つけたと思ったのに。

 あたしの生きる意味が知れたと思ったのに。

 太陽を見つけ出すコードを持っているだけだったあたしが、生きていたいと初めて願ったのに。

 何かをこいねがうかのように差し出された骨格を、あたしは蹂躙してきた。放射能に侵され、二度と元に戻れないモノを葬り去ってきた。

 その行為と、これからナミがしようとしている行為の、いったい何が違うというのだろう?

 

「分かるだろう、君が罪だと思っていることも含め、すべてが『選別』の一部なのだ」

 

 聞きたくない。

 

「だから、私は私のすべき事を実行するだけだよ」

 

 最初に言った台詞をもう一度繰り返し、ナミは微笑んだ。

 

 

 

 

 背後で、ミコトがレベル2を解除した声が聞こえた。

 

 

 

 

 

説明
――生きなさい――

 それは、少女に残された唯一の言葉だった。
 太陽を忘れた街で一人生きる少女が、自らに刻まれたコードを知る。

 古事記をモチーフにした、ファンタジックSFです。


第十話→http://www.tinami.com/view/117001

第八話→http://www.tinami.com/view/114775

第一話から読む→http://www.tinami.com/view/111938



キャラ紹介→http://www.tinami.com/view/153554
いただきもの4コマ漫画→http://www.tinami.com/view/153551

※ イラストはすべて拓平さまからいただきました。
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コメント
>華詩さま いつもありがとうございます! それぞれに、それぞれの正義がある。本当に長い話になってしまいましたが、最後までお付き合いください。(早村友裕)
それぞれの正義が真正面からぶつかりあう。最後に訪れる未来はどんな風景なのかな。(華詩)
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