豆まきは小豆で厄祓いをおすすめします
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説明
現代の二十四節季を決めているのは天文台だ。国立天文台が観測して「太陽黄経が315度になった瞬間を含む日」を立春としている。だから2025年の立春は2月3日になり、立春の前日の2月2日が節分になるわけなんだって。 昨今は節分の前日や 昼間から神社や寺のイベントで豆をまいているが、本来は「立春前夜に豆をまけば邪気を祓える」といわれているらしい。 正統な豆まきは神社なのか寺なのかがあやふやなので考察してみる。 平安の頃から季節の変わり目に邪気が芽生えると考えられて、昔の貴族達は体調の変化は邪気が取り付くせいだと考えた。そこで一年の始まりの前日の夜(大晦日)に、悪霊祓いをして以後一年間の無病息災や国家繁栄を祈っていたらしい。その平安時代に人々を煽ったのが安倍晴明らのインチキ陰陽師たちだ。京都の安倍晴明神社では邪気が解明された現代でも春の節分行事が続いている。 節分は雑節の一つで『各季節の始まりの日の前日のこと』だから、節分とは季節を分けることを意味している。しかし、江戸時代以降は「立春の前日のみに」使われる言葉になったようだ。 インチキ陰陽師は悪霊や邪気を「鬼」として、煎り豆をまくことで邪気を祓うと伝えた。このイカサマ方式が定着したのは、室町時代以降とされている。だが豆まきはもともと年末の宮中行事だったはずだ。江戸時代以降は、もしかしたら誰かの利権が絡んでいたのかも知れない。たとえば、伊勢参りや富士講を仕掛けた御師のような人達が裏で糸を引いていたとは考えられないだろうか?庶民はそれに操られて豆まきを行うようになり、人々が集まりやすいお寺や神社での豆まきイベントが一般化したとも考えられる。結局世の中は何事も金儲けなのだ。 だが、この豆まき行事のルーツは陰陽師や仏教から伝来したというよりも、日本古来の風習のようである。 元来日本では、豆には穀物の霊が宿っており、豆自体に力があると考え、穀霊信仰として信じられてきたようなのだ。以前に春分の日、お盆、秋分の日の時のおはぎを考察したとき、赤色の小豆には祓う力があると結論したことがある。だから本来は節分も小豆で豆まきをしていたらしいのだ。節分も小豆を使うと、年に8回も小豆を使うから妖怪小豆洗いも忙しかっただろう。小豆(あずき)は、大福豆(おおふくまめ)とも言って高価なので、安倍晴明らは同じ日本原産の安価な大豆に変えてしまったのではないだろうか。 もし豆まきが 始めから大豆を使い、平安時代から始まったものだとしたら、発祥は神社からで正しいのだろう。だがそれ以前の飛鳥時代や奈良時代から小豆で豆まきをしていたのであれば、寺から始まった可能性がある。そしてもっと古く神代の頃から続く風習なら、その頃に寺はまだなかったはずだから、由来は八百万の神だろう。 まとめると、『豆まきは日本古来より続く穀霊信仰に基づいているから寺も神社もいらない。安倍晴明らが小豆を勝手に煎り大豆にかえてしまった節があるので、小豆の方が祓う力が強そうだ。』というのが僕の結論だ。あなたに信仰心が無くて、豆まきはただのイベントならビール片手に「枝豆まき」や「殻つき落花生」の方が、汚れを気にせず食べられて良いかもね。一応、豆まきにも正しい作法があるようだが、しょせん鬼や妖しの類いを信じる時代の人々が考えたやり方だから無視して良いのだ。因みに恵方巻きは、古代中国の節分に 恵方を向いて特定の食物を食べると厄を払い福を招くという信仰だから、日本人にはまったく関係無いと思うよ。しょせん商売人が金儲け目的で流行らせただけなのだ。
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