日本には『建国記念日』が無いことのおさらい。 以前は明治5年(1873年)から初代神武天皇の即位した紀元前660年2月11日を 、日本国ができた紀元節として2月11日を祭日 にしていたが、昭和23年(1948年)の敗戦時にGHQ(連合軍総司令部)に紀元節を廃止されてしまった。しかし国民から、紀元節を復活させようとする動きが高まり、名前を変えて昭和41年(1966年)に「建国記念の日」を提案する。これが国会で国民の祝日と認められたので、翌昭和42年から適用された。これは日本の長い歴史からみると、つい最近の出来事だ。日本には外国のように、独立記念日も革命記念日もなくて、それに似ているのは徳川家康の天下統一だろうか?だから、本当は日本はいつ「建国」されたのかがわからないほど古い国で、建国された日時まで特定することなどは不可能なのである。それで「建国記念日」と言い切らずに、間に「の」の字を入れて「建国記念の日」としたそうだ。日本が出来た日を建国記念日とするならば、神話の世界まで遡らなくてはいけないだろう。建国の様子を記した文はこうだ。【ある時、高天原の神々は下界に新しい国を造ることをご相談になられました。そこで伊邪那岐命(いざなぎのみこと)・伊邪那美命(いざなみのみこと)の2柱の神さまに「このただよっているものを国としてあるべきすがたに整え固めよ」と国作りを命じられ、天沼矛(あめのぬほこ)という矛を授けられました。2柱の神さまは、天浮橋(あめのうきはし)という天に浮かぶ橋に立ち、神々より授けられた矛を指しおろし、コーロ、コーロと音を立てながらかき回しました。しばらくして矛を引き上げてみると、矛の先より滴り落ちる塩が、積もり重なって於能碁呂島(おのごろじま)という島ができあがりました。】 とあり、どこにもそれはいつなのかが記されていない。季節さえも不明だ。これでは建国記念日を特定できないので、とりあえずこの国の始まりは神武天皇からだと考えたのは妥当だと思う。その神武天皇はご即位の際、「八紘を掩ひて宇と為む」という詔を出されたそうだ。意味は「天の下にひとつの家のような社会を築きましょう」ということで、これが天皇が日本を建国した理由だそうである。なんと日本はこんにちまで2685年間も明るい家族計画を築こうとしているのだ。建国記念の日は"日本社会は皆家族"の日なのだ。 |