蔡?の日々 〜恋姫春秋〜 第2話 |
やっと陳留についた。
…それはさっきも言ったではないか。
陳留に着いたは良いとして、私はどこへ行けばいい。
そうそう、曹操の屋敷だ。
………寒ッ!
さて、やっぱり私は迷子になってしまった様だ。
匈奴にいた頃はこんなことはなかった。
道が無く、家がまばらに建っていたから最短距離で馬を突っ走らせることが出来た。
ここでは、家と人の隙間を通らなくてはならない。
しかもこの道が陳留で一番広い大通りらしい。
あの人は「陳留に行けば一番大きく目立つ建物がございます。それがわが主曹孟徳の居城です」と言っていたが、今のところそれらしき建物は見えない。
正直なところ、あの人には曹操さんの屋敷まで案内して欲しかったが、荷造りや別れの挨拶をするのに数日かかるので、何日も引き留めるのは申し訳ないと思い帰ってもらった。
あの人は親切なことに陳留の地図を貸そうかと言ってくれたが、どうせ読めないからと断ってしまった。今にして思えば、地図も無いよりはマシだっただろうか。
…そういえば、あの人名前なんて言ったっけ。
かこ……夏侯「夏侯惇さま、こちらです!!」
かこうとん? 惜しい、違う名前だ。
「女ァ!!!邪魔だぞ!!」
右の角から汚い身なりの大男がこっちに走ってきた。泥棒だろう。
それを追って兵士たちも来た。一人の泥棒相手にずいぶんと追っ手の多いこと。
…で、あの人なんて名前だったっけ。
ぼうっと道の真ん中で考え込んでいると、
「邪魔だって言ってんだろ、死にてぇのか!!」
件の泥棒に捕まってしまった。腕で首を絞められ、右腕も掴まれてしまい容易に動けそうにない。
「夏侯惇様!賊は包囲いたしましたが…」
「くッ、人質をとられたか。
貴様!人質を放して投降しろ!!」
「うるせぇ!!俺を逃がさねぇならこの女を殺すぞ!」
さて。
あいにく護身用に持ってきた杖は鞄に入れた状態。
護身と言っても野生の獣を追い払う用途だから今朝しまったんだよなー。
あの夏侯惇さん?と兵士の皆さんに任せても良さそうだけど。
だけどもし「10時間に及ぶ犯人と当局の睨み合い」なんて事態に巻き込まれるたら面倒なので…
首を締めている腕を左手で掴み、同時に後ろにいる男の顔に頭突きを食らわせる。
男が怯んで力を緩めたところで腕から抜け出した。
男は私を逃がすまいと右手を掴む力を強めているが、相手は私を押さえつけようとすることに意識が集中しているからかえって扱いやすい。
掴まれている部分を支点にして掌を上に向け、そのまま更に上に突き出すことで相手の体勢は簡単に崩れるのだ。
「ぐはッ!!」
前のめりに倒れる男の腹に蹴りを食らわせ、やっと私は自由になった。
体格が違っても武器を持っていても、結局相手に怖れを抱かず冷静さを保っていれば、簡単に制圧できる。
草原で羊を襲う狼を追っ払っていたときに得た教訓だ。
「よ、よし!賊を拘束しろ!!」
夏侯惇さんとかいう人が手際よく?命令を出し、地面に倒れ臥した男を捕縛させている。
「で、おまえは大丈夫か!怪我はないか?」
夏侯惇さんが駆け寄ってくる。
「大丈夫です。ご心配をおかけしました。」
「いや、こちらこそ部下の不手際で危険な目に遭わせてしまった。真に申し訳ない!」
「いえいえ、あんなところでボーっと突っ立ってた私が悪いのでお気になさらないでください。
ところで貴方は、曹操さんの部下の方ですか?」
「如何にも曹操様はわが主であるが?」
私はあの人からもらった手紙を彼女に見せた。
曹操さんからの陳留への招待状だ。
「ふむ、間違いなく華琳様の直筆と印璽。
なるほど、かり…曹操様が直々にご招待の客人だったか。」
「そういうことです。曹操さんのお屋敷まで案内していただけますか?」
「勿論だ。ところで、貴公の名を伺いたい。」
「蔡?(さいえん)と申します。 字は昭姫、真名は文(ふみ)です。」
彼女は唖然とした様子で私を見ている。何か変なことを口走ったっけ?
「あのー、なにか?」
「ん、あー失礼。初対面で真名をお預かりしてよいものかと思ってな…」
「…あー、ハハッ。そんな重く考えないでください。この国の人と違って、真名にそんなに思い入れはないですから。」
「そ、そうか。しかし相手の真名をお聞きした以上、こちらの真名を託さぬわけにはいかない。
わが名は夏侯 惇。字は元譲、真名は春蘭だ。」
「では春蘭さんとお呼びしてもよろしいですか?あ、私も文で構いませんから。」
「ああ、構わない。それでは行こうか、文殿。」
やれやれ、何とか今日中に曹操さんに会えそうだ。