想いの行方 |
寝台の中で黝いものがうごめいた。それがゆっくりと起き上がると、その下に整った顔が見える。その黝い髪の持ち主は寝乱れた髪をかきあげて、周囲を見回した。
機嫌の悪そうに美しい顔をゆがめているその人物の名はアブリアル・ネイ=ドゥブレスク・パリューニュ子爵・ラフィールという。
通常はアブリアル十翔士と呼ばれるその少女は突撃艦〈バースロイル〉の艦長を務めていた。――過去形なのは先日の戦闘で艦が大破してしまったためである。
突撃艦〈バースロイル〉はその消耗の激しい艦種としては長生きしたほうである。じっさい、ラフィールが配属されている艦隊の中ではいちばん古い突撃艦になっていたし、ほかの艦隊を見渡してもこれほど古い突撃艦はほとんどなかった。
それがようやく引退したところで、褒める人間はいても責める人間はいなかった――ひとりをのぞいて。
ラフィールの所属する艦隊を統べるスポール提督が、別れ際にこんなことを言った。
「アブリアル十翔士、いままでご苦労でしたわね。短い間でしたけどいっしょに仕事ができて楽しかったわ。もう少し長く仕事ができると思ってたのに、ほんとうに残念ね。まあ、せっかくですからあたくしの分まで帝都でゆっくりと羽をのばしてきてくださいな。戦場にいるあいだはなかなか休めませんからね」
これがスポール・アロン=セクパト・レトパーニュ大公爵・ペネージュ提督の言葉でなかったら素直に受けとることもできたかもしれない。しかし提督の赤い瞳の奥に言葉の裏にある意味を見いだすと、ラフィールはこの屈辱を晴らすための方法をずっと考えていた。
帝都ラクファカールへの帰路についている今も睡眠をとらずに、そのことやあるいは今回の戦闘のことを考えていた。
その様子をみていた突撃艦〈バースロイル〉の書記は、ラフィールに休息をとるように何度もすすめていた。度重なる忠告を無視していると、ついに書記はしびれを切らしたらしく、こう叫んだ。
「ラフィール、今回のことをいくら考えたってしょうがないだろ。あれは不可抗力だったんだから。それからスポール提督の言葉は気にしないほうがいいって教えてくれたのはラフィールのほうじゃないか」
そんなことはラフィールにも分かっていた。だが、その悔しさはいつまでたっても消えそうにない。
返事をしないラフィールを見て書記はため息をついた。
「……しょうがない。それならぼくにも考えがある。きみが寝るまでずっとこうしているからね、ラフィール」そういうと書記は手近な椅子に腰をおろした。
普段のラフィールならこんなことを言われて黙っているはずはない。しかし、リン主計列翼翔士の真剣な表情を見ると返す言葉が出てこなかった。
それでもしばらくは黙って考えごとの続きをしていたが、いつのまにかこの自分のことを呼び捨てにする相手――リン・スューヌ=ロク・ハイド伯爵・ジントのことを考えるようになっていた。
気づかれないようにジントの様子をうかがうと、置物のようにじっとラフィールのほうを見つめていた。その真面目な顔がおかしくて、思わず笑ってしまう。
とつぜん笑いはじめたのを見てけげんな顔をしているジントに、ラフィールは話しかけた。
「わかった。そなたの望みどおり休むことにしよう。そんなに見つめられていると、わたしも落ちつかないからな」
「ほんと?」
「ああ、わたしはそなたと違って嘘はつかぬ」
「ひどいな、ぼくってそんなに嘘つきかな」ジントは不服そうな顔をする。
「それよりジント、そなたはいつまでここにいるつもりなのだ? 乙女の寝室に居座りつづけるというのは、あまりよい趣味とはいえぬぞ」
「そうだね。せっかくきみがやる気をだしてくれたのに、ぼくなんかが邪魔するのは気がひけるし」ジントは椅子から腰を上げた。「さっそく退室することにするよ」
おやすみの挨拶をかわしてジントが退室すると、ラフィールは就寝の準備をはじめた。
――それにしても、ジントもずいぶん強くなったな。
むかしのジントならきっとラフィールが疲れて眠ってしまうまでほうっておいてくれただろうし、ラフィールも眠るつもりはなかった。
しかしジントが心配してくれているのを感じると、なぜだか自分のやっていることをうしろめたく思えてきたのだった。
――それとも、わたしが弱くなったんであろか。
おのれの弱さを認めている自分におどろきながら、ラフィールは眠りについた。
ジントは自分の部屋にもどると端末を起動した。いつものように珈琲を淹れ、端末のまえに腰をおちつける。
珈琲をすすりながら、ゆっくりと、ジントは日記をつけはじめた。
日記をつけるようになったのは突撃艦〈バースロイル〉でラフィールと再会してからだった。三年ぶりに会ったラフィールと自分の成長を比べたとき、自分が地上人であることを痛感したのである。
いまは一緒にいられる。五年後も大丈夫だろう。だが十年後は? それ以降は?
自分の気持ちはかわらないだろう。その自信はある。
だがラフィールは? 変わりゆくジントを見ても一緒にいてくれるだろうか。
一般にアーヴの愛は激しくみじかいという。ラフィールが例外だという保証はどこにもない。
――そのときはそのときだ。
とりあえずジントはラフィールのすべてを見届けるために、日記をつけることを思いついたのだった。
ジントは今日あったことをひとつひとつ思い返していた。
今日は書くことがたくさんあるな――ジントはひとりごちた。
もはや日常のように感じるようになった戦闘のこと。
突撃艦〈バースロイル〉が大破したこと。
そのため帝都に帰らねばならなくなったこと。
それにしても――ジントは珈琲をすすりながら考えた――最後はやけに素直だったよな。
ジントにとっては、それが今日いちばんの出来事だった。
ラフィールは空識覚にぴりぴりするものを感じていた。なんだろうと思い、
感覚を研ぎすます。
なにか――いやな感じがする。
空識覚に感じるのはどうやら敵宇宙艦のようだ。ラフィールの艦と戦闘状態になっている。
戦況を見るかぎりとくに悪いことはない。もうすぐ勝利をおさめることができるだろう。
だが――なにかがおかしい。
敵艦はかなりの損害をうけながらも、こちらへまっすぐに向かってくる。
もうそろそろ敵艦の武装はすべて破壊されたはずだ。分別のある艦長ならそろそろ投降信号をだすように命ずるだろう。
しかし、あのぴりぴりするいやな感覚は、消えないどころかどんどん強くなっている。それにしてもこの感覚はどこかで――
そのときである。敵宇宙艦はとつぜん速度を増し、〈バースロイル〉目指して突っ込んできた。
まずいな――この距離では敵艦を完全に破壊つくすことはできない。破壊できたとしても巻きこまれる可能性が高い。
「全速力で回避!」ラフィールは叫んだ。
それにもかかわらず敵艦との距離は近づいてくる。破壊するのが間にあってくれればよいが。
頭環を介して伝わってくる感覚はひどいものだった。〈バースロイル〉の攻撃により敵艦がまき散らす破片と放射能嵐はラフィールの感覚を麻痺させようとする。
――まだ破壊できぬのか。
普通ならすでに爆散しているはずの艦はなおも接近してくる。
もはや敵宇宙艦を破壊してもその影響を受けずにすむことはできない距離になってしまった。それどころか、敵艦と激突する可能性のほうがきわめて高い。
空識覚いっぱいに敵艦を感じるようになったラフィールは、ふと前方でいそがしそうにしているはずジントを見た。
艦橋にいるはずのジントがいない。
持ち場にいないことよりも、死を前にしたこの瞬間に自分の傍らにいないことのほうが腹立たしかった。
ようやくプラズマの塊となった敵艦は、そのまま〈バースロイル〉をのみ込んだ。
ラフィールの空識覚に、死の感覚が広がった。
ジントが日記をつけ終えそろそろ休息をとろうとしたとき、室外通話器の呼鈴がなった。
こんな時分に誰だろう――通話器から告げられるはずの名前は聞こえてこない。
「誰だい?」ジントはおもむろに扉を開けた。
「ああ、ジント、起きていたか」
扉の外にいたのはラフィールだった。なにか困ったような顔をしながら戸口でたたずんでいた。
「どうしたの」とジント。
「い……や、なんでもない」
「そう? でもせっかくだから部屋に入らない?」
去ろうとするラフィールをジントは引き止めると、意外にも素直に部屋に入ってくる。
ラフィールに椅子をすすめると、自分は寝台に腰掛けた。椅子にすわった王女はうつむいたまま黙っている。
この沈黙は長く続きそうな予感がしたので、ジントは飲み物の用意をした。
ラフィールのまえに熱い桃果汁をおくと、自分は珈琲をすする。
――それにしてもどうしたんだろう。ラフィールらしくもない。
「ねぇ、ラフィール。ほんとはなにか用事があったんじゃないの?」
思いきって話しかけてみるが返事はない。
「ひょっとして、眠れないから子守り歌でもうたって欲しいのかな」
それを聞いたラフィールはいっしゅん睨んだが、すぐに顔をそむけてしまった。
――やれやれ、こいつは重傷だ。逆鱗で魂を鎧うラフィールがこんなことを言われても黙っているなんて。
ひょっとしたら、これは夢なのかもしれないな――そんなことを考えながら、ジントはラフィールが口を開くのを待った。
ラフィールは困っていた。ジントの部屋に来たまではよかったのだが、そのあとのことは考えていなかった。
ジントが寝入っていれば帰ろう、そう思っていたのだが残念ながらジントは夜更かしが好きだったらしい。
うながされるままにジントの部屋に入ってしまったが、これからどう振舞えばいいのだろう。
「――眠れないから子守り歌でもうたって欲しいのかな」
思わずジントをにらみつけるが、すぐに視線をはずしてしまう。
たしかにジントの言うことは半分あたっている。少なくとも――こんなことは信じたくないのだが――夢にうなされて目覚めてしまったのは事実だ。
しかしそんなことをジントに言う気にはなれなかった。言ったところでどうなるものでもないし、ジントのもとを訪れた理由はほかにある。
問題なのはその理由だ。
さきほど見た夢――このあいだの戦闘で〈バースロイル〉が破壊されたときの再現で、しかも最悪の結果だった――のなかで、ラフィールは死を覚悟
した。そのせつなジントが傍らにいないのを感じると、唐突に「死にたくない」と思った。少なくともジントと離ればられになるのはたえられなかった。
そうして目覚めたとき、最初に感じたのは不安だった。ひょっとするとジントはもうこの時空にいないのかもしれない――そんなことは絶対にありえないと頭の中では分かっていたのだが、どうしてもこの目でジントの姿を確認しなければ気がすまなかった。
そこでジントの部屋に来たまではよかったのだが、まさか「生きているか確認するために来た」と言うわけにもいかない。
そもそも自分がこんなにジントのことを想っているとは思わなかった。
ジントのことを好いているのはわかっていたし、ジントと離ればなれになっていた三年間はたまらなくさみしかった。だがそれは親しい友にたいする感情である、と思っていた。
――これが恋というものであろか。
ラフィールはふと、いぜん帝都ラクファカールに帰還したときに〈忘れじの間〉で父とかわした会話のことを思い出した。あのとき父は「恋をするにはまだ早いな」と言っていたが、今ならなんと言うだろう。
自分がジントに恋しているのかもしれないと考えると、ひとつ気になることがあった。それはジントの気持ち――ジントも自分のことを愛してくれているのか、ということだった。
もし違っていても今までどおりうまくやっていける、とは思う。だができることならジントに愛されていたいというのが、偽らざる気持ちだった。
そういえば――ラフィールは父が語っていた「特権」のことを思い出した。
父上は「迷惑をかけられることが」特権なのだと言っていた。だとすれば
――自分とジントの行動をふり返るに、ジントは自分を愛してくれている――そんな気がした。
ラフィールはそのことを確かめるため、ジントに話しかけた。
ジントはラフィールをぼんやりと眺めていた。
ラフィールがこんなふうに悩んでいるのを見るのははじめてなんじゃないかな――そんなことを考えていると、
「ジント」と呼ぶ声があった。
「なんだい、ラフィール」ジントはつとめて明るくこたえた。
「そなた、わたしのことをどう思う?」
「どうって言われたって……」
「正直にこたえるがよい」ラフィールの顔は真剣そのものだ。
なんだってこんな時にそんなことをきくんだろう。まあ、こんなことでラフィールの気がはれるんならおやすい御用だ。
「そうだね……」ほんの少し思案すると、
「翔士としての才能は素晴らしいものがあると思うよ。今回は運悪くやられてしまったけれど、それでもこの辺の突撃艦の中ではいちばんの古株だったしね。それにしても〈人類統合体〉があんな無茶をするとは思わなかったな――」
「そういってくれるのはありがたいが」ラフィールはさえぎった。
「わたしが訊ねているのはそういうことではない」
ではいったいなにをききたいんだろう。
「ええと」ジントはことばを濁しながら、
「ちょっぴりわがままかなと思うし、もう少し落ちついたらどうかなと思うときもあるよ。でもそれは――」
ちらりとラフィールの顔をうかがったが、意外なことに無反応だった。
「個性の範囲内だと思うし、なおさなければいけないほどひどいものじゃないと思うよ」
「ジント」名前を呼ぶラフィールの声にはじゃっかんの怒気が含まれていた。
やはりまずかったかなと思ったが、続くラフィールの言葉はジントの予期した内容ではなかった。
「そなたの鈍さはあいかわらず冷凍野菜なみだな。わたしがききたいのはそなたの気持ちのことだ」ラフィールの頬はめずらしく紅潮していた。
なんだ、そんなことか。それにしても――ジントは考えていた。鈍いのはお互いさまじゃないか。少なくとも今までのことを考えればジントの気持ちはじゅうぶんに伝わっているはずである。
「ぼくの気持ちはね、ラフィール」ジントは子供をあやすような優しい声をだした。
「きみがどう思うかはわからないけれど、ぼくは死がふたりを分かつまできみの傍らにいるつもりだよ。たとえこの身が老いぼれようともね」
老いという言葉をつかうことはためらわれたが、自分の意思をはっきりさせるためにもこのことに触れないわけにはいかなかった。
「これでは、答えにならないかな」
ジントはラフィールのこたえを待った。
「あ……」ジントの言葉をきいたラフィールは胸に熱いものがこみ上げてきた。そうなのだ。ジントは遺伝的に地上人であり、寿命はラフィールの半分ほどしかない。肉体的にも老化していく――フェブダーシュ前男爵のように。
そのとき自分はどうするのだろう。
そもそもアーヴの愛は長くは続かないと言われている。だが今のラフィールにはジントと離ればなれになるときが来るとは考えられなかった。考えたくもなかった。
せめて今はジントになにかしてやりたかった。ジントの気持ちにこたえるために、自分の気持ちを確かめるために。
「ジント」ラフィールは精一杯の虚勢を張った。
「そなたの気持ちは大変うれしい。わたしもそなたが側にいてくれるとたいへん心強く思う。これからもよろしくたのむ」
そこまでいうと、ラフィールは緊張をといた。
「これがその感謝の気持ちだ」そういうとラフィールはジントにそっとくちづけた。
永遠とも思える時間がすぎたあと、ラフィールはそっとくちびるをはなした。
ジントから離れようとしたその刹那、ラフィールは腕をつかまれた。そのままジントの胸元にひきよせられる。
普段ならこんなことをされて黙っているはずはなかったが、なぜだか今は
ジントに逆らう気にはなれなかった。
――たまにはこういうこともよいであろ。
ジントの身体に体重をあずけると、ラフィールは静かに目をとじた。
ジントは自分の腕の中にラフィールがいることが信じられなかった。
ラフィールのくちびるが離れたしゅんかん、ジントはようやく手に入れた
宝石を失ってしまいそうで――おもわずラフィールをつかんでしまった。ままよと思い抱きよせたが、ラフィールは抵抗もせずにすんなりと胸元におさまった。
しっかりとラフィールを抱きしめたジントは、その黝く長い髪を優しくなでた。その髪の甘いにおいをかぎながら、ジントはそっとみみもとで囁いた。
「絶対にきみを離さないからね……」
ちいさく「かまわぬぞ」という声が聞こえてきた。
胸元でラフィールの熱い吐息を感じながら、このときがいつまでも続けばいいのに、とおもった。
つづく
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『星界の紋章』を読んだ直後くらいに書いたお話(の前半)。 ジントとラフィールのお話です。 ルビを振れないのが大変残念です……。 |
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